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クラン・コラ:アイリッシュ・ミュージックの森

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クラン・コラ 2008年08月号 Part 2 of 2 読み物篇

発行日: 2008/8/21

______________________________________________________________________
Editors: おおしまゆたか・洲崎一彦      August 2008        Issue No.168
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                       Part 2 読み物篇

                           CONTENTS

- 【アイリッシュ方丈記】5 山中を吹く風  …………………………… 吹人
- 『チューバはうたう mit Tuba』…………………………………… 新藤直子
- Ciara'n O' Maonaigh And Aidan O'Donnell 《FIDIL》……いくしまとおる
- メロディーにしてメロディーにあらず ……………………  field 洲崎一彦
- 『神曲』の語りなおしとしてのリチャード・トンプソン …………中山義雄
- ブルターニュ音楽は世界に開く
   --マルト・ヴァッサーロ・インタヴュー ……………おおしま・ゆたか
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■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 【アイリッシュ方丈記】5 山中を吹く風
■ 
■                                        吹人
■──────────────────────────────────

 久しぶりに会う母方の伯父、傘寿の姿はひょうひょうと仙人だった。山中を
吹く風のように見えない。農家の伯父はいつも冗談好きな男だった。

 H・ド・バルザックは云う。
 「自分のやる事をあらゆる角度から徹底的に研究するのは、野蛮人と農民と
田舎者だけである。それゆえ、彼らが思考から事実に到るとき、その仕事は完
全無欠である。」 

 アイリッシュ伝統音楽は農民、田舎者のものであった。アイリッシュは誇り
高い野蛮人でもあった。

 急斜面の高い山のなかに子供たち5〜6人が遊んでいる。僕は彼らから少し
離れている。子供の背丈ほどの深い草が生い茂り、周りは雑木林と杉林で、前
方は天神平という名の茶畑がある。天気は晴れ渡る清々しさだ。一人彼らから
離れたところに少年Aがいる。彼らは少年Aを追いかけているが、とても難儀
しているようすである。彼らの中から勇気ある少年Bが長い竹の棒、十メート
ル程を持って追跡を開始する。少年の僕も追いかける。少年Aはどんどん下っ
て行き視界から遠ざかる。僕は少年Bを追い抜き、その長い竹の棒を引き継ぐ。
その棒でジャンプするところまで来ると、自分たちがいた山(高根山)は、空
中に浮かんでいた。

 少年Aが行ってしまったところは千メートルも下方に見える。とても広大で
素晴らしい眺めだ。僕は落下を和らげるために、すぐ下にある木の先端に飛び
つく。千メートルの真下に大木が見える。僕は長い竹の棒を水平にして、その
大木の上に軟着陸する計算だ。ドサッ、…目が覚めた。

 今日の日本人は、高根山、天神平という「意識」の領域のみに住んでいると
思っている。伝統音楽のアイリッシュの住む世界は、天神平からの素晴らしい
眺め、千メートルの下界で、彼らが深く関わる「無意識」の領域である。

 意識、無意識は、日本語では心身で済む。身近な里山に、高根山とか天神平
という言い得て妙な地名をつけた人々に、感服せずにはいられない。地名と夢
の意義が一致するのは、偶然と思えぬ驚きである。そこは仙人、山姥の栖なの
だ。

 アイリッシュ伝統音楽はダンスの伴奏でもあるので、ダンスに焦点を当てて
みたい。物事は比較すると分かるので、ゴータマ・シッタルタの知恵に耳を傾
ける。最も古い聖典『スッタニパータ』、弟子の伝えるブッダの言葉から、修
行者に説いたものを「踊り」に転訳する。
 
 一、自らを神々と思い違いの踊り子 
 二、神々に仕える踊り子 
 三、神々の一人になる舞姫 
 四、神々を導く舞姫                         転訳責任/吹人
 
 もう二十年も前になる。インドの南、マドラスからバスで数時間南下、海に
面した小さな観光地を訪ねた。夕方、観光客を相手に舞踏団の公演が行われた。

 座長と思われる立派な風采の男が、馬の人形と一体になり、二本脚で時空を
超えて踊る。魂が金縛りになる。さらに美しい舞姫の踊りは、西洋のエロスの
姿のハヴァ、ヘレナ、マリア、ソフィアを全て体現する。大地の母、絶世の美
女、聖母、知恵を現す。その舞姫は*西欧の歴史千年を飲み込む。

 インドには日本にない美しさがある。*インド人は人生を全うする、からだ
ろう。その禍福は日本の物差しでは計れない。しかし悠久の大地に襲いかかる
ベンガル湾のサイクロン以上に、今やアメリカンスタンダードが上陸占領する。
そのアメリカも石油の枯渇後、どうなるか分からない。
 
 昨年九月、静岡市の繁華街で開催されたワ−ルド・ミュージック・バザール
にて、県内グループによるアイリッシュ音楽が演奏された。弦楽器の静謐な音
色が揺らぎ漂うと、その七間町通りに地鳴りが湧き起こった。それはやがて近
くのビルを震動させ、天を曇らせ暗雲の雷鳴と共に、ビルの窓という窓を、木っ
端微塵にするはずだった。しかしそんなことは起きなかった。魔法は解けて消
えてしまった。晴天の秋空の午後だった。

 その少し前に、フィリピン人によるバンブーダンスがあった。出稼ぎの人達
と思われ、プロのダンサーではない。ダンスが始ると彼女達は聖なる乙女に変
身してゆく。涙を堪えるに精一杯だ。その余韻に浸っている中だった。

 神々、仙人、山姥などの言葉は今の日本の日常にはない。しかし言葉が替わっ
ただけで、精霊、霊、亡霊などを*現代ではコンプレックスと呼んでいる。も
しあなたが登校拒否したのなら、通りでナイフを振り回す衝動を感じたら、そ
れはあなたの内なる神々が怒っているのだ。それは社会に益となるべき力、エ
ネルギーであり、アイリッシュ音楽はその*社会的儀式、なのだろう。

 アイリッシュ音楽のコピーは輸入できるが、アイルランドの妖精は輸入でき
ない。日本は中国以上にコピー大国ではないか。日本のアイリッシュ音楽のそ
れは、日本の国土にある。

 どのような運命の廻り合わせか。標高500m余りの高根山の、天神平の茶畑の
西、十年ほど前に耕作放棄した蜜柑畑一町歩がある。荒れ放題で、猪が駆けま
わっている。自給自足の準備をする世の流れだ。石油が無くなり日本人が薪を
使用し始めたら、日本の山も禿山になる。人類が絶滅しても地球は困らない。
「地球は困らない」、逆説的だがこれこそアイリッシュ音楽の結びとなる。
 
 
 筆者注*C・G・ユングより一部引用。
 
<ふひと:一町歩の蜜柑畑に、これまで遅々と進まなかった立派な農道が通る。
どこも蜜柑畑は放棄されているが、東海地震の際の国道一号線と東名のバイパ
スという大儀名文だ。フルーターは疎開先を求む。>

                 *****


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■  チューバはうたう  mit Tuba
■ 
■                                 新藤直子
■──────────────────────────────────

 「まことにおっしゃるとおり、私はチューバ吹きだ」
 「ご承知の通り私はチューバを吹く」
 「繰り返すが、私はチューバを吹く」
 「私はチューバを吹く」
 「私はチューバ吹きだ」

 100頁に満たない文章のなかで、主人公は繰り返し宣言する。
 チューバと私が一体であることを。
 そして、それは何故なのか、時に熱く時に褪めて語り始める。

 「嘘だとお思いか?」「ならば私が吹いてやろう。」

 チューバという楽器を実はよく知らない。
 オーケストラの最も低音を担当する巨大な金管。
 確かに女性の演奏するイメージは湧きにくい。
 主人公によれば、たまたま体格が大柄だったからというのがチューバとの出
会いだった。
 フルートをやっていた友人に聞けば、誰がどの楽器を担当するかは、実はそ
の人の唇の形が大いに関係するらしい。チューバは、クラリネット等と違って
マウスピースを唇の外側にぴたりと密着させて演奏する。だから、どちらかと
いえば唇は薄く歯並びのきれいな人がよいのだという。
 いずれにせよ、人が楽器と出会うのはかなり運命的なできごとなのかもしれ
ない。

 主人公は、ピアノやギターと違って女がチューバを(しかも一人で)吹くこ
とは社会的に認知されないという。その上で、「認知された趣味」であるピア
ノやギターと、自分がチューバを吹くことの違いを強調する。そして、それは
様式に支配された集団や既成の社会常識というべきものへの悪気ない従属を、
静かにしかしきっぱりと拒否しているように見える。それぞれの井戸の水は、
たとえ恋人といえどもおいそれと共有することはできないのである。むしろ共
有できないことの大切さを理解して欲しいと願うのだ。

 ただ、そも自分らしく生きようとすることは、取り立てて言わずともそのよ
うなことなのだろうと思う。
 今この瞬間が輝いていると感じる時、社会のなかでの相対的な幸福感ではな
く、自分の魂が喜んで呼吸している、そんな絶対的な解放感がある。そしてそ
れをもたらすものは、きっと人間の数だけあるのだろう。
 彼女にとって、それがチューバであり、バルカンの熱い風であるように。

 私自身も、偶然聴いた名も知らぬ笛の音色に心を揺さぶられ、いつしかアイ
リッシュ・ミュージックの森をひとり分け入りながら、未だかつてない幸福を
味わった。当時、私の手に地図はなかったが動物的感覚が面白いように水源を
たどっていった。更に聴くうちに、自然に楽器を手にし、そしていつしか自分
の声をその小さく細い管を通して歌わせる喜びを想像できるようになった。長
年探し求めていた私の歌を歌ってくれるものに出会えた、そんな懐かしさを感
じた。その音色に、バウロンが鼓動を刻みフィドルが絡む、それだけで今度は
もう座っていることさえが難しくなる。この世ではまだ行ったことのないはず
の土地の空気に、魂と肉体が共振し始めるのだ。

 私には、主人公のような演奏技術もなく、楽器との一体感も多分まだ想像の
世界でのことでしかない。しかしこれもまた、彼女の言うような一般的には認
知されていない、説明しがたいことであるのだろう。私もまた、この部分につ
いてはもう一生離れられないと思うが、やはり人にはうまく説明できない。そ
して、私もまたかなりひとりが好きだ。

 主人公はチューバを大地と言う。その黒々とした地盤の上に、多くの旋律が、
楽器が自在に遊び、ハーモニーする。いかようにも支えよう。そのことに密か
な誇りさえ抱いている。メロディを歌うものより更に認知されにくい、しかし
全てを歌わせる根源的な包容力・・。
 作者は、そこにももっとスポットを当てたかったのか。
 「嘘だとお思いか?」
 あえて何度も問うのである。

 風が去った後、微かな違和感が残される。そんなに構えずとも、あなたのチュー
バはごくごく自然に私の中に入ってくる。認知されない幸せも誇りも、星の数
程あってよいではありませんか。

 「私の肺は空気を満たし、私の内腔はまっすぐにチューバへと連なって天へ
と向いたベルまで一本の管となり、大気は音に変わって世界へと放たれるのだ。」 
―― (本文より)

第23回太宰治賞受賞
瀬川 深『チューバはうたう mit Tuba』筑摩書房 1,400円


<しんどう・なおこ:職場の庭で孵ったカルガモが巣立ち、百日紅に蝉の声が
染み込んで。もう秋ですね。>

                 *****


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■ Ciara'n O' Maonaigh And Aidan O'Donnell 《FIDIL》
■                                                       いくしまとおる
■──────────────────────────────────

 ドニゴールの若手フィドラー、Ciara'n O' Maonaigh 氏と Aidan O'Donnell 
氏のツインフィドルからなるこのアルバム。今年の3月に発売され、まさに
「会心の一撃」という表現がぴったりな作品です。で、笑ってしまうぐらい
「ドニゴール」な音をしています。いや、ほんまおもろい、かつすごい、まさ
に“This is Donegal!!”。このアルバムでドニゴールフィドルの将来はもう約
束されたといっても過言ではないでしょう。

 で、Ciara'n O' Maonaigh 氏とは。いや、ここはあえて Ciara'n 君と呼ばせ
ていただきます。今から10年近く前のこと、ワタクシぶちょーはバカの一つ覚
えのように何度もドニゴール方面に出向いおりました。昼間はほとんど昼寝で
過ごし、晩になれば当然のようにセッションに出向く、非常に不健康きわまり
ないあり得ない旅。そんなこんなで参加したセッションの場で、Ciara'n 君と
は何度か顔を合わしています。その時、彼はまだ10代だったはず。ギネスでは
なくオレンジジュースを片手にセッションに参加する Ciara'n 君。そんな彼に
フィドルの手ほどきをしているのが StephenCampbell 氏というの素晴らしいフィ
ドラー。もちろん楽譜などありません。なにもかも手取り足取り教えている訳
でもない。セッション中の Stephen 氏のフィドルさばきや音を真剣に感じよ
うとする Ciara'n 君。セッションしながらもCiara'n 君のフィドルに耳を傾け、
合間に的確なアドバイスを送る Stephen 氏。

 そしてそんな姿をフィドルを抱えながら満足そうに眺めている人物がいまし
た。ドニゴールフィドル界の伝説的人物、今は亡き Proinsias O' Maonaigh 氏
です。そう、なにを隠そう Ciara'n 君のお爺さんでもあるのです。実は 
Ciara'n 君、かのAltanの Maire'ad 様の甥っ子さん。親父さんは Gearoid O 
Maonaigh 氏というギターリストなのですが、彼も Frankie Kennedy Winter 
School を取り仕切るなど、ドニゴール界において欠かせない人物であります。

 伝統は、このような風景の中で確実に受け継がれていくようです。もっとも
ドニゴールにおいては当たり前のことなのかもしれませんが。

 この作品はそんな「伝統」の結晶のひとつです。天国の Proinsias 氏もきっ
と喜んではると思います。

 ところで、「アイリッシュ」というと「郷愁の響き」というイメージがある
かと思いますが、このアルバムにはそういったものはいっさいございません。
このアルバムには “Home” の音が詰まっています。「郷愁」とは “Home” 
から遠く離れて感じるもの。”Home”に居るのであれば、当然「郷愁」の響き
は産まれません。そこにあるのは「極めて現実的な音」です。言い換えれば「
とても生活感が漂う音」なのです。彼らはそこで生活をしています。それはま
ぎれもない事実です。そんな生活の中から産まれたのがこのアルバムだと思い
ます。

 大切なのは「音」なのか「生活」なのか。間違いなく「生活」に軍配があが
ります。「生活」あっての「音」。「音」だけに憧れても意味がない。ドニゴー
ルの「音」に憧れるならまずはきちんと「生活」すべきです。結果として「音」
は産まれます。もっとも、その「音」は別に音楽でなくても構わないのかも。
「生活」がそこにきちんと在るなら、「音」が音楽か否かということは大きな
問題でなくなるのかもしれませんね。

 ドニゴールだからといって特別な場所ではなかったです。誰もが普通にあた
りまえに生活してはります。違いと言えばその生活に密接な音楽があるという
こと、かつ、交通手段が乏しいことでしょうか。飛行機は飛んでいますが、そ
れ以外の公共交通手段はプライベートバスのみ。発着場所もよく分かりません。
で、ダブリンから約5時間かかります。ガタガタ道、かつもの凄く細い道。バス
をそんな道をトップスピードで駆け抜けていきます。それなりの準備と覚悟が
ないとそこにたどり着けません。最終手段はレンタカーでしょうか。当時はミッ
ションばかりで借りるのに二の足を踏みそうでしたが、今ではオートマも充実
しているのでしょうか?

 話を Ciara'n O' Maonaigh 氏と Aidan O'Donnell氏に戻します。彼らのマイ
スペースにおいて、かの名チューン〈Gravel Walk〉が作曲された場所で演奏す
る二人の映像が視聴できます。一見の価値ありです。
http://vids.myspace.com/index.cfm?fuseaction=vids.individual&VideoID=34919613


<いくしまとおる:ギタリスト、京都の「fieldアイルランド音楽研究会」名物ぶちょー>

                 *****


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■ field どたばたセッションの現場から

■ メロディーにしてメロディーにあらず
■                           field 洲崎一彦
■─────────────────────────────────

 お盆前のアイ研練習会は出席者が少なくて、ついつい、練習というよりも雑
談になってしまった。居合わせたのは、半分はホイッスルのインストラクター
役で参加のUさん、つい最近練習会に来るようになったバウロン志望のS君、
3ヶ月前から参加するようになった本来はリコーダー奏者のMさん、最近欠席
が続き落ちこぼれる寸前で顔を見せてくれたフィドルのB君、の4人である。

 まあ、今までいろいろやっては来ているけど、ぶっちゃけてどうかね? こ
こでやってること、ピンと来てますか? それとも、まったくワケがわからん
かったりしますか?  と、たずねてみた応えは

 「わからないこともあるけど、ピンと来ることもある」

と、いうものだった。

 ここで、しばし、議論になったのは、いつも、私はここでは呪文のように
 「メロディーから意識を離しなさい」
と唱え続けているわけなのだが、新しい曲を覚えている最中ではメロディーを
意識しないと覚えられないのではないか、という問題で、皆さんそれぞれ思う
所を語り合ってくれて、結局、ちゃんと曲を覚えるまではその曲に関してはメ
ロディーに集中するのは致し方ない、と言う結論に達した。

 私も、つい、話の流れで
 「それは、そうやなあ」
などと、相づちを打ってしまったのではあるが、これはその後も私の心にはちょっ
と引っかかったままなのだ。

 今回は、この「引っかかり」を糸口に、話を進めて行こうと思う。

 楽器の初心者はどうしてもその楽器の操作方法をある程度修得しなければな
らない。それが、フルートやフィドルのように、あるいはボタンアコーディオ
ンやコンサーティーナ、はたまたイーリアンパイプスのように難易度の高い楽
器であればなおさらである。

 このような楽器の操作方法を修得するには、とにもかくにもメロディーを出
すしか、とりあえず練習の方法が無いのであるから、メロディー以外の事なん
て考えている余裕は無い、というのも分からないではない。

 しかし、これもやっぱり一種の固定概念に縛られた発想だと思う。

 初めて触る楽器がある。ある音が出た。また違う高さの音も出た。ではとり
あえず何かメロディーを出して見よう、というのは、はたして誰もが普通に考
えることだろうか?

 ここに、ではとりあえずビートを出して見ようという発想もあるのではないか?

 メロディーを出すには複数の高さの音が出なければならないので楽器のその
部分、つまり音階を出す操作方法に目が行くことになるが、ビートを出すには
1つでも音が出たら、その音の発音のタイミングや出た音の切り方をどのよう
に操作するのかに目が行くだろう。これも大事な楽器の操作方法である。

 このあたりは単純に発想の転換である。

 では、何か新しく曲を覚えるという場合はどうなんだ、という問題がある。
アイリッシュ音楽はだいたい短音メロディーが主体なので、ほとんどの楽器が
同じメロディーを奏でる。

 問題は、この「曲を覚える」ということの具体的な作業内容なのだ。これに
は、しばしば楽譜が使われる。楽譜を見ただけで頭の中につるつるとメロディー
が流れるまで訓練された人はまだ良い。が、多くの初心者は楽譜をまず自分の
練習中の楽器を鳴らして音を確認する。そうすると、その時点で技術的に操作
ができない音は再現できないので、そもそも音の確認ができない。だからこそ
練習するのだ!というのは素晴らしいモチベーションなのだが、つまり、それ
は、そのメロディーを覚えるというのでは無しに、そのメロディーをその楽器
で鳴らす手順を覚えるという作業にすり替わってしまうのではないか? 

 曲を覚えるというのは、その曲が頭の中に鳴るということである。よく、何
度も流れるCMソングが急に頭の中に鳴り出して、もう、1日中その曲が頭の中
で鳴り止まないということがあるだろう。これぞ、楽譜も楽器も介さずして音
楽を覚えるという状態である。

 つまり、何か新しい曲を覚えることと、楽器の操作方法を覚えることとはまっ
たく関係ない。すなわち、楽器で新しいメロディーを出すことと、その新しい
メロディーを持った曲を覚えることも実は関係ない。曲を覚えるということは、
楽譜が読めなくても、楽器が演奏できなくても可能なことなのだ。

 頭の中で勝手に曲が流れている状態で、まあ何でも良い、興味のある楽器を
手にとって、それをそのまま音に出してみよう。という素直にシンプルな発想
をしてみよう。

 おそらく、少なくとも、アイルランド音楽はそのようにして受け継がれて来
たもののはずだ。

 何か新しい歌でもいい、これを数人の人たちに教える。みんながだいたい歌
えるようになると、日本では、それに、ハーモニーとなるメロディを探そうと
する人が必ず1人は現れるという。これは、世界的に見ると、とっても特異な
現象だというのだ。

 例えば、アメリカで同じことをやると、必ず踊ろうとする人が1人は出て来
るという。少なくとも、新しい歌を覚えたら、次は手で膝を打ったり、足踏み
をしたり、リズムを取る方向に進むのが一番良く見られるスタンダードな反応であるらしい。

 かくも、現代日本人は、メロディーとそれを発展させたハーモニーがとって
も大好きということらしいのだ。そして、アイルランド音楽には原則的にハー
モニーの発想は極めて希薄だとすると・・・・・。


 アイ研練習会で、たとえ、新しい曲を覚える時にでも、メロディーから意識
を離しなさいと、呪文のように唱え続ける所以である。 


<すざき・かずひこ:Irish pub field のおやじ・ジャズマンの言う「スケー
ルを意識しているうちは真のアドリブはできない」に通じる発想の転換ですね。> 

               *****


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■ 『神曲』の語りなおしとしてのリチャード・トンプソン

■                                                            中山義雄
■──────────────────────────────────

 何の因果か二週間前の日曜の午後のこと、青空文庫
http://gaku2003.hp.infoseek.co.jp/AOZORA/MATSUDAIRA.html
の氏のページに迷い込み、そのまま数時間、故松平維秋氏の文章と明け方まで、
睨み合いを続けた、と言うほどの真剣勝負ではないけれど、鼻くそホジりなが
ら斜め読みしたわけでもない。

 ふと気付いたのは、初めて触れた氏の文章は「ロックにとって名盤とは何か」
である。最終電車に駆け込みで間に合った、と思いきや、扉は無情にも閉じら
れてしまったわけで、そこから始まっているのが、我が "Human Song" 探索で
あったようだ。ゆえに、氏のイメージというのは、70年代後半的に云うと、パ
ンク以上に「ノー・フューチャー」なものであった。『Music Life』に連載さ
れていた『レコード会社の倉庫に眠る日本未発売名盤』という一連の音盤紹介
のなかの、ジーン・クラーク評の氏の言葉、「夏が燃える」という言葉に、違
和感を感じつつ、ロジャー・ティルソンやスティーライ・スパン、ボビー・チャー
ルズと読み進んでいったわけだ。

 ジーン・クラークとロジャー・ティルソン、共にジェシ・デイヴィスのワシ
タ・プロダクションの作品である。両者の共通点は、時間の掛かり方だろう。
クラークは、およそ一年間、ジェシはクラークの住まいを訪ね、リハーサルを
重ね、唄とオトを練り上げて行った。片やティルソンは、クレジット通り、ベー
シックは、一発ライヴ録音だが、タジ・マハールのバンドに参加する以前、ジェ
シはティルソンとデュオを組んで一年間ライヴ活動をしていた。レコーディン
グを前提とした、唄作り、音楽作りとライヴという活動形態の違いが、両者の
音楽の豊かさの質の違いと顕われている。これは希有な例ではないかと思い、
この場で僭越ながら補足させて戴く。

 で、今回、書こうと思っていたのは、松平氏も「実りの音楽」として、CD時
代になってから、かつての音楽を、むしろ新譜として振り返ったような、二度
目の春にシニカルにときめくような『復刻CDに時代を聴く』のなかで取り上
げられていたリチャード&リンダ・トンプソンの《SHOOT OUT THE LIGHT》であ
る。

 "33 1/3" という文庫本よりもひとまわり大きいサイズの名盤本がある。《ペッ
ト・サウンズ》《暴動》、キンクスの《ヴィレッジ・グリーン》など、名盤を
丸ごと一冊新鋭ライターが書くというもの、《ミュージック・フロム・ビッグ・
ピンク》は、ザ・バンドの取り巻きだったドラッグ・ディーラーに著者が成り
済ました、グリール・マーカスも半分呆れつつ賛辞を贈るほどの、スレカラッ
シには必読の書であった。ビートルズの人気曲の集計係をするより、リスクを
背負って、こういう本を世に送り出す方が好ましいわけだが、そのシリーズの
なかの一冊として、《SHOOT OUT THE LIGHT》が出た。

 このアルバムを賞味するには、禁断の果実に手を出さねばならない。ジェリー・
ラファティーがプロデュースした最初のヴァージョンのブート。これは世に出
ていたら、世のサウンドにおもねった駄作になっていただろう。デジタル時計
がクールだった時代のAORと、意味なく見事なトンプソンのギターは、混じり合
う事なく並走を続ける。しかし、〈Back Street Slide〉のような曲の、ネジを
一本締め忘れたようなルーズさは、トンプソンのレコードでは聴かれなかった
もので、妙にいかがわしくて、個人的には既発のヴァージョンよりもこちらの
方が耳に合う。もう一枚、ラファティのプロダクション用の、かなり青写真は
トンプソンの頭のなかでは煮詰まっていることを感じさせる曲とサウンドのス
ケッチ集という極めてマニアックな音源もある。

 本体よりも凄いのが、デイヴ・ペグ、デイヴ・マタックスに、ジョン・カー
クパトリックがフィーチャーされた離婚ツアーのライヴ盤で、こちらではラファ
ティ版に入る予定だったサンディー・デニーの〈アイ・アム・ザ・ドリーマー〉
を凄腕集団が、実力通りの演奏をしているが、どれほど鬼気迫るギター・ソロ
も、ジョン・カークパトリックの蛇腹の醸す、身体が数フィート舞い上がるよ
うな妙技も、バンドの一体感も、心を閉ざしてしまった女の前で無力なのであ
る。バンドの演奏は、トンプソンの唄も未踏の領域に踏み込んでいるほどの凄
みがあるが、まったく別の方向を向いているというか、リンダ・トンプソンの
絶対零度の壁に跳ね返され、凍り付く。

 世のロック/ポップス、さらには80年代初頭のトラッドの状況からみても、
トンプソンは無風状態で音楽作りを続けていたわけで、事実の経過だけを追い
たければ、パトリック某のバイオ本だけで充分である。

 "33 1/3" の著者、ヘイデン・チャイルドは、ダンテの『神曲』をモチーフと
して、当時のトンプソンの置かれた地獄を語ってゆく。ヘイデン・チャイルド
なる人物、21世紀のおたくである。脳みその作りが新しい。新しい批評の地平
というものがおぼろげに見える。ちなみに英米では、ニューウェイヴ時代にト
ンプソンの再評価が行われた。きっかけは、グリール・マーカスの LIP STICK 
TRACE』のなかで、"No Future Song" の雛形として、フェアポートのセカンド
に入っている〈Tale in Hard Time〉の最初のヴァース「この人生から太陽を取
り去って・・・」。《SHOOT OUT THE LIGHT》に高い評価もこの延長上にある。
電気民謡のパイオニアとしてのものでは、決してない。

 と、ここまでが地獄の一丁目の地図であります。二年前にリリースされたジョ
ニー・デップの便乗商品、ロック/フォークの有名人がシー・シャンティーを
唄う《ROGUE'S GALLERY》に収められたトンプソンのスコットランドのフィッシャー
マンズ・ソング、〈Mingulay Boat Song〉のパフォーマンスが、素晴らしく、
久々、リチャード・トンプソンが浮上してきたわけですが、ウェッブで最近の
彼の発言を拾ってみると、21世紀のトンプソンは変わって来た。トンプソンは
どうトシを取ったか一言で云うと「いじわる爺さん」です。そこを読み違える
と、これからの作品、いちばんの聴き処を外すことになろう。注文はというと、
帽子を取るべきである。平岡正明の名言に「ハゲは欲望を隠さないから良い」
というのがある。いじわる爺さんの欲望って何だ?

<なかやま・よしお:ニューオーリンズとクレアとカラブリアとタイが心の故
郷の謎の人>

                 *****


■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

■ ブルターニュ音楽は世界に開く
■  ――マルト・ヴァッサーロ・インタヴュー

■                                                      おおしまゆたか
■──────────────────────────────────

 先だって来日したブルターニュのデュオ、Bugel Koar のシンガー、マル
ト・ヴァッサーロ Marthe Vassallo は、ブルターニュでも有数のうたい手です。
女性と言うことでは、下にも出てくるアニー・エブレルと双璧でしょう。21世
紀のブルターニュ音楽を背負う逸材です。来日時はご本人の都合がつかず、イ
ンタヴューできなかったのですが、メールでの質問に答えてくれました。先々
月にインタヴューを掲載したビューゲル・コーアルの片割れフィリップ・オリ
ヴィエは、伝統音楽のコアとはやや距離があります。今回はブルターニュ伝統
音楽の核心部分も覗くことができる貴重なものと思います。

 マルトは一方でブルターニュ伝統音楽の核心部分であるダンス・パーティ、
「フェス・ノーズ」で毎週最低一度はダンス伴奏としてうたいながら、他方で
は、伝統音楽そのものの定義をひっくり返すような活動にも積極的です。この
インタヴューからもおわかりの通り、音楽家としておそろしく幅の広い包容力
を備え、また実践しています。しかも、そのそれぞれの入れ込み方が半端では
ありません。これだけの深くかつ多様な音楽活動をしている人は、世界広しと
いえども、まず稀でしょう。こと音楽の体温と言うことでは、ブルターニュは
世界一高いと思いますが、その体温の高さがそのまま形になったような人では
あります。

 当然、耳慣れない固有名詞もたくさん出てきますが、あえて注釈はつけませ
ん。今はネットでいくらでも調べることもでき、音を聞き、映像を見ることも
できます。編集部もすべてを知っているわけではありません。断片的にわかる
ところだけからでも、マルトの活動の多様さにはめくるめく想いです。この人
の活動からは、ほんとうに眼が離せません。

 それでは、Bugel Koar など聴きながら、ごゆっくり、どうぞ。
http://bugel-koar.stalig.com/
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0006A7W4Q/crancoilleblo-22/


編集部 まず、いつ、どこでお生まれになったのですか。

MV フランス南西部のニオール Niort に1974年に生まれました。母の出身地で
そちらの方が便利だったから。両親は8年前からブルターニュに住んでいまし
た。私はブルターニュの血は一滴も持ってません。まあ、「血」なんてものに
意味はないし、ブルターニュではそんなこときくの無意味ですね。私がこんに
ちあるのは、一にも二にもあるブルターニュ生まれのフランス人政治家のおか
げです。かつて60年代にフランスの「地方分権化」が始まったとき、その政治
家が自分の故郷の町に、新しい電気通信研究センターを誘致することに成功し
たのです。私の父はまだ若い研究者でしたけど、陰鬱なパリの郊外と、この驚
くほど美しいけれど当時は遙か遠くの、後進地域とどちらかを選べと言われた
のです。なにせ当時、この町の道は狭いし、学校は古めかしいし、昔からある
地域には電気も来てませんでした。両親は二人とも田舎育ちだったので、こっ
ちを選ぶことにして、1966年にやってきました。私が育ったのはブルターニュ
北岸の小さな町トレガステル Tre/gastel 郊外の小さな古い村です。


編 ブレイス語は第一言語ですか。

MV 当然違います。母はニオール生まれ、父はフランスと「地中海ヨーロッパ
その他混血」の混血(私の姓は中世イタリアが起源でマルタ島経由)。でも私
が育った世界ではブレイス語が「見えない」ながら強力な存在感をもっていま
した。観光で食べているところでしたから、知らない人にブレイス語で話しか
けることは誰もしません。でも、そこらじゅうにブレイス語はありました。近
所の老人たちの奇妙なフランス語(何を言っているのがほとんどわからない人
もいました)にも響いていましたし、近づいてゆくとやんで、少し離れるとま
たはじまる会話、宗教的な記念物に刻まれた言葉、そしてもちろんフェス・ノー
ズでうたわれるうた。子どもの頃は、大人になるとブレイス語をしゃべるよう
になると思っていました。私がブレイス語を習いだしたのは14歳の時で、17歳
になる頃にはほとんどバイリンガルになっていました。


編 子どもの頃の音楽的環境はどんなものでしたか。ご家族やご親戚、ご近所
にシンガーやプレーヤーはいましたか。

MV うちの家庭ではうたうは何より自然なことでした。仕事をしても、歩いて
いても、洗濯しても、いつでもどこでもみんなうたっていました。ただ、誰か
にきかせるためではありません。家族にも聞かせるものでもありませんでした。
自分だけのもので、まあ、息をしたり、時計代わりにしたりするようなもので
す。だから、家の中では四六時中うたが聞こえていました。ありとあらゆる種
類のうた。ポップ・ソングのフレーズ、ジョルジュ・ブラッサンス、それにそ
の時はまったくそれと気がつかなかったけれど、母の故郷の伝統歌がいくつか。
一族に伝わる話で、私の曾祖父の一人はそれは美しい声をしていたので、その
両親のお得意さんでお金持ちの人が、お金を出すからパリに音楽留学してはど
うかと持ちかけたのだそうです。でも、歌手は「まっとうな仕事ではない」と
されていたので、断ったのでした。


編 音楽の訓練は受けたことがありますか。公式非公式を問わず。

MV 7歳から17歳までクラシックのピアノを習いました。でも、楽理はどうし
ても勉強する気になれず。おかげで、今にいたるまで、そこだけぽっかり空い
てしまっています。

 伝統歌のうたうたいになってから、私は技術的な壁にぶちあたってしまいま
した。あまりに壁が厚いので、うたうことすら嫌になってしまいました。その
時(22の時です)、クラシックの声楽教師イラム・ルーリディ Ilham Loulidi 
に出会います。モロッコ人の彼女はアラブ声楽の訓練を修めていました。おか
げで私にとっては理想的な教師になりました。私も彼女と同じように、(ブル
ターニュの)伝統的な音楽とクラシック音楽を両方とも好きで、どちらのスタ
イルでもうたうのが楽しいことに気がつかされたのです。この人が両方できる
のなら、私にだってできるはず、というわけ。もちろん、このふたつはその美
意識(響き、フレージング、味わい等々)ではきれいに正反対です。だからこ
そ、よけいおもしろい。

 ですから、わたしは生まれながらのうたい手で、ピアノの生徒としては凡庸、
でも音楽的才能はいくらかあって伝統歌のうたうたいになり、クラシックの教
育を受けた人間、ということになります。

 クラシックからみた場合の技術的欠陥につぎを当てようと苦しい作業をして
いて思いあたることは、私の心のうちの音楽を司る部分がかならず声を通じて
作用していることです。高校の合唱隊でモーツァルトをうたったときでさえ、
私は耳と記憶に頼っていました。楽譜を読み書きすることはできますが、楽譜
はいつも本物に比べれば抽象的に組まれたプログラムのようなものにすぎませ
ん。本物、つまり音楽自体は空中を自由に飛びまわっています。それに他のミュー
ジシャンのためにどうしても必要という羽目にならないかぎり、伝統曲を楽譜
に写すことをしたことはありません。伝統曲を楽譜にするとどうなるかなどと
は考えたこともありません。たぶん、小さい頃からうたっていたせいでしょう。
だからこそブルターニュの伝統音楽にすんなり入れたのだと思います。私の心
は伝統音楽家の心と同じ働き方をしていたわけです。

 それに十代の頃はポップスやロックにどっぷりはまって聞いていました(し、
うたってもいました)。よくよく聞くと、そういうものも機能的には伝統的な
フォーク・ミュージックと同じです(ポップスやロックはそもそもそこから派
生したわけです)。反復するパターン、口承伝承、基本的なある曲から無数に
生まれる変奏。


編 公の場で初めて演奏したのはいつですか。それはどういう状況でしたか。

MV 最初の最初は小学校の「音楽の日」で、私はシー・シャンティをうたいま
した。でもその記憶はほとんどありません。その次は高校の合唱隊(14歳)、
ブルターニュ人同級生たちの前でのうた(16歳)。


編 フェス・ノーズでカン・ハ・ディスカンを初めてうたったのはいつですか。

MV 1992年、18歳になる直前、ブルターニュ中部での三日間のワークショップ
の時。講師はマルセル・ギルー Marcel Guilloux とエリク・マルシャン Erik 
Marchand。おもしろかったのは、ロナン・ゲブレス Ronan Gue/blez(ロワネド・
ファルでカン・ハ・ディスカンのペアを組む相棒)も参加していたんだけど、
私たちはその晩それぞれ別のパートナーとうたいました。ところがうたいおわっ
てからマルセル(偉大なシンガーですばらしい教師、今年78歳、ロワネド・ファ
ルのDVDにちらと出てきます)が言ったのです。
 「わしらまちがったな。きみたち二人が一緒にうたうべきだった」
 それで私たちは試しにうたってみたんですが、それ以来ずっとペアを組んで
ます。ロワネド・ファルの(今年で)12年間もその一部です。


編 一年間で平均して何回フェス・ノーズでうたいますか。

MV 40から55回ぐらいの間かしら。数えたことはありません。


編 フェス・ノーズでうたうことの何が一番の魅力ですか。

MV ダンサーとミュージシャンの間のエネルギー交流はとてもユニークなので
す。ロック・スターと大観衆の間のエネルギー交流にも比べられると思います
が、ただ、もっと接触が多いし、単純だし、それにおそらく遙かにずっと自由
でしょう。うたいながら前に手をかざすと、みんなの熱や動きをありありと感
じることがあります。あれは実際サイクル運動です。ダンサーたちが基本的な
パワーをラフにぶつけてくるのを、まとめて方向性を与えて送りかえすのです。

 もう一つ私が大好きなところ。フェス・ノーズは楽しいお祭りなのですが、
人間の感情であれば、どんなものでも受け入れて取りこむことができるのです。
あそこでうたわれるうたのテーマには可笑しいものだけでなく、死や失恋や悲
劇もあります。そして心の底から楽しんでいるおどり手がしごく真面目な顔を
しているのはごく普通のことです。葬儀に参列したその足でフェス・ノーズに
行くこともありえるし、その場合にはみんながその人の気分を尊重してくれま
す。良いダンスはとても深い体験、とても強い感情をもたらします。私たちは
みんなそのことを知っています。そして、私たちがばかげた冗談を言うのは、
その真実をささやかながら隠そうとするためです。

 このふたつの要素が合わさって、良いフェス・ノーズは暖かい一体感を味わ
える場です。時には、この世に生きてあるとはどういうことか、感じとれる瞬
間でもあります。

 そして最後に、最も大切なことですが、フェス・ノーズは世代と社会的な階
層を越えた出会いの場です。おそろしく幅広い、様々な人びとが同時にひとつ
のことを楽しみます。私たちにとってはごく当たり前のことなので、気がつき
もしませんが、外からやって来る人の中にはそのことで涙する人もいます。


編 うたい手として憧れる人は誰ですか。この人のようにうたいたいという人
はいますか。

MV それはそれはいろいろな音楽で、何人もいます。ジョニ・ミッチェル、ス
ザンヌ・ヴェガ、トリ・エイモスからレジーヌ・クレスパン Regine Crespin 
はもちろん、ウンム・クルスーム、サバー・ファクリ Sabah Fakhri にエラ・
フィッツジェラルド(たぶん、彼女が最初に来るでしょうね)。ブルターニュ
では、それぞれ別の理由で尊敬するシンガーが何人かいます。エリク・マルシャ
ン、ヤン=ファンシュ・ケメナー Yann-Fanch Kemener、マルセル・ギルー、イ
フィグ・トロデグ Ifig Troadeg(私の故郷出身の偉大なシンガーで収集家。彼
のコレクションから大いに学びました)。「フィーセル」スタイルの老巨匠マ
ヌエル・ケルジャン Manuel Kerjean は1997年に亡くなったので、深くおつき
あいする時間はなかったのですが、実際に会って、うたを聞き、うたい手とし
て祝福してもらえたのは何とも幸運でした。彼に認められたことは、それはそ
れはたいへんなことなのです。あの日のことは何かにつけて思いだします。亡
くなる一年前、ある授賞式のために一日だけ病院から外出を認められたのでし
た。彼は手術をうけたばかりで、歩くこともできませんでした。あの晩、彼が
うたうとは誰も期待していなかったのですが、でも、うたってくれたのです。
背の高い椅子に腰かけて、膝に毛布をかけて、教え子でパートナーでもあるエ
リク・マルシャンがやはり傍らにすわって、マヌエルは歌詞を一切省略するこ
となく、強烈なうたを聞かせてくれました。矜持と音楽家魂と生きることにつ
いて、あれほど大きなものを学んだことは他にありません。

 こんにち、ブルターニュ伝統歌をうたうことでおもしろいのは、過去40年間、
フォーク・ソングを録音し、集める作業の成果が膨大な蓄積となったおかげで、
録音を通じて、会えたはずのない人たちを「知る」ことができる、ということ
です。私が子どもの頃に亡くなった数人の老婦人たちと「個人的」な関係を、
私は築いています。その人たちの音楽のスタイル、レパートリィだけでなく、
人格まで影響を受けているのです。


編 オリヴィエと一緒にやってみたいとなぜ思ったのですか。ビューゲル・コー
アルはどのように生まれたのでしょうか(オリヴィエからみた話は伺っていま
すから、今度は貴女の側からのお話をうかがいたいのです)。

 1996年から1997年頃、デュエットでやってみたいと思うようになりました。
で、フィリップの感受性の細やかさ、演奏に現れるとても繊細なところに打た
れたのです。その少し前、フィリップはアニー・エブレル Annie Ebrel と一緒
にやっていて、そこでの彼の仕事が大好きでした。それに私たちは二人とも同
じ地域の出身です。他のプロジェクトでしたら、そのことは何の意味もなかっ
たでしょうが、どういうわけか私たち二人のデュオでは、そのことでうまくいっ
た部分があるように思います。というのも、私たちの最初のレコードやライヴ
は、個人の記憶と集団の記憶の複雑な絡みあいをごく深いところまで探るもの
だったからです。加えて、私は女優としても仕事をしていましたし、クラシッ
ク歌唱を学び始めてもいました。伝統歌謡についてもいくつかやってみたいこ
とが出てきていました。フィリップはサウンド・エンジニアでもあり、舞台の
経験もあって、理想的なパートナーでした。

 ですから、あれは内気な恋人同士の関係に似ていなくもなかったです。たが
いに相手を候補に挙げ、他の人たちに相談し、めだたないように調査して、そ
して最後に思いきって聞いてみたわけです。
 「一緒にやってみませんか」


編 共演したいミュージシャンはいますか。ブルターニュでも、あるいはその
外でも。

MV そりゃあ、もう。もっとも、これまでとてつもなく運が良かったのは確か
です。一緒にうたえるとは夢にも思わなかったブルターニュのミュージシャン
たちと一緒にうたっています。ジャン=ミシッル・ベイヨン Jean-Michel 
Veillon(フルート)、ジル・ル・ビゴ Gilles Le Bigot(ギター)、ギャビィ・
ケルドンカフ Gaby Kerdoncuff(トランペット)、ヤニック・ジョルディ(ビュー
ゲル・コーアルの《NEBAON!》に参加してくれたすばらしいサックス奏者)、大
学時代の友人のノルアン・ル・ブイ Noluen Le Buhe/、アニー・エブレル、ま
だまだたくさん。一緒にステージに立っていると、畏怖を籠めてこういう人た
ちの音楽に聞きいっている18歳の時の自分を思いだして、私はなんて運がいい
んだ、と感じることがあります。こういう人たちを私は尊敬していましたし、
今でもしています。

 実を言うと、一緒にいる時間の長短にかかわらず、人生で出会う他の音楽や
ミュージシャンにはいつも好奇心をかきたてられるのです。実に様々な人びと
です。ピアニストのリディア・ダマンチッチ Lydia Domancich、ジャズ・フルー
トのジャン=マシアス・ペトリ Jean-Mathias Petri、ジャズ・トランペットの
エリク・ル・ラン Erik Le Lann、歌手のカリンカ・ヴルチェヴァ Kalinka 
Vulcheva(一緒にステージで歌ったことはありませんが、それはそれは強い印
象を受けました)、カレン・マシスン、ジュリィ・マーフィ、カラン・ケイシィ、
ロ・コル・デ・ラ・プラーナ Lo cor de la Plana、デュパン Dupain 等々(ク
ラシック方面は抜いてです)。長期間にわたって共同作業をしている人もいま
すし、コンサートの後でいちどセッションしただけの人もいます。でも、誰も
が私の音楽と思考に影響を残しています。フィリップと私がキキオンと共演す
ることになったのもそういう関係です。あれはほんとに楽しい体験でした。そ
れにダンサーのオカ・サワカとうたい手のヤマサキ・アミとの即興もとても楽
しいものでした。

 ですから、共演したい人間をひとりだけあげることはできません。ポップス
からごりごりの伝統音楽まで、音楽に惚れこんで、真摯に努力している、そし
てユーモアのセンスのある人なら、誰とでも共演します(そう、いま現在はと
いえば、トト・ラ・モンポシーナ Toto la Momposina のようなアフリカ系のコ
ロンビアのシンガーと何か一緒にやってみたいです。コロンビアには心底唸ら
されていて、あそこの音楽は大好きなのです)。

 ひとつだけ付け加えるとすれば、私は映画ファンなので、誰か映画監督と仕
事をするのが夢です。ウエス・アンダースン、ジム・ジャームッシュ、ジョー・
ライトに日本語ができれば、いつ始めてもかまいません。

 そうそう、日本の読者の興味を惹きそうなことがあります。ぜひとも一緒に
やってみたくて、また実際、遅かれ早かれ共演することになるはずの人にマグ
マのギタリスト、ジェイムズ・マゴウ James McGaw がいます。もう何年も前か
ら一緒にやろうと話しているのです。特に彼の(驚異のドラマーと、すばらし
い電気ハーディガーディ奏者との)ピエンツァ・トリオです。でも、残念なが
ら今のところたがいにどうしても時間がとれないでいます。ですが、いつの日
か必ずやれるでしょう。


編 ビューゲル・コーアルとロワネド・ファル以外に関わっているプロジェク
トはありますか。

 ご覧の通りです。どうやら私は本物の仕事中毒者みたい。休みなしに全然違
うプロジェクトをやっています――この習性もフィリップと共通ですね。メリ
スメ Me/lisme(s) というクラシックの室内合唱団でうたっていますし、今年は
現代舞踏の振付師(躍りと即興ヴォーカル)と仕事してます。トランペットの
ギャビィ・ケルドンカフには彼の率いる「ブルターニュ・ビッグ・バンド」の
ラ・コオペラティヴ La Coope/rative に招待された後で、アンマン出身のトリ
オ、ナワゼン Nawazen とのブルターニュ=ヨルダン・プロジェクト「アル・ワ
サン」Al Wasan に参加しないかと言われてます。それに加えて、今まで名前の
出たたくさんのミュージシャンとの仕事も続いてます……リディア・ダマンチッ
チの「ワン・シンガー・ショウ」、コンサートと漫才の混ざったようなものに
参加しています。私は一人のシンガーが進化し、成熟してゆく様を聴衆ととも
に体験します――また聴衆をうたわせる役割でもあります。ブルターニュ東部
流のダンスそのままのドローンから始めて、ダンスに合わせて即興させるので
す。

 今日はジャズ・ミュージシャンたちとブルターニュ音楽をうたい、翌日はパ
リの大劇場でモーツァルトを合唱し、さらに明後日は中部ブルターニュのフェ
ス・ノーズでうたう。私は平気でそういうことができます。ばかばかしくもあ
り、くたくたにもなりますが、でもそれはそれはスリル満点で、学ぶことがふ
んだんにあります。それに、こういうことが全部できるのは、とても運がいい
と思うのです。


編 うたを作るとき、歌詞が先ですか、メロディが先ですか。

MV 曲がないとほとんど全くと言っていいほど詞は書けません。ですからすで
にあるメロディから出発します(ビューゲル・コーアルでは、フィリップが完
成した楽譜から始めることが多いです)。さもなければ、全部を一緒にやりま
す。詞の断片が専用のメロディと一緒に浮かんできて、そこから曲を作り、そ
して詞を完成させます。詞はなくて、曲だけが丸々出てくることもあります。
これには困ります。というのも、メロディが元もと語っていたものに「ぴった
り合う」詞を見つけるまで、まるで違う詞をいくつも書かなくてはならなくな
ることもあるからです。



<おおしまゆたか:筆記具の次は紙だ。>

                 *****



== 編集後記 ==
・オリンピックにまったく関心を示さず、セッションにやって来て黙々と楽器
を弾く人たち。パブとしてはありがたいのだが、何かちょっと不安を感じてし
まうのは私がトシを取ったからでしょうか。(す)

・ペアのシンガーが交互にうたううたに乗って延々と踊りつづけるブルターニュ
のダンスには、そもそも人が踊るとはこう言うことだったのだ、と思わせる古
い古い香りがある。年齢もなりも様々な人びとが横一列に手をつないでうねっ
てゆく姿には、人間関係の根源が現れる。(ゆ)

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