ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン neoneo |
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†01 ■追悼:記録映画作家・土本典昭を悼む
みわよしこ、渡辺仁、hoca、鈴木志郎康、久保田桂子、安井喜雄
小西晴子、桝谷秀一、山下治城、越後谷卓司、石坂健治
本田孝義、萩野亮、東谷麗奈、戸田桂太、清水浩之、伏屋博雄
†02 ■『土本典昭さん お別れの会』のご案内
7/26(土)午後6時〜 如水会館スターホール
■『映画は生きものの記録である 土本典昭の仕事』の上映をしませんか?
■遺著「ドキュメンタリーの海へ—記録映画作家・土本典昭との対話—」
7月25日発売!
†03 ■自作を語る
『ビリン・闘いの村』と平和活動家たち 佐藤 レオ
†04 ■neoneo坐7月後半の上映プログラム
†05 ■広場
■上映:Canadian Docu Days−知られざるNFB/ONFドキュメンタリズム
7/18、19 アテネ・フランセ文化センター
■上映:小川紳介監督全作品上映その8
『三里塚・五月の空 里のかよい路』『1000年刻みの日時計』
7/18〜21 神戸映画資料館
■募集:「自作を語る」などの原稿募集!
■上映の告知の有料化とカンパのお願い
†06 ■編集後記 伏屋 博雄
★バックナンバー閲覧はこちらまで
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┃01┃□追悼・記録映画作家・土本典昭を悼む
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記録映画作家土本典昭さんが6月24日に永眠されました。享年79歳。本誌では、土本
さんの死を悼み、読者に追悼文を募集したところ、17名の応募がありました。到着
順に掲載し、土本さんのご冥福をお祈りしたいと思います。
(本誌編集長・伏屋博雄)
●みわ よしこ(テクニカルライター)
1970年代半ば、福岡県に住む中学生だった私は、新聞に掲載されたある文章に、強
い衝撃を受けました。
「水俣病をめぐる状況には相変わらず救いがないけれど、この映画のファースト
シーンには、少しでも希望の持てる場面を置きたかった」
という映画監督の文章でした。土本さんと私の最初の出会いでした。
30年後の私は、アフガニスタンに関する土本さんの作品の翻訳を、ほんの少しだけ
手伝わせていただく機会に恵まれました。素晴らしい作品の数々を生み出したとい
うのに「見る人の時間を食うフィルムを、僕は勝手に送り付けない主義なんです」
とおっしゃる土本さんの姿勢に、強い感銘を受けました。
自分の中に流れ込んだ土本さんの生き方を、私は大切に守り育ててゆきたいと思い
ます。
心からご冥福をお祈りします。
●渡辺 仁(元映像ディレクター)
20年前に観た土本さんの映画に後押しされるように、2006年4月末、僕は、水俣病公
式確認50年の記念行事に参加しました。そしてそこで、身体の不調に耐えながら苦
しい思いを語る患者さんの姿を目の当たりにしたのです。「水俣病は終わってない
sじゃないか!」。
衝撃を受けた僕は、その日を境に、水俣病について調べ始めました。
水俣病問題で最も関心を持ったのは、国はなぜ認定基準を見直さないのか、という
ことでした。その厳しい認定基準を批判されるたびに、国は、「医学的知見」の権
威性を強調します。しかし実態は、被害者を切り捨てるために、御用学者の協力を
取りつけ、認定基準を都合のいいように操作した、と指摘されています。
今後、土本さんの追悼上映の際には、その作品を回顧するにとどまらず、「水俣病
は終わっていない」という視点が必要なのではないでしょうか。何しろ今も、
熊本・鹿児島両県で2万人を超す被害者が救済を求めているのですから。
●hoca(匿名)
わたしはチッソで働く親の許、何不自由なく育ちました。
学校を卒業し関西に移り住み、初めて水俣の本当の姿が見えてきました。
関西にもいまだ苦しむ多くの患者さんがいらっしゃって、闘い続けていること。
また自身も「水俣」出身であることから差別される対象であるということ。
そして、誰も教えてくれなかった水俣の姿を土本監督の映画により知ることができ
ました。
ユージン・スミスの写真とはまた違い、動く患者さんの生身のことばに自身の無知
を恥じ、申し訳ない思いでいっぱいになりました。知らないということ、知ろうと
しないことは罪です。監督が残してくださったから多くの罪に気付くことができま
した。
そして監督の映像にはいつも愛が満ちていた。いつかお会いして御礼を言いたかっ
たのですが、自分はあまりにものん気過ぎました。この場をお借りして、心からの
ご冥福と感謝の気持ちを送らせていただきたいと思います。どうか安らかに。あり
がとう監督。
●鈴木 志郎康(詩人・映像作家)
大きな大きな存在だった。
6月25日の朝刊で土本さんの訃報を見て、どっと感慨が生まれた。わたしには土本典
昭という存在はとても重いものだった。自分という意識にこだわって映像で表現を
して来たわたしの対極にある人 として意識してきた。社会的に権力を持たない者の
側に立って闘う人、常に闘っている人、そして権力のエゴの犠牲になった人たちの
歴史を映像で刻んだ人、というのが、わたしに取っての土本さんの姿だった。わた
しはNHKのカメラマンだったとき『ある機関助士』を見て感動し、『留学生チュア・
スイ・リン』を見てドキュメンタリーのあり方を学び、数々の水俣の作品を見て打
ちのめされた。そういう作品はわたしには出来ない。土本さんの厳しさは持てない。
わたしが『15日間』を撮っている間、最も意識したのは土本さんの存在だった。
恥ずかしいという気持を乗り越えなければならなかった。土本さんの存在は大きか
った。その大きさは変わらないだろう。ご冥福を祈ります。
●久保田 桂子(映像資料室勤務)
遅れて来た一観客として、このような場所に文を寄せることを許して頂きたい。
五年程前、ある韓国の監督と話をした。「君は土本を知っているか」と突然聞かれ
「知らない」と答えると、監督がひどく悲しそうな顔をして、片言の英語にイラス
トを書きながら熱心に説明してくれた。「昔韓国の若いドキュメンタリー作家達が
土本に映画を習いに行った、僕もその中のひとりだ」。昨年『水俣 患者さんとそ
の世界』を初めて見た時、忘れていたその言葉を思い出した。
白黒の重厚な画面は人々の深い悲しみに満ちており、見つめることに苦痛に感じた。
しかし彼らが嘆きとともに変わらぬ海への思慕を口にし、やがて蛸漁をするひとり
の漁師が映し出された時、突然画面一杯に溢れた光に息が止まりそうになった。水
面下、太陽の光にきらめく蛸の足と漁師のしなやかな足。まるでその一時だけ、蛸
と人と海の境界が無くなったかのような圧倒的に力強い生命力の溢れる光景。海と
人が分ち難く暮していた場所の生命と、その息遣いがそこにあった。そしてそれが
失われていく。
映画の眼差しは厳しく同時に優しかった、そして重厚で力強い画面の下には、常に
相手への思慕と細心の心遣いに充ちていた。あの時の動揺を今だに忘れることが出
来きない。
●安井 喜雄(プラネット映画資料図書館)
二人の大監督に大変失礼なことをしたことがある。一人は大島渚監督で、大島瑛子
さんから「うちの大島の渚には点があります」と言われたこと(パソコンで点の付
いた渚は出ない)。もう一人が土本典昭監督で、土本をパソコン打ちして「土元」
と誤記し監督から注意を受けたこと。すみませんでした。私のように土本監督に怒
られた人を何人か知っているが、その大半は電話で依頼ごとをしたからであった。
直接自宅へ伺ってお願いすれば快く引き受けてくれる親切な人であることを知らな
い人は損をした。私も自宅へ伺って山形でのドキュメンタリー映画上映のアドバイ
スを得たこともあったし、「DOCUMENTARY BOX」 の取材のためアーロン・ジェロー
と共に水俣滞在中の監督ご夫妻を訪ねたこともあった。この時も親切に地域を車で
ご案内いただきホントに恐縮した。私など足下にも及ばない偉い人だったなあ。
●小西 晴子(アジアドラマチックTV★So-netプロデューサー)
私が、土本さんに初めてお会いしたのは、2003年の2月の寒い日であった。BOX東中
野の事務所であった。「ドキュメンタリストという番組を製作しているのですが、
撮影させて頂けないでしょうか?」と企画書を渡しながら、おずおずと依頼する私
に、「僕は、水俣の60周年が終わるまではTVには出ないことにしているんです。
気を悪くしないでください」と言われた。2016年である。土本さんのその短い言葉
に、返す言葉を持っていなかった当時の私は、ある種の感動を覚えながら、ただ黙
ってうなずいていた。御著書「映画は生きものの仕事である」で、土本さんは、
「記録映画という、人間の実体を登場させる、その点で劇映画と異なった位相でシ
リアスな人間関係が前提となる仕事のはじめにあたって、彼らを私の内なる委員会
の一員として抱けるのは何と必然的なことであろうか」と書かれている。
「私の内なる委員会」‥私は共同体と理解した。この姿勢と言葉は、私が自分の原
点を再確認した、「私の内なる宝石」でもある。
番組は、人との出会いと縁で2004年に『ドキュメンタリスト 土本典昭』として結
実し、映画『映画は生きもの仕事である』でも使っていただけた。土本さんの心の
投影に、私がどう投影させていただけるか、見守り続けていただきたいと思ってい
る。
●桝谷 秀一(山形国際ドキュメンタリー映画祭ネットワーク)
初回の山形国際ドキュメンタリー映画祭89のゲストとして、その後は、「小川プロ
作品管理協議会」の相談役など、物静かで紳士的な土本監督の、印象に残っている
出来事がある。
1992年2月、小川紳介監督の通夜の席だった。小川監督が、生前なぜか年齢を1〜2歳
多めに偽っていたという、ささやかな(と思える)事件をめぐって、通夜の席では
憶測がとびかっていた中で、土本監督が激しい言葉でそれらをさえぎった。それま
でほとんど沈黙を保っていた監督の突然の怒りに、その場は一瞬凍りついた。監督
にとって盟友であり、まさに文字どおり好敵手であった小川紳介という存在を失っ
たことへの、悲しみ、憤り、やり切れ無さが、おもわず噴出したのではなかったか
と思う。その光景というのは、作家として時代を背負うということの重さというも
のを、目の当たりにした瞬間だったのではないのか。
ささやかかもしれないが、山形映画祭も、そんな偉大な先達の志を継いでいかなけ
ればならないと、引き締まる思いである。
●山下 治城(やました・はるき・CMプロデューサー)
土本さんの姿を初めてお見受けしたのは、青森県の浪岡町という小さな街で行われ
ていた「なみおか映画祭」での会場だった。「土本典昭監督特集」として、『ある
機関助士』『ドキュメント・路上』などの若き頃の作品が上映されていた。浪岡町
の11月は、雪が降り積もるような寒い日だった。会場の近くに古民家を移築した公
民館のようなものがあり、そこで映画についての討論会みたいなものが毎晩行われ
た。土本さんは奥さんと一緒に会場にいらして、熱くドキュメンタリーのことを語
っていらした。その「なみおか映画祭」は、上映作品を巡って、合併後の青森市の
行政とプログラムディレクターをされていた三上さんの間に衝突が起こり中止にな
ってしまった。
最後の映画祭は、弘前市内の映画館を三上さんが独自に借りて、神代辰巳監督の
映画を上映した。「なみおか映画祭」がなくなり、そして土本さんが亡くなった。
2005年の山形ドキュメンタリー映画祭で元気な姿をお見かけしたのが、土本さんを
見た最後だったように記憶している。気丈な立ち姿が印象的だった。
●越後谷 卓司(愛知芸術文化センター・文化情報センター学芸員)
「山形国際ドキュメンタリー映画祭’99」で行われた「風〜ヨリス・イヴェンス特
集」のシンポジウムで聴いた、ジガ・ヴェルトフの『カメラを持った男』(1929年)
について、ドキュメンタリーにおいて撮影の可能性を大きく押し広げた作品だと言
及した、土本典昭監督の発言が今も強く耳に残っている。1990年代は、大木裕之や
小口詩子、帯谷有理ら実験映画系の作家たちが、ドキュメンタリーとの境界を侵犯
する作品を発表し、私自身の関心もそんな生々しい状況に引きつけられていた。だ
がこの土本監督の言葉は、実験映画やドキュメンタリーという区分を越えた、映画
というより高い視点に立って、歴史的なパースペクティブを投射するかのように鮮
やかだった。自分自身はまだジャンルの拘束から自由になったとは言えないが、土
本監督のナチュラルな視線に少しでも近づくように、研鑽を重ねてゆきたいと思っ
ている。
●石坂 健治(東京国際映画祭アジア部門ディレクター)
永福町の駅からまっすぐに稲荷神社をめざし、右に折れると銀杏の大木が目に入る。
それを目印にインタビュー・チームが土本家に初めて参集したのは2003年2月初旬の
肌寒い土曜の午後だった。あれからもう5年も経ったのか。あの日から2年にわたっ
て続けられたロング・インタビューののち、『映画は生きものの記録である 土本
典昭の仕事』が昨年公開され、いままた『ドキュメンタリーの海へ 記録映画作
家・土本典昭との対話』が出版される。板橋の病院でゲラの最終稿をお見せしたの
が最後だった。横臥の姿勢の土本さんの視線の先にゲラを広げ、読み進む加減をみ
ながら1枚ずつゆっくりとめくった。「幼少の頃と麻布中学時代」と題された写真
ページまできて動きが止まった。見開きに並ぶ遠い日の家族写真のあれこれを土本
さんは夢みるようにじっと見つめている。その時間が永遠に続くように感じられた。
ご冥福をお祈り申し上げます。
●本田 孝義(映画監督)
10年近く前、私が作った『科学者として』というドキュメンタリー映画を見てくだ
さった土本さんは、わざわざ自宅まで電話をくださって感想を語ってくれた。とて
も励みになった。その後、この映画に関連して、私が編集にも関わった「科学者と
して」と「バイオハザード裁判」という本を出版した際には、「とても大切なこと
です」というお手紙をくださった。土本さんが監督された映画の数々は、これから
も多くの人が見、作品論・作家論が語られていくだろう。私は「記録なければ事実
なし」という土本さんの言葉を、もう一度ちゃんと考えてみたい、と思っている。
●萩野 亮(本誌「映画時評」担当・映画批評)
私が土本典昭監督の映画を知ったのは、和光大学の学生だったころです。講義では
じめて目にした『ドキュメント路上』の冒頭が、いまも鮮烈に印象に残っています。
在籍当時、水俣をフィールドとする最首悟教授が教鞭を執られていたこともあって、
和光大学は土本作品を見る機会に恵まれていました。2005年には『不知火海』の上
映と土本監督による講演があり、翌年には「水俣 和光大学展」で『水俣 患者さん
とその世界』が上映されました。大学の四年間を通じて、私はドキュメンタリーの
面白さに急速に目覚めていくことになりましたが、構内で見た土本映画がその根に
確かにあることを、いま強く思います。昨年『映画は生き物の記録である』(藤原
敏史監督)公開時に発言された、「依然映画の面白さはドキュメンタリーにある」
との土本監督の力強いことばを、批評において実践してゆくことこそが、その面白
さを教えてくれた映画作家を追悼できる道だと信じています。
●東谷 麗奈(映像作家、本誌「ワールドワイドNOW」執筆者)
先日、思い切って部屋の大掃除をしていたら、引き出しから土本基子夫人が送って
くださった写真が出てきた。土本監督が、2003年に30年ぶりにニューヨークを訪ね
られた時、幸いにも何日かご一緒させていただいた時のものだ。写真を見つけた数
日後、土本監督が亡くなられたと聞いた。奇妙な偶然性に絶句していたら、知らせ
てくださった方は「そういうもんですね」とぽつりと言われた。
土本監督が来られた時、ニューヨークは同時多発テロの爪痕がまだ生々しく、イラ
ク戦争が始まって街には妙な空気が流れていた頃だった。スタッフの案内を待てず
に、監督が真っ先に訪れたのはグラウンドゼロで、「あれを見ないと落ち着かなか
ったから」と言われたのを思い出す。
映画制作者にインタビューするときは、私はいつも少なからず緊張するのだが、土
本監督のとても柔らかな物腰は、こちらの身構えを解除してしまうような不思議な
力があり、むしろ心地良いぐらいで、聞いている者を安心させるような暖かさに満
ちていた。今思えば、こうして被写体たちに寄り添ってこられたのだなと、半世紀
もドキュメンタリーを撮られたきた監督の人となりに敬服するばかりだ。もう一度
お目にかかり、私の初めてのドキュメンタリーを見ていただきたかった。心よりご
冥福をお祈りしたい。
●戸田 桂太(武蔵大学社会学部教授)
土本典昭さんは、その瞠目すべき映画作品の数々とともに、自身の映画の思想と方
法についてのたくさんの著書を残した。私は土本さんの著述から大きな影響をうけ
た。
1978年に書かれた「記録映画作家の原罪」(『水俣映画遍歴』新曜社)で、土本さ
んは人間の実像をまるごと写しとる映像表現の特性にふれ、多くの“撮らせてもら
えなかった”水俣の患者さんの例を挙げた上で、「私の映画は撮った人たちの背後
に、このようにして拒んだ人びとの層々たる存在があるのである」という。この言
葉はすべての「記録映画」にとって重い意味を突きつけている。そして、次に私た
ちは、「決して私は正義の味方でも、公害の告発者でもなく、彼らのプライバシー
なるものを侵害する映像表現者として人びとの間に立ち現れているのだ」という土
本さんの一文に出会うのだ。
1978年にこの地点に立っていた記録映画作家がいたことを記憶しておきたい。
●清水 浩之(neoneo坐、ゆふいん文化・記録映画祭)
土本さんからいただいた言葉の数々を思い出してみます。
「広告の手法をドキュメンタリーに使っているのが面白い」…土本さんに初めてお
会いした時、清水が作った『Go!Go!fanta-G』をなぜかご覧になっていて驚きました。
「5年は続けてください」…neoneo坐発足時にいただいた一言。自主上映はピンチの
連続ですが、なんとか4年は続きました…。
「長編のテンポを勉強してください」…ゆふいん文化・記録映画祭で製作した『プ
ロジェクトy』をご覧いただいての感想。仰せの通り、清水の編集は“せっかち”
なんです…。
「リュミエールからやり直した方がいい」…これは人づてですが、全編で三脚を使
わず画面グラグラの某作品についての名言。土本さんにそう仰られると、なんだか
やり直したくなってくるから不思議です!
「戦後憲法がどのように骨抜きにされていったかについての“切抜帖”映画が作れ
ると思う」…“これからどんな映画を作りたいですか?”とお尋ねした時の一言。
「若い人に進めてほしい」とも仰っていたので、これからどなたかやってみません
か?
●伏屋 博雄(本誌編集長、プロデューサー)
『映画は生きものの記録である 土本典昭の仕事』の構想を話しに土本さんのご自
宅を訪ねたときのこと。16ミリフィルムの編集機とノンリニア編集のパソコンが並
んで設置されていて、ひと眼で、土本さんの長い映画歴を物語っていた。仕事部屋
を見渡すと、スクラップブックが書棚にずらり—「原子力」「水俣」「人権問題」
「国際共産主義運動」「中国」「北朝鮮」「アフガン」など背表紙に書かれた項目
は、実に45。主の関心の所在を示している。余りの量に驚いていると、「新聞は3時
間かけて読み、もう40年も続いているんですよ」と基子夫人。最近は「地球環境」
が加わったそうだ。「土本さんの頭脳を眺めているみたい」と言うと、土本さんは
親指と人差し指を突き出して、「こんなちっぽけな切り抜きでも威力を発揮するん
だよ。ここに書かれた人を訪ねて、これを見せると、驚いて。…喜んでくれてねぇ、
気持ちを開いてくれる。切り抜きは僕の撮影に役立っているんだ」。こう言って、
はにかみながらも少し自慢げに微笑んだ。土本流映画術を垣間見た一瞬だった。知
性と品性を共に備えた巨大な記録映画監督を私たちは失ってしまった。合掌。
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┃02┃□『土本典昭さん お別れの会』のご案内
┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
やがて梅雨も明け、今年も暑い夏になりそうな気配です。皆様、ご健勝でお過ごし
のことと存じます。
すでに新聞の報道などでご承知のことと存じますが、記録映画作家土本典昭さん
が6月24日逝去されました。
肺がんの治療のため5月8日より板橋区の東京都老人医療センターに入院され、
5月19日より千葉県南房総市の花の谷クリニックに転院されていました。
享年79。葬儀は土本基子夫人を喪主に、6月26日近親者による密葬にて行われました。
つきましては、故人と親交のあった皆様方と、左記日程にてお別れの会を催したい
と存じます。
ご参集いただきますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。
謹んでご案内申し上げます。 2008年7月7日
会場:如水会館スターホール
(東京都千代田区一ツ橋2-1-1 TEL 03-3261-1101)
地下鉄東西線 竹橋駅下車1b出口 徒歩4分
地下鉄半蔵門線・三田線・新宿線 神保町駅下車A8・A9出口 徒歩3分
http://www.kaikan.co.jp/josui/company/access.html
日時:2008年7月26日(土曜日)
午後6時開会(午後8時30分閉会予定)
会費:3千円
*当日は平服にてお集まりください。
*ご出席される方は、ファックス、メールにて左記までご連絡いただければ幸甚に
存じます。
連絡先:シグロ ファックス 03-5343-3102 メール siglo@cine.co.jp
東京都中野区中野5-24-16-210 TEL 03-5343-3101
世話人:安倍 徹郎、石坂 健治、一之瀬正史、岩佐 寿弥、大津幸四郎、久保田好生、
久保田幸雄、熊谷 博子、小池 征人、佐々木正明、実川 悠太、清水 良雄、
鈴木 一誌、高木隆太郎、時枝 俊江、中野 理惠、旗野 秀人、東 陽一、
藤岡 朝子、藤原 敏史、伏屋 博雄、堀 傑、松原 明、松本 昌次、
松本 正道、村井 三夫、矢野 和之、山上徹二郎
なお、故人のゆかりの地であります熊本県水俣市のもやい館ホールでも、
本年8月30日にお別れの会が催されることになっております。
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■『映画は生きものの記録である 土本典昭の仕事』の上映をしませんか?
日本が世界に誇る記録映画の巨匠、土本典昭。その映画人生と映画術を余すことな
く伝える『映画は生きものの記録である 土本典昭の仕事』。土本監督へのロング
インタビューに加えて、ライフワークとなった水俣でのロケを敢行。さらに、初期
作品『ある機関助士』や『ドキュメント 路上』への言及。『水俣 患者さんとそ
の世界』、『不知火海』等の名作から30余年を経た水俣の現代に、そして映画で記
録することの意味に、土本監督と共に迫ります。
●『映画は生きものの記録である 土本典昭の仕事』
(2006 年/ DV-CAM / カラー&モノクロ/ 94 分)
オフィシャルサイト: http://www.tsuchimoto-eiga.com/
ビジュアルトラックス作品
主演:土本典昭 監督:藤原敏史
企画・製作:伏屋博雄 撮影:加藤孝信 音響監督:久保田幸雄
監督補:今田哲史 インタビュー:石坂健治
お問い合わせ:ビジュアルトラックス(伏屋) TEL & FAX : 042-384-5822
e-mail: visualtrax@jcom.home.ne.jp
■遺著「ドキュメンタリーの海へ—記録映画作家・土本典昭との対話—」
7月25日発売!
土本典昭・石坂健治著
A5判上製376ページ。写真約300点掲載(未公開写真を含む)
定価 3600円+税
記録映画作家の巨匠・土本典昭が永眠された。「水俣」シリーズ17本をはじめ、
数々のドキュメンタリー作品を撮り続けた土本典昭の生い立ち、それぞれの作品
論・製作経緯を石坂健治(アジア映画関係の映画祭などをプロデュース)が具体的
に聞き出す。世界のドキュメンタリー作家・土本典昭の全体像に迫る渾身の最後の
メッセージ。
●パルチザン土本典昭前史 少年時代から敗戦まで/共産党入党と全学連/
山村工作隊と牢獄/岩波映画への道/『年輪の秘密』から『不良少年』へ/
『日本発見シリーズ』と「青の会」
●全ては汽車とともに始まった-1960年代『ある機関助士』/『ドキュメント路上』/
実現しなかった企画と『水俣の子は生きている』/『留学生チェアスイリン』と
『シベリヤ人の世界』/『パルチザン前史』/『パルチザン前史』から70年代へ
●「水俣」シリーズの彼方に-1970年代『水俣—患者さんとその世界』/
『水俣一揆 一生を問う人びと』/『医学としての水俣 病−三部作』/
『不知火海』/カナダと不知火海での巡回上映/
『わが街わが青春−石川さゆり水俣熱唱』から『水俣病-その30年』まで
●アフガニスタンへの道程-1980年代『偲ぶ・中野重治』/「原発」をめぐって/
『よみがえれカレーズ』/『もうひとつのアフガニスタン』と『在りし日のカブール
博物館1988年』
●失われた90年代、そして現在 アルコール依存症と失われた90年代/アフガニスタ
ンからオホーツク海へ/『回想・川本 輝夫 ミナマタ—井戸を掘った人』と『みな
また日記』/土本流・映画の組織論/新しいド キュメント—王兵、ワイズマン、
金東元
●繊細なる加担者・土本典昭論-石坂健治
●土本年譜、フィルモグラフィー、著書リスト
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┃03┃□自作を語る
┃ ┃■映画『ビリン・闘いの村』と平和活動家たち
┃ ┃■佐藤 レオ
┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
2004年、長期旅行の道すがらにイスラエル/パレスチナを訪れるまで、私にとって戦
争や紛争は身近ではありませんでした。例えばイラク戦争で人間の盾をしたり、人
道支援をする人々の存在を聞いてはいましたが、何故日本人としてわざわざ戦地に
赴く必要があるのか、戦争の当事者ではなく第三者として介入する必要性や効果は
あるのか理解できませんでした。そういう人々は実は自己満足のために偽善を行っ
ているのではないかと疑ってすらいました。
しかし、パレスチナ自治区で初めて分離壁反対デモに参加したとき、私の平和活動
家に対する考えは一変しました。完全武装のイスラエル兵に対し、抗議する外国人
の集団がいました。催涙ガスや音響爆弾の使用される中、パレスチナ人と混じって、
イスラエル兵士に対して抗議をする女性。
「彼らはあなたと同じ人間でしょう。私たちには血が流れているし、心もある、
考え、感じられる。なのにあなたたちは催涙弾を投げつける、なぜ?ただここに来
てこの道をあるいているだけなのに。
私たちは何もしていないわ!なのに、あなたたちは押し返し警棒で叩くわ。どうし
てこんなことができるの?このことをどう感じるの?あなただって考えているはず
よ、あなたは動物ではないでしょう?」
女性の抗議も虚しく、さらに鎮圧は続きます。しかし、兵士のなかには涙ぐんでい
るように見える人もいました。自分の行動を完全に肯定できずに悩んでいる兵士も
いることでしょう。彼らは18歳から徴兵され、義務として分離壁を守っているので
す。デモを見て思ったことは、そこに居合わせている人は誰もすぐにこの衝突を解
決できる手段を持っていないということでした。イスラエルは分離壁が建設されて
テロは減ったといいますが、この分離壁はただ侵入を拒むだけではなく、パレスチ
ナ西岸地区に深く食い込み、土地収奪と水資源の確保、ユダヤ人入植地の保護など
も兼ねています。分離壁のルートを見れば、パレスチナ人社会を継続的に弱体化さ
せようという意図が読み取れます。
そういった一方的な分離壁建設に対しパレスチナ人が抗議をするのは当然であり、
その状況を理解して、危険を顧みずにイスラエル兵士に抗議し、同時にパレスチナ
人を保護する平和活動家の存在意義を知りました。『ビリン・闘いの村』はイスラ
エル人、外国人活動家たちとビリン村の人々のデモに焦点を当てた作品です。活動
家たちがどういうモチベーションでビリンの村人たちとデモを共有しているのか、
ビリン村の状況はどうなっているのか、彼らの話を聞いてもらえればと思います。
取材から2年が経ちましたが、状況は変わっておらず、ビリンのデモは3周年を過ぎ
ました。6月13日には、分離フェンスに投石をし、破壊しようとしていた村人が右大
腿部を実弾で打ち抜かれたというニュースがありました。
まだデモはこれからも続いていくことだと思います。デモの意義は、自分たちの置
かれている状況をアピールし、知ってもらうこと。まずは目撃者が一人でも増える
ことが重要なのではないかと考えています。
☆『ビリン・闘いの村』(2007年/日本/カラー/16:9/61分)
監督・撮影・編集:佐藤レオ、製作:HAMSAFilms
http://www.hamsafilms.com/bilin/
2008年8月2日(土)より、アップリンクXにてロードショー
■佐藤 レオ(さとう・れお)
東京芸術大学 美術学部デザイン科卒。CGデザイナー、ノンリニアエディターを経
て、映像ディレクションを手がける。2002年より、見聞を広めるため、タイ、台湾、
アメリカ、ヨーロッパ各地、中東など、40カ国以上を歴訪。2004年6月に帰国し、
イスラエル/パレスチナで知り合った写真家・八木健次氏と共にドキュメンタリー
『THE WALL』を編集、助監督。2006年、イスラエル・パレスチナを再訪問、ビリン
村を取材。今回の「ビリン・闘いの村」がドキュメンタリーの初監督作品となる。
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┃04┃□neoneo坐7月後半の上映プログラム
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会場はいずれも神田・小川町のスペースneo(都営新宿線小川町駅B5出口より徒歩1
分JR御茶ノ水駅聖橋口より徒歩5分)です。詳細と地図はneoneo坐のHPをご覧下さい。
http://www.neoneoza.com/
■「知られざる短篇映画を見てみる」上映会
「短篇調査団」Shortfilm Researchers
毎月第2・第4水曜/20:00〜21:40 終映予定
16mm上映 鑑賞無料・上映カンパ歓迎
追加情報はblog版短篇調査団へ
■お体お大事に4本立て(計90分)(71)病の巻...2008年7月23日(水)20:00〜
『カゼ—病原体を探る—』
1962年/22分/白黒/制作:読売映画社/企画:厚生省、三共
プロデューサー:山田忠治/脚本・監督:入江一彰/脚本:永富映次郎/
撮影:三橋毅
■カゼの正体をさぐり、ビールス型の早期発見、予防対策としてのワクチン接種等、
最近の研究の実態を描く。
『腹痛を探る』
1972年/19分/カラー/制作:電通映画社/企画:第一製薬
プロデューサー:近藤和三郎/脚本・監督:俵田卓/撮影:大前和美
■腹痛—そのメカニズムは明確ではない。正常な腹部臓器にどういう現象が起きた
とき痛みとなるか。映画は痛みの原因と考えられる臓器の異常とそれを伝えられる
神経についての実験を追う。
『脳と潰瘍』
1972年/21分/カラー/制作:ヨネ・プロダクション/企画:藤沢薬品工業
プロデューサー:小林米作/脚本・監督:杉山正美/撮影:明石太郎/
音楽:小杉武久/解説:城達也
■「胃潰瘍は脳の病」との問題提起に基き、視床下部刺戟によって起る胃小窩の変
化、血液の変化、出血、胃潰瘍の発生などの過程を実験によってとらえる。
『肺炎—Pneumococcal Pneumonia—』
1996年/28分/カラー/制作:アイカム/企画:明治製菓
プロデューサー:奥田幸夫/監督:武田純一郎/脚本:川村智子/
撮影:西山文夫・豊村謙治/音楽:川本哲/解説:後藤加代
■かつて最も死亡率の高かった肺炎。発見された肺炎球菌には未解明な点が多い。
また抗菌薬のかげで、新たな耐性菌も出現、感染率は上昇している。日本の子供と
老人に多い2種類の肺炎球菌の病態をマウスで再現、感染メカニズムを探る。
【料金】鑑賞無料! カンパ歓迎!
【お問合せ】清水 E-mail:shimizu4310@br
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┃05┃□広場
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■上映
■−カナダ、境界線を揺らすまなざし−
Canadian Docu Days−知られざるNFB/ONFドキュメンタリズム
国内初となるNFB/ONF(カナダ国立映画制作庁)特集上映会のご案内
●1939年の設立以来13,000タイトルものドキュメンタリー、アニメーション、
劇映画と5,000を越える受賞歴を誇る、カナダ国立映画制作庁=NFB/ONF
(The National Film Board of Canada)。
NFB/ONFの国内初となる特集上映会が7月18日(金)、19日(土)の2日間、
アテネ・フランセ文化センターにて開催されます。
公式サイト http://www5.wind.ne.jp/film/canada/
●今回はNFBの全面的な協力を得て、膨大な作品の中から日本初公開のドキュメンタ
リー作品を中心に、短編ドラマも含めた全13作品を2日間限定で上映。関東近郊で配
布中のフライヤーには、映画研究家の村山 匡一郎氏、映画評論家の梅本 洋一氏、
カイエ・ドゥ・シネマ東京特派員のスティーブン・サラザン氏のコメントを掲載して
います!
●これまで日本で公開されることがほとんどなかった、“ダイレクト・シネマ”の
名匠ピエール・ペロー監督作品『世界の存続のために』『目を覚ませ、わが良き友
よ』
●サイレント映画時代の天才喜劇役者、バスター・キートン最晩年のコメディ
『キートンの線路工夫』&『キートンの線路工夫』の撮影舞台裏と役者・キートン
を追ったドキュメンタリー『バスター・キートン ライズ・アゲイン』
●無名の青年から、世界中の何百万ものティーンエージャーのアイドルとなったポ
ップシンガー、ポール・アンカの貴重な音源満載のドキュメンタリー『ロンリー・
ボーイ』
●あのスタンリー・キューブリック監督作『2001年宇宙の旅』に影響を与えた作品
の一つとされる、60年代の科学映画『ユニバース』
●カナダに住む先民族社会を見つめたドキュメンタリー『アベナキの人々』(山形
国際ドキュメンタリー映画祭2007審査員作品)その他、珠玉の13作品を一挙上映し
ます!
■小川紳介監督全作品上映その8
2008年7月18日(金)〜21日(月・祝) 神戸映画資料館
ドキュメンタリー映画作家として世界的に著名な小川紳介監督の全作品を順次上映
するこのシリーズ。今回は撮影監督たむらまさき(田村正毅)さんをゲストにお迎
えします。(7月20日(日)に来館決定)たむらさんは、『日本解放戦線・三里塚』
以後の「三里塚」シリーズで撮影を担当し、今回上映する『1000年刻みの日時計』
も手がけました。近年は若手監督作品に積極的に参加し、『Helpless』(青山真治
監督)、『SELF AND OTHERS』(佐藤真監督)、『蛇の道』(黒沢清監督)などの撮影
を担当しています。
『三里塚・五月の空 里のかよい路』
(1977/81分/16mm)製作:小川プロダクション
撮影・編集スタッフ:小川紳介、田村正毅、福田克彦、原正、林鉄次、瓜生敏彦、
川田弓子、白石洋子、渡辺孝明
『1000年刻みの日時計 牧野村物語』
(1986/222分/16mm)製作:小川プロダクション
監督:小川紳介 撮影:田村正毅
料金;一般(非会員):1500円
会員一般:1200円 会員学生・シニア:1000円
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■「自作を語る」などの投稿、歓迎!
「自作を語る」欄は、監督自らが作品について語るコーナーです。制作した動機や
撮影のポイント、編集で心がけたこと等を内容に盛り込んで頂きたいと思っていま
す。その他の投稿も歓迎します。「自作を語る」は1600字程度。監督のプロフィー
ル(150字)、作品のデータ、上映スケジュール、HP等をお知らせください。
原稿締め切り:配信日(1日&15日)の3日前までに、下記に送信ください。
E-mail: visualtrax@jcom.home.ne.jp 伏屋まで
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■上映の告知の有料化とカンパのお願い
■伏屋 博雄(本誌編集長)
neoneoの購読は無料ですが、経費を(その大部分は稿料ですが)賄うため、上映等の
告知は有料にしています。なお皆様にカンパもお願いしていますので、ぜひご協力
ください。
(1)上映等の告知の有料化 40字×30行(行数の空きも計算)以内につき、2,000円
です。それ以上の行数の場合は加算します。
(2)カンパのお願い 一口2,000円。何口でも。
送金方法:郵便振込み:00160-8-666528 neoneoの会、又は、
みずほ銀行池袋支店、普通口座、2419782 (有)ネットワークフィルムズ
(銀行振込の場合は、その由を visualtrax@jcom.home.ne.jp 伏屋宛にお知らせく
ださい。)
以上、neoneoの継続ため、よろしくお願い致します。
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┃06┃■編集後記 伏屋 博雄(ふせや・ひろお)
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●土本典昭さんの死を悼んで追悼文を寄稿してくださった方に感謝します。悼み方
はそれぞれで、各自多様な土本像が描かれていて、いかに大きな存在だったかを再
認識します。一方、投稿しなかった(できなかった)方の中には、「想いがあり過
ぎて、書ききれない」とか、「未だに混乱をきたして文章化できない」と言って、
わざわざ連絡してこられた方もいた。いずれも大きな喪失に佇んでいる。
すでに各地では、土本作品の追悼上映が準備されているところもあり、その動きは
さらに増加、加速してゆくことであろう。16年前に小川紳介を失い、昨年は佐藤真
の死に直面し、そして今年は土本典昭の死に遭遇。「小川」、「佐藤」、「土本」
から私たちは何を咀嚼し、これからのドキュメンタリーを産み出していくのか。
日本のドキュメンタリー映画の真価が本格的に問われていくことと思う。
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