ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン neoneo |
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■土本典昭監督を偲んで、追悼文(400字以内)を募集します。
6月24日、土本典昭監督が永眠されました。享年79歳。つつしんでご冥福を
お祈りいたします。
つきましてはneoneoでは土本さんを偲び、7月15日号を「土本典昭追悼号」とし、
追悼文を募集しています。作品について、または土本さんの想い出やエピソード
など胸に去来するものを、お名前とお仕事を明記のうえ、400字以内でご寄稿
くださいますよう、お願いいたします。締め切りは7月13日です。
visualtrax@jcom.home.ne.jp 伏屋まで
重ねてよろしくお願いいたします。
伏屋博雄
●土本典昭(1928−2008)
1928(昭和3)年、岐阜県土岐市生まれ。父親の転勤にともない、小学生のとき
東京に転居。軍国少年として成長し、終戦をむかえる。翌年早稲田大学に入学し、
ほどなくして日本共産党に入党。都下小河内ダムへ山村工作隊員として活動するも
逮捕され、その後、離党。この頃、羽仁進の作品『教室の子どもたち』に衝撃を
受ける。1956年岩波映画製作所に入社するも翌年退社。以後フリーとして、
ドキュメンタリーの制作に邁進。1961年「青の会」を結成し、黒木和雄、小川紳介、
大津幸四郎、岩佐寿弥たちと映画研究を開始するとともに、ライフワークとなる
水俣作品を軸に、ドキュメンタリー映画の制作に邁進。代表作に、『ドキュメント
路上』(64年)、『留学生チュア・スイ・リン』(65年)、『パルチザン前史』
(69年)、『水俣−患者さんとその世界』(71年)、『医学としての水俣病』三部
作(74年)、『不知火海』(75年)、『海とお月さまたち』(80年)、『原発切抜
帖』(82年)、『よみがえれカレーズ』(89年)などがある。遺作は『みなまた日
記 甦える魂を訪ねて』(04年)である。
著書には「映画は生きものの仕事である」、「わが映画発見の旅ー不知火海水俣病
元年の記録」、「ドキュメンタリー映画の現場」等、遺著は「ドキュメンタリーの
海へ 記録映画作家・土本典昭との対話」(7月末刊行)である。
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