ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン neoneo |
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∽∽∽∽∽∽ HEADLINE ∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽
†01 ■ドキュメンタリー映画のかたち
揺らぐ「私」を支える (1) 大澤 一生
†02 ■ワールドワイドNOW ≪ベルリン発≫
「MADE IN GERMANY」 移民とその子孫がドイツで作る映画を観る
梶村 昌世
†03 ■映画時評
『おいしいコーヒーの真実』(監督:マーク&ニック・フランシス)
萩野 亮
†04 ■『映画は生きものの記録である』ニュース(16)
†05 ■neoneo坐7月前半の上映プログラム
†06 ■広場
■新・クチコミ200字評!(77)
『ある機関助士』、『靖国 YASUKUNI』、『裁判長のお弁当』
『わが家』、『火垂るの墓』(以上の評、清水 浩之)
■投稿:「第5回北京ドキュメンタリー映画交流週」に参加して
飯塚 俊男
■投稿:「第11回ゆふいん文化・記録映画祭」を終えて
清水 聡二(実行委員長)
■土本典昭監督を偲んで、追悼文(400字以内)を募集します。
■土本典昭の遺著、まもなく発刊!
「ドキュメンタリーの海へ—記録映画作家・土本典昭との対話」
■上映:京都シネマ「特集:土本典昭の世界」 7/5〜11
『映画は生きものの記録である 土本典昭の仕事』
『不知火海』『水俣一揆』『水俣〜患者さんとその世界〜』
■上映:『バックドロップ・クルディスタン』 7/5〜ポレポレ東中野
■「自作を語る」などの原稿募集!
■上映の告知の有料化とカンパのお願い
†07 ■編集後記 伏屋 博雄
★バックナンバー閲覧はこちらまで
まぐまぐ配信 http://blog.mag2.com/m/log/0000116642/
melma!配信 http://www.melma.com/backnumber_98339/
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┃01┃□日本のドキュメンタリー映画のかたち
┃ ┃■揺らぐ「私」を支える (1)
┃ ┃■大澤 一生
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『バックドロップ・クルディスタン』の制作〜宣伝の過程で、「プロデューサー」
と呼ばれる度にこそばゆくてしかたがない。プロデューサーというのはもっとこう、
経験と実績、そして豊富な知識に裏付けられた戦略がなければいかん、という勝手
な思い込みがある。今だ『アヒルの子』『バックドロップ・クルディスタン』の2作
しか制作していない私が「プロデューサー論」を書くなどおこがましいにも程があ
るが、少なくともその2作に関わった過程の中で醸成してきた思考を記していきたい。
●「私」が揺らいでいる時代
2001年9月12日。朝起床し、パンをほおばりながらテレビをつける。私の寝ぼけ眼に
飛び込んできたのは、旅客機がビルに突っ込んでいく映像だった。はじめは、新し
いハリウッド映画の宣伝かと思っていたが、報道のただならぬ様子からその映像が
数時間前に実際に起こったことだとを知る。ビルに激突する旅客機、崩れ落ちるビ
ル。逃げ惑い、呆然とする人々の目からは涙が流れ落ちる。テレビの画面に釘づけ
になりながら、ついに「戦争」が身近にやってくると直感し慄然とした。
しかしそんな思いとは関係なく、当時某ドラッグストアで働いていた私は、当然な
がら店に出勤しなければならない。後ろ髪を引かれる思いで家を出て通常の業務に
ついた。明るく清潔な店内には、「美白」効果がある化粧品、「美しい髪を保つ」
シャンプーやコンディショナー、「体にいい」と謳う各種健康薬品等、様々な商品
が所狭しと並べられている。その日は特売初日で、朝から多くの客で賑わっていた。
皆、思い思いに店内を回り、商品を手に取っている。ニューヨークのことなど何も
なかったかのように過ぎてゆくいつもの日常。眩暈がした。
テレビ、そしてインターネットによって、「世界」は圧倒的に近くなったという錯
覚を覚えるが、実際の「世界」はあまりにも遠い。しかしは遠いのは決して距離の
せいだけではない。それを受け止める「私」の問題でもある。
私たち(30を超えているがあえて僕たちと書く)の世代は、世代で共有できるよう
なイデオロギーはとうの昔に瓦解し、何を信じればよいのかわからない漠然とした
不安の中で生きてきた。詰め込み教育の弊害から歴史認識に乏しく、歴史の連続性
はもちろん今がどういう時代なのか検討もつかない。日本全体が均質化し、地域の
共同性は失われ、社会を形成する最小限の共同体とされる「家族」すら、ゆるやか
に求心力を失いつつある。「私」を形成する外的要素が揺らいでいるのだ。
そんな時代に生きる者にとって、「私」のアイデンティティを支える最も強い信頼
を勝ち得るものとして君臨しているのは「モノ」と「情報」だ。金銭を払えさえす
れば誰にでも得られる「モノ」は、それを選択し所有することで充足感を得られ、
また「モノ」によって形成される趣味・趣向はより細分化され、インターネットに
よる「情報」の発展とも重なってそれぞれ狭い範疇の中での共通理解を通して安息
を得ている。
ドラッグストアの店内には美や健康といった情報を付加された商品が並び、その商
品を得ることで個人の欲求をこれでもかと満たそうとするエゴが渦巻いていた。一
度得た安息から脱するのは難しい。「世界」で何が起ころうとも、「私の世界」に
直接影響するものでなければそれは関わるべき「他者」ではない、という漫然とし
た空気。それが私の「眩暈」の原因だった。
●「内的必然性」
その空気に嫌気が差しドラッグストアを退職した私は、日本映画学校に入学。1年次
の教養課程を経て2年次からドキュメンタリーを専攻する映像ジャーナルゼミに所属
する。
映像ジャーナルゼミでは、通常の講義もあるがほとんどの時間を作品制作のために
費やす。約20名のゼミ生がそれぞれ企画を募り、内容と実現性を討議しながら実習
作品の企画を絞っていく。2年次の担任はインディペンデントで意欲的なドキュメン
タリーを数多く制作している安岡卓治プロデューサー。企画会議の際、安岡は事あ
るごとに「内的必然性」という言葉を発した。「その対象を撮らなければならない
「内的必然性」が君の中にあるのか」と。興味だけでは対象の深部まで追求するこ
とはできず、訴求力の高い作品は生まれ得ないことを安岡は私たちに伝えていた。
しかし私たちゼミ生はその「内的必然性」という言葉に困惑し、対象に対する必然
性を見出せず企画は次々に頓挫していった。「他者」を対象として捉えようとした
とき、文化的、歴史的、地域的な背景に対する認識が薄い私たちの世代は、向き合
うべき「私」の根拠が見出せなかったのだ。そして「内的必然性」という言葉を追
求するにつれ、次第に「私」に依拠する企画が現れてきた。
既に映像ジャーナルゼミでは『ファザーレス』『あんにょんキムチ』『home』等、
数多くのいわゆるセルフドキュメンタリーを排出していた。セルフドキュメンタ
リーには「社会性がない」という批判がある。しかし、向き合うべき対象が「私」
に向うセルフドキュメンタリーが数多く作られてきたのは時代の必然だし、作品存
在そのものが現代性、社会性を帯びているということ(そもそも若者が内に向って
しまう社会を作り出している私たち一人一人が、その批判の対象にならざるを得な
いことを自覚するべき)にその作品価値があると私は感じていた。
一方で、「作家性よりも素材に依拠している」こともセルフドキュメンタリーに対
する懸念の一つとして度々取り上げられる。本誌の前身「NEO」でのセルフドキュメ
ンタリー論争の中で故・佐藤真監督が「私的ドキュメンタリーの素材主義、あるい
は自然主義的傾向」と指摘していたのがそれで、「監督の主体を待たずに映像素材
が一人歩きしてしまうことは、まさしく作り手を置いてきぼりにする様な不幸な状
態を生み出すだけだ」と佐藤は危惧していた。
確かにデジタルカメラの普及以降、「撮れてしまった」強い映像そのものに依拠し
てしまった作品は少なくない。そしてまた、作家性の主体を待たずに作品にしてし
まった結果、2作目以降が作れない監督が多いのも現実だ。
しかし、「私」の所在を探しあぐねている彼らに、作品を作る前から「主体」を求
めるのは酷なことで、むしろ「主体」を形成するためにまず「私」を捉えなおす作
業が必要なのではないだろうかと思う。作品の制作中か、完成した時か、はたまた
作品を見せながらか、どの段階かはわからないが、作品を制作しそれを外に提示し
ていく過程の中で「作家主体」を形成するというのも一つの道筋なのではないか。
そして、「私」を捉えなおすことで形成された「作家性」は、揺らいでいたからこ
そ、現在の混迷した「世界」を捉える新しい視点の発芽になるのではないかと私は
感じていた。
「世界」は「私」と「他者」との関係性で成り立っている。しかし、その「世界」
はグローバル化が進み均一化していく一方で、民族、国家、宗教等様々なイデオロ
ギーに依拠した対立で各地が混乱し、その対立構造はもはや「西と東」「権力と市
民」「抑圧する者とされる者」といった二項対立では到底捉えきれない様相を呈し
ている。そのような混乱した時代からこそ、その世界を捉える「私」の立ち位置が
重要になってくるのではないだろうか。そして、揺らいでいる「私」が捉えなおし
た「私」は、揺らいでいたが故に既存のイデオロギーに染まらず、新たな「他者」
として関係を紡ぎだせる可能性があるのではと思うのだ。
その可能性を生かすためには、彼らの衝動をまず「作品」に昇華しなければならな
い。それらの企画を提出した者は、向うべき対象が「私」でなければならない強い
「内的必然性」を抱えていたが、揺らいでいる「私」がその自身の揺らぎを捉える
のは至難の技だ。何せ、自分を客観視することができなかった故に揺らいでいるの
だから。対象に向うべき衝動が強い彼らは、訴求力の高い企画を提出するもその衝
動を向けるベクトルを定めることに四苦八苦していた。そんな彼らを見ながら、社
会人を経験しゼミの中で年長者だった私は、企画会議の中でも自ずとプロデュー
サー的視点から発言するようになり、揺らぐ彼らを支えることに私自身の「必然
性」がシフトしていった。(続く)
■大澤 一生(おおさわ・かずお)
プロフィールに「薬剤師免許を持ってるプロデューサー」と書くのは売りになるの
か?という無駄な煩悶はさておき、『バックドロップ・クルディスタン』がいよい
よ今週末公開されます! 配給・宣伝は、製作とは全然違う筋肉を使うことを実感
しました。何はともあれ7月5日からポレポレ東中野にて公開です!
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┃02┃□ワールドワイドNOW ≪ベルリン発≫
┃ ┃■「MADE IN GERMANY」 移民とその子孫がドイツで作る映画を観る
┃ ┃■梶村昌世
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●移民として独自の映画を求めて
ベルリンの南方にあるノイケルン地区に「Werkstatt der Kulturen」(文化の工
房)という施設がある。ここはインドの伝統舞踊のクラス、クルド人の新年集会、
他言語性についての会議など、 他文化、移民のコミュニティーを巡る様々な催し物
が行われている。中でもいちばん有名なのは毎年初夏に開催される「文化のカーニ
バル」で、この日には数十台のトラックが色鮮やかに飾られ、それに音楽と踊りを
披露する人々が乗り、サンバやら、インドネシアの伝統舞踊やら、アフリカン・レ
ゲエからベリーダンスまで、世界各国から来たベルリンの住民たちが町中をパレー
ドする大イベントのお祭りである。
「文化の工房」は公共施設であり、ベルリン州の財源により経営されている。15年
前、ベルリンに暮らす様々な移民に公共の出会いの場を与えるために設立された。
今までスタッフは主にドイツ人であったが、今年の2月に 初めて自身も移民の背景
を持つ女性が事務局長に任命された。「 文化の工房」を移民が文化活動を通して故
郷を懐かしむ、ルーツを確認するばかりの場所ではなく、ドイツ社会を活動の場に
していることをアピール、すでに移民2世、3世、4世によってドイツの社会が変わっ
ていっていることを積極的に議論する方針を取っている。
その方針の一環として今年の5月から毎週木曜日に開催される4つのシリーズが生ま
れた。第1木曜日にはベルリン生まれのインド人女性がボリウッド映画を紹介し、第
2木曜日にはベルリンをベースに活動している移民のミュージシャンのバンドのセッ
ションが行われ、第3木曜日にはベルリン在住のカメルーン出身の映画批評家がノリ
ウッド映画シリーズをキューレートし、第4木曜日には私が移民の背景を持つ監督た
ちがドイツで製作した映画を発表する。いずれも自ら移民であるまたは2世である人
が企画の中心になっていることを、新しい事務局長は重視している。それは、2つ以
上の文化と自分が「よそ者でもある」という経験と理解から音楽のありかた、映画
を見る視点がドイツ人とは異なるものであり、新たなものが見えてくる、または新
たな対話が生まれるという可能性を生かそうという意思表示である。
日本人を両親に持ちベルリンで生まれ育った者として、やはり自分のように移民の
背景を持つ監督たちがどのような映画を作っているのかを私自身も知りたいし、紹
介したいと考え、「MADE IN GERMANY 」というタイトルを付け、映画のリサーチを
始めた。90年代後半にFatih Akin(ファティヒ・アキン), Yueksel Yavuz(ユクセ
ル・ヤヴス)やThomas Arslan (トーマス・アルスラン)など、トルコにルーツを
持ちドイツで育った何人もの若い映画監督がデビューした。それまでは被写体にす
ぎなかったトルコ人移民が自らカメラを廻し、自分たちの物語を語りはじめ、「ト
ルコ・ドイツ映画」と呼ばれるジャンルが生まれた。(80年代にも数少ないトルコ
人移民による映画はあったが、それら映画は困難な生活や、被害者としてのトルコ
人を描いていた。)出稼ぎ労働者として60年代から多くのトルコ人がドイツに移住
し、移民の中では最も大きいコミュニティーである。
今では3、4世代目が育っている。2世にあたるAkinらは、二つの文化の中で育つ難
しさや矛盾、家の外と中で経験する違和感、移民としてドイツ社会の中で出会う問
題などにも触れながら、鋭い観察力と作家性を強調する物語で自分たちの世界と世
界観を力強い映像で表現する。映画の主人公たちはたとえ困難な状況に置かれてい
てもそこには「かわいそうな外国人」という被害者ではなく、人生を戦う複雑で活
気のある人間臭い個人がいる。この監督たちは様々な映画の影響を明らかに反映し
ながら(Akinはスコルセージなどのアメリカ映画、Arslanはロメールなどのフラン
ス映画)、独自の映画言語を確立してきた。
この映画シリーズで紹介するならば、やはりこのトルコ・ドイツ映画監督たちから
だと考え、映画選考を始めた。もちろん映画としてクオリティーが高くて、自分で
もおもしろいと思う映画であるべきだが、その上劇場公開を果たせなかったり、DVD
化されていなかったり、あまり流通していない作品を優先的に選ぶことにした。最
初に上映したのがAyse Polat(アイシェ・ポラト)の『Auslandstournee』(外国へ
の旅、1999年)だった。父親を亡くした11才の女の子が、その昔父と共にトルコか
らドイツに渡った仲間であったゲイのクラブ歌手といっしょに行方不明の母親を求
めて旅に出る物語だ。北ドイツのハンブルグが出発点であるこのロードムービーは、
パリといくつかのドイツの町を通過し、イスタンブールまで行く。結局少女は母親
に拒否され、歌手もトルコがもう故郷ではないことを認識し、始めはお互いを好き
になれなかった二人組は、家族と故郷はあたりまえに存在するものではなく、自分
で選び、築いていくものだということに気付き、またもや旅立つというストーリー
である。
Polat監督は自身子供時代にトルコよりドイツに移住し、外国はどこで故郷はどこか
という問いに取り組んできた経験がこの映画の中で生かされている。それは、似た
ような経験をした人々はもちろん共感できるが、ユーモアと暖かさを持って展開す
る物語は、多くの人々に語りかける力を持っている。このようなテーマを楽しめる
ように語る映画を作ることだけでも尊敬すべきことだが、そればかりではない。こ
の映画は大人になること、ゲイとして生きることも取り上げている。そしてクルド
人でもあるPolat監督は、イスタンブールのホテルのシーンで、トルコ政府とクルド
人の間で繰り広げられている戦争によるトラウマも語っている。 女の子がホテルの
廊下で悪夢にうなされている元兵士の姿を目撃して、まだ理解できない痛みに戸惑
うという語り方は、 直接残虐行為を見せるより染み込んでくる強さを持つ。このよ
うな繊細な語り方をするPolat監督は、上映後行ったトークでこう語ってくれた:
「やはり私にとっては移民であること、違和感を感じること、これらはテーマであ
る。だけれど自分が移民だからと言ってこればかりを語るわけでもない。そこには
常にアンビバレンスがある。」
続いて6月にはNuray Sahin(ヌライ・サヒン)の『Folge der Feder!』(羽を追
え!、2004年)を上映した。彼女もトルコ人でもあるが、ザザという東トルコの少
数民族にも属している。映画では、ザザの伝統を持つ21才の主人公が、死んだ父の
言付けの通り羽を追ってベルリンに住む母と姉を訪れる。この映画では、古きザザ
の伝統文化とベルリンでの近代的生活と価値観が出くわす。現代と伝統が衝突する
とだいたいは困難な問題を引き起こすが、この映画は伝統的言い伝えや儀式などが
矛盾を抱えながらも現代社会でポジティブな力を発生できることを評価する。ベル
リンのドキュメンタリー的現実空間と伝統的儀式を含む夢のシーンが詩的な映像で
絡み合い、夢や精神世界が現実にもたらす影響力を象徴的に描く。
上映後のトークには、この映画のカメラマンであるベトナム出身ベルリン育ちのNgo
The Chau(ノー・テー・チャウ)が参加してくれた。彼が話すには、このような他
文化の要素の強い映画をドイツで実現するのは困難なことである。この映画はドイ
ツのテレビ局が資金を出したため、製作面で色んな口出しがあった。例えば、この
映画では家族間の会話が不自然なことにトルコ語やザザ語ではなく、ドイツ語なの
だ。ビジュアル面で既に異例な撮り方をしていたので、言葉までが外国語で字幕が
多いと視聴者が認めない、深夜放送にまわすしかないという放送局の言い分で、仕
方なく会話をドイツ語にすることに同意したそうだ。このような計算のために映画
が信憑性を欠かせなければならないのは残念なことである。このような問題に上映
後のトークで触れるのは、クリエイターとしてこの映画にとても共感するからであ
るとNgoは語る。
監督と同じアジア人として、家族の絆を大切にすることなど、西洋と異なる価値観
を共有できたという。そして自分はベトナムから離れて育ったためベトナムのいろ
んな文化や伝統を部分的にしか経験できなかったので、この映画では別の場所の伝
統と予言をベルリンで実現することはとても魅力的だったと話す。他文化性が映画
製作にどれほどの影響を与えるかを、感じさせてくれる言葉だった。
7月にはThomas Arslanの『Der schoene Tag』(美しい一日、2001年)を上映する予
定である。秋にはドキュメンタリー映画や短編映画、実験映画なども紹介したいと
思っている。活発に映画製作に励んでいる移民や移民の子孫たちは、国際映画祭な
どで様々な賞を受賞しているが、まだまだドイツ社会の真ん中への道のりは遠いよ
うだ。このような小さな映画シリーズでの映画上映を喜んでくれたり、積極的に
トークに参加してくれることが、がんばりたい気持ちと頑張らなければならない必
要性を表していると思う。今後もこのシリーズで出会う映画と人々が楽しみだ。
■梶村 昌世(かじむら・まさよ)
日本では在日外国人、在日朝鮮人、またはあらゆるマイノリティーによって製作さ
れている映画はどれほどあるのでしょうか。そのようなことを考える場があれば嬉
しいです。
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┃03┃□映画時評
┃ ┃■『おいしいコーヒーの真実』
┃ ┃ (マーク&ニック・フランシス監督、2006年)
┃ ┃■萩野 亮
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世界では、いま一日に20億カップものコーヒーが飲まれているという。そのうち
5カップほどは、わたしが飲んでいることになる。というか、いまも飲んでいる。
おいしいコーヒーの好きなわたしは今日、『おいしいコーヒーの真実』を見た。
コーヒーや紅茶が南北問題と密接にかかわっていることを知識として知ってはいて
も、たとえばエチオピアのコーヒー農家がどれだけの報酬を得ているのか、どれだ
けの苦境にあえいでいるのかを知ることはなかった。試算によれば、わたしたちが
330円で飲むトールサイズのコーヒーのうち、3〜9円しか生産者にはわたらないとい
う。
映画の舞台であるエチオピアといえば、モカシダモの産地。同じモカでもイエメン
産のモカマタリは高価で手が出ないわたしも、よくストレートで飲んでいる。一杯
のコーヒーを楽しむうちに、無自覚に搾取の構造に加担しているという事実。テク
ストとしての映画が、ショットの積み重ねのうちに政治を織り込んでいるとするな
らば、コーヒーというテクストにもまた、一滴いってきの堆積のうちに政治が織り
込まれている。
WBC(世界バリスタ選手権)でカナダ人選手が自信満々にプレゼンテーションしてい
るそのときに、エチオピアの農家たちは子どもたちの学校をどうやってつくろうか
を話し合っている。ニューヨークでコーヒーの先物取引が行なわれているそのとき
に、エチオピアのあるコーヒー農家は、農園を麻薬性植物のために開墾しなおして
いる。
この非対称性をワンカットのモンタージュによってつないでみせることに、『おい
しいコーヒーの真実』は賭けられている。イタリアのあるバリスタは、一杯のエス
プレッソには50粒のコーヒー豆が必要であり、一粒でも悪いものが混じっていると
いけないと強く語る。その直後のショットでは、エチオピアの女性労働者たちが机
上に広げられたコーヒー豆を一粒ひとつぶ、目と手でもって選り分けている。奥行
きの深い画面で印象的にとらえられたショットによって、気の遠くなる作業が淡々
と映し出される。生産と消費の非対称を画面に認めてみせる『おいしいコーヒーの
真実』のモンタージュは、その権能を遺憾なく発揮させていながら、けれどもその
手際には語気を荒げる調子もシニカルに事態を見下ろす様子もない。「なにより、
ぼくたちがこの映画でやりたかったのは、観客に行動を起こすようそそのかし、彼
ら自身の解決策を見つけてくれるように勇気づけることだったんだ」(映画パンフ
レットより)とふたりの監督が述べるとおり、『おいしいコーヒーの真実』は、あ
くまでコーヒーの生産/流通/消費の現実を静かに並べ、わたしたちの行動を待っ
ている。
エチオピアと欧米をかけめぐっているのはカメラのみではない。エチオピアのオロ
ミア州コーヒー農協連合会代表のタデッセ・メスケラ氏が、フェアトレード(公正
な取引)を求めて世界をめぐる、その足取りをむしろカメラは追っている。エチオ
ピアのコーヒー農家に少しでも多くの収益をもたらせられるよう尽力する彼の姿は
感動的だ。ロンドンのスーパーマーケットでエチオピア産のコーヒーが見当たらず、
「あれだけ安く売らされて、ここに並んでもいないなんて」と静かに肩を落とす場
面は、無自覚な消費者としてのわたしたちを強く訴えずにはおかない。彼を映画の
中心的な登場人物として描くことで、映画は安定したナラティヴ(語り)を得てい
るといえるだろう。
映画は78分におさまるみごとな構成のうちに、観客を何らかの行動に駆り立てる力
をたしかに湛えている。公開以降、メスケラ氏のコーヒーの値は跳ね上がり、大き
な寄付が寄せられた。作中に議論されていた学校も建設されたという(イギリス版
公式サイトによる)。わたしもこれまで求めていた安価な品をさておいて、フェア
トレード品を買い求めるようになった。『おいしいコーヒーの真実』を知った観客
にとって、そしてコーヒーを飲み続けたいと願うものにとって、それは当然の行動
だと思われた。
この映画は2006年に製作されており、2年を隔て、ようやく日本で公開されたことに
なる。『不都合な真実』(2006)や『ダーウィンの悪夢』(2004)、『いのちの食
べかた』(2005)など、近年の食や世界の危機をめぐるドキュメンタリーの興行的
成功に続こうとする時流だと思われるが、つまりは当然ながら一本の映画の公開に
も政治と経済が密接にかかわっている。わたしたちは自覚的な消費者であるととも
に、自覚的な映画観客でなくてはならないと強く思う。コーヒーを片手にスクリー
ンを見つめる幸せが、今後も続きますように。
☆『おいしいコーヒーの真実』Black Gold
マーク&ニック・フランシス監督/78分/イギリス・アメリカ/2006年/カラー/
ビデオ現在、UPLINK Xなどで上映中!
■萩野 亮(はぎの・りょう)
1982年生まれ。和光大学表現学部卒。映画論。わたしの出身である和光大学では、
2006年に「水俣・和光大学展」を開催し、土本典昭監督の『水俣 患者さんとその
世界』の上映を行ないました。またその前年にも土本監督をお招きして『不知火
海』の上映を行なっています。土本監督の社会に向き合う真摯さから、学生だった
わたしも強く感化され、ドキュメンタリーの面白さにふれたことをおぼえています。
ここにご冥福をお祈りいたします。
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┃04┃□「映画は生きものの記録である』ニュース(16)
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7月5日から11日まで、京都シネマで『映画は生きものの記録である 土本典昭の
仕事』が上映され、土本作品『水俣〜患者さんとその世界』『不知火海』『水俣一
揆』と併映されます。
詳細は、「広場」欄をご覧ください。
http://www.kyotocinema.jp/index2.html
その他、下記の上映が決定しました。
●大分・シネマ5
8月12日(火)『映画は生きものの記録である』
朝10:30と夜9:10の2回上映
http://www.cinema5.gr.jp/index.html
●神戸映画資料館
9月11日(木)〜16日(火)『映画は生きものの記録である』
9月11日(木)・16日(火)15:30 / 18:30
9月12日(金)〜15日(月・祝)18:30
料金:一般:1200円 会員:1000円 会員学生・ シニア:900円
なお、土本典昭監督追悼の意を込めて、同じ時期に、『パルチザン前史』を上映予定
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┃05┃□neoneo坐7月前半の上映プログラム
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会場はいずれも神田・小川町のスペースneo(都営新宿線小川町駅B5出口より徒歩1
分JR御茶ノ水駅聖橋口より徒歩5分)です。詳細と地図はneoneo坐のHPをご覧下さい。
http://www.neoneoza.com/
■「知られざる短篇映画を見てみる」上映会
「短篇調査団」
■電気を大切に使いたい4本立て(計85分)
(70) 発電の巻...2008年7月9日(水)20:00〜
『美浜のあけぼの』
1969年/20分/カラー/制作:日本映画新社/企画:関西電力
プロデューサー:渡辺武仁/監督:山添哲/脚本:大沼鉄郎/撮影:中村誠二
■日本の電力需要は加速度的増加を示し、10年後には2倍以上になるだろう。この作
品は安定した電力を求めて美浜に建設される総出力84万キロワットの原子力発電所
の建設過程を描くものである。20世紀の科学の粋を集めて、新しい原子の電力が生
まれる。
『地熱にいどむ』
1964年/23分/カラー/制作:日本映画新社/企画:大成建設
プロデューサー:中村敏郎/脚本・監督:近藤才司/撮影:山口弐郎
■黒部第4発電所で使われた水をトンネルで導き約56,000kwの電力を生み出すための
導水路工事が昭和35年12月に始まった。しかしこの道の約4分の1は黒部火山帯の温
泉脈に当り、日本でも有数の高熱多湿地である。多くの困難に立向い貫通するまで
研究を重ねたこの工事を詳細にとらえる。
『氷点下のエネルギー LNG』
1971年/19分/カラー/制作:マツオカプロ/企画:東京電力
監督:松岡新也/脚本:飛河三義/撮影:浅野正博
■LNG天然ガスがアラスカから運ばれ気化され発電所で消費されるまでの過程、LNG
の特性など各種の実験や動画を混えてわかり易く解説する。
『野を越え山を越え』
1955年/23分/白黒/制作:岩波映画/企画:東京電力
監督:柳澤壽男/脚本:岩佐氏寿/撮影:藤瀬季彦
■「私は冬になるとお父さんと離れて暮します。それは雪で発電所がとざされてし
まうからです。私のお父さんは班長です。冬には水の取水口につく厚い氷を割った
り、水の不足を心配します」…山の発電所の送電線を守る父親の仕事を、少女の視
点から四季を織りまぜて劇映画風に描く。
【料金】鑑賞無料! カンパ歓迎!
【お問合せ】清水 E-mail: shimizu4310@bridge.ocn.ne.jp
┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃06┃□広場
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■新・クチコミ200字評!(77)
■清水浩之(短篇調査団・7/9は発電の巻! http://d.hatena.ne.jp/tancho/)
オススメの作品を200字以内の短評で紹介してください!映画・ビデオ・テレビなど
皆さんがノンフィクションだと思う作品だったらなんでも可!もちろん「オススメ
しない映画とその理由!」もOKです。
本文とは別に「あなたのお名前(ペンネーム可)/掲載確認のご連絡先(メールアドレ
スor電話)/題名/制作年/監督/見た場所(よろしければあなたのプロフィールや
近況も)を付記してお送りください。
清水浩之 E-mail:shimizu4310@bridge.ocn.ne.jp /ファクス:03-3703-0839
B-290『ある機関助士』
1963年/制作:岩波映画製作所/脚本・監督:土本典昭/撮影:根岸栄
DVD BOOK発売元:宝島社 http://tkj.jp/book/book_12610301.html
参考動画 http://d.hatena.ne.jp/shimizu4310/20080624
土本さんが亡くなられて、まだ見ぬ新作がもう見られない事実に衝撃を受けながら
再見した作品。水戸〜上野間を走る蒸気機関士コンビを「劇的に記録」した37分間
には、国鉄の安全PRという意図やその裏に潜む危険性とともに「労働の美しい瞬
間」が描かれていて、何度見ても飽きません。3分の遅れを取り戻してタバコをくわ
える横顔のカッコよさ!このレベルの新作を今後生み出せるかが、土本さんからの
「大きな宿題」だと思いました。(清水浩之)
B-291『靖国 YASUKUNI』
2007年/制作:龍影+北京電影学院青年電影制片廠+北京中坤影視制作有限公司/
監督:李纓/撮影:堀田泰寛/助監督・現場録音:中村高寛
渋谷シネ・アミューズで7月4日まで上映、キネカ大森ほか各地で公開中
http://www.yasukuni-movie.com/
我ら東京っ子が密かに誇る、ディープな観光スポットとしての「あの場所」の魅力
を海外に紹介するのに最適な映画!猛暑の中わざわざ「心の問題」を抱えて来る右
や左の皆さんの極端に芝居がかった挙動の数々はまさに「靖国劇場」状態。星条旗
のお兄さんが“pray”と“play”を聞き間違えるのをはじめ、異文化コミュニケー
ションの難しさが再三絡む展開も秀逸。「素顔の日本」を見事に捉えたこの作品に
助成金を出した芸文振の慧眼に拍手!(清水浩之)
B-292『裁判長のお弁当』
2007年/制作:東海テレビ放送/ディレクター:斉藤潤一
http://tokai-tv.com/saiban/
第45回ギャラクシー賞 テレビ部門大賞 http://www.houkon.jp/galaxy/45th.html
放映:2008年6月14日・NHK-BS2「ザ・ベスト・テレビ 第1部」
テレビ界の各賞に輝いたドキュメンタリー番組がまとめて見られる好企画が実現。
日本で初めて裁判所の中を撮影したというこの番組は、淡々と激務をこなす地裁の
人々の日常から、裁判官の役割とやりがい、そして危うさまでも浮き彫りにして見
せる力作。「刑事裁判の有罪率99.9%」というデータに合わせ、起訴状がコンビニ
のレジみたいにバーコードで読み取られていく場面を挟み込む(しかも三回!)良い
意味でのあざとさが新鮮でした。(清水浩之)
B-293『わが家』
2008年/制作:NHK名古屋/ディレクター・撮影:西川啓
放映:2008年6月16日・NHK-BShi「ハイビジョン特集」
2007年3月の能登半島地震で自宅を失った人々のその後を、西川さんがHDハンディカ
ム片手に全編「主観」で記録した長編。避難所で電車ごっこをする三人のおばあさ
ん、社交ダンスの密かな“効用”を語るおじいさんなど、一見平凡な人々と世間話
を繰り返す過程から、「幸せは作るものだよ」といった非凡な一言を掘り出してい
く展開は、意外や意外『鶴瓶の家族に乾杯』を連想する面白さ!詩情溢れるカメラ
ワークとナレーションも素敵。(清水浩之)
B-294『火垂るの墓』
2008年/制作:パル企画ほか/監督:日向寺太郎/脚本:西岡琢也
7月5日より岩波ホールほか各地でロードショー
http://hotarunohaka.jp/
西武ライオンズの守護神・グラマン投手の名を聞く度に空を見上げるウチの両親(実
話!)の世代を最後に戦争の記憶も消えてしまう…?そんな時代に登場した「戦後世
代による戦争体験記」。敵を見せない“善戦史観”映画とは一線を画した「見えな
い敵」としての日本人自身を描く姿勢に注目。20年前のアニメ版が今の20〜30代に
トラウマを与えたように、今回の実写版の松坂慶子さん&隣組が平成生まれの深層
心理に刻み込まれることを期待!(清水浩之)
◇────────────────────────◆◇◆
■投稿:「第5回北京ドキュメンタリー映画交流週」に参加して
■飯塚 俊男
前回のneoneoに前田佳孝さんが「北京ドキュメンタリー映画交流週レポート」を寄
せてくれたが、5月25日〜31日に行なわれたこの映画祭には、私も招待されほぼ全期
間参加した。前田さんとは昨年10月の山形国際ドキュメンタリー映画祭で中国の監
督たちを小川プロの撮影地上山市牧野、古屋敷に案内した時に知り合った。北京の
映画祭にもスタッフとして参加しているとは聞いていたのだが、映画祭では全く姿
を見せず、顔を合わせたのは終了間際の頃だった。彼もレポートで書いているが、
最終日、帰りの飛行機に乗る直前の昼食でようやくビールを飲みながら話ができた
のだった。
彼は、小川作品の中国語字幕作成のため映画祭の本番にはほとんど顔を見せる事が
できなかった。ボランティアで行なわれた裏方班の作業は深夜に及び、上映日の朝
完成という離れ業の連続だったと聞いている。中国語にうまく翻訳されていたかど
うかは、私には分からないが、一緒にスクリーンを見ている中国人観客の表情から、
日本のドキュメンタリー作品が違和感なく受け止められていると感じた。上映後の
討論などの反応でも、日本と中国の状況の違いを超えて映画が深く受け止められて
いると思われる事が多々あった。馮艶さん、季丹さんはじめ翻訳に携わったスタッ
フの尽力には頭が下がる思いだ。
前田さんが書いておられたことで、ひとつだけ訂正しておきたい。小川紳介さんの
「西欧のドキュメンタリーが花だとしたら、アジアのドキュメンタリーは足腰だ」
という言葉が、英語翻訳者を困らせたと書かれていたが、正確には「劇映画が花で
あるとするならば、ドキュメンタリーは足腰です」という言葉だった。小川さんの
名誉のためと思い訂正してみたが、却って非ロジカルな言葉遣いが際立ってしまっ
たかも知れない。小川さんの言葉は、その場に居合わせた人には臨場感で納得させ
てしまうところがあったが、書き起こすと意味を伝えることが難しい場合がよくあ
った。60年代の学生言葉とは同一視できないが、小川さんは感情、感性に訴える言
葉をよく使った。
私が小川さんから小川プロに誘われた時の言葉が、「飯塚、この世の中にいっぱつ
不満があるだろう。それがあれば、小川プロはやれる」というひと言だった。いっ
ぱつというのは、60年代終わり頃特有の雰囲気を感じさせる言葉で、一発という名
詞ではなく、どうしても許せないひとつ、というような形容詞なのである。そのひ
と言で、わたしは小川プロの一員になることに同意してしまったのだから、いかに
強烈なインパクトがあったかお分かりになるだろう。
ここで大切なことは、小川さんは映画を一緒に作ろうとはひと言も言ってないこと
である。もしそう言われたら、私は小川プロに入っていなかったかも知れない。
「いっぱつ不満があれば、一緒に闘おう」と呼びかけたのである。一緒に闘う、つ
まり一緒に生きようと。60年代終わり頃の学生だった私にとって、映画を作る以前
に、どう生きるかが大きなテーマだったのである。
北京の映画祭では、小川さんの主な作品が時系列で上映された。91年の小川プロか
ら独立して以来、私は小川作品をほとんど見てこなかった。小川さんから遠く離れ
る事ばかり考えてきた。久しぶりの小川作品との対面。『圧殺の森』(67年)『三里
塚の夏』(68年)『第二砦の人々』(71年)と見ていくうちに、私の感覚がすっかり40
年も前の時代にトリップしていることに気づく。マーク・ノーネスの解説も良かっ
た。マークは、「この頃の初期作品は、作り方としてはラフだが、観客の感情に一
緒に闘おうと誘い込むパワーがある」と言う。確かにそうなのだ。決して政治的な
プロパガンダではなく、心の奥底に闘おう、闘おうと呼びかけられるのを感じ、お
前はどうする、と問われていることを感じてしまうのだ。40年の時を超えても今な
お心が熱くなってしまう。
それが大きく変わるのは『三里塚辺田部落』(73年)。前年に購入したカメラエク
レールと録音機ナグラのシンクロ撮影システムを使って、ワンカット11分に及ぶ長
廻しカットを多用して撮影されたこの作品を、マークは「世界の映画史にのこる作
品で、小川の最高傑作である」と解説した。カメラとマイクの絶妙なコンビネーシ
ョンで、村に流れている時間を捉えるという方法は、スタッフワークの極地であっ
た。
その後、小川プロは山形県上山市牧野に移住し、稲作をやりながらゆったりとした
時間の中で映画製作を続け、『ニッポン国古屋敷村』(81年)『1000年刻みの日時
計』(87年)を完成させる。ここで小川プロがさらに大きく変わったのは、事件が起
きている現場(三里塚)から、事件の起きてない現場(山形)に移ったこと。事件
のない村にカメラが入ったことで映画的な事件になったのである。それと共に、小
川さんと小川プロのテーマは、かつてのようにどう生きるかという問いかけは消滅
し、どのような映画を作るかということに集中していったのである。
このような小川さんと小川プロの変遷を、1週間かけて中国の観客(作り手が多かっ
た)と共に追体験し、それが違和感なく受け止められていったことが何とも不思議
な感覚だった。私が当時を思い起こし感極まると、一緒になって目を潤ませている
観客がいた。最後に、ずっとボランティアで映写を担当してきたスタッフが発言し
た。
「私たちは、実際にたたかうべきか、それとも記録すべきか」。60年代に日本で何
度も問われた言葉が、中国の若者から発せられたのである。中国は、間違いなくド
キュメンタリ−映画の興隆期にある。
最後になりましたが、北京の映画祭を準備してくださった朱日坤さん、藤岡朝子さ
んに心から御礼を申しあげます。
追記:私の監督した作品が下記の日程で上映されます。ご覧くだされば幸いです。
●『映画の都』(91年)『映画の都ふたたび』(07年)の連続上映、
7月5日〜18日 大阪シネ・ヌーヴォX
7月16日〜18日 山形フォーラム
7月13日あおもり映画祭(木造町会場)にて「映画の都ふたたび」がクロージング上
映
■飯塚 俊男(いいづか・としお)
1947年群馬県生まれ。学生時代に小川プロに参加。『ニッポン国古屋敷村』(82年)
と『1000年刻みの日時計』(86年)で小川紳介監督の助監督。91年『映画の都』で
初監督、この年に独立。『小さな羽音』(92年)で文化庁優秀映画作品賞など。
94年アムールを設立。主な作品に『木と土の王国』(95年)など縄文映画三部作、
『菅江真澄の旅』(02年)などがある。昨年、『映画の都ふたたび』を監督した。
◇────────────────────────◆◇◆
■投稿:「第11回ゆふいん文化・記録映画祭」を終えて
■清水 聡二(実行委員長)
去る6月24日に土本典昭監督が亡くなられた。「ゆふいん文化・記録映画祭」には
第1回目からかかわり、毎年参加していただき、まさしく精神的支柱であっただけに、
土本監督の訃報は大きな悲しみである。記念すべき第1回松川賞の審査員も「松川さ
んの賞なら」と快諾していただき、育てていっていただこうと思っていた時に、
第11回の報告も出来なかった事を悔いるばかりである。
その第11回ゆふいん文化・記録映画祭が5月30日から6月1日にかけて、大分県由布院
温泉で開催された。今から11年前、すでに多くの映画ファンの認知する日本映画の
祭典、湯布院映画祭とは異なるドキュメンタリーの映画祭を立ち上げたのは、知る
人ぞ知る中谷健太郎さんだった。その後10年にわたって実行委員長を務めてきたの
だが、9年目にして、10回目で自分は辞めると宣言してしまった。「ゆふいんの現実
にまみれ、まっすぐな驚きをみたい」と始まった映画祭に、自ら突然幕引きをする
という事態に、私たちは動転した。数人の仲間で集まり考えた。「やりたい。でも
できる?」「やめられない。でもやめていい?」「いややろう。何だかやらなきゃ
いけない気がする」。明確な理由はたった一つ、この10年の間に培われた人と人と
の繋がり(土本監督ももちろんその1人)を、私たちが断ち切ることができないとい
う思いだけだった。
その思いが第1回松川賞へと発展してゆく。9年間お世話になった松川監督。去年追
悼特集をやった。この10年間の松川作品の上映を礎にして、第1回松川賞とともに
第10+1回目のゆふいん文化・記録映画祭をスタートさせる事で、皆の気持ちが一
つにまとまった。
第1回松川賞の募集は次の言葉で始まった。「世界中で量産され、使い捨てられてゆ
く『映像』の流れと対峙しながら、新しい『映像記録の可能性』を切り拓いてゆき
たい。」「息の長い時間の中で『流されない魂』に辿りつきたい。」そうして私た
ちの予想を上回る64本の中、短編作品が集まり、2度の審査を経て、5本の入賞作品
が決定した。この入賞作品については、当映画祭コーディネーターの清水浩之さん
がneoneoにコメント(102号、5月15日配信)されているので、そちらをご覧いただ
きたい。
応募作品数以上に、私たちの予想を覆したのは第2次選考会(入賞作品5本選考)
だった。もちろん多様な議論が入賞作品5本の決定を紛糾させたことは、言うまでも
ないが、これが最もエキサイティングな時間であったことも紛れもない事実である。
今後、この審査会を含めて、大賞選考会、入賞者シンポジウム、審査員講評を報告
書としてまとめる事にした。その事が何よりも松川賞の質を高め、信頼を獲得し、
今後の松川賞の行方を左右するものだと考えている。結果として『緑の海平線』
(藤田修平制作)が大賞と観客賞をダブル受賞した。また、選考会で最後まで競い
合った3作品が、観客賞の結果と重なっていたことは、映画祭の観客の慧眼を証明す
ることにもなり、喜ばしい結果だった。
しかしながら、この松川賞以上に11回目の映画祭を分厚いものにしてくれたのは、
前夜祭を含めた一般上映作品であったと思う。前夜祭の2本は由布院、大分と縁のあ
る作品が並んだ。『本多静六〜いのちを育てる森の実学』『心に響けいのちの授
業』の上映によって、これまで映画祭に足を運んだことのなかった地元の小中学生
やお年寄りが参加し、立見がでるという大盛況だった。地域の人に理解され、支え
られてのゆふいん文化・記録映画祭であることを改めて痛感した。
本プログラムは1日のみとなり、多くの作品から苦労して選んだ作品が並んだ。旧作
の中短編として『日本の稲作』『山かげに生きる人々』、旧作長編として『夜明け
の国』、産業科学映画として『五重塔はなぜ倒れないか』『胃、巧妙な消化の仕組
み』『3万kmの瞳…』の3本、そして新作長編として「出草之歌」というプログラム
を組んだ。作品はいずれも力強く、多くの観客に驚き、疑問、感動を与えてくれた。
中でも新旧の長編2本については、映画祭の終了後も多くの方から感想や意見、感動
や疑問の声をいただいた。特に『夜明けの国』(時枝俊江監督)に対してお手紙を
紹介したい。「文化大革命の負の側面が描ききれていないといって、否定すること
は簡単ですが、実はどんな立派な記録でも、あくまで中間報告にすぎないと思いま
す。だからこそ、作る側、見る側双方の、不断の研鑽が求められているのだと思い
ます」。
また、時枝監督もコメントの中で「中国のその後の41年は、また私たちの国の41年
を考える促しと受けとめる」と書いている。歴史が過去から現在に遡り、未来へと
延々と繋がっているという当たり前の事を私たちはいかに断ち切り、切り離してき
たか。そして、私たちが時間軸に対して、いかに無頓着であるか『出草之歌』(井
上修監督)でも思い知らされる事となった。
ともあれ、不安と煩悶の中でスタートした第11回ゆふいん文化・記録映画祭はあら
ゆる偶然と幸運、そして何よりも過去10年のあいだに積み重ねられたネットワーク
の力によって、無事に幕を閉じた。審査員、ゲスト、観客、地元、関わって下さっ
たあらゆる方々に、お礼と敬意を表したい。たとえ自画自賛と云われようとも、予
想以上の成果を収めた映画祭であったと思う。
さて、第12回ゆふいん文化・記録映画祭に向けて、まずは第11回の記録をまとめる
ことからスタートしようと思う。そして、土本監督、松川監督への報告を済ませた
い。いかなる記録もあくまで中間報告に過ぎないとするなら、必ずや新しい展開が
見えてくるはずだ。完結することのない「ゆふいん文化・記録映画祭」をどこまで
続けられるだろうか。
小川さん、松川さん、土本さんは、「もういいよ」なんて、決して言わないだろう。
☆ゆふいん文化・記録映画祭;
http://movie.geocities.jp/nocyufuin/home.html
◇────────────────────────◆◇◆
■土本典昭監督を偲んで、追悼文(400字以内)を募集します。
6月24日未明、土本典昭監督が肺がんのため亡くなりました。享年79歳。つつしんで
ご冥福をお祈りいたします。
本誌では土本さんを偲び、7月15日号を「土本典昭追悼号」とし、皆様から追悼文
を募集します。
私たちに大きな影響と刺激を与えた土本作品の思い出、土本さんを巡るエピソード
など胸に去来するものがあると思われます。お名前とお仕事を明記のうえ、400字以
内でご寄稿くださいますよう、お願いいたします。締め切りは7月13日です。
visualtrax@jcom.home.ne.jp 伏屋まで
●土本典昭(1928−2008)
1928(昭和3)年、岐阜県土岐市生まれ。父親の転勤にともない、小学生のとき東京
に転居。軍国少年として成長し、終戦をむかえる。翌年早稲田大学に入学し、ほど
なくして日本共産党に入党。都下小河内ダムへ山村工作隊員として活動するも逮捕
され、その後、離党。この頃、羽仁進の作品『教室の子どもたち』に衝撃を受ける。
1956年岩波映画製作所に入社するも翌年退社。以後フリーとして、ドキュメンタ
リーの制作に邁進。1961年「青の会」を結成し、黒木和雄、小川紳介、大津幸四郎、
岩佐寿弥たちと映画研究を開始するとともに、ライフワークとなる水俣作品を軸に、
ドキュメンタリー映画の制作に打ち込む。代表作に、『ドキュメント 路上』(64
年)、『留学生チュア・スイ・リン』(65年)、『パルチザン前史』(69年)、
『水俣−患者さんとその世界』(71年)、『医学としての水俣病』三部作(74年)、
『不知火海』(75年)、『海とお月さまたち』(80年)、『原発切抜帖』(82年)、
『よみがえれカレーズ』(89年)などがある。遺作は『みなまた日記 甦える魂を
訪ねて』(04年)だった。
◇────────────────────────◆◇◆
■土本典昭の遺著
「ドキュメンタリーの海へ—記録映画作家・土本典昭との対話」、まもなく発刊!
1960年代から小川紳介とともに、戦後のドキュメンタリー映画を牽引してきた土本
典昭。自らの生涯と映画術について、縦横無尽に語りつくす。聞き手は石坂健治。
本書は土本典昭の魂の告白であり、ある映画作家の戦後史でもある。
★土本典昭・石坂健治著
「ドキュメンタリーの海へ—記録映画作家・土本典昭との対話」
A5判上製376ページ、写真多数、装丁:鈴木一誌
定価3600円+税、7月20日発行予定
◇────────────────────────◆◇◆
■上映:京都シネマ「特集:土本典昭の世界」
2008年7月5日〜11日
http://www.kyotocinema.jp/index2.html
●7月5日(土)12:40〜『映画は生きものの記録である 土本典昭の仕事』
●7月6日(日)〜7日(月)
12:40〜『映画は生きものの記録である』
14:35〜『不知火海』
17:30〜『水俣一揆』
●7月8日(火)〜9日(水)
12:40〜『映画は生きものの記録である』
14:35〜『不知火海』
17:30〜『水俣〜患者さんとその世界〜』
●7月10日(木)
12:40〜『映画は生きものの記録である』
14:35〜『不知火海』
17;30〜『水俣一揆』
●7月11日(金)
12:40〜『映画は生きものの記録である』
14:35〜『不知火海』
17:30〜『水俣〜患者さんとその世界〜』
当日・一般:1200円
大学以下・シニア:1000円
リピーター割引あり(4作品共通。半券持参で1000円)
京都シネマ:京都市下京区烏丸通四条下ル西側 COCON烏丸3F
TEL075-353-4723 kyotocinema@kisaragisha.co.jp
◇────────────────────────◆◇◆
■上映:映画『バックドロップ・クルディスタン』7月5日〜公開!
昨年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で観客、審査員双方から支持され、毎日映
画コンクールでは並居る作品を押しのけて受賞した話題作『バックドロップ・クル
ディスタン』が今週末からついに公開されます!劇場まで是非!
『バックドロップ・クルディスタン』
ホームページ: http://www.back-drop-kurdistan.com/
mixiコミュ: http://mixi.jp/view_community.pl?id=3000993
予告編: http://www.youtube.com/watch?v=1k7V5K8Afe8
●ポレポレ東中野にて7月5日〜ロードショー!!
問合せ殺到につき、急遽拡大上映決定!(21:15〜の回が追加になりました)
連日:12:30/14:40/16:50/19:00/21:15
●舞台挨拶
7/5(土)、7/6(日) 各回上映後
ゲスト:野本大(監督) 、大澤一生(プロデューサー)、ゼリハ・カザンキランさん
(カザンキラン家長女)※ゼリハ・カザンキランさんは、公開に合わせてニュージー
ランドから来日。両日とも12:30、14:40の回のみ登壇予定です
●トークショー開催決定!
7/11(金) 19:00の回終了後 →ゲスト:カザンキラン一家 × 野本大(監督)
7/12(土) 19:00の回終了後 →ゲスト:原一男(映画監督) × 野本大(監督)
7/18(金) 19:00の回終了後 →ゲスト :南部虎弾(電撃ネットワーク) × 野本
大(監督)
7/19(土) 19:00の回終了後 →ゲスト:池谷薫(映画監督) × 野本大(監督)
7/21(月) 19:00の回終了後 →ゲスト:カザンキラン一家 × 野本大(監督)
※11日(金)、21日(月)はスクリーンを通してネット電話で対談します!
◇────────────────────────◆◇◆
■「自作を語る」などの投稿、歓迎!
「自作を語る」欄は、監督自らが作品について語るコーナーです。制作した動機や
撮影のポイント、編集で心がけたこと等を内容に盛り込んで頂きたいと思っていま
す。その他の投稿も歓迎します。「自作を語る」は1600字程度。監督のプロフィー
ル(150字)、作品のデータ、上映スケジュール、HP等をお知らせください。
原稿締め切り:配信日(1日&15日)の3日前までに、下記に送信ください。
E-mail: visualtrax@jcom.home.ne.jp 伏屋まで
◇────────────────────────◆◇◆
■上映の告知の有料化とカンパのお願い
■伏屋 博雄(本誌編集長)
neoneoの購読は無料ですが、経費を(その大部分は稿料ですが)賄うため、上映等の
告知は有料にしています。なお皆様にカンパもお願いしていますので、ぜひご協力
ください。
(1)上映等の告知の有料化 40字×30行(行数の空きも計算)以内につき、2,000円
です。それ以上の行数の場合は加算します。
(2)カンパのお願い 一口2,000円。何口でも。
送金方法:郵便振込み:00160-8-666528 neoneoの会、又は、
みずほ銀行池袋支店、普通口座、2419782 (有)ネットワークフィルムズ
(銀行振込の場合は、その由を visualtrax@jcom.home.ne.jp 伏屋宛にお知らせく
ださい。)
以上、neoneoの継続ため、よろしくお願い致します。
┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃07┃■編集後記 伏屋 博雄(ふせや・ひろお)
┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
●長年の糖尿病に加えて肺がんの病魔に侵され、闘病生活を強いられて来た土本典
昭監督が6月24日未明に亡くなった。そんなことはつゆ知らず当日早朝、私は房総の
海辺に近い病院に見舞いのつもりで出かけたところ、千葉駅で「亡くなった」こと
を携帯で知らされて、愕然とした。構内差し込む陽光の異様な明るさが眩しかった。
葬儀は密葬で行われた。いずれ、「お別れする会」が行われるはずである。遺骨は
高尾にある土本家の墓と水俣に分骨されるという。
本誌では、日本のドキュメンタリーを牽引してきた土本監督を悼み、次号を「土本
典昭追悼号」とし、読者から「追悼文」を募集します。詳細は「広場」欄をご覧の
うえ、ご応募くださいますようお願いします。
●本誌は以前にも増して若い世代の参加(執筆)を期待している。とりわけ巻頭の
「ドキュメンタリー映画のかたち」は、どうしても映画経験の豊かな者が執筆する
機会が多いなか、20代、30代の意見も反映させたいというのが私の最近考えている
ことである。若きプロデューサーの映画の取り組み方を知りたいという欲求もこれ
に拍車をかけた。
大澤一生さんは30代。これまで『バックドロップ・クルディスタン』を含む2作品
をプロデュースしてきた方である。けっして経験豊かな方ではない。が、こうした
方が同じ世代の監督とタッグを組んで、どのようにして作品化の道を辿ってこられ
たのか、そしてその方向に何が見えてくるのか? 私の関心が膨らんで今回の執筆
をお願いした。3回の連載を予定しているが、今後の展開に注目したい。
●今回は二つの投稿があった。いずれも多忙な時間をぬっての熱意に感謝したい。
一つは、5月に開催された「第5回北京ドキュメンタリー映画交流週」に招待された
飯塚俊男さんによるレポートである。前号で前田佳孝さんの同じ催しのレポートを
掲載したが、これはボランティアサイドからの報告だった。飯塚さんのそれは小川
作品を久方ぶりに直面したうえでのレポートである。そこには小川プロに深く関わ
ったスタッフによる批評と感慨が率直に綴られている。小川プロ参加の動機、作品
の見方など、私は共鳴しつつも微妙に異なる面もあり、興味深く読んだ。
もう一つは、今年の「第11回ゆふいん文化・記録映画祭」についてのレポートで、
実行委員長の清水聡二さんの投稿である。すでに10回を重ね、新たな局面に突入し
た「ゆふいん」の主催者の予想を超える盛況ぶりは、企画の斬新さと地域密着型の
徹底にあると思った。私事にわたるが、清水さんとは21年前に小川紳介と湯布院に
同行して以来の交流の復活に、嬉しさも倍増した。
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