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映画関係者必読のメールマガジン。プロデューサー、監督、評論家、映画館支配人など、さまざまな立場からこれからのドキュメンタリー映画を熱く語ります。




ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン neoneo 101号 2008.5.1

発行日: 2008/5/1

∽∽∽∽∽∽ HEADLINE ∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

 †01 ■ドキュメンタリー映画のかたち
       私が伝えたいこと(3−最終回) 
       —誰でもドキュメンタリーをつくれる時代だが…」
         土本 典昭  (2007年6月23日 ユーロスペースにて)
 †02 ■ワールドワイドNOW ≪ニューヨーク発≫
       クジラと日本とメディア  東谷 麗奈
 †03 ■映画時評
      『かつて、ノルマンディーで』(監督:ニコラ・フィリベール)
         萩野 亮
 †04 ■「映画は生きものの記録である』ニュース(15)
 †05 ■neoneo坐5月前半の上映プログラム
 †06 ■広場
      ■新・クチコミ200字評!(73)
      『神聖喜劇ふたたび〜作家・大西巨人の闘い』(脇阪 亮)
      『船、山をのぼる』『花はどこへいった』
      『アイムボカン〜地雷撤去という超セレブな夢』
      『南京の真実 第一部 七人の「死刑囚」』
      『兵士たちが記録した 南京大虐殺』
             (以上の評、清水 浩之)
      ■投稿:『靖国 YASUKUNI』上映中止問題—映画観客として
                 中村 のり子
      ■上映:春のメイ シネマ祭(5/3〜5日) 小岩コミュニティホール
          『映画は生きものの記録である 土本典昭の仕事』他11本
      ■上映:神戸映画資料館( 5/9〜11)
          『三里塚 岩山に鉄塔が出来た』『三里塚 辺田部落』
      ■上映:大阪・シネ・ヌーヴォX(5/17〜30、2週間)
          『映画は生きものの記録である』&土本作品
      ■募集:「自作を語る」などの原稿募集!
      ■上映の告知の有料化とカンパのお願い  伏屋 博雄
 †07 ■編集後記  伏屋 博雄

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┃01┃□日本のドキュメンタリー映画のかたち
┃ ┃■「私が伝えたいこと (3—最終回) 
┃ ┃   —誰でもドキュメンタリーをつくれる時代だが…」
┃ ┃   (2007年6月23日 ユーロスペースにて)
┃ ┃■土本 典昭 (聞き手:伏屋博雄)
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伏屋:ではさっそく、土本典昭監督のお話をお聞ききしたいと思います。今日が3回
   目、最終回になりました。テーマは、「誰でもドキュメンタリーを作れる時
   代だが…」ということで、話していただきます。ご存知のように最近は、フ
   ィルム時代と違ってデジタルキャメラが普及して、非常に簡便に、そして安
   く映画が作られる時代になりました。これは以前に比べれば、容易に映画が
   つくれるということから言えば、歓迎すべきことではありますが、この風潮
   に対して、土本さんは心しなければならないことがあると考えられています。
   これは何なのか、土本さんからお聞きしたいと思います。それでは土本さん、
   お願いします。

●考える道具としての映画

土本:どうも。この10年ぐらい、多くの若い人の映画やビデオを、見る機会があり
   まして、見れば面白いんですね。僕は面白くて、なるほどな、と思うんです
   けども、次の作品が、僕はよく分からないんです。—というのは、1本作ると
   ですね、全力投球しちゃうのか、意欲はあっても、第二作がなかなかうまく
   いかないっていうか、撮る方法が絞れないっていうか。第一作にこれだけの
   ものを作られた方が、どうして第二作はこんなに成り行きまかせの編集なん
   だろうと思う事があるんですね。それから、ひとつの出来事を三部作ぐらい
   で4時間半ぐらいのものにしてですね、「これを1時間半にまとめたいんだけ
   ど、意見を下さい」というようなケースも最近ありました。

   それは全部、僕は気に入らないんですね。やはりもっとドキドキさせてほし
   いというか、欲がありますから。だけど第一作を作って、第二作がなかなか
   できないという傾向は、僕が育った頃にはあまり無かったんですよ。それは、
   その時代の映画を撮る人が良かったとか悪かったとかいうことじゃなくて、
   映画を作るプロセスが革命的に変わったと思うんです。前は映画を撮るとい
   う事はものすごくお金がかかったんです。
   例えば、僕が始めた頃、TVドキュメンタリーは多かったですけども、例えば
   30分の映画ですと、3倍の1時間半分のフィルムがせいぜいでしたね。牛山純
   一さんというところで、まあ有名なTVドキュメタリストですけど、僕は5倍く
   れと言って、当時はずいぶん吹っ掛けたような感じだったんですが。5倍のフ
   ィルムを得たことが、とても力になったんです。

   ですから、撮る前に話を絞る必要があったんですね。それから何を撮る、何
   日かけて撮る、何時間かけて撮るということを考えて、好きなだけ、カメラ
   を回せばいいという時代じゃないんです。5倍のフィルムを抱えていても、そ
   れを有効に使わなければ表現ができない。「もうフィルムが無いんです」と
   いうことは、テレビやプロダクションで働いたりする人間には、絶対許され
   なかったんです。「あなたがフィルムを自分で買うならいいよ」というよう
   なことを言われちゃいますからね。フィルムは非常に高いんです。現像料が
   かかりますから。
   そういった経済的な制約があると、何を撮るか、「選ぶ」っていうことです
   ね。考えて選ぶ。何をやりたいか、焦点をはっきりと自分で作ることになる
   んです。

   それには二通りの意味がありまして、その通り作る人もいれば、僕のように、
   自信が無いから、いくら決めたって、もっと良いものがあるはずだとぶち壊
   して行くような、ぶち壊すと言ったらかっこいいですけど、変えていくよう
   なタイプの作家と、二通りあるわけです。いずれにせよ作る前に、とことん
   考えるという事を強いられた。
   それからこの映画はどういう映画でなきゃいけないか、どういうところで、
   見る人に訴えなきゃいけないか、見る人が、チャーミングなものを感じるよ
   うな画がどこになきゃいけないか、そういうことを無意識に考えさせられた。
   それでいて、やっぱりお金の事も考える。お金のことを考えるという事は、
   幾日間で撮るか、あるいは何時間で回すか、どういう場所で考えて撮るか、
   そういったことを考えなきゃいけなかった。

   ところが、これが十数年前から少し変わってきましたね。というのは、ビデ
   オドキュメンタリーがやっぱり大衆化してからですね。前は、個人用のキャ
   メラは、実用に耐えないと僕は自分でやってみて思ったんですね。ところが、
   最近のキャメラはわりと安い、僕らで買える程度のキャメラで、テレビ局と
   同じような画質や音声のものがやろうと思えばできる。こういう時代が来て
   からですね、フィルムの制約、フィルムはこれだけしかない、逆にいえばこ
   れだけしか時間がないという制約から解放されたんですね。ビデオを100本使
   ったなんて話も聞くし、まあ20本30本はザラだし、それから、撮っても見な
   いで、気に入ったなと思う映像だけでつないでいますというのは、考えてみ
   れば「うわあ、贅沢な時代だなあ」と思う。まあうっとりするようなやり方
   が出てくる。

   私はあまりたくさんカメラを回しません。撮ったものはどれも使いたくなる
   ようにクセがついておりますから。この間、何かを読んでおりましたら、中
   国の王兵という監督が、9時間の映画(注:『鉄西区』)を作った時に、その
   映画は(中国の)東北の、街の鉄鋼工場の移り変わりを撮ったのですが、そ
   の中で「僕は何百時間も撮りましたけど、使ったのは見直した部分だけです。
   どれだけ見直したかというと、数十時間分です。つまり、あとは撮った記憶
   はあるけれども、見直す必要はない。使わない」といっているんですが、そ
   ういう判断があるんですね。

   それだから、一定の時間で編集ができたと思うんですが、それを考えると、
   僕はまた分からないわけですね。つまり、どこで自分の撮るものを取捨選択
   しているのか?と。—つまり撮って見直さないということは、選んでいない
   ということですね。撮った時に分かっているわけです。これは使えないけど、
   いちおう回しておこうと思ったに違いない。もう撮っている時に判断がある
   わけですね。しかし瞬間的に撮っている。そういうことが出来てしまう時代
   なんですね。やはり映画の方法論が格段に進歩したと同時にですね、ゆるや
   かになってきた。ゆるやかになったことはじゃあ作家にとってどうかといえ
   ば、僕は必ずしもプラスだけではないというふうに思っています。

   こういう機会から、外国の作家の作品を見ていく場合に、外国のドキュメン
   タリストがどういうふうに作っているかに焦点をあててものを読んだり、映
   画の撮り方を見ていると、日本の仲間でもそうですけど、やはり驚くべき工
   夫をしているんですね。それは仕上げることについてです。いかに撮るかっ
   ていうことは、みな自分で撮ったりですね、信頼する仲間と撮っていますか
   ら、あまりああだこうだっていうふうに言いません。好きなだけ撮ってくれ
   と言って、好きなだけ撮ってもらって、それで編集していくんですけど、そ
   の際にものすごく創作的な工夫をしていますね。

   例えばアメリカの女流作家のバーバラハマーですが、彼女は撮ったビデオを
   フィルムに直してですね、全部じゃないですけど、選んでフィルムに直して、
   スタインベックで編集するという事を自分に課しているわけですね。それは
   非常に手間のかかる仕事です。それからワイズマンは、最近少しはやります
   がビデオはやりませんね。やはり全部フィルムにして、ひとつの話を2、30分
   のロールにして、そういうふうに音のロールも作って、やはりスタインベッ
   ク(注:編集機)でかけている。

   なぜスタインベックでかけるか?これについては、彼らは「考える時間があ
   るからだ」っていうんですね。やはり巻き取ったりですね、それをまた戻し
   たり、いろいろするのに、ビデオのように瞬間的にできなくてね、必ず手間
   がいるわけですね。太さがいるわけですね。やっぱり画を巻き戻しながら眺
   めて、じぃーっと眺めたり、ぼやっとしている時間がある。その時に実は、
   どうまとめようかということを考えられるというんですね。はあ、この人た
   ちも、そういうことを大事にするのかっていうふうに思っているわけですが。

   その一番身近な例が、この間亡くなった松川八洲雄さんです。この人は、全
   く職業的な訓練で出てきた作家じゃありません。ほとんど自分で作って、自
   分でまとめてきた作家ですけど、彼はフィルムの時代はですね、とことん字
   コンテっていいますか、字と絵でワンカット目はどういうもの、ふたカット
   目はどういうもの、というものを書いて、全カットを字と絵で書いて、それ
   をキャメラマンに見せてですね、その上で、これを読んで自由に撮ってくだ
   さいって言うんですね。これを読んでこの通り撮れ、と言うことは、彼は絶
   対に言わない。というのは、キャメラマンに対する人間的な信頼があるんで
   すね。

   彼は、キャメラマンには命令しちゃいけないということをね、とことん教え
   られたっていうんですね。僕も教わったんですが、それは瀬川順一という人
   です。キャメラマンは、こうせいって言われたら良い画なんか撮れない。考
   えろと言われたら良い画を撮ると。そのことを頭にいれて、キャメラマンと
   そういう形で組んでいた。ですから、彼はキャメラマンとだいたいのあらす
   じは話し合っていますけれども、撮影中には、あっち撮ってろ、こっち撮っ
   てろとか、これをこういうふうに撮ってろとか、これぐらいのサイズで撮っ
   てろとか、そういうことを言いませんね。僕もなるべく言わないようにして
   いるけど、僕はどっちかっていうと、どうしても口が出ちゃう方なんですが。

   最近はテープが多いんですけれど、テープの場合ですね、不自由なのは、フ
   ィルムの場合はこうやって(フィルムを手で伸ばす仕草)物質的に見ればね、
   このカットは何を撮ったかというのが、透けて見えるんです。テープってこ
   うやったって何も見えませんね、茶色だけで。だから、彼はそれを徹頭徹尾、
   字と絵に変えて、絵のうまい人ですから、自分で絵コンテを書いて、こうい
   う絵から、こういうふうにパンして、こういう絵で終わる何秒のカットとい
   うふうなことを、絵を書いたものにつけて、そしてそれから考えるんですね。
   彼は撮ったままのフィルムっていうのは、絶対に採用しない。やはりそこに
   は僕が考え抜いた軌跡がなければ編集じゃない。それに僕は大賛成ですけど、
   そういう考え方があるわけですね。

   それで彼は、全部ビュアにかけて画を確かめて、そしてどういうところから
   始まってどういうところで終わるかというカットをね、全カット描くんです
   ね。全カットスケッチしてですね、そして壁にぶら下げて、そこからは亀井
   文夫の昔と同じです。亀井文夫は自分の撮ったものを全部絵に描いて、そし
   て並べてですね、このシーンはここにあったほうが良いやというようなこと
   で考えて作ったんです。それが僕らの頭にあるんですけど、テープになって
   から、そんな事はできないと思ってやらなかった。ところが彼はそれをやっ
   た。とことんやった。

   ですから、彼の映画はどうしてこんなふうに繋がっているんだろうっていう、
   非常な不思議な魅力があります。例えばですね、この映画は面白くないから
   と勝手に直してみようっていうプロデューサーがいたとしますね。しかし、
   いじったら必ず分かるんです、おかしいんです。要するに、松川さんの映画
   を見た時にはきちんと繋がって、潜在意識的には何の隙間もなかった画の繋
   がりが、他の人がつないだものは、繋がっているように見えますけども、内
   在的な継続感っていうか、心理的なつながりがない、ブツブツのフィルムに
   なっているんですね。だから僕なんか見ると、あ、これ松川さんの作品じゃ
   ないなって分かります。

   で、それだけのムービー、映画ってものに対する愛情っていうか、創作の決
   意のある作家のものを見るのはですね、非常に楽しいことです。僕は、劇映
   画は羽仁さんの映画を繋いだことがあるんですけれど、劇映画の場合には、
   どうしてもシナリオがいりますね。カット何番というのがあって、そしてそ
   れをあまり大きく動かす事はできません。状況をどういうふうに入れるかと
   か、気づいたカットをちょっと入れてみるとか、大きく構成を変えてみるこ
   とはできますけども、ほとんどシナリオ主義です。ですから、僕と同じよう
   にスタートした人間は、劇映画志望の、例えば黒木和雄にしても、「俺が編
   集で、本を直しちゃうんだ」、というのが黒木の若い時の売りだったんです
   けど、結局できません。最後には、シナリオを本当に大事にしなきゃいけな
   いということを若い人に話して、現場を本当に厳しく、シナリオどおりに撮
   ることに集中させて、晩年の何本かの作品を作った。そうなっていくんです
   ね。

   ところが記録映画は違うんですね。記録映画は、その作家の感じたもの。そ
   の作家と組んだキャメラマンの撮ったものをですね、どういうふうな表現に
   変えていくかってことですから、極めて映画的なんですね。僕は劇映画は、
   ある意味では芝居的というふうにも言えるし、演技のドキュメントとも言え
   るんですけど、記録映画の場合には、全く映画的ですね。どういうふうに撮
   って、どういう映像で、どういうふうに繋がっているかということでやりま
   すから。

   —ですから僕は、これからの映画の面白さというのは、依然としてドキュメ
   ンタリーにあると確信しています。ドキュメンタリーこそ、映画でしかでき
   ないものに中心を置いています。劇映画の場合にはシナリオという、あるい
   は原作があったり、あるいは芝居があったりするのに基礎を置いています。
   で、それ自身の感動と、映画の感動とは、うまくくっつけば良いとは思うも
   のの、どっかでシナリオですね、あるいは俳優さんに期待するところが非常
   に多い。ところが記録映画の場合には、全く題材によってですけれども、自
   分の周りであったり、自分の交友であったりですね、いろいろな事で物語を
   作っていくわけですから、それについてのですね、どこで撮りっぱなしじゃ
   ない、きわめて作為的な、悪い意味で言っているんじゃないですよ、僕は作
   為が無かったら作品なんかないと思っていますから。
   そういったものを作るかっていう場合に、やはり、前は撮る前に考えたもの
   が、今は撮った後で考えるというようになっていますね。うまく撮れている
   かどうかというのも、前は分からなかったですけれど、今は撮ったらすぐあ
   とに見ることができるんですね。これはダメだから使わないという判断がで
   きるわけです。だから何十時間回したといったって、その人の頭にあるのは
   何時間分の映像だと思いますね。何十時間分も丁寧に見て作るっていうよう
   な作家を、僕は聞いた事がありません。何回も見直してですよ。そんな不決
   断なもんじゃないんです。やはり撮った人にはある決断がありますから、撮
   ったものはかなり絞られている。絞られた中でクリエイトしている。そのク
   リエイトが、もうほかのドラマでも芝居でも何でも無く、まさに映像のドラ
   マ、映像であるという点で、僕はドキュメンタリーがまだやっていない事は
   いっぱいあると思っています。

   そういった意味で若い人に言いたいんですが、撮れた映像をね、テレビと同
   じように、何か抵抗感のないように見せるということは誰でもできます。で、
   それは多分面白いでしょう。しかし一遍だけです。あの時が評判良かったか
   らってもう一遍やってみようといったってね、どうでしょうかね?

   やはり、同じようなものは二度と撮れるわけがありません。それは方法に対
   する記憶がなければダメです。自分はこういうふうに作った。こういうふう
   に編集した。こういうふうに構成した。ここで苦労したという、その苦労し
   たとこがどう人々に訴えたかということが、自分で経験化されていないとね、
   理論化とは言いません。経験化されていないと、それを繰り返すことはでき
   ません。

   だから、そういうことをすね、ひとりでやるというのは、たいへん困難です。
   だから、僕が話をしたように、スタッフを大事にしなさい。スタッフとの討
   論ですね、自分らの作りたいものを客観的にわかるように、あと討論の対象
   になるようにしなさいというように言うのは、そこのところでつながってい
   ると僕は思うんです。まあそういった意味で、「僕は人に判断してもらうほ
   うが良いから、思ったとおりのもの、見たとおりのものを出して、あまり作
   為をしないで繋ぎました」というのは、これは僕には何のことだかさっぱり
   分かりません。

   そういった意味で、ものを作るということは、徹頭徹尾考え抜いて選び抜い
   て、喜びをもって快楽にしていくことですから、そういった意味では、まだ
   映画は何も決まった形があるわけではありませんし、面白い芸術ですから、
   皆さんいろいろなものを見て当惑しながら、それで自分の撮れる力量で、自
   分の好きな映画を作っていってください。討論しながら作るっていうのがポ
   イントですから、やはり仲間がいたほうが良いと思います。それは一緒に作
   る仲間という意味じゃなくて、一緒に同じことを考えている仲間という意味
   でもあります。よろしく、ひとつみなさん頑張って下さい。
   どうも生意気に、勝手なこと言いましてすみませんでした。

(第3話 最終回、了)



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┃02┃□ワールドワイドNOW ≪ニューヨーク発≫
┃ ┃■クジラと日本とメディア
┃ ┃■東谷 麗奈
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先日、ドイツの友人に頼まれて、 急遽日本で撮影をすることになった。実は、 
この撮影に私はあまり気乗りがしていなかった。というのは、そのドキュメンタ
リーの題材が「クジラ」だったからだ。折しも、ある環境保護団体が、日本の調査
捕鯨船を沖まで追っかけて激しい妨害活動を行っているニュースが報道されている
頃だった。アメリカにいると、普段からこうした報道がされる度に、同僚たちに意
見を求められることが多い。しかし、正直に言って、私には事情がよく分からなか
った。ニュースというのは、たいてい細かいところで異なっていても、大筋ではな
んとなく足並みをそろえているものだ。ところが、この捕鯨問題については日本と
アメリカではかなり見方が違う。非難されれば守りに入ってしまいたくなるものだ。
日本人である私は、やはりどこかでまたアメリカの価値観の押しつけではないかと
いう思いを拭えないでいた。

とにかく、監督のヴォルカー・バースがニューヨークに立ち寄るというので会うこ
とにした。彼は、神経科学者でもあるというだけあって、知識人らしい知的な容貌
で、落ち着いてもの静かに話す。この作品は、クジラの座礁原因を研究している海
洋生物学者の女性を中心に追いかけている番組で、日本の声も盛り込みたいのだと
いう。そこで、彼がネーチャー誌に掲載されたひとつの記事を見せてくれた。そこ
には、アメリカ人の研究者と並んでToshio Kasuyaという研究者の名前が連ねられて
おり、日本の調査捕鯨に疑問を呈する記事がまとめられていた。この記事には、
次号で日本鯨類研究所からの反論もきちんと掲載されているのだが、私はこの日本
人の先生に会ってみたいと思った。ヴォルカーの助手として働いている私の友人は、
異文化を理解することにおいて私がとても信頼している人間でもあったので、日本
人である私が嫌な思いをするような番組は作らないだろうとも思い、この仕事を引
き受けることにした。

当初は、いくつかのインタビューを予定していたので、日本でドイツの撮影クルー
と合流するはずだったが、直前でほとんどのインタビューがキャンセルになった。
やはりこれは難航するなと思った。結局、インタビューできるのは前述の研究者の
みとなり、ヴォルカーが急いで電話をしてきた。一本の撮影に何人ものクルーを送
る余裕がない、一人で行ってくれないかという。この時点で私の興味は既に膨らん
でいた。私の返事は「もちろん!」だった。

東京に飛び、機材を借りて、郊外にある研究者の自宅まで行くことになった。粕谷
俊雄博士は、水産庁の研究所に長く勤めいくつかの大学で教鞭をとっていたが現在
は引退して研究活動を続けている。ヴォルカーから送られた資料に何度も目を通し、
日本の資料なども読んで、この時点で私が理解していた日本の捕鯨の背景はこうで
ある。

1946年に締結された国際捕鯨取締条約に基づいて、国際捕鯨委員会(IWC)が、1982年
に3年後の商業捕鯨停止を決定した。日本も議論はあったが、結局これに従ったが、
ここにいわゆる「例外」が出てくる。それが、国際捕鯨取締条約第8条にある科学研
究のための調査捕鯨である。日本は、1987年から長期にわたる研究計画を発表、実
施している。調査用に捕獲されたクジラは可能な限り加工することになっているた
めに、食用を含め市場に出回ることになる。ここで、世界の多くの学者たちが指摘
するひとつの疑問がわくのだ。調査というのは商業用のクジラを確保するための単
なる名目ではないかというものだ。ネーチャー誌に掲載されている記事によれば、
1954年から商業捕鯨が停止された1986年までの日本の研究目的の捕鯨は840頭なのに
対して、1987年から始まった調査捕鯨は既におよそ7900頭におよんでいる。これが
本当ならば、疑われるのも無理はないような気がする。

にわか知識の私の質問に、粕谷氏は真摯にひとつひとつ丁寧に答えてくれた。まず
は、日本が掲げる研究の内容、そしてその成果について一通り聞く。粕谷氏は、自
分が直接知らないことを断言したり、他の人が計画した調査内容を批判することは
決してしない。しかし、自分の考えに関してはとてもはっきりとしていた。

第一期の調査の計画立案が指示されたときのことを、当時水産庁の科学者だった粕
谷氏はこう述べた。「指示された条件は、なるべく長期を要する調査計画を立てる
こと、また船団を維持できる頭数を捕獲することでした。つまり目的は商業捕鯨の
再開まで捕鯨組織を温存することにあると理解されました。」私は思わず息をのん
だ。粕谷氏の立場は明確だった。ヴォルカーからは、約20項目の質問を預かってい
たが、そのほとんどが調査捕鯨を擁護する様々な理由の是非を問うものだったので、
その後の氏の返答はもう予測できた。クジラが魚を食べてしまって魚が減ってしま
っている、捕鯨は日本の文化だ、西洋の批判は植民地主義思想のおしつけだ、つま
りはどれも日本側が都合よく用意した言い訳なのだと思った。日本が捕鯨を続ける
理由は、そのビジネスを頼りにしている人間たちがいるからだ。何事もそうである
ように、一度何かの利権構造ができてしまうと、それをやめてしまうことは難しい。
もちろん、私も一人の研究者の考えを聞いたのみであるから、見方が偏ってしまっ
ていると言われればそうかもしれない。しかし、そんなことを語る人を私は今まで
日本の新聞やテレビで見たことがなかった。昨日までは、クジラといえば、小学校
の頃に給食に出たケチャップあえのクジラ肉のことしか知らなかった私は、メディ
アに関わる人間としての責任を感じずにはいられなかった。

夕方、私は東京の街角で通り過ぎる人にインタビューしてみた。「マグロが食べら
れなくなるのは深刻だけど、クジラは別に」という人がいれば、「私はクジラとて
も好きなんです。だから、クジラの存続に影響しない程度なら捕ってもいいと思う
んです」という人もいた。「クジラが魚を食べてしまうということもあるそうです
から、そのへんをちゃんと調査してもらって」というのを聞くと、つくづくメディ
アが何を根拠に報道してきたのか疑いたくなった。捕鯨に対して過激な妨害を展開
する団体には賛同しないが、自分たちに都合のよい意見を繰り返し報道する日本の
姿を恥じずにいられなかった。

粕谷氏とのインタビューの後、氏の書斎の本棚に飾ってあるものを見せてもらった。
氏が、瓶の中から黒い大きな固まりを手に取って私に匂いを嗅げという。ゆるりと
排泄物の匂いがして、「糞ですね」と私が言うと、氏が笑って言った。「これは、
クジラの腸の中からたまに出てくるものでね、保香剤になるんですよ。フランスの
香水会社なんかにいったら、高い値段で売れるんですよ。」そう話す氏の穏やかな
表情を見ながら、氏がインタビューの後半で言ったことを思い出した。クジラは日
本の文化ではないのですかとの問いに、氏は、文化というものは、時には消えてい
かなければならないものもあるのではないかと語った。「ちょんまげで刀をさして
歩いている人がいなくなったように、人間にとって、クジラがいる社会とクジラが
いない社会とどっちが幸せなのかってことです。」その言葉は、私に今でも深く重
くのしかかっている。(東谷麗奈)

☆Volker Barth 監督のこのドキュメンタリー『The Sperm Whale Mystery』は9月に
ドイツのARTE局で放映予定。詳細は、 http://www.anthro-media.com/ 
5月半ばから、下記リンク(現在工事中)にてニュースレターにも登録可能
 http://www.anthro-media.com/projects/nature/06.html 

追記:この記事の掲載を快諾してくださった粕谷俊雄博士に深くお礼申し上げたい。


■東谷 麗奈(ひがしたに・れいな)
今年もトライベッカ映画祭が始まりました。アメリカで活躍する日本人ドキュメン
タリー作家の方が増えてきている感があり、とても刺激を受けています。



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┃03┃□映画時評
┃ ┃■『かつて、ノルマンディーで』(監督:ニコラ・フィリベール、2007年)
┃ ┃■萩野 亮
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ニコラ・フィリベールがこれまでフィルムの対象としてきたのは、美術館や博物館、
ろうあ者や統合失調症患者など多岐にわたるが、その対象がまとっている表象性、
表現性をていねいにすくいとるところに彼のフィルムの大きな魅力がある。たとえ
ばろうあ者に取材した『音のない世界で』(1992)では、手話がもつ驚くほどゆたか
な表現の世界を記録し、『動物、動物たち』(1994)では、剥製の「動物たち」によ
って世界の生態系が再現=表象される様が活写される。前者は音声をもっておらず、
また後者からは動きが失われている。さらに『パリ・ルーブル美術館の秘密』
(1990)の美術品たちはいまや徹底した保存の対象であり、『行け、ラペビー!』
(1988)の老サイクリストは、もはや峠を登ることができない。彼らが織り成す表現
の世界は、ゆたかさの背後に、何らかの静けさをたたえている。

今回発表された新作『かつて、ノルマンディーで』が対象としているのは、30年前
にフィリベールが助監督として参加したあるフィルムの撮影地と、そのフィルムに
出演もしたその地のひとびとだ。1976年にルネ・アリオが監督したそのフィルム
(『私、ピエール・リヴィエールは母と妹と弟を殺害した』、日本未公開)は、
19世紀末に起きた実際の殺人事件に取材したミシェル・フーコーの研究書を原典と
している。『かつて、ノルマンディーで』は、このように複層化する表象過程にキ
ャメラを向けるが、しかし今回のフィルムには、ノルマンディーという土地やひと
びとがまとっていたはずの表象性の厚みを、わたしは感じとることができなかった。

では、これまで彼はその厚みをどのように描いてきたのか。それは静かに被写体の
現在を見つめ続けることによって、そしてときに言葉を持たぬ彼らの視線を感じと
ることによってではなかったか。今回の企画で日本初上映された中篇『動物、動物
たち』は傑作といってよいと思うが、もはや「動かない物」としての「動物たち」
を再び博物館に登場させようというこのフィルムでは、修復・保存・展示という創
造とは対立的に想起されもする作業が、実にクリエイトな領域であることが描き出
される。ここでフィリベールは、もはや光を宿してはいない剥製の瞳に照明を当て、
クロース・アップで何度も画面に認めている。何も見ていないはずの視線が、確か
にこちらに届けられる。このような視線の交換を虚構することによって、生態系の
表象=再現がていねいに画面に刻まれるのである。フィリベールの画面が美術品や
博物、また音声言語を介さぬ手話を前にしたときに生き生きとするのは、おそらく
瞳を持たない「もの」の視線を感じとるキャメラの触覚的な感性が、もっとも際立
つからにほかならない。

『かつて、ノルマンディーで』は、映画作家自身のナレーションが付され、最後は
その父の映像が突然召喚されて映画が結ばれている。そもそも作家自身が携わった
フィルムの撮影地(=ノルマンディー)を再訪するという出発点からして、これま
での作品とは質的に異なる、私性の強いフィルムとなっている。この私的な「語
り」の前景化によって、『動物、動物たち』やそのほかのフィルムにあったような
視線の触知が失われている。これまでもすばらしいと思っていた野外撮影における
光線の美しさは、村人へのインタビューのシーンなどにときおり認められるものの、
まなざすことによって現れる瞳の存在はみあたらない。まなざしそのものがゆらい
だまま、映画は幕をとじてしまうのだ。ようやく全貌を明かしつつあるこのフラン
スのドキュメンタリストに、しかしまだまだ期待していたい。

☆『かつて、ノルマンディーで』RETOUR EN NORMANDIE
(2007年/フランス/カラー/113分)監督:ニコラ・フィリベール


■萩野 亮(はぎの・りょう)
1982年生まれ。和光大学表現学部卒。映画論。ニコラ・フィリベールの旧作は一部
レンタルでも見ることができます。わたしの勤める都内のビデオ店では、先ごろド
キュメンタリーの特集コーナーを設置。フィリベールもPUSHしています。見かけた
らぜひ!



┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃04┃□『映画は生きものの記録である』ニュース(15)
┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

『映画は生きものの記録である土本典昭の仕事』の5月の上映は、東京(メイシネマ
上映会)と大阪(シネ・ヌーヴォ)で行われます。詳細は、本号の「広場」欄に記
載しています。

公式サイト: http://www.tsuchimoto-eiga.com/ 



┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃05┃□neoneo坐5月前半の上映プログラム
┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

会場はいずれも神田・小川町のスペースneo(都営新宿線小川町駅B5出口より徒歩1
分JR御茶ノ水駅聖橋口より徒歩5分)です。詳細と地図はneoneo坐のHPをご覧下さい。
  http://www.neoneoza.com/

「知られざる短篇映画を見てみる」上映会
「短篇調査団」
Shortfilm Researchers
毎月第2・第4水曜/20:00〜21:40 終映予定
16mm上映 鑑賞無料・上映カンパ歓迎
追加情報はblog版短篇調査団へ

■味噌はいずこに? の4本立(計85分)
(66) さしすせその巻...2008年5月14日 (水) 20:00〜
『砂糖 —製法の昔と今—』
1981年/19分/カラー
制作:三友エージェンシー+キネ・ユニイク/企画:精糖工業会
脚本・監督:富沢幸男/撮影:田代啓史
■日常人々がなにげなく使っている甘味料、砂糖の起源や製法の昔と今について基
本的な知識を教える。

『塩』
1976年/22分/白黒
制作:映像集団エラン・ヴィタル/プロデューサー:里中哲夫・工藤正彦
監督:岸博明/撮影:山崎明・谷口章一/音楽:小島佳男
■毎日欠かす事のできない「塩」は現在、専売制のもとで工場で生産されている。
映画はこの「工場塩」の問題点を追求する。

『酢 —豊かでさわやかな世界—』
1990年/19分/カラー
制作:電通プロックス(現・電通テック)/企画:中埜酢店
プロデューサー:栗橋伸寿/脚本・監督:長井博/撮影:栗原寛
■女性レポーターが手巻寿司パーティーに招かれ、そこで酢について興味を持つ。
酢が食生活の中でどのように使われるか、酢の歴史や効用を紹介する。

『しょうゆ』
1966年/25分/カラー
制作:岩波映画製作所/企画:キッコーマン醤油
プロデューサー:伊坂達孝/監督:花松正ト/脚本:羽田澄子
撮影:奥村祐治・関晴夫
■私達日本人の生活にはなくてはならないしょうゆはどのようにしてできるのか。
微生物の営むふしぎな働きと醸造しょうゆを作る原理や工程などをわかりやすく描
いた。

【料金】鑑賞無料! カンパ歓迎!
【お問合せ】清水 E-mail: shimizu4310@bridge.ocn.ne.jp 



┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃06┃□広場
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■新・クチコミ200字評!(73)
■清水浩之(ゆふいん文化・記録映画祭 5/30〜6/1プログラム決定!
   http://movie.geocities.jp/nocyufuin/home.html 

オススメの作品を200字以内の短評でご紹介ください!映画・ビデオ・テレビなど皆
さんがノンフィクションだと思う作品だったらなんでも可!もちろん「オススメし
ない映画とその理由!」もOKです。
本文とは別に「あなたのお名前(ペンネーム可)/掲載確認のご連絡先(メールアドレ
スor電話)/題名/制作年/監督/見た場所(よろしければあなたのプロフィールや
近況も)を付記してお送りください。
清水浩之 E-mail: shimizu4310@bridge.ocn.ne.jp /ファクス:03-3703-0839

A-069『神聖喜劇ふたたび〜作家・大西巨人の闘い』
2008年/制作:NHK/ディレクター:渡辺考
放映:2008年4月13日・NHK教育「ETV特集」
  http://www.nhk.or.jp/etv21c/ 
この番組は、通常の小説のドラマ化とは違った形で小説『神聖喜劇』の映像化を行
っている。朗読劇、マンガ版『神聖喜劇』の利用、そして西島秀俊氏を東堂太郎に
見立てたショットを組み合わせて、『神聖喜劇』の世界を映像化している。
しかし、撮影中止を求め涙を拭う大西巨人氏の夫人をもカメラは記録する。カメラ
とは残酷な装置だな、と思う。
ただ、番組中に挿入された阿部和重氏へのインタビューは要らないのではないか、
とも思った。唐突で他の部分との連続性が薄く、浮き上がって見える。
大西巨人氏が語る言葉と映像化された『神聖喜劇』の世界は厳しく、我が身を反省
せざるを得ませんでした。(脇阪亮)

B-274『船、山をのぼる』
2007年/制作・配給:戸山創作所/監督・撮影:本田孝義
5/2まで大阪シネ・ヌーヴォで上映中、5/5東京メイシネマ祭'08で上映
  http://www.fune-yama.com/ 
成田空港の新入社員が空港闘争のビデオを見て驚く姿がニュースで流れていたけど、
彼はそこに「心」があったことを初めて知ったのかも…ダムに沈む灰塚の人々も、
「山の三里塚」を戦った碑としてこの計画を選んだのだとわかる中盤から俄然面白
くなりました。家は建っても「心」の引越しは終わらず、村一番の巨木を村民総出
で運び出すのは、丸ごと失う故郷を少しでも取り戻す「心」の戦い。そんな「心」
の存在を見てほしい作品です。(清水浩之)

B-275『花はどこへいった』
2007年/配給:シグロ/監督・撮影:坂田雅子
6/14〜7/4 岩波ホールでにて公開  http://www.cine.co.jp/hana-doko/ 
エージェント・オレンジ=枯葉剤によって亡くなった元米軍人の夫が「何」を見た
か、妻である坂田さんがベトナムを尋ね歩く。近年は女性に人気の観光地となった
国に、今もなお枯葉剤がもたらした重い障害を抱える多くの人々がいること、彼ら
が毎日泣いたり笑ったり家族団欒したりしている姿を、彼女のカメラは驚きや戸惑
いも隠さず映し出す。「家族の愛」はナレーションで強調せずとも映像で伝わる筈
…我ら観客には見つめる勇気を!(清水浩之)

B-276『アイムボカン〜地雷撤去という超セレブな夢』
2008年/作:Chim↑Pom!!/出演:アキ・ラーの少年たち
第3回ガンダーラ映画祭 招待作品  http://blog.livedoor.jp/gandhara_eigasai/ 
アート集団・チンポムがセレブの「慈善癖」を痛撃したプロジェクトを自ら記録。
某国の地雷でボカンと"仕上げた"作品をオークションに出し、売上で義足を贈る思
いつきは、実行過程で「慈善」と「偽善」が入り乱れるオイシイ展開に…アンコー
ルワットと地雷が観光資源という某国のホンネが拾えた反面、アブク銭飛び交う美
術界の奇怪さを捉えきれていないのは残念。彼らのシャープな企みは、別の人が客
観視して撮る方が面白いかも…?(清水浩之)

B-277『南京の真実 第一部 七人の「死刑囚」』
2008年/制作:チャンネル桜エンタテインメント/脚本・監督:水島総
靖國神社遊就館にて4/1〜30、8/1〜31上映 全国各地で上映会開催中
  http://www.nankinnoshinjitsu.com/ 
都知事ほか“右”陣営勢揃いで支援する約3時間の大長編に「真実」を期待しました
が、巣鴨プリズン絞首刑再現劇に、松井石根大将の回想として東宝の記録映画『南
京』が引用されるだけ!エンディングに並ぶ元兵士の「虐殺なんか知らない」証言
も、“知らない”イコール“ない”では中国のチベット政策、北朝鮮の拉致被害者
報告並みの説得力…。第二部は助成金をもらってでも(?)南京攻略戦の精密な再現
を!「逃げない」力作を期待します。(清水浩之@靖國参拝もしました)

B-278『兵士たちが記録した 南京大虐殺』
2008年/制作:日本テレビ/ディレクター:中村明
放映:2008年4月6日・日本テレビ「NNNドキュメント’08」
  http://www.ntv.co.jp/document/ 
福島県の会社員・小野さんが「日曜研究家」として集めてきた、福島出身の歩兵た
ちが遺した「陣中日記」をもとに、南京攻略から捕虜処刑までの過程を朗読と証言
で甦らせる。食糧補給のないまま「徴発」で進軍をしてきた部隊が、いきなり二万
人の捕虜を抱え込んだことから始まる「能率的な惨劇」のリアリティに絶句。戦友
名簿→ご健在確認→お手紙で依頼→訪問…これを20年続けてようやく30冊入手、と
いう小野さんの取り組みに脱帽!(清水浩之)


    ◇────────────────────────◆◇◆     


■投稿:『靖国 YASUKUNI』上映中止問題—映画観客として
■中村 のり子

前号の江利川憲さんの「列島通信」を読み、拙い論でも投稿しようと思った。それ
は、江利川さんのこんな一文に深く頷かざるを得なかったからだ。「イヤーな感じ
は深まるばかりで、先の戦争前もこんな雰囲気だったのでは、と思う。そういえば、
そのことに警鐘を鳴らし続けられた黒木和雄監督の命日が今日だ(2006年4月12日
没)。ゴマメの歯ぎしりかもしれないが、嫌なことには嫌と言おう」

李纓(リ・イン)監督の『靖国  YASUKUNI』をめぐる動きについては、neoneoの読
者ならば関心を寄せていると思う。その経緯については江利川さんが記してくださ
っているので 繰り返さない。現時点で付け加えれば、既に5月からの上映館が発表
され、公開される見通しは立ったようだ。

ともかくヤレヤレ、と落ち着いてしまいそうな所ではある。でも、ここで私は改め
て考えたい。政治的なテーマを扱った作品は世の中に沢山あるだろうし、その中で
映画として面白いものもあれば、退屈なものもあるだろう。しかし、どんな内容で
あれ、出来上がった映画が公開されない、という事態には観客が怒るべきではない
か。それは、外側からの力に対しても、内側から規制する動きに対しても、変わり
はないと思う。簡単に、ああ残念だけどしょうがないね、と諦める問題ではないと
思う。映画ファンとしてその作品が見たいのに政治上の判断で上映されない、私は
そのことに憤慨したし、それが通用してしまう社会ならば、ゾッとするのだ。

私がそう敏感になるのは、やはり過去の映画史や近現代日本史における太平洋戦争
前の頃の記録にどうしても重なってくるからである。江利川さんが触れられたよう
に、最近の日本社会の風潮はかつての日本と似ているのではないか、と亡き黒木監
督は繰り返し表明されていた。それから私事ではあるが、先日「自作を語る」で紹
介させていただいた拙作『中村三郎上等兵』に登場するお爺さん達も「この頃何と
なく嫌な傾向にある気がしてね…と言っておられたのを思い出してしまう。「イ
ヤーな感じ」が積み重なって、振り返った時にはもう遅い、ということにもなりか
ねない、その危機感を持たなくてはと思う。

『靖国  YASUKUNI』については出演している刀匠の方の問題が出てきており、その
点は監督側に不足があるのかもしれない。ただ、その是非は映画が公開されてから
問題にすべきことではないか。もっとも、李纓監督が長く日本に住んで10年間靖国
神社に通い続けて撮ったということを聞けば、単なるつまらないイデオロギー映画
だとは考えがたい。

映画は世間の誰もが楽しめる娯楽だし、開かれた表現媒体だ。私は映画好きの観客
として、いろんな映画を見たいと主張する。そして映画はどこまでも興行であるか
ら、見たいという観客がしっかりしていなければ上映されなくなると思う。観客は
映画の行く末を左右している、と改めて自覚したい。図らずも今日、『実録・連合
赤軍 あさま山荘への道程』を見に行ったら、若松孝二監督が「嫌なことは嫌だと
声を出さなくちゃ」とおっしゃっていた。私は、当たり障りのない映画しか見られ
ないような社会は嫌である。こういうことを、家族や友人や映画仲間と話し続けな
くてはいけないと思う。


■中村 のり子(なかむら・のりこ)
1984年生まれ。2007年に明治学院大学芸術学科映像専攻を卒業、卒論テーマは黒木
和雄のPR映画。昨年度はイメージフォーラム映像研究所に在籍。
neoneoの4/1号に取り上げていただいた『中村三郎上等兵』が「ゆふいん文化・記
録映画祭」の「松川賞」に入賞いたしました!ご協力くださった方、本当にありが
とうございます。


    ◇────────────────────────◆◇◆     


■春のメイ シネマ祭≪5月3日(土)・4日(日)・5日(月)≫

●5月3日(土) 11時〜
A『映画は生きものの記録である 土本典昭の仕事』(2006年ビデオ94分)
  http://www.tsuchimoto-eiga.com/ 
監督:藤原敏史 出演:土本典昭

B『藝州かやぶき紀行』(2007年 ビデオ90分)13時30〜
撮影・構成・語り:青原さとし

C『ミリキタニの猫』(2006年ビデオ74分)15時40分〜
  http://www.uplink.co.jp/thecatsofmirikitani/index2.php 

D『鳳鳴(フォンミン)−中国の記憶』(2007年ビデオ183分)17時30分〜
監督:王兵、山形国際ドキュメンタリー映画祭2007で大賞

●5月4日(日)
E『あもーる あもれいら』(2007年ビデオ94分)11時〜
岡村淳監督の新作

F『ガータ〜パレスチナの詩』(2005年ビデオ106分)13時20分〜
古居みずえ監督作品

G『いのち耕す人々』(2007年ビデオ100分)15時50分〜
  http://www.sakuraeiga.com/inochi/news.htm 
監督:原村正樹 編集:四宮鉄男

H『花の夢ーある中国残留婦人』(2007年ビデオ97分)18時20分〜
  http://www2.odn.ne.jp/ise-film/works/hananoyume/hana1.htm 
東志津 監督作品

●5月5日(月)こどもの日
I 渡辺哲也監督追悼上映、11時〜
『牧野富太郎と「牧野植物図鑑」』(1995年ビデオ40分)
『四季穂高』(2005年ビデオ46分)

J『船、山にのぼる』(2007年ビデオ88分)13時10分〜
  http://www.fune-yama.com/ 
監督:本田孝義

K『サッちゃん〜作曲家・大中恩の世界』(2006年ビデオ95分)15時20分〜
監督:渋谷昶子

L 『いのちの作法−沢内「生命行政」を継ぐ者たち』(2008年ビデオ108分)
17時40分〜 監督:小池征人

会場:小岩コミュニティホール(小岩図書館 2F)
JR小岩駅 南口 サンロード徒歩8分
  https://www.library.city.edogawa.tokyo.jp/kakukan/koiwa.html 
料金:1回券は、当日1200円・前売り1000円、シニア・高校生1000円
   一日又は4回券は、当日4000円・前売り3600円
   12回(全プロ)当日11000円・前売り10000円
   小・中学生は一回600円
※3日間、各日ゲスト(監督・スタッフ)によるショート・トークを予定!

主催:メイ シネマ上映会
問い合わせ先:tel/fax 03-3659-0179(藤崎)


    ◇────────────────────────◆◇◆     


■上映:神戸映画資料館小川紳介監督全作品上映その6

5月9日(金)〜11日(日)
12:30『三里塚 岩山に鉄塔が出来た』(1972/85分/16mm)
14:10『三里塚 辺田部落』(1973/146分/16mm)
16:50『岩山に鉄塔が出来た』
18:30『辺田部落』

料金(入れ替え制/当日2本目は200円引き)
一般(非会員):1500円
会員一般:1200円 会員学生・シニア:1000円


    ◇────────────────────────◆◇◆     


■上映:大阪・シネ・ヌーヴォX『映画は生きものの記録である』&土本作品

日程:2008年5月17日(土)→30日(金)2週間
会場:シネ・ヌーヴォX(大阪・九条) 地下鉄中央線「九条駅」6番出口徒歩3分
(シネ・ヌーヴォ2F) tel.06・6582・1416
  http://www.cinenouveau.com/ 

タイムテーブル〈各回入替制〉
●5/17(土)
 11:00『映画は生きものの記録である』
 13:00『ある機関助士』+『ドキュメント路上』 15:00『パルチザン前史』
 17:30『映画は生きものの記録である』 
 19:30『みなまた日記−甦える魂を訪ねて−』
●18(日) 
 11:00『映画は生きものの記録である』 13:00『水俣−患者さんとその世界−』
 16:20『水俣一揆−一生を問う人びと−』
 18:30『映画は生きものの記録である』 20:30『よみがえれカレーズ』
●19(月)
 11:00『映画は生きものの記録である』 13:00『よみがえれカレーズ』
 15:30『ドキュメント路上』+特別上映 17:30『映画は生きものの記録である』
 19:30『パルチザン前史』
●20(火)
 11:00『映画は生きものの記録である』 13:00『パルチザン前史』
 15:30『よみがえれカレーズ』 18:00『映画は生きものの記録である』
 20:00『ある機関助士』+『ドキュメント路上』
●21(水)
 11:00『映画は生きものの記録である』
 13:00『みなまた日記−甦える魂を訪ねて−』 15:10『パルチザン前史』
 17:40『映画は生きものの記録である』
 19:40『水俣一揆−一生を問う人びと−』
●22(木)
 11:00『映画は生きものの記録である』 13:00『水俣−患者さんとその世界−』
 16:20『みなまた日記−甦える魂を訪ねて−』
 18:30『映画は生きものの記録である』 20:30『水俣の図・物語』
●23(金)
 11:00『映画は生きものの記録である』
 13:00『水俣一揆−一生を問う人びと−』 15:15『水俣の図・物語』
 17:30『映画は生きものの記録である』 19:30『水俣−患者さんとその世界−』
●24(土)
 11:00『映画は生きものの記録である』
 13:00『医学としての水俣病 第一部 資料・証言篇』
 14:50『医学としての水俣病 第二部 病理・病像篇』
 17:00『医学としての水俣病 第三部 臨床・疫学篇』
 19:00『映画は生きものの記録である』
●25(日)
 11:00『映画は生きものの記録である』 13:00『水俣−患者さんとその世界−』
 16:15『不知火海』 19:10『水俣の図・物語』
●26(月)
 11:00『映画は生きものの記録である』 13:00『医学としての水俣病
●第一部 資料・証言篇』 14:50『水俣の図・物語』
 17:10『映画は生きものの記録である』 19:10『パルチザン前史』
●27(火)
 11:00『映画は生きものの記録である』
 13:00『医学としての水俣病 第二部 病理・病像篇』 15:10『不知火海』
 18:10『映画は生きものの記録である』 20:10『よみがえれカレーズ』
●28(水)
 11:00『映画は生きものの記録である』
 13:00『医学としての水俣病 第三部 臨床・疫学篇』
 15:00『ある機関助士』+『ドキュメント路上』
 17:00『映画は生きものの記録である』 19:00『不知火海』
●29(木)
 11:00『映画は生きものの記録である』
 13:00『医学としての水俣病 第一部 資料・証言篇』
 14:50『医学としての水俣病 第二部 病理・病像篇』
 17:00『医学としての水俣病 第三部 臨床・疫学篇』
 19:00『映画は生きものの記録である』
●30(金)
 11:00『映画は生きものの記録である』 13:00『不知火海』
 16:00『水俣−患者さんとその世界−』 19:20『映画は生きものの記録である』

料金:『映画は生きものの記録である』
 一般1700円、学生1400円、高以下・シニア・会員1000円  (前売1400円)
※「土本典昭の世界」当日3回券ご使用の場合、+500円いただきます。
「土本典昭の世界」(当日のみ)一般1200円、学生・シニア・会員1000円
 当日3回券3000円、会員3回券2400円


     ◇────────────────────────◆◇◆    


■募集:「自作を語る」などの投稿歓迎!
「自作を語る」欄は、監督自らが作品について語るコーナーです。制作した動機や
撮影のポイント、編集で心がけたこと等を内容に盛り込んで頂きたいと思っていま
す。その他の投稿も歓迎します。「自作を語る」は1600字程度。監督のプロフィー
ル(150字)、作品のデータ、上映スケジュール、HP等をお知らせください。
原稿締め切り:配信日(1日&15日)の3日前までに、下記に送信ください。
E-mail: visualtrax@jcom.home.ne.jp  伏屋まで


     ◇────────────────────────◆◇◆    


■上映の告知の有料化とカンパのお願い
■伏屋  博雄(本誌編集長)

neoneoの購読は無料ですが、経費を(その大部分は稿料ですが)賄うため、上映等の
告知は有料にしています。なお皆様にカンパもお願いしていますので、ぜひご協力
ください。

(1)上映等の告知の有料化 40字×30行(行数の空きも計算)以内につき、2,000円
です。それ以上の行数の場合は加算します。

(2)カンパのお願い 一口2,000円。何口でも。
送金方法:郵便振込み:00160-8-666528 neoneoの会、又は、
みずほ銀行池袋支店、普通口座、2419782 (有)ネットワークフィルムズ
(銀行振込の場合は、その由を visualtrax@jcom.home.ne.jp 伏屋宛にお知らせく
ださい。)
以上、neoneoの継続ため、よろしくお願い致します。



┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃07┃■編集後記 伏屋 博雄(ふせや・ひろお)
┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

●本誌に3回にわたって掲載した土本典昭監督の講演は、昨年6月に『映画は生きも
のの記録である 土本典昭の仕事』がユ−ロスペースで上映された際、上映後に行
われた記録である。モーニングショーだったので、午後の作品が始まるまでの短い
時間に行われた。土本さんは体調が万全でないにも拘わらず、深い洞察を私たちに
開陳してくださった。ことに最終回の講演は、最近もっとも考え抜いてこられた
テーマだったことが窺われ、口調は力強く、観客に大きな感銘を与えた。会場は万
雷の拍手が起こった。映画に関心を持つ者にとって、実に示唆に富む講演だった。

ところで6月には、土本さんの新著「ドキュメンタリー映画のかなたへ 記録映画作
家・土本典昭との対話」が出版される予定である。これは幼年時代から現在まで、
時代と己の作品を交差させながら、土本さんが縦横無尽に語りつくした著書である。
近日中に、詳細をお知らせします。

●捕鯨にまつわる話は、とかく日本人には避けたいテーマであるように思われる。
東谷麗奈さんが日本の街頭でインタビューされた多くの日本人と同様に、私もまた、
「日本古来の文化」だとか「小学校の給食によく出たが、最近は食べていないな
ぁ」とか、確たる根拠も無く「十分な頭数が生息しているのではないか」といった
程度の知識で、海外の抗議にきちんと考えてこなかったように思う。

今回の取材をとおして、東谷さんはひとりの学者に出遭って、その背後に潜む利権
構造を知ることになる。それは業者ばかりではなく、水産庁に巣くう利害に及ぶ恐
るべき構造を照らしている。結局それは、「日本の海洋学者たちはみな政府から研
究費用を出してもらっているので、捕鯨を批判すれば研究ができない状況に追い込
まれるらしく、現状がわかっていても批判できない」、ということを暗示している。
東谷さんからの問題提起に異論・反論の方もあろうかと思う。読者のご意見を聞き
たいと思う。

■前号に掲載された江利川憲さんの「 『靖国 YASUKUNI』上映中止問題に思う」に
続いて、中村のり子さんから投稿があった。「見たいという観客がしっかりしてい
なければ上映されなくなる」という視点にたった考えである。「靖国」事件は、ま
だまだ多様な角度から論じられると思う。読者の更なる投稿をお願いする次第であ
る。



 
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