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┃n┣━┫o┣━┫e┣━┓ ★ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン
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┗━┛ ☆━┛ ┗━☆ 88-1号 2007.10.1― 佐藤真追悼号
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†01 ■追悼:佐藤真さんを偲ぶ
間 美栄子、藤原 敏史、久保田 智子、阿部 嘉昭、藤井 仁子、
綿井 健陽、越後谷 卓司、高橋 晶子、本田孝義、丸谷 肇、
清水 浩之、吉田 尚史、藤本 美津子、加藤 治代、秦 岳志、
遠藤 協、伏屋 博雄(到着順)
※88-2号へ
◇────────────────────────◆◇◆
†02 ■ドキュメンタリー映画のかたち
小川紳介と戦後日本ドキュメンタリー史が英語になった:
阿部・マーク・ノーネス著「Forest of Pressure: Ogawa Shinsuke and
Post-War Japanese Documentary」読後のノート(4) 水野 祥子
†03 ■ワールドワイドNOW ≪パリ発≫
若松孝二の旧作が評判を呼んでいる 高橋 晶子
†04 ■列島通信 ≪東京発≫
ヤマガタまであと3日! 濱 治佳
†05 ■広場
■新・クチコミ200字評!(61)
『八ヶ岳山麓 地下足袋をはいた詩人』『さよなら絶望先生』
『ヒミコさん』 (以上の評、清水浩之)
■告知:山形映画祭で<佐藤真ナイト>(10/4、9)
■告知:山形国際ドキュメンタリー映画祭からの告知
シンポジウム:「明日への架け橋―山形に映画祭は必要か」(10/6)
■投稿:富塚 正輝(山形国際ドキュメンタリー映画祭)氏からの
回答を受けて 本田孝義
■上映:「日本記録映画作家協会創立50周年記念映画祭 第2部」
(10/24・25 なかのZERO)
■募集:「自作を語る」などの投稿歓迎!
■上映の告知の有料化とカンパのお願い 伏屋 博雄
†06 ■編集後記 伏屋 博雄
★バックナンバー閲覧はこちらまで
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┃01┃□追悼:佐藤真さんを偲ぶ
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9月26日、「佐藤真さんを偲ぶ会」が日本青年館で行なわれ、9月4日の死にさまざ
まな感慨を抱いた500名余の人々が参列した。いずれも佐藤さんの人柄に親しみ、活
躍を惜しむ人たちだった。
佐藤さんの活躍分野は、監督という仕事のみに収束されない。出版等を通しての刺
激的な発言、教育現場への全力投球。それらの多面的な八面六臂の活躍は、常人の
域を越えていた。視線の先には、常にドキュメンタリー映画への活性化にあった。
つくづく惜しい人材を無くしてしまった。
本誌は今号を佐藤真追悼号とし、寄稿くださった方々の「追悼文」を到着順に掲載
する。なかには400字以内という規定を大きくはみ出す原稿もあるが、それも佐藤真
さんへの想いの故と判断し、全文を掲載した。
慎んで、佐藤真さんのご冥福をお祈りします。
本誌編集長 伏屋博雄
■間 美栄子(Art Psychotherapist)―ミアンダリング(曲がりくねった川)
佐藤さんとは二十年前に新潟で出会った。当時私は自分のしたいことが何か分らず
OLで本を読んだり映画を観たりして、いわば誰かの人生を眺めているが自分の人生
は生きていないような暮らしをしていた。
佐藤さんは、どうも、どうもと、にこにこ笑う愛嬌のある人で、私はつい阿賀に生
きるの製作委員になった。佐藤さんの書く文章は美しいなあといつも思っていたが、
佐藤さんの版画は暖かい感じがした。それから私はスタッフの一人と結婚し娘をも
うけた。映画製作の拠点だった阿賀野川のほとりの古家に暮らした。
十年前、私は娘とイギリスに移住する決意をしたのだが、旅立つ前に『阿賀に生き
る』を見た。『阿賀』の映像はあらためて美しく、どうして私はこの風景のなかで
幸せでいられなかったのだろうと悲しかった。
いま別の国で、また川のほとりに暮らす。毎日あきもせず汽車の窓からおおきく蛇
行する川を見つめている。佐藤さんがくれたものは二十年を経て育っている。
■藤原 敏史(映画監督)
佐藤真の壮絶な死と向き合うとき、故人の業績を偲んで追悼するだけでは済ませら
れない。『阿賀の記憶』でその映画の真の地平がついに前面に現れ、『アウト・オ
ブ・プレイス』から成熟期が始まると思えていたのに、なぜいよいよ自分の映画を
見いだした佐藤真が、そこまで追いつめられなければならなかったのか? 他人が
軽々に語るべきことでないのは重々に承知しつつも、それでも「明日は我が身」と
思わずにはいられない。彼に比してまだ短いキャリアしかなくとも、今の日本で映
画作家として自分が信じるドキュメンタリーを作り続けることが極めて難しく、そ
の作業が恐ろしく孤独であるのは、すでに嫌になるほど身に染みてしまっている。
佐藤真が同じ闘いをずっと、遥かに激しく戦っていたことすら亡くなって初めて気
がついた自分、学生時代に最初に出会って以来ずっとお世話になって来た彼の何の
力にもなれなかった自分が、今はとにかく情けなく思える。
■久保田 智子(元・書籍編集者)
佐藤眞さんの訃報をシグロからの FAXで知って、涙が止まらなかった。(まだ若い
のに…)という残念な思いが溢れた。ご遺族の方々は、さぞ辛い無念なお気持ちだ
ろう。
私が佐藤さんに初めて会ったのは『阿賀に生きる』の試写会の時。彼は、30歳くら
いだった。夫の幸雄が整音を担当したので佐藤さんのことは聞いていたが、実際は
思ったより大柄で、優しい声と眼差しの青年だった。
『阿賀に生きる』は、監督の人柄をよく表していて、温かい作品。私は観た後、急
いでウイスキーなどを買って会場に引き返し、佐藤さんへ手渡した。(小川紳介さん、
あなたの後継者が現れましたよ)と、思いつつ……。その時の少年のような佐藤さん
の笑顔は忘れられない。
私は45年余り、夫の関わったドキュメンタリー映画を見つづけてきたので、予算不
足のなかで創りあげる苦労と喜びを他人事とは思えない。それだけに佐藤さんには、
もっともっと映画を撮ってほしかった。心から、ご冥福をお祈り申し上げます。
■阿部 嘉昭(映画評論家)
ムラケンさんの日記で知った。『阿賀に生きる』『SELF AND OTHERS』等の佐藤真さ
んが亡くなったらしい。去年、「黒木和雄さんを送る会」で話したときはお元気そ
うだったので、何で? という衝撃が渦巻く。
現代日本のドキュメンタリーの最前線だった。ドキュメンタリーは「構成」によっ
て最終成立する、という信念を枉げなかった。東大出身者特有の学識への尊敬もあ
り、古今東西のドキュメンタリーに真摯に接し、真摯に考察した。ドキュメンタ
リー論の著作も次々に書き、どれもが卓抜な作家論、ドキュメンタリー論でありつ
つ深い、深い「現場感覚」に裏打ちされていた。
佐藤真さんと初めて話したのは10年ほど前、監督協会の忘年会のあとイマジカから
移った五反田の居酒屋でだったろうとおもう。佐藤さんの隣には林海象さんがいた。
この年の新人監督賞選定の経緯が非常に面白かった。その内輪話を佐藤さんは、い
までは遺著になってしまったことになるのか、今年刊行の『ドキュメンタリーの修
辞学』に収録された文章で抱腹絶倒のおもしろさで書いていた。
その初遭遇の席で、佐藤さんは僕の著作を読んでいるとわかる。全然ちがう立脚点
をもつ理論派の正対峙といったら大袈裟か。即座にAVをドキュとして認めるか、と
いう話になった。僕はカンパニー松尾や平野勝之の話をしたとおもう。扱われる題
材に難色をしめすことができても、そこに「構成」があり、社会がえぐられている
という僕の言葉にその場の佐藤さんが進退窮まった。相手のそうした気配にこっち
のほうの肌が粟立った。ここで生じた難題を、その後も佐藤さんは引きずった。セ
ルフ・ドキュメンタリーにたいする複雑な是非の吐露は前述『ドキュメンタリーの
修辞学』冒頭のほうの収録文章で佐藤さんがかなり重い筆致で書いていた(本は研究
室に置いてあり、手許で確かめることができない)。
それでも佐藤さんは不偏のひとだった。その後のセルフドキュとAVの熱い接点とな
った松江哲明君を佐藤さんは「構成=ドキュ」の見地から褒めていた。ドキュが社
会派の立脚では苦しくなりつつある点も認めていた。佐藤さんの誠実なドキュと、
森達也さんの奔放で、観客−作り手の関係を審問にかけ、壊すドキュ。「ドキュメ
ンタリーは嘘をつく」のか「つかない」のか。ここ何十年かは「佐藤vs森」でドキ
ュの中心が推移するだろうとおもっていた。だから佐藤さんも森さんが企て、ムラ
ケンさんが監督したTV東京OAの挑発的なドキュ『ドキュメンタリーは嘘をつく』に
喜び勇んで、話し手として登場してきたのだろう。
佐藤さんのドキュは「苦しい」面があった。その「苦しさ」が直視されなければな
らない。
ところが颯爽と引っさげた『阿賀に生きる』で佐藤さんは当時の心無い中心的映画
評論家から「小川紳介の再来」と表面的な賛辞を浴びてしまう。あの作品で阿賀の
川沿いを生きる人々の姿には確かにあっけらかんとした可笑性が捉えられていたが、
同時にあの作品には「共同体制での長期間撮影」が小川プロ時代から下がるといか
に苦しいかが滲み出ていた。評論家の賛辞をよそにおそらく佐藤さんはあの時点で
ドキュメンタリーに内側から真摯に・孤独に接することになった。
その佐藤さんが自分の範として誰を置いたかはわかる。小川プロが三里塚を去って
のちただひとり三里塚に残ってドキュを制作しつづけた福田克彦だ。故・福田克彦
だけが『阿賀』の至福の宴会場面を「要らなかった。切るべきだった」といった。
それが佐藤さんのその後の指針となったはずだ。
「現代詩手帖」02年7月号のドキュメンタリー特集で僕は対談相手の福間健二さんと
かなり佐藤さんについて話している。佐藤さんには複雑な態度をとった。『SELF
ANDOTHERS』を褒める反面で『花子』をドキュメンタリーの制作動機が後発的だとし
て許さなかった。真の出会いなど、あの作品にはなかった。
この時点では『阿賀の記憶』がまだ完成していない。完成していれば、これにも複
雑な態度をしめしたかもしれない。この作品には『阿賀に生きる』を前提にしてい
る傲慢がある。
そんなもの知っちゃいねえよ、という客に近づかないのだ。ところが阿賀の流域を
10年ぶりに再訪し、「にんげん」を通り越してあらゆる光と音を喪失の相で見据え
つづける作品は肺腑を抉る哀しみにみちていた。朦朧としたアートな光、二重露光。
画面の霊性。構成の意図的破綻。この作品で佐藤さんは『阿賀に生きる』への過褒
をひそかに「苦しんでいた」のだという感触を僕は得た。
その後の『エドワード・サイード』は佐藤さんのフィルモグラフィを代表する傑作
だった。
牛腸茂雄の「喪失」後『SELF AND OTHERS』が撮られたように阿賀の「喪失」後『阿
賀の記憶』が撮られたようにこの作品もサイードの喪失後に、サイードが撮られた。
佐藤さんは『阿賀に生きる』ののち「事後性」の作家に変容した。その「事後性」
が悪く作用すると芸術的才を示す障害者がいると聞き現場に赴いた『花子』になる。
『サイード』はサイードの少年期の痕跡をプルースト小説の香気を伴って追い、や
がては余人の口からサイードを語らせて、サイードの「人」を、「思想」を、じわ
じわ浮かびあがらせてゆく。原一男『全身小説家』後半の手法は踏襲されていない。
なぜなら、映画はとんでもない領域に入ってしまうからだ。
パレスチナにはアラブ人とイスラエル人が「共生」している領域がある。そういう
事実はこの二元論社会では秘匿されている。ということで入っていったカメラは
「世界の内側を抉る」生臭い動勢をともなっていた。いや、「生臭い」のに「静
謐」なのが佐藤さんの個性だった。ともあれそこで、「一国二民族主義」が画餅で
はなく実在として生きられてさざめいているという認知を得る。佐藤さんのドキュ
が平板な社会性から離れ深甚なメッセージを繰り出した瞬間、それを忘れることが
できない。
雑誌「d/SIGN」「写真と都市生活」の原稿で佐藤さんの『SELF AND OTHERS』を前振
りにして映画美学校・遠藤協君の『写真をよろしく』を論じたばかりだった。たぶ
ん遠藤君は佐藤さんの生徒だったろう。だからその原稿を佐藤さんに読んでもらう
のが愉しみだった。僕は佐藤さんの『SELF AND OTHERS』をその原稿で次のように端
的に表現する。
《身体に有徴性を帯びつつ夭折した写真家・牛腸茂雄に焦点を当てたものだったが、
評伝ドキュではない。眼前の対象の他者性を見据える牛腸の視線(これは彼が数々
撮った静謐な肖像写真のすべてに現れている)と観客の眼を再帰的に直面させる、
熾烈な写真論映画だった。見ることとは何か。観客はそんな難問に出会い、自身の
存在の他者性も知る。》
佐藤さんと森達也を比較すると、佐藤さんのほうが真摯だという評言は当たらない
だろう。
どちらも真摯、というのが正しい。ただ佐藤さんが森さんにたいし絶対量の多さを
誇るべきものがある。「孤独」の分量がそれだ。対象に単身突入する森さんを想定
するとヘンな物言いかもしれない。「そうはみえない」という意見が趨勢だろう。
だが僕には「そうみえた」。
だから佐藤さんの作品が僕には貴重で忘れがたかった。佐藤さんの穏やかな風貌か
らそんな奥行も感じられた。―合掌
■藤井 仁子(ふじい・じんし 映画学)
「佐藤真批判」を書くつもりだった。だが間に合わなかった。『阿賀に生きる』の
2時間を切る上映時間が嘘だと思った。『まひるのほし』や『花子』の笑って泣ける
巧みな構成と編集が嘘だと思った。『SELF AND OTHERS』で田村正毅と西島秀俊を起
用するセンスのよさが嘘だと思った。『阿賀の記憶』で田んぼ跡の風に揺れる野外
スクリーンに遠い記憶を映し出す知性が嘘だと思った。批判されるべきだと思った。
しかし、偉大な土本・小川が通った「跡地」を遅れて訪ね、進んで「遅刻者」たる
ことで辛うじて作家となりえた佐藤真は、それくらい自分でわかっていたはずなの
だ。それが、私に批判の筆を執ることをためらわせた。突然の訃報に接した夜、独
りシューベルトを聴いた。それは、断じて『エドワード・サイード OUT OF PLACE』
で聴かれたバレンボイムのごとき演奏であってはならなかった。私から佐藤真への、
遅すぎた「批判」だった。
■綿井 健陽(ビデオジャーナリスト/『リトルバーズ イラク戦火の家族たち』撮
影・監督)
今年9月4日、所用でサンフランシスコに向かった。そのとき飛行機の中で読むため
に持参したのがちょうど「ドキュメンタリー映画の地平」上下2冊の本だった。そし
て現地に到着後、ネットのニュースで佐藤真さんの訃報を知る。佐藤さんとは05年
4月の「香港国際映画祭」前夜パーティーの会場で、佐藤さんのご家族と5人で一緒
にテーブルを囲んで楽しい食事をした。「子どもの方が外国での映画祭を楽しみに
しているんですよ。映画じゃなくて、おいしい料理を食べられるのが目当てなの
で」と佐藤さんは笑って言っていた。
佐藤さんはいわゆる評論家としての立場ではなく、現場の映画監督の目線から世界
のドキュメンタリーを解読して、その作品の魅力を様々な機会で紹介してくれた。
いつも観客や学生、若手から外国人まで映画監督・関係者に囲まれて作品の批評や
感想をざっくばらんに話していた光景が印象的だった。今度は天国で自作の映画の
続きをゆっくり撮影してほしい。
■越後谷 卓司(愛知県文化情報センター主任学芸員)
愛知芸術文化センターでは2001年12月に開催した「第6回アートフィルム・フェス
ティバル」で、佐藤真さんのアート・ドキュメンタリー『SELF AND OTHERS』(2000
年)の愛知初上映をさせていただいた。この時のプログラムは、当センター・オリジ
ナル映像作品『フーガの技法』(2001年、石田尚志監督)のプレミエや、ジョナス・
メカスの新作『歩みつつ垣間見た美しい時の数々』(2000年)を日本初上映するなど、
多彩な内容だった。振り返ってみると佐藤さんは、著作の中でジョナス・メカスに
ついての論考を展開するなど、実験映画や個人映画も視野に入れた柔軟な姿勢を持
った方で、今は亡き不在の対象である写真家の故・牛腸茂男を、不在の存在として
撮るという独自のユニークなアプローチを持つこの作品が、実験映画とドキュメン
タリーを橋渡しする役割をプログラムの中でしていたのではないかと思い、他に代
え難い才能を失ったことの重みが改めてこみ上げてきた。
■高橋 晶子(映画・TV関係のコーディネーター)
佐藤真監督の訃報の知らせを聞き、私もまたショックを受けた者の一人でした。
2002年8月にフランスのリュサス・ドキュメンタリー映画祭からの招待に答えられ、
ご自身の作品数本と小川紳介作品の紹介役として来仏された際に通訳・翻訳を担当
させて頂き、その真面目で家族想いの姿に感銘を受けたのをよく覚えています。翌
年には、牛山純一氏についてのドキュメンタリーを準備されており、当時生前のジ
ャン・ルーシュのインタビュー撮影などのお手伝いをさせて頂きました。パリ・モ
ンパルナスのごく普通のカフェで、高齢で記憶おぼろげなジャン・ルーシュを前に、
穏やかに暖かく質問を投げかける佐藤さんの横顔が今でも目に浮かびます。心が痛
みうまく言葉では表現できませんが、佐藤さんの書かれた本を今一度手に取り読み
直しています。
■本田 孝義(映画監督)
佐藤真さんの死をどう受け止めればいいのか、いまだに私は混乱している。佐藤真
さんの活動に思いをはせるとき、誰でも思い浮かべるのは次の3つの顔だろう。映画
監督、ドキュメンタリー映画を教える教育者、そして鋭い分析を書き続けた批評
家・文筆家である。これらの活動で佐藤真さんが追い求めてやまなかったのは、ド
キュメンタリー映画の理想ではなかったか。しかし、私には映画監督・佐藤真が教
育者・文筆家の佐藤真に追い詰められたように思えてならないのだ。実作者である
ことを辞めない限り、ドキュメンタリー映画について語ることはその刃は常に自分
にも向いている。自分が追い求めるドキュメンタリー像はますます険しいものとな
り、どうすればそこに辿り着けるのか苦闘していたのではなかったか。残された私
たちは、せめてその苦闘の痕跡をたどり、3つの顔を同時に持てなくとも、どれか一
つ、ドキュメンタリー映画を作り上映し、後進を育て、批評する営為を続けるしか
ない。
■丸谷 肇(映画美学校ドキュメンタリー高等科)―「旅の途上で」
一昨年の今頃のことです。
突然、佐藤さんから台湾で行われた小さな映画祭になぜか私のような者が誘われま
した。
映画祭の初日朝から晩まで一日中、字幕なしの中国語圏の映画を真剣に見つめる佐
藤さんの姿は、私たちの授業の時と寸分違いありませんでした。
3日目になり、疲れたから今日は鉄道で田舎でも行ってみようかと普段の笑顔で言わ
れ、我々は計画もないまま、台湾のローカル線で小旅行をすることになったのです。
最寄の小さな駅に着くと、佐藤さんは僕ちょっと買い物してくるから駅で待ってて
と言い残し、やがて列車の時刻も迫った矢先、大きなビニール袋を両手に抱え、向
こうの方から足早にやってきました。
列車に乗り込むとニコニコ笑い、やっぱりこれがないとね、はいビール2本ずつ、僕
は買ってきたから3本と言って手渡し、あとはこれ、紹興酒と真ん中に大きなビンを
置き、さすがにこの時間から紹興酒やってるのは僕らぐらいだろと言ってみんなで
大笑いしたのでした。あの日のことは私にとって、生涯忘れられない思い出となる
でしょう。
■清水 浩之(映画美学校出身)
1999年に始まった映画美学校のドキュメンタリーコースは、企画会議も撮影実習も
試験も卒業もない…というゲゲゲの鬼太郎並みにユルいカリキュラムで、私のよう
に「日本映画学校に入る勇気のない人」には素敵な学校…いや「部活」でした。
“首謀者”の佐藤さんは先生というより「ずっと学校に居残っている長老のセンパ
イ」みたいな存在で、「GW明けの発表者がいないんだけど、清水くん何かネタな
い?」という一言から作り始めた『GO!GO!fanta-G』(2001年)は、佐藤さんがアハハ
ハ…とウケたところは残し、ウーンと困ったような微笑を浮かべたところは外して
完成させました。今週開催する山形映画祭の「ドラマティック・サイエンス!」を
お手伝いしているのですが、古今の科学映画を「森羅万象のドラマ」として楽しむ
“企み”が佐藤さんにウケるかどうか、感想を聞けないのが非常に残念です。ぜひ
夜の香味庵に来てダメ出してください、佐藤さん!
■吉田 尚史(映画美学校出身・精神科医)―佐藤真さんへ 感謝を込めて
現在私は精神医療に従事している七年目の医師である。それと同じくらいの期間、
佐藤真さんの教え子として映画美学校内外でお世話になった。心から故人とご遺族
に感謝の気持ちを伝えたい。
9月5日、訃報のメールを映画美学校事務局から受取り、すぐには実感が湧かなかっ
た。山上徹二郎氏がお書きになった文章を何度も読み返した。精神医療に従事する
者として、二重にショックを受け、病いの意味を考えざるを負えなかった。
いつかまた講義や、御指導を受けられると気軽に考えていたが、永遠にかなわぬも
のとなった。自分に課題を課すとすれば、民族誌映画を一本は完成させること、日
頃の活動を通しての実践であろう。せめてもの故人への恩返しにしたい。
■藤本 美津子(映画美学校ドキュメンタリ−ワークショップ)
佐藤真監督の仕掛けに満ちあふれた映像から、かすかに故エドワードの声が届いて
きた。2006年12月9日鎌倉生涯学習センターホールで162名が、眼をこらし耳を傾け
て渾身のロードムービーを見た。(佐藤さんは、行かれないんだ、よろしくお願い
します、とおっしゃった.)エドワード・サイードがパレスチナの地に希求している
ものを、映像に刻印したい佐藤さんの心情が痛い映画だった。エドワードの希求か
らずれていく現実がある映画だった。
長江の巨大ダム建設を、日本は二度と持ち得ない中国の時代のエネルギーとみる意
見に関心を示されていた。破戒として捉える角度だけではなかった。これからもず
っと世界の見方を教えていただくとおもっていた。
誰にも変わらぬあの笑顔で声をかけてくださる大樹でした。有難うございました。
■加藤 治代(『チーズとうじ虫』監督)
とても悲しい。もちろん安っぽい涙なんて決して出さないけど、まるで背中の一番
奥の骨が突然失われてしまった様に、何を基準に立てばいいのか。疑問や困惑、無
力感に、いっぱい傷つけられてしまうけれど、それを癒す事も、ましてや楽しい思
い出にしてしまう事も絶対に許されない。なぜなら生徒である私達に、その傷とき
ちんと向き合い続ける事を、佐藤さん自身が教えてくれていたと思うのです。これ
から良い作家、素敵な作品が、佐藤さんの生徒達の中から、沢山出てこなくてはい
けません。そして、「佐藤真は作家としてはもちろん、教育者としてもとても素晴
らしかったんだ…」と誰かさんに言わせなくちゃだめ。生徒である私たちが、佐藤
さんに出来る、唯一の事ですから‥。
■秦 岳志(映画編集)
9月5日の午後に山上さんから連絡を受けて以来、まるで全ての時間が止まってしま
ったかのような日々が続いています。まだ、とても、心を落ち着かせて追悼文など
というものを書けるような気持ちではありませんが、これも皆さんとこの事件を少
しずつでも受け入れていくための1つのプロセスになればと思い、拙い文章ながら、
書かせていただきます。
躁うつという病気の性質上、自分にはあれ以上のことは出来なかった、と、客観的
には分かっていながら、今でもまだ、あの時にこうすればよかった、もっとこの病
気について深く理解出来ていれば何か出来たのではないかと悔やんでばかりいる毎
日です。特に、会う度に落ち込みの度合いを深めていた、昨年の映画監督協会での
一連の出来事が起きていた時期、こんな私でも、もっと力になってあげられたので
はないかと思うと悔やんでも悔やみきれません。
今はただ、残された映画や著作を再び紐解き、またこれまでの対話の1つ1つを思い
起こしていく事で、少しずつこの佐藤さんのいない世界という現実を受け入れてい
くしかないのでしょう。まさにこれまで佐藤さんとやってきた作業の中で1つずつ発
見してきた、人々の「記憶の力」に、今自分自身が助けられている気がします。そ
してその記憶の数々は、先日行われた「偲ぶ会」で上映されたスライドの最後に、
佐藤さんの「声」がかぶさってきた瞬間、まるで心のダムが決壊したかのように雪
崩をうって溢れ出てきたのでした。今回の事件の全てを受け入れ、消化することは、
最初から無理な事なのでしょう。でも、この尽きない記憶を糧に、これからも毎日、
佐藤さんと対話を続けながら生きていけたらと思っています。
■遠藤 協(映画美学校ドキュメンタリー高等科)
佐藤さんに最期にお会いしたのが映画美学校での最期の授業となった8月22日でし
た。この一年の闘病生活のなかでは、この日は大分落ち着いた様子にみえて、少々
持ち直してきたかと期待した矢先の一週間後の悲報でした。狭い教室で佐藤さんの
背後に陣取った私は、その大きな背中を見つめる位置にありましたが、ずいぶん痩
せられたな、と印象した覚えがあります。佐藤さんの死の原因については、詮索し
てもしょうがないといまは考えていますが、この突然の出来事によって多くの方々
と同様にいろいろなものが宙ぶらりんの状態で、刻印でも刻まれてしまったような
格好です。佐藤さんのとんだ置き土産のおかげで一同あたふたするばかりですが、
これさえもひょっとすると佐藤さんの戦略だったのではないかと思われる時さえあ
り、ならばいまはそれに乗せられたと思うことにして、これからどうしたものか
悶々と悩む日々です。
■伏屋 博雄(本誌編集長)
佐藤真さんの第1作『阿賀に生きる』は内外の絶賛を浴び、しかも興行的にも成功を
収めた。誰しも羨むほどの好スタートをきった佐藤さんは、その後、『SELF AND
OTHERS』、『阿賀の記憶』『OUT OF PLACE』など。実験精神に富む作品を連発して
いった。それは多くの者に快調な歩みとして確認されたが、果たして佐藤さんには
どのように受け止めていたのか。ましてや出版等をはじめとする全方位からドキュ
メンタリーを厳しく批評する立場を併せ持つ身にとっては、常に厳しく自作を問う
ことだったのではないか。映画をつくることと批評すること。このベクトルが切り
結ぶ接点に、佐藤さんは常に身をさらしていた。
『阿賀に生きる』以前、佐藤さんは小川プロのスタッフを志望したことがあり、小
川紳介の『1000年刻みの日時計』(1986)の役者出演現場での協力スタッフとして
駆けずり回った。そこで見つめた集団と個の関係も、彼の終生のテーマだった。
※88-2号へ
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