ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン neoneo |
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┃n┣━┫o┣━┫e┣━┓ ★ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン
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┗━┛ ☆━┛ ┗━☆ 87号 2007.9.15
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†01 ■ドキュメンタリー映画のかたち
小川紳介と戦後日本ドキュメンタリー史が英語になった:
阿部・マーク・ノーネス著「Forest of Pressure: Ogawa Shinsuke and
Post-War Japanese Documentary」読後のノート(4) 水野 祥子
†02 自作を語る 『花の夢〜ある中国残留婦人〜』 東 志津
†03 ■ワールドワイドNOW ≪ニューヨーク発≫
戦争の代価、加担する自分 東谷 麗奈
†04 ■映画時評
『ミリキタニの猫』 萩野 亮
†05 ■neoneo坐9月後半の上映プログラム
†06 ■広場
■新・クチコミ200字評!(60)
『人事も経理も中国へ』『となりの801ちゃん』
『拝啓総理大臣様』 (以上の評:清水 浩之)
■本田孝義氏の「山形国際ドキュメンタリー映画祭への提案」に
回答します 富塚 正輝(NPO法人 山形国際ドキュメンタリー
映画祭 副理事長・事務統括)
■「佐藤真さんを偲ぶ会」のご案内(9月26日 日本青年館)
■佐藤真さんを偲んで、追悼文を募集します(9月28日まで)
■募集:「自作を語る」などの原稿募集!
■上映の告知の有料化とカンパのお願い 伏屋 博雄
†06 ■編集後記 伏屋 博雄
★バックナンバー閲覧はこちらまで
まぐまぐ配信 http://blog.mag2.com/m/log/0000116642/
melma!配信 http://www.melma.com/backnumber_98339/
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┃01┃□日本のドキュメンタリー映画のかたち
┃ ┃■小川紳介と戦後日本ドキュメンタリー史が英語になった:
┃ ┃ 阿部・マーク・ノーネス著『Forest of Pressure: Ogawa Shinsuke and
┃ ┃ Post-War Japanese Documentary』読後のノート(4)
┃ ┃■水野 祥子
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●三里塚作品と『1000年刻みの日時計』
『日本解放戦線・三里塚の夏』(1968)と『日本解放戦線・三里塚』(1970)は、
感覚、身体に直接訴えかける映像と、それとは一見対称的な静の映像とが織りなす
緊張感溢れる闘争の内側の映画である。前回も述べたが、ノーネスが言うように、
観客を惹き付け、行動に動かすドラマがある。しかし、今回見て感じたのは、作家
たちが対象の側にいることを感じさせ、臨場感を与え、思い切り引き寄せておきな
がらも、冷ややかに、時にはユーモアを持って、見る者を対象/画面から引き離す
ことだ。動のシーンに燃えついた火を水でぱっと消すかのように突然訪れる静の
シーン、そしてそれが繰り返されるとき、そして、ひとつひとつのショットの構成
や音楽、簡潔すぎる字幕、ナレーション、時折入る風景ショットに、その様な距離
をつくる効果があるように見える。このからくりは単純ではない。
上記2作において、闘争の「動」の場面では、対象のすぐそばで回っているカメラが
捉えた映像は、ノーネスが言うように確かにこれまでにはなかった「原材料」のよ
うな、荒々しく粗野な現実感がある。その荒い映像には見るものにめまいすら与え
て身体を反応させてしまう「超越的」な暴力の表象だ。複雑な心情を吐露する
「静」の場面の農民たちは、顔の一部しか見えないようなクロースアップから、逆
光に照らされ陰影を得たショットのなかで高貴な美しさをみせる。迷い、悩みなが
ら闘争続行の決心を語る彼らの映像を、その音声のずれのある隙間に立たされた私
は、一方で、きれいだと感じるのはなぜだろうと自問自答してしまうような時間の
流れと映画世界との距離感に気がつく。他方では、心情を語る声に同情してしまう
同一化の作業を同時に求められる。そこからまた闘争の場面になり、また突然静粛
が訪れる。戦う人間が、自分にとっての闘争の意味を語る場面だ。この動と静の振
り幅から生まれる距離感は、ダイレクトシネマが求めるような対象への同一視を促
さない。
『日本解放戦線・三里塚』(1970)のラスト近くで、決意の執念城、という手書き
の文字が見え、夜、土を掘りおこす男たちの明かりに照らされ浮かび上がる顔や体
の線に彼らの冗談まじりの会話、笑い声、口笛、鼻歌、が聞こえてくる。続く真昼
のショットでは、ひとりが公団の男性の目の前でひどく抗議する。空港建設が遅れ
ることを認めた、という字幕がでて、ひとまずのハッピーエンドである。目出度し
目出度しで終るはずがないこの闘争に、ひとときの安心感を与えられた観客は、こ
こでも意表をつかれるであろう。または、戦いはこれからである、という不安が聳
える、ぞくぞくするような余韻を残すエンディングである。
『三里塚・辺田部落』(1973)は、三里塚作品初期にある暴力的なシーンが希少で
あるようだが、若者が逮捕を繰り返され、身柄を案ずる農民たちの不安を伝える
シーンが交互となるこの作品は、クライマックスのない映画でなく、ショットのひ
とつひとつがクライマックスなのだ。初期作品の固いナレーションや交響曲の讃歌
はなく、方言で語る対象の農民についてコメントするかん高く早口な小川のコメン
トが観客に話しかけてくるような軽い語り口で解説をくれる。非常時なのに、この
カジュアルさはまごついてしまうほどだが、それが雄弁に伝えているのは、戦いな
がらも農民たちは、畑を耕し、食べ、集い、儀式を続け、日々の営みを繰り返して
いるということ。戦線ではだれよりも戦闘的な「このおばさん」が包丁と野菜で男
根に似せたお供え物を作るシーンは、芸術作品だよ、という自分を笑いとばす明る
い日常の世界である。それを語る小川の声は、??なんだよね、??そうじゃないです
か、???だそうです、と、張りはあるが柔らかい。続く映像は子供が村に認められる
という古来の儀式であり、次に小川は、闘争がその昔あった講のような集団で結束
しなにかをするという伝統を蘇らせた、と語る。画面は地を這う蛇である。私はこ
のような脱線に驚かされ、楽しみ、考え、笑わされ、小川が頭の中でどれだけ対象
から離れていたかを確認したような気がした。
この時期に製作されたアメリカの闘争についてのドキュメンタリーといえば、必ず
教科書にでてくる『ハーラン・カウンティー・USA』(バーバラ・コップル監督、
1976)だろう。ケンタッキー州ハーラン区にある炭坑のある町が大きく揺れた1973
年に始まる18ヶ月のストライキとその前後の歴史が描かれており、ダイレクトシネ
マの臨場感に加え、企業が雇った拳銃の前に撮影クルーとカメラが楯となり不当な
暴力を紛糾する証言となった例が確認できる映画である。女性監督らしい視点は、
前面に出て戦う女性たちに大きな焦点を置いていること。ついに炭坑夫側に死亡者
が出たとき、犠牲者の母親と20歳にも満たない乳児を抱えた妻の悲しみも描かれる。
ここにカメラがなかったら、その後悲惨な敗北と過酷な労働条件は変わることはな
かったであろうと思わせる。
『ハーラン・カウンティー』と小川プロの初期三里塚作品には大きな違いがある。
かならず裏を見せることである。この映画には、闘士たちが考えながら迷いを吐露
する場面はでてこない。この点、三里塚シリーズは、 勇姿を映し、変わらない日常
や煩悶する弱さも見せる。目と肌、指、をじっくりと眺めさせ、不安と決意の声を
聞かせる。
小川プロの三里塚作品について語りながら、60年代の映画について、ノーネスは完
全に見る者を対象に感情移入させる、と言っている。前回もすこし触れたように、
私が今回見て感じたのは微妙なところで完全な感情移入すら否定しているような感
覚だった。見る者を誘い込んで離さない映画の魅力があるが、小川プロは側にいる
ようでも決してその中の一部となっていないことを常に伝えもする。 蓮實重彦は、
小川は対象と「決して同じ水準に立つことはなく、同じことを考えてもいなかっ
た」と言っており、なにが彼にそう言わせたかには触れず、謎解きのように読者
(トークなので聴衆)に投げかけられているだけが、これには私も同意である。
(※43)
土本典昭もそうだ。「距離」が顕著に現れているのが、(少し後になるが、)『よ
みがえれカレーズ』(1989)であろう。ここではーーと聞きました、???だそうです。
という伝聞調のナレーションが、「他所から来た観察者」という土本の立場を明確
化する。英語字幕版にはこのニュアンスがないのが残念でならなかった。水俣シ
リーズを語るとき、「共生」という言葉を使ってきた土本が、実際には隣にいても
決してその共同体の一部になりえることはない外者である自分を常に押し出してい
るし、その手がかりがこの地理的、文化的にさらに遠い国、アフガニスタンで見た
ものを語る土本の語りにある。『水俣:患者さんとその世界』(1971)を見たエリ
ック・バーナウは土本をジャン・ルーシュとエドガール?モランが提唱し実践したシ
ネマ・ヴェリテという範疇に置いたのはこの「距離」を(他者である作家のカメラ
による)「触媒作用」(camera provocateur)として認めたからであろう。(『世界
ドキュメンタリー史』 258)
ドキュメンタリーの可能性を限りなく広げた大作『1000年刻みの日時計』(1986)
の一揆シーンの撮影について、小川プロが牧野村へやって来る道案内役をした木村
迪夫は、「あれほど村全体が一致団結したことはかつてないし、これからもないだ
ろうと。あるとすれば、二百四十年ぶりに村全体を一個の共同体として再生させて
くれた、という気がします。」と語っている。(※208) 数百年という時間を隔て
た出来事をいとも簡単に口にする彼の言葉には、この作品にも見ることができる牧
野村の人々が持つ時間感覚を確認できる。
ノーネスは、この映画が、一見時間が止まっているような村に確実に起きた近代化
を伝える映画と示唆していることは面白い指摘だと思う。それに加えて、そこに暮
らす人々が持つ特異な時間感覚を描いた映画だと私は思っている。 水はけの悪い田
んぼの問題解決に調査を重ねる小川プロの懸命な手工業的サイエンスのプレセン
テーションから、昔灌漑を助けた謎の女性についての話が語られる流れは、呼応と
対峙をひき起こし、またそこでずれが生まれる。つまり、(失礼ではないといい
が、)私は、そこで演じられる模型や図面を使ったプレゼンテーションが、真剣な
だけにいとも滑稽でおかしな効果をつくり、遊び心たっぷりの小川流の「農業今昔
物語牧野村編」と、それがこの映画の観客とも対象とも同化を拒否する「距離」を
つくっていると感じた。
この「距離」を、長い調査で得た豊富知識を礎に創造的にかつ自由に表象する「再
現」という方法は、欧米の80年代からのドキュメンタリーに、公の歴史で語られて
いない黒人、在米日本人、ゲイ、レズビアン等、さまざまな 「文化的少数派」から
見たもうひとつ歴史を表現する方法として戦術的に使われてきた。この一揆シーン
が最高潮となり終末を迎えるが、その他のユーモア溢れる伝承の再現シーンや、な
にもない村の表面をコマ送りで表象する風景のショット、カメラに向かって村や家
族の歴史についての村人による長い語り、鼓動のような実験的パーカッションの
ビートや田んぼの沼地を進む生々しい足音、終末の登場した村人たちが手を振って
挨拶する行進の場面など、あらゆる映画的デバイスを駆使して、この村の現在に流
れる時間のなかに圧縮されていた過去を呼び起こしてみせた、玉手箱のようなドキ
ュメンタリー映画であると思う。 村人たちの長い語りは、再現以上に華やかな映像
を見る者ひとりひとりが描く自由を与える効果をくれている。
70年代後半から隆盛する私ドキュメンタリーは、自分と自分の周りの人々への距離
をどう伝えているのだろうか。私は多くを見ていないのでその傾向について何も語
ることはできない。いずれにしろ、ドキュメンタリーとして人になにかを伝えると
きは、対象として公の社会を撮っていようが、自分をとっていようが、この「対象
との距離」が必要なのだ。後者において、カメラを持つ主体としての「私」とカメ
ラの前にいる対象である「私」との距離にあるものを突き詰めることによって、
ノーネスの言う理論的裏付けや問題意識に大きな広がりのある映画となるはずであ
る。
※映画新聞編 『小川紳介を語る:あるドキュメンタリー監督の軌跡』
フィルム・アート社 1992年。
■水野 祥子(みずの・さちこ)
小川プロ作品、 満喫しました。まだ見ていないものは、ぜひいつか…。
―ところで前掲の『小川紳介を語る』は小川さんが亡くなった4ヶ月後の追悼上映会
でのトークの記録ですが、ここで蓮實重彦氏が『阿賀に生きる』(1992)を完成さ
せたばかりの佐藤真さんを紹介し、この作品を見て蓮實氏は「あっ、これでリレー
が完成した」と思ったと言っています。(49) 多くの人々に感動を与え若い作家
たちを育てた佐藤さんが持っていたバトンはもう次の走者に渡されていると期待し
て、今年の山形に挑みます。
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┃02┃□自作を語る
┃ ┃■『花の夢〜ある中国残留婦人〜』
┃ ┃■東 志津
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今年の夏は戦争をテーマにしたドキュメンタリー作品が特に多く、注目を浴びてい
たように思います。終戦から62年が経ち、存命する戦争体験者たちの生の声を残す
のもあと何年か、という危機感のようなものが盛んにテレビなどでコメントされて
いました。たまたま完成披露の時期が7月だったということもあり、この『花の夢〜
ある中国残留婦人〜』もその作品の一つとして取り挙げて頂く機会がしばしばあり
ました。制作した側としては、そのようなことを強く意識したわけではないのです
が、時代は確実に、切実に戦争から遠ざかりつつあるのだということを痛感します。
この映画の主人公、栗原貞子さんは現在81歳。今は東京の江東区に暮らす元中国残
留婦人です。残留婦人とは、戦争中、中国の東北部(旧満州)に、主に開拓移民と
して渡り、敗戦の混乱の中、日本へ帰国することができず、そのまま中国に置き去
りにされた女性たちのことを言います。敗戦時12歳以下であった人たちを残留孤児、
13歳以上であった女性たちを残留婦人と国は定義づけています。13歳以上であれば
正常な判断ができる大人とみなし、彼女たちが中国に残ったのは自らの意志である
というのが日本政府の見解です。栗原さんは18歳で満州へ渡り、日中国交回復後の
1980年まで、35年間を中国で暮らしました。
私自身は、栗原さんと出会うまで“残留婦人”という言葉すら知りませんでした。
まして“満州”が何であるかということも。同じ日本という国に生まれ、同じ女性
でありながら、こんなにも辛く理不尽な人生を生きた日本人の女性たちがいたこと、
そして彼女たちが今もなお私たちと同じ社会に存在していること、そして何より、
そのことを私たちが知らない、知らされていないということが、情けなく、申し訳
ないような気持ちで、それが作品を最後まで創りきる力になったように思います。
現在の私たち日本人にとって極めて重要であろうと思われる歴史の事実も、国家権
力の前では簡単にねじ伏せられてしまう。私たちは、本当に知らなければならない
本当のことを、何一つ教えられないまま大人になり、そういう社会に生きている。
裏切られたような、騙されたような、そんな気持ちでした。
映画は栗原さんが18歳で満州へ渡ることになった経緯から、ソ連軍の侵攻による逃
避行、敗戦、中国人男性との結婚、そして日本への帰国へと淡々と語り、描かれて
いきます。彼女たちがなぜ中国へ置き去りに去れたのか、なぜ日本へ帰って来られ
なかったのかということの細部を、観客に無理なく、身にしみて感じてもらうこと。
それがこの映画を創る上で最も大切にした点です。誰もが自分の生き方を自由に選
択できる今の時代に、彼女たちのどうにもならなかった人生を理解してもらうのは
容易なことではないと思いました。まして“満州”とは、当時の日本の傀儡国家で
す。侵略者としての日本、言わば加害者の一員としての彼女たちの側面を知っても
らった上で、いかに彼女たちの人生に身を寄せてもらえるかということが最も重要
なテーマでした。
そのことを、今作品のプロデューサーである伊勢真一氏とおよそ一年間話し合いな
がら編集を進めました。撮影した素材と格闘しながらみつけた答えは、徹底的にシ
ンプルにすること。怒りや感情をぶつけることでは本当の悲しみを表現できない、
ものの本質をもっとも深く見せるために、余計な演出は一切排し、淡々と描こうと
いう結論に至りました。9月15日〜10月5日まで、ポレポレ東中野にて毎朝10:30か
ら上映しています。ご覧頂ければ幸いです。
■東 志津(あずま・しづ)
1975年大阪府生まれ。武蔵野女子大学文学部卒業後、映像の世界へ。PR映画、CMな
どの映像制作に参加後、2003年よりドキュメンタリーの制作を開始。『花の夢』の
前身となる作品『あなたの話を聞かせてください〜中国残留婦人 栗原貞子さんの
日々〜』(30分)で、2004年地方の時代映像祭(市民自治体部門)奨励賞受賞。
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┃03┃□ワールドワイドNOW ≪ニューヨーク発≫
┃ ┃■戦争の代価、加担する自分
┃ ┃■東谷 麗奈
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●イラク戦争をどう見つめるか
私の勤めるメディアセンターDCTVが制作した、イラク戦争のアメリカ負傷帰還兵た
ちのインタビュードキュメンタリー『Alive Day Memories: Home from Iraq』が完
成した。9月8日のHBO局での放映に先立って、ニューヨークの街角、新聞などで大々
的に宣伝されている。いたるところで目にするポスターのひとつは、胸に数多くの
勲章をさげた立派な軍服姿の将校が真っ直ぐカメラを見つめて座っているものだが、
その両足には義足がむき出しになっている。このような露骨な写真を使って大規模
な宣伝がなされていることに私は多少抵抗を感じているのだが、それには訳がある
らしい。放映に先立つ上映会で、製作総指揮をつとめるドキュメンタリー界の辣腕
プロデューサー、シーラ・ネヴィンスは、ドキュメンタリーでしかもイラクからの
負傷兵という人々が敬遠するテーマをどうやってより多くの人に見てもらえるかと
策を練ったと語った。注目を集める宣伝はもちろん、そのためにまた、HBO局の大ヒ
ットドラマシリーズ『ソプラノズ』で一躍お茶の間の人気俳優となったジェーム
ズ・ガンドルフィーニをインタビュアーとして起用している。しかしこのドキュメ
ンタリーを見始めると、ガンドルフィーニの顔はほとんど出てくることがないこと
に気づく。実際、スタジオ撮影では5台のカメラを回していたが、どのカメラもイン
タビュアーである彼の顔を狙っていなかったことを思い出す。インタビュアーは
人々の関心をこの番組にひくためのものであって、あくまで主役は負傷兵たちなの
だ。
この作品のオープニングは、負傷兵たちが誕生日に加えて記憶する日、それが
『Alive Day(生きのびた日)』だというテキストから始まる。今回の戦争で、アメ
リカは負傷兵の救命率が90パーセントという過去最高の数字をあげている。もちろ
ん、医療技術の進歩によるものなのだが、その数字が一体何を意味するのか、10名
の負傷兵のインタビューを通して問われる。今回完成した作品を見て発見したこと
は、スタジオ撮影では見ることのなかった、兵士や家族たちによるホームビデオ映
像や写真だった。例えば、装甲車に取り付けられていたカメラがその兵士が乗って
いた戦車が吹き飛ばされる瞬間をとらえていたりする。また、兵士たちが従軍前、
そして戦線で個人的に撮ったビデオや写真などは、まだ五体満足だった頃の彼ら、
彼女らの姿を映している。
負傷者の多くは最前線に送られた人、つまり多くは20代の若者たちだ。若さゆえの
溌剌さもあるのだろうが、彼、彼女らは決して絶望的であったり惨めには振舞わな
い。むしろ、逆に肯定的に今の自分を受け入れ、前向きに今までにも増して積極的
に人生に向かおうとしている。冗談やユーモアを連発してみたり、自分の不自由な
体をわざとおもしろおかしく見せてみたりする姿は、見る者の同情を拒否する力強
さがある。
両目を失った28歳の青年は、負傷後離婚したが、結婚指輪のダイヤモンドを義眼に
埋め込んだのだと明るく振舞う。しかし、その一方穏やかそうに見える彼が従軍中
ですら決して見ることなかった残酷な夢を見ると告白する。自分が人を殺し、喉を
掻っ切る夢を見ると、自分の奥深くで何が起きているのかと怖くなるという。両足
と片手を失った26歳の青年は、今でもロック・クライミングなどの様々なスポーツ
に果敢に挑戦している。しかし、生きのびた『Alive Day』を医者や看護婦が祝おう
としてくれるのは分かるが、なぜ自分の人生で最悪の日を祝うのか複雑な気持ちに
もなるともらす。イラクの子供たちの声や風景が脳裏に焼きついて悩まされるとい
う青年は、よく街角で見かける惨めなベトナム戦争の負傷兵みたいになりたくない
と言い聞かせるように語った。
軍でキャリアを積むことを目指していた27歳の女性は、片腕を失った。フックをつ
けた姿なんかで歩き回りたくないと、ハリウッドの特殊効果を取り扱う会社から腕
時計をつけた本物そっくりの腕を購入した。しかし、もがれた腕をしばらく見るこ
とができなかったという彼女が戦線で撮ったという写真には、原型をとどめない人
の体がとらえられていたりする。彼女は今、軍に入っていなければあったであろう
人生のことを考えてしまうという。将来結婚をして子供が生まれても、抱き上げて
あげることもできないと、彼女はしばし空をみつめて沈黙していた。
その一方、スタジオ撮影時に私が最も圧倒されたのは、家族たちの支援、献身ぶり
だった。胸に大きな刺青を入れた精悍な体つきの青年は、頭を撃たれて寝たきりに
なっていたが、小さな子供のように母の手を握り締めて離さなかった。彼は植物人
間になることを医者から宣告されたものの、母親や家族の支えで簡単な会話を交わ
せるようになっていた。決して豊かではないであろう家庭で、十分な補償も受けら
れない中、息子や娘がどんな姿であれ生きて帰還してくれたことを素直に喜び、一
身に支える母親の姿に、なんともやるせない思いで胸がいっぱいになったのを覚え
ている。
イラク戦争は、既に5年目に入っている。アメリカの負傷者は27,506名、死亡者は
3,728名というテキストで番組は終わる。この作品が、反戦ドキュメンタリーである
ことを期待する人もいるだろうが、現実はそのように単純に把握されるものではな
い。反戦を期待してこの作品を見れば、国のために尽くしたことを今でも誇りに思
い、体がまだ大丈夫なら明日にでも戦線に戻りたいという青年に失望させられるだ
ろう。逆に、国家のために戦った英雄たちを期待して見れば、ハリウッド映画の
『ディア・ハンター』や『フルメタル・ジャケット』を見て戦争を栄光視していた
けれど、実際に行ってみたらちっとも栄光などではなかったとこぼす元兵士の言葉
に不満を感じるだろう。この番組が見せようとしているのは、隣り近所に住んでい
るごく普通の人々が戦地に向かったとき、それぞれがどんな思いを胸にして帰って
くるかというあるがままの姿だ。育った環境、性格、その後のサポートなどによっ
て、百人いれば戦争への感情も体験も百様だ。
スタジオ撮影を手伝ったときには、目の前にいる自分より若い負傷兵たちの存在に
圧倒されるばかりだったが、完成した作品を見終わってより大きな枠組で自分との
関係を考えずにはいられなかった。多くのアメリカ人が、私のように今までと変わ
らない普通の生活を送り、選択肢もなく国に税金を納めている。何万と送り込まれ
る兵士たちの飛行機代、毎日の衣食住の全てを誰が払っているのか。合計で46回近
くの手術を受けた兵士もいる、その医療費はどこから来ているのか。これだけの負
傷兵の生活保障を今後何十年も背負うのは誰なのか。満足な治療も受けられず死ん
でいくイラクの兵士、イラクの市民をどう助けるのか。荒廃するイラクの地を立て
直すのは誰なのか。戦争に加担している国に住むものとして、逃れることのできな
い代価にしばし言葉を失う。国家という枠組の中で何もしない私はやはり加担者な
のだ。多くの視聴者が2008年総選挙に向けて納得のいくリーダー、納得のいく方策
に投票することを望んでやまない。
このドキュメンタリーの詳細は、 http://www.hbo.com/aliveday/
■東谷 麗奈(ひがしたに・れいな)
ドキュメンタリー作家の佐藤真さんが亡くなられました。ニューヨークに来られた
ときには上映会をしていただき、また拙作のドキュメンタリーを見てくださり丁寧
な感想をいただいたのは半年ほど前のことでした。心よりご冥福をお祈りします。
┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃04┃□映画時評
┃ ┃■『ミリキタニの猫』リンダ・ハッテンド―フ監督、2006年
┃ ┃■萩野 亮
┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
世界各国で受賞暦をいまなお更新しているという『ミリキタニの猫』を封切に駆け
つけて見た。最終回はなかなかに込み合っていた。封切日に映画を見るのは面白い。
誰がその映画を求めているかがよくわかるからだ。去年(2006年)銀座でソクーロ
フの『太陽』の初日に駆けつけたときは、観客のほとんどが杖をついた、あの戦争
を知った世代だったのが印象的だった。『ミリキタニの猫』には、壮年の夫婦や、
それよりもやや若いカップルたちが集まっていたのだが、最前列のど真ん中に、ミ
リキタニふう(!)の老夫婦が座っていたのが、どうしても忘れられない。
彼の住処を人や車が通り過ぎる。画面の中で動かないのは彼だけだ。彼は幾重にも
重ねたコートのなかに、顔さえ折りたたんでいる。その何ともいえない窮屈さ。そ
のあとに続くすべての映像が、この窮屈さを焼き付けているような気がした。
路上で風に身をさらしているときも、撮影者の家で絵を描いているときも、施設で
質問を受けているときも、ミリキタニはどこか窮屈そうにしている。市民権を奪わ
れ、捨てた彼には、手足を伸ばして寛ぐ場所などないかのように。
ニューヨークはソーホーの日系人路上画家、ジミー・ミリキタニは、カリフォルニ
アで生まれ、広島で育った。再度アメリカへ渡るものの、真珠湾戦争開戦による半
日感情によって日系人収容所で3年半を過ごすことになる。その数奇な人生は、なん
ともいえない線と色となって、彼の画布に何度も認められることになるだろう。
路上画家のミリキタニは家を持てなかったのではない。彼はしばしば(撮影者であ
る監督にも)「ホームレス」と名指されるが、それは決定的に間違っている。
「ホームレス」という言葉は、「ホーム」(家庭)という概念があるべきものとし
て前提された上で成り立っている。路上生活者をその名称で名指すことの内には、
彼らを「家庭を持たない者」として社会から排除しようとするイデオロギー的な視
線が含まれている。このような視線は、ミリキタニをなんとか「社会保障」の枠内
に収めようと行動する映画作家にも共有されているものだといわなければならない。
「アメリカはクズだ」というミリキタニは、家庭を持たないことでアメリカという
概念に「収容」されることを拒んできたに違いない。
しかし、そんな彼が撮影者と生活を続けるうちに、徐々に変わってゆく。不慣れな
コードレス・フォンで、生きていると知った姉と日本語で話すショットは、この映
画で最も美しいショットに違いない。身体の内側で居場所を持たなかった言葉が、
ふいに、けれどもよどみなくこぼれてくるということ。窮屈さの印象が、はじめて
視界から消える。
ミリキタニが自分の家を持つに至ったこと。それは自らが批判を体現してきたアメ
リカという国家のなかで生きることを意味している。けれども彼にとっては、それ
よりも自らの記憶とあらためて関係を築くことだったに違いない。
『ミリキタニの猫』は、つまり路上生活者が家を持つまでのドキュメントだ。それ
まで路上で通り過ぎるものを意識さえしなかった人間が、目の前を通り過ぎるもの
を見据えるようになること。かつて収容所のあったところを再訪して彼はつぶやく。
「記憶も亡霊も、通り過ぎるだけだ」と。そして彼はたくさんの絵で飾った自分の
家に、親しき人を、捨てられた猫を、招くだろう。『ミリキタニの猫』は、80年と
いう長い旅の、自分の家へとたどり着くその最後の一歩を描いた真のロードームー
ビーだ。
(2007.9.8 ユーロスペースにて)
☆『ミリキタニの猫』The Cats of Mirikitani
リンダ・ハッテンドーフ監督/2006年/アメリカ/カラー/74分
現在、渋谷ユーロスペースで上映中。
■萩野 亮(はぎの・りょう)
和光大学表現学部卒。酷暑と台風をエアコンのない部屋で乗り切って、ヤマガタだ
けを心待ちにしているこの頃です。嗚呼、ジャン・パンルヴェ、王兵、ペドロ・コ
スタ……。
┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃05┃□neoneo坐9月後半の上映プログラム
┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
会場はいずれも神田・小川町のスペースneo(都営新宿線小川町駅B5出口より徒歩
1分、JR御茶ノ水駅聖橋口より徒歩5分)です。
詳細と地図はneoneo坐のHPをご覧下さい。 http://www.neoneoza.com/
■『月刊『もっちょむ』九月集壕』〜あがた森魚月刊映画上映会〜
□あがた森魚による撮影日記映像を、映像作家・岡本和樹と演出・編集した「月刊
映画」を毎月上映していきます。
9月28日(金) 19:00〜
『もっちょむうすけしぱあぷるへいず8月號』(18時より開場・開場中に
『もっちょむうすけしぱあぷるへいず7月號』を上映します)
上映後、トークあり 監督:岡本和樹 来場予定
【料金】当日券:2,000円(『月刊映画八月號』DVD-R付)
【お問合せ】月刊ぱあぷる(倉科)Email: purple@agatamorio.com
■アニメーション80 第33回新作上映会
□1980年からつづけてきたアニメーション80の上映会も今年2007年で33回目を迎え
ます。今回も個性豊かな作品集となっております。公募の1 Minute Animationもあ
ります。出品国も日本、ドイツ、ブラジルと多彩なラインナップでお送りします。
秋のひととき、neoneo坐でどうぞ多彩な映像をお楽しみください。
9月29日(土)・30日(日)
12:00〜15:00&16:00〜19:00
公募作品+ゲスト作品+ゲスト作品・海外作家+会員作品(計約150分)
19:00〜 交流会
(各回入れ替え制・開場は30分前です)
【公募作品】
『とべないトリ』 杉田崇/4分45秒/2006年
『LOST UTOPIA』 水江未来/5分10秒
『それはそれはそれは』 ノンキーココ/3分32秒/2007年
『雲の人 雨の人』 上甲トモヨシ/6分34秒
『迷走赤ずきん』 pecoraped/5分42秒/2007年
『1 minute Animation Festival Vol.7』 1 minute Animation Festival
【ゲスト作品】
『60秒シネマコンペティション作品集』 長野県小布施町映画祭/5分
『アニメ君』 にゃおぞ/7分/2007年
『sous』 たかはしみきこ/6分10秒/2006年
『ふくをきたカラス』 海老澤和夫/10分/2005年
【ゲスト作品・海外作家】
『Potato Dish』 Eckhard Kruse(ドイツ)/11分25秒/2005年
『Minhocas―ミミズ―』 Paolo Conti(ブラジル)/14分20秒
【会員作品】
『ピミルーナ』 鈴木美智子/1分/2007年
『矢印』 中村武/2分/2007年
『signal』 保田紀之/2分40秒/2006年
『師走の訪問者』 細山広和/6分21秒/2006年
『A MAZE』 高橋慶/17分50秒/2007年
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┃06┃□広場
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■新・クチコミ200字評!(60)
■清水浩之(山形国際ドキュメンタリー映画祭「やまがた科学劇場」に乞う御期待
!)オススメの作品を200字以内の短評で紹介してください!映画・ビデオ・テレビ
など皆さんがノンフィクションだと思う作品だったらなんでも可!もちろん「オス
スメしない映画とその理由!」もOKです。
本文とは別に「あなたのお名前(ペンネーム可)/掲載確認のご連絡先(メールアドレ
スor電話)/題名/制作年/監督/見た場所(よろしければあなたのプロフィールや
近況も)を付記してお送りください。ちなみにここでは稿料は出ません。
清水浩之 E-mail: shimizu4310@bridge.ocn.ne.jp /ファクス:03-3703-0839
B-232『人事も経理も中国へ』
2007年/制作:NHK/ディレクター:小澤泰山
放映:2007年9月3日「NHKスペシャル」 http://www.nhk.or.jp/special/
再放送予定:2007年9月26日(水) 24時20分〜 NHK総合
昨年の『ワーキングプア』に連なるNスペ恐怖路線。今までは日本語社会の厚い壁
に護られてきた人事・経理・総務部門までもが海外へ「アウトソーシング」されて
いく現状を、極力ポジティブなトーンで暴露する衝撃作。中国の圧倒的な若さと低
コストの前には“企業のモラル”も“労働者の権利”もヘッタクレもなく、ホワイ
トカラーが容赦なく切り捨てられていく現実は、いくら“日中労働者の交流”をフ
レームアップしたって隠し切れません。(清水浩之)
B-233『となりの801ちゃん』
2007年/制作:トルネード・フィルム/監督:寺内康太郎
DVD発売元:ポニーキャニオン http://801chan.ponycanyon.co.jp/
普通の女の子に“擬態”して生きる女ヲタさんの生態観察漫画を実写化したのは、
『痴漢男』から『BOYS LOVE』までそっち系は独壇場の寺内監督。『電車男』が無理
めの恋愛を妄想した夢物語なら、こちらは“同類”同士の団欒が心地良い、男オタ
クの理想の彼女像。「ジーンズメイトやスーパーで服買うの禁止!」「見た目が悪
いから着飾るんだろが!」といった台詞も“同類”ならではの金言。ジャンルは異
なれどこんなご夫婦はあちこちに…。(清水浩之)
B-234『拝啓総理大臣様』
1964年/制作:松竹大船撮影所/脚本・監督:野村芳太郎
DVD発売元:松竹
「小沢さんが会ってくれないので辞めます」という子供じみた言い訳で逃げ出せる
(むしろ子供に失礼)ベリー・スウィートな世界にお住まいの内閣総理大臣(9月15
日現在)に、入院先でご覧いただきたい一本。有名な風刺喜劇『拝啓天皇陛下様』の
後続企画としてはやや不発ながら、混血のヒロイン・壺井文子さんが日本人どもに
バカにされながら成長する「その後の『キクとイサム』」的展開に、戦後レジーム
のビターな味わいがあります。(清水浩之)
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■本田孝義氏の「山形国際ドキュメンタリー映画祭への提案」に回答します
■富塚 正輝(NPO法人 山形国際ドキュメンタリー映画祭 副理事長・事務統括)
いよいよ、山形国際ドキュメンタリー映画祭07が始まります。本年は第10回目の記
念の年です。これまで続けられてきたのも、皆様のご支援の賜物と深く感謝申し上
げます。当映画祭事務局も、休日を返上しながら、準備活動に汗を流している真っ
最中です。
さて、先日、映像作家の本田さんから、当映画祭への愛情とともに、映画祭の行政
からの独立に関するこれまでの経過、あるいは将来への展望など、なかなか見えな
い状態へのご心配を掲載されておりました。当映画祭事務局としても、忙しさにか
まけて、まったく説明をしていないことにいまさらながら気がつき、大変申し訳な
く思っております。
なぜ独立したのか、独立してのこれからの展望はあるのか。どういった映画祭を目
指しているのか。さまざまな疑問があろうと思います。当映画祭では、開催期間中、
これらの問題を討議する場、シンポジウムを開催してはどうかと考えています。
「山形に映画祭は必要か?」(仮題)などという切り口で、さまざまなご意見を賜
ればと思っております。スケジュールや会場などについてはまだ決まっておりませ
んが、YIDFFニュースや開催期間中の「デイリー・ニュース」などでお知らせいたし
ますので、ぜひご参加いただけますようお願いいたします。
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■「佐藤真さんを偲ぶ会」のご案内
謹啓
暑すぎた夏が過ぎ、朝夕に秋の気配を感じる頃となりました。皆さま、ご健勝のこ
とと存じます。
すでにお聞き及びの方もおられると思いますが、今月四日に、佐藤真さんが逝去さ
れました。
佐藤さんは一九五七年九月十二日生まれでしたので、享年四十九。昨年末より、躁
鬱(そううつ)の症状にて、三度の入退院を繰り返されていました。四月からは仕
事にも復帰されておりましたが、九月四日午後二時二十分頃、再入院をされようと
していた病院そばの団地より飛び降り、逝去されました。
葬儀は親族のみによる密葬にて、九月八日に執り行われました。
全く突然のことで、ご親族の方々をはじめ私どもも、なぜという無念の想いを抱い
て立ちすくむばかりです。誠に急なことではございますが、佐藤真さんを知る方々
にお集まりいただき、故人を偲び一夜語り合いたいと存じます。
謹んでご案内申し上げます。
二〇〇七年九月十四日
謹白
日 時 二〇〇七年九月二十六日水曜日 午後六時より受付、午後八時半終了
場 所 日本青年館 四階宴会場「アルデ」
(〒160‐0013東京都新宿区霞ヶ丘町七番一号 TEL03-3475-2525)
会 費 一般 八千円
学生 三千円(佐藤真さんに指導を受けられたことがある学生の皆様)
※当日は平服にてお集まりください。また会費以外のご香典の類は、お断りいたし
ます。
※ご出席される方は、ファックス、メールにて左記までご連絡いただければ幸甚に
存じます。
連絡先 シグロ FAX03-5343−3102 MAIL siglo@cine.co.jp
東京都中野区中野5-24-16-210 TEL03-5343-3101
佐藤真さんを偲ぶ会 世話人
伊藤敏朗 小木章男
小林三四郎 小林 茂
佐々木正明 旗野秀人
林 海象 藤岡朝子
伏屋博雄 堀越謙三
松本正道 森 達也
安岡卓治 矢田部吉彦
矢野和之 山上徹二郎
山本起也 (アイウエオ順)
親族
佐藤(神谷)丹路
佐藤 浩
■佐藤真さんを偲んで、追悼文を募集します
9月4日、佐藤真さんが亡くなった。享年49歳。その余りにも早い死が、しかも自死
というかたちで自らの生を断ち切った衝撃に言葉もない。1981年『無辜なる海』の
助監督としてドキュメンタリー映画の世界に踏み出し、1989年には『阿賀に生き
る』を監督し、その後『SELF AND OTHERS』『エドワード・サイード OUT OF PLAC
E』など意欲的な作品を制作。また批評活動や出版など、数々の場での鋭い発言はド
キュメンタリーの可能性を開いた。後進の指導にも熱心で、ドキュメンタリーの道
標を示した功績ははかりしれない。本誌は、短い生涯を疾走した佐藤真さんを偲び、
次号に「追悼」(400字以内)を掲載したいと思う。皆様のご寄稿をお待ちしていま
す。締め切りは9月28日です。
visualtrax@jcom.home.ne.jp 伏屋まで
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■募集:「自作を語る」などの原稿募集!
「自作を語る」欄は、監督自らが作品について語るコーナーです。制作した動機や
撮影のポイント、編集で心がけたこと等を内容に盛り込んで頂きたいと思っていま
す。
文字数:1600字程度。厳密な規定はございません。
監督のプロフィール(150字程度)
その他:作品の仕様(制作年度、時間、ビデオ又はフィルム、スタッフ等)
上映のスケジュール、HP等をお知らせください。
原稿締め切り:配信日(1日&15日)の3日前までに、下記に送信ください。
E-mail: visualtrax@jcom.home.ne.jp 伏屋まで
稿料:無料。
その他、さまざまなご意見、投稿を募集しています。
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■上映の告知の有料化とカンパのお願い
■伏屋 博雄(本誌編集長)
neoneoの購読は無料ですが、経費を(その大部分は稿料ですが)賄うため、上映等の
告知は有料にしています。なお皆様にカンパもお願いしていますので、ぜひご協力
ください。
(1)上映等の告知の有料化 40字×30行(行数の空きも計算)以内につき、2,000円
です。それ以上の行数の場合は加算します。
(2)カンパのお願い 一口2,000円。何口でも。
送金方法:郵便振込み:00160-8-666528 neoneoの会、又は、
みずほ銀行池袋支店、普通口座、2419782
(有)ネットワークフィルムズ
(銀行振込の場合は、その由を visualtrax@jcom.home.ne.jp 伏屋宛にお知らせ
ください。)
以上、neoneoの継続ため、よろしくお願い致します。
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┃07┃■編集後記 伏屋 博雄(ふせや・ひろお)
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●山形国際ドキュメンタリー映画祭が間近に迫ってきた。本誌の読者で参加される
方も多いことであろう。今年は10回目を迎えての節目の映画祭。しかも、これまで
の山形市主催から独立し、NPO法人として出発したことは、何かと今後の先行きが注
目(心配)されるものの、これまでNPO法人に到る経緯や今後の展望が明確に説明さ
れていないことに、不満を感じている方が多いことも事実である。例えば本誌6月15
日号(82号)に本田孝義さんが山形映画祭に「公に議論できる場」を次のように提
起した。
「山形国際ドキュメンタリー映画祭にお願いしたいことがある。前回の映画祭後、
どのような話し合いがあり、NPO法人という道を選択することになったのか、また、
今後、映画祭を継続していくためにどのような展望を持っているのか、ぜひ、今年
10月の映画祭の場で、公に議論できる場を設けていただきたいのである」。
これに対して、このたび映画祭の副理事長であり事務統括を担当する富塚正輝さん
から映画祭の期間中に「これらの問題を討議する場、シンポジウムを開催」すると
いう回答が寄せられた。全文は本誌に掲載しているので、ぜひ読んでいただきたい。
山形映画祭の展望を見つめるうえで大事な場になると思う。スケジュールや会場な
どについては、「YIDFFニュースや開催期間中の『デイリー・ニュース』などでお知
らせ」するという。実のある討論を期待したい。
●佐藤真さんの訃報は自死した翌日の9月5日にシグロからの電話で知り、絶句。ほ
どなくしてファックスが送信されてきて、それが現実であることを痛感した。昨年
末に重度のうつ状態であることは仄聞していたが、今年になり快方に向かいつつあ
ると聞いていたので安心していたのだった。ここ暫く会う機会もないままだったが、
昨年の9月13日に佐藤さんから電話をもらった。「10月にみすず書房から本を出版す
るので、以前『neo』(『neoneo』の前身であるメルマガ)に掲載した私的ドキュメ
ンタリーの文章を加筆訂正して出したいので、よろしく」。これが私が聞く彼の最
後の言葉となってしまった。普段と変わらぬ声に、相変わらず旺盛な活動をしてい
るなぁ、と新たに出版される本の誕生に期待をかけていた。「映画の修辞学」はほ
どなくして出版された。
9月7日、私は高円寺の長龍寺で行なわれた通夜に参列した。密葬で行なわれたの
で、映画関係の参列者は少なく、ひっそりしていた。今は、生前の佐藤さんの活躍
と発言力の大きさを考え、仲間と「偲ぶ会」の準備をしている。日程や場所等は本
号に掲載しています。なお本誌次号では、追悼文を掲載する予定なので、ご寄稿の
ほど、よろしくお願いいたします。詳細はこれまた、本号をご覧下さい。
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■責任編集:伏屋 博雄
■編集デザイン:能川 悦子
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