ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン neoneo |
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┃n┣━┫o┣━┫e┣━┓ ★ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン
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┗━┛ ☆━┛ ┗━☆ 77号 2007.4.1
∽∽∽∽∽∽ HEADLINE ∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽
†01 日本のドキュメンタリー映画のかたち
ドキュメンタリーの光を探せ─たとえば、黒木和雄のPR映画─
中村 のり子
†02 ワールドワイドNOW ≪パリ発≫
シネマ・デュ・レエル in パリ 高橋 晶子
†03 列島通信 ≪大分発≫
ミニシアターの行方 田井 肇
†04 映画時評
『大野一雄 ひとりごとのように』(撮影・監督:大津幸四郎)
萩野 了
†05 neoneo坐4月前半の上映プログラム
†06 広場
新・クチコミ200字評!(50)
『カンブリア宮殿 あなたは給料に満足していますか?〜沈黙する
労働者たち〜』『現代の記録 新中仙道』(以上の評:脇阪 亮)
『童貞。をプロデュース2 ビューティフル・ドリーマー』
『東京都知事選挙 T候補の政見放送』 (以上の評:清水 浩之)
『映画は生きものの記録である』ニュース(2)
見ないと一生の不覚になる作品 春田 実
上映:加藤治代監督作品『チーズとうじ虫』凱旋上映中
募集:「自作を語る」などの原稿募集!
上映の告知の有料化とカンパのお願い 伏屋 博雄
†07 編集後記 伏屋 博雄
★バックナンバー閲覧はこちらまで
まぐまぐ配信 http://blog.mag2.com/m/log/0000116642/
melma!配信 http://www.melma.com/backnumber_98339/
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┃01┃□日本のドキュメンタリー映画のかたち
┃ ┃■ドキュメンタリーの光を探せ──たとえば、黒木和雄のPR映画──
┃ ┃■中村 のり子
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●今、“ドキュメンタリー”で卒論を書くこと
卒業論文は“ドキュメンタリー”で書きたかった。四年前、映画についての必修科
目のひとコマの中で、羽仁進『教室の子どもたち』(1954)を見、また小川紳介『日
本解放戦線 三里塚の夏』(1968)を見た。大学一年生だった私はすっかりその授業
に魅せられ、門間貴志先生を頼りに友達とその年のヤマガタへ足を運んだ。二年生
になっても、ドキュメンタリー映画と呼ばれる作品の上映を探しては見ていた。三
年生になると岡田秀則先生による日本のドキュメンタリー映画に的を絞った授業が
始まって、私の関心はいよいよ釘付けとなった。劇映画は大好きだ、しかしドキュ
メンタリー映画がどうしてこんなにも気になるのか。その中でもとくに、日本にお
いて60年代後半から70年代にかけて自主製作が活発化していく潮流には、私を放っ
ておかない何かがひそんでいる。それが何なのかは判然としないままに、気がつい
た時には、同じ専攻の友達の中でも私だけが“ドキュメンタリー好き”と相成って
しまっていた。
だから、四年生では満を持して“ドキュメンタリー”についての卒論を書こうとし
た。しかし意に反して、テーマがどうしても決まらない。実際には、たとえば土本
典昭でも、小川紳介でも、あるいは原一男でも一本書けるはずだ。しかし、何でも
裏をひっくり返したがる私にとって、この場合もやはり、だったら何故彼らがこの
時期に登場し得たのか、こんなに力強い作品や作り手が、どうやって当時の日本の
映画界から出てきたのか、という事情を探りたくなってしまった。
今日において日本のドキュメンタリー映画を論じる時、たとえば60年代後半以降の
自主製作の流れと土本・小川という名前はセットになって、ある種の合い言葉のよ
うに通用している。また、それを遡ると羽仁進と岩波映画、さらに先には亀井文夫
といった名前が、ひとつの確かな映画史の系譜を形づくっている。そしてその上で
は“対象との関係性”や“作家の主観”というキーワードが不可欠なものとして掲
げられ、やりとりされている。
しかし私は、恐いもの知らずをいいことに、こうした系譜の隙間を覗いてみたいと
考えた。土本や小川たちが自主製作のスタイルを切り開き、上述のような提唱をし
始める直前のドキュメンタリー映画とは、いったいどんな姿をしていたのか。私を
惹きつけてやまないそのエネルギーは、どこで生成されたのか。それを確かめてみ
たい、というあまりにも漠然としたモチベーションを抱えて、私の卒論はまずテー
マの検討から始めることになった。未だ、PR映画とも黒木和雄とも、心に決めては
いなかった。
今回の連載は、昨今になって再考論も増えつつある“日本のドキュメンタリー映
画”を扱おうとした、ある不勉強な学生の四苦八苦の卒論ドキュメントである。日
本においてドキュメンタリー映画が広まり出す1960年代に対して、どんな視点を持
ちうるのか、見落としがちになる要素とは何か、確かに存在した動きとは何か、そ
れらの問題を私のまずいリサーチの恥をさらしながら、僅かでも提起することがで
きればと思っている。
●“ドキュメンタリー”という呼称は繊細である
さて、テーマを絞り込もうとした時、私が最初にぶつかったのは“ドキュメンタリ
ー”という言葉の扱いにくさであった。最近の感覚では、劇映画という一大ジャン
ルに対して、そうでない映画はドキュメンタリー映画と呼ばれることが定着し、チ
ラシの文句でも“ドキュメンタリー”と記されることによって、私たちはある程度
の共通イメージを得ていると言える。
しかし、現在の“ドキュメンタリー”という語の感覚を60年代の頃まで遡らせてい
くと、混乱が生じてくる。まず、私たちの考えるような“ドキュメンタリー映画”
(*1)は、たとえば土本の『留学生チュア・スイ・リン』(1965)あたりを境に成り立
ち始めたもので、60年代初めとなると、同様の媒体の存在は見られない。では土本
が何を作っていたのか、後にドキュメンタリー映画作家と呼ばれるようになる人び
とがそれ以前に何を作っていたのか、と調べた時に目の前に現れるのが、PR映画と
いうものである。では、彼らの作ったPR映画は結果的に“ドキュメンタリー”なの
だろうか?
そうしたPR映画を一概に“ドキュメンタリー映画”の仲間に入れてしまうことは、
些か安易であるように私は思う。PR映画の有り様については次号で詳しくとりあげ
たいが、それらの映画の多くは、60年代後半から定着したドキュメンタリー映画に
通底する魅力と同じものを備えているとは言い難いからだ。ただし、それに繋がっ
ていくような煌めきが、一筋見えることがある。この印象を生かす時に有効な発想、
それは“ドキュメンタリー”というものを仮に単なる演出の方法として捉える、と
いうことである。
“ドキュメンタリー”を完成された映画ジャンルではなく、映画づくりにおけるひ
とつの演出の方法、アプローチの姿勢として考えることは、何も新しいことではな
い。“ドキュメンタリー”という語が1930年代に日本に伝わった時、それはまさに
ひとつの方法として提案されていたようだ(*2)。だから、“劇映画以外の映画”の
中で、記録/科学/ドキュメンタリー……とその手法が並列されるような感覚がみ
られる。そして、“ドキュメンタリー”をあくまで方法として示そうとする態度は
日本の映画史の中でしばしば繰り返されてきた(*3)。私も、その発想をもつことで、
今日のドキュメンタリー映画として知られる作品群の源流を、不確かながら見出し
ていける可能性を感じる。一方で、“劇映画以外の映画”をひとまとめにジャンル
化してきたものは、その時代時代の要請に過ぎなかったのではないか、と思うのだ。
それは、1930年代から戦時下にかけては専ら“文化映画”であったし、敗戦後から
50年代にかけては“教育映画”であった。そして現在の“ドキュメンタリー映画”
という認識も、そのひとつであると考えられる。だから私は、今回これらのジャン
ルの定義に大いに猶予を与える意味を込めて、媒体としての“劇映画以外の映画”
には緩やかにノンフィクション映画という語を使っていきたい。そしてその時、
“ドキュメンタリー映画”が要請される直前に隆盛していたと言えるのが、PR映画
/記録映画、であった。(つづく)
*1 ここでの意味合いは、製作上のシステムの成立においてである。今日、映画界
の中ではドキュメンタリー映画を作家の作品としてつくり、それを興行するという
ことが認知されていると言える。しかし、以前の“劇映画以外の映画”は必ずしも
そうした作品として意識されていなかったり、またそれだけでは成立しなかったり
した。
*2 “ドキュメンタリー”の最初の指針となったポール・ローサの『ドキュメンタ
リィ映画』(厚木たか訳・未来社/1976、1939年版は『文化映画論』)では、ロー
サ自身が“ドキュメンタリー”を方法論として述べている。
*3 たとえば、松本俊夫の「ネオ・ドキュメンタリズムとは何か」(『映像の発見
アヴァンギャルドとドキュメンタリー』三一書房/1963)においてや、村山匡一
郎の「方法としてのドキュメンタリー」(村山編『映画は世界を記録する ドキュ
メンタリー再考』森話社/2006)
■中村 のり子(なかむら・のりこ)
2006年度に明治学院大学文学部芸術学科・映像専攻を卒業。4年次に門間貴志ゼミ
で卒業論文として「ドキュメンタリーという亀裂──黒木和雄の『あるマラソンラ
ンナーの記録』にみる日本の1960年代のPR映画製作」を執筆。科学映画特捜隊の隊
員でもある。現在、シアター・イメージフォーラムでバイトの日々。吉田喜重作品
がたまらなく好き。
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┃02┃□ワールドワイドNOW ≪パリ発≫
┃ ┃■シネマ・デュ・レエル in パリ
┃ ┃■高橋 晶子
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●作家を重視する方向
3月9日から18日まで、毎年恒例のドキュメンタリー映画祭シネマ・デュ・レエルが
パリのポンピドゥー・センターで行われた。故・黒木和雄監督を初め、当メールマ
ガジンneoneo編集長伏屋博雄氏などが招待され、日本のドキュメンタリーの全貌が
紹介された年から早くも9年が経つ。あれから映画祭事務局の主たるメンバーも変
わり、招待された日本の監督らもそれぞれの道を歩まれている。あの頃まだ大学生
だった私はボランティアスタッフとして参加し、プログラムを担当されていたゴヴ
ァース・弘子女史の手伝いをしたりチケットのもぎりをしながら、日本の監督達の
パリ滞在珍道中をお供させて頂いた。文字通りの珍道中が功を奏してかある種の連
帯感が生まれ、今でもあの年のあのメンバーに定期的に再会できる事は何よりも嬉
しい。あの時に受けた刺激や、あの時に出会ったドキュメンタリー映画の魅力がそ
の後の私の進路を決定したと言っても過言ではない。
今年のシネマ・デュ・レエルは、これまで通り国際コンペ部門・フランス国内作品
部門、そしてそれと並行してドイツのドキュメンタリー特集が組まれた。特別上映
作品としては、すでにベルリン映画祭でも話題になっていたジャ・ジャンクーの
『Dong/東』と、今年1月にフランスのビアリッツで行われたFIPA(Festival
Internationaldes Programmes Audiovisuels国際テレビプログラム・フェスティバ
ル)のクリエイティブ・ドキュメンタリー部門で最優秀賞を受賞したリティー・パ
ニュの新作『Lepapier ne peut pas envelopper la braise/炭火は紙では包めな
い』が上映された。リティー・パニュの新作は、プノンペンの売春婦の生活を間近
に迫って撮った作品で、フランス国内ではテレビ放映とほぼ同時に劇場公開も予定
されている。今やフランスで最も活躍する監督の一人となったリティー・パニュの
新作だけあり何かと話題になっていたが、観客の反応は賛否両論であった。作品全
体から感じられるいわゆる演出、おそらく現場で監督が彼女らに指示したと思われ
る動きなどに拒否感を感じ、その点を上映後に指摘した観客もいた。演出について
はあくまでも「特にしていない」と説明した監督ではあったが、今後もこの点につ
いては論議が重ねられる事だろう。
国際コンペ部門で最優秀賞に選ばれたのはブラジルのジョアオ・モレイラ=サレス
作品『Santiago/サンティアゴ』。監督宅の管理人であったサンティアゴという人
物を題材に撮影を始めるが映画が未完のままサンティアゴは他界する。彼がいなく
なって15年弱経った今、当時の映像を振り返り、そのラッシュについて思索すると
いう独特な作品。白黒の映像に監督の思いが語られる詩的な映画だ。
また、賞は逃したものの、想田和弘監督の『選挙』は噂通り面白い作品で観客をに
ぎわせた。「観察映画」と冒頭に掲げたこの作品は、その名のごとくナレーション
は一切なく、市議会補欠選挙に自民党からの推薦を受けて立候補した山内和彦氏を
ひたすら観察するという作品。映画祭では口伝てで話題になる作品がいくつかある
が、この『選挙』もその一つで、何かと会場での情報交換の場で話題になっていた
作品だった。編集にどれだけの時間をかけられたか存じ上げていないが、観客をぐ
いぐいと引き込む力のある作品に仕上がっている。日本人の政治意識の低下につい
て考えさせられた作品だが、政治好きのフランス人観客にもよく理解されたようだ。
5月に控えたフランス大統領選の選挙そのもののレベルの低さが指摘されている時
期だけに、人事ではなかったのかもしれない。
映画上映の他に討論会やシンポジウムも行われた。一つは「VOD/ビデオ・オン・
デマンド、ドキュメンタリーの新たな観客層の可能性」、もう一つは「視聴者と視
聴率」と題し、ドキュメンタリーを創る側とそれを伝達する側が集まり意見交換が
なされた。最初のVODというテーマは、フランスのドキュメンタリー界の一種の「
救いの道」としてここ数年活発に話題に上っている。というのも、各テレビ局、中
でも仏・独共同公共文化チャンネルARTEで放映されるような良質なドキュメンタリ
ーもインターネット上でダウンロードし視聴できるというシステムが急速に発達し
たからだ。
有料とは言え、1〜5ユーロという値段で、DVDでもリリースされていない質のいい
ドキュメンタリーを簡単に視聴できる環境が整いつつあるのだ。また、テレビ局が
介入していない独立系の作品だけを集めたVOD専門のサイトなども出現し、幻の作
品やドキュメンタリーの名作が観れるだけでなく、上映の場がますます少なくなっ
ているドキュメンタリーに新たな発表の場を与え、制作する側にとっては少なから
ずも制作費を回収できる場として注目を浴びている。
その他、ドキュメンタリー作家らが自発的に非公式の討論を開催していたのも今年
のシネマ・デュ・レエルの特徴であった。これまでフランスでは、個人的なドキュ
メンタリー作品がテレビでも一定の地位を得、放映されていたのだが、ここ数年ジ
ャーナリスティックな内容以外のドキュメンタリーがテレビ局から拒否される傾向
が高まり、それに危機を感じる作家達の団体結成などが相次いで起こっている。自
主制作のような方法で創り、それがテレビで放映され得たフランスの状況も深刻に
変わりつつある。今年のシネマ・デュ・レエルは、そうした作家達にあくまでも重
きを置き、彼らと一緒に模索しようとする姿が印象的だった。
■高橋 晶子(たかはし・しょうこ)
横浜生まれ。フランスの言語・映画に魅せられ94年に渡仏。パリ第8大学映画学科
卒業。映画・TV関係のコーディネート・通訳・字幕翻訳及び助監督として活動。
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┃03┃□列島通信 ≪大分発≫
┃ ┃■ミニシアターの行方
┃ ┃■田井 肇
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●ミニシアターが存在を主張できる映画とは
映画の公開本数が激増している。映連の発表によれば、2006年の劇場公開本数は邦
洋あわせて821本。これは、異常といってよい数字だ。一方、全国のスクリーン数
も3000を越え、うちシネコンが占める率は70%を越えた。日本映画のシェアが外国
映画を上回り、巷には「日本映画が好調」などという言葉が飛び交ってもいる。
先日、とあるデパートの転勤する店長の送別会に出かけた時のこと。初めに挨拶に
立った地元放送局の重役は、時候の挨拶としてこう切り出した。「最近、映画が注
目を集めています」。5年前ならこんなことは決して口端に上ることもなかったろ
う。
そして続けてこう言った。「私もよく見るようになりました。最近では、何と言っ
ても『愛の流刑地』ですね」。日本映画の好調とは、つまりこういうことである。
2006年のヒット作、興行収入10億円を越えた映画は50本。これは本数では全体の
6%にすぎないが、この6%の映画がマーケット全体の66%を占めている。興行収入
5億円以上だと本数は90本(11%)、マーケット占有率は84%に達する。すなわち
興行収入が5億円に満たない残りの89%の映画・730本がわずか16%の中にひしめい
ているのだ。
「日本映画が好調」はごくごく一部の映画を指しているにすぎないだけでなく、そ
の一方には、膨大な数の小粒な作品(地方都市では商売にならない映画)が産み落
とされているのだ。
シネコンがいくつかある地域では、シネコン同士の競争が激化し、いわゆる単館系
映画の中からヒットしそうなものをシネコンが公開するケースも増えている。そう
したあおりを受け、全国のミニシアターは、これまで以上に小粒な作品でプログラ
ムを成り立たさねばならないという苦境に立たされている。
アル・ゴアの環境問題に関する講演を記録した映画『不都合な真実』が、評判を呼
んでいる。講演それ自体の内容の面白さを除けば、この映画はさほど評価すべき点
のない映画だと思うが、社会的なテーマから単館系映画としてはまずまずのヒット
を記録した。しかし、この「単館系映画」は、地方ではほとんどミシアターにかか
ることなくシネコンで公開されているのだ。たしかに環境問題への啓発という観点
から言えば、もともとそうしたことに関心の高いミニシアターの観客よりも、むし
ろシネコンに(車で)出かける観客に向けて見せるべき映画だと言えなくもない。
だが、シネコンにかかっている理由はそうではない。単純に「当たった」からだ。
ミニシアターがその存在を主張できるタイプの映画というのがある。本当の意味で
の「傑作」を人と出会わせるためにも、傑作とは言えなくても一般の人の関心を引
きつけ他の映画に導入してゆける映画が、ミニシアター(とりわけパイの小さな地
方都市の)には必要である。この『不都合な真実』をはじめ、そうした映画が次第
にシネコンにかかるようになり、ミニシアターは今、経営的な危機もさることなが
ら、質的な危機に立たされつつあると言ってよい。あるいは、本当の存在価値を問
われるところへやって来た、と。
「映画が注目を集めている」「日本映画が好調」と言われる中、ずっと映画の質の
底支えをしてきたミニシアターが立たされている現在の状況は、心ある作り手や送
り手が同様に立たされている状況を象徴しているのではないだろうか。
■田井 肇(たい・はじめ)
1956年岐阜市生まれ。大分に移り住み、1976年、「第1回湯布院映画祭」の立ち上
げに加わる。以後13回目まで中心メンバーとして活動する一方、地方で上映機会の
ない映画の数多くを自主上映する。1989年、当時閉館の瀬戸際にあった映画館「シ
ネマ5」の運営を引き継ぎ、アート系専門の映画館として、その経営を軌道に乗せ、
現在に至る。
シネマ5:大分市府内町2-4-8 TEL 097-536-4512 FAX 097-536-4536
http://www.cinema5.gr.jp
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┃04┃□映画時評
┃ ┃■『大野一雄 ひとりごとのように』(撮影・監督:大津幸四郎)
┃ ┃■萩野 亮
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●挑発するキャメラ
東中野に居を移したからには、用がなくても“ポレポレ”に足を運ばなくてはなら
ぬ、などという冗談のようであながちそうでもない信念を抱きつつある今日このご
ろだが、転居したその宵に見たのは『大野一雄 ひとりごとのように』。
ところでわたしは大野一雄という舞踏家について、まったく何も知らない。にもか
かわらずこの映画に関心を持ったのは、キャメラマン大津幸四郎の“第一回監督作
品”であったことももちろんだが、ダニエル・シュミットが坂東玉三郎に取材した
『書かれた顔』(1995年)において、女装し水上で舞っていた大野一雄のあまりの
美しさがいまだに脳裏に捺されていたからに違いない。レナート・ベルタの流麗な
キャメラ・ワークによって知覚された舞踏だけがわたしにとっての舞踏であり大野
一雄であるという倒錯的ともいえる体験に対し、『大野一雄 ひとりごとのように
』は、舞踏家のまったく異なるイメージを、同じくキャメラによって呈示してみせ
た。
『書かれた顔』の主題が、身体に構築されるもうひとつの身体にあり、その「書か
れた」身体との越境と混乱を女形や舞踏家に認めようとしていたとするならば、
『大野一雄 ひとりごとのように』は、大野一雄の日常の身体と舞踏の身体をゆる
やかに接合しようとする試みであったのではないだろうか。たとえば一雄の子息で
あり一番弟子である大野慶人は、映画のなかで次のように言っている。
「一から十まで最初から、一から舞踏舞踏ではないんですね。/ある時にBorn
BUTOH(舞踏)。本当の真実が生まれた時にそれを舞踏って言うんですね」。
これは逆説的に、舞台にないときでもその「ある時」が訪れうることを告げている
のではないか。大野一雄は日常においてもまさに「ひとりごとのように」舞踏を踊
っている。日常に舞踏のときが訪れる幸福な時間を、大津幸四郎のキャメラはじっ
と待っている。
舞台の上の一から十までが舞踏ではないということ。これは、あるいは映画におい
てもいえることではないか。わたしたちは何を「映画」と呼んでいるのか? フラ
ンスの映画批評家であったセルジュ・ダネーは、かつて「町を歩くこともまた、映
画でありうる」というような意味のことを書いた(梅本洋一訳『不屈の精神』フィ
ルムアート社)。スクリーンからあふれる一から十までの映像moving imageの堆積
が映画cinemaであるわけではない。「映画」となるためにもまた「ある時」を必要
とする。
大津幸四郎が「公演では撮りきれなかったものを、アンコールで撮りたいと思っ
た」というのも、そのためではないか。記録映像の堆積ではなく「ドキュメンタリ
―映画」になるためには、舞台と日常とのはざまにある舞踏家を撮る必要があった。
おそらく誰もが感動せずにはおれない、「踊るな」との虚の声に囚われた舞踏家が
息子=弟子のかけた音楽によって舞踏を取り戻してゆくショット、織部賞受賞式に
おいて上演終了後も舞い続ける舞踏家を見つめたショット、「ひとりごとのように
」踊る大野一雄をとらえてみせたいくつものショットは、まさに“舞踏的なるも
の”と“映画的なるもの”とが出会った稀有な瞬間ではなかったか。
しかしキャメラという装置は、いうまでもなく透明ではない。実際大野一雄はキャ
メラの存在を意識して踊っていたという。キャメラは舞踏を挑発し、そして舞踏は
キャメラの知覚からはみ出し続ける。『大野一雄 ひとりごとのように』は、「言
葉では到底とらえられない世界」における、身体とキャメラとの見えざる対話とし
てあった。その謎に満ちた世界には、ただキャメラだけが近づくことができるとで
も告げるように。
ダニエル・シュミットは、『書かれた顔』をつくるにあたってこう言っている。
「偉大な芸術は常に謎です。じかに触れることもできなければ、分析することもで
きません。それはひとつの秘密なのです。」 (2007.3.21)
☆『大野一雄 ひとりごとのように』
(2005年、カラー、DVCAM、ステレオ、100分)
撮影・監督:大津幸四郎。現在、ポレポレ東中野にて上映中。
■萩野 亮(はぎの・りょう)
1982年生まれ。和光大学表現学部卒。東中野在住。現在大学院進学に向けて浪人中。
論文に「絵金と映画――〈物語的時空間〉の構築をめぐって」(『和光大学学生研
究助成金論文集14』)がある。
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┃05┃□neoneo坐4月前半の上映プログラム
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会場はいずれも神田・小川町のスペースneo(都営新宿線小川町駅B5出口より徒歩
1分、JR御茶ノ水駅聖橋口より徒歩5分)です。
詳細と地図はneoneo坐のサイトをご覧下さい。 http://www.neoneoza.com/
■短編調査団(46) 酒の巻
2007年4月11日(水) 20:00〜
『酒とからだ』
1985年/28分/カラー/制作:学習研究社/プロデューサー:古岡滉/
脚本・監督:新井慎一/撮影:川上皓市・篠田昇
■急性アルコール中毒、肝臓障害、アルコール依存症などはみな誤った酒の飲み方
が原因で起る病気である。飲酒の危険性を科学的にわかりやすく紹介し、酒に対す
る正しい認識をしてもらう。
『手造り吟醸酒―一人娘―』
1983年/25分/カラー/制作:金山プロ/企画:山中酒造店/
脚本・監督・撮影:金山富男
■吟醸酒は日本酒の最高級酒とされている。機械化され製造される風潮の中にあっ
て、吟醸酒は手造りによって丹念に醸造される。その製法を記録する。
『南部杜氏』
1988年/34分/カラー/制作:岩波映画製作所/企画:国立歴史民俗博物館/
プロデューサー:桜井朝子/脚本・監督:諏訪淳/撮影:西尾清/音楽:山下毅雄
■南部杜氏発祥の地、北上平野。この南部を舞台に、大正から昭和初期の独特な酒
造技術やその習俗を、往時を知る杜氏たちの協力により再現し克明に記録。
【料金】鑑賞無料! カンパ歓迎!
【お問合せ】清水 E-mail: shimizu4310@bridge.ocn.ne.jp16mm 上映
■NEO Gallege BAR(2)
4月12日(木)20:00〜
映像作家同士のトーク & 作品・激レア映像上映セッションをBarスタイルで開催!
大木裕之「チベット・中国・ネパール・インド」
聴衆絶句! 大木裕之の超越した表現世界! もはやスーパーナチュラルな体験の場と
して「大木ワールド」の映像空間を体験してください。 大木が最大の注目を注ぐ
チベット「カム地方」の超絶トークが炸裂します。
【時間】20:00〜23:00(開場19:30〜)
【料金】1回参加 2,000円(軽食付・アルコール類は別料金/1ドリンク300円)
【会場・予約先】スペースneo
E-mail: spaceneo@tcn-catv.ne.jp
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┃06┃□広場
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■新・クチコミ200字評!(50)
■清水浩之(短篇調査団・4/11は酒の巻! http://d.hatena.ne.jp/tancho/ )
オススメの作品を200字以内の短評で紹介してください!映画・ビデオ・テレビな
ど皆さんがノンフィクションだと思う作品だったらなんでも可!もちろん「オスス
メしない映画とその理由!」もOKです。
本文とは別に「あなたのお名前(ペンネーム可)/掲載確認のご連絡先(メールアド
レスor電話)/題名/制作年/監督/見た場所(よろしければあなたのプロフィール
や近況も)を付記してお送りください。ちなみにここでは稿料は出ません。
清水浩之 E-mail:shimizu4310@bridge.ocn.ne.jp /ファクス:03-3703-0839
A-050『カンブリア宮殿 あなたは給料に満足していますか?〜沈黙する労働者た
ち〜』
2007年/制作:テレビ東京/出演:高木剛(連合会長)、村上龍、小池栄子
放映:2007年3月19日・テレビ東京系 http://www.nikkei.co.jp/cambria/
この番組を観たことがなかったのだが、村上龍氏と高木剛連合会長というほとんど
ミスマッチングな組み合わせに興味を惹かれてテレビのスイッチを入れてみた。そ
れというのも、村上氏なら労働組合の現状だけでなく、根本的に労働組合が成り立
たなくなっていると考えているのではないか、と思っていたからだ。しかし、村上
氏が高木会長との対談の場面が少なくて残念だった。村上氏が高木氏を突っ込む場
面をもっと見たかった。
同じようにオーディエンスからの高木氏に向かっての質問が、「フリーターもボー
ナスがもらえますか」というフリーターからの1つだけだったのも残念だった。そ
の質問に対し高木氏がフリーターというよりも、パートについて答えていたのが印
象的だった。高木氏としては、パートまでは視野に入っているが、フリーターはま
だその視野に入っていないのだろう。それでも旧来の正社員中心の労働組合の姿勢
からは一歩前進であるが。しかし、このフリーターの質問を正社員のオーディエン
スたちはどう聞いただろうか?
様々な材料が盛り込まれすぎの感もある。高木氏ら連合のメンバーが道行く人たち
から相手にされない大阪でのシーンなどは、もっと時間をかけて描き出したなら、
それこそ労働組合の現状を問い直すような面白さを醸し出したのではないか、と残
念だった。
冒頭のアンケートで過半数が自分の給料に満足していると答えていたのは、私には
考えさせられた。(脇阪亮)
A-051『現代の記録 新中仙道』
1962年/制作:NHK/放映:2007年3月25日「NHKアーカイブス」
http://www.nhk.or.jp/archives/
非常に予見的な内容の番組だ。都市の中心部を避けてバイパスを通すことは現在の
ロードサイドビジネスの興隆と商店街のシャッター通り化を予見しているし、木曾
谷の国道19号線の改修工事は、その後田舎が公共事業中毒になっていくことを予見
している。
国有林で働いていた人たちは、その後公共事業を請け負うような建設会社で働くよ
うになっていったのだろう。いまだ高速道路を背負っていない日本橋も含めて、作
られたその時点以上に、その後の45年の歴史を描いていた番組のようにもみえてく
る。
ただし、ヘリコプターから撮影された映像は、啓蒙的な感じがして余計だと思うが。
地上の視点に徹した方がよかった。(脇阪亮)
B-201『童貞。をプロデュース2 ビューティフル・ドリーマー』
2007年/製作・監督:松江哲明/配給:イメージリングス
4月6日まで大阪・PLANET+1「第2回ガンダーラ映画祭 美しい国へ」で上映中
http://www.imagerings.jp/
男子必見『童P』第2弾の主人公・U君は80年代生まれなのに80年代アイドルマニ
ア。その温和な風貌に秘められた正体は、貴重な古雑誌を入手するためにゴミ処理
場に就職した確信犯!「ヌルい日本で生き抜くために」彼が選んだジャンクハンタ
ー生活は、ヌルい日本で多数派の動向を気にして生きている人々の目には清々しく
映ります。観客が自身の心のユートピアを再発見する新ジャンル「ガンダーラ映画
」の代表作としてオススメです!(清水浩之)
B-202『東京都知事選挙 T候補の政見放送』
2007年/制作:テレビ朝日・NHK
2007年4月2日(月)23:00〜 NHK総合テレビにて放映予定(関東のみ)
YOUTUBEにて動画公開中 http://www.youtube.com/watch?v=l2C9lv5t0yQ
〈首都決戦〉の掛け声も空しく、建築家が作家を"援護射撃"する多数派同士の茶番
劇の一方で、今回も多士済々のインディーズ候補は制作費300万円の個人プロパガ
ンダ放送を展開中。特に若手のT候補が「どうせ多数派のためのお祭り」にわざわ
ざ乱入して「少数派諸君!」とアジる姿には"新しいお祭り"の予感さえ覚えました。
かつて反・都市博で大逆転を果たした「少数派諸君」がオリンピック誘致も阻止で
きるか、俄然注目の4月8日!(清水浩之)
◇────────────────────────◆◇◆
■『映画は生きものの記録である』ニュース(2)
『映画は生きものの記録である 土本典昭の仕事』の上映への道のりを、各スタッ
フによって日記形式でお伝えします。東京では5月下旬より渋谷・ユーロスペース
での上映が始まります。
公式ホームページ: http://www.tsuchimoto-eiga.com/
●試写会は満員の盛況
3月22日(木)午後1時より2回目の試写会が映画美学校学校で行われ、全席を埋め
尽くす満員の盛況だった。マスコミ関係、批評家、映画監督にカメラマン、それに
世代的には年配者から若い世代まで、一渡り横断する客層に、宣伝担当の原田さん
「ぐぐっと手応えを感じる」と歓びの一声。上映後、藤原監督は取材を受ける。
ところで、ホームページ「恋するアジア」の管理人である春田実さんもご覧になっ
たひとり。さっそく下記の文章をいただいた。 (伏屋)
●見ないと一生の不覚になる作品 春田実
ドキュメンタリー『映画は生きものの記録である』を見た。すばらしい作品であっ
た。作っている人に知人は多いが、えこ贔屓ではない 。この作品は「愛」を語っ
ている。かつて土本作品は左翼系の文脈で語られた。解説、評論、ほとんど、そう
であった。ワシはそれに違和感を覚えていた。確かに被害者が苦吟するシーンや、
家族が会社側に詰め寄るシーンなどを見ていると、そんな感じはする。被害者は資
本側に殺されている式の図式に見えてくる。しかし、ちょっと違うのでは、とワシ
は感じていた。土本作品は人にぐっと寄っている。寄り過ぎて、そういう図式から
ハミ出るところがある。そのハミ出す部分がワシには魅力だった。が、当時、その
辺を語る論者は少なく、ワシも若かったので、世の風潮に逆らう論理は持ち合わせ
ていず、周囲への違和感は違和感のまま残っていた。で、本日、本ドキュメンタリ
ーを見て、やはり、土本作品は、左翼という枠の中でとらえるべきものでないこと
を確認した。漁師は太古から変わらぬ生活をしてきた。それは水俣病ごときで消滅
するものではない。
そういう漁師の生活への、都会人の驚愕と憧憬が、土本作品の核にはある。音楽が
重すぎるのがこの作品の唯一の欠点だが、土本氏は、惚れ惚れする言葉を、たくさ
ん語っている。見ないと一生の不覚になる作品である。
●前売り券(1400円)のお申し込みは、ご送金次第、郵送します。1枚から可能。
郵便振込み:00160-0-85378 (有)ネットワーク・フィルムズ
お問い合わせ:visualtrax@jcom.home.ne.jp 伏屋まで
なお、3月31日より、「電子チケットぴあ」でも発売を開始します。
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■上映
●加藤治代監督作品『チーズとうじ虫』凱旋上映中!
山形国際ドキュメンタリー映画祭2005 アジア千波万波部門最高賞小川紳介賞受賞
2005年ナント三大陸映画祭 ドキュメンタリー部門最高賞(金の気球賞)受賞
3月24日(土)〜4月6日(金)
連日11時から1回上映 4/23(月)以降、毎週月曜日レイトショーで上映
アップリンクX: http://www.uplink.co.jp/x/log/001823.php
公式ウエブサイト: http://chee-uji.com/
一般1,200円、学生・シニア1,000円(当日券のみ)
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■募集:「自作を語る」などの原稿募集!
「自作を語る」欄は、監督自らが作品について語るコーナーです。制作した動機や
撮影のポイント、編集で心がけたこと等を内容に盛り込んで頂きたいと思っていま
す。
文字数:1600字程度。厳密な規定はございません。
監督のプロフィール(150字程度)
その他:作品の仕様(制作年度、時間、ビデオ又はフィルム、スタッフ等)
上映のスケジュール、HP等をお知らせください。
原稿締め切り:配信日(1日&15日)の3日前までに、下記に送信ください。
E-mail: visualtrax@jcom.home.ne.jp 伏屋まで
稿料:無料。
その他、さまざまなご意見、投稿を募集しています。
◇────────────────────────◆◇◆
■上映の告知の有料化とカンパのお願い
■伏屋 博雄(本誌編集長)
neoneoの購読は無料ですが、経費を(その大部分は稿料ですが)賄うため、上映等の
告知は有料にしています。なお皆様にカンパもお願いしていますので、ぜひご協力
ください。
(1)上映等の告知の有料化 1200字(40字×30行)以内につき、2,000円です。
それ以上の字数の場合は加算します。
(2)カンパのお願い 一口2,000円。何口でも。
送金方法:郵便振込み:00160?8?666528 neoneoの会、又は、
みずほ銀行池袋支店、普通口座、2419782
(有)ネットワークフィルムズ
(銀行振込の場合は、その由を visualtrax@jcom.home.ne.jp 伏屋宛にお知らせ
ください。)
以上、neoneoの継続ため、よろしくお願い致します。
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┃07┃■編集後記 伏屋 博雄(ふせや・ひろお)
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●かねてから本誌は若い世代の声を反映させたいと思ってきた。しかし読者はとも
かく、執筆するのは40代以上が多く、若者は少なかった。今回、巻頭の「ドキュメ
ンタリー映画のかたち」に登場した中村のり子さんは今春大学を卒業したばかり。
待望の若者の登場だ。彼女は在学中から熱心なドキュメンタリーファンだった。そ
の蓄積を踏まえて、卒論「ドキュメンタリーという亀裂―黒木和雄の『あるマラソ
ンランナーの記録』にみる日本の1960年代のPR映画製作」)は大学で高い評価を得
た。私はこの成果を本誌に掲載したいと思い、折衝を続けてきた。これからの連載
は、この卒論を元に再構成し、推敲したものである。
60年代以降、大量に、しかも良質な自主制作ドキュメンタリーが誕生した。その源
泉はどこに求められるのか?そのエネルギーは、どこで生成されたのか?中村さん
の斬新な発想と問題意識は、熟慮の末、ドキュメンタリーの隆盛の直前にあるPR映
画の実相に求められていった。黒木和雄のPR映画が取り上げられたのは以上のよう
な理由である。スリリングな追求は回を追うごとに深められていくことであろう。
今回は序論であるが、今後の展開を、読者ともども期待したいと思う。
●「映画時評」を執筆することになった萩野了さんも今春大学を卒業したばかり。
ゆくゆくは映画に関わる仕事をしたいと希望する若者である。これから毎月1回を
基本に執筆していただこうと思う(興をもよおす作品があればその都度書いていた
だく)。彼は、大津幸四郎さんの第1回目の監督作品『大野一雄 ひとりごとのよ
うに』を選び、大野一雄の舞踏場面もあるダニエル・シュミットの『書かれた顔』
との比較論を展開している。面白いと思うので、ご一読を。(大津さんはカメラマ
ンとして『日本解放戦線 三里塚の夏』(小川紳介)と『パルチザン前史』(土本
典昭)に関わり、両作品はちょうど今、アテネフランセ文化センターで上映中であ
る(「小川紳介と小川プロダクション」の項)。
http://www.athenee.net/culturalcenter/ )
実は萩野さんは、私が1年間授業を担当した際の生徒であったが、彼の映画に寄せ
る情熱は並々ならぬものがあり、たえず鋭い問題提起を投げかけ、一頭地を抜いて
いた。本誌はこうした若い人材を発掘する場でもありたいと思う。繰り返すが、門
戸を開いているので、若者よ、どしどし寄稿したらどうか。
●配信の締め切り時刻が迫ってきたので詳述は避けるが、高橋晶子さんのシネマ・
デュ・レエル報告は、この映画祭の動向を端的に伝えている。また田井肇さんの記
事は、ミニシアターの存在意義を認めるうえで、強力な論陣を張っている。「新・
クチコミ200字評!」は50回を迎えた。これまで1回も休載無しという偉業(?)は
清水浩之さんの賜物。脇阪亮さんの久しぶりの寄稿も嬉しい。
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■発行:ビジュアルトラックス visualtrax@jcom.home.ne.jp
■責任編集 伏屋博雄
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