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ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン neoneo 43号 2005.9.15

発行日: 2005/9/15




☆━┓ ┏━┓ ┏━┓
┃n┣━┫o┣━┫e┣━┓ ★ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン
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  ┗━┛ ☆━┛ ┗━☆    43号  2005.9.15


∽∽∽∽∽∽ HEADLINE ∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

 †01 日本のドキュメンタリー映画のかたち
      「作品というもの」の役割について  鈴木 志郎康
 †02 ワールドワイドNOW ≪ニューヨーク発≫
      アカデミー賞から騒ぎ(1)  東谷 麗奈
 †03 ドキュメンタリー時評
      劇場型政治とライヴ映像テレビの力(1)  藤原 敏史
 †04 neoneo坐通信(24) 9月後半のプログラム
 †05 広場
     投稿:まだ見ぬ日本のドキュメンタリー映画に向かって
          &#8212;山形映画祭で気になること  本田 孝義
     投稿屋台『クチコミ来来軒!』(19)
     新・クチコミ200字評!(18)
       『心の杖として鏡として』『平成職人の挑戦』
        『球界再編&#8212;始動&#8212;』(以上の評 清水 浩之)
     『シリーズ憲法 第9条・戦争放棄〜忘却』クロスレビュー募集!
     投稿:「小川紳介のコスモス〜小川プロの仕事」レビューリレー(16、17)
        『1000年刻みの日時計』を見て  河原 夏子
        『1000年刻みの日時計』を見て  国井 智美
     上映:戦後60年 日本短篇映画のたどった道
        &#8212;ショートフィルムの60年
     告知:「全景・台湾大震災記録映画の日本上映を支援する会」より
          募金活動へのご協力のお願い
     告知:上映の告知の有料化とカンパのお願い  伏屋 博雄
  †06 編集後記 伏屋 博雄


    ★バックナンバー閲覧はこちらまで

   まぐまぐ配信   http://www.mag2.com/m/0000116642.htm
   melma!配信    http://www.melma.com/mag/39/m00098339/



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┃01┃□日本のドキュメンタリー映画のかたち
┃ ┃■「作品というもの」の役割について
┃ ┃■鈴木 志郎康
┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

●意識を共有すること

最近思うのですが、作品というものを見て、あるいは読んで、面白かった、感動した、
詰まらなかったなど感想を持つ、それですましてしまっていいものなのだろうかとい
うこと。その、わたしたちの作品に対する態度はもっぱら受け手として受動的な立場
に立たされているわけですが、それでいいのだろうかと云うことなのです。映画の場
合だと作者と観客の関係が、映画館や上映会場というところで作品と接するわけです
が、そこには作者はいない場合が多い。作者は不特定多数の観客を予想して作品を送
り出し、観客はそれぞれ勝手に感動したり退屈したりして受け止めて、作品は評判が
よかったとか悪かったとか、受け手側として反応するわけですが、作者と受け手との
間には、直接的な関係は生まれない。むしろ、直接的な関係は排除されている。
それは、作者対観客の関係が1対多数というマスメディアの構造によって出来たもの
に過ぎないと思うわけで、もっと作品を挟んで人と人の直接的は関係を持ってもいい
のではないか、いや、積極的に行動として持つべきではないか、とわたしは思うよう
になってきたところです。

作品を挟んで、観客はもっと積極的に言葉によって作者と直接的な関係を持つべきだ、
ということです。作者が作品を作るという積極的な表現の活動と、観客が受け手とし
て作品を受けとめる消極的な活動をもっと積極的なものにして、両方を重ねて意識の
共同の場を持つべきではないかということです。作者と観客が直接的に言葉を交わし、
多くの言葉を積み上げていくことで、観客は作者の頭の中の出来事に触れ、作者は作
品が観客の頭の中に置かれていく様子を見ることができ、作者と観客が作品を中核に
して意識を共有することになるおではないかと思う。この意識を共有することってい
うのが、今のわたしたちの取って大切なことではないでしょうか。問題の共有ではな
くて、作品を作りそれを受けとめるというコミュニケーションの共有です。
作品の上に作者と観客が言葉を積み上げていく、言葉によって作者は観客を自分のも
のにし、観客は作者を自分のものにするというわけです。飛躍して云うと、作品をも
っと人間同士の手に引き寄せようということです。

まあ、夢みたいな話のように聞こえるかも知れませんが、わたしたちを取り巻く、沢
山のいわゆる無名の作品に触れていると、1対多数というマスメディアが作った作品
の公開のあり方というのが、作品のあり方や役割とそぐわなくなって来ているように
思えるのです。「大衆参加」というマスメディアが作った言葉で表されるような、現
在、誰もが作者という時代になりつつある。たまたま、誰もが作者の中から「1対多
数」の関係の「1」になるものが出ることはあっても、ほとんど誰もが作者の作者た
ちは「作者として多数」でいるわけで、その作者たちの「作品の役割」は何だという
ことになると思うのです。作品は鑑賞とか勉強とか情報とかの対象というものに留ま
っていることはできないで、作者たちの実存の証となることが求められるのではない
かと思うのです。実存の証というのは、互いに認め合い、言葉で語り合い、伝えて行
くということではないでしょうか。人は言葉で生きている。その人間が共同で生きる
場を作り、その中核になるという役割を作品が持つことになると思うのです。

わたしがこういうことを考えるようになったのは、30年余り、映像による表現を始め
たばかりの若い人の映像作品に数多く触れて来たからです。大学や研究所で学生たち
が作る作品は、一般的は未熟な習作といわれ、その習作を重ねた末に世に認められる
作品を作って一人前になると考えられているわけです。中にはその道筋を進んで、卒
業制作の作品がどこかのコンクールに入賞して、卒業と同時に作家としてスタートを
切るものもいる。しかし大半のものはそういうこともなく、卒業してからは作品を作
らなくなる。まあ、才能が無かったといえばそれだけのことと言われる。ところが、
作品自体に視点を置いて考えると、その作品は他から認められなくても、作者にとっ
ては、そこに彼が生きていた証となるものがあるではないか。もし、彼がその年で命
を失うようなことがあれば、認められなかった「習作」によって彼の実存のあり方が
明かされていくことになるだろう。それは入賞した作品と同じように意味があるので
す。

わたしが「教師」という立場で若い人の作品と付き合っていると、制作の過程で作者
が感じ考えている作品以前のことを話し合うことになる。制作の現場で作者が悩み考
え行動する姿を見て、その結果を作品として実現する現場に立ち会う。実は、出来上
がった作品を含めて、作者の行動全体が表現というように思える。この立場は教師に
しか許されない。しかし、作品を中核にして、作った者と見た者が直接言葉を交わす
ことで、作者の行動の幾分かは見えてくる筈だと思う。作品はそういう人間のトータ
ルなコミュニケーションの中核になる役割を持てると思う。(つづく)


■鈴木 志郎康(すずき・しろうやす)
1935年東京・亀戸生まれ。1961年早大卒。17年間NHK勤務。1976年からイメージ
フォーラム付属映像研究所講師。1990年から多摩美術大学教授。1952年頃から詩を書
く。最近詩集『胡桃ポインタ』他詩集22冊。1966年頃から個人映画を作り始める。最
近作『極私的に遂に古稀』他47作品。評論集『映画素志』他10冊、



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┃02┃□ワールドワイドNOW ≪ニューヨーク発≫
┃ ┃■アカデミー賞から騒ぎ(Much Ado About Oscar) (1)
┃ ┃■東谷 麗奈
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●アカデミー賞のみえざる部分

科学や文学にノーベル賞があり、ジャーナリズムにピューリッツアー賞があるように、
映画にアカデミー賞がある。というのは少し大袈裟かもしれないが、一般への知名度
という点においては、アメリカのアカデミー賞の影響力は相当なものである。カンヌ
やヴェネツィアを知らない人でも、オスカーは知っている。何しろノミネートされる
こと自体が既に世間の話題になるぐらいなのだから、その影響力たるやいわずもがな
である。

1927年に設立された映画芸術科学アカデミー協会によって授与されるアカデミー賞は、
主に劇映画に焦点をあててはいるが(ドキュメンタリーが、撮影や編集でノミネート
されたことはおそらくない)、それでもドキュメンタリー部門が存在する。そんなこ
とに関わることはないだろうと思っていたが、私の勤務するDCTVの短編ドキュメンタ
リー「Bullets in the Hood: A Bed-Stuy Story」がサンダンス映画祭で受賞すると
いう好調な出だしを切った今年初め、DCTVディレクターであるジョン・アルパートが、
このオスカーに挑戦しようと言い出したことから、今回の騒動が始まることになった。

ところで、アカデミー賞には、学生アカデミー賞というのが別に設けられている。
「Bullets in the Hood」は10代の少年たちが制作したので、学生アカデミー賞の可
能性を探るのが当然の成り行きである。ところが、この賞は学位を与える映画学校
(大学や大学院)に所属する学生の申請に限られており、DCTVでのプログラムは学位
を出すような類のものではない。作品の共同監督のうちダニエル・ハワードは現在大
学に所属しているが、もう一人のテレンス・フィッシャーは高校中退者である。学生
アカデミー賞というのはひどく門戸が閉ざされているのだということに気づく。これ
では、学校などいかずとも映画を作ってしまう逸材が発見されることはないだろう。
とにかく、この時点で挑戦するなら本物のあのアカデミー賞にいくしかなくなってし
まった。

さて、カリフォルニア州ビバリーヒルズにあるアカデミー協会の事務所に問い合わせ、
申請書類一式が、オスカーの金色のロゴの入った封筒で送られてきた。早速、規定を
確かめるが、複雑な条件が列挙されていて同僚と頭を抱え込んでしまった。つまりは
対象は劇場公開された作品ということなのだが、最大の難関は、「ロスアンゼルスま
たはニューヨークのマンハッタン地区で最低連続7日間の興行を、午前10時から深夜
12時までの間に16ミリ、35ミリ、70ミリまたは、24か48フレームのプログレッシブ・
スキャン・デジタルフォーマット(以下画素数などの詳細情報が続く)で行ったも
の」という点だった。これに更に4都市での2日間の連続興行の条件が満たされないの
であれば、テレビ放映やインターネットでの配信を差し控えることが要求される。映
画祭での上映は一切こうした上映として数えられない。つまり、「商業的に公開され
た劇場映画」というのがアカデミー賞の対象とするところなのである。

しかし、これだけの条件を満たすことのできる短編ドキュメンタリーが一体どれほど
存在するのだろう。アカデミー賞のレッドカーペットの華やかなイメージと私たちの
草の根的なドキュメンタリー作りのイメージが重なって、あまりに現状とかけ離れた
条件が滑稽にすら思えてくる。いくら主要な映画祭で受賞しているとはいえ、劇映画
ではないドキュメンタリーの、しかも短編が7日間もの配給を得ることはほとんど不
可能に近い。しかも、その時点で既に3月、規定劇場公開日の期限は8月末。独立系映
画館と直接交渉を始めたが、案の定ほとんどが短編の上映はやらないか、仮に興味を
持ってくれても既に夏までのプログラムが組まれてしまっている。これに加えて、ア
カデミー賞のいう映画館というものの範疇がいまひとつはっきりしないのだ。入場料
のある上映でいいのなら、例えばDCTVの上映スペースでやってもいいのかといえばそ
うではない。普段から映画を毎日上映しているところで、しかもリンカーンセンター
や美術館のような文化施設ではなく、商業施設でなければいけない。独立系映画館の
中には、そもそも毎日違った作品をランダムに上映しているところもある。アカデ
ミー協会の事務所と何度も確認をとりながら、ようやく実験映画や前衛映画、イン
ディー系の作品をよく上映している劇場と話を進め始めた。

そうして実際やりとりを始めると、劇場のレンタル料だけで2,000ドル(約22万円)を
超えることが分かった。そこに、同僚が見つけてきたのがドキュメンタリー協会が主
催するアカデミー賞への申請資格を満たすための支援プログラムだった。ここでは、
いわゆる私たちのように資金のないドキュメンタリー作家を支援するために、何本か
の作品を選んで劇場のレンタル料を協会が肩代わりしてくれるのだ。やはり、かけ離
れた現状との橋渡しをするプログラムが存在するのに妙に納得する。早速こちらへの
応募をして結果を待ちつつ、引き続き劇場との打ち合わせも続けることになった。

さて、次に立ち上がってきたのが、上映フォーマットの問題だ。今やドキュメンタ
リーにおいては、フィルムではなくビデオが既に主流である。そもそもDCTVは、1972
年の設立当初よりビデオで撮影することに特色を見出している組織なので、フィルム
は扱わない。規定には幸い、さすがに昨今の現状を反映してデジタルフォーマット上
映が加えられてはいるのだが、問題は、独立系映画館にはアカデミー協会の指定する
ような最新技術、最高画質のビデオプロジェクターの設備がないのだ。設備を別会社
からレンタルして持ち込めば、エンジニアも別に雇わなければならない。フィルムに
変換した方が結果的に安くなるということで見積もっても5,500ドル(約60万円)を下
らない。さらに、上映に際しては、規定で相応な広告が主要媒体に掲載されることも
条件として指定されている。ニューヨーク・タイムズなどは途方もない広告料なので、
ローカルな媒体にもあたるが、そうした費用を全て見積もると合計で日本円にして
100万円近い支出をこの申請の為だけに覚悟しなければならない。ここにきて根本的
な疑問が頭をもたげ始めた。そもそも、本当に挑戦するべきなのだろうか。

DCTVは、非営利の団体であり、様々な財団からの援助を受けて運営されている。今回
の短編作品が作られた無料メディア・トレーニング・プログラムは、低所得者層の家
庭の10代の青少年を対象として近年規模を拡大しており、年間およそ250名の生徒を
受け入れている。100万という金額はビジネスとしてみれば端金にすぎないかもしれ
ないが、我々にとっては10人の生徒たちを受け入れる金額に匹敵する。そもそも、
「Bullets in the Hood」が注目を集め、制作した少年たちを映画祭に出席させるた
めに相当な援助を募った頃から、一部の生徒たちだけがそうした恩恵を受け続けるの
は問題ではないかという声が出始めていた。そこに更なるこの金額である。しかも、
何百あるいは何千と出される申請のうちのひとつでしかない現時点では、ノミネート
すら保証されていないのである。そうした中、運悪くドキュメンタリー協会の支援プ
ログラムの選考から洩れたことが知らされた。もう一度この必要性を考え直さなけれ
ばならない。

イラクでの長期撮影を終えて帰ってきたDCTVディレクターのジョンを交え、再度申請
の必要性を確認する。これは、当然個人的な名誉を望むレベルでの議論ではない。ア
カデミー賞にノミネートされる可能性がどれほどあるか、そしてノミネートされたと
きの効果がどれほど必要なものなのかということだ。組織の知名度を一気に押し上げ、
信用性を得ること、それはつまり、今後の資金集めと運営に多大な利益をもたらして
くれることが期待されるのだ。やはり挑戦しよう、と意志を固める。あとはどこまで
経費を抑えられるかだ。そして数日後、その心配が一気に氷解することになる。

熱心にリサーチをしてくれていたインターンの一人が、これまで地元のニューヨーク
にこだわっていたのを、思い切ってもうひとつの上映地域、ロスアンゼルスの映画館
のリサーチを始めたところ、私たちのような団体や個人のための枠を設けている映画
館があることが分かったのだ。この映画館はチェーン展開している完全な商業映画館
で、一定の上映枠を切り売りしているらしく、もちろんデジタル用の最新設備も装備
しているのでフィルムに転換する必要もない。更に主要媒体への広告も、映画館が通
常持っている枠内で掲載することが可能だというのだ。つまり、「アカデミー賞申請
者様用パッケージ」を劇場が準備してくれているというような格好だ。さすがはハリ
ウッド、映画の都である。映画が完全にビジネスとして確立されていることに、この
時ばかりはニューヨークとの違いに思わず感服してしまった。こうして、当初想定し
た予算の5分の1以下で、締め切り直前の8月の最終週になんとか上映を滑り込ますこ
とができた。

それにしても、アカデミー賞の申請は全てのレベルにおいて、現状との隔たりを感じ
されるものだった。それは、裏を返せば、映画というものが短いとはいえ、仮にも
100年という時を経ていることを実感させるものだった。撮影・映写機材の発達とい
う技術レベル、スタジオから個人という制作レベル、映画様式のレベル、そしてドキ
ュメンタリー自体の形態においても、大きな変化と多様性を経てきているのだ。

ところで、私たちの申請書だが、懐かしい藁半紙にコピーされた一昔前のようなロー
テクの申請書に格闘するもうひと騒ぎを加え、9月1日午後5時の締め切り直前に無事
アカデミー協会に届けられた。これから、第一次選考があり、それを通過するとフィ
ルムプリントによる審査となる。それを通過して、やっと5本のノミネート作品が新
年1月に発表される。さて一体どこまでいけるか、どうせならこの騒ぎにもう少し付
き合いたくなってきた。 (つづく)


■東谷 麗奈(ひがしたに・れいな)
映画批評家・ビデオ作家。ニューヨーク大学大学院映画学研究科卒業。マンハッタン
のDowntown Community TVCenter( http://www.dctvny.org/ )でドキュメンタリービ
デオやテレビ番組の制作スタッフとして数多くのプロジェクトに参加する傍ら、NYを
拠点としたアートコラムペーパー「云々」の編集長として映画批評活動を展開する。
また、これまでにJapan Society Film Center New Yorkでの映画プログラムの企画
や、古典及び新作日本映画の北米配給やDVD発売に関わる通訳、翻訳も手がけている。



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┃03┃□ドキュメンタリー時評
┃ ┃■劇場型政治とライヴ映像テレビの力(1)
┃ ┃■藤原 敏史
┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

9/11総選挙の顛末を、引きこもりのニート状態で暑さと編集作業に悶々としながら、
ずっとテレビで見ていた。

総括するなら、今回の総選挙は詐欺みたいなものだったのだと思う。
思い起こせばつい2ヶ月ほど前、小泉氏が「命をかける」と大見得を切ったはずの国
連安全保障理事会の常任理事入りはいつのまにかうやむやのうちに失敗し、やはり命
をかけたはずの北朝鮮との国交正常化と拉致問題は6カ国協議で日本がカヤの外に置
かれて完全に膠着状態、イラク自衛隊派兵も頼りのアメリカがぐらつき、自衛隊がい
ることでサマワの治安がかえって悪化している始末だ。内政でも、道路公団改革は中
途半端さが指摘され、談合汚職の発覚で「改革」の失敗が露呈していた。

・・・以上がなんと解散のたった1ヶ月前にもならない、今から考えても2ヶ月前の、
7月までの小泉政権の現状だった。

その危機的状況だったからこそ、小泉首相は郵政解散という大芝居を打って、「政策
本位」が名ばかりのワンイシュー選挙に打って出たのではないか、今更ながらそう思
う。「分かりやすい」は分かりやすいのだが、その実詐欺みたいなもので、このワン
イシューがテレビを通じて連呼され、絶叫されることで、4年間ほとんどの「改革」
が中途半端に終わっていたことも、すべてがうやむやになってしまう。我々の記憶力
が悪すぎるのか、テレビや新聞だけでは、ほんの2ヶ月前の政権の危機は、もう忘却
の彼方、小泉首相はかつてない安定した政権基盤を手にしたわれである。

しかもそのワンイシューである郵政改革の実態すら、ちゃんと説明されていない。世
論調査では賛成の国民の6〜7割が、内容はよく分からないと答えているのだが、その
実態はむしろ総務省の官僚の権益が増え(たとえば、4分社化で天下り先を確保)、
財務省が支配できる総預金300兆以上の巨大銀行が出来上がる、というだけの、名ば
かりの「改革」「小さな政府」「官から民」なのに。

民主党の敗因は、この一方的に投げつけられたワンイシュー選挙に、年金と子育て支
援のツーイシュー(実質上のワンイシュー)で答えようとしてしまったことではない
か、とも思う−−それ自体は極めて重要な課題で、正論でもあったのに。
なるほど、どちらも国民生活にとって本当は重要なものだが、「改革」イメージを捏
造してすべてを覆い隠す派手さはなかった−−というより、派手なワンイシュー選挙
のお祭り騒ぎを刺客だ、くの一だと飾り立てた「改革」に対し、「日本をあきらめな
い」の民主党の提案は具体性が強く国民生活に密接に結びついているからこそ、逆に
「だって国の借金が」と考えてしまい、「増税」があたまをよぎってしまうのかも知
れない。

いやそれ以前に、民主党がいかに丁寧に数字まで挙げたマニフェストを発表しても、
その文面はまったくテレビ画面には出ないし、紹介はされても大雑把で乱暴な要約だ
けだ−−となると、自民党のマニフェストとも印象としてはたいして違いがなくなっ
てしまいもする。民主党のマニフェストは、ポスターに英語で「Manifest」と岡田代
表の顔の下にでっかく印刷されているだけの標語に成り下がってしまったのではない
か? しかも英語なので、実は読めない人がいっぱいいそう…

自民党と民主党のマニフェストを比較すると、「民主党に政権を任すのは不安」とい
うステレオタイプに反し、どちらに政権担当能力、つまり具体的な政策をたてる能力
があるのかは明確だ。というより、共産党の公約だって自民党のそれよりはずっと具
体的なのである。官僚に丸投げしたとの噂もある自民党の「120の約束」は、終始そ
の噂もさもありなんの官僚的な曖昧さで「善処する」「努力する」にのみ満ちあふれ
ている。しかしそんなものをわざわざ読み比べる有権者がどれだけいるのだろう?
だってテレビには出ないのだから。

今回の、とくに都市部での自民党圧勝は、自民が勝ったのではなく小泉が勝ったのだ
ろう。さしたる理由もなく、なんとなく付和雷同は日本の都市住民大多数の特性だ。
でももっと怖いかもしれないのは、都市部に郵政民営化賛成者が多い理由、小泉が支
持されたことには、もっとダークなものがあるのではないか?

今回の自民党の刺客作戦は、地方の地縁・利権誘導自民党のイメージを壊す効果はあ
った。現実を冷静に考えれば、造反派33選挙区だけなのだが、しかしテレビというも
の、とくにニュースは、「新しいモノ」を追い求めるというその原理的特性からいっ
ても、造反派選挙区ばかり取り上げる。

「郵政」をめぐる選挙戦前半の最大の争点は分かり易くも「田舎の郵便局がなくなる
のではないか?」という危機だった。小泉自民党は「そんなことはない、郵便局は守
る」と言いつつも、それを担保する具体的な保証は一切口にしなかった。野党がそこ
を突っ込むのは当然だったのだが…実は大衆アジテートでは小泉の方が一枚上手だっ
た。いやもっと言えば、テレビを使った大衆リアルタイム・メロドラマの演出と大衆
の願望/欲望ツボの抑え方で、小泉の方がずっと冷酷(あの人は、涙を飲んで非情に
徹する、というよりは元から冷酷な気がする)で巧妙だったのだ。

はっきり言って、大多数の都市住民には田舎の郵便局がどうなろうが知ったこっちゃ
なかったのではないか? それで国鉄みたいに郵便事業が赤字になって、俺たちが払
ってる税金が使われるのだとしたら、そんなことはやめて欲しい、とも思うだろう…。
地方というのは都市住民から見れば「税金が無駄遣いされる場」にしか、見えないの
だ。しかもサラリーマンの所得把握率は、お百姓の3倍と言われており、サラリーマ
ンばかりがずっと税金を払って来た(と、少なくともみんなそう思っている)。

なにしろ都市住民には、これまで「我々の税金が地方にばらまかれ無駄使いされてい
る」という記憶が、根深くあるし、ちょっと地方に、たとえば山形映画祭にでも行け
ば実際に無駄遣いの現物(ビッグウィング)が今なお田園風景のなかに転がっている
のだ。民主党がもともと都市サラリーマン層の支持を集めたのも、具体的なビジネス
モデル的政策で「税金の無駄を省く」が合い言葉だったからだ。そんな都市住民にし
てみれば、地方の郵便局がなくなるというのは、むしろ「いい気味」だったなのでは
ないか?

今回自民党支持がのびたのは特に20代から30代と言われているが、年金は自分たちに
は(まだ)関係ないし、子育ても、まだ子どもを作る気がないから関係ないか、大企
業で新バブルとも言われる都市型高層マンション入居層となると、政府・自治体の支
援がなくとも子どもをお受験させるくらいの余裕がある。

そういうことで政府をアテにしようとは思っていない…。競争社会多いにけっこう!
確かに小泉政権登場までの日本では、社会の多くの局面で、自由な競争でのびのびと、
若者が能力を活かせるということはあまりに少なかった。小泉がライブドア堀江貴文
を、おそらくは党内の猛反対を押し切って、「公認はなし」で妥協しつつも、よりに
もよって旧弊な地縁的コネと利益誘導型政治の典型・亀井静香の対抗馬にぶつけたの
は、そういう計算もあったはずだ。

一方で、国鉄がJRになって都市でのサービスは向上したが、田舎のライフラインに近
かった赤字ローカル線は消えるか第3セクター化され、営業規模は縮小し、駅前はシ
ャッター街になっている。堀江と亀井が激突した広島六区にも、そういう光景はたく
さんあるだろう。しかしそれは、ホリエモンに密着し、亀井の演説会場だけを撮るテ
レビに、それは映らない。

そうは言っても、筆者も今回の選挙戦を主にテレビで眺めていたのだが、むしろ生放
送テレビの力にすっかり見入られてしまい、映像という表現の力を再確認したことも
あった。

たとえば、TBSの開票速報番組で、堀江貴文と安倍晋三自民党幹事長代理が同時につ
ながった時があった。無所属ながらも一応「改革」自民党派で、小泉や竹中平蔵大臣
の応援も受けた候補者だというのに、安倍晋三は堀江と話せと言われた瞬間にその顔
に貼り付いた、凍り付いたような不機嫌さのまま表情が消え、一瞬のうちになにも言
わなくなった。司会の久米宏氏もあまりに意外な事態に、お得意の軽口・皮肉・風刺
トークが止まってしまった。しかしその沈黙には、ピンと来るものがある。ははぁん、
堀江を公認候補とすることに党内に反対があったというのは、このことだったのか。
画面に映ってしまっているからこそ、一瞬の生々しい表情で、言葉では絶対に説明し
きれないことが即座に理解されることもある。しかもライヴだからカットも、意味を
変えてしまう編集も、できない。だから生中継の映像を見るのはやめられない。

堀江に代わってスタジオにつながった亀井は、堀江が天皇制を廃止し大統領制を、と
発言したことを種にしきりと安倍をなじった。そりゃそうだろう、安倍にしてみれば
「なんで堀江みたいな奴が自民党の刺客に」と言われても、なにしろ経済関係の安定
のためには靖国なんてくだらない、過去の戦争のことでは中国に謝罪すべきだと平然
と言いそうな堀江を、「強く毅然とした日本」代表のはずの自分が幹部を務める党が
支持してしまったのだから、針のむしろ状態だろう。

生放送はやめられない、と言えばもちろん党首討論がある。毎回毎回、野党側に政策
の具体的な問題を突きつけられたとたんにムッツリとした表情で同じ言葉を病的に繰
り返すだけで、しかもその論点がまったくかみ合っていない小泉首相が印象に残る。
年金一元化については「政争の具にしない」とはぐらかし、消費税増税は「自分の任
期中は」だけを意固地に繰り返し、イラク自衛隊撤退については田中康夫新党日本党
首が次々とかなり具体的な状況設定を示して「こういう場合なら」と聞いても「時期
を見て、適切に、判断します」と繰り返すのみ。肝心の郵政民営化にしても、国家公
務員を減らすから行政改革だと主張する小泉氏だが、郵政公社は独立採算で給料も公
社内で決めており、人事院勧告の対象ではなく、人件費は税金ではないだろうと指摘
されれば、「国家公務員を38万人減らすのが改革でなくてなにが改革なんですか!」
とヒステリックに叫ぶのみ。

この小泉を見て、投票する気になる人がいるんだろうか? 最後の党首討論となった
田原総一郎の番組では、こうした小泉が答えられない質問になるたびに、司会の田原
が「それはさっきNHKでやったからつまらない」と怒鳴っては議論を止めてしまう。
ははぁん、田原は自民党が勝つと見て、権力におもねることを選んだな。そこまで田
原にフォローされているというのに、小泉は「靖国問題」が議題になると、「約束の
時間だ」と言って席を立ってしまった。“非情”小泉に見捨てられた忠犬・田原総一
郎の唖然とした表情と言ったらない。

もうひとつ、個人的に面白かった生中継は、またまた堀江貴文である。TBSの夕方の
ニュース。「5つの質問」に○か×かで答えるという設定なのだが、その質問の設定
自体をすべて反論し、その前提自体をぶっ壊していく堀江はなかなかの見物だった。
「勝ち組・負け組」の質問では、まず「努力した人が努力しなかった人よりは報われ
るのは当然」としながらも、収益や収入だけで「勝ち・負け」とレッテルを貼るマス
コミがおかしい、だから変な世の中になるんだと逆襲する。お金をもうけるだけが幸
福ではないし、最低限の生活レベルは(政治が?)保証すべきで、そこから先はみん
なが自由に努力する社会にすべきだ、と言い返す。(つづく)


■藤原 敏史(ふじわら・としふみ)
ドキュメンタリー演出/映画批評/にわか政治ウォッチャー? ハリケーン・カト
リーナの被害の映像に、アメリカはやっぱり、世界最大の先進国であると同時に世界
最大の第三世界なのだと、納得。



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┃04┃□neoneo坐通信 9月後半のプログラム
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neoneo坐の9月後半の上映をお知らせします。
会場はいずれも神田・小川町のスペースneo(都営新宿線小川町駅B5出口より徒歩1
分、
JR御茶ノ水駅聖橋口より徒歩5分)です。
詳細と地図は下記のneoneo坐サイトをご覧下さい。
 http://www014.upp.so-net.ne.jp/kato_takanobu/neoneoza/index.html

■山崎幹夫の『極星』 『猫夜』 『虚港』一挙上映!

山崎幹夫の『極星』『猫夜』『虚港』を1日で一挙に上映します(オリジナルのフィル
ム上映)。
金をかけなくても表現できる想像力のアクロバット。映画にはまだまだ人跡未踏の秘
境がたくさんあることを感じさせてくれるでしょう。

9月23日(秋分の日)
13:00〜『極星』
14:45〜『猫夜』
16:35〜『虚港』
上映終了後、山崎幹夫氏を囲んでのパーティーあり

『極星』(1987年/8mm/75分)
友人のリョウを主人公にして、行き当たりばったりの映画を作り始めた私はやがて行
き詰まってしまう。しかたなく、カメラを手に自分の日常を記録し始める。自分の部
屋からの流れ行く雲のコマ撮りや、飼っているうさぎの死産と埋葬。そうして私じし
んも父親から8ミリで撮られていたことを思い出す。やがて私は数年前につくった映
画に出演してくれた女性にもう一度会うため、北陸へと旅に出る。久々に会った彼女
には、もうすぐ4歳になる子どもがいた。

『猫夜』(1992年/8mm/80分)
セルという友人がエジプトから8ミリを送ってくれて、そのまま行方不明になる。そ
れをきっかけに私は『極星』では被写体だったリョウとカーコに8ミリカメラを渡し、
彼らじしんによって身の回りを撮ってもらうことにした。カーコは息子をひたすら撮
り、リョウは彼の酔っぱらいの日々を撮ってきた。私はインドへ旅に出る。まとまり
なく提出され、つなぎ合わされたフィルムのかたまりは、日常のなかにひそむ未知な
もの、日常と非日常は常に背中合わせになっていることを教えてくれたようだ。

『虚港』(1996年/8mm/80分)
テレクラにはまって自堕落な日々を送る「私」は、出会った女に「あなたミッキーで
しょ」と言われる。それは児童施設で働いていたときのあだ名だ。しかし女のことが
思い出せない。そこで女を撮影することを口実に、その正体を暴こうとする。サスペ
ンス的な展開が中途から一変して、メタフィクション的な映画へとすり替わっていく。
「嘘だ、フィクションだ」の号令のもとに、物語それじたいが滑っていくジェット
コースタームービー。最後はインドミュージカルを披露する破天荒な展開に。

【料金】通し券:前売・予約 3,000円
        当日  3,500円
    1作品:1,500円
上映後山崎氏を囲むパーティーあり。飲み物と大皿料理で2,000円
予約はメール(spaceneo@tcn-catv.ne.jp)で space NEOまで。
   (氏名・住所・電話番号・メールアドレスを明記)
お問合せ:spaceneo@tcn-catv.ne.jp


■「知られざる短篇映画を見てみる」上映会 短編調査団

毎月第2・第4水曜/20:00〜21:40 終映予定
16mm上映 鑑賞無料・上映カンパ歓迎

(15) うずの巻…2005年9月28日(水) 20:00〜

『うずの世界』(1976/15分/カラー)製作:岩波映画製作所/企画:科学技術庁/
プロデューサー:片野満/演出・脚本:桑野茂/撮影:小村静夫
流れのある所はほとんど生まれるうずの世界&#8212;うずはどうして生まれるのか、私たち
の生活とどんなかかわりをもっているのか。身近なうずの現象を科学的な眼でとらえ、
うずの美しいイメージの世界へ招く。

『波の力』(1977/14分/カラー)製作:東京シネマ新社/企画:科学技術庁/
プロデューサー:岡田桑三/演出・脚本:岡田一男/撮影:谷口常也
海洋科学技術の開発に不可欠な海の波について基本的なことを明らかにし、波に対す
る技術の現況一消波、波動ポンプ、波力発電などを紹介する。

『あなのふしぎ』(1978/17分/カラー)製作:シネ・サイエンス/企画:科学技術
庁/プロデューサー:戸田祥一郎/演出・脚本:武田純一郎/撮影:長谷川高久・杉
山章
生きものは「あな」と関りをもち、人間は穴の特性を利用して、色々なものをつくる。
それは生体の中の小さな穴とよく似ている。穴の性質や働きを巧みに取込んだ人間の
知恵を発見できる眼を子供に期待する。

『動きまわる粒 気体と液体の分子』(1970/18分/カラー)製作:岩波映画製作所
/プロデューサー:牧衷/演出:佐藤圭司/脚本:金重義宏/撮影:吉瀬昭生
砂を振動させると水のように流れたり,表面が平らになったりします。振動する砂粒
と液体の相似性から,振動する砂粒が浮力を示すか,という問題に進み,実験によっ
て液体の分子運動を推論し、ブラウン運動を推論し実験します。さらに煙を使って気
体もブラウン運動をすることを示し,気化の際の体積膨張は分子自体の膨張によるも
のか,分子が空間を飛びまわるようになるためか,という問題を提出し,液体と気体
の拡散速度のちがいから気体分子の姿を確かめます。

『りゅうの目のなみだ』(1981/20分/カラー)製作:学習研究社/プロデューサー
:原正次・石川茂樹・笹原信雄/演出:押井守/脚本:富田祐弘/音楽:菅野由弘
村の人々を苦しめる恐ろしい竜が山にいるという噂を確かめに、一人の少年が竜に会
いに行く。竜は少年の美しい心に感動して涙を流し、村の子供のために尽くそうとす
る。優しい心を育くもうとするアニメーション。



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┃05┃□広場
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■投稿:まだ見ぬ日本のドキュメンタリー映画に向かって
    &#8212;山形映画祭で気になること
■本田 孝義(映画監督)

●日本286作品の行方

今年も山形国際ドキュメンタリー映画祭の季節がやってきた。行けるか行けないかや
きもきしつつ気になったことを書いてみたい。

本年2005年の応募数を見て少々驚いた。インターナショナルコンペティション、アジ
ア千波万波あわせて日本の作品が286本もあったという。手元に資料が無いため、前
回までがどうだったのか分からないのだが、日本にもこんなにドキュメンタリー映画
があると知ってうれしかった。一方で、この中から山形で上映される作品はごくわず
かであることにも気付き複雑な気持ちにもなった。

山形映画祭が素晴らしい映画祭であるとはいえ、限られた時間・場所で行われる映画
祭である限り、どうがんばっても上映される作品の数は決まってくる。(もちろん、
そうは言っても全体の上映本数は多く、何を見るか迷うのは毎度のことだ。)そのた
め、コンペ、アジアプログラムともに上映作品を「選ぶ」ことになる。本誌編集長・
伏屋さんは、度々、その選考過程に対して問題提起をされてきた。特に、今年は2回
続けて日本の作品がコンペに選ばれなかった点を注視されていた。第三者的に見れば、
「世界の優れた作品と並べて日本の作品には力が無かった」ということになるのだろ
うが、作り手の立場に立てば、どういう点が及ばなかったと判断されたのか知りたく
もなろう。今回から応募方法が変わったため、コンペ対象の日本の作品は70本。
映画祭が逐一製作者に選ばれなかった理由を示すことはどだい無理な話だし、伏屋さ
んが言わんとすることは違うだろう。思うに、選考過程がもう少しオープンなもので
あれば、現在の日本のドキュメンタリー映画を考えるヒントがあるはずであるし、活
性化にもつながるはずだとの思いがあるのではなかろうか。
私自身は、かねてからもう少し日本の作品を紹介する枠があってもいいのではないか
とも思ってきたが、考え方や運営面で難しいこともあるのだろう。

今回、山形映画祭で上映される日本の新作は様々なプログラムを合わせて約20本。こ
の数が多いのか少ないのか、よく分からない。私が気になったのは、応募したけれど
上映されない作品のことだ。応募数が増えているということは、それだけここ日本で
もドキュメンタリー映画に対する興味の高まりがあることは想像できる。山形映画祭
とは関係なく完成した作品もあるだろうし、山形映画祭で上映されることを望んで完
成された作品もあるだろう。作り手とすれば、こうした場があることが励みにもなっ
ているはずだ。しかし、違った角度から見れば、映画祭も発表の場の一つでしかない、
とも言える。私は、山形映画祭に選ばれなかった日本のドキュメンタリー映画が多く
の観客を集め、多くの感動を与えている場面を何度も目撃してきた。山形映画祭の上
映作品に選ばれなかったことで、評価されなかったと諦めるのはまだ早い。どんな形
であれ、貪欲に人に見せる場を自力で作っていって欲しい、と思う。286本の日本の
ドキュメンタリー映画があちこちで上映される時こそ、本当にドキュメンタリー映画
が活性化していると実感できるのではないだろうか。


     ◇────────────────────────◆◇◆     


■投稿屋台『クチコミ来来軒!』(19)
■屋台引き:清水浩之(短篇調査団 http://d.hatena.ne.jp/tancho/ 
ここはメルマガ上に出店した「投稿屋台」です。皆様の投稿をお待ちしております。
本文とは別に「あなたのお名前(ペンネーム可)/掲載確認のご連絡先(メールアドレ
スor電話)/題名/制作年/監督/見た場所(よろしければあなたのプロフィールや
近況も)を付記してお送りください。ちなみにここでは稿料は出ません。
清水浩之 E-mail: shimizu4310@bridge.ocn.ne.jp /ファクス:03-3703-0839

■新・クチコミ200字評!(18)
オススメの作品を200字以内の短評で紹介してください!映画・ビデオ・テレビなど
皆さんがノンフィクションだと思う作品だったらなんでも可!もちろん「オススメし
ない映画とその理由!」もOKです。

B-111『心の杖として鏡として』
2005年/プロダクション135+ワールド映画/監督:萩原磨/撮影:高橋愼二
ポレポレ東中野にて年内モーニング上映予定!  http://www.ableart.org/film/ 
題名から受ける印象(いかにもな福祉系)は鮮やかに裏切られます!病院の精神科に
設けられた「造形教室」の人と作品を被写体に、創作を通して自らが抱える心の病と
向き合う…自己表現を「心の杖として鏡として」生きる人々の姿を優しく見つめる。
人生観、将来への希望、そして淡い恋愛まで、誰もが身に覚えのある瞬間にハッとさ
せられて、その後に深く共感すること間違いなし!観る側の気持ちも楽にしてくれる
アロマ効果あり!!(清水 浩之)

B-112『平成職人の挑戦』
2005年/平成プロジェクト/監督:乾弘明
9月27日(火)文京区・文化シャッターBXホールほか各地で上映中!
 http://www.cinemacafe.net/hida/ 
実に江戸時代以来という、飛騨高山での祭山車の新作に取り組む職人衆。修復だけで
細々と技術を伝承してきた匠たちが、久々の大仕事に血が騒ぐのを抑えきれず、前の
めりになって腕を振るう姿が可愛い!鉄金具歴68年の親方が「千人に一人しかわから
ない<道楽>を入れておきました」と"犯行声明"する嬉しそうな表情が、そのままこ
の映画のテーマなのかも。モノづくりの醍醐味と、歴史を受け継ぐことの大切さ、そ
の両方が味わえます。(清水 浩之)

B-113『球界再編&#8212;始動&#8212;』
2005年/ロコモーション/プロデュース:テリー伊藤/演出:菅井秀一
DVD発売元:BBMC
プロ野球→フジテレビ→広島6区…各地を襲撃してはワイドショーに出まくり去って
いく(本来の目的は?)怪人・堀江貴文社長がドキュメンタリーを自社制作。球界参
入騒動時の心境を語りますが、その言動から見えるのは「このヒトは結局愉快犯なの
では?」ということ。社内スタッフがたまたま撮ったみたいな「落選実況映像」を
3900円×3枚組で発売するとは実に大胆な犯行。「中身が何かは重要じゃない」とい
う商売哲学こそ必見。(清水 浩之)

■『シリーズ憲法 第9条・戦争放棄〜忘却』クロスレビュー募集中!
5月3日(火)深夜に放送されたフジテレビ「NONFIX」のシリーズ憲法『第9条・戦争放
棄〜忘却』(ディレクター:是枝裕和氏)の感想を募集します!今回はお一人様400字
以内を目安にお願いします。当日の放送を見逃した方や関東地方以外の方にもご参加
いただきたいので、録画したビデオテープを「お貸しする」用意もしております。
<録画した番組を売ったり配ったりする>のは犯罪だそうですので、郵便切手550円
分(送料+テープ実費)をお送りいただいた方に、あくまでも参考資料として「お貸し
する」企みです。ご希望の方は清水までメールにてご一報ください。


     ◇────────────────────────◆◇◆     


□投稿:「小川紳介のコスモス〜小川プロの仕事」レビューリレー(16)
■『1000年刻みの日時計』を見て
■河原 夏子(映画専門学校生)

私は福島県の田舎の出身である。家のすぐ裏の田んぼは毎日の遊び場だった。夏は畦
道を走っては逃げてゆく無数のイナゴに波の音を聞き、秋には干してある稲の陰でよ
くかくれんぼをした。その側には昔、目を切られた侍がそこで洗ったと言い伝えのあ
る小さな泉があり、身を隠している蛙を母親とどっちが多く見つけられるか競った。
この映画の冒頭、朝日が昇ってくるシーンを見ながら、ずっと昔同じように一人田ん
ぼの真ん中でゆっくりと日光が山の表面を滑り私のいる所まで降りてきたときの言わ
れぬ感動、大きな大きな声で「おはよう」を何度も繰り返したくなるあの瞬間を私は
思った。

この映画からはあの蒸すような土と草の匂いの中に、人の匂いが溢れていてそれが記
憶となめらかにリンクした。その点でもフィルムでの上映は大変うれしかったし、こ
の映画を見る者にとって重要な意味をなしてきたに違いない。あんな風に字幕の文字
が震えるのもはじめて見た。

日々暮らしている中で、どうしてやわらかい肉体を持った私達はこんなにも固く冷た
い、あるいは触れぬほど熱いものに囲まれて生きているのだろうと思う。やわらかく
ぬくもりのある命が硬く冷たいものの中にきれいに収まろうとする。この映画に映し
出されるあらゆるものは当たり前にやわらかい。人が作り出したものだけが硬く、地
球上で異様なことを教えている。こんなにも表面をやわらかな命が覆っている地球を
人間は地下に眠るものを掘り起こしては、どんどん硬くしているのだ。

人はもう自然の中には帰っていけない。それは確かな事だ。自然から与えてもらった
ものを飽食しすぎているから。人間が人間のことにばかりとらわれている間に、自然
を聞く事ができなくなったのだ。木が水が石が大きく育った昆虫達が耳つんぼの私達
人間を見ている。


     ◇────────────────────────◆◇◆     


□投稿:「小川紳介のコスモス〜小川プロの仕事」レビューリレー(17)
■『1000年刻みの日時計』を見て
■国井 智美(映画専門学校生)

本作は、小川プロの山形県牧野村での13年に及ぶ生活の集大成である。

『どっこい!人間節 寿・自由労働者の街』しか小川作品を見ていないのでもっと足
を運べばよかったと今さら後悔している。

小川プロの稲作の様子から映画は始まった。
カメラが田を這うようにして、田植えをしている所をとらえている。稲の目で(そん
なものはないが)田んぼという世界を見ている気分になった。長靴が泥の中にズボズ
ボと入っては出る音は同時録音ではないが、意図して作った音の効果か、感覚に訴え
てくるものがあった。思い返してみれば、作っている姿ばかりで食べる姿はなっかた。
試行錯誤して作った米の味が気になるな。

米の花の開花を顕微鏡でとらえた映像は美しかった。何故こんなに執拗に、ひと粒の
米ができるまでの工程を撮るんだろうと疑問だった。しかし、映画を見終わるまでに
この問題は解決していくことになった。

突然村人が昔話を始める。1000年前に村人の先祖たちが、稲作をするために苦労して
山から水を引いたらしい。そこから始まった稲作が今へと続いているのだ。土の下か
ら土器が発見されたり、映画は次第に牧野村の歴史へと焦点を合わせていく。村には
山ノ神と道祖神が夫婦として祭られている。道祖神が山ノ神のもとへ婿入りした経緯
を、村人が演じることで明らかにしている。お世辞にもうまいとはいえない演技であ
るが、やらされているおかしさがあった。そしてカメラの、村人への親しげなまなざ
しを感じた。村人は訛りがきついので字幕があったが、あまり読まないようにしてい
た。映像に集中できないから字幕が嫌なのだ。しかし、慣れれば段々とわかるように
なっていくもので、小川プロの人たちも初めは話が通じなかったんだろうなと思った。

クライマックスは、村人総出による240年前の一揆の再現だ。つまり代官の過重な年
貢の取り立てに対する反乱、米を守るための戦いである。村人1人1人が代官に訴えか
ける度に、映画の前半部分の米を作る様子が浮かび上がってきた。そして米の花の開
花のシーン。執拗に米を作る工程を撮った理由がわかった気がした。米を守り育んで
きた牧野村の歴史が、あの小さな米の花に二重写しとなったのだ。


     ◇────────────────────────◆◇◆     


■上映

■戦後60年 日本短篇映画のたどった道
       &#8212;ショートフィルムの60年

 企画:社団法人映像文化製作者連盟/トリウッド 協力:紀伊國屋書店

 日時:9月17日(土)〜10月21日(金)
    土日祝12:30〜 平日15:00〜(火曜定休日)
 場所:下北沢南口 
    短篇映画館トリウッド TEL:03-3414-0433
               世田谷区代沢5-32-5-2F
 入場料金:1プログラム 一般:900円 学生・シニア:700円

現在、「ショートフィルム」は非常に身近な物になっています。
気軽に作れ、見れる作品ととして、格段に鑑賞する機会も増えています。
しかし、数年前、まだまだ「ショートフィルム」を目にする機会が少ない時まで、
短篇映画といえば「文化映画」「記録映画」「科学映画」の代名詞でした。
これらは現在でも上映される機会がめったにありません。
今回、戦後60年に際し、これらの名作ショートフィルムを集め、一挙公開します。
日本のショートフィルムの「原点」というべき作品をお楽しみください。

Part-A   6プログラム/13作品
 帝国の社会と現実ー〈文化映画〉の時代&#8212;「特集・戦後60年」
Part-B   6プログラム/12作品
 温故知新!! 日本のショートフィルム&#8212;「特集・戦後60年」

上映作品・プログラムはこちらをご覧ください。
 http://homepage1.nifty.com/tollywood/ 


     ◇────────────────────────◆◇◆     


■告知:「全景・台湾大震災記録映画の日本上映を支援する会」より
      募金活動へのご協力のお願い

1999年9月21日に台湾中部を襲った大地震は、台中県・南投県を中心に深刻な被害を
もたらし、犠牲者の数は2300人以上にも達しました。震災発生から今年で6年、この
間、被災地の人々の復興にいたる歩みは、困難に満ちたものでした。
この未曾有の大災害に見舞われた地域の姿を、被災した人々に寄り添いつつ、多様な
視点と手法から記録したのが、ドキュメンタリー映像製作集団・全景伝播基金会のメ
ンバーたちです。全景の5人の監督たちは、長年にわたる撮影と編集を経て、このた
び6篇のドキュメンタリー映画を完成させました(* 伝統的な農村共同体の再建を記録
した長編作品1篇は、今回は残念ながら完成が間に合いませんでした)。「前を向いて
大きく歩こう(向前大歩走)シリーズ」と名づけられたこれらの作品は、2004年9月
から台湾各地で公開され、大きな反響を呼びました。

さらにこのたび、本シリーズが、山形国際ドキュメンタリー映画祭(2005年10月7-13
日)で上映される運びとなりました。同シリーズの先頭をきって完成し、日本でもす
でに劇場公開された「生命&#8212;希望の贈り物」が、人間の命の持つ強靭な輝きによって、
見るものの胸を打つ作品であったのに対し、今回新たに上映される作品は、被災者の
あいだで生じる対立や、都市と地域の問題、原住民をとりまく困難など、台湾社会と
被災地に固有の問題にも焦点をあてた作品です。本シリーズの上映は、台湾の社会と
人々の姿を理解するうえでも、災害と社会の関係や、災害復興の過程で私たちに可能
なことを考えるうえでも、貴重な手がかりを与えてくれることと思います。

本シリーズの日本公開は、1980年代後半以降、台湾のドキュメンタリー映画の可能性
を切り拓いてきた全景の活動を日本で紹介する貴重な機会でもあります。しかし、日
本上映に伴う字幕の作成や、監督たちの東京・山形への渡航には、数百万円にのぼる
多額の費用がかかります。そこで私たちは、全景による台湾大震災記録映画の日本で
の上映を支援する目的から、「台湾大震災記録映画の日本上映を支援する会」を設立
し、以下の口座を開設して、カンパを募ることといたしました。一口 3,000円です
(複数口、もちろん大歓迎です!)

  郵便振替口座 口座番号 00170−4−630597
  口座名称 「台湾大震災記録映画の日本上映を支援する会」


     ◇────────────────────────◆◇◆     


■上映の告知の有料化とカンパのお願い
■伏屋 博雄(本誌編集長)

neoneoは2003年11月1日の創刊以来、月2回(1日と15日)、購読料無料で配信してま
いりましたが、配信を継続する経費、その大部分は稿料ですが、ここに到って、皆様
の力をお借りしたく、下記の二点につきご協力をお願いする次第です。

(1)上映等の告知の有料化&#8212;1200字(40字×30行)以内につき、2,000円を頂きたい

思います。但し、それ以上の字数の場合は加算します。
(2)カンパのお願い&#8212; 一口2,000円。何口でも。

上記の送金は下記の方法でお願いします。
郵便振込み:00160−8−666528 neoneoの会、又は、
みずほ銀行池袋支店、普通口座、2419782 (有)ネットワークフィルムズ
(銀行振込の場合は、その由を visualtrax@jcom.home.ne.jp 伏屋宛にお知らせくだ
さい。)

以上、neoneoの継続と、今後一層の充実した内容を図るためにも、皆様のご協力を何
卒お願い致します。



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┃06┃□広場
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■編集後記 伏屋 博雄(ふせや・ひろお)

●鈴木志郎康さんの連載が始まった。第1回目は、作品を単なる感想や批評の対象の
みにとどまるのではなく、作品を媒介として、つくり手と観客とのコミュニケーショ
ンをつくる関係としてとらえようとする。論は私を刺激し、かっての「自主制作・自
主上映」運動を想い出させたのであった。ここでは自主上映について簡単に触れてみ
たい。

60年代から80年代にかけて、大半のドキュメンタリーの上映は(私が所属した小川プ
ロだけではなく)、自主上映を基軸としていた。映画館での上映は夢の世界で、ドキ
ュメンタリーに見向きもされなかった。(小川プロが初めて劇場上映したのは、1982
年の『ニッポン国 古屋敷村』で、今は無き下北沢の「鈴なり壱番館」だった。)
「自主上映」とは、文字通りスタッフが上映する人や団体を探し廻り、自らの足で各
地を上映することであった。これには多大な労力を伴った。身を削るようにして製作
資金を集めた集団にとって、もはや余力は残っていなかった。各地を廻るにしても往
きの交通費のみを得て、あとはポスターやパンフを売ることでその後の行脚の糧とす
るしかなかった。当然宿泊は一宿一飯の恩義で協力者の自宅や学生寮などに泊めても
らった。そして話し込むことによって、映画への共感を得て、上映を実現する約束を
交わすことに傾注した。

面白いことに、こうした得た上映する者と作り手との関係は、またとないコミュニ
ケーションを生み出した。場と時間の共有は、相互が腹をわって話すことに他ならな
い。深夜におよぶ作品の話は勿論のこと、各人の人生観や世界観を披瀝し、各自が抱
える喜びや苦しみを吐き出す。時にはプライベートな話に及ぶこともあった。
上映後に行われる「打ち上げ」も同様で、作品を媒介にして、関係を確認しあうこと
だったのである。

私は懐旧の情に耽っているのではない。ただ「自主上映」で築いていった上映主催者
や観客との「関係」は熱く、作品を評することだけでは終わらず、コミュニケーショ
ンを通して、人が具体的に存在しそこに生きていることも実感させてくれたのだった。
それは私にとって生きる勇気を与えた。既に20数年前に「自主上映」運動は消滅して
しまったが、しかし「自主上映」がもたらした人とのかけがえのない広がりは今も私
の内にある。

●東谷麗奈さんの文章は、相変わらずドラマティックでスリリングだ。一本の作品を
応募するのに、どうしてこんなに煩雑なことをしなければならないのか、不思議にな
るほど多岐にわたり、しかも手続きが面倒なのだろうか、身につまされた。お国の事
情や映画祭違いはあるにせよ、もっとシンプルにならないものか。

●私はこれまで本誌で数回、山形映画祭の運営面について問題提起をしてきた。
今回の本田孝義さんの投稿、「まだ見ぬ日本のドキュメンタリー映画に向かって」は、
共感する部分が多い。

「2回続けて日本の作品がコンペに選ばれなかった点」において私の本意は、本田さ
んが言うように、「作り手の立場に立てば、どういう点が及ばなかったと判断された
のか知りたくもなろう」というものだ。落選したことが問題なのではない。山形映画
祭の、日本のドキュメンタリーの質を見渡す見解を知りたいのだ。これを知ることは、
応募した者の励みとなるだろうと思うのである。山形映画祭から時折送信される
「YIDFFニュース」では、この件に関するコメントは、私の知る限り一切ない。いち
ばん知りたいことに言及されていない。その他の広報は完備しているだけに、画竜点睛を欠く結果を招いているように思う。



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■発行:ビジュアルトラックス  visualtrax@jcom.home.ne.jp 
■責任編集 伏屋博雄
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せん。また、いただいたメールをこのメールマガジンに掲載させていただくことが
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