ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン neoneo |
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┃n┣━┫o┣━┫e┣━┓ ★ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン
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┗━┛ ☆━┛ ┗━☆ 38号 2005.6.15
∽∽∽∽∽∽ HEADLINE ∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽
†01 日本のドキュメンタリー映画のかたち
(1)映画を運ぶこと 大久保 賢一
†02 ワールドワイドNOW ≪ニューヨーク発≫
映画祭の東と西(2―完) 東谷 麗奈
†03 列島通信 ≪埼玉発≫
埼玉映像事情と私(4) 村上 賢司
†04 随時連載「映画は生きものの仕事である」(11)
雲南省昆明市、映画の夜明けのくに(4―完) 土本 典昭
†05 neoneo坐通信(23)6月後半のプログラム
6月22日「短編調査団」(路の巻):
『私は高速道路』 『君にとって車とは』『海を渡るコンテナ』
『雪の行路 急行「ニセコ」C62重連』
6月25日「BOX東中野レトロスペクティブ」(「BOX東中野から
デビューした危ない映画監督たち」:『放送禁止歌』
『アフガン 戦場の旅』『白〜THE WHITE〜』)
6月26日「小川紳介のコスモス」:
『牧野物語・峠』『京都鬼市場・千年シアター』
『映画の都 山形国際ドキュメンタリー映画祭 '89』
†06 広場
投稿屋台『クチコミ来来軒!』(14)
新・クチコミ200字評!(13)
『ピンクリボン』『憲法万華鏡』
『私がつくった番組 赤塚不二夫の激情NO.1』
(以上、清水浩之)
『シリーズ憲法 第9条・戦争放棄〜忘却』クロスレビュー募集!
投稿:「小川紳介のコスモス〜小川プロの仕事」レビューリレー(13)
『ニッポン国古屋敷村』を見て 黒島 永紀
告知:neoneoを継続して配信していくために―
上映の告知の有料化とカンパのお願い 伏屋 博雄
†07 編集後記 伏屋 博雄
★バックナンバー閲覧はこちらまで
まぐまぐ配信 http://www.mag2.com/m/0000116642.htm
melma!配信 http://www.melma.com/mag/39/m00098339/
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┃01┃□日本のドキュメンタリー映画のかたち
┃ ┃■(1)映画を運ぶこと
┃ ┃■大久保 賢一
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最近の海外の映画祭で体験したプログラミングや、そこで見た作品について書くこと
から始めたいと思います。
というのも、僕は「映画評論家」という肩書きがつく以前から上映活動をやってきて
(学生だった1970年代、かなり以前のことですが)いまでも映画を「運ぶ」というこ
とに最大の興味を感じているからです。最近では下北沢の映画館“シネマアートン下
北沢”のプログラミングに関わって、イベント的な上映企画とは違った毎日の上映の
困難も改めて知りました。それでも、プログラミングということがやりたい仕事であ
るという考えは変わりません。
海外の映画祭に日本映画のプログラムを組んで行くこともあります。映画祭に限らず、
国際交流基金や大使館と組んで行くこともあり、この五月もクロアチア、セルビア・
モンテネグロ、ハンガリーのシネマテークや大学で藤田敏八、相米慎二、石井聰亙、
阪本順治、松岡錠治、崔洋一、塩田明彦などの作品を上映して日本映画の状況を話し
ました。
いま、映画祭は世界に数百ありますが、あらゆるジャンルの映画を上映する大規模な
映画祭として面白いのは、アジア以外ではロッテルダム、ベルリン、ウィーン、トロ
ントの映画祭だと思います。これらの映画祭ではドキュメンタリー映画に関しても、
思いがけない遭遇を体験できます。ドキュメンタリーとして「別枠で」上映するよう
なことがないために、特集に含まれる他の作品との関係から興味深い文脈が見えたり
するのです。
04年の山形国際ドキュメンタリー映画祭でグランプリを受賞した王兵の「鉄西区」
(9時間5分の最終版)は、6時間版を03年のベルリンで見逃してその秋のウィーンで
追いつきました。そのウィーンではビリー・ホリディの唄った「奇妙な果実」の作曲
者についてのドキュメンタリー“Strange Fruite”( 監督 Joel Katz, 2002)を見て、
ユダヤ人であった作曲者 Abel Meeropol のことを初めて知りました。奇妙な果実と
表現された(作詞ルイス・アレン)強烈なビジュアルイメージを伝達するコミュニケ
ーションの作曲者(ホリディには何冊かの伝記があるが、自伝「奇妙な果実」には彼
についての記述はない)。彼が社会主義の活動家だったこと、ローゼンバーグ夫妻の
遺児たちを育てたことなども語られます。
この作品や、レイ・チャールズからエリック・クラプトンまで多くのミュージシャン
のミキシングを担当して「音楽の形」を仕上げた技術者トム・ダウドのついてのドキ
ュメンタリー“Tom Dowd & The Language of Music”(監督 Mark Mooremann,2003)
のように、表現と歴史と社会ということに関わって重要な作品が、日本ではなかなか
公開されない。映画祭がそれを見られる限られた機会であるという状況は日本に限ら
ないのかも知れませんが、営利のみが支配する状況を打破するオルタナティブな上映
の形態が形成されないとならない(いま、僕たちが作り始めたコミュニティシネマの
ネットワークはそれを目指しているのですが)。
たとえば、アクチュアルな政治状況に切り込む作品ばかりでなく、我々の感性を形作
ってきた状況について、その歴史と政治性をあらためて考察する作品も重要だと思い
ます。
映画史についてのドキュメンタリーでは、この7月にぴあフィルムフェスティバルで
上映される「アンリ・ラングロア〜ファントム・オブ・シネマテーク」が貴重な一本
ですが、近年の国際映画祭ではこのカテゴリーの作品が相次いで上映されています。
ジョン・カサヴェテスの娘ザン(アレクサンドラ)が監督した“Z Channel : A
Magnificent Obsession”(04)は '80年代にLAのケーブルTV局で世界中の映画を「完
全な」形で放送することに取りつかれたジェリー・ハーヴェイの(ラングロア的)苦
難と恍惚を描く作品。マイケル・チミノの「天国の門」復元にも関わり、Q. タラン
ティーノら多くの映画人も、彼のプログラミングに影響を受けたと証言しています。
あるいは、ウィーンから米国に渡った監督エドガー・G・ウルマーについての
“Edger G. Ulmer - The Man Off - Screen”(04 監督Michael Palm )に描かれた、
重層的世界であったハリウッドの「B級映画」とイディッシュ映画というジャンル。
歴史と民族と政治にも関わるこれらの作品が映画祭のプログラムに、いま定番として
加わるようになった背景とその他の作品について、次回はロッテルダムとベルリンの
「対合衆国」という面から見ていきたいと思います。
■大久保 賢一(おおくぼ・けんいち)
1950年東京生まれ。大学在学中の1970年代初頭に映画上映と16ミリ映画製作の活動を
始め、映画雑誌、新聞に原稿を書き始める。'80年代から海外の映画祭やシネマテー
クに日本の若手インデペンデントの映画を紹介、映画祭審査員なども経験。著書「荒
野より ウォーレン・オーツ」(立風書房)「カルチャースタディーズ映画:二極化
する世界映画」(朝日出版社)他。 多摩美術大学講師
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┃02┃□ワールドワイドNOW ≪ニューヨーク発≫
┃ ┃■映画祭の東と西(2―完)
┃ ┃■東谷 麗奈
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●一見、地味なサンフランシスコ国際映画祭だが…
新参のトライベッカ映画祭が、古参のサンフランシスコ国際映画祭に開催日程を重ね
てきた今年、所属先のメディア・センターのドキュメンタリーが正式出品となり、こ
の東西海岸都市の映画祭対決に立ち会う機会を得た私は、トライベッカを後にして残
すところ4日間となったサンフランシスコ国際映画祭を目指す。カリフォルニアの陽
射しはもう夏だ。
映画祭のメイン会場であるAMC Kabuki Theaterに直行してまず驚いたのは、表に映画
祭らしい垂れ幕も表示もないことだった。名を知られている映画祭にしてはあまりに
簡素な佇まいに少々拍子抜けする。トライベッカより上映本数が少ないとはいえ、そ
れでも48カ国から185本の参加だ。テレビではコマーシャルをしていたようだが、私
が見た限りでは街のどこにも映画祭のポスターはなく、トライベッカでは常に見かけ
た会場前の空席待ちの列も見かけることがなかった。これでは華やかだったトライベ
ッカが懐かしいぐらいだ。
しかし、そんな慎ましい外観とは裏腹に、上映作品は充実していた。劇場に飛び込ん
で最初に見たのが、ヴェルナー・ヘルツォークの『The White Diamond』だ。飛行船
作りに生涯を捧げる研究者が夢に目を輝かせる様が子供のように純粋で美しい作品だ
った。『Film as a Subversive Art: Amos Vogel and Cinema 16』は、主流映画に対
して、実験映画や前衛映画などを愛する人たちの同好会として1946年に始まった
Cinema16の設立者アモス・ヴォーゲルを追ったドキュメンタリーだった。彼はサンフ
ランシスコに次いで歴史あるニューヨーク映画祭の創設メンバーでもあることが分か
る。ふと、サンフランシスコのプログラムの好みは、ニューヨーク映画祭のそれと似
ていることに気づく。華やかなアメリカの商業作品はなく、世界各国から堅実な作品
選びをしている。
キュレーターがトライベッカと重なって確保するのがたいへんだったと紹介したのが、
トライベッカでも上映されていたアッバス・キアロスタミの息子であるバフマン・キ
アロスタミのドキュメンタリー『Pilgrimage』と『Kamancheh』だ。前者が聖地巡礼
のために違法のイラク国境越えをするイラン人たち、後者はイランの伝統楽器の奏者
たちを捉えたいずれも丁寧な作りの優れた作品だった。また、ニューヨーク映画祭で
も上映されていたイタリアの新人監督Saverio Costanzoの『Private』は、期待通り
の秀作だった。ドキュメンタリー出身の監督であり、今回も本来はドキュメンタリー
としての制作を希望していたものが、あまりの危険性から劇映画として撮影されたこ
とが紹介される。ある日突然家をイスラエル軍に占拠されたパレスチナ人一家の人物、
心理描写が見事で最初から最後まで緊張感で身を硬くしたほどだった。
さて、市内及び市外に点在していた6ヵ所の会場のひとつには、市内から電車とバス
を乗り継いで約1時間ほどの距離にあるカリフォルニア大学バークレー校に所属する
Pacific Film Archiveがあった。ここは世界から1万本を超える作品を所蔵すること
で広く知られ、研究、教育、また一般市民への映画文化の発信地となっている施設で
ある。ここでは、羽田澄子監督の『Into the Picture Scroll: The Tale of
Yamanaka Tokiwa』(『山中常磐』)を見た。牛若丸とその母常盤御前の物語「山中
常盤」の絵巻を、浄瑠璃の語りに合わせて撮影した本作は、静止画である絵巻をカッ
ティングや語りの調子によって見事にドラマチックに蘇えらせていた。地味なテーマ
でありながら、会場を埋めた観客が一人として途中席を立つことのない様子を見て、
明らかに観客層がトライベッカと違うことを感じる。日本からは、他にも三池崇史の
「Izo」などが参加しており、これらの選定を見るだけでも、トライベッカと明らか
に好みが違うことを再確認する。
監督たちが訪れるゲストサービスのオフィスでもおもしろいチラシを見つけた。映画
ロケが行われた場所を訪れるフィルム・ノアールツアーと、ヒッチコックの『めま
い』ツアーが組まれていたのだ。映画好きにはたまらないこんな粋なツアーを監督た
ちに提供しているところにも、この映画祭の姿勢を窺わせる。
この他イベントでは、バンド演奏を伴うサイレント映画の上映などが開催されていた
が、サンフランシスコの何よりの特徴は、教育への重点の置き方だった。多くの映画
祭で地域の学校との連携プログラムが行われているが、サンフランシスコのそれはお
そらく最大規模ではないかと思った。「Schools at the Festival」というプログラ
ムの名の通り、課外学習として近郊の小・中・高学生を招く上映会の規模は半端では
なく、作品によっては様々な地域の学校から500人を超える生徒たちが見に来る。」
イラクに派遣された州兵を追った私たちDCTVの長編ドキュメンタリー『Off to War』
が上映されたときには、まだ10歳前後であろう子供たちが先生に引率されながら賑や
かに劇場に入っていくのをみて、監督のブレントとクレイグも思わず「分かるのかな
ー」と笑う。しかし、つまらない作品だとすぐに騒ぎ立てる子供たちが、最後まで静
かに見ていただけでなく、上映後も負傷した兵士がどうなったかなど積極的に質問す
る。監督二人の答えも子供に向けてやさしい口調になる。
また、私たちの短編『Bullets in the Hood: A Bed-Stuy Story』は、10代の少年た
ちによる作品であることもあり、ユースメディアプログラムを運営する地域の団体を
訪問する機会も設けられた。エクゼクティブ・プロデューサーの桑野まみさんが、作
品の舞台となっているニューヨーク、ブルックリンの経済的に豊かでない地区と、サ
ンフランシスコの子供たちの住むコミュニティとが違うかなどの質問をする。10代の
子供達が自室に拳銃を隠しているような状況は、いくら銃社会のアメリカとはいえ、
決して一般的なことではないからだ。これらの教育プログラムにおける上映は、様々
な観客に届くことの楽しみを私たちに実感させてくれたひとときだった。
ところで、今回の私たちのサンフランシスコ国際映画祭における最大の目的は授賞式
にあった。というのは、『Off to War』が、映画祭開催前に決定通知するテレビドキ
ュメンタリー部門の最高賞を受賞していたからだ。多くの映画祭がテレビで放映され
た作品の上映を拒否する中で、上映だけでなくこうして賞の授与も行う映画祭という
のはかなり珍しい。テレビ局からの資金なくしては製作することすら難しいドキュメ
ンタリー分野にとっては、何よりうれしい計らいであり、劇場映画を好む観客にも届
く貴重な機会を与えてくれる。「この賞はこれまでアメリカの作品にはあげていなか
ったんだけれど」と苦笑する審査員が、従軍してイラクで撮影を続けた二人の監督の
功績が高く評価されたのだと紹介すると、壇上に迎えられたブレントとクレイグに大
きな拍手が起こった。4月中旬から2週間半に渡った私たちの長かった東西映画祭参加
がようやく終わりを迎えた。
●ロバート・レッドフォード対ロバート・デ・ニーロ?
こうして改めて振り返ってみると、サンフランシスコ国際映画祭は、映画を文化とし
て享受している人々によって運営され支えられていると言える。作品選択の視点にし
ても、各上映前の丁寧な紹介コメントにしても、その作品をプログラムした者の情熱
が伝わってくる。公式ポスターに「Every Film is a Foreign Film Somewhere.(ど
の映画もどこかでは外国映画です)」と書かれているように、どの地域の作品であれ、
どのようなレベルで制作されたものであれ、どんなジャンルであれ、文化としての映
画作品の質に照らし合わせて同じ土俵の上にあげて楽しもうという姿勢だ。
対してトライベッカ映画祭は、メジャー作品の上映や華やかさが物語るように映画を
ビジネスとして楽しむ人たちの集まりであるように思う。映画産業盛んなアメリカな
らではの姿勢ともいえる。トライベッカは話題性やプレスからの注目度においては、
サンフランシスコに勝っていたかもしれない。サンフランシスコは、経験に培われた
プログラムの充実ぶりでは勝っていたかもしれない。しかしながら、映画はビジネス
であり芸術であり、産業であり文化であるのだ。そのどちらも真実であるからこそ、
今回の東西対決に勝敗を決めるのは難しい。
トライベッカ映画祭とサンフランシスコ国際映画祭は、外見は似ていても、それぞれ
本質的に異なる流れをもっている。それらが、今後それぞれにどのように可能性を広
げ、流れていくのか興味はそこに注がれるべきだ。 とはいえ、戦好きのトライベッ
カである。真の狙いは西は西でも海岸ではなくどうも山間に向けられているらしいこ
とに参加しているうちに気づいた。アメリカ最高峰のサンダンス映画祭の創設者、ロ
バート・レッドフォード対トライベッカ映画祭創設者のロバート・デ・ニーロ、こん
な対決が見れる日もそう遠くはなさそうだ。 (完)
■東谷 麗奈(ひがしたに・れいな)
映画批評家・ビデオ作家。ニューヨーク大学大学院映画学研究科卒業。マンハッタン
のDowntown Community TVCenter( http://www.dctvny.org/ )でドキュメンタリービ
デオやテレビ番組の制作スタッフとして数多くのプロジェクトに参加する傍ら、NYを
拠点としたアートコラムペーパー「云々」の編集長として映画批評活動を展開する。
また、これまでにJapan Society Film Center New Yorkでの映画プログラムの企画や、
古典及び新作日本映画の北米配給やDVD発売に関わる通訳、翻訳も手がけている。
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┃03┃□列島通信 ≪埼玉発≫
┃ ┃■埼玉映像事情と私(4)
┃ ┃■村上 賢司
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●おすすめ!「SKIPシティ国際Dシネマ映画祭」
自宅に届いた封筒には大きく‘invitation’と印刷されていた。「なんだろう?」と
開けてみたら、7月に開催される「SKIPシティ国際Dシネマ映画祭」のオープニングパ
ーティーの招待状だった。なるほど、私が住む埼玉県川口市の街を歩くたび、開催を
知らせる垂れ幕や映画のスチルがいたるところで見つけられた。しかし最近、7月ク
ランクイン予定の長篇映画の準備をしながら、8月放送予定のテレビの特番の撮影と
編集、それに6月17日(金)から下北沢のラ・カメラで開催される「背徳映画祭」で
上映予定の新作『背徳コンクラーベ』の制作を同時にしていたため異常なまでに忙し
く、地元で、しかも昨年参加した映画祭であったにもかかわらず、すっかり他人事の
ように思っていたのだ。せっかく招待して頂いたのだからぜひ参加しよと思い同封さ
れていたハガキの出席部分にマルをつけ、慌てて映画祭のホームページ
( http://www.skipcity-dcf.jp/ )にアクセスした。
すぐに‘ジャ・ジャンクー’の名前を見つけ、しかも上映作品はあの『世界』(2004)
なので歓喜の声をあげてしまった。一昨年の年末から定期的に頂いていた藤岡朝子さ
んの「北京在住期間限定メルマガ」に彼女がこの作品にエキスラとして参加した時の
珍事の報告があり、そこにあった映画の設定に惹かれてしまっていたのだ。
『世界』は‘世界公園’という「人類皆兄弟」というテーマをうたい、海外旅行が出
来ない中国人が世界の名所のミニチュア見て、行った気分になれる中国版・東武ワー
ルドスクウェアのような場所で働く4人の踊子たちの話だ。急速に国際化する北京と
そこで生活する人々の心境を表現するためには最適なロケーションであり、さすがジ
ャ・ジャンクー!と感心していたのだ。『一瞬の夢』(97)で大ファンになった天才
監督の新作がまさか地元で観られるとは思っていなかったので、本当に嬉しくなって
しまった。他の上映作品もチェックしたが、今年のカンヌ映画祭でカメラドールを受
賞した『ミー・アンド・ユー・アンド・エブリワン・ウィ・ノウ(監督・ミランダ・
ジュライ)などいろいろと面白そうな作品が並んでいたので、どんなに忙しくても時
間を作って参加しようと心に決めたのだ。
ただ「国際コンペディション」としながら参加国がアメリカ・中国・デンマーク・ド
イツ・日本の5ヵ国だけでは少し寂しいと思った。作品本位で選考したからだと思わ
れるが、もっと未知の国の未知の才能と出会いたかった。また昨年は国際コンペだっ
た「短編部門」が今年から国内コンペになったのも残念。まだ資金的に厳しい作家が
多い部門だからこそ世界に門を広げるべきだと思う。しかし、まだ2回目の映画祭で
ある。‘山ドキュ’のように世界に誇れる映画祭になるまで、試行錯誤しながらずっ
と存続して欲しいと切に願っている。
ちなみに「Dシネマ」のDはデジタルの意味。だからこの映画祭はデジタル機材によっ
て撮影、編集された作品のみが対象になっているのだが、私自身の仕事もデジタル機
材無しでは到底不可能な情況となっている。例えば現在、制作中のテレビの特番は撮
影は民生機のデジタルビデオカメラ、編集はパソコンを使い、ほぼ一人で演出、撮影、
編集をしている。臨機応変な番組制作が可能だが、カメラマン、編集マンのようなそ
の道のプロとのコラボレーションがないので、それぞれのパートのレベルはやはり低
くなる。多角的な視点を持つためにも、多重人格的な作家性が必要なのだ。
■村上 賢司(むらかみ・けんじ)
映画監督。最新作『背徳コンクラーベ』が背徳映画祭
( http://blog.livedoor.jp/haitoku_eigasai/ )で上映予定。思いのほかC調な作
品になり作者自身も呆れている。昨年監督した『怪奇大家族』『怪談・新耳袋』が
DVDで発売中。また8ミリ作品『観音菩薩・母光』が7月26日に有楽町のファンタステ
ックシアター( http://event.1242.com/~motive/index.html )で上映予定。あとブ
ログ( http://d.hatena.ne.jp/MURAKEN/ )もよろしく!
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┃04┃□随時連載『映画は生きものの仕事である』(11)
┃ ┃■雲南省昆明市、映画の夜明けのくに(4)
┃ ┃■土本 典昭
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この『昆明、映画夜明けのくに』連載に当たって、何故、ここが新しい中国のドキュ
メンタリーの地になるのかと自問していた。その一つの答えとして“雲の南”また
ディープ・サウス(南の深奥部)とされていたこの辺境、しかも1995年ころまで国境
地帯として硝煙の匂いの絶えない“戦火の川”メコン源流昆明が、いまや 180度転換
して東南アジアとの新しい回路、開放都市として登場してきた変遷ぶりに触れたつも
りである。
すでに航路が総延長4500キロのメコン川の入り口、南太平洋から上流の雲南省まで開
拓され、、50トン級の貨客船が就航している。これによって流域の国々ラオス、カン
ボジア、ベトナム、タイからミヤンマーを含む広域な東南アジアが、この川で結ばれ
た。このアジアの国々に向けての中国の新しい玄関が昆明なのだ。
しかも雲南省の抱える少数民族(最近は“源生民族”とも呼ばれる)は26種あるとい
われ、その多くは隣接国のタイ、ラオス、チベット族やそこの数多い“山岳民族”の
系統らしい。ここはその多民族性において中国でも際立った地域であろう。いわゆる
古い時代の“中華思想”も、“漢民族主義”もここでは抑制され、むしろ少数民族の
文化を雲南省のカラーとして前面に押し出そうとしている。
ここの観光名所「民族村」は昆明市の郊外に広大な敷地を擁して作られた。省内の山
間部に行かなくてもその生活、手芸、食事を楽しめる遊園地になっている。その運営
は少数民族であり、一千人以上が働いている。ここには異国情緒が潤沢である。それ
に惹かれて欧米や日本、台湾からの観光旅行団体のみならず、中国各地からの旅行者
で賑わっていた。まさにエスニック、“中国の中の東南アジア”として売り出されて
いる。
●少数民族をどう描くのか?
これまでここの少数民族が、世界からのテレビや北京、雲南の直営テレビ局からひっ
きりなしに取材されてきたことはさきに紹介した「(名所)瀘沽湖畔に一年いれば百
隊の撮影チームに出くわす」という笑い話でも察しられる。それにはもううんざりと
いった彼らの辟易の感じも受ける。つまり取材されてきた少数民族は、いわば「撮ら
れる一方だった」し、その描き方に同意したり批判したりする場もなかった。正確に
記録されているのか、遅れた民族として憐憫の対象にされているのか、面白半分では
ないのか。そうして疑問がうまれても不思議ではない。雲南テレビ局の取材に対し、
棚田で働いている女性が「撮るならお金を頂戴!」と言ったという。このエピソード
は話題になり、これからユーモラスな番組も作られた。いかにも近年の雲南事情を端
的に物語る話だ。それだけに民族誌フィルムについて、どう残していくのかが昆明の
知識人、映画人の課題であり続けている。
ここで映画民族学、映画人類学の用語を聞くのにある感慨があった。半ば死語になっ
たと思っていたからである。その言葉は70年代、テレビ、ドキュメンタリーのなかか
ら生まれたと思う。私の私的な記憶でいえば大学時代からの友人、牛山純一氏が60年
代、日本テレビで「ノンフィクション劇場」から始めた一連のドキュメンタリー番組
(『すばらしい世界旅行』、『知られざる世界』の仕事などを、民族学・人類学の一
翼、社会科学のジャンルに引き上げた“偉業”に感嘆したものだ。そして、その著書
活動も相俟って、やがて日本の大学にも映画(映像)人類学、映画民族学が創設され
た。だが、どうも昆明のそれとは実践的に差があるようだ。
振り返ってこの民族誌映画が登場したリュミエールの時代から見てみよう。その頃か
ら民族誌のテーマは珍重されたものだ。それが植民地獲得の帝国主義的な政策の露骨
なプロパガンダ、住民の慰撫や教化の武器に堕した時代もあった。いずれにせよ先進
国の映画人の目によって、その植民地の民衆が描かれる…それが一般的なパターンで
あった。
第二次世界大戦後、それまでの植民地住民が描かれた見下した視点で撮った歴史への
反省が起こり、人類史の学術的記録として、改めて権威づけられるようになった。
1973年の記念すべき映画人類学者の初の総会では、その一致した意見として、六項目
の方法論が列記されている。そのなかで、「撮影された人(注、原住民など)の、記
録された映画への活用を保障する権利」の明記と並んで、今の昆明と繋がる話である
が「四、特に専門の現地調査者および撮影対象の人びと(注、原住民)に、民族誌フ
ィルムの現代的撮影技術に習熟させる事」とある。つまり写される側の人びと(原住
民)の中に映画製作者を育てて行くことが決議されたのである(注、マーガレト・ミ
ード他著「映像人類学」映像記録選書)。これは先進国の映画製作者、演出家、撮影
スタッフだけで現地に行き、一方的に取材するのではリアルな記録は難しい。だから
スタッフに原住民出身の映画人を育成し、その参加が求めるという方向を指向した上
での言及であったようだ。
ジャン・ルーシュはその後、撮影者は現地語を話せる現地人スタッフを不可欠と宣言
した。そうなったかは定かではないが…。牛山純一はプロデューサーとして、取材班
全員に「地域の取材担当者を十年間は変えない」という“取材地に十年釘付け”とい
う、スタッフには過酷とも言える体制を取った。その結果、その後の数年に世界的に
評価されるニューギニアやアマゾン、アフリカなどの“未開地もの”が連作され、世
界から称賛された。だが、牛山の腕力にも関わらず、何時も経済的な矛盾を抱えてい
たようだ。
ついでながら、出典として挙げたマーガレト・ミード他著の「映像人類学」の作家た
ちには、期せずして今のIT時代、ビデオ取材の時代を予感し待望する動向が語られ
いて、極めて映画論として示唆に満ちている。たとえばマーガレト・ミードは民族学
的撮影に当たって、美学的な技法やカットのモンタージュで表現する従来の撮影・編
集ではなく、民族映画においては、ある未知の原住民の行動の撮影に当たって、しば
しば「切るに切れない」、あるいは計算しがたいものがある。そのためには十分間は
最低長回しできるカメラが望ましいといい、同じ思いからジャン・ルーシュは16ミリ
カメラに30分撮影可能な1000フィートマガジンを製作させたいと語らせている。これ
らの作家の欲が、製作費をかさ張らせ、経済的に破綻していくことに繋がる。
●経済的負担を克服するデジタル・ビデオ
フィルムの時代、どの国の映画制作者をも悩ませたのは、売れ筋ではない学術映画に
かかるフィルムのコストである。例えばフラハティーにしても彼の映画美学からあら
かじめフィルム尺数を割り出す事ができたかもしれない。『モアナ』で最初の一カッ
トをとるまでに一年かかったというが、それほど煮詰めた映画的思考があったという
ことであろう。しかし、民族誌的記録の場合、フィルムは多ければ多いほうが良い。
観察映画には時間の制約は何より辛い。作家がそこで悩まされる。元来、売れ筋の映
画ではないこの種の学術映画はお金でデッドロックに乗り上げ、そして後退を余儀な
くなくされている。70年代のこれら映画の高揚期はテレビも健闘しただろう。しかし
80年代は投資効率の悪い番組は切り捨てられていく。
作家も記録の完成度を死守したい、長回しもしたい、長期取材もしたいと思えば、結
局自己破産しかねない。これは自己撞着の典型であろう。以後テレビドキュメンタリ
ーの総後退の現象を脱してはいない。その中でデジタル・ビデオの到来はこうした映
画人類学にとっては“革命的”であったろう。この昆明の非商業ドキュメンタリー運
動の渦の高まりにフィットしていて見事というほかない。
先に述べた1973年の初の人類学・民族学者の会議で採択された「まだ残っている人類
の遺産のその多様性と豊かさを全面に記録する」ためのマーガレト・ミードや、ジャ
ン・ルーシュ、そして牛山純一らの採択した「“映像人類学”に関する決議」から30
年、ようやく、ここに息を吹き返したと言える。その少数民族の活動家にビデオによ
る製作を習熟させ、干渉を排し、自立して記録映画を作らせようとする試みがそれで
ある。撮られ続けたものが撮る立場に立つ、それこそ民主的なドキュメンタリーなら
ではの事だろう。
今度の雲南映像フォーラムの出品作品の95%はデジタルビデオによる作品であったこ
とはすでに述べたが、テーマにも少数民族を描いたものが登場した。プログラムによ
れば、コンペ作品13作のうち、雲南の作家の出品は 2作であり、ともに少数民族の話
である。だが先号で紹介したアングラ上映作品のように、雲南で撮影されたのに関わ
らず、ダムに追われた水没村の住民の訴えを描いた『怒江之春』は、当局の干渉があ
ったのか、コンペには出されず、バーでの深夜のアングラ上映でしか見られなかった。
国・省や市政府の直営機関であるテレビ局では、政治や社会問題に直接触れる内容の
番組はいまだにタブーのようだが、フリーの作家、史立紅(シ・リホン)さんの『怒
江之春』が今後、どのように公開され、この雲南映像フォーラムがどのようにバック
アップしていくのか眼が離せない。
ではコンペに正式に出された昆明出身の作家、ミャオ・クイントンの短編『南林村の
歌声』はどのような作品であったかに触れないわけにはいかないだろう。
これは小品である。ハニ族の村の大家族風の人びとの楽しい歌の集いの記録である。
彼等の祖父母世代と孫世代のそれぞれの愛唱歌を披露するシーンが映画の芯になって
いるが、導入部の村と村人の住まいと井戸まわり、同居する黒豚親子と人びとの情景
などの描写に引き込まれた。落ち着いて自宅を撮ってみたといった生活感が描かれて
いた。インサート・カットではなくどのカットにも構図が決まっていた。私はもっと
彼らの村、家、井戸ばたの暮らしなどをもっと長尺で見たかったが。さて、主題とな
った歌のシーンである。祖父母世代の男女は数十人の一族を周りにして、伝来の相問
歌を朗々と歌う。それは山岳地帯の村での恋人同士の歌のやり取りらしいが、はるか
谷を隔てても届く、高く澄んだ声であった。周りは聞きほれている。だが、孫世代の
順番になると、孫世代の三人の子供たちはそれぞれペットボトルを口許にして流行歌
を歌う。ボトルは歌手の持つマイクの真似なのか、それでシナを作っている。それが
笑いの種になる。会場でもそれが爆笑を誘った。テレビの風俗がどんどんこの奥地に
も入っていることを見せる作品でもあった。
この映写後の質疑でその無造作な作風が問われた。多分「ここの社会への視点がな
い」といった質問だったようだが、ミャオ監督は「私は好きなものしか撮らなかっ
た」と答えた。「作家としての批評はどこにあるのか」と、さらに突っ込んだ質問が
あったが、ミャオ監督は「好きなものを撮った」と答えた。そこには有無を言わせぬ
ものがあった。少数民族社会の問題を自由に描けるものなら描く、といった言外の気
概を感じたものだ。この作家の寸言には多分ここの参会者には分る暗喩が込められて
いたであろう。
余談ながら、これに関連するエピソードを記したい。
私は昆明を立つ日、会場で品の良い中年の女性監督から二本のDVDを渡された。すで
に書いたように重慶からの二十歳の映画青年から名刺のように、メモを書いた裸の
DVDを受け取っていたので驚きはしなかったが、プロとは見えない控え目な方だった。
北京のフリーの記録映画作家ということしか分らない。
帰国してからパソコンで見たが、北京の町、古い町並みの取り壊しとそれに抵抗する
頑固な住民を描いた『花市の取り壊し、(その住民の)訴えと抵抗』と題された作品
である。私には住民サイドに加担したカメラが面白かった。これは出品作かとプログ
ラムを改めて繰ったが、どこにも上映案内はなかった。かといって、アングラ上映さ
れた様子もない。監督の名前はマリーとあったが、留学生によればペンネームらしい。
つまり寡黙で慎ましい上に匿名のままの作家なのだ。
作品はテレビの水準はクリアしている。それを見ながら訳してくれた留学生によれば
「この描き方なら北京のCCTV(中国中央テレビ)でも問題ない内容のはず…」という。
それを確かめたくて、留学生にDVDに記された電話で北京の監督に尋ねてもらうと、
「テレビ局の“主流”に断られ、放映できなかった」という。「やっぱり」という思
いと同時に、彼女と北京でではなく。昆明で出会ったことを思いかえした。
北京で拒否された作品(DVD)を手に、彼女ははるばる昆明まで来た。映画の上で仲
間となる人と出会うために。そして逢った一人がたまたま私だったということだろう。
つまり言いたいのは「北京はなくても昆明があるわ」といった明るさである。昆明は
すでにそうした吸引力を備えた“映画の地”に目されていると思う。これは私の穿ち
過ぎであろうか。
●特別講義の手ごたえ
滞在中の本題に戻そう。昆明での三日目、私は予定の質疑の枠以外に話すことを頼ま
れた。このフォーラムの総責任者であり、雲南省社会科学院の映画主任の郭淨(グオ
・ジン)さんからだ。どうやら映画コースの学生に特別講義してほしいという。
注文は「水俣を映画で撮ることの意義」「映画初心者への助言」、さらに多少の質疑
の時間も取って…と、やや盛たくさんである。幸い、通訳はベテランの王衆一さんで
あった。見渡したところ、目立つ前列には真っ黒に日焼けした顔が並んでいるではな
いか。郭淨(グオ・ジン)さんは「タイ族のひと、イ族のひと、チベット族のひと…
…」と紹介する。撮影の実技の講義もあったのだろうか、一人残らずカメラを所持し
ている。
ソウルでも北京でもカメラを持つ若者には慣れていたものの、このいかにも現役の活
動家が、これからの自力で記録をしていくのかと思うと、「何故撮るのか?」につい
て、どう話すべきかを考える。あの『怒江之春』のシチュエーションを思いながら、
環境の異変の始まりをどう捉えるかを語ることにした。
だから、「水俣病の原因究明期に、もし今のようにDVDカメラがあったら、私は何
を撮っただろう」と仮定の話をしたが、それは仮説ではない。水俣病の発生当時、チ
ッソ工場からの有毒な排水が原因を誰もが思いながら、それを証明する方法をもたな
かった。辛うじて、当時の水俣の保険部長、伊藤蓮雄氏が趣味の八ミリで水俣湾の風
景の異変、よわってふらふら泳ぐ魚たちを記録し、それを繋いで、自分の推理を字幕
にした映画を作っていた。 その記録が三年後になって国会で上映され、ようやく国
会議員の水俣の視察に結び付いた。それを念頭に、映像の証明の力を語った。
「あなた方の自然に開発などで、自然環境の変化があれば、その予兆をカメラで撮っ
て置きなさい」。と述べた
上記の話につれ、私は咄嗟に黒板に日本語で「海」とか、「工場ー毒汚染−魚ー人
間」などと字を書きなぐっていた。それを王さんが同時通訳する。字は単語を並べた
だけだが、分かり方は早かった。彼等からどよめきが起きた。考えれば当然とはいえ、
まさか日本人が“字を書きなぐる”とは意表を突いたのか、それを面白がって湧いた。
日焼けした青年たちが黒板をバックに私を写そうとカメラを向けた。ひとり、ふたり
…やがて、われもわれもとビデオやデジタルカメラを向ける、ついで横に並んで肩を
組む。私は上気し、初心者向きのカメラの使いかたまで、字で書いて喋った。
私の上映作品にビデオ撮影とパソコン編集の『みなまた日記』がある事は知られてい
たらしく、実作者同士の経験交驩のような親近感があった。通訳の王さんはその人び
との雰囲気まで語ってくれた。
何をどれだけ話したか定かではない。ただ、プログラムにあった私の略歴から、かつ
て日中友好協会に在籍し、日本共産党員でもあったこと質された。そして「今も党員
か?」という真顔の問いに、「辞めたが、水俣の映画を撮るには辞めて良かったと思
っている」と答えた。見回したが不審気な顔をする人はなかった。「私ば十八世紀か
らの社会主義思想は大事にしている。だから現代だけを見てはいません。ソ連も中国
もいろいろあったでしょう…」というと、通訳の王さんはそれを絶妙に訳したようだ。
その帰路、王さんは明るい顔で別れの挨拶をしながら、一言いう。耳の遠い私は聞き
返すと「あなたは種を蒔きましたね」という。怪訝な私を見て、彼はもう一度復唱し
て笑った。私はその後、この王さんの過分な言葉を何度も思い返し、はて、これから
何かをしなくちゃと思う。多分、昆明は中国のドキュメンタリーの拠点になるだろう
からだ。(05,6,14終)
☆「ドキュメンタリーとは何か――土本典昭・記録映画作家の仕事」好評発売中!
土本典昭フィルモグラフィ展2004実行委員会 編
現代書館、5月13日発売! 判型、 四六判 上製 224ページ
定価: 2000円+税
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┃05┃□neoneo坐通信(22) 6月前半のプログラム
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neoneo坐の6月後半の上映をお知らせします。
会場はいずれも神田・小川町のスペースneo(都営新宿線小川町駅B5出口より徒歩1分、
JR御茶ノ水駅聖橋口より徒歩5分)です。
詳細と地図は下記のneoneo坐サイトをご覧下さい。
http://www014.upp.so-net.ne.jp/kato_takanobu/neoneoza/index.html
皆様には、お得な一般会員(2,000円、1年間有効)になることをお勧めします。
■「知られざる短篇映画を見てみる」上映会 「短編調査団」
毎月第2・第4水曜/20:00〜21:30
鑑賞無料・上映カンパ歓迎
(10) 路の巻…6月22日(水) 20:00〜
『私は高速道路』 (1963年/21分/カラー/16mm)
製作:岩波映画製作所/企画:日本道路公団・高速道路調査会/
演出・脚本:藤久真彦/撮影:竹内 亮
普通道路から高速道路への入り方・出方、通行区分の意味、急ブレーキの扱い方、追
越しの仕方など、ハイウェイの各種のマナーをリズミカルな画面で説明する。
『君にとって車とは』
1971年/21分/カラー/16mm
製作:日本リクルートセンター/企画:日産自動車/
演出:間宮則夫/脚本:松尾一郎/撮影:青木利夫
自動車の製造過程と、そこに働く若者の姿を追いながら、自動車ショーに集った人達
に、あなたにとって車とは?の問いかけを行なっていく。
『海を渡るコンテナ』
1969年/21分/カラー/16mm
製作:日本シネセル/企画:商船三井/
演出:吉田 功/脚本:菅家陳彦/撮影:山本 駿
陸と海を結ぶコンテナ。一貫輸送の合理性をひろく内外の顧客にアピールし、その利
用の促進に役立てようとするものです。
『雪の行路 急行「ニセコ」C62重連』
1971年/22分/カラー/16mm
演出・脚本:竹島紀元/撮影:杉山昭親
冬の北海道、函館本線をかつて東海道本線で特急「つばめ」をひいて活躍したC62形
機関車が最後の務めに2台重連で急行列車ニセコを引く。ローカル急行の先頭に立っ
て、吹雪の中を5つの峠にいどむ、小樽から長万部まで140km、その厳しい行路を地上
と機関車上と空中からカメラと音で追跡する。
■BOX東中野レトロスペクティブ1994〜2003
第2回「BOX東中野からデビューした危ない映画監督たち」
2003年4月、惜しまれつつも幕を閉じた映画館があった―その名はBOX東中野。今春よ
りneoneo坐は、「単館映画館の星」―として観客に愛されたこの劇場の“独自精神”
と“挑戦するプログラム”を検証し、今後の映画上映のあり方を考える。
6月25日(土)
14:00〜『放送禁止歌』
1999年 カラー 50分
監督・撮影・編集:森達也
岡林信康、高田渡、なぎら健壱、山平和彦…。かつてシンガーソングライターが花形
だった時代、数々のプロテストソングが“放送禁止歌”のらく印を押され、闇に葬ら
れた。誰が禁止したのか?『A』『A2』でおなじみの森達也がメディア界のタブーに
迫った傑作!
15:00〜『アフガン 戦場の旅』
2002年 カラー 70分
監督・撮影:吉岡逸夫
2001年11月3日、同時多発テロ事件に対する米国のアフガン報復攻撃の取材に出た新
聞記者・吉岡逸夫は、記者たちに問い掛け続けた。「ジャーナリストはなぜ戦場に行
くのか」。映像によって「報道の舞台裏」を描いた私的メディア論。
16:30〜『白〜THE WHITE〜』
1999年 カラー 118分
監督・撮影・出演:平野勝之 制作:安岡卓治
厳冬の北海道最北端・礼文島スコトン岬を目指し、自転車でたったひとり2,000kmの
旅に出る。無謀なこの旅は、冒険なのか? AV界の鬼才平野勝之のドキュメント・
ロード・ムービーの最高峰。
18:30〜 トークショー
ゲスト:森達也×吉岡逸夫×平野勝之
参加費 :映画をご観賞いただいた方はトークショー無料。ただし、トークショーの
みの方は1回分の料金が必要です。
19:30〜 スペシャルパーティー「危ない監督をサカナに飲む会」
今夜のサカナ:森達也×吉岡逸夫×平野勝之
参加費:1500円 (ドリンク+つまみ付き)
【料金】
一般 会員
1回券・・・・1,200円・・1,000円
2回券・・・・2,200円・・1,800円
3回通し券・・3,000円・・2,400円
■小川紳介のコスモス〜小川プロの仕事 (第九弾)
6月26日(日) 13:30〜
program 1
『牧野物語・峠』(1977年、白黒、16ミリ、43分)
監督:小川紳介 撮影:奥村祐治
山形在住の詩人・真壁仁の詩碑が蔵王に建った。刻まれた詩は「峠」。長廻しのイン
タビューを通して詩人の昭和史が語られてゆく。小川紳介の真壁仁に対する親愛が伝
わってくるような、心温まる小品。
『京都鬼市場・千年シアター』( 1987年、16ミリ、カラー、18分)
監督:小川紳介 撮影:牧逸郎
87年夏。土、藁(わら)、葦、丸太で出来た『1000年刻みの日時計』専用の映画館が京
都に出現。この劇場を建設し、命を吹き込んだ若者たちを小川紳介が関西のスタッフ
とともに描く。
14:50〜 program 2
『映画の都 山形国際ドキュメンタリー映画祭 '89』 (1991年、16ミリ、カラー、
93分)
監督:飯塚俊男 撮影:大津幸四郎 構成・編集:小川紳介
1989年秋、第1回山形国際ドキュメンタリー映画祭に世界各地の映画人が集まった。
映画祭の顔として駆け回る小川紳介。一方アジアの作家たちはタヒミック起草の「映
画宣言」を採択して意気あがる。
16:30〜 講座
ゲスト:石坂健治(映画評論家、国際交流基金フィルム・コーディネーター)(予定)
参加費 :1,500円 (1ドリンク+おつまみ)
【料金】
当日―1プログラム:1,500円 / 通し券(1日券):2,500円
一般会員―1プログラム:1,200円 / 通し券(1日券):2,200円
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┃06┃□広場
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■投稿屋台『クチコミ来来軒!』(14)
■屋台引き:清水浩之(科学映画特捜隊/次回は7月31日開催予定!)
ここはメルマガ上に出店した「投稿屋台」です。皆様の投稿をお待ちしております。
本文とは別に「あなたのお名前(ペンネーム可)/掲載確認のご連絡先(メールアドレ
スor電話)/題名/制作年/監督/見た場所(よろしければあなたのプロフィールや近
況も)を付記してお送りください。ちなみにここでは稿料は出ません。
清水浩之 E-mail: shimizu4310@bridge.ocn.ne.jp /ファクス:03-3703-0839
■新・クチコミ200字評!(13)
オススメの作品を200字以内の短評で紹介してください!映画・ビデオ・テレビなど
皆さんがノンフィクションだと思う作品だったらなんでも可!もちろん「オススメし
ない映画とその理由!」もOKです。
B-097『ピンクリボン』
2004年/アップリンク/監督:藤井謙二郎 http://www.uplink.co.jp/pinkribbon/
6月24日(金)まで渋谷アップリンクXにて上映中
40年変わらず制作費300万円というピンク映画界の不思議に、関係者インタビューと
現場ルポで迫る…それだけならテレビ朝日の「トゥナイト」と変わらない気もします
が、金も時間も人手もない三拍子揃った撮影現場で、それでもうじうじと(笑)粘る女
池充監督への同世代的シンパシーを滲ませた編集が見どころになっています。ピンク
映画第一号『肉体の市場』(1962)の現存フィルムが鑑賞できたりするのも、マニアに
は嬉しい特典です。
B-098『憲法万華鏡』
2005年/主催:VIDEOACT!/作:土屋豊、土屋トカチ、小林アツシ、本田孝義ほか
http://www.videoact.jp/
お馴染み3分ビデオ公募企画、今年のテーマは憲法!直球、変化球から魔球まで(笑)
多彩な18作品が勢揃い。9条に挑んだ直球勝負の合間に、某国営放送集金人との激烈
バトルに慄然とする『われたツメ』、作者が"あのヒト"に憑依して重大宣言する『も
しも、私が、天皇だったら』など、切れ味鋭いクセ球も飛ぶのがオムニバスの醍醐味。
改憲問題の「学習参考書」ではなく、現在を俯瞰する万華「鏡」となっているのが楽
しかったです。
B-099『私がつくった番組 赤塚不二夫の激情NO.1』
1973年/テレビマンユニオン+東京12チャンネル/演出:佐藤輝雄
見た場所:渋谷ライズX「スゴバン〜すごいテレビ番組がありました」
http://www.sugoban.com/
テレビマンユニオン35周年記念上映の中でも特に強烈な1本。著名人が1回限りのワン
マンショーを演じる番組で、得意のナンセンスワールドに挑んだ赤塚先生が、インパ
クト溢れる画作りで後年音楽&CM業界の寵児となる佐藤輝雄ディレクター(24歳)と組
んだ結果、核爆発のような30分に…花吹雪の舞うスタジオで、花笠音頭と中山千夏と
女番長と佐々木守とスーパーマンと三上寛とキャロルが同居する幸せ!DVD化を熱望
します。
■『シリーズ憲法 第9条・戦争放棄〜忘却』クロスレビュー募集中!
5月3日(火)深夜に放送されたフジテレビ「NONFIX」のシリーズ憲法『第9条・戦争放
棄〜忘却』(ディレクター:是枝裕和氏)の感想を募集します!今回はお一人様400字
以内を目安にお願いします。当日の放送を見逃した方や関東地方以外の方にもご参加
いただきたいので、録画したビデオテープを「お貸しする」用意もしております。
<録画した番組を売ったり配ったりする>のは犯罪だそうですので、郵便切手550円
分(送料+テープ実費)をお送りいただいた方に、あくまでも参考資料として「お貸し
する」企みです。ご希望の方は清水までメールにてご一報ください。
◇────────────────────────◆◇◆
□投稿:「小川紳介のコスモス〜小川プロの仕事」レビューリレー(13)
■『ニッポン国古屋敷村』を見て
■黒島 永紀(大学生)
「ドキュメンタリー」の概念について、もっといえばそれと「フィクション」との線
引きについての大層な議論が、未だに明確な答えを出せないでいるということは、そ
れだけ両者の境界の混沌ぶりが分かるというものだ。“何でもあり”じゃないかとま
で考えてもバチは当たらない。
もちろん、稚拙な知識で映画を観流すだけの私が、そんな遠大な議論に対して一言挟
み込む余地などそこにあるわけはない。ただ、概念について触れたのは、小川紳介の
映画を観るといつも強く感じること、「ドキュメンタリー」というものからの“逸
脱”感について考えが及んだからだ。
混沌とした曖昧な枠からは逸脱しようがないのでは、と言われてしまえば返す言葉が
ないが、理屈ではなくそう感じてしまうのだから仕方がない。では、自分の中で知ら
ずと培っている偏見のような、いかにもなジャンルとしてのイメージと比べて?…
当たらずとも遠からずといったところか。
情けないが本当にうまく表現できない。新鮮な驚きを感じた「ドキュメンタリー」の
作品はたくさんあるが、そのいずれとも違う質の驚きを私は小川紳介の作品に感じる。
こういってしまうと悪いが、それは何か天然ボケに対する驚きの感覚に近いような気
がする。決して悪気があるわけではなく、あくまで褒め言葉なので勘弁してもらいた
い。つまり、「なんだこれは!!」とこちらが思わずリアクションを返してしまうよ
うな不意打ちがあるのである。
今回neoneo座で上映された「ニッポン国古屋敷村」にしても、それは初っ端から顕著
だった。名前や人物関係は忘れたが、あるおばあさんが古屋敷村へ嫁いできた経緯を
語る。その彼女に当たる照明が奇妙なのだ。闇から彼女だけ浮かび上がったような、
まるで浮世離れした語り部のような印象である。そして、祭囃子みたいな音楽ととも
に、村の人々の非常にクセのある人物画が挿入されて、映画が始まったことが印象付
けられる。ごつごつとした手触りながらも、楽しい不意打ちの連続に早くも私はこの
映画に引き込まれた。そしてもちろん、実にラフな小川紳介自身のナレーションや、
きっちり作りこまれたグラフや実験によって、科学映画の様相を呈してしまう展開、
音の配し方など挙げればきりがない。
このような不意打ちに乗せられていると、いつしか浮かび上がったニッポン国のかた
ちと私達は遭遇する。まさに圧巻の展開であり、他の作品では決して得ることのでき
ない映画体験だったとでもいえばいいのか、こんなことを書いていたら何だかまた観
たくなってきてしまった。
◇────────────────────────◆◇◆
□neoneoを継続して配信していくために―
■上映の告知の有料化とカンパのお願い
■伏屋 博雄(本誌編集長)
neoneoは2003年11月1日の創刊以来、月2回(1日と15日)、購読料無料で配信してま
いりましたが、配信を継続する経費、その大部分は稿料ですが、僅かばかりとはいえ、
多くは私の負担でまかなって来ました。(稿料は驚くほどの安い額で、このことに関
しては、執筆者の方々には心よりお礼申し上げます。) しかし、ここに到って、皆
様の力をお借りしたく、下記の二点につきご協力をお願いする次第です。
(1)上映の告知の有料化―1200字(40字×30行)以内につき、2,000円を頂きたいと
思います。但し、それ以上の字数の場合は加算します。
(2)カンパのお願い― 一口2,000円。何口でも。
上記の送金は下記の方法でお願いします。
郵便振込み:00160−8−666528 neoneoの会、又は、
みずほ銀行池袋支店、普通口座、2419782 (有)ネットワークフィルムズ
(銀行振込の場合は、その由を visualtrax@jcom.home.ne.jp 伏屋宛にお知らせくだ
さい。)
以上、neoneoの継続と、今後一層の充実した内容を図るためにも、皆様のご協力を何
卒お願い致します。
┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃07┃■編集後記 伏屋 博雄(ふせや・ひろお)
┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
●今号からの「ドキュメンタリー映画のかたち」は、大久保賢一さんが担当してくだ
さることになった。学生時代から(自主)上映運動に取り組んでこられ映画評論家に
なった今でも上映およびプログラミングに関しては並々ならぬ関心を持っておられる。
海外の映画祭にも経験豊富な大久保さんのこと、今後の展開は大いに楽しみである。
●東谷麗奈さんのトライベッカ映画祭とサンフランシスコ国際映画祭の報告は、両映
画祭の比較を詳細に綴った格好のレポートだ。どちらかと言えば東谷さんは後者に好
感を持っておられるようだが、しかし、「映画はビジネスであり芸術であり、産業で
あり文化であるのだ。そのどちらも真実である」と述べられているように、映画はこ
の2面性を持っていることも事実。アメリカを代表するこれらの映画祭の行方を注目
したい。
そう言えば、今秋開催される山形国際ドキュメンタリー映画祭の「インターナショナ
ル・コンペティション」「アジア千波万波」の応募が終了した。今年の応募総数は果
たして何本だったかはまだ明らかにされていない。恐らく1000本を越える本数になっ
たのではないか。かって私は選考方法について問題提起をしたことがあった。作り手
が身を削って制作する以上、納得できる選考であってほしいと願ってのことだった。
日本が誇る映画祭だけに、詳細な選考報告をしてもらいたいと思う。
●久しぶりに登場の村上賢司さんは「SKIPシティ国際Dシネマ映画祭」を紹介。サイ
トが掲載されているので覗いてみたが、確かに魅力的なラインナップである。私もジ
ャ・ジャンクーは大好きな監督なので、新作『世界』には大いに興味がある。まだ行
ったことのないSKIPシティを散策する楽しみも加味して、スケジュールに書き込んだ。
●土本典昭監督の文章は温もりがあり、人を鼓舞し勇気を与える。連載の「雲南省昆
明市、映画の夜明けのくに」の連載は毎回面白く夢中になって読んだ。殊に4回目は
最終回を飾るにふさわしく、気持ちが昂ぶった。先日、用あって土本宅に伺った。一
時の体調不良を克服され顔色がよくお元気だった。これも昆明で出遭った作品や人々
からドキュメンタリーの希望を感じ取られたからに違いないと思ったのだった。
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■責任編集 伏屋博雄
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せん。また、いただいたメールをこのメールマガジンに掲載させていただくことが
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