ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン neoneo |
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┃n┣━┫o┣━┫e┣━┓ ★ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン
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┗━┛ ☆━┛ ┗━☆ 37-1号 2005.6.1
∽∽∽∽∽∽ HEADLINE ∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽
†01 日本のドキュメンタリー映画のかたち
ロッセリーニに向かうソクーロフ(3―最終回) 田中 千世子
†02 自作を解剖する
『三池炭鉱(やま)の声が聞こえる』 熊谷 博子
†03 ワールドワイドNOW ≪ロス発≫
映画のなかの都市、ロサンゼルス(1)
−Los Angeles Plays Itself (2003)についてのノート 水野 祥子
†04 ワールドワイドNOW ≪ニューヨーク発≫
映画祭の東と西(1) 東谷 麗奈
†05 ドキュメンタリー時評
「天皇制」テレビ・ドキュメンタリー中断顛末記(3) 藤原 敏史
※37-2号へ
◇────────────────────────◆◇◆
†06 随時連載「映画は生きものの仕事である」(10)
雲南省昆明市、映画の夜明けのくに(3) 土本 典昭
†07 neoneo坐通信(22) 6月前半のプログラム
6月4日・11日『エディット』『ジーナのビデオ日記』
6月8日『日本の気象 ―理科映画大系―』 『雨に考える』
『ぬれる』 『集中豪雨』
6月10日「韓国アニメーション上映会」
†08 広場
投稿屋台『クチコミ来来軒!』(13)
新・クチコミ200字評!(12)
『少年裁判所』 大方 栄太郎
『UNDERCOVER JAPAN』&『成瀬巳喜男 記憶の現場』
清水 浩之
『シリーズ憲法 第9条・戦争放棄〜忘却』クロスレビュー募集!
投稿:西川 陽子(上記のクロスレビューに寄せて)
投稿:「小川紳介のコスモス〜小川プロの仕事」レビューリレー(12)
『牧野物語・養蚕編』を見て 香取 勇進
投稿:藤原敏史氏の
『天皇制ドキュメンタリーの顛末記(1)(2)』を読んで
高田 亮
告知:neoneoを継続して配信していくために―
上映の告知の有料化とカンパのお願い 伏屋 博雄
†09 編集後記 伏屋 博雄
★バックナンバー閲覧はこちらまで
まぐまぐ配信 http://www.mag2.com/m/0000116642.htm
melma!配信 http://www.melma.com/mag/39/m00098339/
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┃01┃□日本のドキュメンタリー映画のかたち
┃ ┃■ロベルト・ロッセリーニの<見(けん)> (3―最終回)
┃ ┃■田中 千世子
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●ロッセリーニに向かうソクーロフ
今年2月のベルリン国際映画祭で話題になったアレクサンドル・ソクーロフ監督の
『太陽』を5月のカンヌで見た。既にベルリンのコンペティションで上映されたもの
だからカンヌの正式プログラムではない。売買のためのマルシェでの上映だ。日本で
は見られないと思うのか、配給しようと思うのか、とにかく日本のバイヤーが大勢来
ていた。
『ザ・サン』はイッセー尾形の扮する昭和天皇が太平洋戦争(=大東亜戦争)末期か
ら戦後の人間宣言までの日々を過ごす。その日常描写から成り立っている。見終わっ
てロッセリーニのことを思った。
最初のうちはイッセー尾形が天皇を演じることに違和感を覚えた。天皇は歌舞伎役者
が演じるものと決まっていることの正しさを痛感したくらいイッセー尾形のひととな
りはふさわしくないと感じられた。しかし、だんだんイッセー尾形の扮する天皇が虚
構であることによって、かえって天皇の本質を感じさせるように見えてきた。生身の
役者の品の度合が実在した昭和天皇とけた違いであったことが、常に虚構を意識させ
るから、映画を見る側に本物を思い出す力が生み出されるのだろう。そのことによっ
て、映画全体が真実味をおびてくる。
そう思った途端、ロッセリーニが『ルイ14世の権力掌握』(1966年)でやろうとした
ことが一層鮮明になった。
ソクーロフの映画からロッセリーニの手法を連想するのは、順番が逆ではないか、と
思う人もいるかもしれない。だが、優れた芸術や芸術家や作家や哲学者は、新しい時
代の新しい才能に影響を与えるばかりではなく、その逆によって、何度もよみがえる
のである。ニーチェとハイデッガーの関係もそうだ。ニーチェはハイデッガーを刺激
したばかりでなく、「かけがえのないニーチェ」と思うハイデッガーによってニーチ
ェ(の哲学)もまた新たに生まれるのである。
ロッセリーニは、いつまでもいわゆるネオレアリスモとつきあわされるのがうんざり
だった。ロッセリーニ自身のきわめたいネオレアリスモならよいのに、批評家やジ
ャーナリズムや世間は型にはまったネオレアリスモにしがみついていた。それをうま
く時代の変化に合わせてバラ色のネオレアリスモを到来させたのが、ヴィットリオ・
デ・シーカだが、ロッセリーニは世間に合わせる気がなかった。インドの後、しかた
なく『ロベレ将軍』(1959年)と『ローマで夜だった』(1960年)をつくるが、フェ
リーニが『甘い生活』(1960年)でカンヌ国際映画祭のパルムドールに輝く時代に、
いかにも古くさかった。そしてピエル・パオロ・パゾリーニの『アッカトーネ』
(1961年)も登場する。そのパゾリーニも参加したオムニバス映画『ロゴパグ』
(1962年)のロッセリーニ編は、『インディア』との関係では興味深いが、パゾリー
ニやゴダールに較べてインパクトは弱い。
ロッセリーニはだんだん映画に興味を失い、テレビに向かい始める。1964年にロッセ
リーニはこんなことを考えている。
「もう私は映画を捨てようと思う。私にとって映画や、芸術一般や現代の知的活動は、
みな直接の現象を観察することにとどまっているように思える。私はこうした現象の
構成要素にまでさかのぼっていきたい」
テレビはロッセリーニに新しい自由をもたらした。撮影はフィルムで行うから審美的
な面で映画と大きな違いはない。かわりにテレビの仕事は機敏だし、なにより興行成
績のことを考えなくていい。まだ視聴率が全然問題にならなかった時代だ。
『ルイ14世の権力掌握』は、テレビ時代のレアリスモだと言えるかもしれない。『無
防備都市』は数ヶ月前のローマの現実を再現したレアリスモだった。太陽王と呼ばれ
たルイ14世が生きた17世紀のフランスを舞台にしたこのテレビ作品は当然同じ意味の
レアリスモにはならない。ジャンルでいえばコスチューム・プレイだ。しかし、普通
のフランスの男性にしか見えない男性が、それまで権力を握っていた枢機卿の死をさ
かいに王権をのばしていく様子(それはほとんど王の言葉によって実行される)が何
ともリアルに迫ってくるのである。歴史もの映画が得意とする大げさな芝居も場面も
何もなく、「王はこうする。王はこう命令する」というセリフの積み重ねと側近たち
のおしゃべりによって、太陽王が現前するのである。
イタリアでもロッセリーニのテレビ作品を再評価する動きが顕著だ。なかにはルイ14
世をはじめロッセリーニがとりあげた歴史上の人物をロッセリーニ自身だと見る研究
者もいてなかなか面白い。人物のドキュメンタリーは突きつめると、作っている本人
が投影されることはある。また、劇映画の登場人物は全て作り手の分身だったりする
こともある。だが、ロッセリーニの場合はどうだろう。彼は徹底して見る芸術家なの
だ。ルイ14世がロッセリーニ自身でないのは、『無防備都市』のアンナ・マニャーニ
扮するピナがロッセリーニ自身でないのと同じだ、と私は思う。ピナは全然ロッセ
リーニではない。そのことがいいとか悪いとか、価値があるとか、ないとかでなく、
ロッセリーニはカメラそのもの、映画そのものなのだ。
■田中 千世子(たなか・ちせこ)
前回はカンヌに行っていて原稿を飛ばしてしまってすみません。カンヌから帰ってす
ぐ『みやび 三島由紀夫』の福岡の上映会に行きました。福岡在住の知り合いの女性
が見に来てくれたのと、三島文学のファンだという清純な乙女が見に来てくれたのが
特に嬉しかったです。6月下旬からマスコミ試写が始まります。今、予告編を作って
います。ぜいたくしてドルビーです。
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┃02┃■『三池炭鉱(やま)の声が聞こえる』
┃ ┃■熊谷 博子
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この7年間、三池炭鉱と取り組んできた。5月半ばに、やっと最終作品が完成した。
始めた動機はとても単純だった。日本最大の炭鉱、三池炭鉱が閉山したのは1997年
3月30日。その1年半後に、地元の大牟田をたまたま訪れる機会があった。
廃坑跡の一つに案内された。秋草が丈高くぼうぼう茂る敷地に、100年前に造られた
赤レンガの建物。地下深く掘られた竪抗に、人を降ろすために使っていた高いやぐら
がそびえていた。足を踏み入れたその瞬間に、地底で働いていた人々の声が、本当に
聞こえたような気がした。私は、不思議な感覚に襲われ、ここを撮るのだと、即座に
決心した。
しかしその後、地元の方から「負の遺産」という言葉を聞く。もしこれを聞かなけれ
ば、私はここまでねばらなかった、と思う。三池炭鉱には、「負の遺産」が多すぎる
から、閉山もしたことだし、すべて忘れて次へ、というのだ。あれだけすばらしいも
のがたくさん残っているのにと、私は心の中で激怒した。戦前の囚人労働、与論島か
ら大量移住させての差別労働、朝鮮人・中国人強制連行、白人捕虜への強制労働、そ
して戦後、「総資本対総労働」と言われ、日本を二分した三池争議(1960)、さらに
戦後最大の炭じん爆発事故(1963)。それはまさに、日本の近現代史そのものだった。
私と同じ思いを抱いた市の行政マンもいた。当時の石炭産業科学館の事務局長だ。ま
ちの歴史を記録し、それと向き合ってこそ未来があるのだと、3年がかりで周囲を説
得、作品作りの予算を獲得してくれた。
しかし一部人々にはまだ、「負の遺産」の意識が覆いかぶさり、三池争議で組合が分
裂し、まちが二つに分かれ闘ったしこりが、まだ根強く残っていた。
そんな中で2年近くかけ、カメラマンの大津幸四郎さんらとともに、三池炭鉱に生き
た72人の様々な証言と、32箇所の炭鉱関連施設を撮影した。全員が泣きながら撮影し
たこともあった。
当時のフィルムを見て、心を動かされた。三池争議に参加した人々が、自らの生活を
賭けて闘っている姿だった。炭じん爆発事故で、CO中毒患者にされた夫を救うため、
妻たちが新たな法律制定を求め、禁止されている坑内に入り、座り込みをやる姿も
あった。日本人がこんなに必死に生きた時代があったのだと思った。
こうして、一昨年、「炭都シンフォニー」というシリーズ名で、目的別に20分、40分、
語り部3部作、90分の、4種類6作品が完成した。一番長い90分版ドキュメンタリーを、
500人を超す人々であふれた市民ホールで上映した日のことは、忘れられない。会場
のあちこちから嗚咽がもれ、涙が次々と伝播した。
これまで三池争議はいつも、第一組合である三池労組の側から描かれてきた。第二組
合を作った人や、陰で分裂を画策した会社側の証言、当時の秘密メモまで含め、真相
が明らかになったのは初めてのことだ。
これらの作品はそれぞれに、全国広報コンクールの特選、総務大臣賞、読売新聞社賞、
地方の時代映像祭の市民・自治体部門の優秀賞、全国地域映像コンクールの審査員特
別賞をもらった。
さらに今年は、念願の長編の作り直しにかかった。これには自分の資金を投入した。
炭鉱を知らない地域で、炭鉱を知らない人に見せていくには、もっと丁寧であってい
いと思ったし、何よりも、大津さんの、深くしつこい映像を活かしたかった。音の仕
上げは、偶然にも大牟田出身の久保田幸雄さんが故郷への思いをこめて、してくれた。
作品のあちこちから、炭鉱と炭鉱で生きた人々の生の声が聞こえてくるようなものに
したかった。私は今も、炭鉱(やま)は生きている、と感じている。
三池炭鉱の歴史と、映像で切り結んでいくのは、あまりにも大変であったが、あまり
にも発見の多い、実りの多いおもしろい作業であった。
多くの人々との協同作業で生まれたこの作品を、さらに多くの方に見ていただくため
に、これからどう上映を進めていくのか、様々な方の力をお借りすることができたら
と、思っている。
☆上映予定:9月16〜25日に行われる、「アジアフォーカス福岡国際映画祭」で、
最初の公式上映
☆『三池炭鉱(やま)の声が聞こえる』(2005年、103分、ビデオ(DVカム))
監督:熊谷博子、撮影:大津幸四郎、VE:奥井義哉、隈元政良、編集:大橋富代、
映像技術:柳生俊一、整音:久保田幸雄、MA:滝澤康、制作進行:巣内尚子、
音楽:本田成子、ナレーター:中里雅子
■熊谷 博子(くまがい・ひろこ)
1975年より、日本映像記録センターにて、ディレクターとして、TVドキュメンタリー
の制作を開始。戦争、原爆、麻薬などをテーマにハードな社会問題を追い、1985年に、
フリーの映像ジャーナリストとして独立。これまでに約50本のドキュメンタリーを作
ってきた。『ふれあうまち 向島・オッテンゼン物語』(95)。最新作に『映画をつ
くる女性たち』(2004)。
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┃03┃□ワールドワイドNOW ≪ロス発≫
┃ ┃■映画のなかの都市、ロサンゼルス
┃ ┃−Los Angeles Plays Itself (2003)についてのノート(1)
┃ ┃■水野 祥子
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ニューヨークからロサンゼルスに引っ越すことになったのは1年と8ヶ月前。引越しは
全然気が乗らなかったので、2003年の暑い夏ブルックリンのアパートで、イメージト
レーニングのつもりで暇をみてはロサンゼルスを舞台にした映画を観た。理由なき反
抗(1955)、チャイナタウン(1974)、卒業(1967)、ロング・グッドバイ(1973)、
前にneoneoでも書いたこともあるトッド・へインズのスーパースターやSAFE(1995)、
そして、深夜の告白(1944)、サンセット大通り(1950)、孤独な場所で(1950)、
恐怖のまわり道(1945)などなど。大半がフィルム・ノアール、ネオ・ノアールの名
作だったと思う。第二次大戦後のアメリカに蔓延していた憂鬱感、ニヒリズムやマゾ
キズムに溢れたこれらのジャンルを選んだことが、実在のロサンゼルスにこれから数
年住むことへの興奮を高める、という当初の目的からは、今思うとすっかり外れてい
たかもしれない。でも、メディアと都市と観客の関係、映画に描かれるロサンゼルス
については多くを考えることになった。
11年前にも同じことをした覚えがある。東京からニューヨークへと移住(?)した時、
私を誘ってくれたのは映画における都市の印象だったと思う。映画を通してニュー
ヨークに恋することは簡単だ。カサベテスのニューヨーク、アンディ・ウォーホール
のニューヨーク、ウディ・アレンのニューヨーク、ロブ・ライナーのニューヨーク、
などなど、幾十ものイメージが重なり合ったナイーブでロマンチックな摩天楼の中身
と空想都市が頭の中にできあがった。実際住んで、目にした現実では、頬を引っ叩か
れるようなそれまでの幻想が崩れていく瞬間もあったけれど、眠らない町を遊歩し、
さらに多くの映画を見ることで膨らむ興奮の夜に掻き消された。都市に暮らすことは
いつもこうした映像がくれるイメージの記憶や想像のフィルターを通した過去のコン
ストラクションを新しいものに塗り替えていく作業を必要とするのかもしれない。
映画史を専攻し始めてから、そんなことをより意識的に考えるようになった。エドウ
ィン・ポーターの1900代のニューヨーク、ポール・ストランドの1920年代のニュー
ヨーク、ライオネル・ロゴシンの1940年代のニューヨーク、ジーン・ケリーとフラン
ク・シナトラが踊り歩く50年代のニューヨーク、ウォ−ホールの60年代のニューヨー
ク、ジャック・スミスの、シャンタル・アーカーマンの、イヴォン・ライナーの、
マーチン・スコセッシの70年代のニューヨーク、などなど、映画の中のこの都市はい
つの時代も愛情を乞うことに暇がない。劇映画であろうと、ドキュメンタリーであろ
うと、百人百様の都市がある。すべては主体を通しての表象であって、誰かの目を通
した都市のイメージだ。私の90年代のニューヨークもそんな幾層にも重なるイメージ
と記憶の寄せ集めだ。
戦後ノワールとBフィルム映画をつくったハリウッドの作家たちは、太陽とパームツ
リーの町ロサンゼルスを、夜の闇、姦通、殺人、汚職、成金趣味の豪邸、ファム・フ
ァタール、逃亡、孤独な男の眼差しと告白で覆った。欲望と犯罪の町として回想され
るロサンゼルスを描き上げることによって初めて映画に迎え入れることができたのだ。
それまで、また同時期、明るく跳躍するロサンゼルスを描いたハリウッド超大作なん
てそう簡単にみつからない。ヴィンセント・ミネリのミュージカルはハリウッドのMG
M撮影所にいながらニューヨーク(バンド・ワゴン1953)、パリ(巴里のアメリカ人
1951、恋の手ほどき1958)、時代を遡って20世紀初頭の近代化するセント・ルイス
(若草の頃Meet me in St. Louis、1944)を夢のようなショービジネス、上流階級の暮
らしやロマンスの背景として描いた。ミネリはハリウッド撮影所の中に渦巻く成功へ
の野心とその犠牲と苦悩はドラマ化したけれど(悪人と美女1952)、ロサンゼルスと
いう都市自体を一度も舞台にはしなかった。黄金期のハリウッドの立役者さえロサン
ゼルスを美化するべく術を見いだせなかったのだ。雨に唄えばも同時期のロサンゼル
スではなく1927年のハリウッド映画撮影所を舞台にしたミュージカル映画だ。
70年代以降、戦前の近代建築が廃墟化してきたロサンゼルスはSF、アクション物の格
好の舞台になる。SFジャンルのロサンゼルスへのラブコールは50年代から始まってい
たことなのだが、ロサンゼルスが意識的に未来都市として頻繁に描かれることになっ
たのはやはり70年代かららしい。じつは私は、80年代以降のLAという都市名がタイト
ルにあるような映画は殆ど見ていないので多くを語ることはできないが、ロサンゼル
スはリアリズムから程遠いジャンルで、ポストモダンの言説で、ようやく表舞台とし
てスポットを浴びた。
明らかに、多くのハリウッド映画はこの都市について語ることを避けてきた。私も実
際住んでみるまで、映画やメディアを通して虚飾されたロサンゼルスという都市の素
顔を少しは知っているような気になっていたけれど、やはり知らないことばかりだっ
たと思うし、いまも驚かされることばかりだ。世界が知る映画の中のロサンゼルス、
旅行者が通過するロサンゼルスの裏側を見た者の記録は残っているのだろうか。
ロサンゼルス在住の映画作家、トム・アンダーセンのLos Angeles Plays Itself
(2003)はそのような、劇映画が描くロサンゼルスというシュミラークル化する都市に
ついて語る2時間40分のドキュメンタリーだ。1920年代、近代化する都市がモダニス
ト映画作家を駆りたて、ポール・ストランドがニューヨークの都会性を、ウォルター
ルットマンがベルリンのを映画の主題とし、City Symphony ―都会交響曲−というド
キュメンタリーのサブジャンルが生まれたが、アンダーセンはそんな都会交響曲を反
転してみたらどうだろう、と冒頭(のナレーション)で提案する。劇映画の中で登場
人物と物語の背後を飾るロサンゼルスについてのドキュメンタリーをやってみよう、
と。映画の中でも名もない廃墟の市となり抽象化され未来化されてきた都市の描写に
も歴史がある、それを地理的に明確化したり、歴史を辿ったり、劇化されたり描かれ
なかったりした事実を追いかけたりして、時間をかけて映画のなかの都市の変遷を読
んでいこう、というわけだ。
一昨年の公開以来、友人たちの話題に上ることが多く、批評やインタビューをよむに
つれ、ロサンゼルスに引っ越してきて以来ますます見たいと思っていた。ある都市に
ついての映画を語ることは、その都市に魅せられ映画に魅せられた者ならだれでも夢
みる企画ではある。でもロサンゼルスを扱う劇映画なんてハリウッドが1910年代以来、
物凄い数が作られていのに、そんな巨大なテーマをどのように二時間半で纏め上げた
のだろうと気になっていた。この映画が誕生してからのこの都市の歴史、そして、ノ
アール以来から現在までのロサンゼルスについての映画と私たちがこの都市を語ると
きにつきもののシニシズムをどう取り扱っているのかにとても興味があった。
実は私自身も1920年代から1930年代に近代化する東京を舞台にした劇映画と文化史に
ついての博士論文の提案書を作成したところで、今、書き上げたばかりの提案書をも
とにDVD化するための短いヴィジュアルエッセイを製作している。前置きが長くなっ
てしまったが、そんな共通点もあり、アンダーセンが語る映画の中と外のロサンゼル
スとその歴史について、次号でじっくり語ってみたいと思う。(つづく)
■水野 祥子(みずの・さちこ)
映画史研究。先日日本から妹が炊飯器を持ってきてくれたのですが、美味しく炊けな
い。いろいろやってみましたが、お米のせいなのか、電圧のせいなのか、これもまた
理想を追いかけてるだけなのか、原因がわかりません。こういうことに悩みはじめる
ということはそろそろ一次帰国する時期だよ、というサインでしょう。
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┃04┃□ワールドワイドNOW ≪ニューヨーク発≫
┃ ┃■映画祭の東と西(1)
┃ ┃■東谷 麗奈
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●トライベッカ映画祭とサンフランシスコ国際映画祭
東と西の対決というのは、どうもどこの国でも避けがたいものらしい。なんの話かと
いうと映画祭である。世界には実に様々な映画祭があり、その数は規模の大小や知名
度を問わなければ、おそらく毎月100近くに上る。これだけの数の映画祭があるのだ
から、当然お互いが重なり合うことは避けられない。テーマや開催地域が近い場合は、
それぞれがお互いに気遣って、作品とお客の奪い合いにならないように時期をずらし
ていくものだが、ここに近年登場したのが、今回の火付け役、東海岸ニューヨークで
行われるトライベッカ映画祭である。去る4月19日から二週間に渡って開催されたこ
の映画祭は、同時多発テロで打撃を受けたトライベッカを中心としたロウアーマンハ
ッタン地区の復興を兼ねて2002年に始まった。今年4年目という若さだが、俳優ロ
バート・デ・ニーロとプロデューサーのジェーン・ローゼンタール、クレイグ・ハト
コフによって設立されたこの映画祭は、彼らの知名度や影響力から瞬く間に規模を拡
大し、今後主要映画祭となることが予測される成長株だ。
一方、西海岸カリフォルニア州で開催されるサンフランシスコ国際映画祭は、アメリ
カで最も古い歴史を誇る映画祭のひとつで今年で48回目を迎えた。そのプログラムに
は定評があり、毎年4月中旬から15日間開催されてきている。
●トライベッカの挑戦
トライベッカはこれをこれまで避けるように5月初旬から開催してきた。ところが、
今年は違った。ついに時期を大幅に繰り上げ、開催期間も9日間から13日間に伸ばし、
サンフランシスコに完全に重なる形で日程を組んだのだ。しかもトライベッカの方が、
数日早く開幕日を迎えることで、アメリカでの初上映のクレジットを多くの作品にと
ることになった。いわば、宣戦布告だ。200本以上の映画を上映し、コンペも設けて
いる二つの映画祭が重なれば、作品の取り合いになり、似た内容になることは免れな
い。加えて、サンフランスコ国際映画祭のディレクターを長く務めたピーター・ス
カーレットが一昨年よりトライベッカ映画祭のディレクターとして着任している。何
も知らなくても、この動向が気にならないはずはない。
かくして東西の映画祭対決が避けられなくなった今年、私の所属するメディアセン
ター、ダウンタウン・コミュニティ・テレビジョン・センター(DCTV)の長編ドキュ
メンタリー『Off to War』と短編ドキュメンタリー『Bullets in the Hood: A Bed-
Stuy Story』が、両方の映画祭に正式出品されることになった。出品決定の知らせに
喜ぶと同時に、この東西正面対決の初戦に立ち会えることを思うと興奮した。
4月初めになると、ここ数年のごとくニューヨークの街のあちこちでトライベッカ映
画祭のポスターを見るようになった。地下鉄の全車両に、黄金色のビールがフィルム
の形になってボトルから流れ出しているスポンサーであるバドワイザーの広告が貼ら
れ、テレビだけでなく、私の家の近所の小さな映画館でも、ロバート・デ・ニーロが
登場するモノクロの渋いトーンのコマーシャルが上映前に流れるようになった。人々
の意識の中にこの季節を代表する街全体を挙げての一大イベントとして浸透しようと
しているトライベッカの思惑がのぞく。映画祭設立の趣旨が、同時多発テロからの復
興なだけに、グラウンドゼロのすぐ後ろにある11個のスクリーンを持つシネコン型の
大きな映画館Battery Park Regal Cinema Theaterをメイン会場として、高校や大学
のホール、美術館などロウアーマンハッタン地区にこだわった計11箇所の会場がある。
ちなみに、ロウアーマンハッタン居住者には、チケットの先行予約も提供していて、
とにかくこの地区を中心とすることにひとつの特色を打ち出そうとしている。今年の
上映本数は45カ国から250本を超えた。その開幕となったのが、シドニー・ポラック
の新作「Interpreter」で、ニコール・キッドマンとショーン・ペンが主演するハリ
ウッドのメジャー作品だ。開幕作品は、映画祭の傾向を知るひとつの目安となるもの
だが、トライベッカのすることはとにかく華やかだという印象を最初から受ける。設
立者の人脈と知名度ゆえだろうが、毎日赤いカーペットに次々と有名人が到着する。
また、スポンサーの数と協力が夥しい。メインスポンサーであるアメリカン・エクス
プレスは、コマーシャルを作り、メイン会場と地下鉄の駅をつなぐシャトルバスを出
して映画祭を全面的にバックアップするのでカードメンバーには映画祭で様々な特典
がつく。苦笑したのは、出品している監督に配られる「おみやげ袋」だ。スポンサー
からのささやかなプレゼントが入っているのだが、その袋の大きさと中身では、アメ
リカ最高峰のサンダンス映画祭よりもはるかに充実していて、強力なコネと大金が渦
巻いていることを早々に実感してしまった。
●『Off to War』
ところで、私たちの作品だが、『Off to War』がまず一般上映初日に初上映を迎えた。
この作品は、アーカンソー出身のルノー兄弟、ブレントとクレイグが、イラクに派遣
されたアーカンソーの州兵とその家族達を二年近く追いかけた長編ドキュメンタリー
だ。州兵というのは軍人ではない。普段はそれぞれに仕事を持つ民間人であり、災害
時などの緊急の支援として登録し訓練を受けているだけだ。今回、イラクでの人手不
足を補うために、特別召集がかかり、仕事と家族から突如として離れなければならな
くなった彼らの混乱と動揺から物語は始まる。平日の昼間の上映に客の入りを心配し
ていたが、チケットが売り切れとなったという知らせにちょうど2週間前に派遣期間
を終えた兵士と共にイラクから帰国したばかりのブレントとクレイグが笑みをこぼす。
二人はこの一年従軍してほとんどイラクに行きっぱなしだった。数ヶ月に一回わずか
に戻ってきては、元気そうな彼らを見てほっとすると同時に次も無事であることをス
タッフみんなが心配していたので、彼らが無事に撮影を終え、こうして映画祭の舞台
に立つのを見られることは何よりうれしかった。18歳で派遣された3人の若い兵士マ
ット、トミー、エリックとその上官のメイソン氏、そしてこのプロジェクトを支援し
てくれたブライアント大佐も映画祭に招くことができた。上映が終わると、観客が総
立ちになり、彼らがこの国のために払った様々な犠牲に対して賛辞の拍手を送ってく
れ、プロダクション・マネージャーとして走り回っていたドナの眼が思わず潤む。
続く質疑応答では、反戦派が多いニューヨークらしく、映画の政治的なスタンスや軍
からの制約や検閲がなかったかといったことに質問が集中する。ブレントとクレイグ
が重ねて強調するのは、この作品はどんな政治的な立場、視点に立つことも意図して
いないということだ。音楽もナレーションもなく、見たことを可能な限りそのまま伝
えようとしているものであり、それをどのように捉えるかは観客にまかされているの
だと繰り返す。それでも二人から何らかの政治的な立場を引き出そうと食い下がる観
客もいる。そのとき、クレイグが答えた言葉が印象的だった。「自分自身が戦争に対
してどう思うかということは白黒で単純に言えるものではありません。兵士たちがイ
ラクの土地の人々の生活向上のために役立って喜ばれているのを見た時は、やはり彼
らが来てあげてよかったと思います。そうでないこともあります。その時々によって
考え方は何度も変わりました。問題は複雑で単純には言えません。」
上官のメイソン氏は愛国心にあふれ、ブッシュ政権を支持し、白黒をつけるならおそ
らく保守派の人間だ。しかし、彼がイラクで人々のためにと部下たちと作った公園に、
土地の人々は彼の名前を冠して称えたという。私は、映画祭の期間中3回あった全て
の上映に立ち会い、兵士たちの言葉を聞いているうちに、やはり同じように複雑な心
境になっていった。米国の上層部の真の意図が何であれ、彼らはイラクの再興を助け
るという使命を信じて、直接は何の関係もない人々のために自分の生活を捨て命を危
険にさらしているのだ。こうした個人一人一人を単純に反戦という理由で非難できる
ものではない。しかし一方で、純粋に国家の使命を信じて遂行する彼らだけに、国が
誤った使命を彼らに課したときに何が起こるのかを想像すると怖いとも思うのだ。観
客からの質問はいずれの回も細部にわたり、途切れることがなかった。
●『Bullets in the Hood: A Bed-Stuy Story』
私たちのもう一本の作品、10代のテレンス・フィッシャーとダニエル・ハワードによ
る短編『Bullets in the Hood: A Bed-Stuy Story』は、他に4本の短編ドキュメンタ
リーと共に上映された。親友を目の前で警官に射殺されたテレンスが、銃による暴力
を問い掛けるこのドキュメンタリーは、地元ニューヨークでの初上映とあって家族や
友人を数多く招待しとても賑やかな上映となった。この作品には、サンダンス映画祭
での世界初上映から立ち会っているが、今回は、亡くなった親友の母親もテレンスと
ダニーと共に質疑応答に立ちこのような悲劇が繰り返されないことを訴えた。コミュ
ニティーからの理解と支援がなければ決して実現しなかったプロジェクトだと、会場
の一角を占める家族や友人たちを見て思う。
●注目すべき作品
さて、映画祭全体に話を戻すとトライベッカでの上映作品は、招待作品、コンペ作品、
新人作品などの10以上のカテゴリーに分けられている。いくつか見ることのできたド
キュメンタリーの中で、見応えがあったのが『The Devil' s Miner』だ。ボリビアの
炭鉱で働き家族を支えるわずか14歳の少年を追ったこの作品では、ガスの充満する何
百メートルの地下に労働者が潜り、猛速度で走るトロッコが行き来する。空腹をごま
かすためにコカの葉を噛み、過酷な労働環境に身をおき家族を支える少年の姿は痛々
しい。しかし、この作品が良いのは、彼らは悲惨ではあるが決してみじめには描かれ
ていないという点だ。彼らの日常に見せる笑顔や将来への希望があるからこそ作品の
メッセージも強まる。新人監督部門で特別賞を受賞したこの作品の若い監督たちが、
少年の現在を問われて、彼らが個人的に財政支援をして少年の学校の先生になるとい
う夢を叶えようとしていると答えると観客から一斉に拍手が起こった。
また、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロのスラムを捉え数年前にヒットした劇映画を
彷彿とさせるドキュメンタリー『Favela Rising』も新人賞を受け話題となっていた。
ベテラン勢では、ロバート・ドリューが自分自身の第二次世界大戦の体験を描いた
『From Two Men and a War』や、バーバラ・コップルがイラク前線に行った女性ジ
ャーナリストや写真家をインタビューした『Bearing Witness』が定評を得ていた。
また、フランスの劇映画で活躍するクレール・ドゥニが撮ったモダンダンス振付師の
ドキュメンタリー『Towards Mathilde』も上映されていた。
また、毎年注目されるのが、映画祭理事であり自ら世界のフィルムの復元・保存活動
を行っているマーティン・スコセッシが共同プログラムする古典作品の復元プログラ
ムだ。今年は、1960年代に活躍したイタリアのヴィットリオ・デ・セータの二作目
『Almost a Man(人間もどき)』などが新しいプリントで上映された。もちろん映画に
まつわる様々なイベントも行われていた。映画の配給、編集、音楽などをテーマにそ
れぞれ一線で活躍する人たちを招いてのTribeca Talksと題されたパネルディスカッ
ション、ハドソン川沿いにスクリーンを設置した屋外上映のイベント、子供や家族を
対象としたFamily Film Festivalや今年から新たな試みとして10代の少年・少女たち
のメディア活動を支援するユースサミットなどが行われ盛況だった。
●問われる基本的な姿勢
授章式は、映画祭の華やかさを更に実感するものだった。大物俳優やプロデューサー
が続々と登場し、2万5千ドルの賞金とフィルムなどの副賞が次々と授与されるのに圧
倒される。しかし、創設者のローゼンタールが、トライベッカ映画祭はニューヨーク
の町がそうであるように地元と世界の両方に焦点をあてたローカルでありグローバル
な映画祭でありたいのだと述べていたそれ自体が曖昧であるように、映画祭全体を眺
めると最後まで特色がはっきりとしなかった。もちろん不利な点はある。プログラム
を一見しただけでサンダンス映画祭で上映されたものはコンペの枠外、ニューヨーク
映画祭で既に上映されているものは避けなければならず、作品不足で質が揃わないの
だ。また、大物俳優やプロデューサーたちが名を連ねることで切り離すことができな
いのであろうメジャー作品との関係が見え隠れし、若手アイドルスターが競演する
『House of Wax』などの非常に商業性の強い映画が招待されていたりする。日本映画
を見ても、ホラー映画などハリウッドリメイクブームに便乗したと思える商業色の強
い選択となっている。もちろん、商業映画が悪いと言っているのではない。しかし、
タイプも質もバラバラの作品が無秩序に上映されている今の状態では、映画の見方や
視点が提示されておらず映画祭の全体像が見えにくい。この映画祭は主要なものとな
ることが期待されるだけに、華やかな体裁を整えること以前に、映画祭としての基本
的な方向性を早く見出すべきだと思う。それでも、わずか数年でここまでの規模に成
長し知名度を上げていることはやはり驚きであり、十分な評価に値した。
最終日の翌朝早くに飛行場に向かう。さあ、次は西だ。 (つづく)
■東谷 麗奈(ひがしたに・れいな)
映画批評家・ビデオ作家。ニューヨーク大学大学院映画学研究科卒業。マンハッタン
のDowntown Community TVCenter( http://www.dctvny.org/ )でドキュメンタリービ
デオやテレビ番組の制作スタッフとして数多くのプロジェクトに参加する傍ら、NYを
拠点としたアートコラムペーパー「云々」の編集長として映画批評活動を展開する。
また、これまでにJapan Society Film Center New Yorkでの映画プログラムの企画
や、
古典及び新作日本映画の北米配給やDVD発売に関わる通訳、翻訳も手がけている。
┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃05┃□ドキュメンタリー時評
┃ ┃■「天皇制」テレビ・ドキュメンタリー中断顛末記(3)
┃ ┃■藤原 敏史
┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
『ザ・ニュースペーパー』は昭和天皇が危篤で自粛ムードまっただなかの1988年に結
成された時事コント集団だ。前回で触れた森達也と一水会の鈴木邦男の対談の会場が
彼らの稽古場でもあったことが、彼らに我々の企画への協力を頼むきっかけになった。
協力を頼みたかったのは、『ザ・ニュースペーパー』(以下TNP)の時事ネタのひと
つが皇室のパロディだからだ。いわば平成の世を一貫して笑いで消化して来た彼らに
とって、よく考えてみたら皇室ご一家はもっとも長続きしているネタになる。今では
「本物よりも首相らしい」と言われるTNPの小泉首相(松下アキラ)が4年めで、これ
でも長続きした方。これだけ政権の入れ替わりが激しいと、「変わらない」だけ皇室
はまだ有り難いのかも知れない。
もっとも、皇室ネタは彼らがテレビに出演できなくなった理由でもあるらしいのだが。
TNPのプロデューサー杉浦正士によれば、当時のTBSの担当プロデューサーは「今でも
帰って来てませんねぇ」とのこと。左遷された先はTBSハウジングだとか…。
つまりは政治家を茶化すのならまだ許されるが、天皇家をパロディにするというタ
ブー中のタブーを侵す集団…ということでTNPに出演を願ったわけではない。動機は
単純でこのドキュメンタリーはコメディにしたい。少なくともどこかで笑いが出なく
ては困る。しかしドキュメンタリーなんだからこちらが演出するわけにもいかず、コ
メディ集団が出れば少なくとも一カ所は笑いは出るだろう。そして別に天皇家の権威
を貶めるためでもなんでもなく、単純に天皇家であっても笑いの対象とできること、
つまりはユーモアの対象にすることも含めて「普通の」存在として見ることが、この
主題に取り組む上では絶対に重要なのだ。
私生活のレベルであれば誰でもやっていることのはずだ。天皇、とくに昭和天皇を
「天ちゃん」と呼ぶのは軽侮よりは親しみの表現ですらあるかも知れないし、うちの
母方の叔父は皇太子(現・天皇)の成婚の際に「元皇太子には就職先がない」とよく
口にしていたらしい。その叔父の父である祖父は、昭和天皇の戦後の巡幸の際、その
天皇が来る場所を「薬を撒いて消毒してたよ」と笑っていたそうだし。
皇太子の「人格否定」発言からなかなか正式発表できなかった清子内親王の婚約まで、
天皇家にいろいろ話題の事欠かなかった2004年には、いろいろ下世話なことも含む純
粋に興味本位な憶測が酒飲み話や家族の団らんでとびかっただろう。ただしそれは、
「天皇制」への無意識の畏怖か、単に他人様の私生活をとやかく言うことへの遠慮か、
はたまた(こといわゆる「市民運動系」の、とくに女性に多いことだが)過剰な「反
天皇」意識のせいか、キャメラを向けた場ではまず口にされない。
一方でこの話題に事欠かない天皇家の一年は、別に特段の“貶める”意識もないレベ
ルでの笑いやパロディの題材になる。案の定、TNPの年末公演は「大伯母様」の死で
婚約発表できない「さ〜や」と「クロちゃん」から始まった。で、まずこの公演はキ
ャメラに納めたのだが、TNPに協力を求めたかったのは、実はもっと大きな“仕掛
け”のためだ。
皇居の一般参賀に、彼らに天皇家パロディの衣装で乗り込んでもらうのだ。
12月23日の天皇誕生日はTNPの年末公演の期間中になってしまうのでこの日は我々だ
けで下見を兼ねて撮影に行くことにし(森達也は当日の朝にダウンして結局来なった
が)、本番は1月2日の新年一般参賀である。皇居に天皇とその一族に会いに…という
か見に来た人たちがどのような反応を示すのか? 警備の皇宮警察や警視庁はどう対
応するのか? 天皇誕生日の一般参賀(前号参照)も観察者としてそこにいるだけで
十分におもしろかったのだが、今度はこちらから積極的に状況を仕掛けようというわ
けだ。
※ザ・ニュースペーパーのメンバー・プロフィールはこちら
http://www.dop.co.jp/profile.html
● 新年一般参賀
TNPのプロデューサー、杉浦正士も乗り気だった。彼は一度でいいから天皇家の人々
に自分たちの舞台を見て頂きたい、と思っていた。「たぶん笑われるでしょう」とい
うのが彼の考えだ。これまでの経験からして、政治家でも大物であればあるほど、自
分のパロディをおもしろがるという。唯一の気がかりは、警備の警察になんらかの理
由で逮捕されるほどのことはないだろうが(そしてやめさせられそうになったら、そ
れを撮ればいいわけで)、万が一にもいわゆる右翼団体に咎められ、場合によっては
暴力沙汰になることだった。
しかし右翼団体に襲われでもしたらそれはもう逃げるしかないわけで、さすがに肝腎
の宮殿前にたどり着く前に警察に停められたり、なにしろ大変な人ごみなのではぐれ
たりしては困る。そこで三グループに分かれてそれぞれにキャメラがつくこと(万が
一にも一グループが止められても、あとの二つは宮殿前まで行ける)、どのルートで
行くのかなどの計画を当日朝に高田馬場の稽古場で打ち合わせして、三つのグループ
がそれぞれに車で皇居に向かった。森達也は天皇・皇后(桑山元延・渡部又兵衛)と
清子内親王(竹内宏明)の三人につき、助監督の大崎が秋篠宮と紀子妃(石坂岳史・
土谷洋志)、僕は皇太子(金正日、石破前防衛庁長官の福本ヒデ)と雅子妃(小泉首
相役でもある、長身で筋骨隆々とした松下アキラ)に同行する。
半蔵門の方角から皇居に近づくと、門前に人だかりがしている。半蔵門は赤坂御所に
住む皇太子夫妻が出入りに使うルートで、今年の一般参賀では雅子妃が久々に公の場
に姿を現すことが話題になっていた。つまり雅子さま見たさの、中年女性を中心とす
る人たちだ。半蔵門から桜田門で降りて、皇居前広場に入ると、ボディチェックを待
つ人々がすでに大変な行列を作っていた。
我々がボディチェックを終えたところで森から携帯で連絡が入った。天皇ご夫妻とは
ぐれてしまったというのだ。たぶんいちばん重要な画になるのがご夫妻であるし、ま
た皇后役のグループ最年長でもある渡部又兵衛は片足が義足でもあり、万が一に備え
て僕が天皇ご夫妻と清子内親王に着くことに急遽切り替える。
さて、ボディチェックにも、皇居正門前にずらりとならぶ公安や皇宮警察などの警備
に咎められることもなく、拍子抜けするほど順調に宮殿前に到着…。というか、警備
はもちろん一般の人々にもまったく気にされないのだ。ちょうど第1回目の“お立ち
台”が終わって、(本物の)皇族方が退出されるところだった。(本物の)雅子妃は
この回だけの出席になる。
宮殿前広場の傍らで、(そっくりさんの)皇太子夫妻と(そっくりさんの)秋篠宮夫
妻の到着を待つことにする。すると一般の参賀客からようやく声をかけられた。
「『ザ・ニュースペーパー』の皆さんですよね」というわけで、年末公演にも来てい
た観客の人で、記念撮影。しかし起ったことと言えばこれぐらいで、この“仕掛け”
は絶対におもしろいはずだと思っていたのが、拍子抜けもいいところだ。
全員が集合し、宮殿前の人ごみの中へ。それでも、次回の天皇一家の登場を待つ間も、
なんの反応もない。強いて言えばキャメラを構えている森達也の後ろに、黒いコート
姿で耳にイヤホンをつけた、どうも公安らしい男が立っていただけだ(いや、公安に
しては上品な感じで、宮内庁か皇宮警察かも知れない)。
さて「まもなく天皇陛下と皇族方が」というアナウンスがあり、(本物の)天皇皇族
ご一同が登場、日の丸の小旗が振られ、「天皇陛下万歳」と声を張り上げる人も(少
数だが)いる。こちらの(そっくりさんの)皇室ご一家もしょうがないので(?)小
旗を振る。「天皇陛下のお言葉」のアナウンスで一転静粛になる?と言っても厳粛に
聴くというよりは、デジタルカメラや写真機能付きの携帯電話が頭の上に突き出てい
るのだが。天皇の新年の挨拶があり、挨拶が終わるとまた小旗と万歳(と携帯電話と
カメラ)。ご一家はしばらく手を振って群衆に応える。TNPの皇室ご一家も廻れ右を
して手を振るのだが、目の前の人たちにすら無視されている有様だ。「これは失敗し
たかも知れないな」。
ところが皇族方が退出したとたんに状況は一転した。清子内親王に「結婚できてよか
ったね、おめでとう」と声をかけるおじさんやら、記念写真を撮るおばさんやら、周
囲は騒然。警備の皇宮警察の警官は「早くご退出下さい」「立ち止まらないで下さ
い」と居心地悪そうに声をかける以外はなにもしないで、キャメラの視界から慌てて
通り過ぎて行く。険悪な眼で一瞬だけジロリと見て通り過ぎる人も少なくはないが、
すっかりお祭り騒ぎの様相だ。すらりとした長身でハンサムな松下アキラの雅子妃に
「雅子様きれいだわ」と声がかかったのはまだ分かるとして、渡部又兵衛の皇后に
「美智子様はやっぱりきれいね」という女性の声があったのには驚いた。
宮殿前から退出口の坂下門までは急な坂道で、そして大変な人ごみだ。ここをなんと
か突破すると、天皇ご夫妻と、それに森達也がいつのまにか行方不明。坂を降りたと
ころでまた群衆に囲まれ、「秋篠宮さんがそっくり!」だとか、皇太子役に「(髪
が)七三過ぎる?!」とかの声がかかる。こちらは群衆に囲まれるなかでなんとか5人
のフルショットを撮ろうと悪戦苦闘。大崎は小型のキャメラで嬉々として人々の顔を
撮影。森達也が天皇ご夫妻についていてくれたらいいのだが…。
坂下門を抜け皇居前広場に出てしばらくしたところで、待っていた天皇ご夫妻にやっ
と再会。携帯電話で車の手配をしていた杉浦正士も合流した。ここで改めてご一家全
員集合で、記念撮影セッション。坂下門内ほどは人ごみがしていないが、今度は七人
なのでまたまたフルショットを撮るのに悪戦苦闘する。結局パンをするしかなかった。
そして今度はそれぞれのアップでパンしようとすると、左端に立っていた竹内康明の
清子内親王の後を、鋭いまなざしに坊主頭にスーツ姿の、明らかに右翼団体メンバー
と思われる男二人が通り過ぎた。彼らも思わず笑っている。
だがここでの撮影を終えて先に進むと、手荷物受取所手前の角に日の丸の幟を掲げた
集団が。まさかとは思いつつも、TNPのメンバー越しにこの一団を捉えるローアング
ルの手持ちのポジションに入り、彼らの前を通り過ぎると、青空に映える日の丸の幟
がゆっくりと動き出す。やはり待ち伏せだった。
右翼団体はそのまま我々にしばらく並走し、やがて姿を消したが、皆の顔からは笑い
が消えた。いちばん平然としていたのは最年長の渡辺又兵衛。いちばん腕っ節が強そ
うな松下アキラはしかし、雅子妃役のハイヒールのサイズが合わず朝の出発時から足
が痛くてしょうがない。なんとか外堀通りに到着してタクシーを探すところで、皇太
子役の福本ヒデが「こんな格好していたらあぶないよ」と言って七三過ぎるカツラを
かなぐり捨てた…といって、皇太子は最初から普通のスーツ姿で、カツラを脱いでも
たいして変わらないのだが。
手配してあるはずの劇団のワゴン車が見当たらないので、いちばん目立つ女装姿の皇
后・雅子妃・紀子妃・清子内親王からタクシーに分乗してもらう。ここでやっと森達
也が合流。右翼団体のメンバーが最初はバラバラに通り過ぎ、集合して松伏する一部
始終を、彼は後ろからずっと見ていたのだ。で、彼らが姿を消したのは「すぐに手荷
物をとりに行ってたよ」とのこと。森も彼らといっしょに預けていたリュックを受け
取ったという。その一部始終はもちろん撮影。さすがは『A2』で街宣車に同乗した森
達也だ。
我々撮影スタッフ3名と杉浦はやっと到着したワゴン車で高田馬場の稽古場へ。到着
するとメンバーはすでに着替えをほぼ終えていた。現場ではあれだけ冷静だった渡辺
又兵衛が「怖かったねぇ!」と抱きついて来る。みんなでキャメラを囲んでラッシュ
を見ることに。皇室ご一家の扮装のメンバーの後ろに右翼団体の幟がヌッと現れた瞬
間には、僕は思わず2メートルぐらい後ろに飛び退いてしまった。撮影中も怖くてあ
まり安定していないのは情けないが、なんとか使える画面にはなっていた。(文中敬
称略)(つづく)
※ ザ・ニュースペーパーの公演案内はこちら。 http://www.dop.co.jp/
■藤原 敏史(ふじわら・としふみ)
ドキュメンタリー演出/映画批評。なかなか予算のつかない企画を三本も抱えてしま
い、『土本典昭』ドキュメンタリーにも完成資金がなかなか集まらず、四苦八苦の毎
日です。気がつけば今話題の「NEET」っていう状態じゃないか、と…。
※37-2号へ
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■発行:ビジュアルトラックス visualtrax@jcom.home.ne.jp
■責任編集 伏屋博雄
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