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ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン neoneo 35-1号 2005.5.1

発行日: 2005/5/1


☆━┓ ┏━┓ ┏━┓
┃n┣━┫o┣━┫e┣━┓ ★ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン
┗━┫e┣━┫n┣━┫o┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━○
  ┗━┛ ☆━┛ ┗━☆    35-1号  2005.5.1


∽∽∽∽∽∽ HEADLINE ∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

 †01 日本のドキュメンタリー映画のかたち
     ロベルト・ロッセリーニの<見(けん)>(2)  田中 千世子
 †02 自作を解剖する
     『人質』  吉岡 逸夫
 †03 ワールドワイドNOW ≪パリ発≫
     フランス国営教育テレビの「日本紀行」のスタッフになる  高橋 晶子
 †04 ドキュメンタリー時評
     「天皇制」テレビ・ドキュメンタリー中断顛末記(2)  藤原 敏史


※35-2号へ

     ◇────────────────────────◆◇◆    


 †05 随時連載「映画は生きものの仕事である」(8)
     雲南省昆明市、映画の夜明けのくに(1)  土本 典昭
 †06 neoneo坐通信(20)5月前半のプログラム
     5月8日(日)『ドキュメンタリー1本勝負!』(バリアって何だ?)
          『かけがえの前進』『Citylights』
     5月11日(水)「短編調査団」(母の巻)
          『百人の陽気な女房たち』『勉強を見つめる母親』他2本
     5月12日(木)「山ドキ! 東京予備校」(韓国特集)
          『ジーナのビデオ日記』『エディット』
 †07 広場
     投稿屋台『クチコミ来来軒!』(11)
       新・クチコミ200字評!(10)  清水 浩之
        『寺田寅彦〜ねえ君、不思議だと思いませんか?』
        『シリーズ憲法 第24条・僕たちの「男女平等」』
        『シリーズ憲法 第25条・カケガエノナイモノ』
        『シリーズ憲法 第9条・戦争放棄〜忘却』クロスレビュー募集!
     投稿:「小川紳介のコスモス〜小川プロの仕事」レビューリレー(10)
        『クリーンセンター訪問記』を観て  岡本 和樹
     告知:neoneoを継続して配信していくために―
          上映の告知の有料化とカンパのお願い  伏屋 博雄
 †08 編集後記  伏屋 博雄


    ★バックナンバー閲覧はこちらまで

   まぐまぐ配信   http://www.mag2.com/m/0000116642.htm 
   melma!配信    http://www.melma.com/mag/39/m00098339/ 



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┃01┃□日本のドキュメンタリー映画のかたち
┃ ┃■ロベルト・ロッセリーニの<見(けん)>(2)
┃ ┃■田中 千世子
┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

●ロッセリーニのインド体験から連想する

1956年12月6日、ロッセリーニはインドへ向かって旅立った。映画カメラマンのアル
ド・トンティも一緒だ。トンティは『アモーレ』の2作品の内の『奇跡』や喜劇の王
様トトが主演した『自由は何処』(1952年)の撮影をした、前からの仕事仲間である。
インドに着くと、インド側の協力体制はできておらず、ロッセリーニはゼロから始め
た。ネオレアリスモの時と同じだ。大変だが、はかりしれない自由がある。ヨーロッ
パは既にどこも息苦しかったからゼロから始める映画づくりは生き返るのにちょうど
よかった。本当にロッセリーニは瀕死の状態だった。生きるためにインドへ向かう。

インドへ死にに行くとか、中国へ死にに行くと言いたがるのはヨーロッパのインテリ
の変なクセだと思う。ニュージャーマンシネマの頃、ドイツの若者に支持されたヘル
ベルト・アハテルンブッシュは「私は中国へ死にに行く」という心象風景的ドキュメ
ンタリー映画『藍い花』(1985年)をつくり、それから10年後には『ハデス』(1995年)
のなかのシンボリックなエピソードでインドと<死>を結びつけていた。ドイツに生
きるユダヤ人のアハテルンブッシュにとって<死>のテーマは芸術家である以上のっ
ぴきならないに違いない。ロッセリーニは、もっと生物的に<死>を見つめる。アハ
テルンブッシュの映画のなかの<死>とロッセリーニの映画の<死>を比較する時、
インドを間にいれると相違がはっきり見えてくるのではないかと思う。そしていっそ
のこと、詩聖タゴールや岡倉覚三(天心)や三島由紀夫まで一緒に考えてみるのはどう
だろう。『みやび 三島由紀夫』をつくっている時、インド映画に詳しい松岡環さん
のご親切で三島がインドに行った時、三島の取材に協力した大学の先生とメールを間
接的にやりとりさせてもらった。そのまま話が進むと私も撮影の川上皓市さんとイン
ドへ行くことになるのだろうか、と思った時期がある。だが、その先生はインドと三
島についての私の質問メールに深い答をするためか、長い思考を始めて、まだ返事が
こない。それでもインドと三島の関係には私自身興味があり、もしインドを映像に撮
るならロッセリーニに向かわなくてはならない、と真剣に思ったのだった。三島が出
る以上、ドキュメンタリー映像『インドについての映画のメモ』(1968年)を作ったパ
ゾリーニも登場しなくてはならないだろう。

その時、ジャン・ルノワールの『河』(1951年)とロッセリーニの『インディア』
(1958年)が、インドの監督の撮った作品とともにさまざまな角度から芸術的に分析さ
れる筈だ。
さらにそのあとで、アハテルンブッシュとロッセリーニがドイツを舞台に比較分析さ
れていくことは自明のことのように思われる。そうすれば私たちは『ドイツ零年』
(1947年)をインドと結びつけて考えることができる。それが重要だ。

●ネオレアリスモの捕らえ方

ネオレアリスモは決しておろそかにはできないが、ロッセリーニはネオレアリスモよ
り偉大である。個々の監督の誰もがヌーヴェルヴァーグより偉大であり、アメリカン
・ニューシネマより偉大である。偉大という言葉が仰々しかったら、映画である、と
言えばいいだろうか。つまりロッセリーニ本人はネオレアリスモより、映画なのであ
る。もっと噛み砕いて言うと、ある時期ネオレアリスモは、まるでスターリニズム時
代の社会主義国の党の綱領のように教条主義に陥ってしまった。そのとばっちりでロ
ッセリーニが新しい方向に向かうと、周りがギャーギャー非難したのである。アンナ
・マニャーニ主演の『アモーレ』の『人間の声』は特に評判が悪かった。『神の道化
師、フランチェスコ』(1950年)もほぼ同様の目にあった。いつまでもネオレアリスモ
を!と観客も批評家の多くもロッセリーニに期待したのである。

ロッセリーニはもっと別のことを考えていた。ロッセリーニにとっては見ることが映
画だから、今、そこにある現実を映画を撮ることで見たい。過去の歴史なら、それを
そのまま見たい。インドはそのまま見たい。これがロッセリーニの手法である。パゾ
リーニはロッセリーニのネオレアリスモ代表作を学生の頃に見て、尊敬するが、やが
てネオレアリスモに批判的になる。途中で道を間違えたと、パゾリーニは言う。<レ
アルタ(真実)を通してレアルタへ―>というのがパゾリーニだ。ロッセリーニは<レ
アルタ>にあまり興味を示さない。<レアルタ>は真実でもあるが、真実性でもある。
ロッセリーニにとって言葉のかわりにカメラがくる。はじめにカメラありきなのだ。
ロッセリーニの撮ったインドは、まるごとのインド(の断片)である。何かを主張しよ
うとか、階層がどうとか、余計な解釈も同情もなく、そこに象がいて、もくもくと木
を押し倒し、それを運び、水浴びするのである。象のそばにいる若者が恋をすれば、
その恋も淡々と描いて、これはフィクションか、それともノンフィクションを介在さ
せたフィクションの芸術だなどと、余計な真似は一切しない。堂々とインドなのであ
る。(つづく)


■田中 千世子(たなか・ちせこ)
映画評論家。5月21日に福岡アジア映画祭のプレイヴェントとして『みやび 三島由
紀夫』がNTT夢天神ホールで上映されます。私は16:00のトークに出席するため、カ
ンヌから早めに帰ります。福岡は映画に出演してくれた柳幸典さんの活動拠点で、当
日は柳さんもゲストとして出席してくれそうです。告知用のチラシもそろそろできあ
がります。



┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃02┃□自作を解剖する
┃ ┃■『人質』
┃ ┃■吉岡 逸夫
┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

2001年の同時多発テロ以後、立て続けに5本もドキュメンタリー映画を撮ってしまっ
た。新聞記者の自分が映画の世界に足を踏み入れるとは、想像もしなかった。素人作
品にもかかわらず温かくサポートしてくれた映画界の人々にはただ感謝している。

5本の映画に共通しているテーマは、戦争とメディアリテラシー。現場感覚とメディ
アの報道があまりにも違うので、そのままの現場を撮れば、日本に伝えられる情報と
のギャップが自動的にドラマトゥルギーを生み、映画となってしまうのだ。これは、
動く映像だからできる手法で、活字では十分にできない。だから、映像は格好の手法
だった。

新作のテーマは「人質」。1年前に、イラクで拘束された人質事件を題材にしている。
登場するのは、事件の当事者となったフリーカメラマンの郡山総一郎氏やフリージャ
ーナリストの安田純平氏、そして、NGOの高遠菜穂子氏や今井紀明氏と周辺の人たち。
私自身が現場にいたわけではないので、そのまま撮影という訳にはいかない。当事者、
関係者の証言自体が現場となった。つまり、彼らの証言と報道された情報との差を映
画にしたといってもいい。

最初、特に映画を作ろうという気はなかった。ある夜、何気なく郡山氏の講演を聞き
に行ったのだが、その時、彼の話す内容と、マスメディアで報道された内容とがあま
りに異なっているのに驚いた。彼らは意外にのほほんと牧歌的な人質生活を送ってい
た。殺されるという緊迫感もなければ、報道されたような無責任さもなかった。その
ずれた情報をもとにバッシング騒動が起こっているように思えた。だとすれば、情報
ギャップを世に伝えるべきだと思ったし、彼の証言を記録すれば、そのまま映画にな
ると思った。しかし、不安はあった。証言ということは、インタビュー構成を避けら
れない。長時間のインタビューに見る側が耐えられるだろうか。映画として成立する
要素は二つあった。それは、2時間に及ぶ彼の講演が全く退屈ではなかったし、笑え
る内容であったこと。

もう一つは、映画の特性である視覚と聴覚を同時に使える二重構造。音声である彼の
証言の上に新聞や週刊誌などの映像を載せれば、そのまま情報ギャップが表現できる
と思った。
また、私がかつて撮ったイラクの映像をインサートしていけば、よりイメージをつか
みやすくなる。さらに、演出の決定打に出会った。撮影初日、郡山さんを新宿駅に見
送る途中、私は雑踏の中を歩く彼をカメラで追っていた。
その時、ストリートミュージシャンの歌と姿が、カメラの中に飛び込んできた。その
歌は、まるで、バッシングに疲れた郡山氏の心を癒すような歌詞とメロディーだった。
その映像は、そのまま映画の重要なカットとなったし、歌は、挿入歌となった。
撮影当時、郡山さんはメディアの取材攻勢や右翼や警察の監視を避け、ウィークリー
マンションに住んでいた。

インタビューは、3日間で10時間に及んだ。カメラは、さまざまな攻撃から一時避難
する郡山さんをタイまで追った。映像に大きなクライマックスが生まれた。安田、高
遠、今井の各氏ら周囲の証言も変化に富んだもので、意外な展開を導いた。10月に起
こった香田証生さんのケースも検証。人質事件の“お祭り騒ぎ”報道を通して、メデ
ィアの姿、日本人の深層心理が見えてくる。

これまで5本の映画を撮って思うことは、日本人の多くは、それはメディアの人も含
めてそうなのだが、事実にはあまり興味がないということ。人々は、事実よりも物語
性やスキャンダリズムにどうしても引っ張られてしまうのだ。人間は幻想の中に生き
ている。それは、人間の生理なのかもしれない。が、人間は事実に興味がない動物な
のだとすれば、
何のために自分はドキュメンタリーを撮っているのか、ジャーナリズムに携わってい
るのか分からなくなり、虚しくなってくる今日このごろである。これまで、「人質」
をメディア研究会や青山フォーラムなどで上映したが、いずれも満席となり、好評だ
った。居眠りした客を一人も見かけなかったのが救いだった。しかし、テレビや劇場
ではまだ公開していない。新聞記者をやりながら、売り込みをするのは難しい。協力
してくれるプロデューサーの出現と公開のチャンスを切に願うばかりである。

☆『人質』(2005年、ビデオ、54分)監督・撮影:吉岡逸夫、出演:郡山聡一郎、安田
純平、他、編集:多田徳生、協力:代島治彦、鎌田英嗣、吉田真緒、倭田須美恵
☆『人質』は7月2日、3日に行なわれる福岡アジア映画祭で上映されることになりま
した。ティーチインも行われます。


■吉岡 逸夫(よしおか・いつお)
新聞記者。コロンビア大学大学院ジャーナリズム科修了。世界約60カ国を取材。93・
94年東京写真記者協会賞、96年開高健賞。著書に「イスラム銭湯記」(現代人文社)、
「人質」(ポプラ社)、「なぜ日本人はイラクに行くのか」(平凡社新書)など多数。映
画『アフガン戦場の旅』『笑うイラク魂』『祈りのニューヨーク』『戦場の夏休み』
を監督。
 http://yoshi.net 



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┃03┃□ワールドワイドNOW ≪パリ発≫
┃ ┃■フランス国営教育テレビの「日本紀行」のスタッフになる
┃ ┃■高橋 晶子
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昨年秋から今春にかけて、フランス国営教育テレビで放送予定の番組「日本紀行」の
制作に関わっている。各52分の作品を4回にわたり放送するシリーズもので、昨年ま
でに中国・インド・エジプト紀行がすでに放送されている。4回目にあたる今年は日
本が選ばれ、前回までと同様に、1人の旅人がある国を訪れ映像日記を綴るというコ
ンセプトだ。日本についての情報を客観的に紹介する教育番組ではなく、あくまでも
1人のフランス人が見た日本についての印象を、映像を使ってコラージュする、とで
も言おうか。

「撮影に一緒について来てくれないだろうか」と、私よりも小柄で顔がしわだらけの
監督に笑顔で言われた時には、まさか日本での撮影が3ヶ月にも及ぶとは思っていな
かった。確かに、計200分ほどの尺を放送するのだから相当の撮影量は必要だ。低予
算という理由からスタッフは最小限で、監督と私、日本在中のもう一人の通訳のみ。
監督が元カメラマンだったこともあり、カメラは彼自身がまわした。60歳という年齢
にもかかわらず、年齢が半分にも満たない私よりも体力旺盛で、台風直下でもカメラ
を持つと意気揚々と撮影を続行した。録音技師に手作りしてもらったマイクをDVに直
接取り付け、撮影内容によっては必要に応じて現地で助手を見つけ参加してもらった。
撮影条件としては厳しいところもあるが、一監督が1人で好きなものを好きなように
作り、それが国営放送で放映され得るというのはある意味で恵まれているとも言える。

秋に1ヶ月、冬から春にかけて2ヶ月間、北陸・関東・関西・四国・九州を中心に日本
のあちこちをまわった。撮影内容については、自然・気候・食文化・建築・宗教・祭
り・花柳界etc. と多岐に渡る。「東海道」を軸にして日本人の旅の仕方や、その土
地にまつわる文学を考察したり、「四国巡礼」を軸にして日本人の宗教観に触れたり
もした。当初予定していたもの以外にも、毎日議論を重ねたり、新たな人との出会い
を重ねるに連れ、あえて大きく変更させた撮影もあった。日本で生まれ育ち、フラン
スのメディアで流れる日本についての偏った情報に不満たっぷりの私が思う日本と、
外国人の目から見たニッポン、外国人が見たがるニッポンの違いが原因で、議論が平
行線を辿る時もしばしあった。

何はともあれ撮影は終了し、160時間のラッシュをパリで編集する作業に入る。まだ
まだこれから、である。スタッフが少人数である事は体力的には大変なのだが、旅の
途中で出会った人達に幾度となく助けられた。別府の湯治場での生活や、四国巡礼で
出会った何人かは忘れられない。「日本紀行」なんて放り出して、彼らについてのド
キュメンタリーを撮りたい衝動にどんなに駆られたことか。


■高橋 晶子(たかはし・しょうこ)
横浜生まれ。フランスの言語・映画に魅せられ94年に渡仏。パリ第8大学映画科卒業。
映画・TV関係の通訳や、日仏間の映像制作にて活動。上記のように無我夢中で日本中
を駆け巡ったところ、いよいよ身体が危険信号を発してしまいました。めずらしく医
師から安静を強いられ、予定の前号に執筆できなかった事をお詫び申し上げます。
なんとか体調が一段落し、久しぶりのパリ生活を再開させたところです。



┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃04┃□ドキュメンタリー時評
┃ ┃■「天皇制」テレビ・ドキュメンタリー中断顛末記(2)
┃ ┃■藤原 敏史
┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

森達也にとってこの「天皇制」は久々のドキュメンタリーだ。最近の活動は文筆が主
で、政治系、市民運動系の講演やトークに参加することも多い。森に撮影を提案して
来るのは、主に彼が出演するトークを撮ろうというものだ。民族派団体一水会の元会
長の鈴木邦男や、姜尚中、辛淑玉、斎藤貴男、高橋哲哉、香山リカといったいわば有
名人にトークのなかで天皇制に関する質問をぶつけ反応を見るというわけだ。あるい
はインタビューをしようという考えも、やがて彼から出て来る。僕の方は正直に言え
ば、彼らをフィーチャーすることに疑問や躊躇がなくはなかった。つまり…それなら
「世界」とか「世界」で天皇制特集をやって彼らに寄稿を頼んだ方がよさそうに思え
てしまう。

●高松宮喜久子の死をめぐって

12月17日、故高松宮宣仁親王(昭和天皇の弟で、大正天皇の三男)の妻で徳川慶喜の孫
にあたる喜久子が逝去した。僕が台湾の国際ドキュメンタリー祭から帰って来たのが
その当日で、翌日には弔問記帳の受付をやっている高輪の高松宮邸に行った。「天皇
制」が文字通り身近に感じられる場だし、ニュースなどで度々聞いて来たことではあ
るが、記帳というのはどんなものか、どんな人が来るのか、行ってみたらなにかが分
かるかも知れない。邸内ではなく表の公道で手持ちで撮影し質問するぶんには、撮影
許可も道路使用許可も要らないし。

喜久子は夫の宣仁の死から三年後、昭和天皇の死の翌年に、戦時中から戦後まもなく
にかけて彼がつけていた日記を中央公論社から出版した。この「高松宮日記」には生
前から噂があった兄弟の確執や、戦時中や戦後の政治への皇族の関わりが詳細に記さ
れている。海軍軍令部にいた宣仁は日本軍の惨敗を把握していて(日記のかなりの部
分が、暗号電文の解読の克明な引き写しである)、その情報が兄である天皇に伝わっ
ていないのではないか、兄は「大本営発表」しか知らないから戦争を継続させている
のではないかと疑い、直言しよとする。ところが兄の裕仁は、君主として公式ルート
の情報しか聞くことができず、身内の言い分を聞くなどとんでもないという立場から、
弟の言い分を聞こうとはしない。

兄を動かすことに失敗した宣仁は、それでもなんとか講和を目指し、近衛文麿やその
娘婿の細川護貞(細川元首相の父)と昭和天皇の退位すら画策する。細川護貞によれば、
宮は東条英機暗殺すら口走ったという。

終戦間際、宣仁は日記に「敵(陸軍)が精神論という不合理で戦争を続けるのなら、我
々もご聖断という不合理で対抗するしかない」と記す。また戦争継続派の海軍基地を
説得に廻り、占領下では天皇制の維持を図って米軍の高官とプライベートに接触を続
け(毎晩のように邸で晩餐会を催し)情報を収集。マッカーサーと天皇の面会をお膳立
てした彼は、昭和21年正月の裕仁の人間宣言についてはそれが中途半端なものだとす
る厳しい批判も、日記に残している。

公的には天皇であっても、肉親である弟には頑固で困った長兄に過ぎない。「兄は天
皇の器にあらず」という言葉すら、日記にはある。「神話」的存在、人間宣言後も昭
和天皇の「オーラ」を多くの人が口にするような天皇という見えざる制度を、この弟
宮はフィクションとして見ていたのではないか。

日記は宣仁の死後、高松宮邸の倉から偶然発見されたとされている。せっかく見つか
った貴重な資料なのだからと、喜久子妃が宮内庁の反対を押し切って出版にこぎつけ
たのだが、むろん夫が7年間にわたって克明な日記を付けていたことを、妻が知らな
かったわけがなかろう。その存在が分かれば宮内庁や政治権力に握りつぶされる可能
性があることを見抜いて、昭和天皇の死後までその存在についてシラを切り通して来
たのであろう徳川家のお姫様は、どうしてどうして、なかなかの大物である。

皇太子の徳仁も、今年の誕生日記者会見で喜久子妃の逸話を紹介した。

“ご結婚後間もなくアメリカを訪問された折、禁酒法時代のことですが、妃殿下が晩
餐会の席上、「先日の午餐会では堂々とワインが出ましたが,あれはどういうことで
すか」と言われたことを当時のフーバー大統領が聞いて笑い、現地の新聞に、笑わな
い大統領が笑ったと書かれた話をうれしそうにされ、「そうしたらすぐに宮内省、今
の宮内庁から『言動にはお気を付けになるように』と小言言われちゃったのよ」と、
いたずらっ子そうなお顔をされておっしゃったことなど忘れられません。”
 http://www.kunaicho.go.jp/koutaishi/denkakaiken-h17.html 

ユーモラスな逸話に見せかけて堅苦しい宮内庁への皮肉を飛ばす皇太子も、生真面目
だけが取り柄のように見えてなかなかなものだ。.

生活の細部まで宮内庁にコントロールされざるを得ないという抑圧的な環境(ある意
味、戦前の乳人制の方が、幼少時は宮内省管轄の外だっただけマシだったかも知れな
い…)で生まれ育つしかなかった彼だが、言いなりにはならず、かといって殊更波風
を立てるわけではない、したたかさがあるようにも見える。「公務とは受け身のも
の」と宮内庁や政治の言いなりになるべきであるかのように発言し、皇族の立場にな
んの疑問もなくのほほんとしている弟の文仁親王や紀子妃とは違う。

森は今の皇室の皇太子徳仁と秋篠宮文仁の確執を、香山リカが「若貴兄弟のよう」と
評したことに大いに興味を持っていた。兄弟喧嘩はどこの家庭にでもあるわけで、そ
れが天皇家や相撲の名門一家に投影されることであそこまで人気の話題になるのだが、
兄弟の確執と言えば、僕はむしろ裕仁・宣仁兄弟の方に興味が惹かれる。ならば徳仁
と文仁の関係を、裕仁・宣仁兄弟とパラレルに取り込むというのはどうだろう?
だが森は高松宮日記を知らなかったし、戦争責任の問題は定番だから今回はやめよう
というのが彼の考えだった。

●戦争責任と天皇制の政治的・社会的な位相

確かに、昭和天皇の戦争責任は戦後60年間延々と繰り返されて来た議論だ。それでも
たとえばアレクサンドル・ソクーロフの映画『太陽』の日本公開も「怖くて出来な
い」というのが、日本映画界全般の風潮だ。ソクーロフは裕仁天皇について、終戦と
平和をもたらしたその功績に敬意を持っているし、映画も戦後一般的な日本人の解釈
(天皇の意思で戦争をやったわけではないのだから天皇の責任ではない。むしろ戦争
を終わらせた天皇は偉い)にほぼ沿った解釈らしいのだが。

喜久子妃の弔問に高松宮邸を訪れた人たちも、その多くが「昭和の戦争」がその人生
を大きく変えた世代だった。喜久子妃や故宣仁親王、皇室に親しみを感じて記帳に来
た人にはぶしつけな質問ではあるのだが、戦争責任についても聞いてみた。「難しい
問題ですから、なかなか言えません」というのがたいがいの第一声。そこで済ませて
はつまらないのでもう少し突っ込んで聞いてみると、やむをえない、仕方がなかった、
たとえば「時代がそういう時代だったから、しょうがなかったんですよ」「天皇陛下
も人間ですからね」「天皇陛下も天皇陛下で一生懸命やったんだから」という答えが
ほとんどだった。.

正直に言うと、僕はもう少し「右翼」的なリアクションを期待していた。戦争それ自
体を肯定し、日本の戦争責任そのものを否定するような、いわば「新しい歴史教科書
を作る会」的なものを。なかには「共産党の人がそんなこと言ってるだけでしょ」と
いう答えもあったが、それを口にした妙齢の女性ですらむしろ日本人全体が苦しんだ
戦争であったのに、天皇のせいだと言うのはおかしい、という考えだった。

高松宮夫妻は戦後、癌研究基金やハンセン病施設の支援など、福祉慈善や医療関係の
事業に力を注いだことで知られる。というか、皇室全体が慈善・福祉・医療に深く関
わっている(たとえば皇后は日本赤十字社の総裁で、副総裁には皇太子をはじめ皇族
の名がずらりと並ぶ)し、現天皇夫妻にしても皇太子夫妻にしても、地方での公務に
は必ず障害者施設や福祉組織への訪問・見学が含まれている。そうした「恵まれない
人々」への関心の高さについての評価はおしなべて高かった。「あんなにお偉い方々
なのに」ということである。.

もっとも、そうした取り組みは本来なら社会全体が取り組むべきことであり、第一義
的には政治の責任ではないか? 戦後、こと高度成長の時代以降、日本社会は全体的
にそうした努力を切り捨てて来た。みんなが豊かになれば貧しい層も豊かになるとい
う幻想もバブル後の今では成立し得ないし、病気や障害があると出発点でそこから見
捨てられている。戦後の天皇制はその社会がこっそり切り捨てて来た部分をフォロー
して来たともいえる??実際になにをしたかということ以上に、「国民の象徴」である
天皇・皇族がそこをフォローしてくれることで、国民総体が抱いておかしくなかった
罪悪感を解消するという意味において。その点では、喜久子妃の弔問に来るような人
たちの多くが、まだマシとすら言える。「お優しい」喜久子妃や美智子妃の活動を手
本に、自分も奉仕・福祉活動をしているという人も多かったのだ。

以前、叔父が使っていたと言う戦前の小学校高学年向けらしい歴史の教科書を読んだ
ことがある。歴代天皇のなかでもっとも強調されていたのが後醍醐天皇とその忠臣た
ち(主に楠木正成)なのは忠君愛国思想からして当然としても、それ以上に仁徳天皇だ
った。飢饉のときに民の竃から煙が上がらないのを見て、自らの竃に7年間火を着け
ぬよう命じた神話上の天皇だ。

また武家政権時代のいわゆる被差別部落の人々にとって、天皇はいつか自分たちを助
けに来てくれるはずの存在でもあったという。日本の天皇制は貧しさや苦しみの救済、
あるいはただ手を差し伸べ一緒に苦しんでくれる存在として天皇を見て来たのではな
いか? 天皇は日本の最高権威であると同時に、貧しく虐げられた民衆の側にある存
在にあったのではないか? 昭和の戦争とその直後は、現代の日本人の記憶のなかで
最も厳しく苦しかった時代だ。表層的な歴史理解からすれば近代天皇制の最大の失策
であり、その責任を負って退位とか天皇制廃止すら論じられるべきであるように見え
る戦争の記憶こそが、実は今もなお天皇に強い結びつきを感じる人々がいる最大の理
由になっているように思える。.

「右と左」の二項対立ではすくいとれない心の部分として、戦後の民主主義が戦前を
天皇中心の軍国主義として否定することで成立し、実はその裏返しに過ぎない以上、
「右と左」の二項対立では「右」に属する戦前・戦中体験者のアイデンティティは、
「左」が支持する側である病気や障害に苦しむ人々と同じように、戦後の日本社会の
なかでどこかで居場所と拠り所のない、切り捨てられた存在ともなっている。そこで
幻想にせよ「一緒に苦しんだり哀れんだりしてくれるやさしさ」の拠り所になってい
るのが、天皇なのではないか。

「天皇=神」というおよそ非科学的で20世紀には完全な時代錯誤である神話を、戦前
の日本人が本気で信じていたというのは、率直なところ素朴に疑問だ。むしろそうだ
ったと信じることは、誰もがその実どこかで過ちだったと認めているであろう戦争の
過去を現代から切り離すためのフィクションとして、都合がよかったのだとも言える。
天皇の戦争責任という戦後果てしなく続いて来た論争には、実は結論が出ない方が誰
にとっても都合が良い。天皇は幻想の投影先、つまり「鏡」であるからこそ、責任の
所在を曖昧に霧散させる“神的”な機能を持っているのだから。

戦争をめぐる責任の問題を天皇に帰結させて「ある」か「ない」かの左右二項対立で
議論して来た戦後日本の歴史そのものが、本当のところなんであんな戦争をしてしま
ったのかをめぐる議論から我々を遠ざけているのではないか。「時代がああいう時代
だったから、しょうがなかった」というのは天皇個人の責任についてはそう言えるだ
ろう。だが社会全体の問題として捉えるのなら、「そういう時代」になったメカニズ
ムを、本当なら論じなければならないはずだ。だがそのことを巡る本質的かつ総括的
な議論は、戦後60年ほとんど行われていない。シニカルな言い方をしてしまえば、天
皇が象徴であると同時に個人でもあることは、「国民の責任」の解消無効化装置とし
てみごとなまでに有効に機能しているわけだ。

これはなにも現代的なことではなく、天皇制自体が歴史的にそういう機能を持ってい
るともいえる。江戸時代の文芸や芸能(ちなみに、江戸時代の民衆が天皇の存在すら
知らなかったというのは、歌舞伎や文楽など大衆芸能に天皇が登場する頻度を考えれ
ば、かなりおかしい)にもその傾向は見える。たとえば大化の改新に想を得た文楽の
『妹背山女庭訓』では、盲目で極端に純真な天智帝はひたすら家臣と民を思い、家臣
たちや民衆はひたすら天皇を思い、そのリーダーである藤原鎌足は天皇のための無私
の心で、相当に残酷で悪虐とも言える策謀さえ実践する。史実とは相当に異なるわけ
だが、そもそも史実では蘇我入鹿を倒したとき天智帝はまだ皇太子・中大兄王であっ
て即位したのは改新がほぼ成功し安定した後だ。歴史的にも、天皇ではなく皇太子と
して政治権力を振るったり(中大兄王、聖徳太子など)、政治権力を振るうために退位
して院政を敷いた上皇(後白河法皇など)はたくさんいる。摂関政治でも将軍体制でも、
天皇それ自体は無私で自分のために権力を振るったりしないことによってその純粋さ
の権威は保たれ、その無私な天皇のために無私になって忠義を尽くすことで権力の担
い手の行為は正当化される。この構造は、第二次大戦ですら同じだと言えるし、だか
らこそあの戦争を誰も止められなかったのかも知れない。

●森達也の発熱などなど…

話は前後するが、一応の撮影初日になったのは、12月8日に森達也が鈴木邦男のゲス
トとなってやったトークだった。天皇制の話を鈴木邦男にぶつけるから、なにか出て
来るはず、ということである。だが当日の昼頃、森から今日は熱が出てしまって行け
そうにないという電話が入った。それでも午後には思い直して、やはりやりましょう
ということになる。会場は僕の近所でもある高田馬場、時事コント集団「ザ・ニュー
スペーパー」の稽古場スタジオを使った「大人のしゃべり場 トリックスター」だ。
 http://www.dop.co.jp/live.html 

キャメラは助監督の大崎由佳子がNTSCのVX2000に外付けマイクをつけて森の側からの
フルショット、僕が反対側から私物のPALのVX2100で森のアップを撮り(細部や色彩の
再現性は、同じデジタルビデオでもPALの方が圧倒的に優れている)、音声は森と鈴木
の間に仕込んだワイヤレスで拾う。森も手許の小型のキャメラで随時撮る。だが森は
しゃべるだけの体力はあったものの、やはり不調で、鈴木に天皇について語らせよう
という企てを、鈴木は巧みにすり抜けてしまった。

おもしろかったのはむしろトーク後の休憩や、そのまま会場に車座になっての座談会。
天皇なんてなんだと思っていたのが大阪万博のときに実際に昭和天皇に会ったらやっ
ぱりその「気品」に頭が下がったという中年の男性だとか、あるいは天皇一人に戦争
責任があるという議論はおかしいと言う20歳の若者の疑問だとか。どちらかといえば
“左っぽい”観客が主だが左右からノンポリまでごちゃまぜの観客で、座談会では
「天皇の戦争責任」の話題が盛り上がった。したたかな鈴木邦男はちょっと輪から外
れた位置に座ってなにも言わず、森が議論の進行役みたいな感じになって、「なきゃ
おかしいだろう」という説と「ない」という説が一通り出はじめる。

なにかおもしろいことが出て来たらと思って、大崎にトークの時に彼女が使っていた、
外付けのマイクつきのVX2000(NTSC)を借りる。手持ちで、キャメラをかなり動かすこ
とになりそうだから、ここはNTSCのキャメラの方がいい。PALの映像をパソコン上で
NTSCに変換すると、コマ数(PALは秒速25、NTSCは秒速30)の違いで、カメラ移動では
激しいフリッカーが出てしまうのだ。フィックスであれば問題はないが、こういう車
座の状況を尊重して、なるべくカットを割りたくない。つまりある発言者のアップか
ら次の発言者に移るパンを多用することになるだろう。.

だがここから先の話が今ひとつ盛り上がらないので、キャメラ片手にちょっと話を混
ぜっ返してみることにした。戦争責任がないとする側には、その根拠となる天皇機関
説的な考え、つまり天皇は決定を了承し権威を与えるだけの機関で、戦争にしても天
皇自身の意思や決定ではないのだからというのがある。しかも御聖断で戦争を終わら
せたのは天皇なのだし。一方で戦争責任があるという側は、御聖断を天皇機関説的な
議論で捉え、天皇自身の意思ではないのだから戦争責任はあるだろうという。ならば
開戦にしたってなんだって天皇機関説的な議論で天皇の意思ではなかったと言わなけ
ればおかしいし、開戦に至る近衛・東条両政権が日本史上有数の支持率や得票率をと
っていたことも無視できないはずだ。一方で天皇自身に実質決定権がなかったのなら、
御聖断だって彼の意思とは言えないからそんなに褒められたもんじゃないじゃないか。
また開戦に至る経緯が天皇自身の意思でないという機関説的立場をとるのなら、機関
説自体が「不敬」として昭和初期に断罪されているわけで、天皇主義の右派が機関説
的な論理で戦争責任を否定するのなら、そのこと自体が矛盾している。.

挑発的な反論を時折放り込むことで、このようにみんなが頭を抱え込むしかなくなる、
なかなかおもしろい議論が撮れた。ところが僕のとんでもないミスが発覚。なんと外
付けのマイクの電源が、電池の節約で切ってあったのに気がつかなかったのだ。
これだから演出兼キャメラというのは当てにならない。.

演出の仕事のひとつは状況を映像として面白い方向に誘導することであり、演出家と
してはそっちに集中しなければならない。戦争責任論をめぐる矛盾が露呈する方向へ
と議論を誘導するなんてのは楽じゃないし、しかも座談会では誰がどこで発言するか
分からない。撮影としては発言者から別の発言者に移るパンも含めて「使える画」と
して撮ることを意識し、パンが終わった瞬間には構図が決まってないといけない。そ
んなこんなに集中力が分散していると、思わぬ所で初歩的なミスをしてしまうわけだ。
ビデオ撮影のドキュメンタリーでキャメラマン監督をやると、演出、撮影、それに録
音まで、一人三役になってしまうわけで、しばしばどれかがなおざりになってしまう。

それにしても僕のミスで音が録れなかったことといい、森の体調といい、なんとも幸
先の悪い撮影初日になってしまった。.

●「菊のカーテン」…というか宮内庁と皇宮警察

フラッシュバックはここで終わりにして、10日後の12月18日の夕方。高松宮邸の前は
けっこうな人だかりだった。記帳に来た人が門前で止められ、向かい側の歩道にも野
次馬が。なんでも皇太子夫妻が弔問に来るらしいのだ。野次馬を撮りながら待機して
いると、車が邸に入るたびに門前のテレビ取材陣のライトが炊かれる。僕のそばに立
っていた宮内庁か皇宮警察らしき人が、僕も撮影しているのに気づき「マスコミはな
にも分かってないねぇ。皇太子の車は白バイが先導してるから、先導が見えてから撮
ればいいよ」と教えてくれた。.

これは話の分かりそうな中年のおじさんだったのだが、一方で若手のお役人となると
そうもいかない。案の定、「ちょっといいですか」と尋問に来た。「ここは敷地内で
なく公道ですし、三脚も使ってないから道路使用許可も要らないはずですが」と応じ
ると、「いえ、そういうことじゃないんです。ただ警備の関係で、一応どんな方か聞
いておかないといけないので」と言うわけで、住所氏名から、撮影の目的まで事細か
に説明する。そのあいだじゅうキャメラは小脇に抱えて、方向だけ目算して廻しっぱ
なしにしておく。後で慌ててチェックしたら、ずっとメモをとっている手帳のアップ
がばっちり撮れていた。後で同じ人がまた話しかけて来て「まさかとは思いますが、
さっき撮ってなかったですよね」。

翌日の昼には森を誘い出し、我々も記帳することにした。ここは森が自分の主観で撮
る。森の方はキャメラが小型の民生機で目立たないので、ここは彼に任せ、僕の使っ
ているVX2000はバッグの中に。記帳を終わって邸内の百数十メートルありそうな道を
歩いていると、また喪服姿の皇宮警察にとめられて尋問。森がキャメラを地面に置い
て答え始めるので、こちらは森が応答しているスキにそのキャメラを持って係官の方
に向ける。森が録画スイッチを入れっぱなしにしておいてくれたので、ここも撮れて
いた。

森は「今回の作品ではバストサイズのインタビューという画はあまり思い浮かばな
い」と言う。文筆業の方も忙しい彼はここで帰り、僕の方は助監督の大崎と、記帳に
来た人のインタビューを続けた。この日は月曜日で、あまり人は来なかったが、それ
でも警備の地元の制服警官の協力と(どんな人が記帳に入っていつ出てくれるかの情
報をどんどん提供してくれたのだ)、キャメラを持っている僕よりもまず大崎が話か
けてくれた方が頼みやすかったこともあって、高松宮夫妻が敷地を寄付したという地
元の高松中学校のPTAの会長さんや、生徒さん、それに三越で皇室担当だったという
女性など、いろいろな話が聞けた。高松宮記念癌研究基金の若い女性職員もいたが、
インタビューに応じてはくれたものの、いかにも気恥ずかしそうだったのが印象に残
った。それにしても大崎の屈託のない愛想のよさはたいしたものだ。そのまま自分が
インタビューした方が話が進みやすそうなときにはそう判断して彼女が質問を続ける
のだが、その好奇心たっぷりの質問ぶりがまたなかなかのものなのだ。

この頃から森のコンセプトが、自分が天皇を妄想するという抽象的なレベルにとどま
っていては映像にしにくいので、アクションとして自分がなんとか天皇に会おうとす
るという方向に具体化して来た。12月23日は天皇誕生日。一般参賀は皇居内に入り、
天皇本人も直に見られる数少ない機会だ。そこでこの日は撮影することにして、午前
10時に二重橋前駅で待ち合わせ。

だが森がなかなか現れない。20分ほどして僕の携帯に森から電話が。どうにも体調が
悪く、お茶の水まではたどり着いたものの気分が悪くなり、駅のトイレで吐いてしま
ったという。しょうがないので大崎と僕と、助っ人として土本典昭監督を撮るドキュ
メンタリーで助手をやっている香取勇進の3人で、皇居に向かう。香取に来てもらっ
たのは、万が一警備に撮影を止められたり、右翼とトラブルになった際に、彼の小型
の民生用キャメラでそれを撮ってもらうためだ。その他にも小型のキャメラで、見た
目が10代後半の彼の方が、小回りが効くことも多いだろう。

●“拍子抜け”の一般参賀

天皇誕生日と正月二日の一般参賀というと、報道で見るのは天皇陛下万歳の声が響き、
整然と並んだ群衆が日の丸の小旗を振り(だいたいあれはどこから持って来るのか?)、
といった雰囲気だ。正直、高松宮邸でも警備に悩まされたわけだし、我々も「敵地」
とまでは言わないが、「天皇主義の本陣に乗り込む」くらいの気負いがあった。これ
がとんだ拍子抜けだったのである。

皇居に入るには、まず手荷物検査と金属探知機のボディチェックがある。VX2000とい
うけっこう大型なキャメラに、見るからに業務用のガンマイクとごついキャノンケー
ブル、それに三脚という装備が咎められるかと危惧したら、まったく注意すらされな
い。ボディチェックも、探知機が反応しても「鍵です」「財布です」とか言えば出さ
れることもなくすぐにスルー。来ている人も、外国人観光客も含め、まるで物見遊山
だ。二重橋を渡って正門をくぐり、宮殿前まで向かう道すがら、警備が気にするのは、
立ち止まって写真を撮る人が多いので人の流れが滞ること程度。「立ち止まらないで
下さい」と声がかかっても、みなさんデジカメや、それこそ携帯電話で、写真を撮る
のに余念がない。.

宮殿前で天皇一家の登壇を待つ間も、雑然そのもの。スピーカーから雅楽が流れ、日
の丸の鉢巻に大仰な幟を持った右翼団体が二、三目につく以外は、有名な神社の初詣
かなにか、観光地的気分だ。そのなかに大判の写真機に三脚を備えた、ずいぶん本格
的な感じの若者たちがいた。大学の写真科の学生で、卒業製作で「皇居に来る人々」
を撮っているという。彼らも、別に宮内庁から撮影許可をとっているわけではない。
我々の方も宮内庁が許す一社キャメラ一台という制約がすでにフジの報道のキャメラ
で押さえられてしまっているので、撮影許可はない。.

天皇一家が出て来ると旗が振られ「万歳」の声が響く。旗は皇居に入る前に渡される
もので、たいていはそれを振っているが、なかにはやはり写真撮影に余念がない人も
多い。天皇の言葉の最中は旗は振られないが、そうすると旗の代わりにカメラや携帯
電話が群衆の頭の上に構えられる。そう、テレビ報道ではこの群衆から通路をひとつ
隔てた報道用の台の上からの左右対称のフィックスでしかこの光景を写していないの
で、整然とした印象になっていただけなのだ。その群衆のなかに入ってみると、撮れ
る画はぜんぜん違うのである。

天皇一家の“お立ち台”が終わると、群衆は坂下門に続く急な坂を下って「退出」す
ることになる。警備としてはここで誰かが転んだりしたら将棋倒しで怪我人も出るだ
ろうから、いちばん気を使っているようだ。

皇居内は原則禁煙で、坂を降りた所に喫煙所がある。皇居内の豊かな緑を背景にもう
もうと紫煙が立ちこめる中、スーツ姿に「日本民族の誇り」のはずがなぜか茶髪が多
い右翼の人たちが灰皿を囲み、そこに冬の斜めの日光が差し込む荘厳なビジュアルに、
大崎は関西弁で「まるでヤクザの葬式やなあ」。.

一般参賀の出口は坂下門と、皇居前広場の北端に出る桔梗門、そして北の丸公園方面
に抜ける乾門。ここで桔梗門や乾門のルートを選択すると、都内有数の景勝地である
皇居の豊かな緑ときれいな空気、見事に保存された江戸城の石垣や櫓を楽しめる、な
かなかのお散歩コースになっている。たいていの人は坂下門で出てしまうので、そん
なに人ごみもないし。

この道すがら出会ったのがまず韓国のテレビ取材チーム。一般参賀に来た人たちにイ
ンタビューをしている彼らを、逆インタビューしてみた。ちなみに、日本のテレビで
撮影許可を申請しても、撮影できるのはお立ち台だけ。そこからすると彼らの得てい
る取材許可はかなり特権的だ。また、「陛下マニアで城マニア」を自称する、毎年来
ていると言う青年にも会った。父親が警察官で、子供の頃から連れて来られていたと
いう。「昭和天皇のオーラは違いました」と(って、昭和天皇の崩御は中学生ぐらい
の計算になるが…)言う彼の勤め先は、子供服会社。「愛子様の御用達になるのが夢
かなぁ」と笑う。.

我々は桔梗門から退出。ここから皇居前広場を抜けて内堀通りと行幸通りの三叉路に
向かう通路の右側には、預けた手荷物の返却テントと、お土産屋の屋台が並ぶ。左側
は白鳥が悠然と泳いでいるお堀。天気もよく、いかにものどかな雰囲気だ。宮殿前で
会った写真の学生の藤澤君にここで再会。時折彼のグループが写真を撮らせてもらっ
ている人に便乗してインタビュー。「イラク派兵は国を守るという原則に反してい
る」という自衛隊の将校やら、外国人やら。大崎と僕も写真を撮ってもらった。

お土産ものの屋台も取材。ふだんは皇居外苑のレストハウスで商売している店がほと
んどらしい。「二重橋」と「楠公」の二本セットのかまぼこや、皇居印の日本酒を売
っている店に、しらばっくれて「なぜ楠公なんですか?」と聞いてみる。レストハウ
スが楠公像のそばにあるからなのだそうだが、50がらみの店員さんも、戦前の皇国史
観では最大のヒーロー「楠公」が、誰なのかを知らない。30ぐらいの若手が助っ人で
呼ばれ、楠公の銅像が住友財閥かの寄贈であること、南北朝時代の楠木正成の功績を
やっと語ってくれた。

新撰組のマスコット人形を売っている店に、「新撰組は逆賊じゃないですか?」と訊
いてみる。「いえ、新撰組も立場は違っても、やはり天皇のために闘っていたんです
」との返事。「でも、実は大河ドラマだったからあるだけなんですけどね。来年はあ
りませんよ」

警備に止められることも一度もなかったし、元宮内庁大膳の菓子職人がやっている屋
台(今は息子さんの2代目)でも、宣伝文句は「おもいっきりテレビ」で紹介されたこ
とで、元宮内庁大膳だったことは話を聞いて始めてわかった。聖徳太子と神武天皇ど
っちが先だったかを知らない初老の女性たちいるし…。

なんだか思っていたのと雰囲気がぜんぜん違うのである。まさに行楽気分。例の写真
の青年・藤澤君に至っては「皇居はディズニーランド」だと言う。こののどかな、誰
もが感じがいい雰囲気も、天皇の徳の力なのだろうか、とちょっとおかしなことまで
考え始めてしまった。.

日没までたっぷり「皇居遊園地」を満喫し、大崎、香取と三人でビールを一杯飲む。
それにしてもなぜ森は今日来なかったんだ? 体調が悪かったのは本当だろうが、精
神的なものもあったのかも知れない。酒の入った毒舌で「内なる天皇霊にやられたん
じゃないか?」とは僕の冗談。天皇を撮りたいとずっと言い続けて来ながらも、いざ
撮るとなったら潜在的な天皇への畏怖だか恐怖だかが、身体を動かなくしてしまうと
か。大崎は「なんだか登校拒否みたい」と言う。コジツケの妄想と言ってしまえばそ
れまでだが、しかしフェイク、つまりフィクションを盛り込むというコンセプトから
すれば、“天皇誕生日に来られなかった森”を組み込んでしまうのも面白いかも知れ
ない。そこで今さっきの会話をシーンとして演じ直して撮影し、二重橋前駅に行って
森から電話がかかって来たシーンも再演・撮影しておいた。.

しかし、こうやって森のコンセプトとの擦り合わせを図ってはいるものの、森自身が
企画段階でさんざん言っていたように、ドキュメンタリーというのは確かに撮ってみ
ないと、動いてみないと、対象に接してみないと、どうなるか分からないのだ。この
点ですでに、決定的な差異が二人のあいだに出来てしまっていたのは確かだ。またス
タッフの大崎にしても、僕とはすっかり親しくなったが、森とはほとんどまともに会
話すらできていない。

●不安の始まり

その数日後、森の発案で、まずフジテレビ、共同テレビとの打ち合わせを撮影するこ
とに。メイキングのプロセスも作品に組み込むというコンセプトからして撮るべきも
のではあるが、いろんな意味で微妙だ。まずこちら側の準備不足??森には天皇誕生日
と高松宮邸前で撮った内容について電話では伝えたものの、ラッシュも見てもらって
いないし、詳細も話せていない。プロデューサー側としては少しは具体的な内容も把
握したいだろうに、森が話せるのは抽象的なコンセプトだけだ。それも率直に言って
まだまだ未整理で、説得力があまりない。「この作品は5つの大きな流れがあって、
それがDNAの構造みたいに螺旋状に絡み合う」と言うのだが、五つとは要素があまり
に多過ぎる。せいぜい三つにすべきだろう。だいたい五つのうちの森の身辺雑記と、
天皇に会おうとする森をめぐるフィクション部と、この作品のメイキングの部分とい
うのは、本来ひとつでないとおかしい。

後の二つは「天皇制をめぐるトリビア」と、著名人と彼の対談やインタビューだとい
う。だが森の言う「トリビア」部分しかこの段階では具体的に見えていないし、この
部分ではすでに撮影したぶんでも、リサーチでも、すでに相当におもしろいディテー
ルが見えて来ていて、このままではこちらがコアになりそうなほどだ。一方で森がほ
とんど撮影に参加していないことから、「森が天皇の内面を妄想する」ないし「森が
天皇に会いたい」という主筋と組み合わせるのにはかなり無理がある。

森が提案するように「合間合間に挟み込む雑学」というやり方ではすでに撮れている
素材の人間的な面白さはほとんど生かせないだろうし、口では「DNAの構造みたいに
螺旋状に絡み合う」と言ったところで、表層的に情報を伝えるだけの、情報バラエテ
ィ番組のようにしかならないのではないか? これはフジテレビと組んでいるという
ことで相当に使えそうなアーカイヴ映像にしても同じ危険がある。「日本人の心の中
の天皇制」をやるのであれば、情報をただのトリビアで扱っては意味がないはずだ。
よく知られていることも、ほとんど知られていないことも含め、それに対する森なら
森のリアクション、その事実についてなにを感じどう考えたのかが組み込まれないと。

またそんな“雑学”の部分で、二人の関係にとっても大きな問題が露見してしまった。
森が今の天皇のことを「平成天皇」と呼んだので、「まだ死んでないでしょう」と軽
口を叩いたら、意味が通じなかったのだ。「昭和天皇」「大正天皇」「後醍醐天皇」
と言った名は死後の“おくり名”なのだが。あるいは美智子皇后の「ナルちゃん憲
法」についても、共同テレビのプロデューサーの細川邦夫、鈴木常恭の二人はもちろ
ん知っていたが、フジテレビで「NONFIX」を担当する若手プロデューサーの吉田豪は
ともかく、森自身が知らなかった。世代間格差と言えばそれまでだが…。

著名人との対談やインタビューは、テレビの番組編成的には説得力があるものの、中
身としては一般参賀や弔問記帳に来た無名の、一般の人たちの方が「日本人の心の中
の天皇制」というテーマからすればリアリティも意外性もありそうに僕には思えた。
著名人を使う足枷は、テレビ、つまり視聴者がより大きいメディアであればあるほど、
すでに一般に流布している自分のイメージの枠からはみ出さないことしか言わない可
能性がまずひとつ。こと話題が天皇制となれば、その可能性は大きい。.

だがそれ以上に、作品の構造内で森が対談したりインタビューする著名人が別枠で、
我々が皇居や高松宮邸前で会った一般の無名の人たちが「トリビア」というヒエラル
キーを作るのでは「日本人の心のなかの天皇制」という本筋から外れる。森自身が主
人公として「天皇に会いたい」とアクションを起こしたり、天皇の内面を妄想するの
も、「著名文化人の森達也」ではなく、この作品の作り手ではあることを除けば単な
る一日本人の森達也でないと、「日本人の心の中の天皇制」は映し出せないだろう。.

もうひとつ問題が起った。てっきり森の方で事前に伝えているのだとばかり思ってい
たら、フジテレビの吉田も、共同テレビの細川と鈴木も、この打ち合わせを撮影する
ことをまったく知らされていなかったのだ。吉田豪はさりげなく、森からいちばん離
れた、こちらが三脚を据えていたすぐそばの席についた。いちばん撮りにくい位置だ。
細川が「そんな話は聞いてないよ」と露骨に言ったのも、デリケートな題材だけに吉
田との信頼関係を崩すわけには行かないから敢えて不快感を示したように僕には思え
た。森は「そんなことはないよ。吉田さんはべつに不快そうに見えなかったし、細川
さんがいやだっただけでしょう」と言うのだが…。.

いずれにせよ、本来ならいちばん味方にしておくべき直接のプロデューサーとの関係
がぎくしゃくしてしまったのは気になる。それに細川は大崎の上司なのだから、彼女
が話していなくてもその動きを通じて我々がいつどこに行って何を撮っているのかぐ
らいは把握できていてもおかしくないのに、すでに撮った具体的な内容に一切触れな
かったのも拙かったというか、さすがに失礼じゃないか? 作品づくりについて、森
と僕とで大きな隔たりがあるのかも知れない。つまり、スタッフワークの問題だ。.

性格的には、森も僕も人見知りが激しく孤独癖があるところは共通しているのだが、
森の方が徹底しているのかも知れない。僕はといえば、人見知りが激しいからこそ、
とくにスタッフとの信頼関係がないとやってられない。ドキュメンタリーは主観であ
ってもその自分の主観自体をあまり信用していないから、自分を自分でチェックし再
検証するためにもスタッフとの関係は重視したい。いずれにせよ最終的に判断するの
が自分の主観なのだから、スタッフがもたらしてくれるものは遠慮なく生かす方だ。
それはプロデューサーも同じだ。だがドキュメンタリーは主観だと森が言うのは、だ
からこそ本当は一人でやるのが一番楽なのだと言うことではないのか?



   ※35-2号へつづく



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