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ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン neoneo vol.33-2 2005.4.1

発行日: 2005/4/1


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┃n┣━┫o┣━┫e┣━┓ ★ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン
┗━┫e┣━┫n┣━┫o┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━○
  ┗━┛ ☆━┛ ┗━☆    33-2号  2005.4.1


∽∽∽∽∽∽ HEADLINE ∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

 †01 日本のドキュメンタリー映画のかたち
      ドキュメンタリーの新しい夜明け(5―最終回)  阿部 嘉昭
 †02 自作を解剖する
      『えてがみ』  内田 伸輝
 †03 ワールドワイドNOW ≪サンパウロ発≫
      ブラジルの「BURAKUMINS」  岡村 淳
 †04 ドキュメンタリー時評
     「天皇制」テレビ・ドキュメンタリー中断顛末記  藤原 敏史
 †05 neoneo坐通信(18) 4月のプログラム
     4月3日・科学映画特捜隊 vol.3 春のどうぶつ大行進! 
          『オランウータンの知恵』(藤原智子監督、ゲスト出演)他2本
     4月15日『山ドキ! 東京予備校』(第二弾)
        『塵に埋もれて』他2本
        (ゲスト・トーク「ヤマガタ千夜一話」司会:藤岡朝子)


※33-1号より

     ◇────────────────────────◆◇◆    


 †06 広場
     投稿屋台『クチコミ来来軒!』(9)
       新・クチコミ200字評!(8)  大方 栄太郎、清水 浩之
       『Little Birds―イラク 戦火の家族たち―』『痴呆性老人の世界』
       『おぎやはぎの人体実験』
     投稿:「小川紳介のコスモス〜小川プロの仕事」レビューリレー(8)
       『映画作りとむらへの道』を見て  山本 大輔
     投稿:テレビの曖昧さ  脇阪 亮
     投稿:森さんの新刊を読んでここ最近思うこと  松江 哲明
     投稿:投稿:neoneo坐訪問記  杉崎 栄次

 †07 編集後記  伏屋 博雄


   ★バックナンバー閲覧はこちらまで

   まぐまぐ配信   http://www.mag2.com/m/0000116642.htm
   melma!配信    http://www.melma.com/mag/39/m00098339/



┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃06┃□広場
┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

■投稿屋台『クチコミ来来軒!』(9)
■屋台引き:清水浩之(ゆふいん文化・記録映画祭)

ここはメルマガ上に出店した「投稿屋台」です。皆様の投稿をお待ちしております。
本文とは別に「あなたのお名前(ペンネーム可)/掲載確認のご連絡先(メールアドレ
スor電話)/題名/制作年/監督/見た場所(よろしければあなたのプロフィールや
近況も)を付記してお送りください。
清水浩之 E-mail: shimizu4310@bridge.ocn.ne.jp /ファクス:03-3703-0839

■新・クチコミ200字評!(8)
オススメの作品を200字以内の短評で紹介してください!映画・ビデオ・テレビなど
皆さんがノンフィクションだと思う作品だったらなんでも可!もちろん「オススメし
ない映画とその理由!」もOKです。

B-084『Little Birds―イラク 戦火の家族たち―』
2005年/安岡フィルム/監督・撮影:綿井健陽  http://www.littlebirds.net/ 
ゴールデンウィークより新宿K's Cinemaほかにてロードショー
TVのニュースが映さない「地べたの上の戦争」…それは空爆直下、非戦闘員である住
民から腕も足も目も家族も友人も生活も将来も容赦なくもぎとっていく事実。もぎと
られると「痛い」という至極当然なことをあらためてまざまざと見せてくれます。
「バグダッドの盗賊」退治に来た軍隊もまた盗賊に過ぎず、しかも一旦来れば長々と
居座ることは、日本人なら60年前から知っているはずですが、それを再確認するため
にもおすすめします。

B-085『痴呆性老人の世界』
1985年/岩波映画製作所/演出・脚本:羽田澄子
見た場所:フィルムセンター「フィルムは記録する2005」
痴呆とは「自分なりの世界」と外界とのギャップが顕在化し、その虚構が奇行に映る
症状なのかも知れません。こうしたズレは、例えば国家同士で歴史観が噛み合わない
状態に似ている気もしますので、舞台となる病院が心がけている「説得より納得」と
いう姿勢は大いに見習うべきかと。寡黙な男性陣を尻目に闊達そのものの女性たちは
“自称18歳”さんをはじめみんな少女のようにチャーミング。これは究極のガールズ
・ムービーかも…!!

B-086『おぎやはぎの人体実験』
2004年/笑軍様/監督:マッコイ斉藤/出演:小木博明・矢作兼
DVD販売元:ローランズ・フィルム
かつて“テリー”伊藤輝夫さんがチャレンジしていた「実験バラエティ」、たこ八郎
さんに東大生の血を輸血するとどうなる?みたいな思い付き即実行路線の平成版。大
半が思い付きのまま終る中で唯一可笑しかったのは「不良少女の更生には愛情だ!」
と小木くんがヤンキー娘ミカちゃんにひたすら抱きつきキスを迫る実験。最初怒って
いた彼女もあまりのしつこさに疲れたか、だんだん心を許していく姿が可愛い!恋は
ストックホルム症候群?


     ◇────────────────────────◆◇◆     


□投稿:「小川紳介のコスモス〜小川プロの仕事」レビューリレー(8)
■『映画作りとむらへの道』を見て
■山本 大輔(22歳、大学生)

映画表現に興味をもち、ドキュメンタリーの撮影を1年前から行っている。少し自己
紹介をしてみた。この映画について書くためには、まず自分の出自を明らかにしてお
きたい。なにか、そう感じた。

『映画作りとむらへの道』は、当時助監督だった福田克彦が監督した、三里塚に常住
し撮影を続ける小川プロ自身の記録である。一度小川プロ内で試写が行われた後お蔵
入りになり、幻となっていた作品である。その理由はわからなくもない。正直この作
品がただの記録でなく、ドキュメンタリーに達したものかは分からない。だが、その
記録はつまり小川プロの人々の顔が見えたことであり、その意味は大きい。

小川監督がラッシュの上映会で映画論を語る。示唆に富む議論。ちょっと太っている。
マイケル・ムーアのそれよりは格段に好感の持てる太り方だ。撮影たむらまさき(田
村正毅)氏の、カメラへの工夫は表現内容と道具・メディアの関係を考えさせ、それ
はたとえば「EUREKA」のクロマティックW&Bに繋がるような、氏の穏やかながら繊細
なこだわりなのだろう。(それにしても、氏の放つ雰囲気は本当に独特に柔らかい。)

ここで小川プロの人の顔が見えたことは、この記録と時を同じくする『沼田部落』を
三里塚のそれまでの作品から色を違える。また、『沼田部落』で小川監督のナレーシ
ョンが存在すること、そして小川プロがその後山形に移ったことと、よもや無関係で
はあるまい。

僕たちがドキュメンタリーを見るときに、時代性はやはり存在すると思う。たとえば
現在、自分の大学のキャンパスに政治的看板が立てられたとて、僕はおそらく、それ
をパロディーとしか感じない。そういう意味でたとえば土本監督の『パルチザン前
史』に対し、理解はできるが感情移入ができない自分がいた。それは、三里塚の初期
の作品にも少しながら感じたことだ。だが、ここに至り、小川監督の柔らかそうな頬
っぺたは三里塚のひとびとの笑顔になり、それは時を超えてナヌークのものとなる。
「映画作り」と「むらへの道」はいつのまにやら「映画作りとむら」への道となり、
なんだかそこは夕暮れ時で、帰路の先には母親の作った夕飯が待っているのだ。.

先日、渋谷の吉野屋で豚丼並250円を食べていた。外では「高校生は戦争が嫌いで憲
法が大好き」と群れ叫びながらのデモ行進が行われていた。隣に座っていた二人組の
学生がそれを見て会話。「憲法9条って何?」「ばか、戦争放棄だよ。」僕はとりあ
えず、トイレに入って鏡を覗きこんでみた。もうちょっと、僕達は自分を知った方が
よさそうだ。だけど、まだ僕は鏡の使い方をよく分かっていない。


エッセイを1編書いてみました。NHK問題や森監督と藤原監督の『拝啓、天皇陛下』が
行き詰っていることにインスパイアされて書いたエッセイです。


     ◇────────────────────────◆◇◆     


■投稿:テレビの曖昧さ
■脇阪 亮(行政書士、ファイナンシャル・プランナー)

放送には、独特の曖昧さがあって語りにくくしているのではないでしょうか?これが、
放送について論じたり、考えたりすることをうまくさせないのではないか、と思いま
す。むしろ、この曖昧さを明確にするのではなく(放送の本質に基くものですから明
快にすることは難しいでしょう)、どのように曖昧か、これから書いていきたいと思
います。

テレビの本質とは、かつて万田邦敏監督が論じたように 、むしろ「個々の番組」に
はなく、むしろずるずる流れているその連鎖にあるのではないか?と思います。視聴
者はだらしなく、一連のものとして番組やCMを見てしまう。個々のCMも含めた「番
組」の組み合わせとしての編成が、その本質ではないか?と思います。NHKやフジテ
レビやTBSのようなテレビ局が生み出しているのは、個々の番組ではなく、番組やCM
を素材にした一連なりの編成といえるのではないでしょうか?言い換えれば、個々の
番組はその部品でしかないのではないでしょうか。作品の独立性が希薄で、連続して
いるところにテレビの、あるいは放送の根本的な曖昧さがあると思います。そもそも
放送の本質は、電波であり、電波とはどんな時間にも空間にも存在しているのですか
ら、ある意味でこれは当然ともいえます。「番組」とは、これを放送局とスポンサー
にとって都合のよういように、人為的に区切ったものに過ぎません 。

漫然とテレビを流しているような視聴者、特に何かしながらテレビを流しているとい
う視聴者の存在は、ある意味、この「放送」の特質である「ずるずる流れている連
鎖」に基く存在だと思います。ほおっておいても流れている、ということですね。映
画館の映画を観にいくときは、こういうことはありえない。映画館は暗闇で映画を観
ないならば、居眠りでもしているほかはない。映画を観るのも、眠るのもいやなら外
に出るほかない。DVDで映画を観る場合は、画面をろくに観ずに他のことをやりなが
ら、流すことは出来ます。しかし、いずれはそのDVDは終わるでしょう。それに対し、
テレビの場合は次の番組が来る。テレビはずるずると続いていく。深夜にテレビ放送
が終わっても、番組の映っていないテレビ画面を見続けていた認知症の高齢者がいる
という噂をどこかで読んだことがありますが、それは究極のテレビ視聴者といえるか
もしれません。

この何かしながら、というテレビの視聴形態は、テレビ番組の制作形態そのものにも
影響を与えています。テレビドラマのナレーションをはじめとするテレビ番組の音声
の過剰性に影響を与えています。

だから、個々の番組は、個別的に論じることは、映画に比べると意味がない。実際問
題として、テレビ番組を論じる場合の方法は、映画批評の方法を真似ている傾向があ
るのではないか?と思います。個々の作品を取り出して、ということですね。例えば、
様々な放送関係の作品賞も作品だけ取り上げて選考しているわけですね。

しかし、現実にはそれは放送の本質とは違う。このずるずる流れる番組とCMの連鎖を
論じるには、作品評ではなくメディア論として論じなければならない。むしろ、極論
すれば、テレビ番組を論じる場合、その番組を見るために見るはめに陥った前の番組
の終わりの方や挟み込まれたCMも併せて論じなければならないのではないでしょうか


放送関係の賞のようにずるずると流れる番組とCMの連鎖から切り離した番組として論
じる評価は、放送の持つ同時性をも無視している。家庭用のビデオデッキの普及以来、
録画したテレビ番組を見るという視聴スタイルが生まれ、同時性が薄れつつあります
が、はてなダイアリーに、テレビ番組に見た後、感想を書くと、同じ番組を見ていた
人が「はてなキーワード」や「おとなり日記」から分かり、テレビの同時性を強烈に
感じます。実際、テレビを見る動機のかなりの部分が翌日の職場や学校での話題のた
めでしょう? これこそ、テレビの同時性の現れですね。録画したテレビ番組を週末
のまとめて見るのなら、翌日の会話には入っていけませんから。テレビは日本中をひ
とつの村にしてしまった。「世間」のイデオロギーを強化しているのは、今やオーラ
ルな噂話ではなく、テレビでしょう。マクルーハン氏にいうグローバル・ヴィレッジ
を思わせる情景です。.

さらに、放送を論じるにあたって問題になるのは、それは「表現」なのか、「遠くに
あるものを伝達するだけ」のものなのか?ということがあいまいなことが、議論を混
乱させていると思うのです。つまりそれは、「媒体」なのか、「芸術」なのか、とい
うことですね。かつて、映画も単に「メディア(媒体)」だと思われていたことがあ
りました。映画を発明したリュミエール兄弟は、今のテレビが世界中から中継するよ
うに世界中にカメラマンを派遣して撮影させ、珍しいイメージの「交流/交通」をさ
せたわけですね。.

つまり、最初映画もまた風景のコピーだった、言い換えれば「媒介」だった。より厳
密にいえば、「コピー」であり「媒介」であると思われていたし、「コピー」であり
「媒介」であると期待されていた。「媒介」ならば、なるべく「ノイズ」がなく、
「透明」な方がいいわけです。しかし、映画は、単に「被写体」と「視聴者」結びつ
ける「媒介」から「芸術」に発展していった。この「媒介」と「芸術」の差は、ノイ
ズの質と量だと思います。「媒介」として期待されているならば、なるべく「ノイ
ズ」がなく「透明」であることが期待される。つまり「無個性」ということです。逆
に「芸術」は、「被写体」と鑑賞者の間でノイズがたっぷりとある。単に「被写体」
を写し撮った物ではありえない。そのノイズとは、「作者の主観性」でしょう。「作
者の主観性」というノイズは多ければ多いほど、「芸術」としては面白くなる。逆に
言えば、テレビをはじめとする放送は、映画のような「芸術」ないしは「作品」には
なりきれず、むしろ「映画館」のような存在にとどまっているのではないか。つまり、
媒体ということです。.

この媒介機能は、テレビの場合、より本質に関わるのではないでしょうか?私は昔か
ら演劇の本質を「今、この場所で」、映画の本質を「昔、別の場所で」、テレビの本
質を「今、別の場所で」と考えたことがあります。演劇の観客は、劇場に入り、今目
の前で繰り広げられている俳優の演技を見るわけです。映画の観客は、映画館のスク
リーン上に映し出される、過去に撮影所やロケ地といった別の場所で撮影された俳優
たちの演技を観るわけです。それに対して、テレビの本質は生の中継だと思います。
つまり、今、どこか「別の場所」で行われていることを映し出すことがテレビの本質
だと思います。

日本のテレビの普及のきっかけとなったのが、現在の天皇の結婚式の中継がきっかけ
でした。この中継は、NHK、民放あわせて投入されたカメラは100台、人員は1500人が
投入されており、当時としては、世界的にも画期的な中継でした 。つまり、その中
継自体が一種のイベントだったわけです。テレビの生中継とは中継されること自体に
よって、中継される内容がイベント化するところがあります。ブーアスティン氏の
「擬似イベント」という言葉を思わせます。

当然ながら生中継では、映画批評的な「映像的な完成度」は、望むべくもありません。
もちろん、テレビ・ディレクターは、当然スイッチングによってカメラアングルを変
化させるわけですが、ビデオやフィルムによる編集には比ぶべくもない。だから、そ
れを映画批評的意味で「完成度」を問うてもしかたがないところがありますね。

逆に、当然、放送事故やハプニングも起こりえます。むしろ、かつて60年代の美術に
おいて「ハプニング」という芸術が提起されたように、放送においては「事故」とし
て起こるハプニングを一種の創造的に活用していかなければならないのではないでし
ょうか?

実際、民間放送が軌道に乗った時代の代表的なコンテンツはプロレス中継であり、野
球中継でした。当時の街頭テレビを見る人びとを熱狂させたのは、やはり「生中継」
による同時性だったと思います。今もテレビ放送で人気があるのはスポーツ中継で、
その放映権は大変な高額で取引されています。これは、やはりテレビの本質である
「生中継」(同時性)の魅力を存分に発揮するコンテンツだからでしょう。最近、
NHKがラグビーの試合を録画で放映しようとしたが、結局生中継することにした、と
いう「事件」もありました。

逆に、このような「生中継」、ことにスポーツ中継ではあまり「作家性」、言い換え
れば「芸術性」は問われない。つまらなく感じても、「それを放送の責任である、ス
タッフの責任である」とはあまり語られません。ほとんどの場合、試合内容そのもの
が問題になるのです。「余りにも大差が開いた一方的な試合だった」とか、「凡ミス
が続いた」とか。むしろ、中継スタッフの能力よりも放映権獲得の政治力(?)の方
が重要なくらいです。

一部のスポーツ番組の演出過剰性が論じられることはありますが、具体的に中継スタ
ッフの名前が挙がって論じられることはほとんどありません。これはベルリンオリン
ピックのドキュメンタリー映画『民族の祭典』や『美の祭典』でレニー・リーフェン
シュタール監督の作家性が、東京オリンピックのドキュメンタリー映画『東京オリン
ピック』で市川崑監督の作家性が議論の対象になるのとは、対照的です。.

これは、むしろ先述の「ノイズ」と「媒介」の話に戻ると、テレビのスポーツの生中
継では「ノイズ」がない「媒介」であることを期待されているのだと思います。逆に、
『民族の祭典』や『美の祭典』では、レニー・リーフェンシュタール監督の主観性が、
『東京オリンピック』では市川崑監督の主観性が作品の価値と結び付けられているわ
けです。もちろん、「透明」な「媒介」を目指して創られたわけでは決してない。そ
れどころか、レニーなどは、いわゆる「やらせ」までやっている。

空間を越えて映像が媒介されるところにテレビの本質、面白さがあるのであり、そこ
にはむしろ「ノイズ」を消した「透明」な「媒介」への欲望があるのではないでしょ
うか?.

森達也監督が、一種の「主観性のドキュメンタリー」論を主張しています 。堂々と
主観性に則った作品づくりをすればよい、というわけですね。それはそうなのだけれ
ども、問題があります。それは、テレビでは個々の番組の独立性が弱く、番組がテレ
ビ局の名で、つまりテレビ局の編成権が作り出す一連の編成の中で取り上げられてし
まう、ということです。逆に言えば、今まで書いてきたように、テレビでは、あまり
スタッフの個人名を挙げて論じられることが少ない、ということです。視聴者の多く
は、「ディレクターは誰か?」を問題にしない。それは、そのまま視聴者が個々の番
組を作ったスタッフにものではなく、テレビ局のものとして考えている、ということ
でしょう。

最近のNHK問題でもフジテレビ問題も、かつてのTBS問題もですが、テレビ局の名前が
問題になるのです。個人名が挙がるとすれば、経営者としての日枝久会長や海老沢勝
二氏などです。彼らは、経営者ですから会社の代表者として名前が挙がっているわけ
で、会社名が挙がっているのと同じことです(NHKは特殊法人で会長職を経営者とい
うのはおかしいかもしれないが)。

今回のNHK問題でNHKの長井暁プロデューサーの名前が挙がりましたが、これは作り手
としてではなく、「被写体」として論じられている気配が強い。長井氏がテレビカメ
ラの前で記者会見をしなければ、あれほど議論に対象にならなかったのではないか?
と思います

自由に創るならば、当然責任を負わなければならない。批判も栄誉も、当然個人とし
て負う必要があります。.

「映画の作者は誰か?」は映画批評の歴史の永遠のテーマの1つだと思います。原則
として、映画には「個人としての作者」はいません。映画は個人映画を除いて集団作
業で創るものです。しかし、「個人として」責任を負う人が誰もいなければ、「無責
任の体系」(丸山真男氏)に陥ります。「戦争責任」論争もそうですが、責任とは、
結局、個人に宿るものですから。だから、映画の「作品の質」に関しては、個人とし
て、「映画監督」の名で語られる。これは、「無責任の体系」に陥らないように、と
りあえず責任者を決めておく、ということだと思います。つまり、「質」が悪かった
場合も優れていた場合も映画監督の名で語られてしまう、という形で「監督」は責任
をとらされるわけです。もし、「分業」の実体に従って、「責任」も分割してしまう
と、「無責任の体系」に陥ってしまう。「連帯責任は無責任」というわけです。.

しかし、テレビ番組の場合、その「責任者としての作者」がはっきりしない。例えば、
テレビドラマの作者は、ディレクターなのか?しかし、テレビドラマの場合、ディレ
クター以上に有名なシナリオライターの方々がおられますね。橋田寿賀子氏や向田邦
子氏や山田太一氏などです。ということは、「作品の質の責任者」としての作者は、
やはりシナリオライターなのか。

あるいは、報道番組はしばしば、ディレクターやプロデューサーの名前ではなく、か
つての久米宏氏のようにキャスターの名で語られます。「ニューステーション」は長
く続き、毀誉褒貶も含めて話題になった報道番組でしたが、ディレクターやプロデュ
ーサーに関心を抱いた視聴者がどれだけいたか?視聴者の多くは、久米氏の番組と認
識していた、と思います。そうでない視聴者は、「テレビ朝日の」番組だと認識して
いたと思います。しかし、アンカーマン、つまり久米氏に「番組の質」の責任を負う
ことに意味があるかどうか。.
このあたりがテレビの場合、曖昧です。いったい、誰が個人として「番組の質」に責
任を負うのか?

また、スタッフのテロップが出てこない番組もあります。私はよく、「NHKアーカイ
ブス」で古いNHKのドキュメンタリーを見ることがありますが、古いドキュメンタリ
ーにはスタッフの名前がテロップで出てこないことがあります。名前を知りたい私は、
「NHKアーカイブス」のWebsiteで調べるわけです。ある時期からのドキュメンタリー
にはスタッフの名前が示されますから、昔のテレビ作品は「作っているはテレビ局」
という意識が今以上に強かったのではないでしょうか?作っていたスタッフも、作っ
ているのは会社で、自分はその会社の一員に過ぎない、というような、気持ちがあっ
たのではないでしょうか?

また、私はNHK教育で放送されている「芸術劇場」で放送されるコンサートを見るこ
とがありますが、ここでもスタッフの名前が番組では出てきません。映像の撮影や構
成や編集をした人間が当然いるわけですが、「芸術劇場」のWebsiteでもそれは分か
りません。これなどは、先述したように、このコンサートの中継録画を単なる「透
明」な「媒介」として考えているためでしょう。

このあたりの曖昧さゆえに、結局、「責任者としての作者」は、テレビ局となってい
るのではないでしょうか?テレビ局は、当然、責任を取らなければならないので、い
わば自主規制しがちなのではないでしょうか?実際、テレビ番組は、ディレクターの
名前ではなく、テレビ局の名前において語られる。そして、作り手たちの「個人」は
少なくとも視聴者にとっては、集団としてのテレビ局に融解しているのではないでし
ょうか?「問われる戦時性暴力」のオリジナルバーション(?)はおろか、放映版も
見ること出来なくなっているのはそのためだと思います。.

森監督がオウム真理教に関するテレビ・ドキュメンタリーとして制作しようとして挫
折し、自主映画『A』に企画が移行したのは、映画というジャンルが作品としての独
立性が高いことも理由の1つだと思います。ミニシアターなど、ある程度傾向のある
ラインアップの映画を上映する映画館がありますが、映画の批判も評価もそれを上映
した映画館におよぶことはそれほどない(全くないわけではないでしょうが。例えば、
かつてBOX東中野に勤めていた山崎陽一氏の文章によると、上映する映画に関して抗
議や妨害などはときどきあるようだが )。逆に個々の番組の独立性の低いテレビの
場合、その批判や評価もしばしばテレビ局の名で語られてしまうでしょう。言いかえ
れば、映画の場合、そこで上映されている映画と映画館の分離度が高いのに対し、テ
レビの場合は、テレビとテレビ局の関係の、視聴者の心理的分離度は低いようです。

反対に、テレビ番組を一連なりの連鎖から切り離してDVDソフトとして発売したり、
映画館で上映した場合は、作品の独立性が高まり、その製作に関わったテレビ局の名
前はそれほど重視されなくなるのではないか?と思われます。

これからのテレビの改革の方向は、テレビ局の編成権とそれに伴う責任を相対化する
方向を目指すべきではないでしょうか?つまり、テレビ局は電波を飛ばすことに特化
し(+スタジオの管理とレンタルか)、製作と分離する。差別的だったり、あまりに
も極端なものは除いて、製作会社が自ら製作した番組を原則として放送する。つまり、
いわゆる「外部調達番組」で編成するわけです。もちろん、名誉毀損などの法的責任
は原則として制作会社が負い、テレビ局は負わないというような法制度を創設する。
そのかわり著作権も制作会社に帰属する。つまり、テレビ局の映画館化であり、「媒
介」機能の特化である。テレビ局は「媒介」のみを担い、放送される内容に関しての
責任と権利は、制作会社が担う。生産と流通の分離と言いかえてもいいでしょう。.
「生産」を行う制作プロダクションに対し、流通だけをテレビ局が担ったらどうでし
ょうか。本質的にはテレビとは電波のはずで、つまりコンテンツを視聴者に送り届け
る流通手段のはずでしょうから。例えば、渡辺みどり氏が岸田宏氏の言葉を借りなが
ら、テレビ局が「配給業」に転換する可能性を示唆している 。実際、ローカル局の
自社製作番組は、15.5%ぐらいらしい 。逆に言えば、流通機構(電波)を独占して
いるだけで、多額の収入を得る現在の状況はおかしい。

広告放送で成り立っているチャンネルならスポンサーも製作プロダクションが探して
くる、というのは不可能だろうか?もちろん、制作費も含めた実際のスポンサー探し
は広告代理店がやることになるでしょうか。テレビ局はスポンサーが支払う電波料に
見合った時間帯でその番組を放送する。もちろん、多額の電波料を支払えば、プライ
ムタイムに放送されたり何度も再放送されるだろうし、少ない電波料なら深夜帯に一
度だけ放送、ということになるだろう。

もちろん、素人の思いつきだから、そのまま実現するのは難しいでしょう。しかし、
全くの夢想とも思えない。実際、テレビ番組の制作は、下請け化、プロダクション化
という形で分離しているわけだから。

これは、そのまま視聴者である私たち自身にも関わっていると思う。それはテレビ番
組をテレビ局の名ではなく、テレビ番組を実際作った人の名前で語る、ということで
ある。


万田邦敏「テレビは続くよどこまでも」(蓮實重彦責任編集「季刊 リュミエール
 12」(筑摩書房)、一三〇〜一三一頁)
水越伸『メディアの生成』(同文社)、二一六〜二一八頁
辺見庸×蓮舫「日本って中国でももう無視されているんです」(辺見庸『新・屈せざ
 る者たち』、角川文庫、二八六頁)
松田浩『ドキュメント戦後放送史1』(双柿舎)、三二七頁
森達也『「A」マスコミが報道しなかったオウムの素顔』(角川文庫)、八七〜九〇
 頁、あるいは、『放送禁止歌』(知恵の森文庫)、八二〜八四頁
山崎陽一「さらば!BOX東中野」(メールマガジン「NEO 第54号」)
渡辺みどり『テレビ・ドキュメンタリーの現場から』(講談社現代新書)、一六一頁
渡辺みどり『テレビ・ドキュメンタリーの現場から』(講談社現代新書)、一七二頁


     ◇────────────────────────◆◇◆     


■投稿:森さんの新刊を読んでここ最近思うこと
■松江哲明


森達也さんの新刊「ドキュメンタリーは嘘をつく」を読みました。丸々一冊かけてマ
イケル・ムーア批判。森節、炸裂。興奮しました。で、その中にある一章「セルフド
キュメントへの懸念」。「ドキュメンタリー映画祭 Az Contest2002」の審査時の
「セルフドキュメンタリー」を巡る論講でした。以下の文章はこれを読んで気付いた
いくつかのことをneoneoに投稿したい、と思い書いたものです。あくまで森さんの本
をきっかけに、ここ最近思っていることを書きました。

そろそろ学生デビュー作を挙げ槍にセルフドキュメンタリーを批判するのって止めま
せんか?セルフを批判する人程、本当に面白いセルフドキュメント作品を見ていない
と思います。これは散々、批判されてきた僕の実感です。間違いありません。で、例
として挙げるのが過去の作品。『極私的エロス』『三里塚』…。いや、素晴らしいの
は分かるし、僕だってそれ等に感銘を受けたからこそ、ドキュメンタリーを志した部
分もあります。けど、今だって面白い作品はあるんです。そういう時は具体的に作品
名を挙げます。例えば『わくわく不倫講座』(監督:平野勝之)と。すると「あ、
AVね」と鼻で笑うか、困ったような顔をして「AVコーナーでなんかで探せないもん」
等と言うんですね。「面白いのを見つけられない」らしい。そりゃそうです。そう簡
単に傑作と出会われては困ります。僕だって、そう簡単に見つけてはいません。1本
の傑作を見つける為に何10本とくだらないAVを見てますよ。どうやらV&Rというメー
カーは面白そうだと借りても、驚く程のハズレはあったし、「ビデオ・ザ・ワール
ド」なるAV雑誌を立ち読みして知った『結婚してみませんか』(監督;高槻彰)、
『2001年テレクラの旅』(監督、カンパニー松尾)を借りるのにわざわざ電車で一時
間もかかるレンタル店の会員にまでなってますよ。その一本の為だけに。

「面白い物を見たい」「感動したい」って気持ちがあれば、時間なんてお金なんて惜
しくないんですよ。フィルムセンターに通って過去の名作を再確認するのも良いです
が、近所のビデオ屋さんにだって打ち震えるような作品と出会えるかもしれませんよ。
それって嬉しいことじゃないですか。それでも見ないんですね、批判する人って。
AVを見たと言っても「バクシーシ山下、あぁ『ボディコン何とか』の人ね。あれは見
た」程度。今、調べてみました『ボディコン労働者階級』。発売1992年。もう、13年
前の作品です。
ならば今、現在進行形の物として「ハマジム http://www.hamajim.com/mein.htm 
を。トラウマ抱えた学生のデビュー作より熟練の職人がサラッと撮ってしまう傑作を
見て下さい。

セルフドキュメントは「自分探し」だなんだとこれまでneo時代から散々批判されて
来ました。学生でしかも1本目じゃないですか、魂込めてるんだもん、無自覚な箇所
もあるでしょう。社会性に欠ける所もあるでしょう。けれど批判をするならセルフド
キュメンタリーを作り続けるプロと比較するってのはどうでしょう。毎度毎度名前が
挙がるのが「小川紳介」「原一男」というのはいくらなんでも…。僕はドキュメンタ
リーというだけで何でも同列にしてしまうのは乱暴だと思います。学生の自主映画に
「ヒッチコックは、この場合…」とか言うみたいで。うーん、それは違うか。けど、
僕はそういう人たちに批判されて「結局は撮ることでしか証明出来ないんだな」と実
感しました。5年程前のことです。そういう意味では感謝してますが…。

僕は過去のドキュメンタリーより今のドキュメンタリーを、そしてこれから作られる
であろう未知のドキュメンタリーを楽しみにしています。今後もneoneoがそういう作
品を紹介する場であることを期待しています。

勢いで書いてしまいました。けど、投稿だからいいですよね、伏屋さん。
あとアテネフランセで『アイデンティティ』を見に来て下さった皆さん、ありがとう
ございました。「ドキュメンタリー撮り続けててよかったな」と思えた一日でした。
松江哲明のブログ: http://d.hatena.ne.jp/matsue/ 


     ◇────────────────────────◆◇◆     


■投稿:neoneo坐訪問記
■杉崎 栄次


05年2月27日(日)
早春の足音が聞こえる2月の末にもかかわらず、日本列島は真冬並みの寒気に覆われ、
寒い一日だった。東京のお茶の水にできた、ドキュメンタリー映画を専門に上映する
neoneo座へ、小川プロダクション制作の『映画作りとむらへの道』を観に行った。上
映は二本立てだったが、私は最初の映画だけを観る予定にしていた。

インターネットで所在を探し、地図をプリントして行った。だが、会場を探すのに手
間取った。大通りから路地へ入ったところで、小川という文字の入った垂れ幕を発見
してわかった。30席の小さな上映会場だった。私が着いたのは12時40分、上映開始は
13時30分だった。

入口に35才くらいの女性と60才くらいのおじさんがいた。私が近づいて行くと女性は
私の方を見た。私は、最初の映画だけにします、と言い、1500円を渡した。女性は上
映券とパンフレットをくれた。中に入ってもいいですか、と聞くと、「今、試写をし
ていますから、しばらくお待ち下さい」と言い、初めてですか、と聞いてきた。初め
てです、と答えると、何で知ったんですか、と言った。インターネットで知りました
と言うと、簡単にわかるんですか? と言った。私は、検索しているうちに偶然たど
り着いたんです、と答えた。次々と話しかけてくる快活な女性だった。会話から察す
ると、女性は大阪出身のようだった。

おじさんは公園で日向ぼっこをしている普通のおじさんに見えた。身長は160センチ
くらいで、中年太りしてお腹が少し出ていた。直木賞作家の長部日出雄さんに似た人
だった。
私より先にきて、上映を待っている映画好きのおじさんのようだった。しかし、携帯
電話に何度か出ていたので、上映会の関係者に思えた。どこかで見た人だった。不意
におじさんが、どこからおいでですか?と話しかけてきた。私は、品川からです、と
答えると、そうですか、と小さな声で言い、おじさんは、小川プロダクションのプロ
デューサーをしていた伏屋です、と名乗った。私は、「そうでしたか、どこかで見た
ような記憶があり、そうではないかと思いました」と丁寧に挨拶をした。

私が94年に伝統芸能の音楽CDを制作したとき、海老名さんというプロデユーサーにマ
スタリングを依頼した。海老名さんは吉本隆明さんの講演のCDを制作している。吉本
隆明さんは作家の吉本ばななさんのお父さんである。海老名さんは吉本隆明さんに初
めて会ったとき、普通のおじさんという感じで、これがあの吉本隆明さんかと思った
という。本物は、それらしい感じはしないものかもしれない。

伏屋さんはneoneo座の最近の活動状況を話してくれた。それから、小川監督のことを
二人で話した。


   小川さんは写真で見ると、若いときは純真な青年という顔をしていましたね
   それが、40才、50才になると、厳しい顔に変わっています
   映画制作で苦労したからそういう顔に変わったのでしょうか
   私は直接会ったことがないので、本当のところはわかりませんが、
   初対面でも初めて会ったという感じのしない人だったような印象を受けます
   信頼できる人という雰囲気が出ているというか
   映画監督というのはそういう面が重要で、映画を制作する技術的なところは、
      自然と身に付くような気がしますね

   そうですね
   小川さんは各地へ行くと人気者でした
   国際的な映画祭に招待されて出かけると、いろんなところから声がかかって、
      大変でした
   話を聞きたいという人でいっぱいでした。
   小川プロダクションは最盛期は20人くらいのスタッフがいたから、そういう
      人たちをまとめていくには、
   人を引きつける魅力がなければダメですね
   そういう点では小川さんは優れた人格を持っていました
   オーラがでていましたね

   小川さんは以外に早く亡くなったようですね
   50才の頃はお腹が出てきて、太ったように見えます

   小川さんは若いときからお腹は出ていました
   50才のときは若いときより痩せていましたね
   亡くなったのは54才でした
   その数年前から病におかされて痩せていきました

   54才で亡くなったのですか
   普通に生きていれば、あと15年は活躍できたのに残念でしたね


上映が始まる時間になった。若い人が、どこからともなく集まってきた。私は上映会
場へ入った。上映に先立って、伏屋さんから挨拶があった。
『映画作りとむらへの道』は制作してから27年間封印された、幻の映画だった。映画
は『三里塚・辺田部落』の制作と平行して撮られたものだった。小川監督が随所に出
演していて、その存在感と会話に引きつけられた。映画監督とは、面白い話のできる
人、物語を作れる人、創作のできる人、そういうもって生まれた資質のある人なのだ
ろう。

映画の後半に、今村昌平監督が出ているとおもいきや、若いときの伏屋さんだった。
まだ髪の毛が多く、今村昌平監督によく似ていた。私はずっと大型カメラでモノクロ
写真を撮ってきた。その経験から、小川プロダクションの映画の特徴は、フィルムが
軟調に現像されているのではないかと思っている。硬調な現像だと暗部はつぶれるが
軟調にすると暗部が浮き上がってくる。今回の映画も暗部まで再現されていた。高感
度のフィルムを使っているのか、露出を多くして現像時間を短くしているのか、映画
用モノクロフィルムの特徴なのかわからない。

コダックのT-MAX400というモノクロフィルムは暗部の感度が高くなっている。それに
近い印象だった。写真では、暗部の感度が高いという特性はコントラストが低下し、
太陽の光が真上から射す地中海の街並みのような陰のない、平面的な仕上がりになる。
私はそれが好きで、T-MAX400を常用にしてきた。

私は小川プロダクションの映画は『三里塚・辺田部落』と今回の『映画作りとむらへ
の道』を観ている。その印象は、映画として映して欲しくないシーンが出てこないこ
とだった。その背景には何があるのかわからないが、日常のどこにでもある出来事か
ら普遍的なものを発見して構成する手法は、さわやかで、これからも長く鑑賞されて
いく映画のような気がした。

数年前のことだった。
5月の連休に帰省しているとき、隣町へ買い物に出かけると、万歳の遊芸者が門付け
をしているのを発見した。こういう巡り合わせは生涯で1度しかないと直感した私は、
すぐにオートバイを止め、遊芸者に私の家に来て演じてくれるよう交渉した。その場
で高額な謝礼を提示し、演じてもらう前に渡した。遊芸者は会津万歳の最後の伝承者
だった。70才近い人だった。レコーデイングが終わって、遊芸者はこんなことを語っ
た。


   私ね、こんな風に録音したのは初めてなんだ
   京都の人がぜひ録らせてくれって言ってきたけど、断ったんだ
   私、いやなの だって疲れるでしょ 声が参っちゃうんだ
   
   万歳は、わる口で囃子立てるのは100も200もあるんだ
   けど録音のときはできないわ
   
   でもね、わる口で囃子立てるのはそのときは面白くて喜ばれるけどそういうの
      は良くないんだ
   かえって綺麗な方がいいんだ
   綺麗な方が長く聴けるんだ


上映が終わって外へ出ると伏屋さんが寒いなかを数人のスタッフと立っていた。伏屋
さんは常に相手の高さに合わせることのできる人だった。学生と話すとき、私のよう
に中高年者と話すとき、映画制作の関係者と話すとき、それなりに対応して垣根がな
い。それはプロデューサーの最も必要とされる才能に感じた。伏屋さんの、プロデュ
ーサーとしての創作意欲は衰えていなく、第二の小川監督を探す長い旅は始まったば
かりかもしれない。
私は、また来ます、と言ってneoneo座をあとにした。


●訂正:前号の「自作を解剖する」で『チーズとうじ虫』の文中に、「うじ虫」の章
が本文とくっついて掲載しているので、「うじ虫病」となっています。正しくは「う
じ虫」が章で、「病」は本文です。


     ◇────────────────────────◆◇◆     


■上映

■京都 ドキュメンタリー・フィルム・ライブラリー 4月の上映会
 http://dofil87.hp.infoseek.co.jp/index.html 

『911ボーイングを捜せ−航空機は証言する』
(アメリカ/2004/カラー/52分)監督:ウィリアム・ルイス

日本語版公式サイト: http://www.wa3w.com/911/ 

2001年9月11日、アメリカ国防総省(ペンタゴン)に突っ込み大炎上したはずのボーイ
ング757型機。しかし、現場には機体が残した跡も胴体や翼などの残骸も見当たりま
せん。なぜでしょうか?

上映日時:4月9日(土) 14:00、16:00、18:00上映

料金:一般 1,000円、ドフィル会員 700円
会場:「ひと・まち交流館 京都」第1・2会議室(河原町五条下る東側)
   (京阪「五条」駅下車徒歩8分 地下鉄烏丸線「五条」駅下車徒歩10分
   JR京都駅から市バス17,205号系統「河原町正面」下車 約5分)
   TEL:075-354-8711  FAX:075-354-8712
地図: http://www.hitomachi-kyoto.jp/access.html 

主催・問い合わせ:ドキュメンタリー・フィルム・ライブラリー
TEL&FAX:075-344-2371 E-mail: dofil87@infoseek.jp 
URL: http://dofil87.hp.infoseek.co.jp/ 


◆解説
このドキュメンタリーを制作し、解説しているのはアメリカ・ミズーリ州にある小さ
なラジオ局『パワー・アワー』のパーソナリティーを務めるデイヴ・ヴォンクライス
ト氏。彼も当初は911事件に関する政府発表を何ら疑ってはいなかったが、ある日イ
ンターネットで「ペンタゴンに激突したのは旅客機ではない」と主張するサイトに出
会う。「そんなバカな!」反論を試みようと彼は、ニュース映像、市販のDVD、関連
書籍などを集め詳細に検討していく。しかし、そこに浮かび上がってくるのは不可解
な事実の数々…。政府発表は何だったのか? ニュース報道はなんだったのか? さ
まざまな疑問を、すでにマスコミや軍が公表した映像、写真をもとに検証していく。



┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃07┃■編集後記 伏屋 博雄(ふせや・ひろお)
┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

●阿部嘉昭さんの連載が終わった。今回も求心力の強い原稿を書いてくださったこと
に感謝したい。『フリーター漂流』を未見の私は強い関心を持ったと同時に、日頃TV
ドキュメンタリーを見ることが少ない私だが、TVが単に情報番組にとどまらず、社会
の底をえぐる作品があることを知り驚いた。阿部さんからは、連載中は、「2週に1回
締切があるということで、スケジュール的にはキツかったですが、すごく有意義な体
験でした」と言ってくださったのがうれしい。

●今回は投稿が多かった。定例の「クチコミ来来軒!」と「『小川紳介のコスモス〜
小川プロの仕事』レビューリレー」に加えて、脇阪亮さんの「テレビの曖昧さ」、松
江哲明さんの「森さんの新刊を読んでここ最近思うこと」、さらに杉崎栄次さんの
「neoneo坐訪問記」を含む計5編の投稿があった。

かねてから投稿欄の充実こそ、本誌と読者との交流を促すものと考えている私にとっ
て、こうして投稿くださることは、手ごたえを感じる時でもある。読者の積極的な姿
勢を、今後もお願いしたい。

●数日来、風邪で体調が思わしくなく寝込んでいる始末。今回はこれで勘弁していた
だきたい。



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■発行:ビジュアルトラックス  visualtrax@jcom.home.ne.jp 
■責任編集 伏屋博雄
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