ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン neoneo |
この記事の発行者<<前の記事
|
次の記事>>
|
最新の記事
☆━┓ ┏━┓ ┏━┓
┃n┣━┫o┣━┫e┣━┓ ★ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン
┗━┫e┣━┫n┣━┫o┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━○
┗━┛ ☆━┛ ┗━☆ 32号 2005.3.15
∽∽∽∽∽∽ HEADLINE ∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽
†01 日本のドキュメンタリー映画のかたち
ドキュメンタリーの新しい夜明け(4) 阿部 嘉昭
†02 自作を解剖する
『チーズとうじ虫』 加藤 治代
†03 ワールドワイドNOW ≪ニューヨーク発≫
サンダンス映画祭の旅(3―最終回)―終わりと新たな始まりー
東谷 麗奈
†04 列島通信 ≪高知発≫
映画の構造改革 藤田 直義
†05 neoneo坐通信(17) 3月後半のプログラム
3月23日 短篇調査団(5)数学の巻、『数学』の他5本
3月27日「小川紳介のコスモス〜小川プロの仕事」
『どっこい!人間節』『クリーンセンター訪問記』
3月30日(6) 科学映画特捜隊 春の前夜祭 こうもりの巻
『秋吉台の生物―こうもりの生態』の他2本
†06 広場
投稿屋台『クチコミ来来軒!』(8)
新・クチコミ200字評!(7) 大方 栄太郎、清水 浩之
投稿:「小川紳介のコスモス〜小川プロの仕事」レビューリレー(7)
『三里塚・辺田部落』を見て 大澤 未来
投稿:「サンダンス映画祭の旅(2)」を読んで 吉澤 尚子
†07 編集後記 伏屋 博雄
★バックナンバー閲覧はこちらまで
まぐまぐ配信 http://www.mag2.com/m/0000116642.htm
melma!配信 http://www.melma.com/mag/39/m00098339/
┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃01┃□日本のドキュメンタリー映画のかたち
┃ ┃■ドキュメンタリーの新しい夜明け(4)
┃ ┃■阿部 嘉昭
┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
●小野さやかの場合
(『アヒルの子』)
安岡卓治さんのお誘いで、第17回(04年度)日本映画学校の卒業制作上映会に行った。
目的は撮影時20歳の女子学生によるセルフドキュメンタリーを観るため。監督小野さ
やか、タイトル名『アヒルの子』、上映時間75分、統括・原一男。上映時間の長さは
卒業制作にあって規格外という。しかしなるほど、安岡さんのお薦めにたがわぬ、す
ごい衝迫力をもった作品だった。一挙に呑まれた。
冒頭、アパートの暗い自室内にカメラが据え置かれている。小野さやかは一気呵成に
語りだす。私は私が嫌い、私は醜い――徹底的な自己否定の言葉。顔が歪み、その
「悲鬼」のような視線が観客を臆させるに充分だ。顔に悲壮な物質感がある。映像/
言葉が無前提に開始され、観客はその磁場に巻き込まれてゆく。挿入される字幕は整
序的だが語られる言葉は脱分節的というにちかい。嗚咽が混入するためだ。しかもそ
れが痙攣的・継続的。だから強烈な病性に接している戦慄もまぬかれない。そしてカ
メラを前にしてのこのような自己開示は、それが「自分→自分」というベクトルをも
っているかぎり、真実/演技(虚偽)の審級をも曖昧にせざるをえない。そうしたド
キュメンタリーのいわば禁忌映像をもって作品が開始される点にも、観客は衝撃を覚
えざるをえないだろう。
このような書き方をすると、「身の置きどころがない」という印象を受けたとおもわ
れるだろうか。どうもちがうのだ。人間という重さを伴った「物質」がカメラの視野
に置かれたこと、それが単純な開示点となり映画が進行しはじめたこと、その際の
「私をみて」という命法にこそ普遍を導く逆転があること――映像の「刻々」はドキ
ュメンタリーに許されるそんな機微を僅かずつ厳粛に告げるのみだ(そこでは客観的
な計算が成立してもいる)。「私」というのは無論「世界」においてたったひとつの
場所を指示している。その「私」が作品の導線に乗り、時間的・空間的に延長されて
ゆく。恐らく「世界」もそんな「私」たちの関係性の刺繍として第一義的には出現し
ているはずだ。だからその「私」に注意が集中するということは、「世界」全体の構
造を裏返してみせる秘儀をも導く。セルフドキュメンタリーはそうした「認識の爆
発」を内包している点でたえず制作される意義をもつ――現在の筆者はセルフドキュ
メンタリーの林立にたいしこのような感慨をもっていて、この『アヒルの子』もそん
な筆者の「渇え」をみたしたといえる。
具体的に。あるとき作品は小野さやか一家の記念写真の構図に収まった家族写真を捉
える。祖母、父・母、長兄、次兄、長姉、「私」――計7人の、現代にあっては大家
族を構成するその写真は、雰囲気が温厚で、通常は幸福な一体感を醸成するだけだろ
う(一家は愛媛県新居浜を基盤に置いている)。ところが結果的にいうと「私」、小
野さやかは、その写真の指示機能をとっかかりに、祖母を除いた家族成員全員を次々
と審問にかけてゆく。
まずは次兄。小学校5年のとき「私」は彼と同衾し、彼の体温を感じ、彼に異性とし
て執着しはじめた。その「私」の恋心はむろん着地点をもたない。新百合ケ丘にある
「私」のアパートに次兄が訪ねてきて「私」は彼にそんな埒もないことを突然告白す
る。箪笥の上に恐らく据え置かれたビデオカメラがこの全体状況を見下ろしている。
しかもそんな告白をしながら「私」は手持ちカメラで至近距離の兄を捉えもする。
「私」はドロドロに泣いているが兄も流涕する。「私」の口調には難詰の調子がある
が、観客は恐らく心優しげな兄のほうに感情移入しているから、やがては泊まりに来
た兄を一晩の審問ののち追い出す「私」に理不尽を感じるだろう。
次が長兄。「家族の表面めくり」はより苛烈になる。現在、足立区のアパートに住む
長兄を「私」は撮影者(山内大堂)とともに訪ねてゆく(このエピソードの導入部で
「私」が自室内部で自らに向けカメラをふたたび据え置き告白を開始するのだが、そ
こで脈絡なく裸身となり豊満な乳房を露呈させる――作品の磁場の狂いがこうした所
業でも強化される)。長兄は訪ねてきた「私」の詰問の調子に明らかに怯むとともに、
そこに別次元の撮影者がいる物々しさを納得できなかったのではないか。それでも妹
の命令どおりにネクタイまで着用し竹ノ塚の小さなビジネスホテルに赴く。明かされ
る事実はもう完全に禁忌に属している。小学4年のとき風呂あがり、バスタオルを体
に巻いただけの妹は長兄に接吻をされ、タオルを解かれ、性器を含めたその全身を舐
められたというのだ。あってはならぬことが起こった――それがのち「私」のトラウ
マとなり、「私」の自己汚濁幻想・自己臭幻想を形成してゆく(この点でいうと精神
医学的には「私」は鬱というより統合失調症の入口にいるという認知が生ずる)。詰
問の過程で長兄は「その事実を憶えている」「当時のお前を異性としてみていた」
「自分のしたことは非道、ただお前は受け取め方を変えてほしい」と憔悴した面持ち
で語る(それらの様子を撮影者山内は捉えつづける)。妹は訊く――「私は醜い?」
「私は汚い?」「私は臭い?」。兄は応える――「否」「否」「否」。そこで作品は
この長兄に関し「解決」を導きだすが、観客は逆にその納得の構造を奇異におもうか
もしれない。
場所は新居浜に移って長姉を捉える。長兄に仕掛けられた惨事を最初に告白した相手
がその姉だった。姉は「黙っておくように」――そう指示した。そのことによって自
分の体験がトラウマとして確定した――妹は姉をそう難詰する。姉は妹よりずっと男
好きのする顔をしている。その姉が中学のときグレた。一家の「いい子」を引き受け
る役割はそれで「私」に集中した――泣きながら妹はその点をも詰る。姉の愛媛弁は
迫力がある。大略すれば彼女はこんなことをいった。「あんたの気のもちようはおか
しい」「ウチの家族には一体性がある」「あたしはあんたをふくめた家族成員個々の
ために死ねる」。最後は二人抱擁しあって「解決」が訪れるが、やはりここでも観客
の「納得」が宙を舞うのではないか。
何か作品の起動点と展開にズレがある――こんな齟齬感は、けれどもついに合致にい
たる。「私」の自己「非実現」の大もとにあったのが彼女5歳時の経験だった。母親
の「信心」にちかい信念によって幼い彼女はヤマギシ会の施設に一年間追いやられた
のだった。それがトラウマだったから彼女はこのときの同齢の児童たちとの共同生活、
その記憶の詳細をほぼなくしている。ただそれが「親から捨てられた」意識を彼女に
導いた。「お母さん係」の女性の体罰が心底怖かった記憶も残っている。結果、一年
間の流謫ののち実家に復帰した彼女は、「再度親に捨てられぬように」自分を圧し殺
し、「いい子」を演じ、自我を見失ったと自己総括する。しかもその5歳時の恐怖体
験が以後も間歇的に蘇り、それが自分の精神的不安定や不眠につながっていると認識
している。彼女は撮影者とともに実家に赴き、「私」がそんな思いをしていたことを
あなたたちは知っていたのか、と両親を責める(その詰問開始の瞬間に「私」は平常
心を失い、鋏で自傷しようともした)。両親――とくに地元では名士の扱いを受ける
父親は、やがて娘の陥っている逼塞の熾烈さを間近に体感し声を失ってゆく。
ヤマギシ会については筆者は玉川信明の好意的な紹介・論考の印象がつよく悪感情を
もっていない。「新しい村」のような大正的人道主義から一歩進んだそのユートピス
トたちの実現は、資本主義社会のなかに小さな、しかし波及力のある緩衝地帯をつく
る崇高な試みともいえた。農と畜産に基盤を置き、自給自足のままならない部分のみ
で周囲と最小限の「交換経済」をおこなう。それは資本主義の悪弊に染まらない共同
生活を、贅肉を殺ぎ落として構想したものといえるとおもう。だから「強制」「拉
致」といった悪評が取り巻いても人心に訴える魅力を湛えていたのだと。この意味で
は5歳の幼児に自前施設で一年間の共同生活を強いる彼らの教育も理解できる。
「農」と「共同生活」の体感をその時点で植えつけることがその後のユートピア実現
に必須と考えられたのだ。大地を蹠から直に感じてもらうため子供たちには裸足が強
要された。ただそうした理想は実際の子供たちのなかで綻びる。彼らは霜焼けに悩ま
された。それと若く未熟な「お母さん係」は麻のように乱れようとする子供たちに統
制を加えるべく、「怖さ」「体罰」を自己演出しなければならなかった――そういう
ことだとおもう。理想を追って矛盾が拡大する――そんな反省からたぶん、この幼児
教育は現在実行されていないのではないか。
『アヒルの子』はこのヤマギシ会への話柄移行に伴い、会糾弾を開始するわけではな
い。ともあれ「私」は父親の事務所から往時の「ヤマギシ会クラス名簿」を見つけだ
し(その様子が山内のカメラによって「再現」されている)、残された住所を頼りに、
この幼児教育体験者にどんな記憶が残されているのかを、全国にまたがって山内とと
もに訊きにゆきはじめる。みな20歳の女性、しかももうヤマギシ会とは関わりをもた
ず、それぞれが専門学校生や大学生になっていたり、母親になっていたりする。
話もさまざま。「私」同様、記憶の苦患を語る者もいれば、ヤマギシ会の活動意義に
自覚的な者もいる。そこから明らかになるのはほぼ「私」だけがその幼児体験をトラ
ウマにしたということだ(なかにひとり、その親からの離脱に伴う不充足によって、
代替的に「嗜食」傾斜が残ったと述懐した者がいた)。「私」は最後にその施設に赴
き、自分が恐れた「お母さん係」、その同僚に話を聞く。会話はずいぶん温和になっ
ている。現在50近くのそのひとはそこでヤマギシ会の当時の信念と未熟を語る。そし
て「私」の5歳時の様子が記録されている会所蔵のビデオを探しだし、それをともに
鑑賞する。そこでは「いま・ここ」――『アヒルの子』に捉えられている「私」とは
別次元の――何の不足を抱えず「自体的」といっていい「私」が――「私」の意に反
していわば幸福に映っている(赤いスカートが効果的だった)。そう、『アヒルの子』
それ自体の映像は、この往時のヤマギシ会の映像によって「亀裂させられている」。
その亀裂こそを『アヒルの子』が積極的に押し出している――「私」はまさにこのこ
とによって救済を導かれたのだ(これは静かだが素晴らしいクライマックスだとおも
う)。この事実が「私」の父母との和解にも照応する。
「精神分析」「トラウマ」は還元主義的な視座から脱出できない。それらは閉塞を生
む(たとえば香山リカは講談社現代新書『生きづらい(私)たち』で、トラウマ形成の
体験ハードルが下がり、多重人格症者とその予備軍が大挙出現しだしたと説く――し
かしその主張が一面で、精神治療への我田引水を付帯させる逼塞作用には徹底して無
自覚だった)。だからこれらにたいしては本当は反感が正解だとおもうが、どんな次
元でも「物語」への欲求はこれらを取り込もう、取り込もうとする。ところが『アヒ
ルの子』の時間はまさにそれに乗ろうとして崩れた。そうでなければ作品は単純な家
族糾弾、ヤマギシ会糾弾に終始しただけだったろう。何が起こったのか。ひとつは撮
影者・山内大堂の介在だろう。カメラの後ろにいることで画面上に終始顕在しない彼
は、元来、映画に客観性の「穴」を穿つ「虚焦点」を形成していた。それと大きかっ
たのは、「私」がヤマギシ会幼児教育の同窓生を訪ねるため山内とともに全国行脚を
した点だったのではないか。《絶望する者は動く》、このカフカの箴言とは真逆のこ
とを、筆者は学生宛のメールに打ったことがある――《「希望」は変化の過程の幻影
としてしか視野に出現しない》。『アヒルの子』はその運動に乗った――それで自己
執着の閉塞/トラウマの還元主義から離れ、最終的には「希望」へと到達したのだと
おもう。このセルフドキュメンタリーが切開したのは、そうした普遍であって、何ら
のスキャンダリズムでもない。
付言すれば、作品はドキュメンタリーの既知のモデルをあるていど踏襲している。家
族糾弾のためにカメラが家庭内に入るのは安岡プロデュース、村石信也監督によるセ
ルフ・ドキュメンタリー『ファザーレス』に、全国に跨がって共同体験をした者を記
録してゆく膂力は原一男『ゆきゆきて、神軍』に。けれども最終到達した場所は既述
のようにそれらとは随分異なっているとおもう。
■阿部 嘉昭(あべ・かしょう)
マイケル・ウィンターボトム監督『9 Songs』に徹底的にヤラれてしまった。セック
ス描写とロックンロールのバンド演奏と「南極描写」が単純交互する小品なのだが、
音楽の歌詞が詩想の発生を導き、かつ作品全体を複雑な喩で統合する。結果泣けてし
まう。この作品にインスパイアされた長詩を先ごろ一挙に書いた。いずれサイトに発
表しますのでご期待ください。
┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃02┃□自作を解剖する
┃ ┃■『チーズとうじ虫』
┃ ┃■加藤 治代
┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「私が考え信じているのは 全てはカオスである。すなわち土 空気 水 火など、
これらの全体はカオスである。この全体は次第に塊になっていった。ちょうど牛乳の
中からチーズの塊ができ、そこからうじ虫があらわれてくるように。このうじ虫のよ
うに出現してくるものが天使達なのだ。 メノッキオ」
●あらすじ
コンビニの隣に田んぼがあるような、そんなある小さな田舎の町で私は母と祖母と3
人で暮らしていました。すぐ隣には兄夫婦とその子供達もいます。ある日突然母が余
命1、2年と告げられます…。3回の白血病をたいした根性で克服してきた母でしたが
発病から8年目の夏の終わり、あっという間に死んでしまいました。母が病気になっ
てから3年目に私はカメラを買いました。彼女が治る事を無邪気に信じていた私はテ
レビや映画によくある“奇跡“を記録する事を夢見ていたのです。そして私は気まぐれ
に撮影を始めました。退屈しのぎにあるいは遊びの道具としてそれはよくある家族の
よくあるホームビデオに他ありません。
でも一旦母の病状が悪化し苦しんだり悲しんだりする段になると根性と無縁の私です
から側にいて必死で見続ける事が精一杯でカメラを持つ事など全く出来ませんでした。
母の死後空っぽの家の中で祖母と2人だけの新しい生活が始まりました。経験した事
の無いこの喪失感の中私は初めてある覚悟をもってカメラを手にしました。
うじ虫病をたちどころに癒す不思議なチカラや奇跡の薬を開発する能力など全く持ち
合わせていない私はとりあえず“野菜”のチカラを借りて母の病気に対し、地味な抵
抗を試みることにしました。家には小さな畑があり私はそこで野菜を育て新鮮なもの
を3人で口にする…そんな時間と手間をかけた“食”中心の生活が母の身体に良い変
化を及ぼす、と信じていました。
撮影を始めて2年目の夏、醜悪でぬめぬめと動き回る、ある生き物を見つけました。
食事で出た残飯を入れておくコンポストという箱の中に無数のうじ虫が湧いて出るの
です。のどかでゆっくりとした時間が流れている畑にあってその緑の箱はどん欲で忙
しなく活動する生きた穴のように見え、私はうじ虫を撮りに毎日畑に通いました。
いい歳になっても嫁にも行かず喜々としてうじ虫を撮影している娘に、母はかなりあ
きれていた様ですがそんな事を気にしていてはいけません。私は“可愛くないもの”
が存在するわけを時々ぼんやりと考えるようになっていました。
●変身
母の死後、私は初めてある決意を持ってカメラをまわし始めました。この苦痛と重苦
しい喪失感の中に何か大切で大きな意図を見つける事が出来なければどうしても私に
は母の死が納得出来なかったのです。でも当初、何を撮っていいかもわからず狂った
方位磁石のようにくるくるカメラをまわしていました。そして私は再びあのうじ虫を
見つけます。しかしそれは以前とは少し様子が違うものになっていました…。
一見見苦しく異臭を放つうじ虫という小さな生き物に何らかの存在する価値が隠れて
いる様にもし苦痛や悲しみ、忌まわしいと思える出来事の中に何か優しく暖かいある
意味を見いだす事が出来れば痛みを伴うあらゆる時間が一瞬にして恩恵に変身する事
があるのかもしれません。
●白い画面
撮影を始めてすぐ私は映画美学校に通う事にしました。ドキュメンタリーの経験など
全くなかったからです。一人で撮影し編集を続けていたので授業で聞く皆さんの色々
な意見の一つ一つがとても嬉しく、その中で作品中の大事な決めごとを作り上げてき
ました。一つは1時間40分の作品を24の章に分け、それぞれタイトルをつけるという
こと。場面転換の時とても便利な代物だったのですが言葉を選ぶ作業にとても苦戦し
ました。自分の母親が死んだのですから演歌の様にタップリとする事も出来るのでし
ょうがなるべく乾いて冷たい言葉、“食”と“引用”に沿ったものを選ぶようにしま
した。そしてもう一つは白い画面。“死”という事、あるいは“何も無い”という定
義に従って大切に使いました。しかしそれは同じ“無”であっても決して“黒”であ
ってはいけないのです。何か描く可能性を秘めた“無”であり引用の天使であるとこ
ろのうじ虫が生じる源泉の“牛乳”の色でもあるのです。
ひとつだけ自分でエライと思ってしまうのは病気に勝つ事は出来なかったけれど私達
は決して負けもしなかったという事。その時私にとってカメラが強い武器になってい
た事は言うまでもありません。
☆『チーズとうじ虫』(DVCAM、98分 2005年)出演:加藤直美、小林ふく、監督、
撮影:加藤治代、整音:菊池信之、早川一馬、音楽:須賀大郎
☆4月26日、午後9時から下高井戸シネマにて上映します。(詳細は「広場」欄の上映
コーナーをご覧下さい。
■加藤 治代(かとう・はるよ)
1966年生まれ。大学卒業後スチールカメラマンのアシスタントを経験。何を血迷った
か劇団“黒テント”に在籍。母の発病で帰郷。群馬県在住。
┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃03┃□ワールドワイドNOW ≪ニューヨーク発≫
┃ ┃■サンダンス映画祭の旅(3−最終回)―終わりと新たな始まりー
┃ ┃■東谷 麗奈
┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
●タイトル入りの服装の効果
所属先のメディア・センターDCTV制作の短編『Bullets in the Hood: A Bed-Stuy
Story』が正式出品となって参加した私達のサンダンス映画祭の旅も半ばを過ぎた。
当初は映画祭の規模に圧倒されるばかりだったが、慣れてくると映画祭の舞台裏も楽
しめるようになってくる。
町に点在する会場間の移動に、便利なタクシーではなく無料のシャトルバスを利用す
るのは何も費用を節約できるからだけではない。バス利用には実は大事なメリットが
あったのだ。というのは、私達スタッフは宣伝を兼ねてDCTVのスタッフが用意してく
れた映画タイトル入りのニット帽とパーカーを着て歩いていたからだ。バスに乗り合
わせた人たちが、「それはあなたの映画?」と気軽に声をかけてくる。それは、一般
の観客であることもあるが、同じように出品している他の映画のスタッフやプレスだ
ったりすることも多い。すかさず、上映時間(期間中に私達の作品は5回上映された)
を刷り込んであるハガキを手渡して宣伝しつつ、どんな映画を見たか、どんなものが
おもしろかったか情報交換をし、ネットワーク作りをする。映画を代表して四六時中
歩いているようであまり気は抜けないが、町中に配給会社や各国の映画祭の代表者、
映画スターたちが来ているのだ。どこでどんなチャンスが転がり込んでくるか分から
ない。最初は気恥ずかしい気もしたが、慣れてくると映画祭を傍観しているのではな
く参加しているのだという実感すら伴ってくる。注目を集めにくい新人作家の作品こ
そこうした地道な宣伝活動をしていて、他にも関連グッズを配り歩いている出品者た
ちの姿をよく見かけた。
●ポスターの貼りを巡るエピソード
もうひとつおもしろかったのはポスター貼り合戦だ。映画祭が公式の宣伝掲示板を町
の郵便局前などに10ヵ所ほど設けている。私達の共同監督テレンス・フィッシャーと
ダニエル・ハワードがインタビューなどで出払っている合間に、残りのスタッフでポ
スター貼りをしたのだが、そこでは凄まじい場所取り合戦が繰り広げられていた。な
にせ200本の映画が上映されているのだ。大小様々なポスターが所狭しと並べられて
いる。おまけに、普段は人口の少ない田舎町にとって一年のうちで最も注目を集める
イベントの映画祭と併せて、他にも小規模な映画祭や音楽イベントが開催されている
のでそのチラシまで貼られている。こうなるともうルールもマナーもない。貼ってあ
るポスターの上にお構いなしに次々と貼られるので、横から見るとポスターが分厚い
層になっているぐらいだ。なんとか場所を作って貼ったものの、数分後に道を戻って
くるともう別のものが重ね貼りされている。私達のように配給会社がついているわけ
ではないと、映画を作ったスタッフたちがこうして一枚づつ貼りに行くが、当然のこ
とながら大きな会社の作品は、雑用を請け負う雇われスタッフが定期的に貼りに来る。
だから、評価の高い作家の作品でもそのポスターの貼り方は礼儀をわきまえていない
という事態が起こりうる。例えば、ボランティアとおぼしき若手のスタッフたちが、
何枚ものポスターを次々と重ねばりしていた某有名作家の作品もあれば、ある時には
某大手配給会社のあまりのモラルのなさに嫌気のさした人たちが「ポスターをはがさ
ないでください」と張り紙をしている有様だった。制作の規模が大きくなれば関わる
人が増え、作家自身が作品についての末端でのコントロールを失っていくのを感じた
出来事だった。
●目を奪う多様なドキュメンタリー
ところで、ここまで私達の話を中心にしてきたが、映画祭の楽しみはやはり世界から
の未公開最新作を監督やキャストたちに直接話を聞きながら見ることにある。映画祭
コーディネーターとしての私の今回の旅の目標も、監督を含めた子供達に他の映画を
できるだけ多く見てもらうということにあった。一線の作り手たちの作品を見ること
は自分たちに足りないものを学ぶ機会になるばかりではない。どの作家も自分のスタ
イルを持っているように、DCTVの作るドキュメンタリーにもあるひとつの傾向がある。
特に、DCTVで初めてドキュメンタリーに触れた子供達にとって、そこで見るものがド
キュメンタリーの全てではないことに気づいて欲しいと思った。外に目を向ければド
キュメンタリーといえど実に多様な題材、スタイル、アプローチがあるのだ。この映
画祭は、その多様性に気づき視野を広げる絶好の機会だった。
長編ドキュメンタリーの国内コンペティションに入っていた作品では、私達の短編と
同時上映された『The Education of Shelby Knox』を最初に見た。保守派の根強いテ
キサスで育った少女が、地域の性教育や同性愛者の捉え方に疑問が投げかけていく姿
を追っているのだが、少女の人柄に好みが分かれるとは思うものの、ともすると平板
になりがちな題材を撮影賞を受賞したしっかりとした映像と編集で巧く構成していた。
また、ペルーの元フジモリ大統領を追った『The Fall of Fujimori』は日本人として
は見逃せない作品だった。テロ対策強化を推進する余り、多くの無実の人たちの殺害
に関わったとされるフジモリが、その責任の追及を実際には逃れて現在も日本に匿わ
れていることを露呈する。技術面ではまだ発展の余地があるものの、フジモリを始め
その家族への密接なアクセスを得ていることだけでも一見の価値がある。ペルー人の
観客に囲まれていた私は居心地の悪い思いをしたが、上映後に若いアメリカ人女性監
督エレン・ペリーと直接話し、彼女自身、個人としては非常に紳士な人柄と感じるフ
ジモリなだけに単純な批判ができないと感じているようだった。
他には、中国で低賃金で安価なネックレスを製造している少女たちと、その主な輸出
先となるアメリカの田舎町のお祭りでバカ騒ぎする若者を並列して描く『Mardi Gras
:Made in China』は、ほとんど一人で制作した作家の努力は認めるものの、繰り返
しが多くテーマの掘り下げは全く甘かった。そして最も観客の間で噂になっていたの
が、女性の憧れの的となっている身障者アスリートたちに取材した『Murder Ball』
で、その新鮮さと迫力で当日の空席を求めて長蛇の列ができるほどで観客賞を受賞し
ていた。また前作『The Trials of Henry Kissinger』でアメリカの外交政策を鋭く
批判したユージーン・ジャレッキは、新作「Why We Fight」で更に戦争という題材に
焦点を絞り審査員大賞を受賞していた。
今年から新たにコンペティションが設けられた海外ドキュメンタリー部門では、観客
賞を受賞したカナダの『Shake Hands with the Devil:The Journey of Romeo
Dallaire』が秀作だった。1994 年のルワンダ虐殺を黙殺した国連平和維持軍の司令
官の証言を追ったもので、ちょうどアカデミー賞にノミネートされていた劇映画『ホ
テル・ルワンダ』を司令官の視点から描いたものだが、劇映画よりはるかに重みを持
った内容に仕上がっていた。司令官自身が映画祭に監督と共に出席しており、上映が
終わると観客達が総立ちになって賞賛の拍手を送っていた。また、特別上映だったフ
ランスの『Emperor’s Journey』は、南極のペンギンたちの生死をかけた一年がかり
の出産過程を捉えて圧巻で、千人強のメイン会場を埋める観客から拍手喝采を浴びる
素晴らしい作品だった。
短編ドキュメンタリーでは、『Saving Jackie』が麻薬中毒の母親との関係を非常に
優しいトーンで描いていて、監督を含めた二人姉妹の愛情を感じさせる作品だった。
アカデミー賞にもノミネートされていた『The Children of Leningradsky』は、ここ
数年同じような題材がよく取り上げられているが、ロシアのストリートチルドレンの
悲惨な現状に観客からの質問が続いていた。ダニーも同じ短編ながらそのレベルの高
さに感嘆したようだった。
一方、劇映画は私はあまり見るチャンスがなかったのだが、映画祭の常連であるネイ
ティブ・アメリカンの監督クリス・エアー は、ちょうどテレンスとダニーが監督た
ちの食事会で座席を隣り合わせたこともあり、彼の新作『A Thousand Roads』を見に
行った。博物館の依頼で来館者向けに作られたこの映画は、世界に散らばる原住民の
姿をニューヨークの近代的なオフィスで働くネイティブ・アメリカンからペルーの薬
草師に至るまで、半分ドキュメンタリー、半分フィクションで仕上げたとても美しい
映画だった。テレンスもダニーも見たがった作品のひとつが、謎の死をとげた実在の
ジャーナリストの半生を描いた南アフリカから参加の『Drum』だった。アパルトヘイ
トを扱った作品は多くあるが、こうして国の内部から良質の作品が作られることが重
要なのだ。
映画祭ではまた、映画の上映だけでなく監督や俳優たちのパネル・ディスカッション
や世界中から集まる映画関係者の交流を目的としたパーティーも数多く開催されてい
た。Filmmaker Lodgeという会場には、DCTVも参加した非営利団体などの紹介デスク
が設置されていて、ここでは主にドキュメンタリー関係のイベントが行われていた。
中でもフレデリック・ワイズマンとヴェルナー・ヘルツォークの対話は、相反する映
画作りのアプローチをとっている二人が、現場で撮った映像や音に手を加えることは
しないというワイズマンに、撮影の前からイメージとして存在する脚本や音楽を使用
することを手を加えるとは思わないとヘルツォークが応酬するなど、軽妙な意見交換
をしていておもしろかった。他にも、アカデミー賞を2回受賞しているバーバラ・コ
ップルが炭鉱ストを追った1976年の作品『ハーラン・カウンティ・USA』を回顧上映
した後、シカゴの人気映画批評家ロジャー・エバートの司会で当時のスタッフたちを
集合させてディスカッションをしていた。映画を撮り終えてから30年近くを経過して
いるにもかかわらず、当時の炭鉱労働者たちが会場に来ており、作り手が被写体と築
いた関係を物語る心動かされる光景だった。
●そして、予期せぬ出来事が…
そうして、長くもあり短くもあった10日間を経て最終日の授章式をついに迎えた。い
わゆるレッドカーペットを正装して歩くというものではなく、ジーンズでも構わない
というカジュアルな雰囲気がこの映画祭らしい。短編82本中受賞できるのは国内と海
外からそれぞれたった一本づつ、しかも長編と異なり劇映画とドキュメンタリーが一
緒に審査される分ドキュメンタリーの受賞は厳しい。更に未熟な10代の少年たちの作
品にすぎない。しかし、そうとは分かっていても期待せずにはいられないものだ。日
系アメリカ人監督グレッグ・アラキの新作『Mysterious Skin』で主役を務めたジョ
セフ・ゴードン・レヴィットが短編のプレゼンターとして登場する。「長編が短編の
おまけだったらいいのに!」彼が短編の出品者たちを激励して会場を湧かせた。まる
で、私達がこの映画祭で体験したことを物語るようだ。そして彼は続けてこう言った。
「短編には二つの賞がありますが、その前に審査員は草の根の政治的映画作りを
称えて特別賞をこの作品に与えたいと思います。“Bullets in the Hood”!」一瞬、
隣に座っていたダニーが何が起こったか分からない表情を見せる。急いで座席を立つ
エクゼクティブ・プロデューサーの桑野まみさんと編集のジャスミンに促されて我に
返り満面の笑顔で三人が舞台に向かう。壇上に立ったダニーは喜びと興奮で声が上ず
る。まみさんとジャスミンを紹介して感謝のスピーチをすると、今映画祭最年少監督
に会場から暖かい拍手が送られた。映画の作りとしては未熟でも、作り手の情熱を感
じさせるインディペンデント精神に溢れた作品を支援しようとする映画祭ならではの
決定に、私達は最高の達成感を得て旅を終えることができた。
今回の映画祭は、私にとって初めて出品者側に立って参加したもので、人々の評価を
受ける緊張と喜びを実感できた非常に主観的な体験だった。それは、これまでプレス
として客観的に外から眺めてきた映画祭とは全く異なり、私的な感情抜きに振り返る
ことができない。人に見てもらって作品はようやく完成するのだと改めて思う。
ニューヨークのオフィスに戻ってからも、ひっきりなしに次の上映の問い合わせが入
る。私達の映画祭の旅はまだまだ始まったところだ。(終)
■東谷 麗奈(ひがしたに・れいな)
映画批評家・ビデオ作家。ニューヨーク大学大学院映画学研究科卒業。マンハッタン
のDowntown Community TVCenter( http://www.dctvny.org/ )でドキュメンタリービ
デオやテレビ番組の制作スタッフとして数多くのプロジェクトに参加する傍ら、NYを
拠点としたアートコラムペーパー「云々」の編集長として映画批評活動を展開する。
また、これまでにJapan Society Film Center New Yorkでの映画プログラムの企画や、
古典及び新作日本映画の北米配給やDVD発売に関わる通訳、翻訳も手がけている。
┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃04┃□列島通信 ≪高知発≫
┃ ┃■映画の構造改革
┃ ┃■藤田 直義
┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
昨年7月高知にもシネコン(9スクリーン)が誕生し、予想されたことだがその余波で
市内の映画館の閉館の動きが続いている。既存の映画館は7割〜8割の観客減だそうだ
から驚く。そんな中、昨年8月に(財)国際文化交流推進協会(エース・ジャパン)、
コミュニティシネマ支援センターなどが毎年1回各地で開催している「映画上映ネッ
トワーク会議」を高知県立美術館で開催した。この会議は地元の負担金も相当大きい
にもかかわらず毎年開催されてきている。映画の持つポテンシャルを地域でも高く評
価している証左だろう。それまで年に1度の同窓会的だった「映画上映ネットワーク
会議」が、一昨年の大阪会議で「コミュニティシネマ宣言!」を出し、配給会社、ミ
ニシアター、自主上映、公共上映など、地域(東京も含め)において、様々な形で見る
ことのできない映画の上映に情熱を注いできた人々の共通の目指すべき方向が明快に
提示された。(財)国際文化交流推進協会(エース・ジャパン)は、今、国内において映
画というジャンルの大変な構造改革を行おうとしているように思える。
今回の会議のテーマは「映画教育を考える」だった。これは、コミュニティシネマが
各地に成立しつつあることを見据え、コミュニティシネマが地域で行うべき活動の一
つを提案したものだ。たとえば美術館は、今や「美術の殿堂」として単に美術作品を
展示するだけだったり、「いいものを展示していればお客さんが来てくれる」という
脳天気な姿勢では存続は困難である。子どもたちの育成という面だけ取り上げても、
学校ではできないことを美術館で行うことによって地域社会での存在意義を確立しよ
うとしている。コミュニティシネマも同じである。映画という芸術を子供たちにきち
んと理解してもらうことを学校では行っていないので、コミュニティシネマがその役
割を担えば税金を投ずることに理解が得られやすくなるかもしれない。
今年1月15日には「映画上映ネットワーク会議−映画教育を考える」の一環として高
知県立美術館で「のぞいてみようよ 映画の国」という上映会を開催した。映画教育
を実践しようとしたものだ。前半は映画評論家の村山匡一郎氏を講師に、アッバス・
キアロスタミ監督の『パンと裏通り』や、チャールズ・チャップリンの喜劇、チェコ
のアニメーションなどを見ながら小中学生対象の授業を行った。後半は北野武監督の
『菊次郎の夏』をみんなで鑑賞した。美術館でも夏休みの宿題の手助けになる実技系
のワークショップは大人気だが、このような講座形式のワークショップは敬遠されが
ちだ。
8月に会議を行ったときのアラン・ベルガラ氏の公開モデル授業の受講生集めは本当
に大変だったので、今回は昨年発足した「こうちコミュニティシネマ」に受講生集め
をお願いした。「こうちコミュニティシネマ」は、前回にも書かせていただいた中心
商店街に市民映画館を作ろうと動いている団体だ。NPOの認証ももうすぐ取得できる
ようである。商店街の役員や市民団体の活動家、マスコミなど幅広い人々がこの会に
集っている。映画館が可能なビルや補助金などの調査を進める一方、「シネマルシ
ェ」と名付けた商店街のイベントに合わせた野外上映会や空き店舗を利用したこども
映画教室の開催など、街中に出て活動を展開し始めている。
こういった活動がコミュニティシネマのあるべき姿だろう。設立までに2年という年
限を区切って活動を行っているようだが、なんとか常設上映スペースの確保に成功し
てもらいたい。その時もこういった活動を続ければコミュニティに必要なスペースと
して社会に認知されると思う。
■藤田 直義(ふじた・なおよし)
[(財)高知県文化財団企画課長、高知県立美術館アートコーディネーター]
高知県立美術館ホールの事業企画を10年以上担当してきました。来年4月に導入され
る指定管理者制度に向けて、ホール事業の内容もなんとか鑑賞型主体から創造型主体
に切り替えようと努力しています。
┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃05┃□neoneo坐通信(17)
┃ ┃■3月後半のプログラム
┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
neoneo坐の3月後半の上映を紹介します。
皆様には、お得な一般会員(2000円、1年間有効)になることをお勧めします。会場は
いずれも神田・小川町のスペースneo(都営新宿線小川町駅B5出口より徒歩1分、JR御
茶ノ水駅聖橋口より徒歩5分)です。詳細と地図は下記のneoneo坐サイトをご覧下さい。
http://www014.upp.so-net.ne.jp/kato_takanobu/neoneoza/index.html
■短篇調査団
鑑賞無料・上映カンパ歓迎
(5) 数学の巻…3月23日(水) 20:00〜
『数学』(1956/9分/カラー/16mm/提供:カナダ大使館)
スクリーンは数字で溢れ、お互いに押し合いへし合い、ぶつかり、逃げ回っている…
ノーマン・マクラレン製作。
『スクエア・ダンス』(1961/4分/カラー/16mm/提供:カナダ大使館)
子供達がすぐに理解し楽しむことができるように、幾何学の図形との楽しい出会いを
作る、数学の授業のための映画。
『ゼロの発見』(1963/21分/カラー/16mm/アジア映画社/企画:埼玉銀行/
監修:吉田洋一/演出:富沢幸男・杉原せつ/脚本:大沼鉄郎/作画:久里漫画工房
/音楽:松村禎三/声:河合坊茶ほか)
昭和14年の初版以来、岩波新書のベストセラーとして読まれてきた吉田洋一著「零の
発見」をもとに、著者自身の監修、久里洋二の動画で数字の歴史を映像化。第二回日
本産業映画コンクール奨励賞。
『まるい世界の物語』(1977/20分/カラー/16mm/岩波映画製作所/企画:埼玉銀
行/演出:山崎博紹/脚本:坂口康/撮影:八木義順)
小さな魚の卵から宇宙の構造まで、宗教のシンボルである永遠のしるしから原子像ま
で、三枚の厚板を組み合わせた初期の車輪から天翔けるロケットまで…その世界を楽
しむ。
『でたらめの規則 平均と標準偏差』(1971/35分/カラー/16mm/岩波映画製作所
/企画:文部省/演出・脚本:花松正卜/撮影:中神賢史)
推計学の原理の日常的な応用例として、血液検査で赤血球を調べる仕事を紹介。顕微
鏡をのぞくと、赤血球のばらつきが一見でたらめとしかいいようのない状態にありな
がら、そこにはでたらめについて法則性があり、それを推計できる。
■小川紳介のコスモス〜小川プロの仕事
(第6弾) 3月27日(日)
program1(13:30〜15:31)
『どっこい!人間節 寿・自由労働者の街』(1975年、16ミリ、白黒、121分)
製作:小川プロダクション
撮影:奥村祐治 調査・渉外:湯本希生 構成・編集:小川紳介
寄場に対する偏見を確かめるべく、小川プロの若手は横浜・寿町のドヤに住みながら
撮影を敢行。オイルショックの中、個人史に潜む日本の「暗部」を描いていく。
program2(15:50〜16:47)
『クリーンセンター訪問記』(1975年、16ミリ、白黒、57分)
製作:小川プロダクション
監督:小川紳介 撮影:奥村祐治
山形県へ移り住んだ小川プロから上山市への名刺がわりの1本。新設ゴミ処理場のPR
映画の体質をとっているが、煤煙公害をめぐってキャメラは清掃作業員の視座から追
及をはじめる。
※17:00 トークイベント…1500円(1ドリンク+おつまみ付き)
ゲスト:波多野哲朗(映画研究家、『サルサとチャンプルー』制作中)
料金:当日―1プログラム 1500円 / 通し券(1日券):2500円
一般会員―1プログラム 1200円 / 通し券(1日券):2200円
■(6) 科学映画特捜隊 春の前夜祭 こうもりの巻
3月30日(水) 20:00〜
『秋吉台の生物−こうもりの生態−』(1972/22分/カラー/ビデオ版/読売映画社
/企画:秋芳町・美東町/演出・脚本:落合朝彦/撮影:玖島成一)
秋吉台には横に泳ぐエビなど、ここにしかいない生物が多く、こうもりも数種類が棲
息している。その生態を調べると、こうもりのいろいろな生きるための条件などが判
ってくる。
『野うさぎをかぞえる』(1973/30分/カラー/16mm/鹿島映画/企画:文部省/
製作:岩佐氏寿/演出・脚本:秦康夫/撮影:長岡隆)
コンピュータ・シミュレーションを含め、統計数理の応用によって野うさぎの生態と
その数をとらえながら解明。自然界のバランスを保つために科学的効果も計る。
『特別天然記念物 ライチョウ』(1967/32分/カラー/16mm/日本シネセル/
企画:文化財保護委員会/演出・脚本:下村兼史・樺島清一/撮影:伊藤三千雄・
赤松威善・村瀬昭夫)
生きるための戦いを続けながら立派に種族を保存し、器用に生きているライチョウの
生態を、日本アルプスの富士に四季を通じて追いその生活を描く。
┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃06┃□広場
┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
□投稿屋台『クチコミ来来軒!』(8)
■屋台引き:清水浩之(ゆふいん文化・記録映画祭)
ここはメルマガ上に出店した「投稿屋台」です。皆様の投稿をお待ちしております。
本文とは別に「あなたのお名前(ペンネーム可)/掲載確認のご連絡先(メールアドレ
スor電話)/題名/制作年/監督/見た場所(よろしければあなたのプロフィールや近
況も)を付記してお送りください。
清水浩之 E-mail: shimizu4310@bridge.ocn.ne.jp /ファクス:03-3703-0839
■新・クチコミ200字評!(7)
オススメの作品を200字以内の短評で紹介してください!映画・ビデオ・テレビなど
皆さんがノンフィクションだと思う作品だったらなんでも可!もちろん「オススメし
ない映画とその理由!」もOKです。
A-042『真正粘菌の生活史−進化の謎・変形体を探る−』
1997年/シネ・ドキュメント/監督・研究:樋口源一郎
見た場所:フィルムセンター「フィルムは記録する2005」
http://www.momat.go.jp/fc
深山の落ち葉の中に住む真正粘菌。この30分弱の映画は、変形体は脈動する、という
事実を詳らかにする。それだけで面白いの?って人もあるかもしれない。間違いなく
傑作であります。ドクドク脈動する変形体のリズムに導かれ、フィルムをつなぐ樋口
博士の手も脈動する。私自身も脈動する。あたりを見れば、暗い館内のあちこちであ
のリズムでゆらゆら揺れる頭。この一体感!次回は3月23日(水)PM3:00から。見逃す
な!(大方栄太郎/東京/29歳/会社員)
B-082『ぼくのいる街 写真集「銀座と戦争」より』
1989年/平和博物館を創る会/監督:黒木和雄/台詞:飯島耕一
見た場所:neoneo坐「短篇調査団(4)子供の巻」
大喪の礼の当日、銀座の街角に立ち尽くす国民服の少年は、戦争の時代に閉じ込めら
れ置き去りにされた人々の影なき姿であるばかりか、作者の心の中に住み続ける少年
でもあることが伝わってきた途端に涙腺が…。そこには黒木監督の『火垂るの墓』が
ありました。東京大空襲から60年という夜に東京選出の代議士が強制猥褻で逮捕され
る時代ですが、あの少年は誰の心にも住むことができる筈だし、それこそが歴史の継
承かなとも思います。(清水浩之/東京/37歳)
B-083『ローレライ』
2005年/フジテレビ+東宝/監督:樋口真嗣/原作:福井晴敏
東宝洋画系公開中 http://www.507.jp/
ハリウッドにも韓国にも負けない、日本ならではのオリジナリティ溢れる潜水艦映画
を目指した結果、『美少女合体型サブマリン・ローレライちゃん』が誕生してしまい
ました!「新兵器の中枢がこんなヤワなものだったとは…」という役所広司艦長の台
詞通り、深刻ぶった芝居も天地無用に暴れる特撮も、なんとなく気恥ずかしいムード
が漂います。戦争を描こうとしても戦争ごっこにしか見えない点で「日本ならでは」
と言える力作&珍品。(清水浩之/東京/37歳/ピエール瀧さんがやたらと好演して
ました)
◇────────────────────────◆◇◆
□投稿:「小川紳介のコスモス〜小川プロの仕事」レビューリレー(7)
■『三里塚・辺田部落』を見て
■大澤 未来(学生)
この作品は三里塚シリーズの中で6作目にあたり、この後の小川プロの方向性を表し
た分岐点の作品として位置付けられている。しかし私の知識として、小川紳介の三里
塚シリーズを2本観ていただけなので、この作品を流れの中で充分に考える事は出来
なかった。よって、このレビューでは「三里塚・辺田部落」を1本の作品として私が
観た時に感じた想いを率直に書いてみたい。
作品を通して私が感じていた事は、この空港闘争は結局なんだったのかという事だっ
た。他の三里塚の作品に描かれていたある種の政治性よりも、闘っている農民の日常
生活の側面に焦点を当てていったこの作品を観ていても、この辺田部落をこれだけ揺
り動かしている歴史的事実にどうしても意識が行ってしまうのだ。そして、その問題
から意識的に一定の距離をおいて、部落の人々を育んできた歴史的な土壌や農民の生
活感情に向かう小川紳介の視線によって物語が展開されると、結局この部落の闘いの
実態も見えず、部落の日常生活にも入って行けない自分がいて、なにか釈然としなか
ったのである。
そもそも、当時の時代背景を共有していない私達が観た時に、どれだけ三里塚に生き
る人々の闘争と日常に想いをはせる事が出来るのか疑問だ。ある政治的なアングルだ
けで撮ることをやめたこの作品を、そこに生きている人間の姿を見出した事において
作品が深化した、とは思えなかったのである。それは極めて時代性の強い社会問題か
ら、距離をおいて作品を観ることが出来なかった自分がいたからなのだ。しかし、部
落の青年行動隊である2人の若者が国に連行されてから、釈放されるまでを軸に描い
たこの作品において、終盤の宴会のシーンで2人の部落への複雑な想いが見えた時、
時代性をこえて現在にも繋がる問題を感じた事も事実だ。
「辺田部落」を充分に語ることが出来ない私は、現在、小川紳介に関するドキュメン
タリーを製作中だ。その製作過程の中で、私が感じた問題を考え続けたいと思う。
◇────────────────────────◆◇◆
■投稿:「サンダンス映画祭の旅(2) 一難去ってまた一難」を読んで
■吉澤尚子
はじめまして。メルマガいつも楽しく拝見してます。
私は仕事として映画に従事しておりませんが、上質な映画をたくさん観るために映画
祭に通う人間(festival-goer)です。もちろん自腹で。さて、前回の「サンダンス映
画祭の旅(2) 一難去ってまた一難」を読み、いくつか思うことがございますのでここ
に記したいと思います。
私は何度かサンダンス映画祭に参加していますが、毎回耳にする映画祭に対する不平
不満はいつも観客およびスタッフ側(運営スタッフとして参加していたときもあるの
で)のそれであり、映画祭における出品者側の苦労話を聞くのはこれが初めてです。
とても興味深く、勉強になりました。たしかに通常、短編と長編が同時に上映される
際、上映前に両作品の監督が舞台に上がり軽くコメントをしているものの、上映後の
Q&Aは長編の監督のみが行っており、やはり短編映画に対する扱いの不公平さは否定
できませんね。しかし、いくらこの作品が、また監督がもつ作品に対する思いが他の
作品と異なっていたとしても、コンペティションなどの絡みもあり上映に関する規則
を変えることはやはりできないのでしょう。東谷氏はこのあたりへの理解を示してく
れていて内心ほっとしながら読み続けることができました。しかし、長編のQ&Aの最
中に短編への質問へシフトしてしまうというハプニングがあったということ自体、こ
の作品がとても強い影響力を持つものであることを証明しているのではないでしょう
か?残念ながら今年のサンダンスではこの『Bullets in the Hood』という作品を見
逃してしまいましたが、機会があったらぜひ見たいです。あと、GWにトロントで開催
されるHotdocsにも参加する予定なので、映画を観るのはもちろんのこと、こういっ
た上映に関する公平さなどにも目を向けたいと思っています。
■『憲法万華鏡』憲法をテーマにした3分ビデオ作品、大募集!
最近、ちまたでは“ケンポー、ケンポー”という言葉が飛び交っています。憲法を身
近に感じて暮らしてきた人もいれば、あまり考えたことがない人もいるでしょう。
VIDEO ACT!では『憲法万華鏡』と題しまして、憲法に関わるビデオ作品を募集しま
す。いきなり「憲法のビデオ」と言うと何だか難しそうですが、切り口・描き方は自
由です。憲法についての「正解」を求めるものではありませんし、ビデオの上手・下
手を競うものでもありません。ビデオを通していろんな憲法像を見てみたい、と思っ
ています。
ビデオは1人(あるいは1グループ)3分間。集まった作品は全て無審査で上映します。
ふるってご応募下さい。上映会は6月10日(金)午後7時から中野ゼロ視聴覚ホールにて
行います。締め切りは5月20日(金)必着です。
詳しい、募集要項は http://www.videoact.jp/3min/2005.html をご覧下さい。
<VIDEO ACT!は自主制作ビデオの普及・流通をサポートするグループです。今まで
に『ニッポン・戦争・私』と題しまして3分間のビデオを公募し上映する企画を1999
・2002・2003年と行ってきました。>
●応募・問い合わせ先
VIDEO ACT! 〒141-0021 東京都品川区上大崎4-5-29
TEL:03-5496-7088 FAX:03-5496-7078
URL: http://videoact.jp/ E-mail: info@videoact.jp
◇────────────────────────◆◇◆
■上映
■毎月第一日曜よるは、日本映画専門チャンネル“ドキュメンタリー傑作選”
CSスカパー!&スカパー!2と全国のケーブルTVでお楽しみいただける日本映画専門
チャンネルでは、岩波映画の映像作家からCCDビデオカメラ世代の新映像作家まで、
時代と人間の真実を描いた秀作を特集し、ドキュメンタリーの魅力を検証します。
<4月放送作品>
4月3日(日) よる11時30分(再放送あり)
『ゴッド・スピード・ユー! BLACK EMPEROR』(1976年)監督:柳町光男
詳細は公式サイトからどうぞ! http://www.nihon-eiga.com/0503/0503_19.html
■優れたドキュメンタリー映画を観る会vol.14(東京・下高井戸シネマ)
●公開前夜祭“下高井戸 夜間学級”
4月22日(金) 開場 PM 6:30 開映 PM 7:00 (PM10:00終予定)
<1限目> 映画『こんばんは』の上映
『こんばんは』 (2003年/日本/1h32/※16mm) 監督:森康行
山田洋次監督『学校』のモデル、見城慶和先生が勤める墨田区立文花中学の夜間学級。
「普通に学ぶ機会」が得られなかった8ヶ国80名の生徒たちとの心の触れ合いから
“学ぶ”ことの本質に迫る。
<2限目> “下高井戸夜間学級”
講師:見城慶和先生「夜間中学から見た日本の教育」
<3限目> 森康行監督のお話し
前夜祭料金:一般・学生 2,000円/会員・シニア・障害者 1,800円
※前売のみ(当日券の販売はございません) ※限定150名様(発売中)
●4月23日(土)〜4月30日(土) ≪モーニングショー&レイトショー≫
●モーニングショー
4月23日(土)AM10:00〜『送還日記』 (2h29)
(2003年/韓国/2h29/※ビデオ) 監督・編集・ナレーター・製作:キム・ドンウォン北
朝鮮の政治工作員として韓国での30年間の獄中生活でも転向しない2人の思想犯。
1992年に出所した彼らと知り合い、以降10年以上に渡り取材を続けた。トーク:山上
徹二郎(「シグロ」プロデューサー)
4月24日(日) AM10:50〜『兼子』(1h20)
(2004年/日本/1h20/※16mm) 監督・脚本:渋谷昶子
87歳まで現役で活躍したアルト声楽家・柳兼子の没後20年記念作品。自身が歌う日本
歌曲20曲を織り交ぜながら人間性に迫る。トーク:紅野謙介(日大教授)
4月25日(月) AM10:40〜『こんばんは』(1h32)
4月26日(火) AM10:40〜『タイマグラばあちゃん』(1h50)
(2004年/日本/1h50/※16mm) 監督:澄川嘉彦
岩手県、早池峰山の麓に“タイマグラ”と呼ばれる小さな開拓地がある。その地で暮
らす老夫婦の日々を見つめた、
4月27日(水) AM10:40〜『わたしの季節』(1h47)
(2004年/日本/1h47/※16mm) 監督:小林茂/編集:佐藤真
滋賀県野州市にある重症心身障害児施設「びわこ学園」。ここでは年齢、性別を超え
て、様々な人々が生活している。いのちの根源を見つめた映画。トーク:小林茂監督
(予定)
4月28日(木) AM10:40〜『こんばんは』(1h32)
4月29日(金) AM10:00〜『生命ー希望の贈り物』(2h22)
(2003年/台湾/2h22/※ビデオ) 監督:呉乙峰(ウー・イフォン)
2500人以上の行方不明・死亡者を出した1999年の台湾大地震。人は、心に受けた痛み
をどう乗り越えるのか。台湾を代表するドキュメンタリー作家が4年の歳月をかけて
完成。トーク:星野弥生(「神戸わすれない」代表)
●レイトショー
4月23日(土) PM9:00〜『兼子』(1h20) トーク:渋谷昶子監督
4月24日(日) PM9:00〜『タイマグラばあちゃん』(1h50)
トーク:伊勢真一プロデューサー
4月25日(月) PM9:00〜『熊笹の遺言』(1h00)
(2002年/日本/1h00/※DVD) 監督・編集:今田哲史
群馬県草津町にある国立ハンセン病療養所。長い隔離生活を送ってきた彼らが、過去
と現在の心境を語る。トーク:今田哲史監督
4月26日(火) PM9:00〜『チーズとうじ虫』(1h40)
(2005年/日本/1h40/※ビデオ) 監督・撮影・出演:加藤治代
女三世代、母と祖母と三人で暮らす作者が、母の病気が癌だと知りビデオカメラを手
に取った。群馬の田舎町の自然と共に映し出される5年間の記録。トーク:加藤治代
監督
4月27日(水) PM9:00〜『阿賀の記憶』(0h55)
(2004年/日本/0h55/※16mm) 監督:佐藤真/撮影:小林茂
映画『阿賀に生きる』。10年後再び、そのスタッフが阿賀の地に立ち、既に鬼籍に入
った当時の人々の記憶と痕跡を、美しい風景と共に辿る。トーク:佐藤真監督
4月28日(木) PM9:00〜『時が乱吹く』(1h02)
(1991年/日本/1h02/※16mm) 監督・製作・編集・出演:金井勝
映像詩人・城之内元晴への追悼作品。3本の短篇をひとまとめにしたオムニバス形式
で、幻想的な映像を見せる。トーク:金井勝監督
4月29日(金) PM9:00〜『わたしの季節』(1h47)
トーク:小林茂監督(予定)
4月30日(土) PM9:00〜『こんばんは』(1h32)
トーク:森 康行監督
会場:下高井戸シネマ(詳細と地図は下記のサイトでご覧下さい。)
http://www.ne.jp/asahi/kmr/ski/shimotakaido_cinema.html
<お問合せ>主催:優れたドキュメンタリー映画を観る会 (03-3426-7053)
下高井戸シネマ:(世田谷区松原3-27-26 TEL:03-3328-1008)
料金:一般・学生:1300円/小・中・シニア・障害者・会員:1000円
前売り:共通前売り1回券1000円/5回券4000円
(1回券はチケットぴあ、劇場窓口にて、5回券は劇場窓口にてお求め下さい)
┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃07┃■編集後記 伏屋 博雄 (ふせや・ひろお)
┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
●東谷麗奈さんの「サンダンス映画祭の旅(2)」について、吉澤尚子さんという未知
の方から投稿があった。このレポートに関しては私の周りでも愛読者が多く、口頭で
伝えてくださる方はあるものの、いざ投稿となるとなかなか大変だ。それだけにあり
がたいと思う。
映画祭という昂揚の日々は、これまた世の動静を圧縮した世界でもある。私は原稿が
送信されてくるたびに即座に読んで、次の展開はどうなるだろうかと心待ちにした。
さて、このレポートも今回が最終回となった。東谷さんには心より御礼を申し上げ、
また投稿してくださった吉澤さんにも同様の気持ちを表したい。
●neoneo坐では毎月多彩な上映を行なっていて、本誌ではその告知を「neoneo坐通
信」に掲示している。まず「小川紳介のコスモス」は毎月1回、制作順に従って上映。
これからは「山形時代」の作品を上映する。上映後のトークも最適な方をゲストにお
願いしているが、3月27日は波多野哲朗さんである。また、科特隊による科学映画の
上映は多角的な楽しみ方でファンを集めているし、短篇調査団が担うテーマごとの上
映はこれこそお宝というべき作品も多い。さらに、若い世代の作品を意欲的に取り上
げようとする企画もあり、テンコ盛りの企画が目白押しだ。
加えて、山形映画祭・アジア千波万波の作品を上映する「「山ドキ! 東京予備校」
も見逃せない。先日はイラン映画特集があり、1週間後にはマレーシア特集があった。
上映後は母国のゲストを招いてのトークがあったが、これがすこぶる面白い。司会す
る藤岡朝子さん(山形映画祭)の質問の連発と当意即妙に応じるゲストとのスリリング
な展開。小さなスペースであるからこそ可能なセッションはいやがうえにも盛り上が
った。当分この企画は続くので、ぜひご来場頂きたい。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■発行:ビジュアルトラックス visualtrax@jcom.home.ne.jp
■責任編集 伏屋博雄
──────────────────────────────────────
★ご意見・ご感想はビジュアルトラックスまで
★いただいたメールには全て目を通しますが、必ずしも返信できるわけではありま
せん。また、いただいたメールをこのメールマガジンに掲載させていただくことが
ありますが、掲載不可の場合はその旨をお書き添えくださるよう、お願いいたしま
す。
──────────────────────────────────────
★バックナンバー閲覧、およびメールマガジン配信解除はこちらまで
まぐまぐ配信 http://www.mag2.com/m/0000116642.htm
melma!配信 http://www.melma.com/mag/39/m00098339/
※編集部では配信解除、メールアドレスの変更などは受け付けておりません。
お手数ですが、ご自身でお願い致します。
注)デザインが崩れて見える場合は等幅フォント(MSゴシック、Osaka等)でご覧く
ださい!
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
Copyright (C) 2003 visualtrax
当マガジンの記事を許可なく転載することを禁じます。
この記事の発行者<<前の記事
|
次の記事>>
|
最新の記事
