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ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン neoneo

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ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン neoneo vol.29-1 2005.2.1

発行日: 2005/2/1


☆━┓ ┏━┓ ┏━┓
┃n┣━┫o┣━┫e┣━┓ ★ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン
┗━┫e┣━┫n┣━┫o┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━○
  ┗━┛ ☆━┛ ┗━☆    29-1号  2005.2.1


∽∽∽∽∽∽ HEADLINE ∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

 †01 日本のドキュメンタリー映画のかたち
      ドキュメンタリーの新しい夜明け (1)  阿部 嘉昭
 †02 自作を解剖する
      『アマゾンの読経』   岡村 淳  
 †03 ワールドワイドNOW ≪台北発≫
      『生命(いのち)-希望の贈り物』現象で欠落したもの  吉井 孝史
 †04 ドキュメンタリー時評
      ゴダールの『Notre Musique(私たちの音楽)』  水原 文人
 †05 neoneo坐通信(14)2月前半のプログラム
      2月4日(金)〜2月19日(土)「山ドキ!東京予備校」
             ―山形映画祭・アジア千波万波を中心に上映
       2月6日(日)『またの日の知華』公開記念
             ―「原一男と70年代」上映&トークショー
      2月9日(水)「知られざる短篇映画を見てみる」上映会(2)
             猫の巻『猫の散歩』他3本
      2月12日(土)「オトコの青春」とは・・・
             『コミット?』『anfang』『えてがみ』

※29-2号へ

     ◇────────────────────────◆◇◆    


 †06 広場
      アンケート「わが一押しのドキュメンタリー映画2004」追加発表
              佐藤 真・水野 祥子
      投稿屋台『クチコミ来来軒!』(5)
        私のオススメ三品!(2)  浅川 志保
        新・クチコミ200字評!(4)  清水 浩之
      投稿:「小川紳介のコスモス〜小川プロの仕事」レビューリレー(4)
        『三里塚の夏』&『パルチザン前史』  佐藤 寛朗
        
 †07 編集後記  伏屋 博雄


   ★バックナンバー閲覧はこちらまで

   まぐまぐ配信   http://www.mag2.com/m/0000116642.htm
   melma!配信    http://www.melma.com/mag/39/m00098339/



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┃01┃□日本のドキュメンタリー映画のかたち
┃ ┃■ドキュメンタリーの新しい夜明け (1)
┃ ┃■阿部 嘉昭
┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

●松江哲明の場合

自らの半島由来の血筋を追っていった『あんにょんキムチ』のドキュメンタリー監督
松江哲明が、ピンク映画やAVの現場とどのような経緯で交錯していったのかは知らな
い。ただセルフ・ドキュメンタリーには、自らの経験する極私的世界を観客に散布し、
そのことで自身を無際限に定位しようとする欲望の基本がある。そうなったとき、松
江が自分の居場所であるAVの現場をドキュメントするのも当然の成行だったろう。

キッカケは、AVを徹底的にセルフ・ドキュメント化していったことで90年代、一世を
風靡したカンパニー松尾。彼を中心に「作り手」主体、ネット購入主体のメーカー
「ハマジム」(HMJM)が設立されたことだった。松江はそのハマジムの運営メンバーと
なり、まずはAVの作り手・出演者に国籍を問いつつ、同時に作品自らをもAVたらんと
する傑作『アイデイティティ』を監督した。この作品が過激だったのは、作品の立脚
点=社会性と、AV特有の慰安供与性とのあいだに、作品が終始、宙吊られた点だった。
松江は、彼にしか撮れないAVを構想・実現した――そしてAVに本来的にある定位不能
性をさらに錬磨した。この点で松江が過激だとおもう。

その松江の、ハマジムでの第2弾AVが、『ハメ撮りの夜明け』。途中までこの作品は、
ハマジム旗揚げの様子、参画したツワモノたちにその設立趣旨を間接的に語らせると
いった「会社主体のマニフェスト」を偽装する。レディコミ広告で応募してきた地方
在住の「志願兵」たちのもとに、「ハメ撮り突撃隊長」カンパニー松尾が出張する様
子も入ってくる。たとえば据置きカメラの位置を変えるなど、最良のアングルを瞬時
に選択してゆく松尾の運動神経には驚嘆すべきものがあるが、松江は「相手次第で
は」(具体的には柳川の女だった)憂鬱や疑念に陥る松尾の表情をすかさず捉えてしま
う(松尾の度量の大きいところとは、頼もしい異質分子としてそういう松江を社内に
泳がせておく点だろう)。松尾の弟が経験豊富なAV女優とハメ撮りするときも、ハメ
撮り初心者の不安と自負を過たず捉える。なぜか――松江自身に、「こうなったから
には」自らもハメ撮り突撃隊の一員にならねばならない――そんな、自己計測が生じ
ているためだろう。

松尾は松江を唆す。あるいは松江自身が喜んで松尾の仕掛けた罠にかかろうとする。
作品が後半に入ったところで、「撮っている」ために声を発する以外は画面から終始
消えていた松江が別人のカメラでその姿を定位される。そのとき松江の現状がわかる。
付き合って5年になる女がいる。ところが最近大阪で知り合った女もいて、その女と
もSEXをし恋心を抱きはじめている。どちらもヤってるときの顔の表情が最高に可愛
い。そんな彼自身の私生活から、ハメ撮りへの欲求が目覚めはじめた、と。ところが
松江はまだ逡巡段階にある。出自を切り売りすることは自らの責任の範囲だが、自ら
と相手との愛を切り売りすることはどこかで倫理に悖る――そんな「哲学的」疑念が
そこに兆していたはずだ。

ただその前、松江は意外なことを告白していた。松尾の作家的母胎となったV&Rの社
長、安達かおるにハマジム設立についてインタビューしていたとき。松江はおよそ以
下のようにいう。『あんにょんキムチ』を撮った自分のドキュメンタリー体験よりも、
V&R作品を観たドキュメンタリー体験のほうが先行していた――『あんにょんキム
チ』のドキュメンタリー性の規範となっていたのがV&R作品だったと。松江は安達、
なかんずく松尾に憧れ、自己発露のズレとして『あんにょんキムチ』を撮った――そ
ういうことなる。意外だった――作家的な生起順序を見誤った。

松尾はセックスよりもAV鑑賞体験の早かった女を「ニュータイプ」と呼ぶ。それらの
女たちはAVへの拒絶意識がなく、実際のAV撮影でも順応性と高い戦闘能力を発揮し、
かつAVの作り手からの人為的干渉なしに、性的自然にいたると。松尾のいうその「ニ
ュータイプ」に、松江自身が入ってしまう。とするとこの『ハメ撮りの夜明け』は、
松江が自らのAV(ハメ撮り)順応性を計測するドキュメントにスリ変わる。それでまた
この作品がAV特有の定位不能性を獲得したのだった。

松尾は京都の大学に通う、横浜出身の19歳、作中で「四条大橋子」と紹介される女と
会う。松江が同行する。松尾は、ややマゾっ気に傾斜した淫乱ぶりを自覚させようと、
調教気味にハメ撮りする。AV的にはその「四条さん」の性的姿態の鮮烈さ、そしてそ
の精神性の涼しさが魅惑の中心となる。同時に松尾はそんな自分を松江の眼前に置く
ことで、松江をも調教しようとしていた。

罠は深夜の京都の宿にあった。ハメ撮り撮影−食事と、強硬な日程をこなした松尾が
疲弊し、隣室で寝ている(おもえば松尾の魅力は、その疲弊の極みにいつも現れる)。
部屋内部にはエロいコスチュームをつけた「四条さん」と松江が居残っている。松江
に課された仕事はその「四条さん」へのインタビュー。当然のごとく脱線し、松江は
突撃してしまう。ただしおこなったのは俗にいう「指マン」のみ。現実に好きな二人
の女への遠慮がそうさせたのは一目瞭然だ。だが、彼が「四条さん」の淫乱をののし
る(それでさらに彼女を昇りつめさせる)言葉、その発語には凶暴な迫力が宿っていた。
それもまた、ハメ撮りにたいする自縄をふり切ろうとする心根から発していると即座
にみてとれる。松江の分裂。

豊田道倫の曲に乗り、自動車前進移動によるリリカルな風景描写のあったのち(これ
がハマジム作品のもうひとつの定番だ)。テロップによって松江に生じた生活変化が
示される。松江は5年間付き合った女と別れたと(たぶん彼女は松江の『あんにょんキ
ムチ』は許容したが、AV現場への出入りを宥さなかったのだろう)。松江はそれで自
らを振っ切る。「最初のハメ撮りは好きな女で」――そうして彼は、「大阪の女」に
ハメ撮りを依頼、声・顔・私服の3つを画面の表沙汰にしないという条件で、出演受
諾をもらったのだった。

『ハメ撮りの夜明け』はここに至り、信じがたい抒情性を発揮する。女の私服や、喘
ぎ声以外の声を記録してはならないのだから、セックスにいたるやりとりの一切が跳
ばされる。掟破りの「始まり」。そして顔を写してはならないのだから、画面の視角
は極端に限定され、ハメ撮りAVとしては偏狭・不安定・非常識的な構図が選択されて
しまう。松江と女の握りあう手の接写。女の背中側からの、松尾と較べ雲泥に慣れて
いない撮影。あるいはキスを交わすときは二人の顔がもろともにフレームアウトして
しまい、接吻音のみが響きわたる。揺れ。ぎこちなさ。ただ松江の部屋の窓から差し
込む太陽の濾過光によって女のからだは瑞々しく白く輝き、加えて決して「ニュータ
イプではないだろう」女の喘ぎの弱々しさと間歇が、観る者の感覚に新鮮に迫ってく
る。これはニュータイプによる非ニュータイプの凌辱のはずなのに、松江の不安な鼓
動も伝わってきて、画面展開はほとんど催涙的にまでなってしまう。場面としては短
いが、ぎこちなさが――女の「見え難さ」が、逆にあまりに清新な魅力と映る。
「見え難さ」が魅力などとはAVにあってはならないこと。なのにそれ自体が定位不能
なAVは、その非AV性をも当然のこととしてAV的属性のなかに取り込んでしまった。松
江が決死状態で証明したのは、最終的にはその点だった。

以後、何回になるかはわからないが、筆者はこの連載で、なるべく新しい作品にスポ
ットを当て、ドキュメンタリーが既存性から新規性へ激震的に組替わる瞬間を「ドキ
ュメント」してゆきたいとおもっている。その場合、主題的には「愛=性愛」が大き
な役割を占めるだろう。ゴダールのいうように、映画では、愛と労働が峻別されなけ
ればならない――間接的に映画が性愛をドキュメントすることはありえても。ところ
がその禁忌が、いま期待によって破られかけている。たとえばカンパニー松尾などは
そうした期待を担うに足る、圧倒的力量の映像作家だ。ともあれこの連載第一回では、
そんなドキュメンタリー転轍器の最たるものが、一部の意欲的なAVだという確認をし
ていただけたとおもう。


■阿部 嘉昭(あべ・かしょう)
1958年、東京生。映画関連出版社勤務ののち評論活動に入る。現在、立教大学非常勤
講師。著書に『北野武vsビートたけし』『AV原論』『松本人志ショー』『日本映画が
存在する』『精解サブカルチャー講義』『椎名林檎vsJポップ』『68年の女を探し
て』などがある。「阿部嘉昭ファンサイト」http://abecasio.s23.xrea.com 開設中。



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┃02┃□自作を解剖する
┃ ┃■『アマゾンの読経』
┃ ┃■岡村 淳
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5時間15分・・・。
まさか自分でもこんなに長いドキュメンタリーを作るとは、思ってもいなかった。も
ちろん奇をてらった訳でも、見る人への嫌がらせでこんな長さにしたつもりでもない。
しかも編集では、1フレーム単位の映像と音声の長短にこだわって作業した結果だ。
それに尺が長ければ長いだけ、仕上げのスタジオやダビングの経費もかさむ一方だ。

「映画館で上映してもらいたいなら、2時間以内にしなさい」。こんなアドバイスに
も、見事に背いてしまった。これ以上、切れない。作品自体の、自ずからの尺という
ものがある。そんな風に居直ることにした。日本のテレビの都合に合わせる器用さが
なくて、ブラジルくんだりに移民となってドキュメンタリーを作っているのだ。今さ
ら日本の映画館の都合に合わせていたら、師匠の故・牛山純一に申し訳けがたたない。

もともとは日本の民放の、ドキュメンタリー番組のディレクターである。最も多く手
がけた番組は、牛山プロデューサーの下での「すばらしい世界旅行」、尺にして24分
30秒。スポンサーから広告代理店までにも恐れられたテレビドキュメンタリーの大御
所・牛山であろうとも、定尺より1秒長くすることも短くすることも許されない世界
だった。

番組の取材を通して魅せられたブラジルに、フリーランスとして移住して17年。以後、
小型ビデオカメラを用いて取材から仕上げまで一人でドキュメンタリーを作るように
なった。近年は日本のテレビもブラジルのテレビも当てにせずに、専ら自主制作を続
けている。これといったスポンサーも受賞暦もないまま、自主制作を始めて7年目に
して今作で9本目。一人取材のおかげで、ブラジルの家族には経済面を筆頭に諸々の
迷惑をかけ続けているが、他人様までは巻き込まないで済んでいる。

今回の作品のテーマを知ってしまったのは、9年前。
その事件は1986年に生じた。一人の日本人旅行者が、アマゾン奥地で消息を絶った。
名前は藤川辰雄、70歳。伊豆大島富士見観音堂守。藤川は、アマゾンで果てた日本移
民の無縁仏の供養の巡礼をしていたという。地元の警察は、藤川を水浴中の事故によ
る溺死、遺体はピラニア等に食べ尽くされた、として処理した。

藤川の前身は、第2次大戦後の中南米への移住者を、民間レベルでケアする日本海外
移住家族会連合会の事務局長。戦後のずさんな移住政策を現地に渡って視察し、日本
で報告・批判したため、外務省や現在のJICAの前身にあたる組織に疎まれ続けた。そ
の後、現地の移民の墓地の荒廃と無縁仏の多さを憂えて、仏門に入った。

折りしも藤川がアマゾンで失踪した当時、私もアマゾンにいた。「すばらしい世界旅
行」の取材で、サブタイトルは『アマゾンをさすらう』。そして後年、伊豆大島を訪
ねて藤川が失踪直前に残したメモを見てしまった。「(前略)事故死の霊感を受けるに
至る。(中略)われを知り、心ある人には日本であろうとブラジルどこであろうともこ
の祈りが通じ、読経が聞こえるはずである。すべてが狂った今の世に対して、『アマ
ゾンの読経』と題して、書いてくれる人があれば、必ず心を動かして目を覚ます人が
あるはず。」

生涯を移民に尽くした藤川の存在は、移民の公史にも触れられてはいない。藤川を直
接知る人々は次々と亡くなり、いっぽう彼の業績は、新たに日系人史を牛耳ろうとす
る面々に塗り替えられている…そんな焦りと、若輩ながら移民の側から藤川に一矢報
いたい、といった思いから手がけた仕事だ。

藤川の足跡はあまりに多岐に渡っており、そのトレースは並大抵ではなかった。さら
に私自身、生きている人間の記録を優先に、というスタンスで挑んだため、後発の取
材を先に仕上げる必要も生じて、こんなに年月がかかってしまった。その間、さらに
関係者を亡くし、後悔に駆られながらこの2年間は、これを最優先してきた。

ようやく完成させて、お披露目上映を終え、ひと通り関係者にもビデオテープをお届
けしてご挨拶を済ませた上での感想。この撮影を始めた時に、こんなアドバイスをい
ただいた。「無縁仏の取材なんて、祟るわよ。あなただけじゃなくて、家族にまで。
悪いこと言わないからお止めなさい…」。
おかげさまで今現在、私も家族もピンピンしている。「アマゾンの読経」、ようやく
封印を解いたばかりなのだ。

☆『アマゾンの読経』(2004年制作・315分(全3巻)・DVカム)制作・構成・撮影・編集
・報告:岡村淳


■岡村 淳(おかむら・じゅん)
記録映像作家。在ブラジル。1958年、東京都出身。1982年、日本映像記録センター入
社、番組ディレクターを務める。1987年、フリーとなり、ブラジルに移住。2005年1
月、この稿の脱稿後まもなく南米ベネズエラ奥地のギアナ高地に向かう予定。92歳に
なる在ブラジルの邦人植物学者のフィールドワーク同行記録取材のため。
「岡村淳のオフレコ日記」( http://www.100nen.com.br/ja/okajun )



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┃03┃□ ワールドワイドNOW ≪台北発≫
┃ ┃■『生命(いのち)-希望の贈り物』現象で欠落したもの
┃ ┃■吉井 孝史
┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

●台湾国際ドキュメンタリー隔年映画祭

昨年12月11日から17日まで開催された「台湾國際紀録片雙年展(=台湾国際ドキュメ
ンタリー隔年映画祭)」が閉幕した。受賞作等については、
こちら( http://www.tidf.org.tw/english/main8_award/award.htm )でご確認いただ
くとして、閉幕後のことについて少し書いておきたい。

というのも、昨年の3月15日発行のneoneo9号に書いたように、映画祭の運営方法に変
更があり、「新方式」を導入した後、初めて開催された映画祭だったため、「今回の
映画祭の運営状況とその将来」が気になったからだ。(※重複する内容で貴重な文字
数を減らしたくないので、「新方式」に関しては過去の号
 http://www.melma.com/mag/39/m00098339/a00000011.html をご参照いただきたい)

映画祭の上映プログラムを担当した王派彰と電話で話したところ、過去からのドタバ
タの影響もあって、今回の映画祭の運営においても準備期間が充分取れず、翻訳作業
や通訳の手配、あるいはカタログの制作などに、開催直前まで追われ続けていたらし
い。

また、同じアジア地域に位置するにもかかわらず、アジアの国々のドキュメンタリー
映画作家との人的ネットワークがあまりなく、アジア地域の作品探しに苦労したこと
も正直に話してくれた。さらに上映会場についても、審査員の作品等を急遽上映した
りするための会場がなかったりと、臨機応変に対応できなかったことを反省点として
あげてくれた。

ただ、一観客として上映会場に足を運び、台湾のドキュメンタリー映画を数作品見さ
せてもらった立場から言うと、上映チケットの配分等に改善が見られ、以前より観客
が親近感を持てるようになった点を素直に評価したいと思う。

しかしながら、この映画祭に資金を提供している政府関連機関の文化建設委員会につ
いては問題を感じる。というのも、この原稿を執筆している現段階では、以後もこの
「新方式」を続けて行くのかどうか、まだ最終決定が出ていないからだ。彼らが「文
化建設」の名の下に何を目指して活動しているのかは、「チンピラ外国人」である私
の与り知らないところだが、王派彰をはじめこの映画祭に参画した人びとが、ドキュ
メンタリー映画を台湾に根付かせようと必死になって運営に当たった事実や、貴重な
資料の散逸を防ぐために努力している姿と真摯に向き合い、改善すべき点は改善しな
がら、しっかりと将来を見据え、なるべく早くこの「新方式」の継続を決定してほし
いと思う。そうでなければ、また「いつか来た道」をたどるだけだと思うのは、あな
がち私一人ではないだろう。

●「『生命(いのち)』現象」について

1月29日から東京でも上映が始まった呉乙峰の『生命(いのち)-希望の贈り物』だが、
ここ台湾では大地震発生5周年にあたる昨年の9月下旬から劇場公開され、台北では記
録破りの二ヶ月間にわたるロングラン上映となるなど、大ヒットとなったことをご存
知の方もいらっしゃると思う。

今までドキュメンタリー映画などに興味も関心もを示さなかった人びとまでもが劇場
に足を運び、先を争ってまで見ようとする予想外の現象がなければ、この大ヒットに
はいたらなかったであろうことは、日本の方でも容易に想像がつくことだが、そうい
った現象が起こったのには、それなりの理由が存在するはずである。

不幸にして私にはそういった現象(※以下便宜上「生命(いのち)現象」と呼ばせても
らう)を完璧に読み解き解説する力などないが、この台湾で起こった「生命(いのち)
現象」をかたわらで観察するにつれ、私なりに見えてきたもの、あるいは伝えておき
たいことがあるので、以下に述べさせていただきたい。

まずは、ことの起こりについて説明したい。実は、大地震発生後5周年となる9月21日
の前日、現職の陳水扁総統がわざわざ劇場を借り切って閣僚たちとともに『生命(い
のち)』を鑑賞。その後上映会場でメディアの取材に応じ、このドキュメンタリー映
画を絶賛しただけでなく、呉乙峰に金一封を贈るという異例の事態が起り、これが今
回の「生命(いのち)現象」の引き金のひとつとなった。(※私の知る限りでは、現職
総統が特定のドキュメンタリー作品に対しそうした接し方をしたことは、以前にはな
かったことのように思う。)

その後、さらに陳総統は、10月10日の國慶日(=建国記念日)談話の中で、このドキュ
メンタリー映画に再度言及し、「上映中に何度も涙した」、「この映画は921大地震
の記録にとどまらず、この土地の上で苦労に耐えながらも立派に生きている台湾人の
物語だ」、「人生においては、トンネルの深い暗闇の中に落ちこんでしまったように
思える時もあるだろう、でもそこで諦めてはいけない、勇敢に向かい合いさえすれば
必ず光明を見出せるのだから」、「この映画を国民の皆さんが見ることをお勧めする
だけでなく、諦めず一致団結し、国家としての明るい未来を見つけ出そう」といった
発言を行った。(※以上の発言のうち、一番目と二番目の発言については、何も総統
だけの専売特許ではなく、この作品を高く評価する論評の中でも多く見られたもので
あり、三番目の発言については、呉乙峰自身も上映の後の観客との対話の中で語るこ
ともあったものである)

こうして始まった「生命(いのち)現象」は、とどまるところを知らず、同時上映され
た他作品などはあまり顧みられなくなっていき、921大地震の共有体験を持つ人びと
にとって、まさに『生命(いのち)』だけが、「好看的電影(=おもしろい、あるいは
見る価値がある映画)」として受け入れられていった。

私個人としては、ことここにまで至って「ちょっと待ってほしい」と思うようになっ
た。なぜなら『生命(いのち)』は、「家族を突然の出来事で失った被災者達が、どう
その現実を受け入れ、いかに生きるための新たな希望の光を見出すか」についてをテ
ーマとしているのみで、「震災後の復興の過程で起こった様々な問題」については、
全くと言っていいほどふれていない作品だったからだ。

そういったことを語っている他の全景6作品(※劇場公開は『生命(いのち)』を含む4
作品、残り3作品は完成版ではなく暫定編集版が被災地で上映された)を含め、本来で
あれば「人びとがこの未曾有の災害と向かい合う姿を、様々な角度から皆に伝えよ
う」とし行ったのが今回の上映活動だったはずなのに、「生命(いのち)現象」が起こ
ったために、全景自体もその対応に追われるのみで、ついには有効な対策を見出せず
に時が過ぎて行ってしまった。

私はたまたま全景と親しい立場にいるため、残りの6作品(※各作品の紹介は、『生命
(いのち)−希望の贈り物』日本上映用のパンフレットに書かせてもらった)を全て見
せてもらった上で言うのだが、残りの作品は『生命(いのち)』とは全く趣が異なるも
のの、『生命(いのち)』に負けず劣らない、あるいは今後の台湾社会の健全な発展の
ためには『生命(いのち)』よりも重要な問題を語っている作品だと考えている。

『生命(いのち)』だけが突出してしまったため、人びとともに共有したくてもできな
かったものを、今後どう語って行くのかは、全景に与えられた大きな課題だと思うが、
彼らも疲れきっていることから、ここ当分はこの課題を克服できないように思えるの
が残念でならない。

それに加えもう一つ私が個人的に残念に思うのは、「生命(いのち)現象」の最中に語
られた『生命(いのち)』に対する賛否両論や感想の中で、地震発生後1年2ヶ月を経っ
て87歳の老婦人羅陳玉妹とともに偶然遺体が発見されたフィリピン籍の看護人ジャス
フィに関心を寄せる文章を一度も見かけなかったこと。見方を変えれば、彼女の存在
も今の台湾を語るための重要なキーワードのひとつだと思うのだが、台湾社会が彼女
達の存在を空気のように当たり前のこととしか感じていないとすれば、『生命(いの
ち)』を賛美するための新聞の論調にたびたび使われた「人道主義云々」という言葉
が、私の心に響いてくることは永遠にないように思う(※呉乙峰に尋ねたところ、最
終的には彼女の遺骨はフィリピンの家族のもとに届けられたそうだ)。

まだ多少語りたいことはあるのだが、私に与えられている次数を大幅に超えてしまっ
たため、この辺りで終わらせることにする。

日本での上映で『生命(いのち)-希望の贈り物』を見て興味を持たれた方にとって、
多少なりとも参考となる部分があることを祈りたい。


■吉井 孝史(よしい・たかし)
1992年より台湾に定住。『陳才根と隣人たち』や『生命(いのち)』といった、一連の
全景作品の字幕翻訳を担当。日本と台湾の草の根レベルの文化交流の場の「介添え
役」として、多くの仕事をこなしてきたが、個人的事情により今年中に日本に完全帰
国するものと思われる。



┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃04┃□ドキュメンタリー時評
┃ ┃■Notre Musique (Jean-Luc Godard)
┃ ┃■水原 文人
┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

●境界を越えて

20世紀は映画と映像の世紀であり、また戦争と虐殺の世紀でもあった。ドキュメンタ
リーとフィクションという映像の二分法、そのふたつがあたかも相容れない異なった
ものであるかのような“一般常識”と、それを前提にその境界をめぐって戯れて来た
昨今のメタ映画的な流れをまるごとひっくり返すかのように、ゴダールの最新作の第
一部−−この映画はダンテの「神曲」に倣って「地獄」「煉獄」「天国」の三部に別
れる−−は、劇映画として撮られた戦争と、実際の戦争のルポルタージュ映像を、渾
然一体にモンタージュした暴力(の表象)の洪水として構成されている。ドキュメンタ
リーとフィクションの境界で戯れるのなんて、しょせん映画のフォルムの問題に閉じ
こもったマスターベーションではないかと言わんばかりに。そして、映画とは20世紀
が生んだフィクションなのではない、映画と映像こそ20世紀の現実なのだ、と言わん
ばかりに。

戦争と対立の傍観者である対立構造の第三者はもちろん、実はそこに巻き込まれた当
事者ですら、戦争そのものはそれを表象する映像や写真を中心とする報道−−つまり
戦争を表象したもの−−を通してしかその全体像らしきものを把握できない。映画が
写実表現メディアとしてリアリズムを希求して来たことは、実は映画が現実に近づい
たのではなく、現実の方が映画化して来ているのだ。だから近現代の戦争は、映像の
古典的モンタージュで表現し易いように単純化された二項対立として解釈され、表象
される。

第二部「連獄」のなかで、ゴダール自身がハワード・ホークスの『ヒズ・ガール・フ
ライデー』から抜かれた二つのコマの静止写真を手に説明する−−ほとんど相似形の
ケーリー・グラントとロザリンド・ラッセルは、男と女、二項対立を見せているかの
ように装いながら、実は同じものを見せているのだ、と。

三部構成と言っても、ゴダールの最新作『Notre Musique(私たちの音楽)』は実際に
はこの第二部「連獄」の序章、前提条件の提示としての第一部「地獄」と、その皮肉
なエピローグとも言うべき第三部「天国」という構造になっている。上映時間の大半
を占める第二部「連獄」は、サラエヴォで開催されたブックフェアを訪れた人々−−
その一人がゴダール本人−−をめぐって展開する。サラエヴォ、もうすでに世界が忘
れかけているボスニア=ヘルツェコヴィナの悲劇の中心。

ニュース映像もドキュメンタリーも劇映画も、こぞってサラエヴォを悲劇の舞台、破
壊された街の廃墟というステレオタイプとしてのみ表象して来た。それは別に映像を
撮った側がことさらに意識し、意図してそうなったわけでもあるまい。映像を撮る者
がやはりスペクタキュラーなもの、日常と異なったものに目を惹かれるのは、これは
致し方ないことなのだから。そうでないものを撮ろうとすること自体が、そうした映
像メディアの本性を意識してそれに反する、意図的な選択を必要とする。

だからゴダールはサラエヴォの街を意識して、意図的に、所々に傷跡はあっても、基
本的に「ただの街」として写し取る。「連獄」の冒頭のサラエヴォの空港がどこか分

るのは旅客機に書かれた航空会社の名前からだけであり、ガラスと金属と模造大理石
で覆われた光沢と反射のあるその目に見える表面は、世界中のどこの空港とも変わり
がない。サラエヴォの街の最初のカットは普通の夜の街角であり、「サラエヴォ・タ
クシー」と書かれたタクシーの標識灯だけがここがサラエヴォであることを我々に伝
える。

フォーマットは35ミリのスタンダード(1:1.33画面)、フィルターや現像処理などによ
る加工は皆無の、削ぎ落とされたストレートでシンプルな写真的な映像がこの映画の
スタイルだ。「サラエヴォ」の文字と、しばらくしてやっと出て来る、内部が完全に
焼けてしまった旧国立図書館のビルだけが、ここがほんの10年前に戦場だったことを
我々に気づかせる。いわゆる戦場っぽい、あるいは廃墟っぽい映像の空気感の再現な
どは、一切ない。

この10年前に戦争が終わってすでに世界の記憶から忘却されつつあるサラエヴォの街
並みに、ゴダールは今も進行中の戦争の物語を重ね合わせる−−イスラエルとパレス
ティナの紛争だ。「連獄」の前半はフランス語をしゃべりニューヨークに住んでいる

いイスラエル人の女性ジャーナリストの取材を中心に展開する。思想家でもある駐サ
ラエヴォのフランス大使にインタビューを行い、やはりブックフェアを訪れているパ
レスティナ詩人マハムード・ダルウィッシュとの対話を試みる彼女は、典型的な和平
派の左派イスラエル人知識人だ。

つまり、彼女は平和を心から望んでいるし、今のイスラエル国家を批判している。一
方で自分の記事が決して「ハーレツ」(イスラエルの最も権威ある日刊紙)に掲載され
ないのは政治情勢とイスラエル社会の偏見のせいだと決めつけているし、見るからに
良心的な発言の一方で、取材相手が自分の言うことを聞くのは当たり前だと思い込ん
でおり、取材の終わりには必ず有名な石橋の破壊で有名になったモスタルに一緒に行
こう、「友達の親の自家用ジェットがあるから快適よ」と付け加えてしまう。

『Notre Musique』がゴダール一流のアイロニーに満ちた映画であることは確かだ。
だがそこには、ここ十年以上ゴダールの映画の通奏低音となっていた、ある意味、人
を小馬鹿にしたような表層のシニシズムと、その居心地の悪い笑いに隠蔽されたメラ
ンコリーは驚くほど払拭されている。

マハムード・ダルウィッシュと若いイスラエル人の女性ジャーナリストとの対話は、
二人のクロースアップの切り返しで構成されている。その前の在サラエヴォ大使の台
詞からの流れから、ホロコーストの犠牲者であったユダヤ人と、そのユダヤ人のイス
ラエル建国の犠牲者であるパレスティナ人双方が、いかに同じような心理と論理を作
り上げているかが、主にダルウィッシュの言葉から浮かび上がる。この第2部の前半
の対話が、第2部の後半に位置するゴダールの講演での「切り返しショット」をめぐ
る議論と共鳴しあって、パレスティナとイスラエル、ボスニア=ヘルツェコヴィナに
おける対立という固有例が、戦争と映像の世紀であった20世紀そのものの歴史となる
のだ。

そのあいだに挟み込まれるのが、焼け焦げた廃墟となったサラエヴォの旧国立図書館
の中−−失われた書物、つまり人類の歴史が営々と築き上げて来た知の記録−−であ
り、そこに悪夢のように挟み込まれる、ナチスの焚書を想起させるショットであり、
そこに登場するアメリカ先住民であり、そして女性ジャーナリストが訪ねる石橋の再
建などのモスタルの風景を写した、ゴダールのあらゆる映画のなかでもっともシノプ
ルで、誤解を恐れずにいえば楽天性にすら満ちたシークエンスだ。川を挟んで向かい
合うキリスト教地区とイスラム教徒地区は、しかし我々にはどっちがどっちなのかほ
とんど見分けがつかない、白い石の美しい町並みだ。そのあいだをつないできて、内
戦で破壊された石橋は、川から回収された元の橋の石材を用いて、丁寧に根気よく、
しかし十年弱という大変な早さで再建されていく。イスラエルとパレスティナにして
も、民族と民族が対立するとき、そこに持ち出されるのはそれぞれの民族の歴史だ。
だがここでは、対立よりも長かった共存の歴史こそが、和解の礎となろうとしてい
る。

そして映画はサラエヴォに戻るのだが、それはまったく無音の、フォーカスのぼやけ
たショットから始まる。沈黙のなかに、赤毛の女がカメラに向かって歩いて来て、大
写しになったところでピントが会う。前半のどこかで見かけたかも知れないこの女性
を、ゴダールはなんの説明もなく我々に紹介し、強烈に印象づける。

彼女はゴダールの講演にもいて、ホークスの映画の切り返しショットの写真の後、別
の写真を見ている彼女の顔と、その見ている写真が切り返しになる。それは『裁かる
るジャンヌ』の字幕だけを引き延ばしたものだ。「では勝利とは?」「恩寵とは?」
「私の殉教です」−−この切り返しは、明らかに前半のマハムード・ダルウィッシュ
とイスラエル人女性ジャーナリストの切り返しや、ゴダールが示したケーリー・グラ
ントとロザリンド・ラッセルの切り返しとは、まったく異なった意味での切り返しだ。
見る者とそれが見ているものの切り返しであると同時に、この瞬間に赤毛の女は『裁
かるるジャンヌ』のファルコネッティにぴったり重なるのだ。

映画の中のゴダールは、講演を聞く彼女にほとんど気づかない。その後で自分の作っ
たビデオ・ドキュメンタリーを渡したいと言う彼女に、ゴダールは親切で礼儀正しく、
しかしとりたてて関心を示す訳でもなく、まだしばらくいるので慌てないでいい、と
言う。しかし映画を作っている方のゴダールのなかでは、第2部の後半のサラエヴォ
の始まりであるあの不思議で強烈なショットが、彼女を主人公にしてしまっている。

20世紀を戦争と映像の時代として見始めた冒頭から、『Notre Musique』は映像をめ
ぐる自省であると同時に、戦争の歴史を持った世界についての考察になる。その戦争
は物理的な暴力と死の戦争であると同時に、映像と思考の戦争であり、我々が他者を
どう見るのか−−他者に自分の恐怖/敵意を投影するのか−−をめぐるものだ。そし
て自己投影の敵意が、「敵」と「味方」を切り返しショットの相似形にする。
『Notre Musique』は切り返しという映画の基本的構造こそがこの敵味方の相似形の
構造であることを執拗に示すと同時に、その相似形から抜け出すまなざしを見いだす
可能性もまた映画の中にあることを信じている映画だ。映画の象徴する20世紀の罪は、
21世紀の映画でしか解消できない、とでも言っているかのように。

ここ10数年、ゴダールの映画に染み付いていた冷笑家のメランコリーは、『Notre 
Musique』にはない。これまでのメランコリックなゴダールは、映画の登場人物とし
ての彼のなかにかなり引きずられているのかも知れないが、その自分を、映画を作っ
ているゴダールは無力な道化のように映し出す。映画作家としてキャメラを通してサ
ラエヴォを見るゴダールのまなざしに込められているのは、永年の映画作家としての
キャリアと、そのキャリアを通じた映画と世界の関わりをめぐる考察を背負って、今、
再び世界と真摯に向き合おうとする純粋さなのだ。

子供のような純粋さではなく、70歳を過ぎた老練の巨匠の純粋さ。だから『Notre 
Musique』はとてもシンプルな映画だ…と思ったら第3部・「天国」。『裁かるるジャ
ンヌ』のように殉教したのか、天国に来た赤毛の女が見る光景はしかし、アメリカ兵
に警護された天国? いきなり、意表をついて現れるこの光景は、アメリカがイラク
に作ろうとしている「民主国家」のパロディなのか? やはりゴダール、なかなか一
筋縄ではいかない。

この新作は今年の夏頃にプレノンアッシュの配給で公開予定です。
 http://www.prenomh.com/ 


■水原 文人(みずはら・ふみと、藤原敏史)
ドキュメンタリー演出/映画批評。森達也氏と一緒に作っている『拝啓、天皇陛下』
の雲行きがどうも怪しくなって落ち込んでいたところを、このゴダールの新作に励ま
されたような。しかしゴダールの映画で元気になるって、そんなことあり得るのか?



┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃05┃□neoneo坐通信
┃ ┃■2月の上映
┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

neoneo坐の2月の上映は、エキサイティングな企画が目白押し。今回はその一部を紹
介します。皆様には、一般会員(2000円、1年間有効)になることをお勧めします。
絶対お得です!会場はいずれも神田・小川町のスペースneoです。詳細と地図は下記
のneoneo坐サイトをご覧下さい。
 http://www014.upp.so-net.ne.jp/kato_takanobu/neoneoza/index.html 


●GO!GO!山形国際ドキュメンタリー映画祭2005
neoneo坐presents「山ドキ!東京予備校」

いよいよ今年開催される「山形国際ドキュメンタリー映画祭2005」(10月7日〜13日)。
neoneo坐では8ヶ月連続・全20回予定の特集上映を独断で敢行!ヤマガタ名物「アジ
ア千波万波」 プログラムを中心に世界各国から若手ドキュメンタリスト達のインデ
ィペンデント魂あふれる力作が集結!上映後のトークイベントには映画作家、映画祭
スタッフ、映画祭の常連さんまで?続々登場予定。毎月替わるカリキュラムで「ヤマ
ガタ・その傾向と対策」をしっかり学習しておけば、10月の映画祭本番もバッチリだ


2月のカリキュラム(金曜レイト+土曜マチネー)
Aプログラム●2月4日(金)20時〜/2月19日(土)14時〜
映画編集は引き算の勝負だ。そぎ落としに落とし、磨かれた真珠のような感動だけが
最後に残る2作品。涙腺の引き金は、脳性まひの少年の足首の微動(『一緒の時』)と、
父さんの鍋料理から上がる湯気(『雑菜記』)!

『一緒の時』(監督:沙青(シャー・チン、2002年/VIDEO/49分/中国)
 /YIDFF2003 小川紳介賞
「精密でありながら決して冷たくはなく 同情的でもないカメラと、対象との関係が
際立つ。 また、 経済的な貧困の中で障害をを持った息子の介護をしている家族の協
力や葛藤が率直に描かれていて、共感を覚える」(審査員 キム・ドンウォン)

『雑菜記』(監督:許慧如(シュウ・ホイルー、2003年/VIDEO/43分/台湾)
 /YIDFF2003 奨励賞
「初老の男の日常が静かに綴られる。インタビューや説明の為のナレーションは一切
ない。今は亡き母の墓参りを終えた瞬間、父が娘に向かって呟くささやかな思いやり
の言葉。饒舌すぎないこの世界からにじみ出る優しさを私たちがすくい上げる時、得
も知れない熱い想いが胸を衝く」(審査員 河瀬直美)

※2月4日(金)の上映後は、「ドキュメンタリー映画の編集について」をテーマに、筒
井武文(映画研究家)と藤岡朝子(山形ドキュメンタリー映画祭)の両氏が語り合います。
料金:1000円

Bプログラム●2月18日(金)20時〜/2月19日(土)16時〜
麻薬に溺れる中国・成都のストリート・キッズ。カメラを向けるだけでは済まされな
い!と監督が立ち上がる。子供を食い物にする黒社会と警察を暴こうと孤軍奮闘する
が…。『ショート…』はタイの少年を描いて5分間に人生を凝縮。

『ショート・ジャーニー』(監督:タノン・サッタルーチャウォン、
 2003年/VIDEO/5分/タイ)/YIDFF2003 FIPRESCI(国際批評家連盟)特別賞
「非常に短い尺の世界だが、そこから想像される現実の行方を追いかけたくなる衝動
に駆られる。対象との関わり方、そこから選びとられた編集・構成のセンスから、こ
の監督の将来を期待してやまない」(河瀬直美+キム・ドンウォン)

『350元の子』(監督:李林(リー・リン)2001年/VIDEO/85分/中国+アメリカ)
 /YIDFF2003 FIPRESCI(国際批評家連盟)賞
「現代の社会問題を浮き彫りにした監督の行動と勇気、そして解決方法を提示する試
みに対し授賞する」(審査員 森谷巌+アネット・オールセン・スティーヴン・テオ)

会場:neoneo坐
(都営新宿線小川町駅B5出口より徒歩1分、JR御茶ノ水駅聖橋口より徒歩5分)
料金:各プログラム 一般1,500円/会員1,000円(入会金2,000円・1年間有効)
上映へのお問合せ:090-3271-5280(佐々木)


●緊急特集『またの日の知華』公開記念
「原一男と70年代」上映&トークショー

新作『またの日の知華』で劇映画に新たな境地を開いた、ドキュメンタリーの 鬼才
・原一男。この物語の舞台は1970年代。それは、熱い時代と人間達の狭間 から、今
なお衝撃的な彼の2本の映画が産声を上げた時代でもある。

あれから30年、時代は、人は、どう変わったのか? 今回は新作の公開を記念して、
映像作家・原一男の原点であり、戦後日本ドキュメンタリー史に燦然と輝く『さよう
ならCP』『極私的エロス・恋歌1974』の2本を上映。ゲストに原監督・小林プロデュ
ーサーをお迎えし、「70年代世代」の映画作りと生き方を、たっぷりお話していただ
く予定です!

日時:2月6日(日) 13:30〜開場
プログラム:14:00〜『さようならCP』(1972年/83分)
      15:40〜『極私的エロス・恋歌1974』(1974年/98分)
            ※DVD版での上映
      17:30〜 原一男トークショー「私と70年代(予定)」
            ゲスト:原一男(監督)、小林佐智子(プロデューサー)
            ※トーク終了後、18:30〜より交流会(neoBAR)あり
料金:1回券 1000円 (会員: 800円)
   2本通し券 1500円 (会員:1200円)
   トーク(neoBAR)\1500(飲み物・大皿料理つき)
   上映+トーク+交流会(neoBAR) まるごとセット券 \2500(お得!)

『さようならCP』1972年/82分/16ミリ
監督・撮影:原一男、製作:小林佐智子、録音:栗林豊彦
CP(脳性麻痺者)の急進的な団体「青い芝」の人々の生活と思想をカメラに収めた、原
一男の第一作。障害者だからと言って自ら片隅でこっそりするような生き方は、障害
者差別を容認することになると考え、彼らはその不自由な身体を積極的に人前にさら
していく。カメラもまた、障害者=健全者という〈関 係の変革〉と言うテーマをど
こまでも回ってゆくが…

『極私的エロス・恋歌1974』1974/98分/16ミリ
監督・撮影 原一男 製作 小林佐智子 録音 久保田幸雄 音楽 加藤登紀子
かつて一緒に暮らした女・武田美由紀を追って沖縄へ行き、彼女が自力出産をするま
でを捉えた、原一男の名を一躍知らしめた問題作。「極私」の極地へ到達し、「生き
る事の原点を描ききった」「見る者を強烈にとらえて揺さぶりつづける恐ろしい映
画」と絶賛された、前人未到のドキュメンタリー。


●「知られざる短篇映画を見てみる」上映会(鑑賞無料)

 猫の巻…2月9日(水) 20:00〜
『自然界のつりあい 動物の数は何で決まるか』
1972年/24分/カラー/東映教育映画部製作:布村 建/演出・脚本・撮影:川崎龍
彦■アメリカシロヒトリを材料に、卵の何%が成虫になるかを克明に追跡・観察し、
生物社会の巧妙なメカニズムを理解させる。

『つつが虫』
1953年/21分/白黒/三井芸術プロ演出・脚本:太田 仁吉/撮影:鈴木 喜代治
つつが虫は全国から50種類以上発見され、1951年には蚊の卵による飼育に成功し、子
虫・若虫・親虫の生態の研究も進んだ。薬剤の開発や土木工事で有毒危険地帯も田畑
に変わる。※全巻傷あり

『阿寒湖のまりも』
 1954年/15分/白黒/科学映画研究所演出・脚本:太田 仁吉/監修:西村 真琴/
撮影:関口 敏雄/音楽:伊福部 昭
まりもは浮き上がったり沈んだりして成長し、100〜200年生きる。その生態の記録。
10月にはアイヌのまりも祭の儀式が古くからの歌と共に行われる。太田仁吉の遺作。
※全巻傷多数あり

『猫の散歩』
 1962年/30分/白黒/桜映画社/企画:中外製薬演出:大橋 秀夫/監修:山本 嘉
次郎/脚本:岡野 薫子/撮影:安 承攻
「吾輩は猫である。空地も川もゴミでいっぱい。ネズミが天井で走り回る下で人間様
は平気で食事をしている。ハエ、ゴキブリ、ネズミ、ダニ、それに夜になると蚊−人
間の家なんて害虫どもの共同アパートみたいなものだ」…野良猫から見た人間と害虫
どもの真夏の騒動を風刺的タッチで描き出している。


●新企画「「オトコの青春」

「つかみどころのない…」と言われる現代の青年達。しかし「荒野をめざす」事の無
い彼らも、「終わりなき日常」の中で、どっこい生きているのです!時代を超えて描
かれる、仲間との友情・社会への怒り・そして岐路に立つ男の選択…今回は、笑って、
泣ける、とびきりリアルな21世紀の青春群像ドキュメンタリーを3本一挙に公開。
「今時の若者は…」などと言う前に、まずはその実態をタップリとご覧あれ!

2月12日(土)
14:00〜 梅山プログラム
『コミット?』(監督:梅山景央、2003年、37分、DV)2003 Az Contest規定テーマ
部門入選
萌え系サークル「映像技術部」が真夏のコミックマーケットに出展を果たすまでの一
週間に密着。社会人から高校生まで、年齢も生活も様々な彼らが「萌え」の一点で意
気投合、徹夜の同人誌仕上げ作業に突入!同士的チームワークも鮮やかに「萌え」て
「燃え」まくる文科系の青春が炸裂!

『anfang』(監督:梅山景央、2003年、51分、DV)2003インディーズムービーフェス
ティバル入選
東京での生活に区切りをつけ、故郷弘前に帰った男、ヒロミ。彼と彼の周囲をとりま
く日常の「薄明かり」を追ったアクション・ドキュメンタリー。地方都市、無目的な
暮らし、若い男、そんな条件がそろう地平に「この期に及んで未来がある」というほ
ほえましい絶望とやるせない希望とが交錯する。

16:00〜 内田プログラム
『えてがみ』(監督:内田伸輝、2002年、DV、95分)
数々の挫折癖を持ちながら、ひっそりと絵手紙を描き続ける男・鍋山晋一。酒におぼ
れながらも30才を前に一念発起、書き溜めた絵手紙の個展を開く事を決意する。一方
で、彼を慕って部屋に転がり込んだ、もう1人の役者志望・フミタケの運命は…鍋山
と彼を取り巻く不完全な人間達のささやかな成長を描いた、スッパダカの記録。

各作品上映後、監督によるトークあり(新作予告もあり?)
上映終了後、18:00〜より交流会(neoBAR)
会場:neoneo坐(地図はneoneo坐サイトをご参照ください)
料金:1プログラム1300円、会員1000円 
   通し券 2000円、会員1600円
会員募集中! 年会費2000円(1年間有効)
トーク(neoBAR)\1500(飲み物・大皿料理つき)
上映へのお問い合わせ:TEL 090-8108-7971(佐藤)



   ※27-2号へ



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