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ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン neoneo 13号 2004.5.15

発行日: 2004/5/15


☆━┓ ┏━┓ ┏━┓
┃n┣━┫o┣━┫e┣━┓ ★ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン
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∽∽∽∽∽∽ HEADLINE ∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

 †01 日本のドキュメンタリー映画のかたち
      観客のかたち(3)  村山 匡一郎
 †02 ワールドワイドNOW ≪サンパウロ発≫
      移民と映画  岡村 淳
 †03 ドキュメンタリー時評
      ドキュメンタリーを思考するドキュメンタリー
      ―佐藤真『阿賀の記憶』  水原 文人
 †04 ドキュメンタルな人々 続・幻のフィルムを求めて(5)
      芦屋小雁と佐藤重臣  安井 喜雄
 †05 随時連載「映画は生きものの仕事である」(6) 
     アフガニスタンとEメ−ルが出来た!  土本 典昭
 †06 広場
     投稿:『Cuba/Okinawa サルサとチャンプルー』(3)
        描こうとするものが見えてきた  波多野 哲朗
     投稿コーナー「クチコミ200字評!」(12)提案者:清水 浩之
 †07 編集後記  伏屋 博雄

  ★バックナンバー閲覧はこちらまで

   まぐまぐ配信   http://www.mag2.com/m/0000116642.htm
   melma!配信    http://www.melma.com/mag/39/m00098339/


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┃01┃□日本のドキュメンタリー映画のかたち
┃ ┃■観客のかたち(3)
┃ ┃■村山 匡一郎
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●サンチャゴ・アルバレスの挑発

京都のフィルムセンターで久しぶりに映画を見た。「キューバ映画特集」で上映さ
れたサンチャゴ・アルバレス監督の『ハノイ13日火曜日』(1967)と『79歳の春」
(1969)である。どちらもベトナム戦争下のハノイを中心とした北ベトナムで撮っ
た短編ドキュメンタリー映画。前者は20年ほど前に池袋の西武デパートにあったス
タジオ200で上映されたことがあるが、サンチャゴ・アルバレスのドキュメンタリー
作品はわが国ではほとんど上映されていない。ただ1999年に開催された山形国際ド
キュメンタリー映画祭のコンペ部門にアルバレスの映画人生を描いた『加速する変
動』(1999)が出品されたので、彼の名前を覚えている人もいるだろう。

サンチャゴ・アルバレスは、知られるように、1959年のキューバ革命以前から社会
主義的な文化運動に参加し、革命直後に設立されたICAIC(国立映画芸術産業庁)で
1961年から映画製作を精力的に行ったドキュメンタリー映画作家である。彼の作品
の大きな特徴は、現実に生起しつつある政治的な出来事のニューズリールを「編
集」によって批評精神に貫かれた大胆かつ想像力豊かな世界として提示することに
ある。たとえば、1969年に亡くなったホー・チ・ミンの生涯を描いた『79歳の春』
のラストでは、当時のベトナム戦争における戦闘シーンを撮ったフィルムを切り刻
んで、それをスクラッチしたり、フィルム断片をそのまま再撮影したりと、実験映
画でしばしば見られる手法を活用している。そうした手法やコラージュ的な編集に
よって、当時、彼は「緊急の映画(シネ・ウルヘンテ)」を提唱した。

そんなアルバレスにとって、対象としての「現実」は文字どおりの素材にすぎない。
それもほかの人が撮ったフィルムさえも素材となるのだから、「現実」という素材
の重みは二義的なものといえる。しかも、その素材を旺盛な実験精神で加工したり
変形したりする場合が多い。そのためか、アルバレスのドキュメンタリー映画はし
ばしば「異色」という形容詞が付けられて来た。映画史的に見れば、彼の映画はジ
ガ・ヴェルトフをはじめとする「モンタージュ」映画の系譜につらなるが、「観客
のかたち」(2)で触れた点からいうと、アルバレスは素材と映画の隔たりにきわめ
て自覚的であり、またその隔たりを最大限に利用したドキュメンタリー映画作家で
あるといえる。

素材と映画の隔たりを最大限に利用すること。そのため、アルバレスは「編集」を
重視する。たとえば『ハノイ13日火曜日』では、寺院にある絵画や彫像、アメリカ
の北爆にさらされた北ベトナムの人々のニューズリールや自分たちで撮った映像、
キューバの革命詩人ホセ・マルティの詩など、さまざまな事柄がモンタージュされ
ていく。
その一種のコラージュからアルバレスの「緊急の映画」が浮き彫りにされていくわ
けだが、そこで観客を画面に引きつけるものは、画面に写されているもの以上に、
画面の連続が生み出すリズムによるように思われる。.

画面を取捨選択する「編集」は、出来事の経緯や時空の転換、あるいは意味の生産
など多くの働きを生み出す表現の磁場であるが、そのもっとも本質的なものはリズ
ムの生成といえる。どのような編集がなされようと、画面の流れが時間を刻む以上、
リズムは必然的に生み出されてしまうからだ。ところが、このリズムというのが厄
介な代物である。というのも、リズムは簡単には頭で統御できないからだ。撮影と
いう仕事では、ある程度考えられる範囲で空間を見定めることは可能であるが、時
間という目に見えないものを頭でコントロールするのは生易しいことではない。ド
イツのルードヴィヒ・クラーゲスがいうようにリズムの本質が生命活動にあるとす
れば、なおのことそういえる。もし時間を目に見えるものにする基準があるなら、
おそらくそれは慣れ親しんできた身体感覚によるほかはないだろう。.

そうなると、ことはもっと複雑で困難なものになってしまう。リズムが個人的な身
体感覚に依存する以上、観客個々人のリズム感すべてに合うようなリズムを刻む映
画など不可能だからだ。実際、アルバレスの映画の上映中に席を立つ人はいた。そ
れが彼の映画の目まぐるしく変化するリズム感によるものなのか、あるいは実験精
神に富んだドキュメンタリー映画のためなのかは分らないが、少なくとも多くの観
客は彼のドキュメンタリー映画を「異色」と感じていたようだ。

もっともわれわれがリズム感を鍛えようと思っても、そう簡単にはいかないだろう。
なぜなら、リズム感覚はその人の生きかたそのものに由来するものでもあるからだ。
とはいえ、観客にとって、リズムはドキュメンタリー映画(劇映画も実験映画も同
じだ)を見る上での最初の出会いであり、そのリズムをどのくらいの幅で受容でき
るかどうかということは、映画体験を左右するひとつの大きな要素になっているに
ちがいない。 (つづく)


■村山 匡一郎(むらやま・きょういちろう)
肩書きは映画評論家や映画研究者などいろいろ。G・Wの連休はイメージフォーラム
・フェスティバルに通う日々が続いた。今年は審査員を頼まれたこともあって、ノ
ン・フィクションを含めて多様な表情の作品を楽しませてもらった。ドイツのドキ
ュメンタリー映画の鬼才ハルン・ファロッキの作品も久々に見ることができたが、
そのビデオによる新作も面白かった。



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┃02┃□ワールドワイドNOW ≪サンパウロ発≫
┃ ┃■移民と映画
┃ ┃■岡村 淳
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ブラジルに最初の日本人移民船が到着してから、今年で96年。もはや消滅も遠くな
いといわれるブラジルの日本人社会で最近、映画をめぐって珍しい盛り上がりが起
こった。「本国」日本でも話題になった映画『ラスト サムライ』の日本語字幕版
の上映が大ヒットしたのである。

かつて、移民たちの最大の娯楽は祖国日本の映画を見ることだった。第二次大戦前
から大戦後しばらくまで、当地ではシネマ屋と呼ばれる人たちが活躍していた。
シネマ屋は映写機と日本の無声映画のフィルムをトラックに積んで、奥地の日本人
移住地を巡業した。彼らは上映と共に自ら弁士もやってのけ、大変な人気を博して
いた。
戦後になって、トーキー映画やテレビの普及と共にシネマ屋は影を潜めていく。
いっぽう移民の多く集ったサンパウロの町には日本映画の常設館が開かれ、最盛期
には四館を数えた。週末には日本映画館のハシゴをした移民も少なくない。しかし
ビデオの普及と治安の悪化、そして移民の高齢化などによって1988年、最後の一館
も閉鎖するに至っている。近年、ブラジルで広く一般公開された日本映画は「千と
千尋の神隠し」ぐらいだが、特に日系社会の話題を呼ぶこともなかった。

今年始め、サンパウロの日本語新聞社が『ラスト サムライ』日本語字幕版の試写
会を開催するという報せを知った時、私はタカをくくっていた。自宅でNHKの国際放
送の見られる時代に、ハリウッド製のサムライ映画など見に出かける奇特な老人は、
そうはいないだろうと…。しかしフタを開けてビックリ、入場券を配る新聞社に、
さばき切れないほどの人々が殺到したというのである。

これを受けてサンパウロ市内のシネコンの一館で、一日一回、午後四時二十分から
『ラスト サムライ』日本語字幕版が上映されることになった。これがまた意外な
大ヒット。私もどんなものかと出かけてみたが、平日火曜日の午後四時にチケット
売り場に到着すると、座席数約二百の映画館はすでに立見席も売り切れ。周囲には
あぶれた日系のお年寄りがごった返して異様なムードである。

ぜひ日本語字幕版を、と地方から長距離バスで駆けつけた人もいれば、映画なんて
何十年ぶり、という人もいる。衰退一筋だった日系社会が映画を通して妖しく燃え
上がったのだ。.
ちなみにブラジルで最も話題を呼び、動員数も空前だった日本語映画は大島渚監督
の『愛のコリーダ』(製作国はフランス)。日系社会で異常なまでの大ヒットとなっ
たのは新東宝の「明治天皇と日露大戦争」。「ラスト サムライ」と合わせて、移
民はつくづく明治天皇がお好きのようである。

さて「ラスト サムライ」ブームは日本語新聞の社説から投書欄までをしばらく賑
わせた。社説のタイトルに「我々も最後の『侍』に日本語普及に情熱をかけて」、
移民女性の投書で「…私は日本人でよかったなあと長いブラジル生活の中でホッと
するような映画でした。」といった具合である。

なぜこれほどまでにブラジル日系社会でこの映画が受けたのだろうか? 日本では
アメリカ人の描く虚像としての過去の日本の姿を見て、先の移民女性のように「日
本人でよかったなあ」と思った人がどれだけいたことだろうか。人類学者・前山隆
の名言「日本人が日本でうどんを食べると、それは食欲の問題であるのに、日本人
がブラジルでうどんを食べると、それは郷愁の問題である」を思い出す。.

ブラジル生まれの自分の子・孫たちは日本人の顔をしていても身振りから考え方ま
で「ガイジン」化してしまっているが、自分はブラジル人社会に同化はできない。
いっぽう新聞やテレビで伝えられる今どきの日本にはとてもついていけない…。移
民たちは、長篠の戦から三百年近く経っても鎧兜と槍刀で闘う勝元の軍勢のアナク
ロニズムに、行き所のない自分たちの姿をオーバーラップしてしまうのだろう。

余談ながらこの映画の憎まれ役・オオムラを見ていて、誰かそっくりな人がいたな、
と思い、ようやく思い出した。我らがブラジル日系社会のさる「名士」氏である。
その名士が自分の権威付けに、天皇まで持ち出すところもそっくりである。最後に
オオムラが明治天皇から放逐されるシーンで溜飲を下げた移民は、私だけではある
まい。

最後にブラジルの映画人による「ラスト サムライ」評をひとつ紹介しよう。女性
映画監督、スザナ・アマラルの寸評である。「McSamurai」。


■岡村 淳(おかむら・じゅん)
1958年東京生まれ。早稲田大学第一文学部卒。日本映像記録センターに入社、『す
ばらしい世界旅行』(日本テレビ)などの番組ディレクターを担当。1987年、フリー
となりブラジルに移住。以降、NHK、MXテレビ、朝日ニュースターなどで作品を放送。
ブラジルの社会・環境問題、日本人移民の記録をテーマとして、近年は自主制作で
ビデオ・ドキュメンタリーを発表中。



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┃03┃□ドキュメンタリー時評
┃ ┃■ドキュメンタリーを思考するドキュメンタリー ―佐藤真『阿賀の記憶』
┃ ┃■水原 文人
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気が付けば、『阿賀に生きる』がもう10年前の映画になっていた。この映画で監督
デビューした佐藤真も、映画の技術をまったく知らず一緒に学んで行くことから始
めたという小林茂キャメラマンはじめスタッフも、そして『阿賀に生きる』が愛お
しく、丹念にその生活を写し取っていた阿賀野川の人々も、10年歳をとったという
ことか。
そしてこの映画が誠実に伝えていた対象となる人々の生活、ちょっとした仕種、表
情に心豊かにされていた観客の自分も、10年歳をとっている。

映画とは不思議なものだ。むろん「昔見た、懐かしい」と思わせる映画だってなく
はないのだが、何年前の映画だろうが今見ている時点では現在の体験だし、それど
ころか、実は10年前に見たっきりであっても、10年前に学生だった自分の記憶は懐
かしい過去であり、学生バイトで山形映画祭を手伝っていて出会った佐藤さんだっ
て「あの頃は藤原君もまだ子どもだったね」と思っているかも知れないのに、その
頃見たはずの映画のことは決して同レベルの過去としては認識していないのだから。

佐藤真が10年前のデビュー作の「記憶」を新作にしたことに、「もうノスタルジー
か」と先入観を持つ人もいるだろう。我々が観客として映画のなかに見て愛した人
々や風景の10年後を「どう変わったのか、元気なのかな?」と期待する観客もいる
に違いない。だが『阿賀の記憶』はそうした先入観にも期待にも、鮮やかに肩透か
しを食らわせる。

阿賀野川の風景は驚くほど変わっていない。亡くなった人もいるだろうけど、我々
が映画で見る人々も、その生活もあまり変わっていない。少なくとも変わったよう
には見えないし、また映画自体が「変わった」という印象を与えないように作られ
ている。しかしまるで変わったこと、『阿賀の記憶』が『阿賀に生きる』の続編に
はまったくなっていないその理由は、佐藤真がまるで変わったことなのだ。.

山形映画祭で優秀賞をとったとき、『阿賀の記憶』は各国から来た衝撃的な内容や
個性的なスタイルが並んだコンペのなかで、むしろ地味な映画だった。当時聞いて
いたのは、小川プロの方法論に学んで現地に住み着いて生活することからはじめた
ということ。我々が見たのは対象となるコミュニティに入り込み、同一化すること
から、丁寧に、一過性で撮影に来たのだったら撮れなかっただろうと思わせるデリ
ケートな世界を提示する映画。対象と親密になり、その対象に誠実に、忠実に撮っ
た作品だった−−単純にそうだと、僕は思っていた。.

ほとんど真っ暗闇の夜道に見える光景を、キャメラがゆっくりと前進移動していく
と、実は木々に囲まれて暗かっただけだと分かり、その木々が途切れるとまばゆい
日光に画面がほとんど真っ白に飛ぶ。人間の目は周囲の明るさに合わせて調節が効
くが、キャメラは絞りを変えて露出を補正しなければ現実の光の変化には対応でき
ない。つまり、我々はドキュメンタリー=現実を撮った映画、つまりドキュメンタ
リーを見ることは自分の目で現実を見ることに限り無く近いと思い込んでいるかも
知れないが、キャメラは人間の目とは違うし、映画で我々が見るのはフィルムに定
着されたものでしかない。そのドキュメンタリーについての批評的思考を、『阿賀
の記憶』はファーストショットで突き付ける。

野外上映に設置された、まだなにも写っていないスクリーンにタイトルが現れる。
『阿賀に生きる』の10年前の映像は、主にこのスクリーン上の画として引用される。
このタイトルの出し方は、あたかもこの映画が対象とする「阿賀の記憶」とは映画
『阿賀に生きる』そのものでしかないのだ、と言わんばかりだ。

スクリーンには10年前のインタビューされた人々が、小川プロ方式に方言のままの
字幕つきで写しだされる。一方今回、佐藤はインタビューの声を決して当人の顔を
写しながら聞かせはしないし、字幕もないからこの方言を知らないと台詞は必ずし
もよく分からない。すでにこの対比が、「対象と親密になり、その対象に誠実に、
忠実に撮った作品」としての『阿賀に生きる』のイメージに疑問を突き付ける。我
々が出会ったつもりでいた人々は、あくまで映画という仕掛けによって会ったよう
な気になっていただけなのではないか?

『阿賀に生きる』が文字どおりそこに生きる人々を見せる映画だったとしたら、
『阿賀の記憶』はわざと人々を見せない。「10年後の再会」の期待にこの映画はあ
えて応えようとしない。むしろ映画になった瞬間から、その人々は映画のなかの人
物であり、我々が映画で出会った彼らは映画のなかにしかいないのだ、と宣告して
いるかのようだ。

ゆっくりと、じっくりとしたキャメラワークが、どこか機械的な冷徹さを持って家
のディテールや、風景を見せる。10年前に技術よりも人々に近付いて見ようとする
愛情や熱意によって動かされていたかのようなキャメラとは対照的だ。その土地に
住みその人々を愛する主観性により“自然さ”をかもし出していたのが10年前のキ
ャメラだとしたら、10年後のキャメラは、キャメラがキャメラであることの物理性
と、キャメラマンの主観が切り取ったものしか画にならないことに自覚的だ。

後半に入ると、ドキュメンタリーのキャメラという物体の特性について、その限界
について、キャメラが実は嘘つきでさえあることに、映画がいっそう自覚的になっ
ていく。小林茂キャメラマンがファインダーを覗きながら光にこだわった仕掛けを
指示しているところが写り、ついでそのキャメラが撮っている映像が編集される。
前半で登場した囲炉裏に置かれた古ぼけたブリキのストーブとその上のヤカンが繰
り返し登場したところで、前半で聞こえた声が別に編集で別の声をのせたのでなく、
その場でキャメラの視野外で語られていた言葉であるらしいこと、さらに映画を撮
る側が対象を“だまして”いることさえ露呈される。いかにドキュメンタリーの撮
った「現実」が作り手の操作したものであるかを、佐藤はあえてドキュメンタリー
のなかで突き付けるのだ。

『阿賀の記憶』は10年前の『阿賀に生きる』を撮った記憶についての映画ではない。
『阿賀に生きる』こそが記憶そのものであり、この映画はその記憶についての映画、
つまり自らの過去のドキュメンタリーをドキュメンタリーの手段によって検証し、
解体していく作業であり、ドキュメンタリー映画によるドキュメンタリー論、映画
作家が自らの表現手段である映画を使って自らを自己検証している映画なのだ。

こうしたドキュメンタリーは、日本では稀だ。原一男の『全身小説家』が実はドキ
ュメンタリー作りをドキュメンタリーによって検証した映画だったとは言えるのだ
が、しかし原自身がそうした評価を受けたのはアメリカのニューヨークであり、そ
れが嬉しかったと述回していた。原は元々、べつに井上光晴のガン闘病を撮りたか
ったわけではないのだし(註)。逆に言えば、日本のドキュメンタリー界において
は一般的に作り手も批評家も観客もドキュメンタリー=現実という観念についてか
なり保守的で、ドキュメンタリーというメディア故の特性や限界についていささか
無自覚だったのかも知れない。.

無論、ドキュメンタリーというと撮った題材や対象の話題性がなによりも興行に結
びつくことは別に日本に限ったことではないわけで、ガン闘病を撮ったことで『全
身小説家』が成功したのとは対照的に、『阿賀の記憶』は興行的に決して楽勝でき
る映画ではないだろう。「文化映画には無視されるだろうし」とか「僕は隙間産業
だから」と佐藤真自身が冗談半分に自嘲するほどだ。だがそういえば佐藤真が映画
美学校で教えていたときにはドキュメンタリーのメディアリテラシー的な分析をや
っていたと聞く。そうした思考を、学校の授業や論文でやるのではなく、映画それ
自体で映画を論じたこの新作は、佐藤真の作品のなかでもっとも刺激的だ。

また『阿賀の記憶』を見ると『阿賀に生きる』を久々に見直したくなる。この新作
で佐藤真が提示した視点を通してみると、その第一作がまったく違ったものに見え
るのではないか? いや、絶対に違って見えるはずだ。

註:『全身小説家』についての原一男監督自身の考えは、6月CSのSo-netチャンネル
で放映の拙作『ゆきゆきて、ゆきゆきて…原一男』で本人が語っています。


■水原 文人(みずはら・ふみと、藤原敏史)
映画批評/ドキュメンタリー作家。ちょうどこの号が出る日とその翌日(5月15日と
16日)に、neoneo坐の最初の上映プログラムのなかで、僕の最初の長篇二本(『イ
ンディペンデンス』と『土本典昭 ニューヨークの旅』)が上映されます。質疑応
答や交流会もあるというのが、ちょっと恐い。




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┃04┃□ドキュメンタルな人々 続・幻のフィルムを求めて(5)
┃ ┃■芦屋小雁と佐藤重臣
┃ ┃■安井 喜雄
┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

福岡市総合図書館で「映画発掘〜フィルム・アーカイブの仕事」というシンポジウ
ムがあって、SF怪奇映画のコレクターとして知られる芦屋小雁氏とともに馳せ参じ
た。小雁さんはNHKのテレビ試験放送にも出演し、朝日放送の「番頭はんと丁稚ど
ん」で一躍人気を集めた役者さんだが、自分の出演したテレビ草創期の作品が残っ
ていないことを嘆いておられた。テレビにビデオテープが登場するまではキネコ
(kinescope recording)という生放送のブラウン管を16mmフィルムで撮影したフィ
ルムを他局に搬送していたので、残念ながら制作局には残っていないが、そのフィ
ルムがどこかに残っているはずだと言っておられた。

ロビーには彼の所蔵になる紙フィルムとその映写機が展示されていた。小雁さんの
調査によると紙フィルムは昭和8年から3年間製造されたという。印刷所を探した結
果、現在の大日本印刷の前身が印刷を担当したらしい。大日本印刷から紙フィルム
印刷に関する膨大な資料も貰ったという。私の知る限り、紙フィルムには「レフ
シー」と「カテイトーキー」の2種があって、その書き落とし穴は9.5mmフィルムと
同様に画面と画面の間にあって、「レフシー」は1穴、「カテイトーキー」は2穴と
なっている。内容はアニメーションとニュースが多い。

アニメーションはカラー印刷のため、劇場では見ることができないカラー映像を自
宅で楽しむことができた。ただし、フィルムのように透過光ではなく、反射光を利
用するため光量が極端に低い。暗いので大きな画面には映写できない。数年前、紙
フィルムを16mmボレックスで1コマづつ接写した奇特な人からそのプリントの寄贈を
受けたので、参考用に持参して一部を映写した。大画面に映写すると印刷の精度が
正確でなく、フィルムほどのレジストレーションがとれていなかったり、輪郭線と
着色部の色ずれがあったりで、その手作業的なラフさ加減が逆に面白かった。

70年代、小雁さんは旧・梅田コマ劇場(現在のHEP)によく出演しておられ、出番の
間によく私たちを訪ねて来られた。当時は市販ビデオソフトもなく、珍しい映画を
見るにはフィルムを購入するしかなかった。多数の16mm、8mmフィルムと若干の35mm
フィルムを収集されていたので、早速「芦屋小雁の映画おもちゃ箱」という上映会
を設定した。所有のフィルムを彼自身の解説付きで上映する試みであった。上映当
日、会場に行って驚いた。なぜか「映画評論」の編集長、佐藤重臣さんが来ておら
れたのである。私は初対面だったので緊張した。小雁さんと重臣さんは一緒に吸血
鬼芝居をした関係で、その日は小雁さんの応援に来られたそうである。お陰でその
日の上映会は豪華ゲストの上映会となった。

以降、佐藤重臣さんともお付き合いできることになり、「映画評論」休刊前後から
力を入れられた「黙壺子フィルムアーカイブ」の活況を同時代に見ることになった。
「巨匠たちの夜明け」「フリークス+ピンクフラミンゴ」など、重臣さんの企画し
た番組の大阪上映を行うことになった。その映画会の際、新婚ほやほやの奥様を連
れて来られたり、次には誕生した可愛い女児を連れて大阪まで来られていた。大阪
写真専門学校(現・ビジュアルアーツ専門学校大阪)の講師も担当され、日本一の
フィルム・コレクターといっても過言でない杉本五郎さんと同行されることもしば
しばあった。.

ある日、重臣さんを新宿の上映会場に訪ねてみると、受付を重臣さん自身が、映写
を安岡卓治さんがやっておられて驚いた。上映後、かの有名なゴールデン街を案内
してもらった。どこの店か忘れたが、片隅に布川徹郎夫人だった女優の中島葵さん
が座っておられた。鈴木清順監督の奥方のやっておられた店に立ち寄り、鈴木監督
が毎日迎えに来られると聞いて、それまで待った。

銀座に新事務所をオープンされ「景気ええなあ」と思っていたが、次第に「FILM 
FOR SALE  早勝ち!」のハガキが来ることが多くなった。フィルムを放出して次の
フィルム購入の費用に充てると聞いた。お金のない時に限ってこのハガキが来るの
で困った。致し方なく、安価なものから順に購入していった。高価なものは見送っ
たので、おそらく杉本五郎や早稲田にあったアクト、松本俊夫が教える京都造形芸
術大学などが購入したのではないだろうか。奥様を早く失われて一人で子育てを行
われていたが、重臣さんも突然お亡くなりになり、安岡さんが奔走して事後処理が
行われた。

残った実験映画のフィルムは重臣さんのお兄さんが受け継いだが、新宿で上映会の
会場を提供されていたアールコリン事務所の岩崎直人さんが購入され、今も荻窪の
自前の会場で上映会を続けておられる。安岡さんの配慮で遺品の内の紙資料(直筆
原稿、掲載紙ファイル、各種チラシ、アメリカのコレクター向け新聞など)が私の
元に送られてきたので今も大切に保管している。重臣さんの業績は後々まで語り継
がれてしかるべきであろう。.

福岡でのシンポジウムのあと、夕食の席でも佐藤重臣の話題となり、彼のような評
論家がいなくなったのが映画評論誌の貧困の一因との声も聞こえた。重臣さんの他
に、芦屋小雁さんと付き合いの深かったコレクターとしては、ミュージカル映画の
芦屋雁之助、アニメフィルムの手塚治虫などが記憶されるが、フィルム集めに熱中
した人々が次第に少なくなって寂しくなった。(つづく)


■安井 喜雄(やすい・よしお)
布川徹郎が、ルナパークミラージュ『火hiyottoko男』、水族館劇場『虹の都』ほか、
野戦の月《台湾興業》を連作したいというので、プロデュースをすることになった。
そのシリーズ第1弾として、今や伝説となった曲馬館のドキュメンタリー『風ッ喰ら
い 時逆しま』をビデオにしてリリースすることにした。興味のある方は当方のURL
へ。 http://u-go.to/planet1 



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┃05┃□随時連載『映画は生きものの仕事である』(6)
┃ ┃■アフガニスタンとEメ−ルが出来た!
┃ ┃■土本 典昭(シネ・アソシエ)
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今、Eメールのやりとりの為、英文の出来る方を探している。多分、一週間に一、二
度であろうし、文書量はA4半分以下。そしてその返信メールを訳して戴くこと。出
来れば基本的にボランティアとして協力して戴きたい。これが骨子である。

当方、インターネットはもっぱら連れ合いの基子に頼ってきた。私はワープロで仕
事をしている。私がワープロで書くと、基子がMS-DOS変換して、neoneoやメールに
添付して送る。この方法なら日本語の場合は全く問題はない、これなら二人で出来
た。だが、この所、アフガニスタンとの通信が始まり、英語でやり取りする必要に
迫られている。その都度、ひとのお世話になる。一人は協力者が出来たが、主婦で
子育ての最中のため、急場の場合、相手の都合で間に合わないことがある。で、も
う一人の方に応援をお願いしたい。
ついてはその中身の事情をお話させて戴き、お力をお借りしたい。

この二年余、私はアフガニスタンで1980年代に製作した記録映画『よみがえれカ
レーズ』の未使用、未発表のフィルムを再点検して、昨年半ば、『もうひとつのア
フガニスタン−カーブル日記/1985年』(42分)と『在りし日のカーブル博物館/
1988年』(32分)として、日本語に並行して英語版を同時発表した。普通は英語版
は後で作るものだが、アフガニスタンの人に一日も早く進呈したいという意図から
同時制作したものだ。

これには在日のアメリカ人映画作家で『チョムスキー9.11』などで知られるジャン
・ユンカーマン氏にスタッフに加わってもらった。シグロのプロデュサー山上徹二
郎氏の人選の成功である。私家版というささやかな映画には格段の贅沢であったが、
アフガニスタンでは『在りし日のカーブル博物館』の試写の際、多くの関係者から
「洗練されたナレーション」と好評を博したそうだし、昨年暮れにはニューヨーク
の近代美術館・MOMAでの上記二作の公開を皮切りに、アメリカ各地の非商業映画ネ
ットワークでの上映が進んでいる。

肝心のアフガニスタンではこれが糸口になって、この作品の片方『在りし日のカー
ブル博物館』の現地語(ダリ語、パシュトゥーン語)版制作が進みだした。
これには NGOの日本ユネスコ連盟協会が待ち兼ねたように即座に取り組んだ。昨年
六月、完成の数日後に、壊されたカーブル博物館の一角で復旧のための政府・文化
情報省&ユネスコの写真展が開催されるというが報がもたらされ、それにこのビデ
オは格好のデモンストレーションになると、われわれ一同、色めきたった。SMサー
ビスの小嶋義孝さんは一晩でパル方式の VHSを作り、郵送では間に合わないので連
盟の知人がカーブルに届けた。カーブル博物館の所蔵文化財の七割が失われており、
このイベントに“在りし日のカーブル博物館”を想起させるものがなかっただけに、
このビデオの登場は関係者を驚喜させたという。

記録された芸術写真はあっても、博物館の全容を伝える記録映画、つまり映画フィ
ルムはこれしかない、その認識はあの国の人たちに共有されはしたが、いざ現地語
版制作となると、その具体的な道筋はその時にはまだ見えなかった。映画のプロが
参加していなかったからだ。その時、私には一人の人物しか思い付かなかった。あ
とで述べるが、『よみがえれカレーズ』の共同監督ラティフ・アフマディ氏だけで
あった。だが、音信不通の十数年の歳月があるのだ。

映画同人シネ・アソシエとは会社でも製作委員会でもない。私の仕事に参加する集
団のことである。ここで組む相手は企業や日本政府筋の文化庁でもなかろう。でき
ればキャリアのある国際文化交流のNGOが良い、と目算を立てた。幸い、アフガン・
スタッフの外山透氏が会員の日本ユネスコ連盟協会に同氏を介して接触していたの
だ。

ユネスコの民間組織「日本ユネスコ連盟協会(以下連盟)」はアフガンでの識字教
育のための“草の根”的な組織作り、いわゆる“寺子屋運動”の普及活動がアフガ
ニスタンに定着し始めていた。その矢先だけに、私の望んでいた“現地語版を作っ
てアフガニスタンの文化・教育の資産にしたい”という意図には積極的だった。資
金力の乏しいシネ・アソシエとあまり差の無い連盟は早速手を回して、パリの国連
の「UNESCO/ユネスコ」の松浦晃一郎事務局長から制作実費1万ドルの供与の内諾を
取り付けた。話はいやが應にも盛り上がったが、ハタと困った。相手国アフガンに
キーマンが見当たらないのだ。

どっちの国で具体的に制作するか、そのアフガン側のスタッフは誰が担当してくれ
るのかだ。世界を視野に活動しているとはいえ、日本ユネスコ連盟協会本部はわず
か常任七名という。しかも文化関係に強いとはいえ、映画、ビデオの技術的なこと
には素人である。かといって私もそのややこしい事は分からない。「取りあえず現
地カーブルに行って見たら」と思うが、私は海外旅行には医師から“ひとりではな
く”と妻の付き添いを指示されているし、通訳の同行ともなれば、その三人の旅費
だけで百万円余の予算は飛ぶ計算になる。これが駄目ならアフガンで信頼出来る映
画のプロと組む以外にない。.

実は、ラティフ氏は今の暫定政権、いわゆるムジャヒディン政治勢力に放逐された
人民民主党政権の映画の第一人者だった。東京での『よみがえれカレーズ』の完成
披露試写会(於マリオン)では、「私は社会主義リアリズムの映画哲学を学んだ」
と語ったことがある筋金入りのコミニスト作家でもあった。その後、ウズベク大使
館の文化担当に転じたという消息は聞いたが、1992年の政変以後はその去就は全く
分からなかった。

私は彼の尽力でカーブル博物館の撮影許可が降りたことを恩に着ている。王制、共
和国、時代でも西側の映画人にもソ連にも映画フィルムによる撮影は許可されたこ
とのない秘宝であっただけに、その撮影は彼のウルトラC的な政府との折衝なしには
実現不可能なことだった。また仮に許可されても莫大な協力費を要求されたかもし
れない。しかし、彼は「この際、記録しなければ…」という勘とも言うべき判断が
あったのであろう。それだけに、私はこのビデオを彼とアフガニスタンを重ねて、
当時の“合作”の持続行為と位置づけ、シグロにも日本ユネスコ連盟協会にも、そ
して元のアフガン・スタッフにも念を押しながらやってきた。その経緯からも“ラ
ティフ捜し”はあらゆる機会に努めた。ある時は中東映画祭(?)のカタログにそ
の名を見つけて喜んだが、同姓異名の別人だった。連盟にもしつこく頼んでいたの
はいうまでもない。

今年(2004年)になって共同監督の熊谷博子さんから「あの映画『アフガン零年』
の披露パーティで遭ったアフガン・フィルムのスタッフの青年から、“ラティフ氏
は古巣にカンバックした”と聞いた」と知らせてきた。半信半疑だったが、この映
画のセディク・バルマクはラティフ監督の助監督から映画入りした(アップリング
配給用資料)と知った。後の動きは早かった。
今のアフガニスタン政府は国外に“流出”した学識者、芸術家の祖国復帰に努力し
ていると聞いていたが、やはりアフガン映画、「アフガン・フィルム」に必要不可
欠な人材として迎えられたのであろう。これは単純な朗報に止どまらず、私には
「アフガニスタンは10年、20年単位で見て欲しい」と言ったある長老の言葉を噛み
しめさせるものであった。

話は一足飛びになるが、彼とはアフガン・フィルムの事務所のEメールで即時連絡が
取れるようになった。映画・ビデオの技術部門が内戦とタリバンの文化抑圧政策で
どう衰弱し破壊されているか、それを悪い方に悪い方に想像していた私は、彼から
のEメールで安心した。瞬時にカーブルの彼と交信できるとは!
だが、英語が出来ない私は連盟を通じてやり取りするほかない。それでも全て用は
足りたが、私信までは遠慮している。

こうして懸案の『在りし日のカーブル博物館・1988年』はDVCAMを送ることで、解決
した。最初の思案では「在日のアフガン人で翻訳し、おなじく在日のNHKなどで働く
人でナレーションをしなければ…」とか、「やはり私費を工面しても私がカーブル
に行き、アフガンTVのプロを頼んで翻訳・編集して、キャリアのあるアナウンサー
にナレーションを…」などと迷いに迷ったが、二月以降は一気呵成に進んだ。連盟
のスタッフも直接ラティフ氏と会い、会議を重ねて、最良のアフガニスタン版を作
ろうとしている。

彼からの初めてのメールは短いが感動的なものだった。
「長岡氏(連盟)より監督のことをお伺い、たいへん嬉しく思っています。
第一に監督のご健康を祈念しています。お会いしてから十数年後に、こうして再び
連絡を取りあえることを、たいへん喜んでいます。再びお会いできれば幸いです。
健康が許し、カーブルでお会いできたらどんなに素晴らしいことでしょう。もし
カーブルにいらっしゃれない場合でも、私のほうで喜んで監督のプロジェクトをす
ぐにでも仕上げる用意がありますことをお知りおきください。あなたの判断をお待
ちします」( 3月 8日pm8:46)

以来、二ヶ月経った。すでに送った DVCOM、ミニDVで二民族語のダビング作業がア
フガンTVも交えて進行している。 5月末の完成を目指している。
完成後は「アフガン版はTVで常時、機会を作って放映する。カーブル博物館では常
設のTVブースで反復放映」「コピーして学校、大学、社会施設、教育関係で活用す
る」とのことだ。制作の実態として“合作ビデオ”となり得た。

年を取ったせいか、気がせく。十数年前のカーブル博物館の撮影の時、頼まれた絵
葉書は本の形にして去年8月に、英語・日本語の併記で『アフガニスタンの秘宝たち
−カーブル博物館/1988年』(石風社刊)として出版し、すでにいろいろな人脈を
通じて、アフガニスタンの政府機関、要路の方、あるいは考古学者系統に送り届け
たが、応答は無かった。そこで連盟からと、友人の助けを借りた“私信”の両建て
でメ−ルを送り、石風社からは五冊、カーブルのアフガン・フィルム、ラティフ氏
あてに直送してもらった。

二日後、ニューヨークでのトライベッカ映画祭に出席中というラティフ氏からメー
ルが返ってきた。“大変”ということばが多いが−。
「あなたからのEメール、ありがとうございました。私、カーブルに居りませんでし
たので、返事が遅れ、大変申し訳ありませんでした。…あなたがおっしゃった本の
(アフガンでの)出版の件、大変、素晴らしいと思います。私も大変、気に入りま
した。是非とも私の出来る限り、このプロジェクトを進めたいと思います。…カー
ブルに戻り次第、必ず私たちはこのプロジェクトを始められるでしょう。いつでも
Eメールをお送りください」( 4月30日pm3,26)

申し忘れるところでしたが、今後、私信を気ままに送りたく、どなたかお助け下さ
い。連絡先は、 doro@carrot.ocn.ne.jp  土本宛にお願いします。
                            (つづく)04.5.12



┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃06┃□広場
┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

□投稿:『Cuba/Okinawa サルサとチャンプルー』(3)
■描こうとするものが見えてきた         
■波多野 哲朗

●キューバの日系移民が辿った運命

第2次大戦が勃発すると、キューバ在住の日本人成人男子は、一人残らずフヴェント
ウ島の牢獄に収容された。1898年の米西戦争以来、キューバはスペインの植民地か
らの独立は果たしたものの、実質的にはアメリカの完全な支配下におかれていた。
したがって第2次大戦中、キューバ政府はアメリカとの関係から否応なく日本を敵性
国に位置付ける。元来日本人が嫌いではなかったキューバ人は、アメリカでのよう
に婦女子まで収容することはなかったが、それでもこの措置は日系移民とその家族
に決定的な打撃を与えた。

男手を奪われた妻子たちは、その間どん底の生活を強いられた。そして戦争が終っ
て男たちが収容所から出てみると、かれらが長年の努力によってやっと手にした財
産の多くは略奪され、田畑は他人のものになっていた。こうした悲惨な運命を辿っ
た移民1世たちは、戦後、その一部が無一文で辛うじて故国にたどり着いたものの、
大部分は他国へと離散したり、あるいはキューバにとどまって、故国に想いを馳せ
つつ死んでいったのである。フヴェントウ島に残るその牢獄跡は、いまなおその残
酷な歴史を物語っているようだ。

いまこの島は Isla de la Juventud 「青年の島」と名づけられているが、1959年の
革命まではずっと Isla de Pinos 「松島」と呼ばれていた。そしてこの島の名が、
帰れぬ故国に想いを馳せ続けた1世たちのせめてもの慰めであったと聞かされて、私
たちは思わず涙する。ヘロナの町の一角には、この島で死んでいった多くの移民一
世の墓地があるが、小さくて粗末な墓ばかりだ。ほとんどが1920年代から30年代に
かけて渡ってきた人たちであるキューバの日系移民1世たちは、戦後も続いたブラジ
ルなどの中南米諸国への移民たちとは違って、日系人のコミュニティを形成するこ
ともなく、年ごとにその数を減らしながらキューバ人の社会へと溶解していったの
であった。

だからかれらにとっての「故国」は、戦後日本の現実とは無関係に、かれらの心の
内部にただ想いとして宿るほかはなかったのだろう。現在のキューバを見るかぎり、
かつて大量の日本人移民が住んでいた国とは思えないほど、日本人の痕跡はきわめ
て希薄である。しかしこの離島では、キューバの他の土地ではけっして感知し得な
い亡霊たちの姿が見えるのだ。それはちょうど、日本においては沖縄だけが、いま
なおそこに漂う空気の中に歴史的な記憶をとどめている姿にどこか似ている。

●では、何を描こうとするのか

こうした歴史をみずからの体験として語る生き証人は、キューバにはもうほとんど
いない。現在生きている移民1世はわずかに4人で、病床に伏す人もある。しかしそ
のうちの2人がこの島でいまも健在である。95歳の島津三一郎さんと、89歳の宮澤か
おるさん。この2人は私たちの来訪を喜び、流暢な日本語で昔のことをいろいろ語っ
てくれたが、その話しぶりは対照的だった。島津さんは楽しかったことのみを話し、
宮沢さんは苦しかったことのみを話す。

私たちの映画は、この2人の歴史的な証言を記録することになるだろう。ただ私たち
は、こうやって日系移民とその家族たちの生活に限りなく接近し、かれらの想いに
耳を傾けながらも、そこに垣間見られる「日本人」の名残を見とどけようとしてい
るのではない。それでは、海外移民を追う多くのテレビ番組と同じように、結局は
ロマンティックなナショナリズムに行き着いてしまうに違いない。そうではなく、
いまなお生きながらえている移民1世たちが、かつてはどんなにか故国への想いに焦
がれたにしても、帰国が可能になったいまもなお、けっしてキューバを離れようと
はしていないという事実にもっと目を向けるべきなのだ。では、かれらがキューバ
での現在の生活に満足しているからなのかと言えば、そうではないだろう。それは、
かつて放棄せざるを得なかった帰国への願いの断念の深さが、すでにかれらの人生
そのものとなっているからに他ならない。かれらはながらく日本とキューバとの中
間点に立たされながら、その揺れる大地こそを唯一の「くに」として生きてきたの
だ。

私たちは多くの日系2世・3世との出会いのなかで、すぐにでも日本に行きたいと願
っている人たちとともに、日本にはほとんど関心を示さない人たちがいることを知
ることになった。むろん日本からの訪問者に対して好意的であるのは前者であり、
私たちはもっぱらその人たちのお世話になったのだが、かと言って、ともに人種的
には私たちと同じ風貌を持ちながら、片言の日本語も話さないこれら2種類の日系人
たちの間に差異を認めることはむずかしい。言い換えれば、ほとんどの日系人たち
は、この2つの極の間を揺れ動いている存在であった。私たちの映画はかずかずのイ
ンタビューを通して、このような日系人たちの揺れ動く心情を照らし出すことにな
るだろう。それにしても「日系人」とは何なのか。
映画の中心である上間一家に話をもどそう。私たちは4年前と同様、今回もこの島は
上間家とその知り合いの家々に逗留することになっている。だだし前回私たちを迎
えてくれた上間家の主人公上間清・照子夫妻は、すでにこの島にはいない。その理
由を語るには、いますこし沖縄についてのエピソードを書き加えねばならない。
(つづく)


■波多野 哲朗(はたの・てつろう)
映画研究家。研究でも実生活でも「crossing borders」が目標ないしテーマ。研究
ではこのところ20世紀芸術と映画との関係性(または無関係性)がテーマとなって
いる。実生活ではもっぱら世界の辺境域を旅し、6年前にはオートバイでユーラシア
大陸を横断。


     ◇────────────────────────◆◇◆    


●投稿コーナー「クチコミ200字評!」 第12回
提案者:清水浩之(ゆふいん文化・記録映画祭/いよいよ5月28日〜30日開催!)

「オススメの作品を200字以内の短評で紹介してください!」というコーナーです。
映画・ビデオ・テレビなど皆さんがノンフィクションだと思う作品だったらなんで
もOK!「知られざる傑作」を発掘したり、おなじみの名作の今までにない見方を指
摘したり…もちろん「オススメしない映画とその理由!」も歓迎です。

200字以内の本文とは別に「あなたのお名前(ペンネーム可)/掲載確認のご連絡先
(メールアドレスor電話)/題名/制作年/監督/見た場所」を付記して、清水ま
でお送りください。
(あなたのプロフィールや近況もご紹介いただけると有難いです)

清水浩之 → E-mail: shimizu@ad-ult.co.jp /ファクス:03-3703-0839

今回も私一人ですが、こうやって好き勝手にお店をやらせていただいております。
「投稿→即掲載!」という状況が続いておりますので、お待ちしております!


B-039 『われら生コン労働者』
2003年・日韓生コン労働者共同闘争委員会/演出:小林アツシ
見た場所:日本記録映画作家協会・研究会

ミキサー車「持ち込み制」による正社員「合理化」というカラクリと闘ってきた日
本の生コン労働者たちが、親会社の海外進出で韓国でも全く同じ闘争が起こってい
るのを知り共闘に向かう。あくまで労働者側の「主観」で作られているので当然客
観性は乏しいけど、グローバリゼーションによる『合理化の輸出』という、広告収
入も絡む「客観的な」報道体制では(あえて)見過ごしがちなことを率直に指摘し
ているのが面白かったですよ。
(清水浩之/東京/36歳/映像業界もほとんど「持ち込み制」ですが…)

B-040 『観音菩薩・母光』
1992年/監督:村上賢司
見た場所:映画美学校第一試写室「8ミリの美学・山崎幹夫VS村上賢司」

「クチコミ」第一回で『藤岡弘、探検隊』を「藤岡隊長の脳内ドキュメンタリー」
と見抜いてしまった村上さんならではの初期作。地元の高崎観音とお母さんを見事
な仕掛けで競演させるオールザッツ主観のインナートリップ系ノンフィクション。
丁寧極まるカット割り、執拗に墓石を舐める(しかもカメラじゃなくて舌ですか
ら)情熱の前には「ドキュメンタリーは客観性が第一」といった堅苦しいドグマも
木っ端微塵に吹っ飛ばされます。
(清水浩之/東京/36歳/8ミリ映画という「情熱」も眩しい!)

B-041 『ピース!〜ぼくたちの戦争と平和〜』
2004年・NHK名古屋/演出:若井俊一郎 作:田中博之
放映日:2004年4月19日・NHK教育テレビ「中学生日記」

中学生自身が演じる『中学生日記』史上でも希有な?メタフィクション。進路希望
に「自衛隊」と書く石塚くん。その頃学校ではカツアゲが横行し、三年生は”セル
フ・ディフェンス”を合言葉に「J隊」を結成し紛争勃発!戦没者の墓石を前に女
の子と交わす台詞「戦争なんて石しか残らないんだよ」「遺志が残ったじゃない
か」が泣かせます。番組の最後「石塚くんは現実に陸上自衛隊少年工科学校に入学
した」と伝えるオチにはびっくり!
(清水浩之/中二の頃「戦争に行きたい」と言ってた渡辺くんお元気ですか)

B-042 『大虐殺』
1960年・新東宝/監督:小森白 製作:大蔵貢
放映:CS放送・チャンネルNECO「4月特集・ようこそ新東宝の世界へ」

関東大震災直後の社会主義者および朝鮮人への弾圧を必要以上にドラマチックに再
現してみせる、世にも奇怪な『社会派』サスペンス。新東宝随一のピカロ・沼田曜
一が甘粕大尉役を憎々しく熱演し、見たことを後悔するくらいのインパクトを与え
ます。右寄り路線で有名な製作者・監督コンビがあくまでも「主義者」天知茂の視
点で語る物凄くアナーキーな世界観は一体全体どういうつもりなのか、最後まで気
にかかって見てしまいました。
(清水浩之/東京/36歳/5月の特集は石井輝男『地帯(ライン)』シリーズです)

B-043 『どこかの誰か』
2003年・東京造形大学/製作:川部良太+風澤勇介+藤野史
「イメージフォーラム・フェスティバル2004」一般公募部門入選作品

100個の新聞記事から「平均的」な場所と顔立ちを割り出し「平均的な日本人」を実
際に訪ねる労作。合成した「平均的な顔写真」を手に「平均的な現場」福井県で探
し歩いた情熱が報われ、取材者も『あっ!』と振り返るほど平均的な“田中さん”
(笑)に辿り着くという出来過ぎな展開へ。ここまでドンピシャな人物に巡り会えた
ら、彼の言葉や生活ぶりもことごとく「平均」に見えるというオイシイ状況をもっ
と活かしていいのかも。
(清水浩之/東京/36歳/でもそれじゃ『探偵ナイトスクープ』かな)

23日neoneo坐、29日湯布院にて上映予定の『プロジェクトY』がまだ完成していない
!という瀬戸際に追い込まれておりますが、きっとなんとかなるでしょう!
ではまた!


     ◇────────────────────────◆◇◆    


■上映

●ドキュメンタリー・フィルム・ライブラリー上映会(京都)
山形国際ドキュメンタリー映画祭2003セレクション
〜なぜ宗教は女性を「不浄」とするのか?〜

上映作品:『純粋なるもの』(イスラエル/2002/ヘブライ語、英語/カラー/ビデオ
/63分)監督:アナット・ズリア、映画祭'03 コンペティション市民賞・特別賞ダブ
ル受賞

監督インタビュー:〜男性中心社会にいる女性たちに共感してもらいたい〜

Q:どうしてこの作品を撮ろうと思ったのですか?
監督:私自身、この映画で描いている世界や伝統などの生活の一部であって、イン
サイダーなのです。中にいるひとりとして分かっているのは、この映画で扱ってい
る戒律について、誰も話さず、沈黙を守っているという事実です。だから、私がこ
の沈黙を破ってやろうと思いました。この作品は、ユダヤ人とはどういうものかと
いうことを描くのではなく、自分にとって身近なことや普段疑問に思っていること
を映画にしたかったのです。この世の中には、同じように女性が虐げられるような
状況があるのではないかと思います。なぜなら、やはり様々な文化や社会は、男性
を中心に作られているからです。先ほどインサイダーと言いましたが、中にいなが
らにして、女性の声を聞いてもらえない、反映されない社会の中では、女性はアウ
トサイダーとも言える立場であります。違う文化の社会でも、同じように男性中心
の社会にいる女性たちには、共感をもっていただけるのではないかと思います。

Q:水のイメージが印象に残ったのですが...。
監督:ユダヤの教えの中では、水というのは、湧き水や海の水など自然の水が良い
とされています。しかし、ミクヴェ(儀式用の浴槽)に入っている水は、自然の水で
はありません。家でお風呂に入っているのとどこが違うのでしょう? しかし疑問
に思いながらも、ミクヴェの掟に従うのは、やはり男性中心の社会になるように、
意図的にコントロールされているのだと思います。ミクヴェは不浄とされる女性を
悪者として閉じ込めて、浄めの儀式が終わるまで出さない牢獄のように感じられま
す。その嫌な感じを映像として表現しました。

Q:戒律を破る人はいないのでしょうか?
監督:映画の中にもあったように、もし戒律に従わない女性がいた場合、夫はその
女性と離婚することができます。しかし、夫がそれを受け入れて、戒律を破るとい
うことは多々あります。はっきりしたことは分かりませんが、この映画の制作を通
して、3分の1程度はいるのではないかと感じました。でも、破った人たちは罪悪感
に囚われています。すごくいい人達なのにそのような思いをするのはとても悲しい
ことです。
だから、戒律が変わってくれることを願っています。(山形映画祭デイリー・ニュー
スから)

上映日時:5月30日(土)13:00, 15:00, 19:00
料金:一般 1000円、ドフィル会員 700円
会場:『ひと・まち交流館 京都』2階 第1,2会議室
(京都市・河原町五条下る東側)TEL: 075-354-8711

☆主催・問い合わせ先:「ドキュメンタリー・フィルム・ライブラリー」
TEL&FAX:075-344-2371(又川) E-mail: dofil87@infoseek.jp 
URL: http://dofil87.hp.infoseek.co.jp/ 


●毎週日曜深夜は、日本映画専門チャンネル“ドキュメンタリー傑作選”

CSスカパー!&スカパー!2と全国のケーブルTVでお楽しみいただける日本映画専門
チャンネルでは、岩波映画の映像作家からCCDビデオカメラ世代の新映像作家まで、
時代と人間の真実を描いた秀作を特集し、ドキュメンタリーの魅力を検証します。
(放送日が毎週木曜から日曜に変更となりました。)

6月6日(日)よる11時30分
『インドの星 マザー・テレサとその世界』(1979年・カラー)CS・BS初、
監督:千葉茂樹

6月13日(日)よる11時30分
『曖昧な未来、黒沢清』(2002年・カラー)TV初、監督:藤井謙二郎 

6月20日(日)よる11時
『につつまれて』(1992年・カラー)CS・BS初、監督:河瀬直美 

6月27日(日)よる11時30分
『妻はフィリピーナ』(1993年・カラー)監督:寺田靖範

詳細は公式サイトからどうぞ!  http://www.nihon-eiga.com/documentary 



┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃07┃■編集後記 伏屋 博雄(ふせや・ひろお)
┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

●土本監督の『在りし日のカーブル博物館』を撮影したアフガニスタンで、現地語
版の作業が進んでいる。本誌の報告を読むと、実に多くの機関や人脈によって実現
されようとしているかが生き生きと伝わってくる。カーブル博物館の所蔵文化財の
大半が消失し、フィルムにしか記録されていないという、事の重大さに気づき、尽
力された結果である。かって制作した『よみがえれカレーズ』のアフガニスタンの
共同監督を探し出す記述はまるでスリルそのもの。その土本さんが、お互いの交信
のために、英語のできるボランティアを求めている。お心当たりの方は、ぜひご一
報を。.
 doro@carrot.ocn.ne.jp  土本宛
また、土本さんのサイト映画同人「シネ・アソシエ」は
 http://www2.ocn.ne.jp/~tutimoto/index.html 

●金井勝監督の『スーパードキュメンタリー前衛仙術』がオーバーハウゼン国際短
編映画祭(ドイツ)で国際批評家連盟賞を受賞した。快挙である。かわなかのぶひ
ろさんは、「ぼくとしては当然という思いがある。なぜならば世界広しといえども、
こんなへんてこりんな実験映画を創った作家はいないから。 日記であり、ファンタ
ジーであり、ドラマでもある。なかんずく年齢の問題を、見栄を張ることなく平然
と描いている」と言っている(「俺節 かわなかのぶひろ」
 http://muchan.net/diary/kawanak/ )。

本作品の制作意図は、「これは作者の金井勝が、自分の中に棲む別人・金井勝丸の
日常と妄想とをドキュメントしたものだが、若者たちへの、そして若かりし頃の自
分への挑戦状でもある」(金井さんのサイト「映像万華」
 http://www.hinocatv.ne.jp/~katsu/index.html より)。かねてから金井作品は私
の元気の源。最近、土本さんといい金井さんといい、60〜70代の方々の活躍を見る
につけ、叱咤激励を受けている。neoneo坐では金井作品を企画してみよう。

●本誌が配信される5月15日は、新しく立ち上げたneoneo坐の柿落としの日でもある。
構想から2ヶ月、準備期間としては短いが、それでも意気に感じ駆けつけて下さった
方々との話し合いや、会場となるスペースneoの佐々木夫妻の工事への努力を経て、
何とか形になったのではないか、と思う。今回ほど、皆の力を結集すれば何事かを
成す、と感じたことはない。各自の得手・不得手を克服することができるのだ。参
加者全員が本誌の読者であったことも、うれしい限りで、改めて御礼を申し上げた
い。

椅子席30という小さなスペースではあるが、「見たい映画」、「見せたい映画」を
可能にする空間として、neoneo坐を持続し、皆様の積極的参加を期待したい。
neoneo坐のサイトも設けたので、ぜひご覧ください。では、スペースneoで会いしま
しょう。
 http://www014.upp.so-net.ne.jp/kato_takanobu/neoneoza/index.html 



━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■発行:ビジュアルトラックス visualtrax@jcom.home.ne.jp
■責任編集 伏屋博雄
─────────────────────────────────────
★ご意見・ご感想はビジュアルトラックスまで
★いただいたメールには全て目を通しますが、必ずしも返信できるわけではありま
せん。また、いただいたメールをこのメールマガジンに掲載させていただくことが
ありますが、掲載不可の場合はその旨をお書き添えくださるよう、お願いいたしま
す。
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 melma!配信    http://www.melma.com/mag/39/m00098339/
※編集部では配信解除、メールアドレスの変更などは受け付けておりません。
お手数ですが、ご自身でお願い致します。
注)デザインが崩れて見える場合は等幅フォント(MSゴシック、Osaka等)でご覧く
ださい!
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