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■ 成田空港の税関で止められない方法
4ヶ月半に渡る旅を終えて、4月30日にネパールから日本に帰ってた。
久しぶりに日本に降り立った僕を待っていたのは、帰国を待ちわびるファンの列・・・ではもちろんなくて、成田空港の税関職員による執拗な荷物検査だった。
「どうも麻薬犬が反応したようですね」と税関の職員が僕に告げる。「ここで荷物を開けるのもなんですので、別室の方に来ていただいてもよろしいでしょうか?」
やれやれ、またか、と僕は思った。実は去年、関西空港に降りたときにも、同じように「別室へご案内」のVIP待遇を受けていたのである。
「最初に確認しておきたいんですが、このような日本への持ち込みが禁止されているものはお持ちではないですよね?」
職員はまず最初に日本に持ち込んではいけない物品のリストを見せる。そこには無修正のポルノ、ワシントン条約で保護されている動植物、偽ブランド品、マジックマッシュルーム、マリファナ、コカイン、LSDなどの麻薬が写真入りで載っている。
「いいえ、持っていませんよ」
僕は力なく首を振る。そんなものはなにひとつ持ってはいない。赤子のように潔白である。でも一度疑われてしまったら、徹底した荷物検査が終わるまで解放されない。それは去年の経験からわかっていたのだ。
案内された「別室」は殺風景だが明るい部屋である。よくある簡素なテーブルがひとつとパイプ椅子が二つ。
「それで、今回はどちらまで?」
税関職員は僕のパスポートを1ページずつ丁寧にめくりながら訊ねる。
「えーっと、インドネシア、東ティモール、タイ、スリランカ、フィリピン、ミャンマー、バングラデシュ、ネパールですね」
僕は旅のルートを思い出しながら答える。今回はずいぶんたくさんの国を回ったんだなぁと改めて思う。職員はそれが間違っていないかどうか、ちゃんとパスポートに押された入国スタンプをメモって確認していく。
「それにしても分厚いパスポートですねぇ」
と職員は感心したように言う。確かにやたら分厚くて重いパスポートである。一度ページが足りなくなって増補しているのだが、増えたページももうほとんど各国のビザやスタンプで埋まってしまっている。特に最近のビザはシール式になっているので、貼られるたびにどんどん厚みが増していくのだ。
「ええ、次に旅に出るときにはパスポートを新しくしなきゃいけません」と僕は言う。
一人の職員が僕のパスポートを調べているあいだ、もう一人の職員がバックパックとカメラバッグを調べていく。二人とも30代前半。ちょうど僕と同い年ぐらいだ。
荷物検査は徹底的である。衣類や電気製品、シャンプーなどはもちろんのこと、スニーカーの中敷きまで外して確認する。カトマンズの骨董屋で買った陶器製のランプ(羊のかたちでかわいい)もふたを外して中のにおいを嗅いでみる。
「こういう検査で麻薬なんかが見つかるものなんですか?」と僕は聞いてみる。
「ええ、それが我々の仕事ですからね。でも最近は隠し方が巧妙になったのか、なかなか見つからないですね。ネットとかで『こうすれば税関を抜けられる』っていう情報が出回っているらしくてね」
「でもそれを逆手に取れば、隠している場所がわかるんじゃないですか」
「それはそうですけど、結局はイタチごっこですよ」
パスポートのチェックが終わると、その職員はもうすることがないので、僕に旅のことをあれこれと訊ねてきた。僕も早く終わらせたいから、できるだけ和やかに話をした。イランでは麻薬の密輸は死刑になる重罪なので運ぶ方も命懸けなんだ、なんて話も披露した。幸いなことに(と言うべきだろう、やはり)日本では末端価格数億円なんていう大量の麻薬を運び込んでも、死刑になることはない。
「やっぱり怪しい人は態度に表れるものですか?」と僕は訊ねた。
「いや、そうとも限らないですね。ここに座った瞬間に手の震えが止まらなくなって、話にもならないっていう人もいますけど、どっしりと構えている人もいますからね。いろいろですよ」
それにしても、どうして僕だけが別室に案内されてしまうのだろうか?
原因は二つ考えられる。ひとつは僕がネパールから帰ってきたということである。確かにカトマンズの旅行者街であるタメルにはいかにも売人風の怪しげな男たちがいて、しょっちゅう「ハッパ? ガンジャ?」と声を掛けてくるのである。もちろんそういうものを買って楽しんでいる旅行者も多いだろうし、中には日本に持ち帰る旅人もいるのだろう。
ふたつ目は服装と荷物である。少し前に「人は見た目が9割」という本が話題になったが、税関職員だって怪しいか怪しくないかは見た目から判断しているわけだ。成田空港に降りる人のほとんどがスーツケース派である。身なりだってきちんとした旅行者っぽい格好をしている。バックパックを背負った人間なんてほとんどいない。僕のように何度も洗って色褪せてしまったシャツを着て、サンダルを履いてペタペタと歩いている人も見かけない。
でも誤解しないで欲しい。僕は別に髪の毛をドレッドにしたり、数珠やネックレスを何重にも首に巻き付けたり、腕にタトゥーを放り込んだり、無精髭を伸ばしたり、太もものあたりがだぶっと広がったズボンを履いているわけではない。いわゆる「インド帰り」の匂いをぷんぷん漂わせているヒッピー崩れの旅人ではないのである。僕は僕なりに「普通の旅人」でありたいと願い、そのような格好をしているつもりなのだ。でもたぶん、実際にはどこかズレているのだろう。
「何もにおいがするようなものはありませんでしたねぇ。どうして麻薬犬が反応したんだろうなぁ」
荷物検査が終わった職員は不思議そうに首を捻る。そんなことを僕に聞かれても困る。
「犬に好かれているんでしょうか。それとも嫌われているのかなぁ」
そう苦笑いするしかない。
しかし思い返してみると、今回の旅は「犬に嫌われた」旅であった。何しろミャンマーでは生まれてはじめて犬に噛まれてしまったのだ。
それはマンダレー郊外にある農村を歩いていたときのことだった。ほとんどのミャンマーの犬は日陰でぐーぐー昼寝をしているだけなので特に危険はないのだが、この犬は何を思ったか僕めがけて突進してきて、そのまま太ももの裏にがぶりと噛みついたのである。
僕はとっさに足を上げて犬の攻撃を避けようとしたのだが、二本の前歯がズボンを突き抜けて刺さってしまった。幸い傷は浅かったが、狂犬病のことは心配だった。でもそのあとの犬の様子を見てみると、ウィルスに感染して誰彼構わず噛みつくようになった「狂犬」ではなさそうだった。たぶん侵入者に驚いて、思わず噛みついてしまったのだろう。
突然の犬の行動に驚いたのは僕だけではなく、犬の飼い主も同じだった。彼らは棒を持って犬を追いかけ回し、鉄拳制裁を加えた。そして家の中から原料のよくわからない薬を持ってきて、太ももの傷口に塗ってくれた。ターメリックみたいな黄色の粉を油で溶いたものだった。おばさんは身振りで「これをつけときゃ大丈夫」というようなことを言ったが、僕は「はぁそうですか」と頷くしかなかった。
このことをミャンマー人の僧侶に話すと、彼は真面目な顔をしてこう言った。
「あなた犬の肉を食べたことがあるでしょう?」
「ええ、確かにベトナムやラオスで食べたことがあります」
「きっとそのせいですよ。あなたが犬に噛まれたのは。犬の肉を食べた人は、犬に憎まれるようになるんです。我々僧侶が守るべき戒律の中にも、『十種類の動物の肉は食べてはいけない』というのがあるんです。鶏や豚や牛はかまわない。けれど、人間の肉、犬の肉、蛇、ライオン、虎、象、レオパードなどは食べてはいけないのです」
因果応報という観点で見れば、納得できる話ではあった。しかしそれならばなぜ鶏につつかれたり、牛の角で突かれたりすることがないのか、という疑問が残る。
それに犬はともかくとして、「禁食リスト」に挙げられた他の動物は、食べようと思ってもなかなか食べられるものではない。虎? ライオン? レオパード? そんなの動物園にでも行かないと見られないじゃないか。
「確かに犬の肉は食べましたよ。でもそれから1年以上何もなかったんです。たくさんの犬とすれ違ったけど、噛んできたのはあの犬だけだったんですよ」
「いやいや、犬肉を食べたのがいけなかったんですよ」
そう確信を持って言われてしまうと、もはや返す言葉がなかった。それじゃあ、もうすでに犬肉を食べてしまった人間は、これからどうすればいいのだろう。常に犬に噛まれる危険と隣り合わせで生きていかなければいけないのか。それも困った話である。犬というのはどこの国にもいる。犬を避けて旅なんてできないのだ。
そんなわけで結論である。
「成田空港の税関で止められたくなければ、犬と仲良くし、犬の肉は食べないこと」
これが実際に役に立つかは、保証の限りではありませんが。

バザールで働く女が地べたに横になって仮眠を取っている。彼女の両脇には双子の子供が寝息を立てていた。

川に浮かんだ船を飛び込み台代わりにして遊ぶ子供たち。
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