|
 |
|
|
|
 |
|
 |
|
|
 |
僕は合計四日間バーミヤンに滞在したけれど、一日中青空が広がっていたのはわずか一日だけだった。それ以外の日には、晴天から一転して分厚い雲が空を覆ったり、土煙をもうもうと舞い上がらせるつむじ風が吹き荒れたりした。僕は普段コンタクトレンズを使っているので、この突風には特に閉口した。
「強烈な日差し」と「乾燥した空気」と「強い風」というバーミヤン三点セットは、言うまでもなく肌にとって大敵である。ただ日に焼けるだけではなく、頬や唇などの水分が奪われてかさかさに荒れてしまうのだ。日焼け止めとリップクリームは必ず携帯すること――もし「バーミヤンへの遠足のしおり」というものがあれば、第一項目に必ずそう書き記しておくところだけど、そんな情報を持たずに行った僕は、かなりひどい目に遭ったのだった。
アフガニスタンの女性がチャドルやブルカといった被り物で顔を隠すのも、男性が頭に長いターバンを巻き付けているのも、強い日差しと砂埃を避けるためなのだということを、僕はこの土地を歩き回ることによって初めて実感した。
|
 |
 |
 |
|
 |
|
|
|
イスラムという宗教が砂漠で生まれ、日差しが強く乾燥した国々で受け入れられていったことと、ムスリム女性が顔を隠して歩くことは、おそらく無関係ではないだろう。外部から見れば理不尽なようにも見える風習も、その土地に根ざした合理性があるのだと思う。
しかし、頭からつま先まで全身をすっぽりと覆ってしまうブルカは、アフガン人の間でも評判が良くなかった。特に英語を話すことができる進歩的な考えを持つ人の多くは、「ブルカは女性を縛りつける醜いものだ」と断言した。ブルカというものは、もともとイスラムの習慣などではなく、一地方の風俗に過ぎなかったのだが、それをタリバン政権が国民全員に強制したのだ、と彼らは主張した。とりわけタリバン政権によって迫害を受けていた少数民族のハザラ人やタジク人達にとって、ブルカが「抑圧のシンボル」であったのは確かなようだ。
今ではブルカを被るのも被らないのも、個人の裁量に任されている。地方によっても違うのだが、ブルカを被っている女性の割合は、だいたい半分弱というところだった。特に首都カブールでは「非ブルカ率」が高かった。ブルカを脱ぐ女性の数は、おそらく今後もっと増えるだろう。
それでも、バーミヤンの青空の下で見るブルカは、抑圧のシンボルであることを越えた美しさがあった。吹きつける強い風にたなびく青いブルカは、まるで大きく羽ばたく鳥のように見えた。三六〇度どこを見渡しても乾いた土の色しかない土地にあって、その鮮やかなスカイブルーは一瞬にして僕の網膜に焼き付いたまま、いつまでも離れなかった。
|
|
|
|