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イランは僕にとってヨーロッパの入り口でした。もちろん「本当の」ヨーロッパはトルコを越えてギリシャあたりから始まるわけですが、猥雑で混沌としていて熱気のあるアジアを何ヶ月も旅していた僕にとっては、イランの整然とした町並みや、整った交通網や、庶民の豊かな暮らしは、アジアよりもヨーロッパに近いように感じられたのです。
1979年に起こったイスラム革命によって、イランは世俗的・近代的な国家から、イスラム的・伝統的な国家へと変わりました。それから20年が経った今でも、イスラムの宗教指導者が絶大な権力を持っているという点は変わらないのですが、閉ざしていた欧米社会との交流も同時に進めようとしています。
若者達の間でも、伝統的な価値に重きを置くのか、あるいはグローバル化への潮流に加わるべきなのか、という点でずいぶん意見が分かれていました。そのことを教えてくれたのが「イスラム革命後の世代」でした。
トルコに来て、僕は旅の終わりを意識するようになります。東南アジアからひたすら西へ西へと旅を進めてきたのですが、その終着予定地であるヨーロッパがはっきりと見えてきたのです。僕の当初の予定は、半年ぐらいかけてアジアを横断して、スペイン、ポルトガルへ行こう、というものでした。ユーラシア大陸の西の端まで行って、それから日本に帰ってこようと。
ところが、トルコを越えてギリシャに入った途端に、旅が面白くなくなってしまったのです。それまで当たり前に行っていた笑顔を交わすことも、人に向けてシャッターを切ることも、急にできなくなったのです。ギリシャはヨーロッパの中でも田舎だと言われているのですが、それでもやはり町は近代的で都会的だったのです。アジアとは全く違った土地だったのです。
ヨーロッパに入ることによって、自分がアジアに強く惹かれている、ということを改めて知りました。このままヨーロッパに抜けて旅を終えるということも考えなくはなかった。でも、そうせずに、ギリシャからエジプトに飛び、中東を回ることにしました。アジアに惹きつけられている理由を確かめたかったのかもしれません。
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エジプト、ヨルダン、シリアという中東諸国は、予想通り面白い土地でした。特にエジプトは旅人から小銭を巻き上げようとするストリートシャークがいたり、ラクダ市場があったりと、アジアの持つ雰囲気にとても近い国でした。
しかしそこから東欧諸国に入ると、やはり雰囲気はがらりと変わってしまいました。町を歩いていても手応えというものを感じられない。だから、日本人宿で「プチ沈没」をしてみたり、日本人の女の子とビールを飲み歩いたり、そういうことで落ち込みがちな気持ちを紛らわせていたのです。やはり僕が旅の中で一番求めていたのは、人との出会いだったのでしょう。
世界一退屈なシベリア鉄道に揺られて、モンゴルに入ったとき「アジアに帰ってきたんだ」という思いを強く持ちました。変な話だけど、モンゴル人の顔を見ているだけで、涙が出そうになった。
モンゴルは、今まで通り抜けていたアジアとは全く異質な国でした。とにかく人がいない。草原と空と雲が延々と広がる土地で、人々が逞しく生きている。そこで見た星空の美しさ、空の広さは今でもはっきりと思い出せます。
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そして最後の訪問国である中国へ。中国には1ヶ月滞在し、その間ほぼ毎日移動を繰り返しながら、四川省と雲南省の山奥を旅しました。本当にへとへとになるほどハードな移動の中で、中国がとてつもなく広大で、多様な文化を持つ国であるということを、身を持って実感したのです。
経済発展著しい沿岸部の大都市は、敢えて訪れませんでした。というのも中国の大都市というのは1千万人以上が住む(僕にとっては)把握不能な悪夢的な都市だからです。しかし人口何千という小さな町を転々としながらも、「21世紀は中国の世紀になる」という予感のようなものは、十分に肌で感じられました。
男女ともに勤勉で、お金にうるさくて、圧倒的な人口規模を持つ国。好むと好まざるとに関わらず、僕ら日本人はこれから中国と密接に付き合っていくほかないだろうな、という印象を強く持ちました。
なお、この中国編と帰国編を合わせた16回分の旅行記は、「たびそらCD−ROM」をご購入の方のみお読みいただけます。このCD−ROMで、「ユーラシア一周の旅」の最後を見届けてください。
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