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旅写真家・三井昌志が送るビジュアル・メルマガ。等身大のアジアの表情を、美しい写真と旅情溢れる文章で綴ります。大きな反響を得て、写真集として出版されました。 




[ たびそら+写真 No.115 シベリア鉄道の退屈(2) ]

発行日: 2004/11/29


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 僕は一日の大半を二段ベッドの上で寝転がって過ごした。持ってきた文庫本を読み、それに飽きると窓の外を眺め、時々うたた寝をした。しかしなかなか時間は進んでくれなかった。夏のシベリアは意外なほど気温が高く、暖房設備は万全でも冷房設備は全く無い車内はかなりの暑さだったので、昼間は上半身裸で過ごした。

 向かいのベッドにいる二人の男の子と遊ぶこともあった。指相撲をしたり、一緒に絵を描いたり、日本語の本を見せてあげたりした。兄弟は人懐っこく、とても行儀がよかった。8歳のボーリャと6歳のアレクサンドルにとって、丸三日間の寝台車の旅はかなり退屈なものであるに違いなかったが、それについて母親に不平を言ったりすることは一度もなかった。

 他のロシア人の乗客も、それぞれのやり方で退屈な時間をやり過ごしていた。ある人は分厚い本を読んでいたし、ある家族はトランプをしていた。クロスワードパズルに熱中する若者もいれば、窓の外をただぼーっと眺めている老人もいた。「暇人の見本市」というものを開くとすれば、ここほど最適な場所はないだろう。

 しかし中には退屈さに耐えられない若者もいた。彼らはウォッカを一人一本ずつ空け、持ってきたギターを弾きながら大声で合唱し始めたのだが、すぐに車掌のおばさんがやってきて、ものすごい剣幕で怒鳴りつけて止めさせた。シベリア鉄道の車掌の多くは体格がよくて化粧の厚いおばさんである。そして何かあると乗客を怒鳴りつけるのを職務としているのだ。
 太った車掌のおばさんに怒られて、ギターの若者はバツが悪そうに苦笑いしていたけれど、持て余したエネルギーを発散させたくなる彼らの気持ちは、僕にも十分理解できた。

 普段は静かな車内も、食事時には賑やかになった。ロシア人の乗客の多くはソーセージやチーズやパンといった食材を大量に持ち込んでいた。中には鳥肉とジャガイモを煮込んだ本格的なシチューをホーロー鍋ごと持ち込んでいる人もいた。これはなかなか美味しそうだったけど、わざわざ重い鍋まで持ち込む必要があるのだろうかと首を捻らずにはいられなかった。

 食料を準備してこなかった僕は、列車が駅に停車している20分ほどの間に、ホームに降りて食糧を確保する必要があった。ホームには地元農家のおばちゃん連中が野菜や干し魚やピロシキなんかを売りに来ている。キオスクで魚の缶詰やパンやカップラーメンなどを買うこともできる。でも値段は町の商店よりも幾分高めだった。

 ある駅には「イクラ!イクラ!」と叫びながら、乾燥した魚の卵を売り歩くおばちゃんがいた。「イクラ」はもともとロシア語で「魚の卵」を意味する言葉で、それが大正時代に日本に入ってきたらしい。ちなみにシベリアの「イクラ」はなかなか美味だった。お酒のつまみにもってこいという味である。

 ロシア人がカップラーメン好きなのも意外だった。各車両にはサモワールが備え付けられていて、熱湯はいつでも使えるようになっているから、カップラーメンにお湯を注いで食べることもできるのだ。ボーリャとアレクサンドルの兄弟も、昼食にはだいたいカップ麺を食べていた。


 そうこうしているうちに何とか一日が過ぎ去っていく。日が昇り、日が沈む。
 シベリア鉄道は世界一退屈な乗り物だったが、だからといって僕がこの旅を楽しめなかったわけではない。何故なら退屈の質というのは、国によって全く違うものだからだ。インドにはインドの退屈があり、イランにはイランの退屈がある。そしてシベリア鉄道には、世界中探してもここにしかないオリジナルの退屈さがあった。

 シベリア鉄道の退屈さは、広大で変わりばえのしないシベリアの大地に裏打ちされたものだった。列車は確かに前に進んでいるのに、窓の外の景色はいっこうに変化しない。まるで自分が回し車の中で懸命に走り続けるハムスターになったような気分だった。

 そのような未知の退屈さを僕は楽しんだ。そしてその退屈さを通過することによって、僕はロシアという国のうんざりするほどの広さを、概念としてではなく体で知ることができた。
 そういう行為を馬鹿げていると思う人もいるかもしれない。退屈を味わうために旅をするなんて、自虐的な思考でしかないと。

 でも僕は長く旅を続ける中で、こう考えるようになった。旅というのは無駄な回り道をすることであり、その回り道の中に新鮮な驚きを見出すことにこそ、旅を続ける意味があるのではないかと。


イルクーツクの町の似顔絵描き
 バイカル号が終点のイルクーツクに到着したのは、モスクワを出発してから丸三日と4時間後のことだった。5時間の時差が加わるために、イルクーツクは朝の8時になっていた。イルクーツクは僕にとってあくまでも乗換駅であり、モンゴルのウランバートル行きの切符さえ手に入れられればそれでよかったのだが、一番早い列車でも出発は12時間後だということがわかり、結局この町で半日時間を潰すことになった。

 イルクーツクは「シベリアのパリ」と呼ばれている。誰が最初にそんなことを言い出したのかは知らない。きっとすごく無責任な人か、あるいはものすごく想像力が豊かな人かのどちらかだと思う。ホラのレベルで言えば、ラオスの首都ビエンチャンが「東南アジアのパリ」と呼ばれていたのといい勝負である。

 確かにイルクーツクは小綺麗で落ち着いた町だった。しかし僕の目にはただ単に閑散としているだけのように映った。メインストリートを行き交う人の姿もまばらだし、横道にそれると半分傾いた木造住宅や未舗装の荒れた道路などが目立つ。町の中で唯一活気があるのは野外市場で、ここには中国人やモンゴル人の姿ばかりが目立った。売られている生活雑貨の大半は、中国から輸入されてきたもののようだった。

 ただの田舎町にしか見えないイルクーツクをパリだと言うのなら、シベリアにある他の町がどのようなものであるかは推して知るべしである。実際、列車に乗っている間も何度かシベリアの町を通過したのだが、どれも閉山間際の炭坑の町を思わせるような寂しいシルエットをしていた。

 シベリアは地下資源の宝庫であり、今後のロシアの発展のためにシベリア開発は欠かせないという話はよく聞くのだが、冬にはマイナス40度を下回ることもざらだという厳しい自然環境の中でわざわざ暮らそうという人間はなかなかいないのではないかと思う。マイナス40度なんて、想像しただけで鳥肌が立ってきそうだ。


 イルクーツクで最も印象に残ったのは、人々が川沿いにある公園に集まってダンスしている姿だった。15人ほどで編成されたオーケストラが演奏するゆったりとしたワルツに合わせて、ペアを組んだ老若男女(と言っても大半は老人だった)が思い思いのステップで踊る。難しいことは抜きにして楽しめばいいという雰囲気は、日本の盆踊りにも似ていた。

 年老いた夫婦のステップはどことなくたどたどしかったけれど、その表情は満ち足りていた。空はぱりっと晴れ上がり、ワルツの調べを乗せた風が穏やかに吹き抜けていく。そこにはシベリアの短い夏の終わりの日曜日に相応しい、祝祭的な空気が満ちていた。




■ Blog「旅空日記」より 
【女難の相 11/25】
「さっきも言うたけど、この年になったらセックスというのはあまり重要なことではない。精神的なものが大切なんです。世間には『年寄りが恋なんてみっともない』という人も多い。でもそれは違うんです。恋をすることが、もの作りのエネルギーになってんのやな。夢を追う人間はいつまでも美しい。私はそういうもんやと思ってます」 (→続きを読む)



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■ 三井昌志 / Mitsui Masashi

1974年、京都市生まれ。旅フォトグラファー・フリーライター。機械メーカーでエンジニアとして2年間働いた後退社し、2000年12月から10ヶ月に渡ってユーラシア大陸一周の旅に出る。帰国後立ち上げたホームページ「たびそら」が「@niftyホームページグランプリ2002」で準グランプリを受賞。2003年12月に初の写真集「アジアの瞳」を出版。2004年1月から6月に再びアジア(カンボジア、ミャンマー、バングラデシュ、ネパール、アフガニスタン)を巡る旅に出る。



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