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旅写真家・三井昌志が送るビジュアル・メルマガ。等身大のアジアの表情を、美しい写真と旅情溢れる文章で綴ります。大きな反響を得て、写真集として出版されました。 




[ たびそら+写真 No.114 シベリア鉄道の退屈(1) ]

発行日: 2004/11/12


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 バイカル湖の近くにあるシベリアの中核都市・イルクーツクへ向かう列車「バイカル号」は、深夜の11時30分にモスクワを出発する。僕はいわゆる「シベリア鉄道」に乗って、モスクワから一気にモンゴルのウランバートルまで行くつもりだったのだが、あいにくモスクワ発ウランバートル着の直通便は2週間先まで満席だったので、イルクーツクで乗り換えることにしたのだった。

 僕の座席はコンパートメントになっていない安い方の寝台だった。二段ベッドが向かい合わせに置かれ、通路を挟んだ窓際にもう一組の二段ベッドがセットされている。僕の下は30歳前後の女性のベッドで、向かい側には彼女の二人の息子が座っていた。三人とも見事な金髪で、透き通るような青い目をしていた。兄弟はとても元気がよく、母親は反対に物静かな人だった。

 窓の外には、その親子三人を見送りに来ている男がいた。おそらく一家の父親なのだろう。背が高くがっしりとした体格をしている。兵士なのかもしれない。何かの事情で父親はモスクワに残り、母と子供はシベリアの町に行かなくてはいけないのだ(後で聞いてみると、この男性はやはり一家の父親で、兵士だった。母親は子供の夏休みを利用して、単身赴任をしている父親に会いにモスクワにやってきて、これからイルクーツクの近くにある故郷の町に帰るところなのだという)。

 発車時間が迫ってくると、親子は窓のそばに身を寄せた。そして母親と父親は窓越しに手の平を合わせた。彼女の目は赤く充血し、涙が溜まっていく。窓の向こうの夫は少し困ったような笑みを浮かべている。仕方ないじゃないか、俺だってほんとは別れたくないんだよ。彼の笑みはそう語っているように見える。沈みがちな気持ちを振り払おうと、努めて明るく振る舞っている。

 やがて音もなくゆっくりと列車が動き出す。男は窓ガラスに手を置いたまま、列車と一緒に歩き始める。若い母親の目から涙がこぼれ落ちる。一粒流れ始めると、もう止まらない。次から次へと涙が頬を伝っていく。彼女は二人の子供の頭を両脇に抱く。弟の方は声を上げて泣き出す。兄の方は泣きたいのをぐっと堪えている。

 列車は次第にスピードを上げていく。男はそれに追い付くために小走りに走り始める。走りながら彼は同じ言葉を何度か繰り返し叫ぶ。列車は更にスピードを上げる。彼はいったん僕らの視界から消えて、再び戻ってくる。全速力で走っている。彼は苦しそうに顔を歪めながら、それでも精一杯の笑みを作ろうとしている。しかし彼の全力疾走もプラットホームの端で終わる。彼は最後に右手を高々と上げる。列車はシベリアに向かって本格的にスピードを上げていく。母親は子供の頭を抱き寄せたまま、真っ暗な窓の外を見続けている。

 僕はその別れの場面を親子の背後からずっと眺めていた。まるで映画のワンシーンみたいだった。それもありきたり過ぎて陳腐に思えるような、古い名作映画のラストシーンのようだった。でもそれを現実になぞっている彼らの姿は、全く陳腐ではなかった。とても美しかった。

 本当に離ればなれになってしまうのだ。丸三日間列車に揺られて、ようやく辿り着くことが出来るほどの遠くの町に行ってしまうのだ。次に会えるのは一年後、いやもっと後になるかもしれない。
 もしこれが東京駅の新幹線ホームでの出来事だったら、これほど真に迫ったものにはならなかったと思う。その気さえなれば、日本全国どこへでも半日で行くことができるわけだし、たとえ別れてしまっても、携帯電話でいつでも連絡を取り合える時代なのだ。物理的な距離が重い意味を持つ別れというのは、現代の日本にはもうほとんど存在しない。それで僕らがより幸せになったと言えるのだろうか。便利になることで失ったものも多いのではないだろうか。僕は自分が目の前の美しい別れのシーンに対して、羨望にも似た感情を抱いていることに気が付いた。

 寝台に仰向けに寝転がって、今までに経験した様々な別れを思い返してみた。しかし思い出すことができるのは、中途半端に引き延ばされた別ればかりだった。「会おうと思えばいつだって会えるんだ」と思いながら、結局何年も音信が途絶えてしまって、最後には連絡先すらわからなくなってしまったような、アンチクライマックスでフェードアウト型の別ればかりだった。

 チェコのプラハで出会い、駅のプラットホームで別れたキョウコさんにしてもそうだった。僕はあのとき彼女に何かを言うべきだったんじゃないか。今になってそんな風に思う。しかし全ては手遅れだった。列車はもう動き出してしまったのだ。



 僕がモスクワを出発する数日前に、北朝鮮の金正日総書記がシベリア鉄道に乗ってモスクワにやってきたという話を聞いた。「彼は飛行機が怖いらしいんだ」とその話を教えてくれたロシア人は冗談めかして僕に言った。

 でも冗談抜きで、よっぽどの飛行機嫌いでもない限り、平壌からモスクワまで列車で行こうなんて発想は生まれないと思う。実際に何日かかったのかは知らないけれど、いくら速く走っても一週間はかかる距離である。仮にも一国の最高権力者がそんな呑気なことをしていても大丈夫なのだろうか、と心配になってしまう。まぁあの国にはそれ以外にも心配することはたくさんあるけれど。
 それにしても金正日氏は列車の中で何をして時間を潰していたのか、気になるところではある。マルクスの著作を読んでいたのだろうか。それともトランプ占いでもやっていたのだろうか。


 金正日氏の性格はよく知らないけれど、せっかちな人にはシベリア鉄道はお勧めできない。シベリア鉄道は少なくとも僕が今まで乗った乗り物の中では、世界一退屈だと断言できるからだ。

 まず乗車時間がとんでもなく長い。モスクワを深夜に出発して、シベリアの中継都市イルクーツクに到着するのは、四日後の朝である。モンゴルのウランバートルまでは更に一日半を要する。路線距離が恐ろしく長いのだから仕方ないのだが、それにしても長すぎる。

 ロシアの諺に「400kmは距離じゃない。マイナス40度は寒さじゃない。ウォッカ4本は酒じゃない」という言葉があるのだが、そのロシア人でもさすがにモスクワ・イルクーツク間の5152kmを「距離じゃない」とは言えないだろう。

 車窓から見える景色も単調である。森、草原、森、草原。ひたすらその繰り返し。樹木の種類は東へ進むに従って徐々に変化する。西には白樺などの落葉樹が多く、東のシベリア深部ではカラマツなどの針葉樹の割合が増える。しかしいずれにせよ、くすんだ緑色をした深い森林が延々と続くことには変わりない。

 人家の集まる集落はところどころにあるが、どれもしょぼくれた山小屋風の家ばかりで、見ていて楽しくなるものではない。どの家の壁も焦げ茶色に塗られていて、外見にこだわっている様子はない。夏の盛りの八月半ばではあったが、もう既に来るべき冬に備えて身を硬くしているようにも見える。

 もちろんシベリア鉄道でしか体験できないこともあった。そのひとつが時差だった。シベリア鉄道は全線モスクワ時間を基準にして運行されている。だから東へ移動するに従って、列車内の時刻と現地時刻とのずれが大きくなっていくのである。例えばモスクワでの日没は9時過ぎだったが、イルクーツクでは午後5時頃に日が沈む、という現象が起こる。飛行機ではよくあることだけど、列車に乗っていながら地球の丸さを実感できる機会はそうはないと思う。




■ Blog「旅空日記」より 
【京都のバックパッカー宿 11/11】
 安宿には一風変わった人間が集まってくる。これは京都であってもデリーやカイロであっても、同じように当てはまる法則なのだろう。アメリカ人のベンもかなりの変わり者だったが、日本人の泊まり客にも変な人がいた。
 その時泊まっていた客の中で、最も異彩を放っていたのが「主」である。 (→続きを読む)


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 11月20日から2週間、滋賀県にある湖南市立甲西図書館で「アジアの瞳 -三井昌志写真展-」を行います。
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■ 三井昌志 / Mitsui Masashi

1974年、京都市生まれ。旅フォトグラファー・フリーライター。機械メーカーでエンジニアとして2年間働いた後退社し、2000年12月から10ヶ月に渡ってユーラシア大陸一周の旅に出る。帰国後立ち上げたホームページ「たびそら」が「@niftyホームページグランプリ2002」で準グランプリを受賞。2003年12月に初の写真集「アジアの瞳」を出版。2004年1月から6月に再びアジア(カンボジア、ミャンマー、バングラデシュ、ネパール、アフガニスタン)を巡る旅に出る。



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