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旅写真家・三井昌志が送るビジュアル・メルマガ。等身大のアジアの表情を、美しい写真と旅情溢れる文章で綴ります。大きな反響を得て、写真集として出版されました。 




[ たびそら+写真 No.110 アウシュビッツ強制収容所 ]

発行日: 2004/8/17



 旅行記「たびそら」久しぶりの更新です。ユーラシア一周の旅も残すところロシアとモンゴルと中国のみになってきたのですが、あまりにも更新が遅いので、「本当に完結するのか?」と危惧されている方もいるようです。
 もちろん「たびそら」は完結します。しかし更新のペースはゆっくりとしたものになると思います。その代わり、新しいメルマガ「アジア美少女紀行」が始まります。

 「アジア美少女紀行」は三井が「ユーラシア一周の旅」から3年後の2004年に、アジア各地を再び旅したときの模様を、写真と文章で綴るメールマガジンです。(サンプル版)
 澄んだ瞳をした少女の写真が毎回読者の手元に届きます。もちろん旅行記の内容も充実しています。
 今後しばらくは、「たびそら」と「アジア美少女紀行」のふたつを同時進行で更新する予定です。

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 一本のまっすぐに伸びた線路があった。それは高い塀で囲まれた敷地の外から引き込まれていて、敷地の中でぷっつりと途切れていた。線路の途切れた場所には花束が手向けられていた。


 アウシュビッツ強制収容所。第二次大戦中、ヨーロッパ各地で集められたユダヤ人や反ナチスの活動家達が、長い列車の旅を終えて最後に辿り着いた「終着駅」である。ここで列車を降りた人々は、レンガ造りのバラックに押し込められ、毎日10時間もの強制労働に就かされた。彼らはろくに食事を与えられずに餓死するか、劣悪な衛生環境の元で伝染病にかかって死ぬか、さもなければガス室に送られて殺された。5年間でおよそ150万人もの人が、このアウシュビッツで死んでいった。

 アウシュビッツはポーランド南部の古都クラクフから列車で1時間半のところにあって、今は半世紀以上前に起こった悲劇を伝えるために当時のままの状態で保存され、一般に公開されている。
 僕はアウシュビッツ収容所とその近くにあるビルケナウ収容所の広大な敷地の中を、とにかく歩いてみることにした。150万人という数字はあまりにも大きくて、それを聞いただけではピンと来ない。その広さを体で感じることで、どれだけの規模の虐殺が行われていたのかということを把握したいと思ったのだ。

収容者が逃げないように有刺鉄線には高圧電流が流されていた。

 敷地の中には強制労働者を収容するためのバラック小屋が並んでいるのだが、大半は破壊されていて原形を留めていない。敗戦間際、ソ連軍が国境線を突破してアウシュビッツに近づきつつあることを察知したナチスが、証拠隠滅のために施設全てを破壊しようとしたからだ。
 廃墟と化したアウシュビッツの中で、ひときわ目を引くのは煙突である。建物が徹底的に破壊されているところでも、煙突だけは残っているのだ。どうしてナチスが煙突だけを破壊しなかったのかはよくわからない。あるいは戦後に煙突だけ復元したのかもしれない。
 有刺鉄線に囲まれた廃墟の中で唯一原形を留めている煙突の列は、亡くなった無数の人々の墓標のように見えた。そしてこの光景はボスニア・ヘルツェゴビナ内戦で亡くなった人々が埋葬されたサラエボの墓地に並んだ墓標を思い出させた。

ガス室。人々は消毒のためのシャワーだと聞かされていた。

 夏の日差しは強く、空には白い積乱雲が立ち上っていた。バラック小屋のそばにはシロツメクサが花を咲かせ、その周りを小さな蜂が飛び回っていた。おぞましい虐殺があった場所だとは信じられないような、とても静かで穏やかな夏の午後だった。
 僕は広大な廃墟を時間をかけて歩いた。シャワー室に似せて作られたガス室があり、死体を焼くための焼却炉が並んだ建物があり、焼却炉に残った灰を捨てたという池があった。復元されたバラック小屋の中には、三段重ねになった狭いベッドがびっしりと並んでいた。

死体を焼くために使った焼却炉。1日に1万人以上焼かれたこともあったという。
 収容所の広い敷地を一周すると、僕はまっすぐに伸びた線路の上に腰を下ろして、かつてここにあった日常を思った。ヨーロッパ各地から集められたユダヤ人達は、貨物車の中に荷物のように押し込められ、何日もかけてここに運ばれてきた。列車を下ろされた人々は二列に分けられた。労働に耐えられそうな者はバラックに向かう列に並ばされ、耐えられそうにない者や老人や子供は直接ガス室に向かう列へ並ばされた。いずれにせよ、生きてここを出られた者はほんの一握りに過ぎなかった。

 アウシュビッツ収容所を貫いている思想は「効率」である。ユダヤ人をいかに効率良く運搬し、効率よく働かせ、効率よく殺し、効率よく焼いて処分するか。そのことだけを追求した施設である。焼却炉は24時間フル稼動し、1日1万人以上の人が焼かれて灰になった。一日何人殺せるかを計算し、計画を立てて実行していた人間がここにはいた。それを狂気とは見なさずに、当たり前の日常としていた場所がここにはあった。計画的に組織的に冷静に、ひとつの民族を抹殺しようとしたのだ。

 悪寒が、体の芯が震えるような悪寒が襲ってくる。僕は線路の上で自分の両肩を抱きしめる。ここは人間の持つ可能性のもっとも暗い側面が露出した場所だ。いや、ここだけじゃない。太平洋戦争でも、日中戦争でも、ベトナム戦争でも、カンボジア内戦でも、100万人単位の血が流された。20世紀は血塗られた世紀だった。それは21世紀も続くのだろうか。僕らは殺し合いをやめることができないのだろうか。
 穏やかな夏の日差しの中で、体の震えはなかなか収まらなかった。

殺された人々が残した膨大な量の靴
 アウシュビッツには世界各地から大勢の見学者が訪れていた。中でも目立っていたのはドイツ人の団体とユダヤ人の団体だった。白い帽子を被ったユダヤ教徒の団体が、収容所の建物の一角で聖書を朗読している姿もあった。ここは被害者と加害者の両方が訪れ、共に祈りを捧げる場所なのだ。
 帰りの列車を待つ間に、小学生の子供を連れたドイツ人の奥さんと話す機会があった。
「私達はここで行われたことを次の世代に伝える義務があるのよ」と彼女は言った。「私が子供だった頃、両親がここに連れてきてくれた。とてもショックだった。しばらくの間、食事が喉を通らなかった。でも父親は私に『このことを覚えておきなさい。絶対に忘れてはいけない』と言ったの。そして今度は私が子供をここに連れてきた。そしていつか、この子が自分の子供をまたここに連れてくると思うわ」
 加害者であるドイツ人が、過去に犯した罪に正面から向き合うのは辛いことだと思う。ヒットラーやナチス協力者だけのせいにして、今の自分とは関係ないことだと考えた方がずっと楽なはずだ。

「伝えていかなければ、いつか忘れてしまう」と奥さんは続けた。「そうなったら、私たちはまた同じ事を繰り返すことになるわ」
 僕は彼女の言葉に頷いた。僕らは過去に起こったことをすぐに忘れてしまう。そして同じ過ちを何度も繰り返す。人間はその程度に愚かな生き物で、だからこの世界から戦争や虐殺や民族差別が消えることは、当分ないだろう。

 だからこそ、ここで起こったことを忘れてはいけないのだと思う。だからこそ、人の持つ狂気から目をそらしてはいけないのだと思う。
 まっすぐに延びた線路の上で、自分の体の芯が冷え切ってガタガタと震えた感覚を、僕は忘れないだろう。大きな過ちからほんの少しのことしか学べない愚かな人間の一員として、ずっと忘れないだろう。




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