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旅写真家・三井昌志が送るビジュアル・メルマガ。等身大のアジアの表情を、美しい写真と旅情溢れる文章で綴ります。大きな反響を得て、写真集として出版されました。 




[ たびそら+写真 No.106 日本人宿の不思議な旅人 ]

発行日: 2004/4/5



 「日本人宿」とは文字通り日本人しか泊まっていない宿のことである。インドのバラナシやトルコのイスタンブールやエジプトのカイロといった旅行者の集まりそうな都市には、必ずこの日本人宿がいくつか存在する。
 日本人宿の特徴を挙げるとすれば、次の三点になるだろう。
(1)安い (2)長期滞在者が多い (3)変わった人が多い
 そして、この三点はお互いに密接な関係がある。つまり、
(1)1泊の料金がとても安いからこそ、
(2)長期滞在する人が多く集まることになり、
(3)帰る予定を決めないまま旅を続けるような長期旅行者というのは、やはり変な人が多い。
 ということになるのである。

 僕はハンガリーの首都ブダペストで、初めてこの日本人宿に泊まった。女主人の名前を取って「ヘレナ・ハウス」と呼ばれている安宿だった。この宿の特徴は、とにかくわかりにくい所にあること。看板も出ていなければ、ガイドブックにも載っていない。ごく普通のアパートメントの一室を旅人に開放しているという宿なのである。
 ブダペストにはヘレナハウス以外にもこうした個人経営の宿がいくつかあるらしく、いずれも正式な営業許可を得ていない違法宿なので、大っぴらに宣伝をしないで隠れ家のようにひっそりと営業しているということだった。泊まり客はこうした宿の情報を他の旅人からの口コミで知ってやってくる。世界各地の安宿には「情報ノート」というレア情報ばかり集めたノートがあって、それがガイドブック以上に珍重されているのである。


 僕にヘレナハウスの存在を教えてくれたのは、インターネットを通じて知り合ったジュンさんという男性だった。彼もまたアジア横断の長い旅を続けている旅人だった。僕らはまだ一度も会ったことはなかったのだけど、ホームページ通じて何度かメールのやり取りをしていた。そして、たまたま同じ時期にブダペストに滞在することがわかったので、「せっかくだから会いましょう」ということになったのだ。

 ジュンさんはタフで旅慣れたベテラン・バックパッカーだった。少なくとも外見から受ける印象はそうだった。僕よりひとつ年上で、大学時代アメフトをやっていただけあって、がっちりとした体つきをしていた。
「どういうわけか、旅をしていると『俺も昔アメフトをやっていたんだ』って奴によく出会うんだよね」とジュンさんは言った。「アメフト経験者って、どうも旅に出たくなる奴が多いみたいなんだ。頭の構造が似てるのかもしれないな」

 ジュンさんは既に2週間以上ヘレナハウスに滞在していた。東ヨーロッパをヒッチハイクで回るハードな旅を終えたばかりで、しばらくゆっくりするつもりなのだという。ジュンさんに限らず、日本人宿に来る旅人の多くが同じ宿に1週間や2週間泊まり続けるのだという。せいぜい3日、早いときには1日で次の町に移動する僕の旅のスタイルは、長期旅行者にしては珍しいらしい。


 ヘレナハウスに滞在している旅行者は、かなりクセのある人達ばかりだった。中でも際立った存在感を示していたのが、みんなから「不思議ちゃん」と呼ばれている女の子だった。彼女は僕と同い年だということだったが、見た目も話し方もどことなく年齢不詳な雰囲気があった。
「今年の夏は、暑いわねー」
 不思議ちゃんの話し方には独特の間とテンポがある。誰に向かって話しているのか、よくわからないことも多い。
「そうだね。ハンガリーがこんなに暑いとは思わなかったよ」
 彼女が僕に向かって話しかけているのを確かめてから、僕は答えた。ヘレナハウスにはエアコンというものがないので、日中の暑さは(部屋の中の人口密度が高いことも手伝って)相当なものだった。
「でも、去年の夏も、これくらい暑かったわ」
「去年もここに来たの?」
「ううん。私、去年の夏からずっとここにいるの」
「このヘレナハウスに1年もいるの?」
 僕はびっくりして聞き返した。
「そう。3ヶ月経ったらハンガリーのビザが切れちゃうから、クロアチアとか、チェコとかをちょっと旅行して、またここに帰ってくるのよ」
「帰ってくる・・・の?」
 これにはさすがに驚いた。いくら長期旅行者と言っても、1年も同じところに居続けている旅行者なんて聞いたことがなかった。宿の主であるヘレナおばさん曰く「彼女は家族みたいなもの」なのだそうだ。もちろん、いつどこで何をしようがそれは不思議ちゃんの勝手である。しかし、ここで1年間も何をして過ごしていたのだろう。

「そうねぇ、これと言って変ったことはしていないかも。ベッドの上でボーっとしたり、ヘレナの家族と話をしたり、お買い物に行って食事を作ったり、賭けチェスしたり、そんなもんよねぇ」
 なるほど。なんにもしなければ、1年なんてあっと言う間に経ってしまう。もちろん彼女も旅を始めるときは、こんな風になるとは思っていなかったらしい。旅人らしくヨーロッパ各地を回るつもりだったのだ。ところがブダペスト(というよりもヘレナハウス)が思いのほか気に入ってしまい、気が付いたら1年経ってしまったらしい。ハンガリー版・浦島太郎みたいな話だった。
「そろそろ日本にも帰らなくちゃいけないのよねぇ。お金もなくなってきたし・・・」
 不思議ちゃんはのんびりと言った。そりゃそうだ。いつかは助けた亀、ではなくて飛行機に乗って帰らなくてはいけない。それが旅人の宿命なのだ。でも彼女の言う「そろそろ」はまだかなり先のことなんだろうな、とも思った。


 ハジメさんは中国から自転車に乗ってブダペストまでやってきたというツワモノ旅行者だった。彼のベッドの横には沖縄の三線が置かれていた。この三線で弾き語りパフォーマンスを行って旅費を稼ぎながら、旅を続けてきたのだという。
 ブダペストでの「ライブ活動」も好調で、観光客からのチップが1日に4000フォリント(1000円)にもなるんだと、自慢げに話してくれた。ヘレナハウスの宿代が1500フォリントであることを考えると、これはかなりの稼ぎである。ドナウ川に三線の音色がマッチするかは疑問だけれど、そのアンバランスさが受けているのかもしれない。
「今日はフランス人から来たおばちゃんに『あなたパリにいらっしゃい。そうすればもっと稼げるわよ』って言われたんです。だから次の目的地はパリかな」

英雄広場

 その他にも、毎日オペラの話ばかりしている50歳を過ぎた謎のおじさんや、朝に作った鍋一杯分のカレー(ヘレナハウスにはキッチンがあって、自炊できるようになっている)を1日で食べきってしまった相撲部屋の新弟子のような食欲を持つ若者など、それぞれアクの強いキャラクターが揃っていた。
「日本人宿にいる人って、みんな変わっているんですねぇ」と僕はジュンさんに言った。
「いや、今のメンバーが特に変わっているだけだよ。前はもっとまともな旅人が多かったよ」
 ジュンさんがそう言うと、隣にいた不思議ちゃんが割って入ってきた。
「えー? 変わってるかなー? みんな普通だと思うけどなー」
 彼女の基準から見れば、みんな普通なのだろう。あるいはヘレナハウスにおいて普通じゃないのは、僕らの方なのかもしれない。


 しかし、この宿では最もまともな人間だと思われるジュンさんも、実はかなりの変わり者であることが判明した。なにしろ「俺がこの世の中で一番嫌いな生き物は鳩だ」と言い切る人なのだ。変わっている。二人で公園に行ったときも、道端でパン屑なんかを啄んでいる鳩の群をわざわざ避けるように迂回して歩くのだった。

「どうしてまた鳩が嫌いなんですか?」
「だってさ、首の辺は妙にきらきらと光ってるし、目だってよく見ると怖いし、それにあいつらは首を振ってないと歩けないんだよ。絶対変だ」
 鳩のことになると、いつものは穏やかなジュンさんの口調が急に荒くなる。
「よく観察してるじゃないですか。普通の人間は鳩なんて別にいてもいなくても同じだと思っているから、そんなに熱心に観察しないですよ。もしかしてジュンさん実は鳩が好きなんじゃないの? 愛情の裏返しとか」
「馬鹿言っちゃいけない。いつかあいつらを丸焼きにして、全部まとめて食ってやるんだ」
 と言って彼は公園の鳩を指さした。平和の象徴である鳩たちは、相変わらず首を小刻みに振りながら餌を探して歩き回っている。

「知ってる? ソウルオリンピックの開会式でさ、聖火台に止まっていた鳩が丸焼けになったんだって。その話を聞いたとき、思わず小躍りしたもんなぁ・・・」
 ジュンさんはそう言ってにんまりするのだった。とにかく鳩のこととなると見境がなくなるのである。やっぱり変わっていると思う。




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