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 評論家の宮崎正弘が独自の情報網を駆使して世界のニュースの舞台裏を分析




宮崎正弘の国際ニュース・早読み

発行日: 2006/11/18


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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成18年(2006年)11月18日(土曜日) 
通巻第1621号  臨時増刊号
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馬英九(国民党主席)の機密費流用事件、予想以上に深刻
 はやくも「ポスト馬」に備えだした国民党本土派と親民党と民進党の一部
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 政界は一寸先が闇。
 台湾次期総統選挙最右翼とみられた馬英九が、深刻なピンチに立った。
 理由は台北市長の「機密費流用」疑惑である。

 市長交際費の機密費名目を埋め合わせるため領収証を多数押収した捜査当局は、これを証拠として立件できるか、どうかの審議に入っていると言われる。
 1999年から2002年までの領収書の多くに偽名のものが含まれ、馬オフィス主任の鄭安国は、これらを「工作奨励金」という名目で出費、毎月20万円程度だ」とし、「馬市長は、こういう仔細は知らない」とのべた(『自由時報』、11月16日付け)。

 かつて宋楚諭は「国民党秘書長時代から台湾省省長時代にかけての“不正蓄財”でがあり、息子などの名義で米国に五軒の豪邸を所有している」とする疑惑が浮かんだ。
対米ロビィ工作の機密費流用の疑いが云々されたが、結局は有耶無耶になった。
そればかりか巡洋艦ラファイエット事件での機密費流用疑惑が持ち上がるや、国民党守旧派は、「あれは李登輝総統時代だから、かれが関与」という出鱈目情報を流して防戦した(李登輝総統初期、軍関係機密費は軍が握っており、李総統の知るところではなかった。そもそもラファイエット事件での機密費流用は李総統就任以前からのはなしだ)。

陳水扁総統夫人の機密費流用疑惑で、夫人が起訴され、深刻な窮地に陥ったとみられた民進党は、これで一気に勢力を挽回し、「馬英九台北市長の辞任要求」を訴える。
連続的な集会を開催し、一方無党派や良識派グループもこれに呼応している。

台湾の検察東京は与野党ともに疑惑にメスを入れ、政治バランスをとろうという腹づもりなのか。
ただし、馬英九自身への取り調べは11月14日に四時間におよび、2003年からことし、六月までの「市長交際費」の使途不明金がおよそ280万円から300万。金額が少ない所為もあったか、当局は「再度の取り調べはない」とした。

一方、国民党内で、「それみたことか」と内心喜んだのが王金平(国会議長)ら党内本土派。
王金平は国民党主席の座を馬と争って敗れたが、政治的野心はふつふつと煮えたぎり、08年に党を割ってでもでる可能性がある。

王金平はひそかに宋楚諭と組んで「新党」を結成し、2008年総統選挙は、またまた国民党を割り、分裂選挙に突入するというシナリオが、このところかなり真剣に討議されている模様。

さきごろ、馬英九が訪米したおり、各地で講演し、有力シンクタンク詣ででも、なかりの成果をあげた。
その訪米の勢いをかって来日したおり、平沼赳夫氏らと面会したほか、石原都知事とも懇談した。馬英九の訪日直前に王金平も来日しているが、日華議員懇談会などのルートで日本の政治家の多くが会見に応じた。
事情通は、この背後に李登輝の工作があった、という。

さて馬英九の訪日はやはり国民党内本土派の江丙坤(元閣僚)が随行したが、安倍幹事長(当時)との“会談”をでっち上げたりで、サッパリの成果。このため馬が江丙坤を叱責し、それが原因で「江丙坤が馬英九に嫌気がさしている」(事情通)。

 現在、終盤戦にはいった台北市長ならびに高雄市長選挙は、これまで「清潔清廉なイメージのあった馬英九人気の追い風で国民党有利といわれていたが、これからは逆風になった」と台北ウォッチャーは語る。
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〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜(お知らせ1)小誌は11月21日号を地方講演のため休刊します。
(お知らせ2) 11月23日(祝日)。「桜チャンネル」に宮崎正弘が出演。拙著新刊『三島由紀夫の現場』をめぐって。放送時間未定。
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(読者の声1)貴著『三島由紀夫の現場』に触発されて、熊本へ行く計画を抱き、その前に関係資料を漁っています。
神風連に参加し戦死・自決した百二十余名の半数強は二十代の青年、十代後半の少年が一割も含まれていたのには驚きました。
首謀者である大田黒伴雄(高野鉄兵衛)が43歳、加屋霽堅 (加屋栄太 )が41歳だと聞いていましたから四・五十代の中年武士が中心だろうと思い込んでいました。事態が急変してもなかなか動かず、これと思いを定めると梃子でも考えを曲げず、思いを貫くためなら我武者羅に突き進む。神風連の義挙に”肥後のいごっそう”ぶりを感じます。林桜園の人物ぶりも味があります。
朝廷の使者と称する者が熊本の桜園に向けられても、田舎者の自分が会っても仕方ないと会おうとせず、確かめたいことがあると、水戸まで出向き会沢正志斎らに会うも意に染まない返事に素っ気ない対応をします。物事を見通す心眼の鋭い人物であったようです。
ひとつ知ったのは、佐久間象山を惨殺した河上彦斎(高田源兵)の地元熊本での評価の高いことです。
荒木精之氏もそのはたらきを称揚しています。佐幕の藩風に逆らい脱藩し勤皇に走り、象山がお上を、京都の御所から井伊直弼の彦根城にお遷ししようと動いたと短慮をはたらかせた彦斎は、文久三年(1863年)象山を木屋町で斬り殺します(嗚呼)。
佐幕の熊本藩を説得しようと舞い戻り、当然獄に繋がり凄まじい拷問に遭います。最後は江戸の新政府の手に落ち無念の中で処刑され果てました。郷土の英雄なのですね。
     (HN生、品川)


(宮崎正弘のコメント)熊本は何回か、たぶん八回ほど小生も行ったことがありますが、神風連記念館は、裏の庭が神風連で死亡した人達のお墓になっていて、その墓の陣容はまるで戦陣です。身体が震えますね。
 三島由紀夫『奔馬』の初版カバーは、ご指摘の加屋霽堅 (加屋栄太 )の遺墨です。


   ♪
(読者の声2)貴誌11月17日(金曜日)第1620号 の(読者の声1)「幕末活躍した吉田松陰は熱心な観音信仰者でしたし、。。。。。。牧口常三郎は創価学会を興しました」とあります。
が、以下2点疑問を呈させていただきます。

1.吉田松陰の観音信仰
吉田松陰が神道あるいは国学と儒学を重んじ仏教は余り学ばなくても良いと弟子たちに指導していたことは、松陰が弟子に宛てた手紙に残っている。したがって、松陰が観音信仰を持っていたとは信じがたい。
幕末の長州では、日蓮宗の勢いが強く、観音信仰も広く行われていた。松陰も仏教、とりわけ法華経や観音信仰と親しむ環境にいたであろうし、観音信仰を持った人たちに温かい目を向けていたこともあると思う。しかし、松陰自身が観音信仰を持っていたとは考えがたい。松陰の妹の千代氏もそんな観音信仰の持ち主のひとりであったのであろう。
それを傍証する書簡がある。安政6年に妹の千代氏に宛てた手紙の以下の部分をご覧ください。
「。。。。されば、拙者の気遣いに観音さまを念ずるよりは、兄弟おいめいの間へ、楽が苦の種、福は禍のもとと申すことをとくと申してきかせるほうが肝要じゃ。
 そしてまたひとつ、拙者不孝ながら孝にあたることがある。兄弟内にひとりでも否様(ぶざま)のわるい人があると、あとの兄弟も自然と心が和らいで、孝行でもするようになる。兄弟もむつまじくなるものじゃ。
 それで、これから拙者は兄弟の代わりにこの世の禍を受け合うから、兄弟中は拙者の代わりに父母へ孝行してくれるがよい。
 さようあれば、つまるところ兄弟中みなよくなりて、はては父母様のお仕合わせ、また子供が見習い候えば子孫のため、これほどめでたいことはないではないか。
 よくよくご勘弁候て、小田村、久坂なんどへもこの文御見せ。
 仏法信仰はよいことじゃが、仏法にまよわぬように、心学本なりと見候えかし。

 心学本に、
    のどかさよ 願いなき身の 神詣で
       神へ願うよりは身で行うがよろしく候。。。。」

ついでに申し添えるが、長州藩の仏教徒たちは廃仏毀釈による破壊から日本文化を救った。
明治の初め神祇官の主要ポストを平田派が占めた。彼らは反仏教である。その彼らを追い出して、神祇官を乗取ったのはさらにもっと反仏教の薩摩藩の神道家たちである。薩摩では造化の三神が高く尊崇さえていた。
そこで、なんと天照大御神様と同格の神としてこれらを皇居で祀るという暴挙を行った。さらに廃仏毀釈を進めた。
これを停めたのは、後に薩摩の神道家たちに代わって神祇官を乗取った元長州藩士たちである。親仏教の環境の中で育った彼らが、廃仏毀釈の行き過ぎを停め、さらなる神社仏閣の破壊を防いだのである。

2.牧口常三郎氏が始めたのは、創価教育学会という日蓮宗信徒の教師たちの勉強会であった。ただし、彼らが勉強会で勉強したのは、仏教ではない。
のちにその後を告いだ戸田城聖、池田大作がこれを創価学会という宗教団体への変えていった。
 日本の法華信仰は国家主義あるいは愛国主義と強く結びついていると思われているが、実は二系統に分かれる。
一つは法華思想を最高のものとして、日本の伝統的なものを否定して、法華思想で置き換えようとする考え方である。
もう一対は、日本の伝統的なものを尊重し、それを支持強化するものとして法華思想を唱道する考えである。
浄土教を唱えた親鸞は、著書の「教行信証」の後序の中で激しく朝廷を批判した。「主上 臣下、法に背いて理に違し、怨みをなして憤をむすぶ。」私にはそれは朝廷を重く見るが故に、この素晴らしい浄土の教えを朝廷にこそ分かってもらいたいという強い思念の現れのように見える。
そういう意味で、親鸞は、そして法然は、より深いところでの愛国者であったのである。
   (ST生、神奈川)
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(サイト情報)米上院の軍事委員会は11月15日、イラクとアフガニスタンの軍事作戦に関する公聴会を開いた。米下院の軍事委員会も「イラクに関する公聴会」。
準備された証言内容は、以下のサイト。
(1)国務省国際情報プログラム局の解説記事
U.S. Officials Testify Before Congress on Iraq Policies: Democratic Leadership After U.S. Elections Opens Vigorous Policy Debate、Bureau of International Information Programs, US Department of State, November 16, 2006
http://usinfo.state.gov/xarchives/display.html?p=washfile-english&y=2006&m=November&x=20061116152301ndyblehs0.3440821
 !)上院公聴会「イラクとアフガニスタンの現況と米国の軍事作戦」
Current situation and US Military Operations in Iraq and Afghanistan 、US Senate Committee on Armed Services, November 15, 2006
http://armed-services.senate.gov/e_witnesslist.cfm?id=2427
 !)下院公聴会「イラクの現況と軍事作戦」
Current Situation and Military Operations in Iraq、US House Committee on Armed Services, November 15, 2006
(2)ハンター下院軍事委員会議長の開会声明
Chairman Hunter Opening Statement 
http://www.house.gov/hasc/schedules/11-15-06HunterOpeningStatement.pdf
(3)サターフィールド国務長官上級顧問の証言
Honorable David M. Satterfield, Senior Advisor to the Secretary of State and Coordinator for Iraq 
http://www.house.gov/hasc/schedules/11-15-06SatterfieldTestimony.pdf
(4)アビザイド中央軍司令官の証言
General John Abizaid, USA, Commander, U.S. Central Command 
http://www.house.gov/hasc/schedules/11-15-06AbizaidTestimony.pdf
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<< 特集 >>

    宮崎正弘著『三島由紀夫の現場』(並木書房)

(書評再録)

          ▼三十五年かけて作品舞台のすべてを探訪
 
                              植田剛彦(評論家)

 著者の宮崎正弘氏は実に三十五年もの歳月をかけて三島由紀夫の主要作品の舞台を遠くローマやニューヨークや、もちろん国内の『潮騒』の神島などを歩いた。その土地の人々と会話し、風の臭いを嗅いできた貴重な記録である。
 とくに若き日の三島が憧れたギリシア・ローマの記述は克明で、当時、三島が宿泊したデルフィ神殿のホテルを見つけだして感動したり、或いは『暁の寺』の主舞台となったインドのベナレスには二回も訪れている。

 「きっと会うぜ、また。滝の下で」と主人公の松枝清顕が言い残した『豊饒の海』のサブテーマである「滝」がいったい、どこにあるのか、三輪大社からインドのアジャンタ石窟遺跡にも足を運んでいる。
 『奔馬』のラスト・シーンは飯沼勲が割腹する場面だが、これを伊豆稲取の海岸に特定、また『天人五衰』の「記憶も何もないところにきてしまった」という円照寺(作品では月修寺)の庭や『金閣寺』で、従来評論家が見落としてきた南禅寺、建勲神社などを再訪して新しい作品の意義を見いだしている。

 三島由紀夫が決行前夜に「楯の会」の四人と「最後の晩餐」を摂った新橋の「末げん」のことも出てくる。昭和四十五年当時の当該料亭が、こんにち如何なる変貌を遂げたかを筆者と一緒に体験した評者としては、この労作の上梓に漕ぎ着けるまでの汗と苦行をともに味わったつもりでもあり、真に感慨が深い書である。
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(この文章は「国民新聞」11月号より再録)
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   読み始めて酩酊、魂が漂いだした
           宮崎正弘著『三島由紀夫の現場』(並木書房)
                           評 西法太郎


 『三島由紀夫の現場』を早速、手に取りうっとり、巻頭グラビアにくらくら、読み進めて目は吸盤に吸い付けられたようになり、魂は体から漂い浮遊しているように酩酊し、一気呵成に拝読致しました。
心に留まりましたいくつかの件りを引いてみます。「三島はギリシアへ行って、人生観を改め、まずは自らの肉体をギリシア化する決意をしたわけだが、その決意、その強い動機の一つとなったのがバチカンのアンティノウス像だった」(43ページ)。
この像が三島に命より大事なものがあると呼び掛けていた! 
ウーン・・と唸ってしまいます。この基督教の洗礼を受けなかったギリシアの最後の花・アンティノウスが三島を市ケ谷自衛隊駐屯地に誘った?

「ムッソリーニも、ダヌンツィオも、日本の武士道を高く高く評価した」(47ページ)。数年前ロマノ・ブルピッタ氏からムッソリーニの偉大さ、ダヌンツィオの栄光を半日学びました。
日伊は政治軍事で結託するのでなく貴著のとおりローマ神話と古事記で結ばれるべきでした。パリでトラベラーズ・チェックを盗られ余儀ない長逗留を強いられた「三島はパリになじまなかった」(51ページ)。
「私は・・『ドルヂェル伯の舞踏会』に、完全にイカれていたのであるから。それは正に少年時代の私の聖書であった(旧全集三一巻)」。
 「(ラディゲとコクトーの)二人は・・同性愛の関係にあった。三島はそのことに気づき始め盲目的なラディゲ信仰が納まると源流を研究し、・・」(54ページ)。
私は、二十歳で決闘死しその前夜を徹して五次方程式の解を書き残したガロアにイカれ、学生時代最後の春休みにアルバイトで稼いだ金で安い学生向けヨーロッパ旅行でパリに立ち寄り、ガロアが入学を果たし得なかったエコール・ポリテクニク(パリ理工科学校)をパリの街中に見つけました。

仏文学者で小説「背教者ユリアヌス」を物した辻邦生がフィレンツェの大聖堂ドゥオモに登り橙色の屋根の連なる街を見渡し興奮の余り鼻血が噴き出したというエピソードを思い出しました。
私もそこで死んでもいいくらいの酩酊感を覚え鼻血が噴き出そうでした。
「実物のコクトーを見てから十年後の三島事件を、自己正当化、自己神化と解釈する向きにはこの言葉から心理分析を割り出してゆく必要があるのではないか?」(57ページ)。
三島の言葉の詳細は本文に譲りますが、深く頓首する御示唆です。
昭和三十二年二回目のニューヨークで期待した近代能楽集の上演が儘ならず、手持ち資金が乏しくなり「そろそろ私の倹約生活がはじまったと三島はその日から日記を家計簿代わりに克明な支出を記録始める。夕食が八ドル、お茶が二ドル五十セント・・」(67ページ)。
三島は大学時代の精神状況が苦しくノイローゼ気味のときも一年余り詳細な家計簿メモ兼日記を残しています。
窮状に追い詰められると人間は瑣沫に拘るものですが、三島の場合は家計簿を付けたようです。

「なんと私はヘミングウェイを学ぼうと入学した早稲田大学英文科で、担当教授の瀧口直太郎は講義のたびにカポーティ、カポーティを連呼、すっかり白けてしまった。奇を衒うことの多いカポーティは、好きになれない作家だった」(76ページ)。
私にとり瀧口直太郎は懐かしい名前です。同氏の名を冠した参考書「現代高等英文解釈」はなかなかのすぐれもので瀧口門下のレベルの高さを覗わせる出来でした。隅から隅まで読み込み、下線を引っ張りました。
ポピュラーな英米作家の作品のさわりが例文に採りあげられていて田舎の高校生にいい刺激を与えてくれました。
「マルロウの若き日は謎だらけで『人間の条件』や『希望』などの作品は、上海や広州に行ったこともない時代に想像で書いた作品であることが今日の研究で明らかになっている。・・もっともマルコ・ポーロにしても日本に来ないのに福建省の泉州あたりで仕入れた噂話や風聞をもとに黄金の国・ジパングと書いた。ジャパンの語源となるジパングは福建語のジーッベンから来ている」(114ページ)。

聖徳太子は天武朝の都合での偽存だという説がありますが、マルコ・ポーロの偽存説は欧米の学会では通説とか。マルロウの若い時分の盗掘や密輸のヤンチャ放埒ぶりは後年の彼からは想像の難いことですが君子は豹変するものなのでしょう。
三島も傍目には晩年豹変していますがマルロウみたいにいかがわしいことには手を染めていません。そのマルロウは三島のハラキリ自決の報に震えました。

「聡子の出家を受け入れた月修寺のモデルは奈良郊外にある円照寺、・・この寺は由緒正しき門跡寺で、天皇家につながる聖域である。三島由紀夫がどうしてこの寺院を選んだのかは今も謎である。」(141ページ)。
「それにしても三島さん、誰に聞いてあの寺をモデルとしはったんやろと保田が言った台詞をいまも耳元に記憶している。」(143ページ)。
明治大帝の双子姉妹の御一方が初代御門跡なら三島がこの寺に興味を惹かれ小説の重要なモデルにしたのは頷けます。
保田輿重郎も端倪すべからざる三島のおそるべき情報力です。
「林桜園は、世の中はただなにごともうちすてて神にいのるぞまことなりける、と詠んだ。太田黒伴雄は、起きていのり伏してぞ思う一筋は神ぞ知るらむわが国のため、と詠み、同じく首謀者の加屋霽堅も、八百万神にぞ祈る一筋は世にこそかかれ身をば忘れて、と詠んでいる」(150ページ)。
襖に残された加屋霽堅の墨跡は『奔馬』のカバーに移され、同本を手に取ると三島の熱い想いが今も伝わってきます。
「三島は金閣を取材するにあたって花園の妙心寺の御坊に滞在した。同じ禅寺といっても宗派が違うが、何かの事情で宿泊先が妙心寺となったのだろう。」(166ページ)。
金閣寺側が三島の取材に協力しなかったのですね。

「・・生命だけが価値観ではない、という考え方が拡がった功績は、ひとえに三島が『葉隠』を伝統的で同時に現代的な解釈をほどこして、現代日本人に訴えかけ、血書のごとく綴ったからである。」(179ページ)。
同感です。
山本常朝は先先代の遺徳が忘れ去られ忠が廃れ孝が行なわれない元禄の世を嘆き悲しみ、鍋島の武士よ、かくあれと叱咤したのが武士道の聖典となった『葉隠』です。
「三島由紀夫の文学的出発は、この日本の主権喪失の時代にぴたりと重なっており、三島文学が価値紊乱の真っ只中で誕生している点に留意したい。その無力感を如実に表したのが『鍵のかかる部屋』である」(195ページ)。
三島の中短篇には山椒のようにじわりとそしてピリッと刺激してくるものがあります。
極上の文学的毒素を読者に吐きつけてきます。
三島はなぜか天皇制という用語を使って文化概念としての天皇を主張しました。
立論が甘いと橋川文三や元共産党員の谷沢永一らに攻撃されました。
「その真意は日本の精神復興にあったのには疑念の余地がないだろう」(200ページ)。
その通りです。だからそれらのチャチャはどうでもいいのです。
「日本の浪曼派はロゴスよりパトスを重要視するのだが・・」(208ページ)。
伝統回帰派、体制保守派、保守と称する改革派などそれぞれのロゴスとパトスを持ち二者の比重が違うなら保守の大同団結はまさに幻想で、互いに言い合ってこそ健全なのでしょう。
示唆に溢れる貴著は三島論三部作の掉尾を飾る力作と観じ入りました。
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(以下はメルマガに寄せられた感想)
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(読者の声A)御新著『三島由紀夫の現場』を早速、拝読致しました。何よりも先生の三島三部作完結、誠におめでとうございます。
前二作もつねに目に付く場所において、折りに触れて再読、三読しております。
 かつて三島作品で味わった国内外の風景が、豊富な写真と共に目の前に浮かび上がってくるような、そんな感慨を抱きました。
毎年この季節には何冊かの三島本が出版されますが、「三島由紀夫の現場」ほど発売を待ち遠しく思った本はありませんでした。
36年間、毎年欠かさず三島さんの御霊を祀り、慰め、顕彰してこられ、幾多の後進が後に続く道を切り開き、今日もまた休むことなく真の我が国の精神の復興のために一身をささげておられる姿は、私どものよく知るところです。
どんなに熱烈な三島ファンでも、世界の果てまで作品の舞台を訪ねようなどと企てた人間がいたとは思えません。それを35年かけて実現してしまった情熱の源泉にある、熱き魂に胸を打たれます。35年の長い年月をかけた旅の集大成とはいえ、この一冊の本が出来上がるまでのご苦労は並大抵ではなかったことと拝察しております。
『奔馬』のラストを飾る、勲の自決現場の写真には目が釘付けになりました。
いつかここで、昇る日輪を拝みたい、勲が瞼の裏に見た赫奕たる日輪を、そんなことを思うほど強く印象に残りました。
病におかされた清顕や、老いた本多がそうしたように、円照寺への参道を徒歩で向かうシーンも印象深いものがありました。
車で通りすぎたのでは目に入らない景観の数々、自然のたたずまい。
作品に描かれたそういったことを丹念に目で追い、三島さんが歩いた道を自らも歩くことで作品の主人公との同化を計る。山門は固く閉ざされているが故に、清顕が感じた絶望を我が身の体験とすることも可能だったのではないでしょうか。
先生はこの寺を今までに三度訪れたといいます。黛敏郎先生がご存命の頃、憂国期で何度も豊饒の海のラストシーンを、あの朗々と響く声で暗唱していたことをふと思い出しました。
インドもタイも今の私には夢のように遠く、ましてや欧州や南米となると、月かと思うほどの場所でありますが、それゆえにこの本は私にとっての「旅の絵本」ともいえます。
この本を読んで感じたことは、また三島作品を読み返してみたいという思いです。
一作読んでは紀行分にあたり、紀行分を読んではまた作品を読む。そして、まだ見ぬ土地の風合いを、想像の翼を広げて味わってみたいと思います。
  (MA生、中野)

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(読者の声B)アマゾンに下記のように貴著『三島由紀夫の現場』の書評があります。

 『三島由紀夫!)以後!)』『三島由紀夫はなぜ日本回帰したのか』に続く、著者(宮崎正弘)の三島由紀夫三部作の完結編である。
当時、少しでも物心がついていた人間であるならば、昭和45年11月25日の事件を忘れることなどできはしまい。評者は大学浪人中だったが、今もなおあの日のことを鮮明に昨日のことのように思い出す。
あの日から完全に世界の相貌が変わったのだ。
そして三島は当時生きていたすべての人に、“三島以後”を問いかけたのだ。お前はどう生きるのだ、と?
この本の著者のように三島に学生として教えを受ける立場にあった人にとっては、その強烈な磁場ゆえの衝撃波は想像を超えたものであったに相違ない。それを受け止めるなり、解読するなりの作業は全人生をかけたものにならざるを得ない。

この本はそうした著者の尊敬する師の足跡をたどる“三島由紀夫巡礼の旅”というべきものだ。それは国内にとどまらず、地球を一周する規模にまで達する。「這うように私は辿りついた。汗が身体を流れ、歩き方も散漫になるほどの猛暑だった」「私はアジャンタの石窟群を夢中で観察した。一つひとつの祠、仏堂、礼拝堂などの洞窟を目を凝らして見つめ、それから「滝」を探した」。
いかなる苦行であっても、それは成し遂げられなければならない巡礼行だ。しかしその巡礼の旅にも、報われることがある。三十数年続く三島事件の衝撃波がイタリアにもたらした「ローマ憂国忌」である。それは三島の足跡をたどり、顕彰する著者の人生において、大きな光明として受け止められている。
三島は今も生きている。著者の喜びはそこに見出す確信の中にある。
     (飛山)


    ♪
(読者の声C)新刊『三島由紀夫の現場』を早速、読みました。
三島のギリシャへの傾斜と離脱、インドへの傾斜と、貴台の訪問印象記の違いが興味深いものでした。リオのカーニバルはどういう反映をしたのか、不明です。あれは沈溺すると癖になるのでは。小生も一度だけ、サンパウロで。
暑気に蒸せる中でのタイの寺院の陰影は、僧服で散策すると、独特の生理感覚が生じるのですが、『暁の寺』の主題とは関係ないですね。
いずれにせよ世界を股にかけた作業そのものが辛苦辛苦、ご苦労さまでした。貴台の膂力には改めて敬意を表します。
  (NI生、静岡)


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(読者の声D) 安ワインを水割りで飮みながら宮崎正弘著『三島由紀夫の現場』を讀み始めました。
【いわゆる「三島事件」以後、左翼をのぞく日本人の間に活発な憲法改正論議を呼び起こし、論壇に保守主義への本格回帰の潮目をつくることにもなった。】とあります。
 「三島事件」…。
ふと、一人の老宣教師の言葉を思ひ出しました。師は「イエス事件」と言つた。
「イエス事件ですよ、キリスト教は…」と。
彼によれば、キリスト教とは「イエス事件」の續き、「イエス事件」の後遺症なんだといふ事でした。イエスの公的(missionary)生涯は一年、長くても三年以内の出來事で、アッといふ間に十字架の上で終つてしまつた。
弟子たちは茫然自失。
「しかし、イエス事件は今も續いてゐるんですよ」と。
   (showa78)


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(読者の声E)貴著「三島由紀夫の現場」を拝読しました。
三島のギリシャ熱に関連して、現代のギリシャという国家の成り立ちに、西欧(英独仏)知識人の古代ギリシャ崇拝が強く影響していることを想起しました。
19世紀にトルコ支配のもとわびしい漁村となっていた現実のアテネを無視し、古代ギリシャの復興を試みたバイロンらの「軽挙妄動」が結果的に一種のでっち上げ傀儡国家ギリシャ王国建国につながったことが、Beard and HendersonのClassics: A Very Short Introduction (Oxford UP)に描かれています。
ところで、バイロンと三島という比較論もあるのでしょうか。
    (YF生、青山)
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(休刊のお知らせ)小誌、宮崎正弘が地方講演旅行のため21日付けが休刊の予定。
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(宮崎正弘の三島由紀夫関連三部作)
 『三島由紀夫“以後”』(並木書房、注文すれば入手可能)
 『三島由紀夫はいかにして日本回帰したのか』(清流出版、絶版)
 『三島由紀夫の現場』(並木書房。最新刊発売中!)
   ♪♪
<宮崎正弘の中国関係著作>
 『中国から日本企業は撤退せよ!』(阪急コミュニケーションズ刊、発売中)
 『中国人を黙らせる50の方法』(徳間書店、発売中)
 『出身地でわかる中国人』(PHP新書、品薄)
 『中国よ、反日ありがとう』(清流出版、注文すれば入手できます)
 『中国瓦解』(阪急コミュニケーションズ、同上)
 『中国のいま、三年後、五年後、十年後』(並木書房、同上)
 『中国財閥の正体』(扶桑社、品薄)
 『瀕死の中国』(阪急コミュニケーションズ)ほか。
   ♪
<宮崎正弘のロングセラーズ>
 『朝鮮半島、台湾海峡のいま、三年後、五年後、十年後』(並木書房)
 『拉致』(徳間文庫、旧題『金正日の核弾頭』を改題、文庫化。品薄)。
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◎宮崎正弘のホームページ http://www.nippon-nn.net/miyazaki/
◎小誌の購読は下記サイトから。(過去4年分のバックナンバー閲覧も可能)。
http://www.melma.com/backnumber_45206/
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(C)有限会社・宮崎正弘事務所2001−2006 ◎転送自由。転載は出典明示。
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ペンネーム : 宮崎正弘

  • 文豪三島由紀夫は「死後も成長する作家」といわれ、今日も文学、芸術、思想のあらゆる分野に亘っての研究成果が紹介される

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