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フランスの片隅から 2004-11-02 モナコ公国
発行日: 2004/11/2フランスの片隅から 2004-11-02
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INDEX
今月の話題「モナコ公国」
● モナコ基本情報
● モナコ公国略年表
● モナコの国家元首
● モナコの立法機関
● モナコの司法機関
● フランスとの関係
● 1962年の危機
● 国際社会におけるモナコ
サイト紹介「モナコ政府観光会議局」ほか
あとがき
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皆さん、こんにちは。Olivierです。
明るい話題のない毎日が続いていますね。台風や地震で被害のあった方、現在
避難生活を強いられている方にお見舞い申し上げます。
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今月の話題「モナコ公国」
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フランスからモナコに行くと、モナコはフランス語が通じるし、通貨も同じだ
し、あまり外国 という気がしません。が、切手はそれぞれの国でしか使えず
「ああ、やっぱり外国なのか」と思ったことがあります。
● モナコ基本情報 ●
モナコはフランスのアルプ・マリティム県に三方を囲まれた形で位置していま
す。残された一方は地中海に面しています。
国土は2km足らずで、世界で2番目に小さい国です。ここに約3万2000人が住
んでいますが、モナコ人は20%(約7600人)、残りは外国人です。そのうちフ
ランス人が50%、イタリア人が15%ほどを占めています。自国民が少数派の国
は非常に珍しいと思います。
公用語はフランス語です。モナコ語(ラテン語系)は現在ほとんど使われてい
ませんが、モナコの高校では外国語科目として選択できるそうです。外国人が
多いので英語もよく使われています。
● モナコ公国略年表 ●
BC2世紀末 古代ローマ帝国の支配下に入る。
6世紀〜10世紀 ゲルマン民族、アラブ民族の侵攻を受ける。
10世紀末 プロヴァンス伯がアラブ民族を撃退する。
1191年 神聖ローマ皇帝が、モナコのあたりをジェノヴァの宗主権下におく。
1215年 ジェノヴァ人が「ロシェ(岩)」に砦を築く。現在王宮がある場所。
1296年 グリマルディ家がジェノヴァから追放され、プロヴァンスに亡命。
1297年 グリマルディ家がロシェにあった要塞を占領。現在モナコ王宮前広場
にある僧侶の像は、この時要塞への侵入に成功したフランソワ・グリ
マルディ(フランチェスコ派の修道士)。
1489年 フランス及びサヴォワがモナコの主権を承認。
1512年 フランスがモナコの主権を承認。
1525年 スペインの保護下に入る。
1612年 モナコ君主のオノレ2世が大公の称号を得る。
1641年 ペロンヌ条約により、フランスの保護下に入る。
1715年 グリマルディ家の男子相続人が途絶え、フランスのゴワインヨン・マ
ティニョン家が婚姻により、グリマルディ家を継承する。
1793年 フランス革命軍が王宮を占拠し、モナコがフランスにより併合される。
(〜1814年)
1814年 フランス皇帝ナポレオンの没落後、パリ条約によりグリマルディ家が
モナコに復帰。
1815年 ウイーン条約により、サルデーニャ王国の保護下に入る。
1860年 サルデーニャ王国がイタリアに統合される。(イタリア統一)
この時、マントンとロックブリュンヌ(元モナコの領土)がモナコか
らの独立を宣言し、翌年フランスに併合される。モナコは国土の80%
以上を失った。
フランスがモナコの主権を承認、主権回復しモナコ独立。同時にフラ
ンスの保護下に入る。
カジノが建設される。
1869年 モナコ住民は、不動産税、所得税などが免除される。
1911年 モナコ憲法制定。立憲君主制の導入。
1918年 フランス・モナコ条約の締結。その中で、グリマルディ家が途絶えれ
ばモナコはフランス内の自治国となる、大公位の継承にはフランス政
府の承認を要する、フランスはモナコの防衛を保障することなどが定
められる。
1929年 第1回モナコ・グランプリ(F1)が開催される。
1940年 イタリアによる占領。
1943年 ドイツによる占領。
1949年 現大公レニエ3世が即位。
1962年 新憲法採択。(死刑廃止、女性の参政権付与など)
1963年 租税協定により、モナコ国内に居住するフランス人に納税の義務が
課される。
1993年 国連に加盟。ついで、ユネスコなどいくつかの専門機関にも加盟。
2002年 フランスと新条約を締結。
大公家に皇位継承者がなくても、公国の存続を保証。
● モナコの国家元首 ●
モナコは立憲君主制の国です。現行のモナコ憲法(1962年)以前は、王権神授
説にのっとった君主国でした。
この憲法に、モナコ公国は独立した主権国家であると明記されています。国際
社会において独立国家として扱われるのは当然ですが、フランスとの間には独
自の協約がいくつも交わされています。これは隣国と良好な関係を保つために
は欠かせないものです。
国家元首は大公です。大公位の継承は、直系の子や、婚姻・養子縁組などで継
承権を得た者(モナコあるいはフランスの国籍を有する者)の、継承権の順位
に従って行なわれます。大公位を継承する者は、フランス政府の承認を得なく
てはなりません。2002年の条約で規定が変わり、大公位継承者がなくても国家
の存続が保障されていますが、これ以前は、継承者がいない場合はモナコがフ
ランスに併合されることになっていました。
大公が対外的に国を代表します。具体的には、(諮問機関に諮った後で)国際
条約を調印し、外交官を指名し、領事を任命します。憲法の規定に抵触する内
容の国際条約の調印に際しては、国会が介入することもあります。
多くの国においてそうであるように、モナコにおいても立法、行政、司法の三
権がそれぞれ独立しています。それぞれの管轄が憲法で定められ、三権分立が
保障されています。
立憲君主国なので、行政権は大公にあります。政府の代表者である国務大臣が
大公を補佐します。
政府の構成員は、政府顧問と呼ばれています。現在は3人の政府顧問がおり、
それぞれ、内務、財務・経済、公共工事・社会問題を担当しています。
● モナコの立法機関 ●
モナコの立法権は一院制の国民議会に与えられています。議員数は24人、議員
任期は5年、直接投票で議員が選出されます。
大公も立法において重要な役割を果たします。法案の提出、採択された法律の
署名を大公が行ないますが、それ以前に、法律の採択には議会と大公が合意し
ていなければなりません。議員から法案を提出することも可能です。しかし、
事前に大公の同意を得ておく必要があります。この法案は、政府からの法案と
して国会に提出されます。
国民議会は年間2回の会期があり、必要があれば特別国会が開かれます。
法律で定める分野も、憲法で定められています。その分野とは、国籍取得・喪
失、犯罪に相当する行為の決定と対応する刑事罰、外国人の滞在許可、公益を
理由とした個人財産の接収、労働者の権利(とくにスト権)、各種手当(失業
保険、健康保険、老齢年金など)、国家財産や大公家の財産の取扱(購入、売
却、貸与など)、司法機関の機能や裁判官の身分、法人の司法的身分や営業権
などです。これらに関する規定は、政令や大公令ではなく法律という形で定め
られることになっています。
法律を補うために、法律適用に必要な細かい規則が大公令の形で出されること
があります。また、内務大臣も政令を出すことができますが、大公には拒否権
があります。
国民議会の重要な役割として、毎年国家予算(歳入、歳出)を採択します。国
家予算は公国の経済政策を反映しています。
● モナコの司法機関 ●
大公が持つ司法権は、そのまま司法機関に委託されています。そのため、裁判
所の決定は大公の名においてなされます。ただし、大公は恩赦を行なうことが
できます。
モナコの裁判所には、司法裁判所と上級裁判所の二種類あります。
司法裁判所が管轄に応じて事件を取り扱います。5つの異なる裁判所があり、
訴訟の内容が刑事事件かそうでないか、刑事事件の場合は犯罪の重さによって、
どの裁判所で裁判が行なわれるかが違います。一部の刑事事件を除いて二審制
です。
上級裁判所は、司法裁判所で行なわれた裁判に対して不服の申し立てがあった
場合に、手続き上の不備がなかったかどうかを確認します。フランスの破毀院
と同じ役割を果たす機関です。
● フランスとの関係 ●
モナコは独立国家ですが、フランスの保護下という独特の立場にあります。フ
ランスとの関係は、ベルサイユ条約の一部をなす1918年の二国間条約(後に改
正)で定められ、モナコの主権が一部制限されています。主に内政に関する制
限、経済的な制限、国防に関する制限があります。
内政に関する制限には、例えば、税関、郵便・電報、司法における相互協力が
あります。以前は電話も協力体制にあり、1996年まではモナコの国番号はあり
ませんでした。また、公務員の採用に関して、双方の国籍者には国籍条項が緩
和されています。
経済的な制限とは、関税および国税に関する制限です。関税に関して、モナコ
とフランスは関税同盟を結んでいます。関税による収入は、毎年、二国間で人
口比に応じて分割、それぞれの国の収入とします。法人税についても同様の取
り決めがあり、こちらはそれぞれの国内における取引額の比率で分割していま
す。
モナコにおいて、(法人ではない)個人の資産にかかる直接税が課されないこ
とは有名で、そのため世界中の高額所得者がモナコに移住する話を聞きます。
例外はフランス人で、1963年以降、非課税となるにはモナコに5年以上居住し
ていることを証明しなければなりません。モナコ国内に不動産を持っているだ
けでは不十分で、実際にそこで生活していることの証明が求められます。
また、モナコに設立した会社のうち、取引総額の25%以上が国外での取引によ
るものは、利益の1/3相当額が法人税として徴収されます。逆に言うと、この
枠を超えない限りは非課税、会社の利益ではなく個人(経営者など)の収入に
しておいても非課税ということになります。
国防に関してモナコの主権が制限されているのは、モナコの国防をフランスが
行なうこと(モナコは国軍を持たない)、モナコ政府は国際条約調印に際して
フランス政府と事前協議することなどです。
● 1962年の危機 ●
さて、モナコとフランスは同盟を結んで仲良くやってきたのかというと、必ず
しもそうではありません。
近代の歴史を見ると、イタリア統一、ニース・サヴォワのフランス併合後、ニ
ースがひなびた漁村から華やかな観光地へと変貌していくのとほぼ平行して、
モナコも指折りの観光地となっていきました。モナコは戦前から国営カジノと
F1レースで有名でした。しかし、戦争中は観光どころではなく、モナコの財政
は壊滅的でした。この貧窮したモナコの大公位を継承したのが、現大公のレニ
エ3世です。1949年当時、わずか26歳でした。
レニエ3世には経営の才能があったようで、カジノの経営を立て直してモナコ
再発展の基盤を築くと、上で述べた非課税政策を実施、科学技術部門を優遇し
て最先端技術を取り入れた工業を誘致するなど、観光だけに頼らない国作りを
してきました。非課税政策を取って、モナコをいわゆるタックス・ヘイブンに
仕立て上げるのは、レニエ3世が最初から考えていたことだそうです。狭い土
地に個人や法人が入ってくるので、公共工事が活発になり、モナコの経済はま
すます潤います。1950年から1961年の11年間で、モナコにおける取引総額は4
倍になったそうです。
経済的に発展していくモナコに引き換え、この頃のフランスは旧植民地との戦
争が長引き、内政・外交ともに苦しい時期でした。このため、1960年頃になる
と、両国の力関係が1918年の条約調印時とは大きく変わっていました。モナコ
経済の中心がカジノ収益によるものだった間、フランスはモナコの非課税政策
を黙認していました。1918年の条約では、フランスはモナコの独立と主権を保
障し、モナコはフランスの経済的な利益にかなう範囲で権利行使することとな
っていました。しかし、1962年頃にはモナコの政策がフランスの利益を「侵害」
し始めていました。
1962年1月、ラジオ・モンテカルロをモナコの国有企業にするという大公令が
出されます。それまでラジオ・モンテカルロを経営していたのはフランスでし
た。このことで、フランス側から強い反発が起こります。当時のモナコの国務
大臣はエミール・ペルチエ(フランス人)でした。彼はモナコとフランスの板
ばさみになります。モナコの国益を優先させるという国務大臣としての勤めを
果たさなければならないのと同時に、ラジオ・モンテカルロに関する大公令を
取り下げるよう大公に働きかけてもらいたいと、当時のドゴール大統領から個
人的に頼まれたからでした。しかし、大公は取り下げをきっぱりとはねつけ、
ペルチエは国務大臣の座を追われます。ドゴールはこの一連の出来事をモナコ
のフランスに対する反抗と理解、モナコとの関係を考え直すことをモナコに伝
えます。
ほどなくして大公令が取り下げられました。しかし、モナコの非課税政策によ
り高額納税者(個人・法人)がどんどんモナコに流れていくのを苦々しく思っ
ていたドゴールは、関税同盟の見直しをモナコに迫ります。そして、1962年4
月、フランス政府が正式に1951年の二国間協約を放棄すると発表しました。こ
の協約は、関税、国税、郵便・電報・電話の独占に関するものです。6ヶ月の
猶予期間が過ぎて協約が放棄されると、モナコとフランスの間のネットワーク
が断たれ、モナコは通信分野で孤立してしまうことになります。
この発表を受けて、レニエ大公はフランスとの交渉を承諾します。ただし、モ
ナコ国民への課税だけは交渉のテーマに入れないことを強く望みました。二国
間の交渉が1962年9月に始まることとなり、1951年の協約の放棄は回避されま
した。しかし、2点において交渉が難航しました。1つは法人税の税率、もう
1つはモナコ国内に居住するフランス人の取扱についてでした。
1962年10月、フランスはモナコ国境の検問所を復活させると決めました。1918
年以来廃止されていたものを復活させるというのですから、この決定が両国民
にとってショッキングだったことは想像に難くありません。実際には、1日の
うち数時間だけ、自動車に限ってチェックが行なわれただけでしたが、チェッ
クの重さよりも、そこに存在する国境を強調し、通行人をチェックして威圧感
を与えることに意味があったのでしょう。モナコの人々は、水、ガス、電気が
止められるのではないかと噂しあったそうです。これらのインフラはモナコが
独自に持っていたのではなく、実質的にはフランスのインフラを利用していた
からです。
ほぼ2ヶ月後の1962年12月、モナコの新憲法が発効します。憲法改正の主眼は、
国内機関を整備し直すことでしたが、同時に隣国との信頼関係を築き直す意図
もありました。レニエ大公は、小国ならばこそ、周辺諸国に対する信頼を態度
で見せなければならない、信頼を互いに失ったことが数ヶ月にわたるフランス
との緊張の主原因だったという意味の発言をしたそうです。
翌年5月、モナコ・フランス間で新しい租税協約が交わされ、モナコ国内に住
むフランス人も居住期間が5年未満の間は課税対象となりました。同じ日に関
税協約、保険に関する協約、郵便・電報事業に関する協約なども交わされてお
り、モナコに対してフランスが負う責務が新たに設定されました。
● 国際社会におけるモナコ ●
言うまでもなく、国際社会においてモナコは独立国として扱われています。ヨ
ーロッパのいくつかの国には大使を置いています。100以上の国に領事や名誉
領事を置いていますが、実務はフランス公館がモナコの領事業務を代行してい
ます。
モナコは欧州連合の加盟国ではありませんが、フランスとの関係により、加盟
国に準じる扱いです。例えば、フランスとの関税同盟と通貨同盟により、欧州
単一市場に入っているほか、ユーロのコインを造幣することもできます。
最近では、1993年に国連に正式加盟し、ユネスコ、国際保健機関、万国郵便連
合などの専門機関にも参加しています。
モナコと日本の間に正式な外交関係はありません。したがって、在日モナコ大
使館もなければ、在モナコ日本大使館もありません。それぞれ在日フランス大
使館、在仏日本大使館が業務を代行しています。日本人に関係のある話として
は、モナコの滞在許可を取得する必要がある場合、一式書類がフランス大使館
からモナコに送付されるので、手続に要する日数が若干長くなることなどでし
ょうか。ただし、東京にモナコの名誉総領事館が設置されています。
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私がモナコとフランスの関係について興味を持ったのは、高校卒業までの10年
ほどモナコに住んでいたクラスメイト(仏国籍)がいて、彼の姉がモナコ国籍
の人と結婚したのでいずれはモナコ国籍を取得するだろうという話を始めたの
がきっかけでした。モナコは平均的にフランスよりも給与水準が高いので、ニ
ースあたりにはモナコでの就職を希望する人が多く、モナコで就職するにはモ
ナコ国籍者が優先されるから彼もできればモナコ国籍がほしいと言っています。
そういえば、私がニースに来たのが1997年で、友達と一緒にモナコに行った時
にモナコ建国700年の旗があちこちにひらめいていたのを覚えています。その
旗には、トランプのダイヤの10に似たグリマルディ家の旗が使われており、て
っきりそれをモナコの国旗と思い込んでいたことも思い出しました。
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サイト紹介「モナコ政府観光会議局」ほか
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http://www.monaco.or.jp/
モナコ政府観光会議局
モナコの最新情報を得るのに適したサイト。
http://www.gouv.mc/
モナコ政府の公式サイト(仏・英語)
http://fr.freepedia.org/Monaco.html
フリーペディア「モナコ」(仏・英・独語)
インターネット上の百科事典。
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あとがき
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最近サイトが放ったらかしで、何度も様子を見に来て下さる方がいたら、本当に
すみません。好んで放ってあるわけじゃないんです。ジオシティーズとヤフーが
統合されたのに伴ってサイトを引っ越しさせなければならないのですが、手続が
よく理解できないため、まだログインできないのです。次回発行の折には、新URL
をお知らせできればいいのですが。
次回のテーマは「フランスの健康保険制度」です。細かい説明ではなく、概略が
つかめるように書こうと思っています。来月には発行できなさそうなので、次は
多分1月になります。
涼しいを通り越して寒い日が増えてきました。皆さま、お身体大切になさってく
ださい。
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フランスの片隅から(ほぼ月刊)
発行者 Olivier
転載、引用の際は本誌を出典として明記してくださるよう、お願いいたします。
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