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フランス地方都市に在住の筆者が、普段の生活を通して疑問に思ったことを書いていきます。三面記事から社会面的な内容が中心。ワイン、ファッション、観光だけでは満たされない読者の皆さまにお薦めです。
- 最新号:2004-11-02
- 発行周期:月刊
- 読んでる人:196人
- 創刊日:2001-04-16
- Score!:-点
- コメント数 : 1
- メルマガID:35737
- バックナンバー:全て公開
- 発行者サイト:あり
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フランスの片隅から 2003-12-01 「ノストラダムス」
発行日: 2003/12/1フランスの片隅から 2003-12-01
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INDEX
今月の話題「ノストラダムス」
● 年表
● 誕生〜祖父とのつながり〜学業〜結婚
● 家族の死〜修業の旅〜再婚
● イタリア旅行
● 出版〜宮廷への出入り〜死
● 宗教裁判
サイト紹介「ノストラダムスの予言詩集」ほか
あとがき
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皆さん、こんにちは。Olivierです。
先月号には普段以上に感想メールをいただきました。ありがとうございまし
た。励ましの言葉をかけてもらって、ほんとうに嬉しかったです。毎回のこと
なんですが、巨大なサイズのメールマガジンを最後まで読んでいただいたのが
伝わってくるメールばかりで、読者の皆様には感謝しています。
さて、今月はノストラダムスについて調べてみました。周りのフランス人た
ちに彼を知っているかどうか尋ねてまわったところ、知名度はそれほど高くな
いみたいで、ほんの数人、聖書(ヨハネ黙示録)と結び付けて彼の名前を覚え
ている人がいただけでした。
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今月の話題「ノストラダムス」
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ノストラダムス、本名ミシェル・ド・ノートルダム、1503年サンレミ・ド・
プロヴァンス生まれ、1566年サロン(ド・プロヴァンス)没。
詩人のジャン・ド・ノートルダムは彼の弟の一人。
● 年表 ●
1503年 誕生
1511年 カトリックに改宗
1518年 アヴィニョン大学の文学部に入学
1521年 モンペリエ大学の医学部に入学
1525年 医学部修了後、ペスト患者の診察に専念
1529年 モンペリエ大学医学部の博士課程に進学
教会による身辺調査
1531年 アジェンで結婚。一男一女をもうける
1533年 アジェンで医者として開業
1537−1538年 ペストで妻と子どもたちを亡くす
アジェンの住民や教会からの告発を受ける
1540−1544年 修業の旅(フランス・イタリア)
1545年 アルル在住。ペストの「解毒剤」を開発
1547年 サロン・ド・プロヴァンスで結婚。三男三女をもうける
1547−1549年 イタリア旅行
1550年 カレンダーの発行を始める
1552年 膏薬と散薬に関する本を出版
1555年 「百詩編」を刊行
1566年 没
● 誕生〜祖父とのつながり〜学業〜結婚 ●
ノストラダムスの出生当時はルネッサンス期の真っ只中。航海術の発展、活
版印刷技術の発明などにより、人々の生活が大きく変化しつつある時期でした。
1503年、ノストラダムスはユダヤ系の一家に生まれました。父親のジョーム
は堅実に飼料と穀物の商売に勤しんでおり、ノストラダムスはその跡継ぎにあ
たります。
ノストラダムスは母方の祖父の影響を受けて育ちました。祖父の本業は医者
でしたが、違法な薬を作ったのが原因で医師登録を抹消されました。家族から
も変わり者と疎まれていたので、ノストラダムスとの関係はひっそりと保たれ
ていたようです。
祖父はまだ幼いノストラダムスに数学、天文学、ユダヤ民族の歴史の他、季
節の移り変わり、戦争と休戦、苦難の時期と平和の時期が交互に訪れることな
ど、世界を律する法則のあれこれを手ほどきしました。
さて、16世紀初頭の学校教育は、ラテン語教育が主体でした。フランス語の
読み書きは家庭で習うものと相場が決まっていたのです。学校ではラテン語の
読み書きの他に、公民教育も行なわれていました。当時の公民教育とは、よい
カトリック教徒になることを目指して行なわれるものでした。
1511年、父のジョームが公証人になったのを機に、ノストラダムスの一家は
カトリックに改宗しました。当時8才だったノストラダムスには、改宗しただ
けではカトリック教徒の社会に完全に溶け込めるはずがないと分かっていたよ
うです。遊び友達から、改宗を理由にからかわれることもあったようです。
1518年の秋、15才を迎えるノストラダムスはアヴィニョンの文学部で古典的
な修辞学や文法の勉強を始めます。ノストラダムス家はもともとこの地の出身
らしく、当時は父方の祖父母がアヴィニョンで穀物取引きを営んでおり、ノス
トラダムスは叔母の家に下宿したそうです。
アヴィニョンでは3年間学びました。すでに祖父の教えやサンレミの小学校
で身につけていた詩や歌編に加えて、イタリア経由でもたらされたヘレニズム
文化の影響を受けた「自由七科目」を修めました。これは基礎三学科(文法、
修辞、弁論法)と四学科(算術、幾何、天文、音楽)からなる学問で、中世の
大学において一般的に学ばれる科目でした。ノストラダムスはこの他に神学
(聖書、キリスト教法)も修め、1521年に修了証書を手にします。この修了証
書は、神学部や医学部に進むための最低条件でした。同年、評判の高かったモ
ンペリエの医学部に移ります。
1525年、最終試験に合格後、ノストラダムスはモンペリエを離れます。ヨー
ロッパ中で猛威を振るっていたペストの予防と患者の手当のためです。記録に
よると、ノストラダムスの治療法は現代医学に近いものでしたが、同時代の
人々の目には奇異なものに見えたようです。身体や衣類を清潔に保ち、植物か
ら作った錠剤を常用したので、数千人の患者と接しながらも自身は感染を避け
られたそうです。
ペストが下火になったので、1529年、ノストラダムスは博士課程に進むた
め、モンペリエに戻りました。大勢のペスト患者に治療を施したことが評価さ
れて、医学部の教授職に就くこともできました。しかし、認可されていない施
術を行なったかどで、キリスト教会による身辺調査や嫌がらせを受け続けまし
た。そのため、3年目で教授職を放棄し、再びペスト患者を診るための旅に出
ざるを得ませんでした。
1531年、ノストラダムスはアジェンの名士の娘(名前は不詳)と結婚し、息
子と娘が生まれます。
1533年、アジェンで医者として開業します。翌年ペストが勢いを盛り返した
時も、アジェンは被害が小さく済んだそうです。
● 家族の死〜修業の旅〜再婚 ●
ノストラダムスは、名医の一人として名を馳せつつありましたが、1537年か
ら翌年にかけて、妻と2人の子どもがペストにかかり、治療の甲斐なく亡くな
りました。そのことで住民たちから責められただけでなく、プロテスタントへ
の傾倒を疑われて宗教裁判所から召還も受けたので、ノストラダムスは修業の
旅に出ます。1540年から4年かけてフランスやイタリアを巡りました。この間
にエジプトを訪れたことがあるとも言われています。カトリック教会や住民た
ちが彼を糾弾するので、プロヴァンスに戻るわけにはいかなかったのです。
やがて、ノストラダムスはアルルに居を構えます。ここで、彼はペストの予
防薬を発明します。予防薬の発明に、祖父から受けた教えが役立ったことは言
うまでもありません。
サン・レミ在住の薬剤師がペストの「解毒剤」を調合、エクスの患者たちに
試してみたところ、この薬が有効だと証明されました。この薬のおかげでノス
トラダムスの名はプロヴァンス一帯に知れ渡るようになり、マルセイユ、ア
ヴィニョン、リヨンなどの大都市にも招かれるほどでした。
1547年11月、ノストラダムスは故郷のサロン・ド・プロヴァンスで再婚しま
す。この結婚で、3人の娘と3人の息子が生まれました。当時彼らが暮らした
家は「ノストラダムス博物館」として現在公開されています。
ノストラダムスは再度医師として働き始め、住民たちはこぞって彼の診察を
受けに訪れるのでした。
医者業の傍ら、天文学の研究もずっと続けていました。1550年からはカレン
ダーの発行も始めます。農業に役立てることを目的とた天気予想の他、薬用植
物を用いた健康や美容に関するアドバイスも掲載されていました。天気予想の
精度を高めるため、ノストラダムスは天文学の研究も始めました。
● イタリア旅行(1547−1549) ●
この旅行中に、ノストラダムスはミラノで一人の薬剤師と出会いました。彼
は植物を用いた錬金術にも長けていました。彼がノストラダムスに薬草を用い
た膏薬の効力を説きました。
伝説によると、このイタリア旅行中に、ノストラダムスはアンコナの地で弟
たちと再会したようです。この時、弟(フェリーチェ・ペレッティか?)の前
で跪き、彼の衣服にキスします。この弟が1585年、シクトゥス5世となったの
だそうです。
● 出版〜宮廷への出入り〜死 ●
ノストラダムスは1552年に膏薬と散薬に関する本を出版しました。この本に
はイタリア旅行中に得た新しい知識が反映されています。
1555年5月「百詩編」を発表します。「百詩編」は3度に分けて発行され
ました。
1555年刊行分に収録されたのは、長男セザールにあてた手紙、百詩編第一部
から第三部、53編の四行詩(「百詩編」第四部に相当)でした。
続いて1557年刊行分で、百詩編第五部およびフランス王アンリ2世にあてた
手紙を発表。
やや間を空けて、1568年刊行分で将来の展望と六行詩が発表されました。
この他、未完成の百詩編第六部と第七部があり、これらはノストラダムスの
死後に発見されることになります。
さて、1555年5月の「百詩編」が大成功を収め、ノストラダムスはフランス
各地に招かれるようになります。ついには、王妃のカトリーヌ・ド・メディチ
も彼に面会を申し込みます。彼女は占星術、秘術、魔術に魅せられていたので
すが、「百詩編」に収録された四行詩1-35の内容が、お抱え占星術師のリュッ
ク・ゴリーの予言と一致しているのに気付き、いてもたってもいられないほど
心配になったのです。
この四行詩1-35は、アンリ2世の最期を予言したものだと言われています。
詩の内容の解釈はさておき、アンリ2世は自らが主催する武術大会の友好試合
に出場し、その時の事故が原因で亡くなりました。騎馬試合の相手はモンゴメ
リー伯爵。2回戦まで引き分けた後、カトリーヌが懇願するのを意に介さず3
回戦にも出場し、そこで事故が起きました。10日間苦しんだ後の死だったそう
です。
アンリ2世の死後、3人の王子たちの行く末、それに続くナヴァールのアン
リの即位(アンリ4世)を言い当てたことで、ノストラダムスはカトリーヌの
お気に入りとなり、彼女の庇護を受けることができるようになりました。この
お陰で、ノストラダムスの成功が確実なものとなります。もしも彼女と近しい
関係を持つことがなかったら、彼は宗教審問所により死刑を言い渡されただろ
うし、著作もすべて焼却処分になってもおかしくない内容でした。ユダヤ教の
家庭出身であること、当時禁じられていた占星術と錬金術を研究していたこと
で、ノストラダムスの身辺には常に監視の目が光っていたのです。
宗教戦争の激化、ペストの再度の流行に加え、カトリーヌが気まぐれな性格
な持ち主だと分かったので、ノストラダムスは宮廷を辞して、サロン・ド・プ
ロヴァンスに戻りました。
1566年、ノストラダムスは自分の死を予感し、遺言書を作成します。その約
2週間後、本人が予感し、予言したとおりの姿で自宅で亡くなっているのが発
見されました。
● 宗教裁判 ●
15世紀から18世紀にかけて、「魔女」は世の中のすべての災いの元だとして
厳しく糾弾されました。
1484年にローマ法皇のインノケンティウス8世が勅書を発する以前は、錬金
術や民間信仰による怪しげな魔術は異端審問の対象ではありませんでした。カ
トリックの敵、つまり全知全能の神や教会の社会的な役割に異議を唱える者た
ち、とくにカタリ派(キリスト教異端派)、宗教改革の先駆者たち、ユダヤ教
徒、スペインを制圧したムーア人(北アフリカ出身、イスラム教徒)、政治的
なライバル(とくにテンプル騎士団)、カリスマ的な人物(ジャンヌ・ダルク
など)、ルター派、科学者(ガリレイなど)にその矛先が向けられていたから
です。
語源をたどると、異端審問(フランス語ではInquisition)とはラテン語の
「inquisitio」つまり「調査」を意味する言葉でした。宗教裁判そのものはカ
トリック教会と同時に誕生したと言ってよいのですが、時代が進み、教会の権
威が脅かされるようになるにつれて、少しずつ厳しさを増しました。
とくに、12世紀頃からは数々の派閥が生まれ、人々のカトリック離れが教会
にとって大きな問題となりました。そのため、宗教裁判で異端の者を糾弾する
ことが、聖職者の職務として重要な位置を占めるようになったのです。
フランスにおいては、南部にカタリ派の者が増えて、1229年トゥールーズに
宗教裁判所が設置されました。ローマが直接管轄する裁判所で、主にドミニコ
派の司教が裁判を取り仕切りました。というのは、時の法皇グレゴリオ9世
が、ドミニコ派をとくに優遇したからです。
しかしながら、この頃の宗教裁判の具体的な手続は、証人からの事情聴取、
本人の身辺調査を経て裁判が実施されるというものでした。この裁判では、告
訴された人の信仰心の度合いや純粋さをはかり、問われる罪は神に対する不敬
罪のようなものでした。告訴は、密告によってなされることもあり、信仰心に
うたがわしさが感じられるというだけで裁判になることも、頻繁にありまし
た。
カトリック教会は地域ごとに管轄され、各地域に一人の宗教裁判官がおかれ
ました。宗教裁判官は布教活動と宗教裁判の最高責任者でした。
トゥールーズ宗教裁判所の記録によると、宗教裁判で有罪となった者に与え
られる刑罰は、本人に反省の色が見られた場合は宗教的なもの(断食、巡礼、
告解など)、そうでない場合は財産の没収や投獄(多くの場合終身刑)もあり
得ました。1256年、自白を引き出すための拷問が合法と認められました。
鞭打ち刑や死刑の執行は公開で行なわれることが多かったようです。当時の
死刑といえば、火あぶりと決まっていました。聖職者は他者の命を奪うことが
許されていないので、死刑執行人が雇われました。
宗教裁判所の重圧に耐え兼ねた住民が蜂起したり、各地の有力者たちも教会
の権力があまりに大きいことを疑問視し始めたりしたので、1312年以降はフラ
ンス王直轄の裁判所が公式にプロテスタントの弾圧を始めました。
しかしながら、冒頭に書いたインノケンティウス8世の勅書(1848年)で、
カトリック的でないすべてのものが宗教裁判の対象とされました。悪魔的なも
の(魔術や秘術と呼ばれるもの)、民間信仰、科学的なもの(錬金術や怪しげ
な薬品の調合など)が糾弾されるようになりましたが、その基準はあくまでも
主観的なものでしかありませんでした。不審な人物として召還した被告人を
「無罪」で放免すると教会の権威が傷つくので、自白させるための拷問が日常
的なものとなったり、文章に書き起こすのがためらわれるような方法で「魔女」
かどうかの見極めを行なったりと、陰惨さを増していくのです。
フランスでは宗教裁判所は18世紀初頭まで活発に機能していました。そし
て、宗教裁判の制度そのものがフランスで廃止されたのは1808年、ナポレオン
の時代でした。
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日本語によるノストラダムス紹介の中には彼の詩集のタイトルを「百年紀」
や「諸世紀」と訳してあるものがあったのですが、フランス語の
「Centuries」には「世紀」の意味がないので、これは英語からの推測による
誤訳ではないでしょうか。この語には古代ローマ軍の「百人隊」の意味がある
ので、100のまとまり、「百詩編」のように訳すのが良いように思います。
最近ずっと宗教/非宗教の問題が頭の隅にありまして、フランス革命後のフ
ランス人が政治の場に宗教(=カトリック)が入り込むのを嫌う理由は、具体
的には宗教裁判の記憶ではないかとこの号を書いていて思いつきました。で
も、それなら、スペインやイタリアで、フランスのような厳密な政教分離の考
え方が取り入れられていないのはなぜかという疑問もわいてくるのですが。
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サイト紹介「ノストラダムスの予言詩集」ほか
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http://www.geocities.co.jp/Bookend/5552/
ノストラダムスの予言詩集「諸世紀」(日本語)
「予言」に興味がある方にお勧めします。
http://nostredame.chez.tiscali.fr/
Espace Nostradamus(仏語)
このサイトに掲載されているノストラダムスの伝記は、詳細なだけでなく、
豊富な引用、解説もついていて、とても読み切れませんでした。
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あとがき
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今年は同じクラスにOlivierくんがいるんです。彼の名を呼ぶ時は、ちょっ
と照れます(なんでやねん)。
来月は「2004年の地域圏議会議員選挙」を取り上げます。
3月に表記の選挙が行なわれるんですが、ゼミの課題でこの選挙関連の記事
を分析することになりまして、クラスメイトと私は、この選挙に対する記者た
ちの心配事、危惧などを重点的に調べることにしました。来号には、この調査
内容と選挙そのものに関する情報を載せる予定にしています。調査の進捗状況
によっては、分析までは載せられず選挙あるいは地域圏に関する情報だけにな
るかもしれません。
では、気が早いですが、来年までごきげんよう。
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フランスの片隅から(ほぼ月刊)
発行者 Olivier
転載、引用の際は本誌を出典として明記してくださるよう、お願いいたします。
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