ベテラン家庭教師が伝える小論文の書き方のコツ |
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今回は「なぜ勉強すべきなのか」について書いています。
なお、実際の試験では「課題文」を読んだ上で、そこに書かれた意見や
主張に対し、自分なりの意見や主張を書け、という出題形式が多いと
思われますが、著作権等の関係上、このメールマガジンでは「課題文」
を設けず、大まかな「テーマ」について書いていく予定です。
今回のテーマ「なぜ勉強すべきなのか」は、第2回の「死刑は廃止
すべきか」とは異なり、「Yes or No」で答えられません。
「勉強すべきか」であれば「Yes or No」で答えられますし、
「なぜ勉強すべきなのか」という問いに対して「そもそも勉強すべき
とは思わない」と答えるのも、かなり危険(0点の可能性も)ですが
一つの手では、あります。(第1回でも書きましたが、「目立たせる
(キラリと光らせる)」べく、あえて他の人があまり書かない意見を
書くというのは自信が無い場合の「最終手段」としては検討に値する
と言えるでしょう)
とりあえず今回は一つの意見を書いていますが、「勉強すべき理由」は
いくつでも考えられます。実際に何百字と書かずとも、結論(「勉強
すべき理由」)について、いくつか「候補」を考えるだけでも小論文を
書く上での経験となります。実際の試験では時間や字数が限られている
場合が多いですが、試験まで時間がタップリある場合や、小論文を勉強
するのが初めてに近いというような方は、とりあえず頭の中で「候補」
を出来るだけ多く考えることから始めてみてください。
では、まずは僕の「解答例」を御覧ください。
「なぜ勉強なんて、しなきゃならないのか」、「学校で習うことの多く
は、大人になってから役に立たないじゃないか」などと言う人が居る。
確かに、読み書きや計算などを除けば、特定の職業に就いた場合などに
しか役に立たない教科も在るかもしれない。
だが、だからといって小学校の国語や算数だけ習えば十分、ということ
は無いだろう。「勉強する」というのは、「選択肢や可能性を広げる」
ということでもあるからだ。
これには、2つの側面が存在する。「知る」ということと「必要となる
場合が在る」ということだ。
世界史や物理、数学といった中等、あるいは高等教育といったものは、
日常生活で触れたり独力で「思いつく」ことは難しく、学校などで学ぶ
ことが無ければ「全く知ることも無く」終わってしまうかもしれない。
つまり、あるジャンルに興味を持ち、その道(研究者など)に進む
可能性がゼロになってしまうということである。
また、何か(職業や学校など)に興味を持ち、その道に進みたいと
思った時に、「勉強する(した)」ということが必要となる場合が
ある。「興味を持ち、その道に進みたいと思ってから」勉強しても
間に合う場合も在るだろう。だが、それには血の滲むような努力が
必要となるかもしれないし、リミット(年齢制限)が存在する場合
も在るだろう。
無論、全く勉強せずとも生きていくことは出来るだろうし、勉強が必要
となる道に興味を持つことすら無く終わるかもしれない。だが、「必要
になった時に困らないように」早い内から勉強しておく、ということは
将来のための貯金、あるいは保険のようなものであり、有効に働くこと
も少なくないだろう。
幼い頃からスポーツなどで優れた能力を発揮し、10代の内からプロと
して活躍しているというような人でも、時間を見つけて大学を卒業する
ところまで勉強を続けている人も多いと聞く。
「進みたい道」自体は勉強を必要とせずとも、何らかの理由で進む道を
変えねばならなく場合も在るし、また、勉強を続けていれば、また別の
「進みたい道」が見つかるかもしれないのである。
より良い道、より自分に合った道を見つけ、その道に進むため、やはり
誰もが勉強はすべきであると私は考える。
いかがだったでしょうか。同じようなことは以前に別のメールマガジン
でも書いたのですが、まあ、「勉強すべき理由」として、「まあまあ」
かな、と自負しています。これを説いたからといって、全ての子供達が
頑張って勉強するようになる、とは保証できませんが・・・。
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