飛鳥遊訪マガジン Vol. 020
発行日時: 2008/5/2 ゴールデンウィーク真っ最中ですね。飛鳥のレンゲ咲く遊歩道に、ハイキ
ングやサイクリングを楽しまれる姿が増えてきました。期間中のお天気もま
ずまずの予報が出ています。キトラ古墳壁画公開の関連イベントも盛んに行
われていますので、飛鳥に足を向けられる好機かも知れませんね。
両槻会では、4月29日に、第七回定例会の関連イベントとして、竜門寺
跡を訪ねてきました。19名の参加者と共に、楽しい一日を過ごすことが出
来ましたご。参加くださいました皆さん、ありがとうございました。
飛鳥遊訪マガジン20号は、近江先生のご寄稿と事務局からは太古・TOM
の二人が担当です。また、お知らせの項では、奥飛鳥案内のいよいよ最終回
「檜隈寺跡」を掲載しています。お楽しみください。 (風人)
┏◆━index ━━◆◇◆
〈1〉寄稿 ・・・飛鳥のみち 飛鳥へのみち / 近江俊秀先生
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〈2〉飛鳥話 NO.1 ・・・季節で巡る太古の飛鳥 / 河内太古
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〈3〉飛鳥話 NO.2 ・・・TOMの飛鳥ほろ酔いがたり / TOM
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〈4〉飛鳥情報
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〈5〉両槻会からのお知らせ
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〈6〉編集後記
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〈1〉飛鳥のみち 飛鳥へのみち
橿原考古学研究所 主任研究員 近江俊秀先生
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇◆◇━━━━
「その2 阿倍・山田道(2)」
参照の地図をご覧いただきたい。
参考地図(近江先生作成の参考資料です。)
http://asuka.huuryuu.com/magazine/photo/yamadamiti-2.jpg
このみちの沿線には、蘇我稲目の小墾田の家・向原の家・軽の曲殿、馬子
の石川の宅、蘇我蝦夷・入鹿父子の甘樫岡の邸宅など、歴代の蘇我総本家の
邸宅があることがわかる。また、そこから北東に進むと、歴代天皇の宮がつ
くられた磯城・磐余の地に至る。ここには、稲目が大臣として仕えた欽明天
皇の磯城嶋金刺宮、馬子が仕えた敏達天皇の訳語田幸玉宮、用明天皇の磐余
池辺双槻宮、崇峻天皇の倉橋柴垣宮などがある。つまり、「阿倍・山田道」
は、大臣の家と天皇(この頃は、大王)の宮とを結ぶように走っているので
ある。
蘇我氏のもともとの本拠地は、橿原市曽我町付近と考えられている。現在、
近鉄真菅駅のそばには、式内社宗我坐宗我都比古神社があり、小綱町には入
鹿神社があり、これらは蘇我氏の本拠地が、本来このあたりにあったことを
示す傍証となろう。また、このあたりは、弥生時代から古墳時代の遺跡が多
く確認されている場所でもある。つまり、古くから住みやすく、生産力に富
んだ肥沃な土地が広がっていた場所だったのだ。
蘇我氏が飛鳥に進出したのは、6世紀になってからである。それに前後し
て蘇我氏は周辺の渡来系氏族を傘下に入れ、さらなる経済力と最新の技術を
手にいれたようである。そして、宣化天皇元年(536)、蘇我稲目が大臣
として歴史の表舞台に登場する。宣化天皇の宮は、桧隈廬入野宮。ここは、
蘇我氏と非常親密な渡来系氏族である、東漢氏の本拠地である。そこに宮が
おかれたということは、宣化即位に蘇我氏が関わっていたことを示すもので
あろう。つまり、稲目の名が記録に現れる以前に、蘇我氏は天皇の擁立に携
われるだけの力を有していたと言える。その力の源は、代々受け継いだ生産
力、渡来人から得た最新の技術と大陸の情報、そして人脈であった。
蘇我氏の飛鳥進出のねらいは、自らの勢力の拡大をはかるとともに、天皇
家との接近にあったと思う。この頃の天皇の宮は、通常、磯城・磐余に置か
れていた。飛鳥の地は、渡来系氏族の居住地に接し、磯城・磐余に近い。飛
鳥を本拠にするということは、当時の蘇我氏のライバルと言える物部氏や大
伴氏よりも有利な立場にたつことを意味する。なにせ、「阿倍・山田道」を
とおれば、磯城・磐余の宮は目と鼻の先であるのだから。
━━━◇『橿原考古学研究所』
http://www.kashikoken.jp/
┏◇◆━━━━━━━━
〈2〉季節で巡る太古の飛鳥 / 河内太古
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇◆◇━━━━
「岡のしゃくなげ」
明日香村岡の集落の鳥居をくぐり、何度も息を整えながら長い急勾配の参
道を登ると、西国観音霊場の第7番札所として、また厄除観音で知られる
「岡寺」があります。
駐車場から比較的楽に上る道もあるのですが、麓の鳥居から初めてこの寺
を訪ねた方は、もうすぐ仁王門という手前あたりで息を切らせて立ち止まっ
た記憶をお持ちの方が多いと思います。その急勾配に寄り添うように、参道
名物の「坂乃茶屋」があります。参拝する前にちょっと休んで行くか、やっ
ぱり帰りに立ち寄るかと、ふと迷うような絶妙の位置にあります。
気さくで話し好きのおばさんは、お店のにゅうめんとともに、訪ねる人の
記憶に残るお人柄です。店内には立ち寄った人が残していったおびただしい
記念の色紙が、壁から天井までびっしりと埋め尽くされています。何度も訪
ねている人から著名人まで、その色紙にこのお店の歴史と訪ねた人の思いが
貼り付いているようです。
厄除け観音霊場として季節を問わず信仰を集める岡寺ですが、4月中旬か
ら5月中旬のこの季節になると、奥院石窟のある山中が淡いピンクの石楠花
の花に覆われます。
4月19日、雨上がりの休日に、少し早いかなと思いながらも、どこより
も早く石楠花の花が咲くこの寺を訪ねました。ちょうど新緑の瑞々しい青葉
と重なり、山の冷気にも包まれて、まるで別世界に迷い込んだような清浄感
を味わうことができました。
岡の石楠花
http://asuka.huuryuu.com/magazine/photo/20/syakunage.jpg
本堂を眼下にめぐる散策路は、人一人が辿れるほどの幅しかありませんが、
この雰囲気に包まれると行き交う人の心も和まされるのか、静かに自然と互
いに道を譲り合う気持ちになるようです。
全山をなだれ落ちるような石楠花と新緑の散策路を巡り、三重宝塔のある
高台に立つと、眼下に飛鳥の里が広がり、橘寺の全景を俯瞰することができ
ます。遠くに葛城、金剛の山並みが見渡せ、この高台も絶好の飛鳥展望所と
なっています。反対に橘寺周辺から東の山を振り返ると、山の中腹に、良く
見ないと気づかないほど小さく可愛い印象のこの三重塔が望まれます。
三重塔から眺める飛鳥
http://asuka.huuryuu.com/magazine/photo/20/okadera.jpg
この日は、朝風峠を越え、いつもの稲渕の棚田をめぐり、石舞台周辺の棚
田に広がる菜の花畑を見ながら、岡寺を訪ねました。石舞台から岡寺に抜け
る薮中の路は、少し起伏がありますが、緩やかな曲線を描く竹林のトンネル
を抜ける静かな散策路で、晩秋から春先には堆く枯葉が積もっていて、すっ
かりお気に入りの路となっています。この路を抜けると、ちょうど「坂乃茶
屋」の手前に出ることが出来ます。参道の上り一筋の勾配よりも変化があっ
て楽しむことができる散策路になっています。初めての方は機会があれば一
度辿ってみられることをお奨めします。
━━━◇『季節を訪ねて〜河内太古の写真館〜』
http://www2s.biglobe.ne.jp/~kawati/
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〈3〉TOMの飛鳥ほろ酔いがたり / TOM
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇◆◇━━━━
「大津皇子考その1」
香久山の北の端に今では見られなくなった飛鳥時代に磐余(いわれ)の池
と呼ばれた池の跡があります。そこに大津皇子の辞世の歌の碑が立っていま
す。『ももつたふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ』と言
った悲しい歌です。普通辞世の句と言えば一句ですが、彼にはもう一句漢詩
のものが懐風藻にあります。
『金烏臨西舎 鼓聲催短命 泉路無賓主 此夕離家向』
と言うものです。読み下しますと『金烏西舎に臨み 鼓聲短命を催す 泉路
賓主無く 此夕家を離れて向かう』大体の意味は「陽の光が西の舎に射して
きた 太鼓の音(時を知らせるもの)は自分の短命を催しているようだ 冥
土への路では主人とか客人とかの区別はないそうだ 今日の夕方には家を離
れてその路に向かうのだなあ」と言ったやはりもの悲しい歌です。時に大津
皇子24歳の時の歌と言われています。
さて今日は、大津皇子が何故死ななければならなかったか色々な書物から
推測してみたいと思います。全ての書物が正しく記載されているかどうか分
かりませんが、先ずは日本書紀を見てみます。
天武記下に9月9日天武天皇が亡くなられたことが見えます。そこで発哀
(みね:声を出して泣く儀式)が11日から行われます。「9月24日南庭
で殯をし発哀した。」と言う記事に続き、「このとき大津皇子が皇太子に謀
反を企てた。」と言う記事が見えます。この皇太子とは勿論、草壁皇子なの
ですがその謀反の内容については触れていません。次いで持統天皇記に10
月2日大津皇子の謀反が発覚し、同時に大津皇子に「欺かれた」30数名が
逮捕されたことが書かれています。翌3日には「訳語田の舎で死を賜った。
時に年24。妃の山辺皇女(天智天皇の娘)は髪を乱し裸足で走り出て殉死
した。見る者は皆すすり泣いた。皇子大津は天武天皇の第3子で威儀備わり、
言語明朗で天智天皇に愛されておられた。成長されるに及び有能で才学に富
み、特に文筆を愛された。この頃の詩賦の興隆は皇子大津に始まったと云え
る。」と言った罪人を褒め称えたような文章が載っています。この後2年半
程で亡くなった草壁皇子の場合は「4月13日、皇太子草壁皇子尊が薨去さ
れた。」としか記されていません。この違いは何なのでしょう。そして同月
29日には逮捕者への沙汰が降ります。「皇子大津は謀反を企てた。これに
欺かれた官吏や舎人は止むを得なかった。今、皇子大津は既に滅んだ。従者
で皇子に従った者は、皆赦す。」と言った異例のものでした。但し、舎人の
礪杵道作(ときのみちつくり)が伊豆(現在の下田市)へ流罪、そして新羅
の沙門行心(こうじん)が飛騨の寺(寿楽寺:飛騨市古川町か)に移されて
います。この二人にのみ実刑が降りた訳です。これだけの記事からだけでは
大津皇子がどんな謀反を企てたのかさっぱりわかりません。寧ろ博学で才長
けた人物像を思い浮かばされます。
それでは告ぎに彼を取り巻く環境から考えてみましょう。
1. 父親は天武天皇、母親は持統天皇の実姉太田皇女。
2. 同母兄弟は2才年上の姉 大伯皇女。
3. 異母兄弟として9才年上の高市皇子、
一つ年上の持統天皇の実子・草壁皇子、他。
4. 妃は年を同じくする天智天皇の娘 山辺皇女
5. 漢詩作りでの友人として3才年上の天智天皇の息子川島皇子。
6. 新羅の僧、行心
7. アイドル的存在だった石川郎女
太田皇女は大津皇子が5歳の時早世していますからこの事件の時にはいま
せんし、事件は天武天皇の殯の時ですから当然天武天皇もいません。姉の大
伯皇女は斎宮として15歳の時伊勢に出されていますから普段は会えません。
しかし事件の前に何故か大津皇子は密かに姉大伯皇女に会いに伊勢に行った
と万葉集に書かれています。但し何をしに行ったのかに付いては触れていま
せん。唯、大伯皇女は大津皇子を都に帰すには忍ばれない旨の歌を作ってい
ます。何か相談に行ったことは想像に難くありません。
持統天皇と草壁皇子は天武天皇崩御の3ヶ月ほど前に天皇から大権を委譲
されていますから、このままの路線で行けば持統天皇から草壁皇子へと自然
の流れはあったようです。
高市皇子は年長ですが母親の出自から高位にはなれず、壬申の乱では多大
の功績があったにも拘わらず草壁、大津に次ぎ3番目の地位で本人も納得し
ていたようです。最後は太政大臣まで上り詰めますが43才の若さで亡くな
ります。終始天武天皇の右腕、持統天皇の右腕として政治に携わってきたよ
うです。
大津妃の山辺皇女は蘇我赤兄の娘で天智妃、常陸娘の娘です。大津皇子の
死を知り裸足で飛び出して殉死する様はまさに悲劇のヒロイン的役割をして
います。
川島皇子は天智の皇子ですが、吉野の盟約にも参加させられている仲間で
あり、漢詩作りの朋友であったとされています。
新羅の僧・行心とは急に出てくる名前ですが、懐風藻に占いをする旨描か
れています。天武記で天武天皇が亡くなる前、6月10日に占いをすると
「草薙の剣の祟りがある」と出て、即日熱田神宮に送った記事がありますがこ
の占いも行心によるものなのかもしれません。 尚、懐風藻では大津皇子の
顔相を占って「下位に甘んじるものではない。」と言ったそうですが、実質
No.2の位置にいる者に「下位」と言って謀反を唆したとするのは少々考え
させられます。因みに彼の息子は神馬を朝廷に贈ったことで皇子の変後16
年で赦され京に戻ることが赦されます。
石川郎女とは、相聞歌が万葉集に見られます。草壁も贈ったようですが、
その返歌があったかも知れませんが万葉集には見られず、恰も大津には気が
あったように書かれています。彼女は他の男性と結婚するのですが、大伴安
麻呂に引かれ離婚して彼と再婚します。二人の子供をもうけ晩年は悠々自適
な生活をして過ごしたようです。尚、大伴旅人は義理の息子になります。
さて此処まで見てきましたが、この中の誰もが「どうしても大津皇子がい
ては困る」と言った人物は見当たりません。では、本当に大津皇子は謀反を
企てたのでしょうか。次回はもう少し大津皇子がいない方が良かったと思っ
た人物について見ていきましょう。
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〈4〉飛鳥情報
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇◆◇━━━━
飛鳥資料館で開催される「キトラ古墳壁画公開」にあわせた追加情報をお
知らせします。
◆文化庁主催記念講演会
日 時: 5月17日(土)14:00〜16:00(13時半より受付)
会 場: 奈良県立万葉文化館企画展示室
講演者: 川野邊渉氏
(東京文化財研究所保存修復科学センター副センター長)
相原嘉之氏
(明日香村教育委員会文化財課主事)
参加費: 無料
申 込:往復葉書に住所・氏名・電話番号・希望人数(1枚で2名まで)
締 切: 5月10日(土)必着 (先着順)
◆トークショー「鹿男 キトラに迫る」
ドラマ「鹿男あおによし」に出演された俳優の児玉清氏と奈良文化財研究
所々長・田辺征夫氏とのトークショーです。
日 時: 5月24日(土)14:00〜15:30
会 場: 奈良県立万葉文化館 企画展示室
参加費: 無料
申 込: 往復葉書に住所・氏名・電話番号・希望人数(1枚で2名まで)
締 切: 5月12日消印有効(応募多数の場合は抽選)
上記イヴェントの申込に関する詳細は、飛鳥資料館公式HPのトッピクス
でご確認下さるようお願い致します。
飛鳥資料館公式HP
http://www.nabunken.go.jp/asuka/index.html
また、飛鳥資料館公式HPでは、ムービーコンテンツ「十二支 子・丑・寅」
も公開されています。
◆飛鳥周遊ウォーク〜世界遺産登録に向けて〜
飛鳥・藤原京とキトラ古墳の世界
“飛鳥”古代寺院遺跡を巡る 全行程 約13キロ
主 催 奈良大学・飛鳥保存財団
日 時 5月17日(土) 集合場所:近鉄飛鳥駅前 9時(予定)
解散場所:飛鳥資料館前 17時(予定)
講 師 奈良大学名誉教授 水野 正好 氏
奈良大学教授 上野 誠 氏
参加定員 200名(先着順)
申し込み方法など詳細は、下記リンク先をお読みください。
http://www.asukabito.or.jp/wark.html
┏◆◇◆◇◆━━━━━
〈5〉両槻会からのお知らせ
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇◆◇━━━━
4月29日に行いました「神仙境竜門寺を訪ねるオフ」のレポートを両槻
会サイトにUPしました。第一回・第七回の定例会関連で特別オフになりま
す。各回の資料などとあわせて目を通して頂くとより面白味も増すと思いま
す♪よろしければご覧下さい。
神仙境竜門寺を訪ねるオフ会レポ
http://asuka.huuryuu.com/kiroku/teireikai-7/teireikai7-repo3.html
:::::::::::::::::::::::::::::::::::
第八回定例会は、「新緑の奥飛鳥探訪−奥飛鳥の神秘女淵を訪ね、皇極天
皇雨乞いの謎に迫る」と題したウォーキングイベントを5月10日に実施い
たします。新緑の奥飛鳥をご一緒に歩きませんか♪
何方でも参加いただけますが、両槻会へメールにて事前申し込みが必要で
す。詳細は、両槻会サイト第八回定例会の予定のページをご覧ください。
参加申込は、5月5日までに両槻会へメールにてお願いします。
http://asuka.huuryuu.com/yotei/teireikai-8/yotei-8.html
:::::::::::::::::::::::::::::::::::
今号まで掲載してきました第八回定例会に関連するお話も、いよいよ最終
回になります。今回は、檜隈寺跡のお話です。
「檜隈寺跡」
檜隈寺跡は、栗原の石仏辺りから西を見ると、こんもりと茂った森がその
位置を示してくれます。現在は、その境内跡に於美阿志神社が建てられてい
ます。
http://asuka.huuryuu.com/magazine/photo/okuasuka/hinokumatera.jpg
於美阿志神社は、東漢氏の祖・阿智使主(あちのおみ)を祭神としていま
す。『日本書紀』には、応神天皇20年に阿智使主がその子・都加使主(つ
かのおみ)、および自分の党類十七県を率いて渡来したとの記事があります。
(「おみ・あし」と「あち・おみ」、音が似ているように思います。於美阿
志神社の名は、あるいは転訛によるものなのかも知れません。)
これらの渡来系の人々は、朝鮮半島の南にあった「安羅」出身であったと
も言われます。(東漢の解釈については、諸説有ります。)彼らは、当初そ
れぞれの氏族名を名乗っていたのでしょう。しかし、大和に住む安羅出身者
であることを示す東漢を集団の総称として用いることで団結し、共通の祖先
神として阿智使主を祀るようになったのかも知れません。
於美阿志神社は、江戸時代までは現在地の西にあったようですが、明治4
0年に遷座したようです。
さて、檜隈寺ですが、東漢氏の一端を担う檜隈氏の氏寺であると言われて
います。地形的には、南東方向から延びた尾根の一つに在ります。伽藍もそ
の地形に影響されているためか、正方位を向いていません。また、伽藍配置
も珍しい様式となっています。
中門は地形に沿って西方向に開き(3×3間)、その正面に塔があります
(3×3間)、中門から延びた回廊は、南の金堂と北の講堂に取り付き、塔
の後ろを巡って結びます。塔を中心にして、金堂と講堂が向き合うような伽
藍配置と言えば分かりやすいでしょうか。
http://asuka.huuryuu.com/magazine/photo/okuasuka/hinokuma-garan.gif
塔跡の基壇の上には、平安時代後期に造られた十三重石塔(重要文化財・
現在十一重)が建ちます。また旧塔の礎石を見ることが出来ます。発掘調査
からは、塔の建物は、一辺7.5mに復元出来るようです。石塔の解体修理に
伴う調査によって、地下から旧塔心礎と石塔の埋納物(ガラス製小壺・青白
磁合子・蓋付須恵器四耳壺)が発見され、国の重要文化財に指定されていま
す。現在は奈良国立博物館に収蔵されていますが、心礎の複製は塔跡すぐ南
に設置されており、往時を偲ぶことが出来ます。また、埋納物のガラス製小
壺は、創建当時の舎利容器である可能性が指摘されています。
http://asuka.huuryuu.com/magazine/photo/okuasuka/tousinso.jpg
金堂は、建物全体としては、正面が13.92m、奥行きが11.38mに復
元されるようです。現在も礎石の一部が露出しており、基壇の一部も目で確
かめられます。その基壇の周囲は、川原石を約1m幅に敷き詰めていたよう
です。講堂の基壇外装は瓦積として知られますが、金堂の基壇外装は不明な
のだそうです。
講堂は、7間×4間の四面庇の大きな建物であったことが分かっています。
正面29.4m×奥行15.3mの建物として復元されます。現在、講堂跡は整
備され、残存していた礎石と復元された礎石が置かれ、講堂の規模を実感で
きます。基壇は、先にも書きましたように瓦積基壇と言われる様式を採用し
ていました。
檜隈寺は、日本書紀朱鳥元年(686)の条に「檜隈寺・軽寺・大窪寺に
各百戸を封ず。」という記事に登場するのですが、それ以外の記録は無く、
創建やその後の推移も分かっていません。発掘調査の成果(出土瓦の変遷な
ど)によれば、金堂が7世紀の後半に建立され、塔と講堂が遅れて7世紀末
に建てられたと考えられているようです。しかしながら、調査では7世紀前
半の瓦も出土しているようですから、伽藍寺院が出来る前に、その前身とな
るお寺の存在も想定されます。
付近からは、奈良時代の瓦も出土するようですので、ある程度の規模を維
持しながら存続していた物と思われますが、石塔の建つ平安末期には、おそ
らくは倒壊に近い様相となっていたのではないかと思われます。講堂跡には、
講堂礎石の一部をそのまま利用した仏堂が建てられ、そのお寺が寺籍を継い
でいたのかも知れません。本居宣長の菅笠日記に登場する道光寺が、檜隈寺
であるとされますが、あるいはこの講堂跡の堂を指すのかもしれません。
【まとめ】
奥飛鳥女淵から飛鳥駅まで、約10kmのハイキングをしてきました。前半
の奥飛鳥では、皇極天皇を中心にした飛鳥時代に想いを馳せました。稲渕で
は、南淵請安を通して飛鳥の激動期を思い描きました。そして最後の檜前で
は、東漢氏を中心にした渡来系の人達の痕跡を追ってみました。
飛鳥のメイン観光地からは外れますが、だからこそ残っている物もあった
ように感じます。皆さんは、どのように思われたことでしょう。長い奥飛鳥
案内にお付き合いくださいまして、ありがとうございました。
第八回定例会の申し込み締め切りが、迫ってまいりました。ご一緒に爽や
かな薫風を受けながら歩いてみませんか。定例会参加申し込みをお待ちして
おります。また、今回はご参加いただけない皆さんも、少しでもご興味を持
っていただけましたら、是非一度奥飛鳥へ足を向けてみてください。今回の
コース案内用に描きました地図をリンクしておきます。ご参考になさってく
ださい。
http://asuka.huuryuu.com/magazine/photo/okuasuka/8m-3.png
(風人)
┏◇◆◇◆◇◆━━━━
〈6〉編集後記
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇◆◇━━━━
やたら増刊号を出してお騒がせした飛鳥遊訪マガジンです。こんにちは♪
そろそろ落ち着きを取り戻したいと思うのですが、如何なりますやら(笑)
心地よい風の吹く初夏5月になりました。風に吹かれてぼーーっとお昼寝
できたら、しゃーわせでしょうねぇ・・・・(切望)
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この記事へのコメント
全2件表示奥飛鳥に関しては、執筆担当者もかなり力を入れていたと思います。(毎回そうだという声もありますが。(笑))
奥飛鳥の記事は、今回が最後になりますが、継続中、または、今後掲載される一記事に対してでもご感想を頂けると事務局の励みになります。
今後とも飛鳥遊訪マガジン共々両槻会の方もよろしくお願いいたします。m(__)m
日時:2008年5月2日
後藤奥飛鳥の記事にばかりコメントをして申し訳ありません。
今回で最後ということで、残念に思いますが、これだけの連載をされるのは、さぞ大変なことであったと思います。
風人さん、ありがとうございました。今後書かれる記事を楽しみにしています。
他の方の記事も、本当に飛鳥をよくご存知の記事ばかり、これからも楽しみ半分、勉強半分で読ませていただきます。ありがとう。日時:2008年5月2日
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