飛鳥遊訪マガジン Vol. 019
発行日時: 2008/4/23 皆さんこんにちは♪いつも編集後記に登場するσ(^^)がご挨拶をさせて頂
く今号は、題して「奥飛鳥増刊号」。
第八回定例会で訪ねる奥飛鳥の魅力を少しづつご紹介・・・と思っていた
のですが、「とても定例会までには書き切れない!!」と言う担当の叫びが
こういう結果になりました。(笑)では・・・なが〜〜〜い増刊号のはじま
りはじまりぃ〜〜〜♪よろしくお付き合い下さい。m(__)m
(もも)
┏◆━index ━━◆◇◆
〈1〉飛鳥話・特別編 ・・・ 奥飛鳥探訪 / 真神原風人
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〈2〉飛鳥情報
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〈3〉編集後記
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┗━━━━━━━━━━━━━◇◆◇━
第八回定例会は、「新緑の奥飛鳥探訪−奥飛鳥の神秘女淵を訪ね、皇極天
皇雨乞いの謎に迫る」と題したウォーキングイベントを5月10日に実施い
たします。新緑の奥飛鳥をご一緒に歩きませんか♪
何方でも参加いただけますが、両槻会へメールにて事前申し込みが必要で
す。詳細は、両槻会サイト第八回定例会の予定のページをご覧ください。
http://asuka.huuryuu.com/yotei/teireikai-8/yotei-8.html
┏◆━━━━━━━━
〈1〉奥飛鳥探訪 / 真神原風人
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇◆◇━━━━
これまで、第八回定例会に関連するお話を順に掲載してきましたが、今号
では、飛鳥川上坐宇須多岐比売命神社・南淵(渕)請安墓・竜福寺・飛び石
・男綱・朝風峠・檜隈野と一挙ご紹介します♪
「飛鳥川上坐宇須多岐比売命神社」
女綱から少し下った曲がり角の崖の上に、小さな祠が見えます。どのよう
にして据え付けたのかと思えるような場所です。さすがに登ってお参りする
ことは出来ないようで、道路脇に参拝所のような場所があります。よく見る
と、清水が湧いていると思われるところもあり、また道路の反対側は、今は
堰のようになっていて、小さな淵を作っています。この祠が何であるのかを
確かめたわけではありませんが、やはり水神をお祀りしているように思えま
す。
http://asuka.huuryuu.com/magazine/photo/okuasuka/suijin.jpg
さらに緩やかに下っていくと、「飛鳥川上坐宇須多岐比売命神社」があり
ます。見上げると、参拝を躊躇いたくなるような急な石段が続いています。
神社の名前も長いですが、石段も長く続きます。登りにくい200段ほどの
石段を登りきると、立派な社殿が見えてきます。この神社は大神神社と同様
に、後背の山を拝する古い形式を取っています。ですから本殿は無く、遥拝
造りという拝殿のみがあります。
また、拝殿には平安時代前期の作と推定される、男女各二体の神像が祀ら
れているとも聞き及びます。
http://asuka.huuryuu.com/magazine/photo/okuasuka/usutaki2.jpg
祭神は宇須多岐比売命・神功皇后・応神天皇となっているようです。神社
の謂れが薄れた頃、ウスという音からウサが連想されたのかも知れません。
宇佐八幡宮と呼ばれていた時代も長く、現在も明日香村のお年寄りは、ウサ
さん・ウサの宮さん(宇佐宮)と呼び習わしているようです。
ところで、宇須多岐比売命のウスタキは、臼滝を連想させます。この神社
下の飛鳥川は、淵となっていて、この名前が肯ける様相を見せています。当
然、ここは皇極天皇の雨乞いが連想される重要な場所となります。神社に登
る前に、飛鳥川の淵に下りてみましょう。四方を拝したと言う皇極天皇の雨
乞いの様子が見えてくるかも知れません。
http://asuka.huuryuu.com/magazine/photo/okuasuka/usutaki3.jpg
この神社では、明治頃まで雨乞いの「なもで踊り」(南無手踊り)が行わ
れていたようです。なもで踊りは、奈良県内で広く行われていた請雨祈願の
行事で、その様子は各地の大絵馬に描かれて残されています。この神社にも、
嘉永6年(1853)銘の絵馬が所蔵されているようです。
この神社で行われた「なもで踊り」は、「本なもで」と称し、その後は内
宮(稲渕、南淵請安墓に残る談山神社)において「かりなもで」が行われた
とされます。
(参考写真 高取町小嶋神社所蔵 なもで踊り絵馬)
http://asuka.huuryuu.com/magazine/photo/okuasuka/namode.jpg
皇極天皇の雨乞いが、このような形として継承されたのでしょうか。雨乞
いが行われた聖地を神社としたのでしょうか。想像の翼を広げる以外にはな
さそうです。
さて、急峻な階段は危険ですので、横の坂道から降りることにしましょう。
「南淵請安先生の墓」(南渕請安)
飛鳥川上坐宇須多岐比売命神社から下ってくると、稲渕の集落が見えてき
ます。その南端の小高い丘の上に南淵請安の墓とされる明神塚が在ります。
住宅の路地から丘に登ると、傾いた石の鳥居が見えます。桜の時期には、桜
花のドームとなるのですが、折れたご神木と小さな祠が一層雰囲気をかもし
出しています。
http://asuka.huuryuu.com/magazine/photo/okuasuka/syouan.jpg
この小さな祠は、藤原鎌足を祭神とする談山神社で(現在は宇須多岐比売
命神社に合祀されている)、お墓はその反対側の南を正面としています。う
っかりすると、見落としてしまうかもしれません。南面には、南淵先生之墓
と書かれた石碑が建てられています。
南淵請安は、大化改新のブレーンの一人としてご存知の方も多いと思いま
す。推古天皇の16年(608)4月、第一回遣隋使が隋使裴世清を伴って
帰国します。同年9月、裴世清が帰国するにあたって、小野妹子を大使とし
て第二回の遣隋使が同行することになります。この時に派遣された学生に、
高向漢人玄理や学問僧の新漢人日文(僧旻)や南淵漢人請安らの名前が見え
ます。
彼らは、隋から唐へという大きな時代の流れをつぶさに見取り、最新の学
問を身に着け、舒明天皇の12年(640)、32年間の留学を終えて、新
羅経由で帰国しました。
日本書紀皇極天皇の2年の条に、大化改新の序曲として次のような記事が
あります。『 二人(中臣鎌足と中大兄皇子)、がしきりと接触することを
他人が疑うのをおそれ、ともに書物を手にして、周孔の教え(儒教)を南淵
先生(南淵請安)のもとで学んだ。そして、往復の路上で肩を並べてひそか
に計画を立てたが、二人の意見はことごとく一致した。』
しかし、この後の請安の消息は、書紀には見当たりません。遣隋使として
同時に派遣された僧旻と高向玄理が国博士となっているのですが、請安は大
化改新政府の要職には就いておらず、あるいはその時期までに亡くなってい
たのかも知れないと私は思っています。
享保19(1734年)に完成した「大和志」や宝暦元年(1751)に
書かれた「飛鳥古跡考」等の記述を見ると、この明神塚は、1731年に大
和志の著者が請安墓としてより後のことであり、口碑ではあるが、請安の墓
はもとアサカヂ(朝風)にあってセイサン塚と呼んでいたともされています。
請安先生のお墓の伝承が途切れたとき、鎌足の師であったことに所縁して、
鎌足をお祀りする談山神社の近くに、改めてその塚を求めたのかもしれませ
んね。
「竜福寺」
南淵請安先生の墓から集落に下りてくると、すぐ近くに竜福寺があります。
栢森に同名のお寺が在るのでややこしいのですが、どちらも浄土宗のお寺だ
そうです。飛鳥川沿いは、竜=淵というキーワードがどこまでも続くような
気がします。
境内には、「竹野王の石塔」の名前で有名な竜福寺層塔が在ります。この
層塔は、在銘石造層塔としては、日本最古のものだとされています。「天平
勝宝3年(751年)」
http://asuka.huuryuu.com/magazine/photo/okuasuka/sekitou.jpg
層塔は凝灰岩製で、現存する高さは1.8m、当初は五層であったと考え
られ、現在は三層までと四層の軸部が残っています。一層目の四方に銘文が
刻まれているのですが、現状ではほとんど判読することは出来ません。
「昔阿育王」・「朝風南葬談武之峯」・「天平勝宝三年歳次辛卯四月二十四
日丙子従ニ位竹野王」とその一部が判読されています。層塔の撰文が竹野王
によることから、竹野王の石塔と呼ばれているのですが、天平勝宝3年
(751)に従ニ位であった竹野王という人物に関しては、はっきりとは分
かっていません。天平宝字2年(758)に正三位になった竹野王、また
天平勝宝三年に従ニ位になった竹野女王などの人物が、候補者とされていま
す。平城京からは、竹野王と書かれた木簡が出土しており、関連が注目され
ました。
竹野王の石塔という名前から、竹野王のお墓と思われがちですが、竹野王
が造立した層塔と考える方が妥当だと思われます。
「朝風南葬談武之峯」という一文が気がかりになりますが、誰を葬ったか
については、まったく分かっていません。
「飛び石」
竜福寺門前の急坂を下り、飛鳥川下流に向かいます。少し進むと、飛鳥へ
と下りていく細い道があり、下りきると飛び石が在ります。万葉集に詠われ
る石橋(いははし)は、このように飛鳥川にポンポンと置かれた石を指して
おり、表面が平らな石を並べ、据え付けているようです。以前には、5〜6
ヶ所の飛び石が在ったとされていますが、現在、その痕跡を僅かに残すとこ
ろは在るものの、実際に渡れるものは、男綱近くの一つだけになっているよ
うです。
http://asuka.huuryuu.com/magazine/photo/okuasuka/tobiisi.jpg
「明日香川 明日も渡らむ 石橋の 遠き心は 思ほえぬかも」(巻11-2701)
「飛ぶ鳥の 明日香の川の 上つ瀬に 石橋わたし ・・・・」(巻2−196)
また、飛び石は能の世界にも登場します。謡曲「飛鳥川」では、飛び石を
舞台とした母子の再会が謡われています。吉野金峯山寺参詣の帰り、芋峠を
越え飛鳥に差し掛かった子供が、飛び石近くで田仕事をする離れ離れになっ
ていた母親との再会を果たします。
飛び石は、人の出会いと別れを象徴する場所であったのでしょうか。時に
飛鳥川が増水すると、飛び石は水没してしまいます。それもまた人生模様な
のかも知れませんね。先の謡曲にも、渡れぬ飛び石の下りがあります。
http://asuka.huuryuu.com/magazine/photo/okuasuka/tobiisi2.jpg
飛び石を実際にわたって、対岸から男綱に向かいましょう。
「男綱」
男綱が見えてきました。第六回定例会では、この男綱の勧請綱掛神事に参
加しました。伝統行事に参加した楽しい思い出も、まだ記憶に新しいところ
です。
男綱の神事も、先に見た女綱同様に、作物の豊穣と子孫繁栄を祈願し、疫
病・悪霊の侵入を阻止する祈りの行事です。(女綱については、17号でご
紹介しています。)
稲渕の男綱は、各家から藁を48株ずつ持ち寄り、神所橋近くで綱を綯う
作業から始まります。昔は、談山神社(内宮=現南淵請安墓)境内で行われ
ていたそうです。綱は、普通の綯い方とは逆向きに綯われるのだそうです。
こうして綯われた男綱は、全長約70m、直径約5cmになります。
綱の中央に吊るされる男性の陽物は、直径が20cmぐらい、長さが1m
ぐらいです。普通の年は12本、うるう年は13本の紐で括ってあります。
今年は、閏年ですから、13本の紐を付けられていました。
http://asuka.huuryuu.com/magazine/photo/okuasuka/oduna.jpg
昔は、全長100m、直径10cmほどもある綱が掛けられ、陽物も一回
り大きかったそうです。
朝7時頃から始められた綱作りは2時半頃に終わり、飛鳥川に掛け渡され
ることになります。綱の西側は小高い丘の上の柿の木に、東側は対岸の樫の
木に結ばれるのですが、この時には、誰でもお手伝いをすることが出来、ほ
んの少し伝統行事に参加した気分を味わうことが出来ます。毎年、カメラマ
ンや伝統行事を見学される俄か村人が、綱を引いています。第六回定例会で
は、私達もその仲間に入りました。
掛け終わると、神所橋に白米一升・御神酒一升・串刺し蜜柑を供え、神事
が営まれます。白米・御神酒は、飛鳥川に三度に分けて流されます。これは、
悪霊や悪疫に供物を与え、村へ入ってこないようにするためだとされていま
す。串刺しの蜜柑は、参加者に配られ、風邪避けになると言われます。
http://asuka.huuryuu.com/magazine/photo/okuasuka/oduna2.jpg
男綱の神事も、いつ頃から始まったのかは分からないようですが、大正初
期に一度取り止めたことがあったのだそうです。その年には病気が流行って、
稲渕の集落でも亡くなられた人まであったとか。それ以降は、絶えることな
く続けられてきました。
http://sanzan.gozaru.jp/pt/pt194/pt194.html
栢森・女綱
開催日時:1月11日
綱作り お昼から・綱掛 午後4時前後から
場所:稲渕の男綱より約2km上流
稲渕の男綱
開催日時:成人の日
綱作り 午前7時から・綱掛 午後2時半頃から
場所:稲渕集落神所橋
案山子ロードを朝風峠に向かいましょう。
「朝風・栗原・檜隈野」
案山子ロードを登りきったところが朝風峠になります。いつ頃から朝風峠
と言う名前になったのかは、分かりません。しばらく前には、平田峠と国土
地理院の地形図には書かれていました。ただ、この辺りは古代から朝風と呼
ばれる集落が在ったとされています。南淵請安先生の家や墓も、元はこちら
に在ったともされているようです。長屋王木簡には旦風(あさかぜ)、竹野
王の石塔には朝風の文字も見え、この地との関連も指摘されています。とも
あれ、良い地名です。
峠を越えると、景色が一変します。葛城の山々が連なり、手前には佐田・
真弓の丘陵が眼下に一望できます。北には畝傍山や生駒の山々も見え、気持
ちの良い景色が広がります。
http://asuka3.michikusa.jp/panorama/pa/panorama13.html
果樹園の急坂を下り、農免道路をさらに下ると、檜隈・栗原の景色が広が
ります。ヒノクマとは、日の隈だとする説もあるようですが、それでは日陰
の谷間のように解釈されます。しかし、目前に広がるこの景色を眺めている
と、とてもそのようには思えません。原風景を見ないと一概には言えません
が、別の意味を考えても良いのではと思えます。
http://asuka.huuryuu.com/magazine/photo/okuasuka/hinokumano.jpg
檜隈の地域は、現状の地割りだけではなく、広域な地名であったと思われ
ます。この地には、5世紀末から6世紀に掛けて、半島からの渡来人が大挙
して移り住みました。渡来系の人々がこの地に定着することによって、先進
の技術を伴った組織的な飛鳥開拓が始まることになります。鉄の農機具類は、
檜隈の原野を瞬く間に豊かな農地に変えていったのかもしれません。それは
大きな力となり、彼らを総称した名前である東漢人氏は、栄えていったので
しょう。その渡来系の人達と密接な関係を持ち、管理・指揮していた氏族が
蘇我氏だとすれば、この時期に蘇我氏が急速に朝廷内に勢力を伸ばした原因
も肯けるような気もします。そのような前提で考えると、飛鳥という時代は、
この地から生まれていったと考えることも出来るかも知れません。
飛鳥時代の創建だとされる栗原寺(呉原寺)や檜隈寺などもこの地に建立
され、また子島寺なども同じ檜隈地域の至近の距離に在ります。これらのお
寺は、東漢人氏に属する氏族の氏寺と考えられています。
また、栗原は、我が国最初の火葬が行われた地としても知られます。文武
天皇の4年3月、高僧であった道昭が亡くなり、弟子たちがその遺言に従っ
て栗原で火葬した。天下の火葬、此に従しめ始れり。という記事が、続日本
紀に見えます。
この檜隈の地に、愛らしい石仏があります。旧道の傍らに在り、場所を知
っていても見落としてしまうような小さなお地蔵様です。右おか寺と書かれ
ており、岡寺への道しるべでもあったのでしょう。飛鳥遊訪マガジンでも、
ご紹介していますので、ご記憶の方もいらっしゃるでしょう。皆さんも、一
度「こんにちは♪」と声を掛けにお立ち寄りください。きっと笑顔で迎えて
くださるでしょう。
http://asuka.huuryuu.com/magazine/photo/okuasuka/kurihara-sekibutu.jpg
さて、檜隈野を歩いて、檜隈寺跡に向かいましょう。
註
現在地名としては「檜前」と書きますが、古代地名を示す場合「檜隈」と
表記しました。「女淵」「南淵請安」等の表記は、旧字を使いましたが、
「稲渕」に関しては、現在の地名表記に従い「渕」の字を使っています。ま
た「竜福寺」も「龍福寺」とはせず、案内板などの表記に合わせています。
ご了承ください。
━━━◇『飛鳥三昧』
http://sanzan.gozaru.jp/
┏◇◆━━━━━━
〈2〉飛鳥情報
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇◆◇━━━━
平成20年度 明日香村埋蔵文化財展示室 春季特別公開が始まります。
4月26日(土)から5月25日(日)
午前9:30〜午後4:30
土・日・祝日のみ観光ボランティアガイドによる説明があります。
高松塚古墳発掘パネル展
高松塚古墳壁画解体修理に伴う発掘調査の写真パネル展示
::::::::::::::::::::::::::::::::::
飛鳥資料館の「キトラ古墳壁画公開」に伴うイヴェントをご紹介します。
◆夜間開館
・5月10日(土)・17日(土)・21日(土)の3日。
・21時まで開館
前庭では、16時〜21時まで「光の回廊」が行われます。
◆特別公開記念講演会
・5月17日(土)
・万葉文化館企画展示室にて 14時より
・・・詳細は後日発表
この他、「ひまわりラヂオコンサート」「キトラ青空コンサート」「飛鳥
衣装を着てみよう」などのイヴェントも企画されています。
各イヴェントの詳細や申し込み要領などは、飛鳥資料館HP内のトッピク
スをご覧下さい。
http://www.nabunken.go.jp/asuka/index.html
┏◆◇◆━━━━━━
〈3〉編集後記
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇◆◇━━━━
巻頭のご挨拶をももさんに取られたので、σ(^^)がここを担当することに
なりました。慣れないコーナーは、なんか照れくさいですね。(笑)
なが〜〜い奥飛鳥案内にお付き合いくださいまして、ありがとうございま
した。m(__)m 実は、まだ続くのです。すみません。m(__)m
なんとか定例会前の発行号までには、仕上げたいと思っています。
えっと・・、なに書けば良いのでしょうか?(笑) あっ!是非、第八回
定例会にご参加ください。m(__)m 本当は、それだけが言いたいのです♪
(風人)
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この記事へのコメント
全2件表示記事も写真も楽しんで頂けたようで、良かったです。
定例会終了後、サイトに奥飛鳥のレポートもUPする予定ですので、是非ご覧下さい♪
いつもご感想を頂き有難うございます。m(__)m日時:2008年4月24日
後藤定例会に行けないのが、本当に残念です。今回の奥飛鳥の特集は、大変興味深かく拝読しました。自分も歩きながら説明を聞いているようで楽しむことができました。それぞれの項目については、詳しい書物もあるでしょうが、メルマガの記事は臨場感がありました。リンクされている写真も素晴らしいですね。日時:2008年4月23日
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