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飛鳥遊訪マガジン Vol. 014

発行日時: 2008/3/21

  お彼岸の中日も過ぎ、いよいよ飛鳥路に本格的な春が訪れるのももうすぐ
 ですね。例年ならお水取りの期間中に寒の戻りがあるのですが、今年は期間
 中も暖かな日が続き、2月の厳しい冷え込みにもかかわらず桜の開花は平年
 並みになりそうです。

  先週末に飛鳥を歩いていると、梅の花がまっ盛りで、菜の花も色づき始め
 ていました。黄色の花絨毯が棚田を彩るのも間もなくです。暖かな日差しの
 中を自転車に乗って飛鳥遊歩道をめぐる人の姿もめっきりと増えてきました。
 冬の間途絶えていた人影が飛鳥の里道に戻ってくる季節の始まりです。

  さて、メルマガも第14号の発刊となりました。今号は定例の発行分です
 が、間に臨時号や増刊号が入りますので、事務局員も今書いている原稿が何
 号やら分からなくなるほど発行頻度が高くなりました。それだけ、鮮度のあ
 る飛鳥情報を読者のみなさんに逸早く伝えたい思いが号数に表れていると受
 け止めていただければ幸いです。

  さて、今号から、奈良文化財研究所の杉山先生、明日香村文化財課の相原
 先生に加え、新たに橿原考古学研究所の近江先生が交互に寄稿してくださる
 ことになりました。先生のご専門の古代の道に関する記事は、両槻会メルマ
 ガ読者のみなさんにまた新たな視点を提供していただけることになる思われ
 ます。ご期待ください。

  いよいよ明日は第7回の両槻会定例会の日です。今回のご講演は、奈良大
 文学部の滝川先生が、平安時代末期に書かれた「扶桑略記」の記述を基に、
 藤原道長が高野山に参詣する途中に立ち寄った当時の飛鳥の模様と道長の印
 象をひも解いて下さいます。流麗な先生の名講義にご期待ください。
                            (河内太古)

┏◆━index ━━◆◇◆

 〈1〉寄稿     ・・・ 飛鳥のみち 飛鳥へのみち / 近江俊秀先生
 --------------------------------------------------------------------
 〈2〉飛鳥話 NO.1 ・・・ 風人の飛鳥ぶらぶら散歩  / 真神原風人
 --------------------------------------------------------------------
 〈3〉飛鳥話 NO.2 ・・・ ももと飛鳥と三十一文字と / もも  
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 〈4〉飛鳥情報 
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 〈5〉両槻会からのお知らせ 
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 〈6〉編集後記
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 ┗━━━━━━━━━━━━━◇◆◇━


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 〈1〉飛鳥のみち 飛鳥へのみち
             橿原考古学研究所 主任研究員 近江俊秀先生
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇◆◇━━━━

「その1 阿倍・山田道(1)」

  その晩、私は酔っていた(いつものことだが)。目の前に座っていた風人
 さんが、急に改まって、何やら頼み事を始めた。私は、すぐさま、その依頼
 を引き受けた。深く考えることもなく・・・
  というわけで、今回からこの連載が始まるわけであるが、このような経緯
 で始まるものだから、皆さんには気楽に読んでいただきたい。私も、普段、
 思っていても、なかなか文字にできないことを気軽に綴っていこうと考えて
 いるので。
  また、今回は特に必要な場合を除いては、あえて用語にはこだわらない。
 その方が、話がわかりやすくなると思うからである。よって、「まだこの時
 期、天皇号は成立してない」とか、専門的なツッコミは、ご勘弁下さい。

  申し遅れたが、私は古代の道路について、少し研究めいたことをしている。
 恥ずかしながら、この春には2冊目の本も出すことになった(「道路誕生」
 というタイトルで青木書店から刊行されます。良かったら手に取って下さい)。

  今回は、この本に書いた内容を基に、「飛鳥のみち 飛鳥へのみち」とい
 うタイトルで、古代のみちの話をしたいと思う。最初に話す「みち」は、私
 が最も好きな飛鳥のみち、「阿倍・山田道」に勝手に決定させていただいた。
 私が「阿倍・山田道」が好きな理由、それは、大きく二つある。ひとつは、
 このみちの存在があったからこそ、飛鳥に都がおかれるようになったこと
 (思いこみかも知れないが)、もうひとつが、このみちのことを考えると、
 歴史上の人物の顔が頭に浮かぶこと(これは、さらに思いこみであるが)で
 ある。これだけでは、お読みいただいている方は、「なんで?」と首をひね
 るかも知れない。詳しくは、追々、語っていくことにしよう。

  「阿倍・山田道」は、現在の近鉄橿原神宮前駅東口から東へ伸び、丈六付
 近で下ツ道と交差し、東へ2km程度直線的に伸びたのち、桜井市山田付近
 で北西からのびる丘陵裾に沿って北東方向に向けゆるやかなカーブを描き、
 安倍寺の東側でほぼ南北方向の直線道路となり、横大路との交差点以北は、
 上ツ道になる。沿線には、推古天皇の豊浦宮・小墾田宮といった飛鳥におけ
 る初期の宮が立地し、さらに、その路線は飛鳥に宮が置かれる以前に歴代天
 皇の宮が置かれた、磯城・磐余地域と飛鳥とを結んでいる。

  私はこの道路は、上・中・下南北三道並びに横大路(これらのみちについ
 ては、いずれお話します。)に先行して、蘇我氏が、飛鳥という新しい支配
 拠点の建設にあたり、推古天皇即位に先立って整備した道路であると考えて
 いる。詳しくは、次回。

  参考地図(近江先生作成の参考資料です。)
  http://asuka.huuryuu.com/magazine/photo/yamadamiti-1.jpg
  リンク先画像をクリックして原寸表示してください。見やすくなります。


  ━━━◇『橿原考古学研究所』
     http://www.kashikoken.jp/


┏◇◆━━━━━━━━
 〈2〉風人の飛鳥ぶらぶら散歩 / 真神原風人
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇◆◇━━━━

 「軽寺」

  前回(Vol.10)お話しました石川精舎(本明寺)の五輪塔の辺りか
 ら西を見ますと、窪んだ地形の向こうに台地があり、やや南の方向にこんも
 りとした森が見えます。
  http://asuka.huuryuu.com/magazine/photo/karudera-enkei.jpg

  この森が大軽町の春日神社の森で、境内には第15代応神天皇軽島豊明宮
 跡(古事記には、軽島之明宮)の伝承地碑があります。また、傍らには万葉
 歌碑もあります。

  天飛ぶや 軽の社の 斎槻 幾代まであらむ 隠り妻そも 巻11−2656
( 軽の社の槻のように、いつまで人目を憚って隠しておかねばならない妻な
 のであろうか)

   今回のテーマにしました軽寺は、この神社とそれに接するようにある法
 輪寺というお寺の付近に在ったとされています。

  現在の法輪寺は、浄土宗のお寺で、本尊として阿弥陀如来坐像を祀ってい
 ます。丈六の交差点を南に向かい、見瀬と書かれた交差点の次の信号から南
 東の住宅地の中の道を進みます。次の辻を左に(東)に折れ、大軽町の路地
 からこのお寺に行き着くことが出来ます。本堂前には割れた礎石のような石
 が散見されます。庭石として利用されているようでした。
  http://asuka.huuryuu.com/magazine/photo/karudera-soseki.jpg

  伽藍様式などは、はっきりとしたことは分からないようですが、法輪寺境
 内に金堂及び講堂と推定される土壇が残っているとされています。現実には
 地上の建物によってよく見ることが出来ないのですが、北側にある春日神社
 などから見ると、法輪寺本堂の下は一段高くなっており土壇のようにも見え
 ます。伽藍は、残された土壇からの推定によれば、回廊内の左に塔、右に金
 堂が建つ法隆寺式ではないかとする説があるようです。(橿原市教委)
  http://asuka.huuryuu.com/magazine/photo/karudera-dodan.jpg

  軽寺の創建年代は明確にされていませんが、付近から飛鳥時代後期、ある
 いは白鳳時代前期と思われる古瓦(素弁八弁蓮華紋=軽寺式と呼ばれている
 軒丸瓦)が発見されていることから、7世紀後半の建立であると思われます。

  橿原市教育委員会作成の案内板によれば、創建者は賀留大臣玄理で、推古
 天皇の時、唐から持ち帰った薬師如来像を本尊として軽寺を建てたとされて
 います。渡来系の氏族「軽氏」の氏寺であったのでしょうか。

  軽寺が最初に文献に登場するのは、日本書紀朱鳥元年(686)8月条で、
 軽寺に食封百戸を施入した記事になります。創建からかなりの年月を経過し
 ていますが、その間、軽寺がどのように存在していたかは分かりません。

  白鳳・奈良時代を過ぎ、次に軽寺が姿を示すのが、第七回定例会のテーマ
 になります「道長が見た飛鳥」とも関連するのですが、道長が最初の吉野参
 詣時のこととなります。御堂関白日記には次のような記載があります。

  寛弘四年(1007)8月5日の条、
  「終日雨降、宿軽寺、御明・諷誦、信布十端」。

  付近には、飛鳥はもちろんのこと、久米寺や大窪寺などたくさんのお寺が
 あるにもかかわらずこの軽寺を宿泊地に選んだのは、軽寺が規模を備えなが
 ら衰えることなく存続していたことを示しているのではないかと思われます。
 
  さて、軽寺跡からは、見瀬丸山古墳や植山古墳が近くに在ります。そこか
 ら菖蒲池古墳などを回って、明日香村に入るのも面白いコースになると思い
 ます。

  ━━━◇『飛鳥三昧』
     http://sanzan.gozaru.jp/


┏◆◇◆━━━━━━━
 〈3〉ももと飛鳥と三十一文字と / もも
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇◆◇━━━━

  春の花と言えば梅と桜。ですが、天邪鬼なももは、桃のお話をさせて頂こ
 うと思います。(笑)
  梅や桜に比べると、桃園や桃林や桃並木などの呼ばれ方をあまりしない気
 がするのは、同じ名をもつσ(^^)の僻みでしょうか。でも、悲しいかな万葉
 集中にも7首しか見当たらないんですよね。(T_T)

  春の園紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ娘子(19−4139)

  春の園に咲き匂う桃の花の道にスッと立つ若き娘。花の色が映るのかそれ
 とも少女の美しさか・・と言うような感じでしょうか。この歌の題詞には、
 「天平勝宝二年三月一日の暮れに春苑の桃李の花を眺めてつくる歌二首」と
 あり、ここから家持邸には、桃と李の木があったことがわかります。

  桃は中国原産だと言われますが、我が国にも古く縄文時代の遺跡からの出
 土があり、出土遺物としては取り立てて珍しくはないようです。また、お馴
 染みの飛鳥苑池遺跡では、薬草として用いられていただろう草木の名入り木
 簡や種子と共に発見されています。奈良時代には、上の歌に見えるように都
 から離れた貴族の邸宅などにも植えられていたようです。その後平安期には
 「水菓子」と言われ珍重されるようになったとも言われますが、現在のよう
 に甘くて瑞々しい「果物の桃」は、明治期頃に水蜜桃が栽培されるようにな
 ってからだそうです。果物としての格を与えられる以前のモモは、薬にもな
 る身近な木の実の一つとして存在していたのかもしれません。

  中国では、桃にまつわる伝承や逸話が沢山あって、不老長寿や魔除けなど
 の力を持ち「仙果」「仙桃」などと呼ばれ珍重されたのだそうです。

  日本書紀雄略天皇7年条に「桃原」と言う地名が登場します。呉の人々を
 上桃原・下桃原に住まわせたと言うのです。また、馬子を桃原墓に葬ったと
 言う記事が推古天皇34年条にあり、この事から「桃原」は、現在石舞台古
 墳周辺であったと考えるのが一般的なようです。大陸の文化を取り入れるこ
 とに意欲的だった蘇我氏が石舞台周辺の高台に、理想の地「桃源郷」を思い
 描き「桃原」と名付けたと考えると色々と面白いとも思うのですが、書紀の
 記述によると、どうもそうではないようですね。地名は、案外安易に付けら
 れる事が多いようですから、古代この辺りにはモモが沢山生えていたのかも
 しれませんね。

  今でも、石舞台の東の丘の天辺に桃畑があります。一昨年の3月、この東
 の丘で巨大な柱穴列が発見され、石舞台造営に関わりのある遺構ではないか
 と言われたのをご記憶の方もあるかと思います。(現在埋め戻されてしまっ
 た遺構は、この桃畑の下段になります。)現在の石舞台古墳は、桜の名所に
 なっていますが、古代この辺りは、春には桃花で埋め尽くされていたと妄想
 するのも楽しいかもしれません。

  素人目には梅か桃か桜か判別のつかない木が沢山あります。「桜梅桃李」
 と言う言葉があるそうです。似て非なるもの、それぞれがそれぞれに良く、
 同じになる必要はない、なんて言う様な意味だそうです。桜と思おうが梅と
 思おうが・・木にはなんら関係ないと言うことなんでしょうね。(笑)

  寒さのせいで少し遅れたと言われる今年の春も花見の対象が梅から桜へと
 移りつつあります。貴方は何処へ何を見に行かれますか?(^^)


 ━━━◇『ひとしひとひら』
    http://gpeach.nobody.jp/index.html


┏◇◆◇◆━━━━━━
 〈4〉飛鳥情報
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇◆◇━━━━

  今号より寄稿してくださいます近江俊秀先生の著書が出版されますので、
 ご案内いたします。

 「道路誕生−考古学からみた道づくり−」 
     青木書店 定価2800円+税  3月25日発刊

  飛鳥遊訪マガジンの記事で、古道に興味を持っていただいた方には、まさ
 にぴったりの書籍です。
  両槻会からもお薦めいたします。今後の定例会には、古道をテーマにした
 予定もありますので、是非お読みください♪


:::::::::::::::::::::::::::::::::::

  前号速報版でもお知らせいたしましたが、3月29日に甘樫丘東麓遺跡の
 現地見学会が午後1時から4時の予定で行われます。


:::::::::::::::::::::::::::::::::::

  藤原宮跡資料室において、速報展「藤原宮大極殿院南門出土地鎮具」が開
 催されていますので、ご紹介します。

 内容 : 平瓶に納められた富本銭および水晶地鎮具出土状態の複製品など
 
 期間 : 2008年3月18日(火)〜4月18日(金)
     土・日及び祝日を除く午前9時から午後4時30分まで
          ただし、29日は開館。(甘樫丘東麓遺跡見学会の日)
 
 場所 : 都城発掘調査部 藤原宮跡資料室 (橿原市木之本町94−1)

  残念ながら、ほぼ平日のみの公開になりますが、常設展示も含め機会のあ
 る方は覗かれては如何でしょうか。


┏◆◇◆◇◆━━━━━
 〈5〉両槻会からのお知らせ
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇◆◇━━━━

  「飛鳥遊訪マガジン」に、新しいゲスト執筆者が加わってくださいました
 ので、ご紹介いたします。

  奈良県立橿原考古学研究所主任研究員 近江 俊秀 先生です。

  近江先生は、とりわけ古道を研究されておられまして、古代官道(山田道
 ・上ツ道・中ツ道・下ツ道・横大路など)のお話を連載いただけることにな
 りました。まず、今号からは山田道の執筆が始まりましたが、今後どう展開し
 て行くか楽しみです。
  また、先生の講演会も予定していますので、皆さんお楽しみになさってく
 ださい。詳細が決まりましたなら、またお知らせいたします。

  今後、飛鳥資料館学芸室長 杉山先生・明日香村教育委員会主事 相原先生
 との三先生のローテーションで記事を掲載します。お楽しみください♪


:::::::::::::::::::::::::::::::::::

  ご案内してきました第七回定例会もいよいよ明日になりました。ご参加予
 定の皆様は、今一度予定をご確認のうえ、ご集合願います。

  http://asuka.huuryuu.com/yotei/teireikai-7/yotei-7.html

  さて、最後に事前散歩で一番先に訪れる予定にしてます山田寺をご紹介
 したいと思います。

  641年に建立の始まった山田寺は、発願者であり改新政府の右大臣でも
 あった蘇我倉山田石川麻呂の謀反の疑とその死によって一時中断され、造営
 が再開されたのは663年(天智2)、完成は発願から約40年後の685
 年頃になります。
  山田寺は「上宮聖徳法皇帝説」の裏面にその造営次第が書き残されており、
 発掘調査結果もこれを指示する方向にあります。山田寺造営に関しては、史
 料と考古の双方がほぼ合致する良い事例だと言えるのかもしれません。

  創建以来、四大寺・五大寺などに名を連ねることのなかった山田寺ですが、
 造営再開の際には、石川麻呂の娘婿である天智、孫の持統とその婿である天
 武などの助力があったとも考えられています。天武朝の頃には官寺並みの扱
 いを受けたようで、その後も699年(文武3)には封戸の施入、703年
 には持統天皇四十九日法要などが行われたとの記録も見えます。が、官の援
 助の途絶えた奈良時代後半頃から衰退が始まるようです。
 その後は、蘇我氏の後裔である石川氏の氏寺として小規模の整備などは行わ
 れるものの、奈良末から平安初期に掛けての山田寺は、時勢とは少し離れた
 ところにいたようです。

  道長は、来訪時に山田寺を宿として利用しています。宿泊に堪える堂宇が
 まだこの時残っていた証と見ることも出来ますが、道長が訪れるまでの約3
 00年の間山田寺は記録にも殆ど名が登場するはなく、唯一道長が語ったと
 言う「奇偉荘厳」と言う言葉を残すのみです。

  その後、11世紀前半に土砂崩れによる東回廊の倒壊、そして11世紀末
 には、多武峰の僧兵に鐘を持ち去られてしまいます(代りに多武峰浄土堂の
 鐘があてがわれたようですが)。1187年には、興福寺東金堂の僧によっ
 て講堂の薬師三尊像が略奪されるなど、かなりの苦渋を舐める事になります。
 1180年の南都焼き討ちによって伽藍一切を焼失した興福寺は、再建後の
 仏像選定に際し山田寺講堂の三尊に目をつけたのかもしれません。山田寺の
 金堂・塔はこの頃に焼亡しており、興福寺によって焼き討ちにあったと言う
 可能性も否定できないようです。

  幸か不幸か、山田寺講堂の本尊であったとされる仏像は、興福寺での災害
 を幾度も潜り抜けた頭部だけが、現在興福寺国宝館で展示されています。ま
 た、東金堂安置の日光月光がその脇侍であったとも言われ、九条兼実が「玉
 葉」に「事はなはだ相応、誠に機縁の然らしむ事か(山田寺三尊像が興福寺
 の東金堂に本当に相応しく、これも何かの縁なのかもしれない)」と書き残
 しているそうです。
 (山田寺の主な出土品は、飛鳥資料館の第二展示室で見ることが出来ます。)


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  第八回定例会のお知らせです。

「新緑の奥飛鳥探訪 - 奥飛鳥の神秘女淵を訪ね、皇極天皇雨乞いの謎に迫る」
 と題しまして、ウォーキングイベントを実施いたします。

 飛鳥駅 → バス → 栢森バス停 → 徒歩 → 女淵 → 栢森 → 
 宇須多岐比売命神社 → 南淵靖安墓 → 稲渕案山子ロード → 朝風峠
 → 栗原地蔵 → 檜隈寺跡 → 飛鳥駅  (歩行距離 約8キロ)

  開催日 5月10日(土) 集合場所 近鉄飛鳥駅前
  
  何方でも参加いただけますが、両槻会へメールにて事前申し込みが必要で
 す。詳細は、両槻会サイト第八回定例会の予定のページをご覧ください。
  新緑の奥飛鳥は、爽やかな空気に満ちています♪ 栢森の集落には鯉のぼ
 りも泳ぎ、目を楽しませてくれます。奥飛鳥を歩く機会は少ないと思います。 
 ご一緒に歩きましょう♪


:::::::::::::::::::::::::::::::::::

  第八回定例会に関連する資料などを掲載して行きます。第一回目は、日本
 書紀皇極天皇条 雨乞い(天候)に関連する抜粋記事です。

 皇極元年 (642年)
 3月 3日 雲がないのに雨が降った。この月に、霖雨(ながあめ)があった。
 4月    この月にも、霖雨があった。
 6月16日 わずかに雨が降った。この月はたいへんな旱であった。
 7月 9日 客星(まろうとほし)が月に入った。
 7月25日 群臣が、「村々の祝部(はふりべ)が教えたとおりに、牛や馬
       を殺し、それを供えて諸社の神々に祈ったり、市をしきりに移
       したり、河伯(かわのかみ)に祈祷したりしたが、(中国風の
       雨乞いの行事)さっぱり雨が降らない」と相談すると、蘇我大
       臣は、「寺々で大乗経典を転読するのがよい。仏の説きたまう
       とおりに悔過(けか)をし、うやうやしく雨を祈ることとしよ
       う」と答えた。
   27日 大寺(百済大寺?)の南の広場に、仏菩薩の像と四天王の像を
       安置し、多くの僧をまねいて「大雲経」(だいうんきょう)な
       どを読ませた。蘇我大臣は手に香鑪をとり、香をたいて発願した。
   28日 わずかに雨が降った。
   29日 ついに雨を祈ることが出来ず、経を読むことをやめた。
 8月  1日 天皇は南淵の川上にお出ましになり、ひざまずいて四方を拝し、
       天を仰いでお祈りになった。するとたちまち雷が鳴って大雨に
       なり、とうとう五日も降りつづき、あまねく国中をうるおした。
       そこで国中の百姓は、みなともによろこび、「すぐれた徳をお
       もちの天皇だ」と申し上げた。



┏◆◇◆◇◆◇◆━━━━
 〈6〉編集後記
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇◆◇━━━━

  さて、3月も後10日ばかりになりました。もうすぐ出会いの季節4月が
 やってきます。花に・・・人に・・・色んな素敵に沢山巡りあえる春であり
 ますよーに♪

  以前にもお願いしましたが、↓の「■今回の記事はいかがでしたか?」の
 URLに飛んで、ご感想などを頂けると嬉しいです♪その際、できればコメ
 ント内にお名前をお願いします。(お返事がしやすいので。(^^ゞ)

  素敵な春の素敵な出会いが皆さんと両槻会の間にもありますように♪♪ 
                               (もも)
 

 
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この記事へのコメント

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両槻会事務局後藤さん、嬉しいコメントを有難うございました♪
毎号そう思って頂けるように頑張りますので、今後ともよろしくお願い致します。(^^)
日時:2008年3月21日

内容が豊富で楽しく拝読させていただきました。(後藤)日時:2008年3月21日


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ペンネーム : 両槻会

  • 両槻会(ふたつきかい)は、飛鳥好きの皆さんに、ご一緒にもっと飛鳥を楽しみませんかと呼びかけている集いです。会が主催します定例会では、飛鳥検定の実施、独自の講演会やウォーキング等を企画しています。定例会は会員制ではありませんので、興味を持たれた企画には、お気軽にどなたでもご参加いただけます。なお、参加に際しましては、サイトをご覧になり当会の趣旨をご理解の上でお越しくださいますようにお願いいたします。 両槻会サイト(http://asuka.huuryuu.com)をご参照ください。

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