【臨時増刊号】斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」平成20年5月16日
発行日時: 2008/5/16□□□□□□□□ 宮内庁長官宛、神社本庁事務局長の質問書 □□□□□□□□
原武史教授の「宮中祭祀廃止論」への批判をさらに続けます。結論を急ぎたいので、今号は臨時増刊号とします。
まず簡単に、前号のおさらいをします。
原教授は、1960年代末以降、昭和天皇の「高齢」を理由として、宮中祭祀が「削減または簡略化」されたと解説するのですが、そうではなく、憲法の政教分離原則をことさらにきびしく考える厳格主義が行政全体に蔓延し、天皇の側近にまで浸透した結果、祭祀が改変・破壊されたのでした。教授は憲法論を完全に見落としています。
人知れず進行した祭祀の改変は、昭和57年暮れに現職掌典補の勇気ある問題提起によって、明るみに出ます。そして翌年の年明け早々、「週刊文春」の報道で大騒動に発展しました。もっとも強く反発したのは、人一倍尊皇意識の強い神社人で、知られざるドラマがありました。
▽最初は慎重だった神社新報
当時、神社界のオピニオンリーダー的機能を持っていた神社新報は、「週刊文春」の報道の直後、58年1月24日号の論説「皇室内廷の変貌」で、一連の報道を真正面から取り上げました。読者からの問い合わせや当局への抗議提案なども多かったようです。
しかし「痛烈なショック」という反応とは裏腹に、対応は慎重でした。それは、宮内庁の行政と陛下の内廷でのご進退とが微妙に絡まっている。内廷のことは陛下の聖域であり、ご心中を拝察すれば直ちに公開討論することは遠慮される、という冷静な判断があったからでした。
そうはいいながら、論説は、基本的な考えとして、
1、皇室法およびその解釈が占領中のまま、30年間も整備されず、長期に放置されているのは当局の怠慢である。速やかに法整備に努力すべきである
2、伝統抹消の線を志向すべきではない。占領軍でさえ承認せざるを得なかったから後退することは断じて許されない。マッカーサー以上の伝統蔑視は許せない
と表明したのでした。
けれども、宮内庁当局は紋切り型の対応に終始したようです。神社新報の報道によると、憂慮する神職が宮内庁に問い合わせると、「御祭儀は陛下の私事なので、私事として行われることには限界がある」と占領時代そのままの憲法解釈論を語っていたのでした。
▽「神社本庁になら誠意をもって回答する」
当局の対応の鈍さに業を煮やした神社人は富田朝彦・宮内庁長官への質問書を提出します。その中心にあったのは神社新報ですが、宮内庁との交渉の過程で質問書は渋川謙一・神社本庁事務局長名で提出されることになります。宮内庁側が仲介者を通じて、「(全国8万社の神社を包括する)神社本庁に対してなら誠意をもって回答する」という条件を提示してきたからです(『神社新報五十年史 上』)。
時期は特定できないのですが、こうして渋川事務局長名による富田長官宛の質問書が出されます。神社新報の報道によると、質問事項は三種の神器や宮中三殿の法的位置、伊勢神宮との関係など、多岐にわたりましたが、とくに祭祀の改変に関するものは、以下の3点でした。
1、昭和34年の皇太子殿下御結婚の儀は「国事」であると閣議決定され、他方、39年の常陸宮殿下、55年の三笠宮寛仁殿下のご結婚は「公事たる宮務」とされた。ことによって国事、ことによっては「内廷限りのこと」とされていると理解される。これは「神道指令」から解放されたあとの宮内庁当局の見解と考えていいか。
2、国家公務員たる侍従の毎朝御代拝も当然と考えられるが、古来の伝統的祭服からモーニングに変えられたのは何が理由か。
3、神道指令との関連で、紀元節が廃されたほか、いまでは明治節祭も行われなくなった。建国記念の日が立法化されたにもかかわらず紀元節祭は復活されていない。廃止の理由を承りたい。
▽富田長官を名指しする論説
一方、神社新報も、もはや遠慮は許されない、と2月28日号に「富田宮内庁長官へ」と名指しする論説を掲載します。
論説は渋川質問書よりもさらに詳細に、昭和20年の神道指令以降の歴史を振り返り、祭儀の法的位置づけについて、変更があるのか、と迫りました。
1、神道指令は天皇の神道的儀式を私事として以外、認めなかった。しかし独立後、神道指令は失効した。宮内庁当局は「憲法の認める限度」で皇室の伝統的慣例を守ろうと考えており、昭和34年の東宮御成婚の際、賢所で行われた神式儀礼は国事行為として行われた。
2、神事を専門とする掌典は占領下では公務員ではないとされ、今日もそのまま続いているが、占領中であっても、侍従の毎朝御代拝は認められたし、掌典を補佐する掌典補は公務員が奉仕してきた。神道指令失効後は、社会党内閣時代も、当然のこととされた。
3、とくに重大な臨時の祭事は、内閣の助言と承認を得て「国事」として執行されるが、憲法20条(信教の自由)を守って参加を強制するかのような誤解が生じないようにする。
4、皇室の祭儀は法的に複雑だが、ときによっては「国事」と解される儀式もあるし、ことによっては国事と相関連する公的儀式と解されるものがあり、あるいは「内廷」限りの場合もあろう。
5、風説には「内廷限りのもの」と解されるものが多いが、宮内庁当局者が「皇室の祭事は陛下の私事以外のこととしては扱えない」と放言しているのは黙過できない。富田長官以下、新任者が前任者たちの言動を誤り、不法と思うのなら新見解を明示すべきだ。
▽宮内庁の揉み消し工作に屈せず
これに対して、宮内庁はかたくなでした。
すでに書いたことですが、入江相政侍従長の日記を開くと、2月17日には、お昼前に入江が富田長官の部屋を訪れたことが記されています。
「春季皇霊祭、神殿祭だけ最後に御親拝を願えまいか、という件(お祭り軽視という批評を避けるため)につき相談したが、みんな反対、この間の皇后さまのエスカレーターのようなことがあっても知らない、というみんなの意見を伝える」
祭祀の簡略化・破壊は既定路線で、いまさら部外者の声に耳を傾ける必要はない、ということなのでしょう。宮内庁側は質問書に答えるどころか、神社界の重鎮に対してさまざまな揉み消し工作を行ったようです。
しかし神社人たちは屈せず、逆に各地で講演会が開かれるなど全国的な広がりを見せていきます。
3月上旬には東京・文京区の湯島神社で礼典研究会の会合が開かれました。渦中の人である永田忠興掌典補の講演が予定され、関心の高さから、70人が遠方からも集まったのですが、当日になって突然、永田氏から「出席できなくなった」という連絡が入ります。理由は、神社新報の記事によると、「上層部からの指示」でした。
4月になると宮中祭祀研究会が発足し、またたく間に会員数300人を越す組織ができあがります。
同じころ、若い神職の全国組織が、宮中祭祀の混乱に関する疑念を解消するよう求める要望書を富田長官に提出します。
▽神社本庁の主張を認めた掌典長見解
宮内庁がかたくななら、渋川事務局長も頑固でした。
『神社新報五十年史』によると、富田長官は仲介者の立ち会いのもとで、渋川事務局長と数度、懇談します。そしてようやく、宮内庁長官に代わって掌典長が回答する、という妥協が図られ、5月13日、東園基文掌典長の名前による「宮内庁の公式見解」が発表されました。
神社新報5月23日号が伝えるところによると、内容は以下のようなものでした。
1、皇族親王殿下以下の御結婚の諸儀が国事で行われ、また公事として執り行われたことはご承知の通り。今後も国事たり得る場合もあり、公事として行われることもあると考えている。
2、侍従の毎朝御代拝は、現在一般儀式と同様の礼服を用いているが、御代拝の伝統精神はいささかも蔑(ないがし)ろにされていない。
3、宮中三殿は国有としないで、依然、皇室経済法第7条(皇位とともに伝わるべき由緒ある物)のままでいきたい。
4、皇室祭祀については諸般の事情により多少の変化はあるにせよ、その本筋は寸毫も変わることなく執行されており、将来も変わることがないと確信している。
つまり、掌典長回答書は、皇室の祭事ほか内廷の儀式はすべて「陛下の私事」とする一般に流布する解釈を認めず、「ことによっては国事、ことによっては公事」とする渋川質問書や神社新報の論説の主張を明確に認めたのです。
▽晴れぬ祭祀軽視の疑念
主張を認められた渋川事務局長は、回答書を評価する談話を発表しました。
「回答の文書を見ると、法制度的には『神道指令解放後の新憲法公権解釈』とその行政実績が、現在もそのまま公認されている、というだけのことで、何らの進歩も後退もなく変化はしていないということである。
……世間の一部でいわれるように『当局者が法制解釈を改めて、祭事の抑圧を策謀している』というほどに極端な話ではない、ということも回答は明白に保証している。万一、そのような暗い影があっても、この回答文書は1つの明確な歯止めとなるだろう」
けれども、神社新報の「解説」は、ニュアンスが異なりました。
「今回の宮内庁の公式見解は、『賢所の祭儀をことによっては国事、ことによっては公事とすることは「内閣の助言と承認」によって定まる』との歴代内閣の行政実績とその法理が無視されて、賢所祭事は『陛下の個人的私事のみに限る』との説で、神事の前途が崩れつつあるとの風説があったのを否定して、『いまも変更ない』と答えただけである。
……公式見解は、世上で流布されている『祭事』の実際的な執行については、明らかに後退現象の生じている事実を、はっきりと否定し得ない言葉も残している」
「解説」は「公式見解」の不十分さを指摘したのでした。
同じ5月23日号の論説はさらに具体的に、最近になって洋装に改められた侍従の毎朝御代拝を取り上げ、「疑念」を表明しています。
──宮中の服制は明治4年に千年以上の旧弊を打破して大改革された。神武創業の精神への復古が力説されながら、実際、天皇は大元帥服を用い、百官の服制は洋風となった。伝統服制が「中古唐制を模す」と断じられたからだが、それでも「祭服」は改められなかった。それは洋装では礼法に支障を来すと考えられたからだ。占領時代を経ても侍従の御代拝が改められなかったのには理由がある。礼は形を正して、その内的な精神を正す。
つまり、入江侍従長主導による祭祀の改変は、「伝統精神はいささかも蔑ろにされていない」どころではなく、祭祀軽視によるもの、と指摘したのです。
▽「歯止め」にならなかった
疑念は現実になりました。「神社本庁になら誠意をもって回答する」と約束し、「長官に代わって掌典長の回答なら」と妥協が図られ、神社人の主張を認めた掌典長回答書に対して、渋川談話は「1つの歯止めとなる」と期待しましたが、現実に裏切られることになりました。
9月13日の入江日記には、新嘗祭をいちだんと簡素化することを願い上げ、お許しを得た、とあります。まるで掌典長回答書を嘲笑うかのような日記の記述です。そしてさらには椅子の導入さえ、秘密裏に検討されたのでした。
しかし掌典長回答書が尊皇意識の強い神社人の心情を欺く結果となったのは、ある意味で当然でした。神社新報の記事には「宮内庁の公式見解」とありますが、掌典職はもはや国家機関ではなく、掌典長は内廷の使用人に過ぎません。掌典長の「公式見解」は現実には拘束力がありません。
質問書が宮内庁長官の手を離れたとき、勝負はついていたのでしょう。宮中祭祀は人の見ないところで行われており、その重要性は一般には理解しづらいものです。熱い情熱は評価されるとして、議論が神社人の周辺にとどまり、国民的な議論へと広がらなかったところに、限界がありました。
それからおよそ5年後、昭和が終わる日がやってきます。御大喪、即位大嘗祭こそ宮中祭祀の憲法的位置づけが定まるときでした。そのときの議論については次号でお話しします。
□□□□□□□□□ 慰霊とは誰に向かってするのか □□□□□□□□□
以下は斎藤吉久メールマガジンからの転載です。
http://www.melma.com/backnumber_158883_4093785/
今月10日、神奈川県戦没者慰霊堂(横浜市港南区)で県が主催する戦没者追悼式が行われ、1300人が参列した、と毎日新聞が伝えています。
http://mainichi.jp/area/kanagawa/news/20080511ddlk14040193000c.html
▽まぼろしの神奈川県護国神社
案外、知られていないことですが、神奈川県というところは非常に面白いところで、47都道府県にはたいてい少なくとも1社は護国神社があるのですが、唯一、この県だけは護国神社がありません。
正確にいうと、戦時中に護国神社が建設されたのですが、完成直前に空襲で灰燼に帰したのです。地元高校の教師をしている坂井久能先生の論考(「神道研究」所収)によると、昭和14年に1府県1社の護国神社創立が許可されたあと、県は神奈川区三ツ沢町に造営を進めます。上棟式は18年11月。しかし竣功を目前にして20年5月29日、横浜大空襲で社殿は焼失します。
『横浜市史』によると、517機のB29が襲来し、東京空襲の1.5倍に当たる2571トンの焼夷弾が投下され、7万9000戸が全焼、死者3649人を含む30万人以上が被災し、旧市街地が焼き尽くされたといわれます。
坂井先生によると、22年6月、県は境内地を横浜市に無償で払い下げました。いま神社の跡地はスポーツ施設が並ぶ三ツ沢公園の一部となり、現代的なデザインの横浜市慰霊塔が建っています。
▽慰霊塔建設を打ち出したクリスチャン知事
この記事に出てくる県慰霊堂が建設されたのは日本が独立を回復したあとのことでした。
ご存じのように、20年暮れ、占領軍はいわゆる神道指令を発しました。「目的は宗教を国家から分離することである」と明記され、駅の門松や注連縄までが撤去されました。
しかし占領後期になると、占領軍は指令の解釈を完全分離主義から緩やかな分離主義に改め、松平参議院議長の参議院葬は神式で行われ、吉田首相の靖国神社参拝も認められました。
26年4月に講和条約が発効すると、公葬の緩和が進み、県や市町村による慰霊塔建設が展開されるようになりました。
神奈川県では26年11月に遺族会が主催し、市町村が後援する合同慰霊祭が、横浜市鶴見の曹洞宗大本山・総持寺で行われました。
当時の県知事・内山岩太郎はクリスチャンといわれ、戦災で破壊されたフィリピンの教会を復興した人物としても知られます。そして慰霊塔の建設を打ち出したのも内山知事でした。
▽お寺の境内地を無償譲渡
慰霊塔は慰霊堂へと計画が変更され、紆余曲折の末、真言宗の千手院から無償譲渡された港南区大岡台に建設されることになります。
住職は明治生まれの芯の強い人物だったようで、檀家の思わぬ反対に遭うと、「命の尊さが分からないものは檀家でなくてもいい」とまで語ったと聞きます。
こうして慰霊堂は28年11月に竣功し、秩父宮妃殿下の御臨席のもと、慰霊祭が行われました。
非常にユニークなのは、ここの慰霊祭が諸宗教合同で行われていることです。坂井先生によると、28年の慰霊祭に先立って県宗教連盟から県に対して合同で奉仕したい旨、申し出があり、県が快諾したのだそうです。
官民が一体となり、しかも一宗一派によらず、神道、仏教、キリスト教合同の慰霊祭が行われるのはきわめて異例で、「神奈川方式」と呼ばれています。
▽変質する慰霊追悼
しかしやがてこの方式に大きな変化がもたらされました。昭和49年、民間の奉賛会が主催する宗教的な「奉賛行事」と行政が主催する非宗教的な「慰霊祭」が分離されたのです。
この3年前、津地鎮祭訴訟の第2審で、名古屋高裁は「津市が神社神道式の地鎮祭を行ったのは政教分離違反」と断定する判決を下したことが影響しているのではないか、と推測されています。
この毎日新聞の記事にあるように、「戦没者追悼式」と名称も変更されました。「慰霊祭」が「追悼式」に変わったのは57年でした。宗教性を排除するという絶対分離主義的な発想からのようです。
私が現地を取材したのはもう何年も前のことですが、面白いことに、民間の追悼奉賛行事に知事は参列しません。このあと追悼式は国歌斉唱、知事の式辞、黙祷と続くのですが、「知事は戦没者の御霊(みたま)に対してではなく、遺族に向かって話をする」のだそうです。
戦没者の御霊を慰めるという素直な気持ちより、憲法の政教分離原則なるものが必要以上に重視された結果です。政教分離が、信教の自由を確保するためという本来の目的を外れ、政教分離それ自体が目的化した結果、死者の慰霊という目的を見失っているのです。
□□□□□□□□□□ お知らせ □□□□□□□□□□
1、雑誌「正論」が今年11月号で創刊35周年を迎えることになり、送料無料でご自宅にお届けするキャンペーンを実施しています。ご希望の方には申込書をお送りしますので、私斎藤までメールでご連絡ください。
2、北朝鮮向け短波放送「JSRしおかぜ」がカンパを募集しています。ご協力ください。
http://www.chosa-kai.jp
3、ピアニストの中村由利子さんが6月に東京文化会館でコンサートを開きます。是非おいでください。ファンクラブのメンバーも募集しています。
http://www.yurikopia.com/
4、第53回全国学生青年合宿教室。お伊勢さんでの勉強会です。参加者を募集しています。8月21日から24日まで。
http://www.kokubunken.or.jp
5、「明日への選択」4月号(日本政策研究センター)の「一刀両断」欄に掲載された拙文をアーカイヴズにアップロードしました。
http://homepage.mac.com/saito_sy/tennou/H2004ASkugen.html
6、発売中の「別冊正論」第9号に拙文「靖国合祀『日韓のすれ違い』」が載っています。
http://www.sankei.co.jp/seiron/etra/no09/ex09.html
7、「人形町サロン」に拙文「日本人が大切にしてきた多神教文明の価値」が載っています。
http://www.japancm.com/sekitei/sikisha/index.html
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