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子育て最前線で活躍するお母さん、
お父さんのための育児マガジン+育児エッセーほか。    
★★★★★2007年10月、
60000誌の中で、TOP-ONEに
評価されました!★★★★★




●子育て最前線の育児論byはやし浩司・メルマガ(生きること)

発行日: 2008/5/21






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子育て最前線の育児論byはやし浩司   08年 5月 21日
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どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●お願い(親類の方へ)

+++++++++++++++++

読者の方……というより、親類の
方の中には、そのつど、私や家族の
動向をさぐるために、私のHPを
のぞいている方がいます。

そればかりか、「あの浩司がこんな
ことを書いている」「あんなことを
書いている」と、連絡を取りあって
いある方がいます。

先日も、「HPで知ったのですが、
○○さんは、〜〜ですってね」と、
知らせてきた人がいます。

私としては、そういう行為が、たいへん
不愉快です。
風呂に入っているところを、のぞかれた
ような気分です。

HPにせよ、BLOGにせよ、公開
していますが、それは私の意見を
必要とする人のためのものです。

みなさんに、動向を連絡するために
書いているのではありません。

また内容についても、こうした
HP、BLOGの性格上、内容を
かなり変えて書いています。

親類の話でないことを、親類の
話にしてみたり、家族の話でないことを、
家族の話にしてみたりするということは、
手法として、よくすることです。

個人を特定してものを書くということは、
この世界では、たいへん危険なことです。
ですから、そうしています。

そういう記事を誤解されますと、話が
とんでもない方向に飛んでいって
しまいます。

そこでお願いです。

親類、縁者の方で、私の動向をさぐる
ために、HPやBLOGをのぞいている
方は、私のHPやBLOGへのアクセスを
どうか、ご遠慮ください。

まだご存知ない方も多いかと思いますが、
みなさんからアクセスがあると、アドレス、
アクセス回数、時間帯など、こちらで
すべて把握できるようになっています。

G県のNさん、Hさん、どうか、今後、
アクセスをご遠慮ください。
マガジンの購読もなさっておられるよう
なら、それも、どうかご遠慮ください。

私どものことは気になさらず、どうか、
ご自身のことを第一に考えて、お進み
ください。

よろしくお願いします。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【生きることは考えること】(I think, therefore I am)
Why are we here? The answer is very simple. Because we think. In other words, if we 
don’t think, we are the same animals which live and die there in the nature.

+++++++++++++++++

生きるということは、どういう
ことなのか?

+++++++++++++++++

私たちは生きているというよりは、
生かされているだけ?

今朝、そんなことを考えた。

たとえば「見る」ということを考えてみる。

目の前には、コナラの木がある。
淡い黄緑色の葉をつけ始めた。
水色の空を背景に、春のそよ風の中で、
やさしく揺れている……。

で、「見る」ということは、コナラの木に
反射された「光」を、目が、感受している
からにほかならない。

そこで私は、ふと考える。

「どうして空気は見えないのか」と。
「窒素や酸素は、見えないのか」と。

物理学的に言えば、空気は、光をそのまま
通してしまうから、ということになる。

が、ほんとうに、そうだろうか。
そう考えてよいのだろうか。

そこで見えるということを、
こう考えなおしてみたらどうだろうか。

「もし空気を見ることができたとしたら、
人間の目は、どうなっていただろうか」と。

紫色なら紫色でもよい。
青色なら青色でもよい。
もし私たちが空気の色を見ることができた
とするなら、空気以外のものは、見えない
ことになる。

そこは紫色だけの世界。
青色だけの世界。

たとえて言うなら、土の中に住むミミズの
ようなもの。

ミミズは、土の中で、土しか見ていない。
土しか、見ることができない。
しかも光のない世界だから、そこは暗闇の
世界。

となると、ミミズの目が退化してしまった
ように、人間の目も退化してしまっていたに
ちがいない。

見えるものが空気だけでは、目としての意味はない。

が、そのままでは、困る。
空気にじゃまされて、その向こうのものが
見えないとしたら、人間は、そのつど、
種々の物体と、衝突を繰りかえすことになる。

あっちでゴツン、こっちでゴツンと……。
崖があれば、そのまま、まっさかさまに、落ちていく……。

そこで、もし、人間が空気を見ることができたとするなら、
(あるいは空気が見えるものであったとするなら)、
人間は(目)に代わるものを、進化させていたに
ちがいない。

深海に住むイルカは、超音波で、物体をさぐる
ことができるという。
あるいは、暗い洞窟に住むコウモリのようでもよい。
人間も、そういった能力を進化させたにちがいない。

しかしそうなったとするなら、今度は、コナラの木も、
ずいぶんとちがったものに見えているはず。

そこは白黒の世界? 
枝は黒い影、葉はうすい影……。

つまり「見る」ということをひとつ取りあげても、
人間にたいへんつごうよく、そのように、
できるようになったにすぎないということがわかる。

「見る」と言っても、そのように見させられて
いるだけ、ということ。

で、人間は、こう思う。

「気持ちいいな」
「やはり山の緑はいい」
「とくに春先の若葉の色がいい」
「水色の空も、美しい」と。

しかしこれについても、こう言える。

「そういうふうに思うのも、実はしくまれた
感動である」と。

というのも、太古の昔、人間は、猿に近い
動物であったという。

さらにその前は、魚に近い動物であったという。

緑が美しいと思うのは、私たちが猿であった時代の
名残かもしれない。

淡い水色の空を美しいと思うのは、私たちが
魚であった時代の名残かもしれない。

猿であった時代には、私たちは森の木々に
守られて生きた。

魚であった時代には、透明な水の中で、
餌をさがしながら生きた。

それがそのまま今、(感覚)として反映されている。

反対に、不毛の砂漠を見たり、大きな火を見たり
したとき、不安になることがある。

それも、進化の過程で、つくりあげられた(感覚)
ということになる。

つまりこうして考えていくと、(生きる)といっても、
私たちは、実は(生かされているだけ)という
ことがわかってくる。

中には、「私は生きている」「自分の力で生きている」と
思っている人もいるかもしれない。
が、実は(生かされているだけ)と。

そのことは、野原で遊ぶ小鳥たちを見ればわかる。

どの小鳥も、それぞれがてんでバラバラに、
好き勝手なことをしている。

しかし小鳥は小鳥。
その(ワク)の中でしか、生きていない。
つまり、そのワクの中で、生かされているだけ。

居心地がよいから、小鳥は、野原にいる。
餌があるから、そこで遊ぶ。

人間も、またしかり。
「私は私」と思っている人も多いが、実は、
内なる命令に、従っているだけ。
わかりやすく言えば、(ワク)の中で、
生かされているだけ。

食欲や生存欲、性欲については、今さら
説明するまでもない。

私たちの生活のほとんどは、そのバリエーションの
上に成り立っていると言っても過言ではない。

そこにレストランがあるのも、仕事をするのも、
また結婚するのも、そうだ。
もとを正せば、その向こうに、食欲があり、
生存欲があり、性欲があるからにほかならない。

となると、改めて、(生きる)とは何か、
考えてしまう。
あるいは(生きる)ということは、どういうことなのか、
考えてしまう。

……といっても、私の結論は、いつも同じ。

こうした(ワク)の外にあるものは何かと
問われれば、それは(考えること)に
ほかならない。

この(考える)ということだけは、だれにも
じゃまされない。
この(考える)という部分だけは、
(ワク)の外にある。

言いかえると、私たち人間は、考えることによって、
(ワク)の外に出ることができる。
(生きる)ということを、私たち自身のものとする
ことができる。

もっと端的に言えば、私たちは考えるからこそ、
人間ということになる。

裏を返していうと、考えない人というのは、
人間ではない、つまりそこらの動物と同じ
ということになる。
……というのは、少し言い過ぎということは
わかっている。

しかしこの視点を踏み外すと、では私たちは
何のために生きているか、それがわからなく
なってしまう。

あるいは「生きている」と思いこんで、
生きているだけということになってしまう。

朝起きて、毎日、同じことを繰りかえす。
そして同じように一日を終えて、床につく。

しかしそれでは、冒頭に書いたように、
ただ生かされているだけということになる。

それを避けるためのゆいいつの手段といえば、
(考えること)ということになる。

以前、「生きることは考えること」という題で、
こんな原稿を書いたことがある。

書いてから、すでに6、7年になるが、
今でも、その思いに変わりはない。

++++++++++++++++++

●生きることは、考えること

 毎週土曜日は、朝四時ごろ目がさめる。そうしてしばらく待っていると、配達の人が新
聞を届けてくれる。聞きなれたバイクの音だ。が、すぐには取りにいかない。いや、とき
どき、こんな意地悪なことを考える。配達の人がポストへ入れたとたん、その新聞を中か
ら引っ張ったらどうなるか、と。きっと配達の人は驚くに違いない。

 今日で「子どもの世界」は終わる。連載一〇九回。この間、二年半あまり。「混迷の時代
の子育て論」「世にも不思議な留学記」も含めると、丸四年になる。

しかし新聞にものを書くと言うのは、丘の上から天に向かってものをしゃべるようなも
の。読者の顔が見えない。反応もわからない。だから正直言って、いつも不安だった。
中には「こんなことを書いて!」と怒っている人だっているに違いない。

私はいつしか、コラムを書きながら、未踏の荒野を歩いているような気分になった。果
てのない荒野だ。孤独と言えば孤独な世界だが、それは私にとってはスリリングな世界
でもあった。書くたびに新しい荒野がその前にあった。

 よく私は「忙しいですか」と聞かれる。が、私はそういうとき、こう答える。「忙しくは
ないですが、時間がないです」と。つまらないことで時間をムダにしたりすると、「しまっ
た!」と思うことが多い。

女房は「あなたは貧乏性ね」と笑うが、私は笑えない。私にとって「生きる」というこ
とは、「考える」こと。「考える」ということは、「書く」ことなのだ。私はその荒野をど
こまでも歩いてみたい。そしてその先に何があるか、知りたい。ひょっとしたら、ゴー
ルには行きつけないかもしれない。しかしそれでも私は歩いてみたい。そのために私に
残された時間は、あまりにも少ない。

 私のコラムが載っているかどうかは、その日の朝にならないとわからない。大きな記事
があると、私の記事ははずされる。バイクの音が遠ざかるのを確かめたあと、ゆっくりと
私は起きあがる。そして新聞をポストから取りだし、県内版を開く。私のコラムが出てい
る朝は、そのまま読み、出ていない朝は、そのまままた床にもぐる。たいていそのころに
なると横の女房も目をさます。そしていつも決まってこう言う。

「載ってる?」と。その会話も、今日でおしまい。みなさん、長い間、私のコラムをお
読みくださり、ありがとうございました。」 

++++++++++++++++++++++

みなさんへ、

生きているって、すばらしいことですね。
これからも、そのすばらしさを、このマガジンを
とおして、追求していきたいと思います。
今回は、「おわび号」ということで、その
「生きる」について、書いてみました。

これからも、どうか、マガジンを、お読み
ください。


++++++++++++++++++

同じような内容の原稿ですが、もう一作
添付します。

++++++++++++++++++

●雑感

 六月に静岡市で講演会をもつ。私はどうしてもその講演会を、成功させたい。「成功」と
いうのは、心残りなく、自分を出しきるということ。講演をしていて、一番、つらいのは、
終わったあと、「ああ言えばよかった」「こう言えばよかった」と後悔すること。どこか中
途半端なまま終わること。正直に告白するが、そういう意味では、私はいまだかって、一
度とて成功したためしがない。

 それに「アメリカのある学者がこう言っています」などという、いいかげんな言い方は
したくない。言うとしても、きちんと、「マイアミ大学の、T・フィールド博士はこう言っ
ています」という言い方をしたい。そのためにも、下調べをしっかりとしておきたい。

 ここで「静岡市」にこだわるのは、静岡県の静岡市、つまり県庁所在地だからである。
同じ静岡県の中でも、浜松市で講演するのと、静岡市で講演するのとでは、意味が違う。
それに私の講演では、東は大井川を越えると、とたんに集まりが悪くなる。さらにその東
にある静岡市となると、もっと悪くなる。恐らく予定の半分も集まらないだろう。だから
よけいに、成功させたい。

 しかし私はときどき、こう思う。講演のため、数百人もの人を前にしたときだ。「どうし
てこの私がこんなところにいるのだろう?」と。それは実におかしな気分だ。「この人たち
は、何を求めて、ここに来ているのだろう」と思うこともある。だから私は、来てくれた
人には、思いっきり、役にたつ話をすることにしている。私利私欲という言葉があるが、
講演では、「私」そのものを捨てる。かっこよくみせようとか、飾ろうという気持ちも捨て
る。こういうとき政治家だったら、自分をより高く売りつけて、票に結びつけようとする
だろう。が、私には、そういった目的もない。

よく主催の方が本を売ってくれると申し出てくれることもあるが、ほとんどのばあい、
私のほうが、それを断っている。そういう場を利用して、本を売りつけるというのは、
私のやり方ではない。

 ひとつ心配なことがある。それはこの数年、体力や気力が急速に衰えてきたこと。講演
の途中で、ふと自分でも何を話しているかわからなくなるときがある。あるいは頭の中が
ボーッとしてきて、話し方そのものがいいかげんになることもある。言葉が浮かんでこな
かったり、話そうと思っていたことを忘れてしまうこともある。こうした傾向は、これか
ら先、ますます強くなるのでは……?

 生きている証(あかし)として、私は講演活動をつづける。私にとって生きることは考
えること。考えるということは、書くこと。その結果として、私の意見に耳を傾けてくれ
る人がいるなら、私は自分の経験と能力を、そういう人にささげる。本当のところ、「メリ
ット」を考えても、それは、あまりない。もちろん「仕事」にはならない。しかし以前の
ように、疑問をもつことは少なくなった。

三〇代のころは、「なぜ講演をするのか」「なぜしているのか」ということを、よく考え
た。が、今は、それはない。そういうことは、ほとんど考えない。今は、やるべきこと
のひとつとして、講演活動を考えている。

どうせやがて消えてなくなる体。心。そして命。死ねば、二度と見ることもないこの世
界だが、そこに生きたという証になれば、私はそれでよい。

++++++++++++++++

●このマガジンの読者の方で、静岡市周辺に住んでおられる方がいらっしゃれば、どうか、
講演会においでください。まだ私が元気なうちに、私の話を聞いてください。一生懸命、
みなさんの子育てで役立つ話をします!
03年6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課 電話054−246−6136

(03−1−22)記


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●情報と思考

++++++++++++++++++++

情報と思考は、別。
もの知りな子どもイコール、頭がよいということ
にはならない。

たとえば掛け算の九九をペラペラと言ったからと
いって、その子どもは、頭がよい子どもとは言わない。
いわんや、算数ができる子どもとは、言わない。

++++++++++++++++++++

 もちろんテレビ番組の影響だが、子どもたちの世界でも、「IQサプリ」「知能サプリ」
という言葉が、日常的に使われるようになった。昔でいう、「トンチ」、あるいは「ダジャ
レ」と考えればよい。いわゆる、脳みその体操のようなものだが、英語でいう、クイズと
か、リドルも、それに含まれる。

 かたくなった脳みそを刺激するには、よい。体でいえば、今まで使ったことのない筋肉
を動かすようなもの。しかし誤解してはいけないのは、そういうことができるからといっ
て、頭がよいということには、ならない。またそういう問題で訓練をしたからといって、
頭がよくなるということでもない。頭のよさは、論理性と分析力によって決まる。もっと
言えば、論理性と分析力は、一応、ひらめき思考とは、区別して考える。

 そのことは、子どもの世界を見ていると、よくわかる。

 中に、つぎからつぎへと、パッパッと、言動が変化していく子どもがいる。言うことな
すこと、まさに天衣無縫。ひらめきというか、勘がよいから、何かクイズのようなものを
出したりすると、その場でスイスイと解いてみせたりする。

 が、そういう子どもが頭がよいかというと、そういうことはない。トンチや、ダジャレ
がうまい子どもイコール、頭がよいということではない。(もちろん中には、その両者をか
ね備えた子どももいるが……。)

 むしろ現実には、いわゆる頭のよい子どもというのは、静かで、落ちついている。どっ
しりとしている。私はよく、『子どもの頭のよさは、目つきを見て判断したらいい』と言う。
このタイプの子どもは、目つきが鋭い。何か問題を出しても、食い入るようにそれをじっ
と見つめる。

 もちろんこのタイプの子どもは、知能サプリ的な問題でも、スイスイと解くことができ
る。が、その解き方も、論理的。理由を聞くと、ちゃんとした説明が返ってくる。

 で、私も、そういった番組を、ときどき見る。たまたま昨日(11・19)は、こんな
問題が出されていた(「IQサプリ」)。

 四角い紙の真中に、小さい文字で、「つ」と書いてある。これを「失格」とするなら、「合
格」は、どんな紙に、どう書けばよいか、と。

 四角い紙の真中に「つ」が書いてあるから、「四角の中に、つ」、だから、「し(つ)かく」
と。

 この方法で、「合格」を表現しようとすると、五角形の中に、「う」を書けばよいという
ことになる。「五角形の中に、(う)だから、ご(う)かく」と。

 「なるほど」と思いたいが、しかし、これは論理の問題というよりは、まさにダジャレ。
こうした問題が、論理性と結びつくためには、そこに法則性がなければならない。が、そ
の法則性は、どこにもない。その法則性がないから、こうした問題には、発展性がない。
もちろん実益もない。

 たとえばこうした問題を土台にして、(形)と(最小の文字)で、言葉を表現できるよう
にすれば、それが論理性ということになる。

 三角と、(あ)で、「錯覚」
 四角と、(い)で、「鹿」
 五角と、(う)で、「誤解」とかなど。(少し苦しいかな……。)

 つまり、ダジャレは、どこまでもダジャレ。が、それよりも恐ろしいと思うのは、こう
した意味のないダジャレが、いくら娯楽番組とはいえ、全国津々浦々に、放送されている
ということ。そのために、日本人の何割かが、くだらないダジャレにつきあい、時間をム
ダにする。言いかえると、それまでの巨大メディアを使ってまで、こんなことを全国に知
らせしめる必要があるのかということ。

 ケバケバしい舞台。チャラチャラした出演者たち。その出演者たちが、意味もなく、ギ
ャーギャーと騒いだり、笑ったりしている。知恵をみがく番組というのなら、それなりに
知性を感ずる番組でなければならない。が、おかしなことに、その知性を感じない。

私は、今の今も、多くの子どもたちを見ている。そういう子どもたちと比較しても、こ
の種の番組は、質というか、レベルが、2つも、3つも低い。つまりそれが、こうした
番組のもつ限界ということになる。

【補足】

●情報と思考力

 もの知りイコール、賢い人ということにはならない。つまりその人がもつ情報量と、賢
さは、必ずしも一致しない。たとえば幼稚園児が、掛け算の九九をペラペラと口にしたか
らといって、その子どもは、頭のよい子ということにはならない。もちろん算数のできる
子ということにはならない。

 しかし長い間、この日本では、もの知りな子どもイコール、優秀な子と考えられてきた。
受験勉強の内容そのものが、そうなっていた。一昔前までは、受験勉強といえば、明けて
も暮れても暗記、暗記また暗記の連続だった。

 さらにそれで勉強がよくできるからといって、人格的にすぐれた人物ということにはな
らない。もっとわかりやすく言えば、有名大学を出たからとって、人格的にすぐれた人物
ということにはならない。

 しかし私が子どものころは、そうではなかった。学級委員と言えば、勉強がよくできる
子どもから選ばれたりした。勉強のできない子どもが、まれに学級委員に選ばれたりする
と、先生が、その選挙のやりなおしを命じたりしていた。

 話がそれたが、その子どものもつ情報量と、その子どもがもつ思考力とは、関係はない。
(もちろん、中には、その両方を兼ね備えている子どももいる。あるいはその両方ともに、
欠ける子どももいる。)

 そこでさらに一歩、情報と思考について、考えてみる。

 情報というのは、ただ単なる知識にすぎない。その情報が、思考と結びつくためには、
その情報を、選択→加工→連続化しなければならない。最後にその情報を、論理的に組み
あわせて、実生活に応用していく。それが思考である。

 これをまとめると、つぎのようになる。

(1)情報量(情報そのものの量)
(2)情報の選択力(必要な情報と、そうでない情報の選択)
(3)情報の加工力(情報を別の情報に加工する力)
(4)情報の連続性(バラバラになった情報を、たがいに結びつける)
(5)情報の応用性(情報を、実用的なことに結びつける)

 (1)の情報量をベースとするなら、(2)〜(5)が、思考力の分野ということになる。

 言うなれば、「IQサプリ」にせよ、「知能サプリ」にせよ、(1)の段階だけで、停止し
てしまっている。「だからどうなの?」という部分が、まるでない。ムダだとは思わないが、
しかしその繰りかえしだけでは、意味がない。

 以前、こんな原稿を書いた(中日新聞発表済み)。情報と思考のちがいがわかってもらえ
れば、うれしい。

++++++++++++++++++++++

●知識と思考を区別せよ!

思考と情報を混同するとき 

●人間は考えるアシである

パスカルは、『人間は考えるアシである』(パンセ)と言った。『思考が人間の偉大さをな
す』とも。よく誤解されるが、「考える」ということと、頭の中の情報を加工して、外に
出すというのは、別のことである。たとえばこんな会話。

A「昼に何を食べる?」
B「スパゲティはどう?」
A「いいね。どこの店にする?」
B「今度できた、角の店はどう?」
A「ああ、あそこか。そう言えば、誰かもあの店のスパゲティはおいしいと話していたな」
と。

 この中でAとBは、一見考えてものをしゃべっているようにみえるが、その実、この二
人は何も考えていない。脳の表層部分に蓄えられた情報を、条件に合わせて、会話として
外に取り出しているにすぎない。

もう少しわかりやすい例で考えてみよう。たとえば一人の園児が掛け算の九九を、ペラ
ペラと言ったとする。しかしだからといって、その園児は頭がよいということにはなら
ない。算数ができるということにはならない。

●考えることには苦痛がともなう

 考えるということには、ある種の苦痛がともなう。そのためたいていの人は、無意識の
うちにも、考えることを避けようとする。できるなら考えないですまそうとする。

中には考えることを他人に任せてしまう人がいる。あるカルト教団に属する信者と、こ
んな会話をしたことがある。私が「あなたは指導者の話を、少しは疑ってみてはどうで
すか」と言ったときのこと。その人はこう言った。「C先生は、何万冊もの本を読んでお
られる。まちがいは、ない」と。

●人間は思考するから人間

 人間は、考えるから人間である。懸命に考えること自体に意味がある。デカルトも、『わ
れ思う、ゆえにわれあり』(方法序説)という有名な言葉を残している。正しいとか、まち
がっているとかいう判断は、それをすること自体、まちがっている。こんなことがあった。

ある朝幼稚園へ行くと、一人の園児が、わき目もふらずに穴を掘っていた。「何をしてい
るの?」と声をかけると、「石の赤ちゃんをさがしている」と。その子どもは、石は土の
中から生まれるものだと思っていた。おとなから見れば、幼稚な行為かもしれないが、
その子どもは子どもなりに、懸命に考えて、そうしていた。つまりそれこそが、パスカ
ルのいう「人間の偉大さ」なのである。

●知識と思考は別のもの

 多くの親たちは、知識と思考を混同している。混同したまま、子どもに知識を身につけ
させることが教育だと誤解している。「ほら算数教室」「ほら英語教室」と。

それがムダだとは思わないが、しかしこういう教育観は、一方でもっと大切なものを犠
牲にしてしまう。かえって子どもから考えるという習慣を奪ってしまう。もっと言えば、
賢い子どもというのは、自分で考える力のある子どもをいう。

いくら知識があっても、自分で考える力のない子どもは、賢い子どもとは言わない。頭
のよし悪しも関係ない。映画『フォレスト・ガンプ』の中でも、フォレストの母はこう
言っている。「バカなことをする人のことを、バカというのよ。(頭じゃないのよ)」と。
ここをまちがえると、教育の柱そのものがゆがんでくる。私はそれを心配する。

(付記)

●教育の欠陥

日本の教育の最大の欠陥は、子どもたちに考えさせないこと。明治の昔から、「詰め込み
教育」が基本になっている。さらにそのルーツと言えば、寺子屋教育であり、各宗派の
本山教育である。

つまり日本の教育は、徹底した上意下達方式のもと、知識を一方的に詰め込み、画一的
な子どもをつくるのが基本になっている。もっと言えば「従順でもの言わぬ民」づくり
が基本になっている。

戦後、日本の教育は大きく変わったとされるが、その流れは今もそれほど変わっていな
い。日本人の多くは、そういうのが教育であると思い込まされているが、それこそ世界
の非常識。ロンドン大学の森嶋通夫名誉教授も、「日本の教育は世界で一番教え過ぎの教
育である。自分で考え、自分で判断する訓練がもっとも欠如している。自分で考え、横
並びでない自己判断のできる人間を育てなければ、二〇五〇年の日本は本当にダメにな
る」(「コウとうけん」・九八年・田丸先生指摘)と警告している。

●低俗化する夜の番組

 夜のバラエティ番組を見ていると、司会者たちがペラペラと調子のよいことをしゃべっ
ているのがわかる。しかし彼らもまた、脳の表層部分に蓄えられた情報を、条件に合わせ
て、会話として外に取り出しているにすぎない。

一見考えているように見えるが、やはりその実、何も考えていない。思考というのは、
本文にも書いたように、それ自体、ある種の苦痛がともなう。人によっては本当に頭が
痛くなることもある。また考えたからといって、結論や答が出るとは限らない。そのた
め考えるだけでイライラしたり、不快になったりする人もいる。だから大半の人は、考
えること自体を避けようとする。

 ただ考えるといっても、浅い深いはある。さらに同じことを繰り返して考えるというこ
ともある。私のばあいは、文を書くという方法で、できるだけ深く考えるようにしている。
また文にして残すという方法で、できるだけ同じことを繰り返し考えないようにしている。

私にとって生きるということは、考えること。考えるということは、書くこと。モンテ
ーニュ(フランスの哲学者、1533〜92)も、「『考える』という言葉を聞くが、私
は何か書いているときのほか、考えたことはない」(随想録)と書いている。ものを書く
ということには、そういう意味も含まれる。
(はやし浩司 情報と思考 考える葦 パスカル パンセ フォレスト・ガンプ (はや
し浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi 
Hayashi education essayist writer Japanese essayist 思考 情報 生きる 生きるとい
うことは、考えること なぜ人は生きるか)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●金で買った、ノーベル平和賞
Kim ex-president of South Korea won the Nobel Peace Prize but he rather bought it 
with money which was over half  billion US dollars, rather than given by good people. 

●今回から2600号

+++++++++++++++

今日は、2008年4月18日。
今にも雨が降り出しそうな、曇り空。
さきほど、サイクリングから帰ってきたところ。
雨を心配しながらのサイクリングだった。
湿度が高かったせいか、けっこう、汗をかいた。

ああ、たった今(11:15pm)、
ザザッと、雨が降り出した。
遠くで、雷鳴?
また雷鳴?
たしかに雷鳴だった。
おかしな天気だ。

さあ、今日から2600号。
がんばるぞ!

+++++++++++++++

●マネーで買ったノーベル賞

韓国のあの、金大中という人は、さっぱりわけがわからない。
年を経るごとに、???。
今朝の中央N報(4・18)は、こんな記事を載せている。

++++++++++++++++++++++

元国家情報院(国情院)職員のキム・ギサム氏が米国に亡命を申請していたが、米政府が
同氏の要請を受け入れたもようだ。AP通信が16日に報じた。 

 AP通信によると、キム氏の弁護士トーマス氏は「米ペンシルバニア州フィラデルフィア
にある移民裁判所が、キム氏の政治的亡命の申請を受け入れた」と伝えた。キム氏は20
00年に国情院を辞めた後、▽01年から国情院が、5億ドル(約500億円)にのぼる
K国への違法送金を行なったこと、▽金大中(キム・デジュン)前大統領のノーベル平和
賞受賞に向け、組織的な支援が行なわれたこと、などを暴露したことがある。(中央N報、
08年4月18日)

++++++++++++++++++++++

わかりやすく説明すると、金大中は、あのノーベル平和賞を、約500億円という大金を
使って、買ったということ。そのお金で、南北の和平ムードを演出し、その功績により(?)、
ノーベル平和賞を受賞したということ(※1)。

その当時、一方の当事者であるK国の金xxが、「どうして私はもらえないのか」と騒いだ
のを、覚えている。

で、そのことを、キム氏が暴露した。(1)南北首脳会談を実現するために、500億円と
いう大金が、使われたこと。(2)金大中のノーベル平和賞受賞に向け、組織的な支援が行
われたことなど。

が、そのため命の危険を感じたのだろう。キム氏は、そのままアメリカへ逃亡。今度の亡
命申請となった。

ところで日本の佐藤栄作も、ノーベル平和賞を受賞している。1974年のことである。

佐藤栄作は、非核三原則、ならびにアジア平和への貢献を理由として、ノーベル平和賞を
受賞している。左派系のみならず、右派系の人たちでさえ、みな首をかしげる受賞であっ
た。あるいはノーベル平和賞というのは、その程度の「賞」のことをいうのか。

で、その金大中のあとを継いだ、N大統領も、これまたおかしい。「N前大統領(75)が、
実弟のノ・ジェウ氏と、財産をめぐって激しい争いを繰り広げている」(※2)(朝鮮N報)
というのだ。

しかも現在、「オリーブ橋小脳萎縮症という難病を患い、国軍ソウル地区病院に入院してい
るが、病状はかなり重い」(同)という。

「オリーブ橋小脳萎縮症」というのも聞き慣れない病名である。ウィキペディア百科事典
には、つぎのようにある。

「孤発性の脊髄小脳変性症の代表的な疾患です.脊髄小脳変性症とは,運動失調を主症状
とする神経変性疾患の総称です.ここには臨床症状や、病理所見、原因遺伝子の異なる数
多くの疾患が含まれています。原因からは,遺伝性のものと,孤発性(非遺伝性)のもの
に大きく分けられます.感染性の疾患ではありません」(以上、ウィキペディア百科事典よ
り)。

症状としては、つぎのようなものがあるとか。

(1)運動失調を主症状とする。立ったときふらつくなど。
(2)手の動作時の震え。思ったように字が書けないなど
(3)ろれつが回らない。音と音がつながってしまう。
(4)パーキンソン病に似た症状。
(5)排尿障害などの自律神経失調症など。

オリーブ橋小脳萎縮症にかかると、約8年で、ほとんどの人が、補助具なしでの歩行がで
きなくなるとか。さらに夜間の呼吸困難や感染症で、突然死することも多いとか(以上、
ウィキペディア百科事典)。

しかし大統領を退官して、まだ2、3か月もたっていない。本当に人の運命というのは、
わからないものだ。

+++++++++++++++参考+++++++++++++++++

(注※1)「雰囲気及びインフラ造成」の項目では、「金大中アピール及び、イメージメー
キング」、「南アフリカのマンデラ元大統領、フィリピンのアキノ元大統領、米国のカータ
ー元大統領、アウンサンスーチー氏など、世界の著名人との交流拡大」などを提案し、「業
績及び名分を作る」ため、「南北関係の画期的な改善、北朝鮮の子供を援助するためのチャ
リティーコンサート、ビルマやインドネシアなどでの民主化闘争を支援」などを提案した。

 特に、「交渉及び攻略」の項目では、「ノーベル平和賞選定5人委員会、スウェーデン・
アカデミー、ノルウェー国会が主な攻略対象」とし、「5人の選定委員に対して、最少3人
ずつマンツーマン式の接近」と「韓国企業のノーベルスポンサーシップ資格の維持」、「(ス
ウェーデン)エリックソン社のアカデミーへの影響力を活用」などを提案した。

また、崔圭善・元副社長は『M-プロジェクト』をまとめる以前の1998年4月、国連のア
ナン事務総長と親しい関係の国際弁護士、アルマンソル氏とノーベル賞受賞のコンサルテ
ィング契約を締結し、「『国連人権賞』など、世界的な人権賞3〜4コを事前に受賞すること」
という勧告を受けたとされる。

金大統領は1996年6月7日、ニューヨークで国連人権賞を受賞し、1999年6月15日には、
ソウルで朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)子供を支援するためのマイケル・ジャクソンのコ
ンサートが開かれた。崔圭善・元副社長は金大統領のルーズベルト人権賞の受賞を推進す
る上で、1999年4月2日、朴智元(パク・チウォン)公報首席に推進過程を報告する書簡を
送っている。

 また、アルマンソル博士が崔圭善・元副社長に送った手紙には、マンデラ元大統領との
交渉と関連し、「(金大中)大統領の息子が(米国の)南アフリカ共和国の領事館で詳細な内容を
伝達した」と書かれていたことが分った。ニュースウィーク誌は、この大統領の息子は金
弘傑(キム・ホンゴル)氏であると報じた。(以上、朝鮮N報・2002年10月9日付けよ
り。)

++++++++++++++++

(注※2)盧泰愚(ノ・テウ)元大統領(75)が、実弟のノ・ジェウ氏と、財産をめぐっ
て激しい争いを繰り広げている。 

 在職中に5000億ウォン(現在約519億500万円)台の裏金をプールしたとして、
1997年に2629億ウォン(約272億9200万円)の追徴金を科された盧元大統
領は、「弟に預けた裏金を返してもらい、まだ納めていない追徴金(約343億ウォン=約
35億6100万円)を納める」と主張している。

 だが、盧元大統領が追徴金を全額納めていないからといって、親族が代わりに納めてい
るわけでもないにもかかわらず、盧元大統領が実弟を相手取って裁判まで起こしているの
は、何か別の理由があるからではないかという見方も出ている。盧元大統領は現在、難病
を患って寝たきりの状態にあり、とても裁判を起こせるような状態ではないからだ。


 盧元大統領は現在、「オリーブ橋小脳萎縮症」という難病を患い、国軍ソウル地区病院に
入院しているが、病状はかなり重いという。オリーブ橋小脳萎縮症は小脳が次第に小さく
なる病気で、言語障害、手足の運動障害、目まいなどを伴う。(以上、朝鮮N報・4月18
日付けより)


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