子育て最前線で活躍するお母さん、
お父さんのための育児マガジン+育児エッセーほか。
★★★★★2007年10月、
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評価されました!★★★★★
- 最新号:2008-10-13
- 発行周期:週刊
- 読んでる人:210人
- 創刊日:2007-03-14
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●子育て最前線の育児論byはやし浩司・メルマガ(本音)
発行日: 2008/5/14★
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子育て最前線の育児論byはやし浩司 08年 5月 14日
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http://bwhayashi2.fc2web.com/page008.html
【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
休みます。
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●今日・あれこれ(4月15日)(April 15th, 2008)
We, the Japanese, say “Yes”, when we want to say “No”. We are the people of far east,
where we have fostered a very unique culture. One of them is “Hon-ne” and “Tate-mae”.
+++++++++++++++
小ずるい人と接していると、
気分が悪くなる。
その小ずるさが、手に取るように
よくわかる。
私も、子どものころは、その小ずるい
人間だった。
だから、よけいに、よくわかる。
+++++++++++++++
私の周辺にも、何とか、私をごまかしてすまそうとする人たちが、何人かいる。
そうでない人には、信じられないような話だが、以前、こんなことがあった。
話の内容は、少し、変える。
レストランでいっしょに食事をして、さあ、帰ろうというときになったときのこと。
相手の男性が、こう言った。
「林君、悪いが、ビール代だけは、私に払わせてほしい」と。
つまり、「ほかの費用は、君が払え」と。
……ということを、以前、書いたら、それを読んだ人が、こんなメールを送ってくれた。
「私の姉なんか、もっと、ずるいですよ」と。
父親の葬儀が終わって一息していると、そこへその人の姉がやってきて、こう言ったとい
う。
「悪いけど、花輪代だけは、私に払わせてね」と。
こういうことを平気で言える人は、相当の「ワル」と考えてよい。
小ずるく、猿知恵ばかりが働く。
さらに上には、上がいる。
ある男性が、実家を新築してやったときのこと。
総額で2000万円弱もかかったという。
で、いよいよ完成というときに、その男性の姉がやってきて、こう言ったという。
「悪いけど、クーラーだけは、私につけさせてね」と。
クーラーといっても、5万円にもならない。
つまり「クーラーだけはつけさせてね」と言いながら、他方で、「私は1円も払わない」と。
実は、先にも書いたように、私も、もともとは、そのタイプの小ずるい人間だった。
口がうまく、ペラペラと口先だけで、その場をごまかすということを、平気でしていた。
たぶん、私も子どものころは、ここに書いたようなことを、平気で言っていたにちがいな
い。
そういう自分は、今でも、私の中にいる。
けっして、消えたわけではない。
だから余計に、小ずるい人間が、どういう人間か、よくわかる。
私を口先だけでごまかそうとする人に出会ったりすると、まるで自分の過去を見せつけら
れたかのように思う。
だから不愉快になる。
ついでに、気分も悪くなる。
一方、白人というのは、ほんとうにストレート。
日本人のように、本音と建て前を使い分けるということをしない。
とくに、二男の嫁が、そうだ。
わかりやすいと言えば、わかりやすい。
言ったまま。
すべてが言ったまま。
日本人のように、(おじょうず)を言わない。
私にへつらったり、遠慮したりもしない。
だからといって、日本人が悪くて、白人がよいというのではない。
それぞれに一長一短がある。
しかし両者の生きざまを比べてみたばあい、白人のほうが、つきあいやすい。
日本人しか知らない人には、それがわからないかもしれない。
ひょっとしたら、「世界中、みな、同じ」とさえ、思っているかもしれない。
しかし、ちがう。
明らかに、ちがう。
日本人は、白人とは、明らかにちがう。
だから……。
白人とつきあうときは、いいかげんなことは言ってはいけない。
また彼らも、いいかげんなことは言わないから、言ったことは、そのまま信じてよい。
たとえば「遊びにおいで」と相手が言ったら、本気で誘ってくれていると思ってよい。
一方、「遊びにおいで」とあなたが言ったら、相手は、それを本気でとらえる。「ただのあ
いさつでした」では、すまない。
そういう(ちがい)をテーマにしながら、今朝、ワイフとこんな会話をした。
私「デニーズは、ほんとうにわかりやすいね」
ワ「そうね。ウラがないから……。それに私、あんな正直な人を知らないわ」
私「ぼくも、知らない。……あれで、よく生きていかれるね」
ワ「全体が、そういう世界だからよ」
私「でもね、つきあうようになって、もう6年になるけど、今、いちばん信頼できる人と
いえば、デニーズかもしれない」
ワ「私も、そう」と。
「日本は極東の島国だ」と言うと、反発する人は多い。
しかし島国は、島国。
まちがいなく、極東の島国。
その極東という(へき地)で、日本は、特異な文化を発展させた。
そのひとつが、これ。
本音と建て前。
アメリカ人とくらべてみると、それがたいへん、よくわかる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 本音と建て前)
+++++++++++++++
本音と建て前について書いた原稿を
4作、集めてみます。
どれも5年ほど前に書いたものです。
+++++++++++++++
【自分をさらけ出して生きる】
●ある母親からの相談より
++++++++++++++++++
子どもとの不協和音。
子どもに気をつかい、
思ったことを言うこともできず、
毎日、悶々としているという。
++++++++++++++++++
【Fさんより、はやし浩司へ(1)】
掲示板に書く勇気がありませんでした。何度もすみません。読んでいただくだけで。
私が今までやっていたことは、ほとんど虐待でした。手をあげたことも何度もあります。
感情にまかせて怒鳴るなんてことは、しょっちゅうでした。
ヒステリックに泣いたりしました。夫はそこまで私がしているとは、思ってないようです。
学校ではあまり目立たないほうで、問題なく見える息子。このところとにかく物事の負の
部分しか見ない感じで、習い事などでも、楽しかったことより、いやだったことを口にし
て、悪態ばかりつきます。
学校も習い事もすべて嫌だ、やめたいと、今夜も言っていました。それをずっと優しく聞
き出していたのは夫です。先日、夫に初めて激しく怒られてから、息子は、特にわがまま、
無理難題を、夫に対して言うようになりました。次から次へ、といった感じです。
あまりのことに夫は病院へ連れていった方がいいのかなと思っているようです。しかし異
常なのは私。外ヅラだけがよく、ウソばかりついています。そのため子どもをドラ息子に
してしまった私。
息子が万引きをしたのは、私への罰の始まりかもしれません。これ以上酷い状態にならな
いように、こんな私でもできることはあるのか。息子を愛してきたという自信がもてない
でいます。本当の自分もよくわかりません。
【Fさんより、はやし浩司へ(2)】
掲示板はやはり落ち着かなくて、こちらに書くことお許しください。いただきましたご
助言を胸に刻んで、2週間過ごしてきました。自分との戦いは、始まったばかりなのに不
安です。
まず心配なのが、子どもの様子です。習い事へ、三つ通っているのですが、それには、
行かない、と言っています。
遅く寝て、朝、早く起きる、夕食後の風呂にはじまって、就寝までが、なかなかうまく
いきません。
お父さんがかってくれた、N社のゲーム機器で、毎日、ゲーム三昧です。
その後、万引きはしていないようです。(先週私の財布から抜いたお金で、内緒で買い物
はしたようですが……。)
怒りやすく、ワガママを言い出すと、あとへひかない。たいていお父さんがいる時です
が、ダダこねがひどい。
たとえばお父さんに、「会社を休んで欲しい、ゲームを買って」「学校がいやだ」と、強
く言い出すようになりました。
以前と変わらず、体をゆだねて、甘えてくる時もあり、私(達)を避けるようなことは
ありません。ただ、夫がいる時は、以前と明らかに違う感じです。
今夜も夫に、「会社を休んで欲しい」とぐずぐずと泣き、私が抱きしめてとんとんして寝
かしつけました。三人でいると何かまた言い出すのではと、なんだか子どもの心を探る
ような雰囲気になってしまいます。
私のせいだとわかっていても、その私を責めもしない夫に本当に申し訳ない気持ちです。
子どもがそこに「いる」だけでいいと、本当に心から思える時もある反面、私は結局夫
にも「すべてをさらけだし」をしていないように思います。もちろん子どもにも、です。
うそつきの私が、このままではどんどん悪い方向にいくのではと、心配で、胸が塞がっ
たりします。一日中とも言えるゲームの電子音を聞きながら、苦悩しています。
ご助言があれば、いただきたく存じます。お時間のない中、長々と失礼しました。
【はやし浩司より、Fさんへ】
Fさんは、いわゆる「気負い先行型ママ」ということになります。「いい母親でいよう」
「いい家庭を作ろう」という気負いばかりが強くて、それで結果として、自分で自分を苦
しめてしまっています。
息子さんについて言えば、親意識過剰というか、「いい子にしよう」という意識が、これ
また強すぎるように感じます。加えて、心配過剰、さらには育児ノイローゼ気味(?)。
前にも書きましたが、この時期の子どもの万引き、盗みは、珍しくもなんともありませ
ん。一応、言うべきことは言いながらも、あとは、『許して、忘れる』です。あまりおおげ
さに考えないこと!
おけいこごとについても、そうです。いちいち子どもの機嫌をうかがって、子どもの言
うことに、振りまわされてはいけません。無視すべきことは、無視。「そうね、たいへんね」
と聞き役に回って、それでおしまいにします。これを「ガス抜き」と、私たちは呼んでい
ます。
子どもが、グチを言ったら、グチは聞いてあげれば、それでよいのです。
そしてここが重要ですが、どうしてあなたは、子どもに嫌われるのを、それほどまでに
恐れているのですか? 嫌われてもいいと、もうそろそろ、居直りなさい。どうせ、嫌わ
れるのですから……。結論を先に言えば、あなた自身が、たいへん依存性の強い方だと思
います。子育てをしながら、いつも無意識なまま、何かの見返りを求めている。それが回
り回って、今の育児姿勢になっていると考えられます。
ゲームの音がうるさかったら、「うるさいわねえ」と言えばよいのです。それで子どもに
嫌われても、遠慮することはありません。つまりこれが(心のさらけ出し)ということに
なります。
ただ、お子さんは、あなたに絶対的な安心感を求めています。が、それを得られないで
いる……。そういう状態です。あなた自身もわかっているように、あなたの育児姿勢には、
一貫性がありません。
そこでこうします。『求めてきたときが、与えどき』と。
子どもがあなたにスキンシップなり、甘えるなり、何かの愛着行動を示したら、すかさ
ず、(ここが重要です。「すかさず」です)、子どもを抱きかかえてあげてください。そして
力いっぱい、抱いてあげてください。
たいていものの数分もすると、子どものほうから体を放そうとしますので、そっと、水
の中に魚を逃がす要領で、子どもの体を放します。
決して、「あとでね」とか、「今、忙しい」などと、言ってはいけません。「すかさず」そ
うします。
子どもの心は、それで安定するはずです。「会社を休んでほしい」と、父親に甘えたとき
も、そうです。その旨、お父さん、つまりあなたの夫に、よく言い伝えておいてください。
ぐいと抱いてあげるだけで、じゅうぶんです。理由を言ったり、弁解したりする必要はあ
りません。
ホント、外づらをよくするのも、疲れますね。わかります、その気持ち!
私も、若いころ、それなりの教師に見られたくて、苦労しました。しかしある日、気が
つきました。クソ食らえ!、と。
それからは気が楽になりました。あるがままの自分を、さらけ出しながら生きるように
なりました。Fさんにも、今すぐは無理かもしれませんが、少しずつ練習すれば、それが
できるようになりますよ。
ためしに、あなたの夫に向かって、(YES)(NO)をはっきりと言ってみては、どう
でしょうか。いやだったら、いやだと言えばよいのです。してほしかったら、してほしい
と言えばよいのです。
「あんた、今夜、セックスでもする?」「xxxxでもなめてあげようか!」と。(少し、
ショックでしたか?)
ハハハ。そういう形で、自分をさらけ出していきます。あとは、練習です。つまりね、
あなたが心を閉ざしていて、どうして子どもが、あなたに心を開くことができるでしょう
か?
お子さんの年齢からして、もう、何でも、あなたの思い通りにはならないということを、
肝に銘じてください。夜更かしをして、翌朝困るのは、息子さんです。ですから、こまご
まとしたことは、あまり気にしないで、子どもに任せなさい。
原因をたどれば、つまりなぜあなたが今、そうなのかという原因をたどれば、あなた自
身の幼児期から子ども時代に、問題があったとみます。権威主義的な親をもち、家父長意
識の強い家庭環境の中で、あなた自身が、いつも、(いい子)を演じていた。
さらに言えば、あなたとあなたの父親との関係が、あまりうまくいっていなかったこと
も考えられます。そのため、(男)の扱い方が、わからないまま、今日に至っている……。
一度、自分の過去を冷静に見つめてみる必要があります。で、この問題は、そうした自
分の過去を客観的に見ることができるようになっただけでも、問題の大半は解決したとみ
ます。勇気を出して、自分の過去と対峙してみてください。
もっと肩の力を抜きなさい。カエルの子どもはカエル(失礼!)。それ以上高望みしない
こと。過剰に、子どもに期待をしないこと。「まあ、うちの子は、こんなもの」と、あきら
めなさい! この世界には、『あきらめは、悟りの境地』という格言があります。私が考え
た格言ですが、あきらめたとたん、あなたも、そして息子さんも、表情が明るくなるはず
です。
「こんなはずはない」「まだ何とかなる」とがんばれば、がんばるほど、逆効果ですよ!
そしてあなたは、もう子どものことは忘れて、自分のしたいことをしなさい。息子さん
は、すでに親離れを始めていますよ。年齢的にも、その時期に来ています。この時期、親
はさみしい思いをするかもしれませんが、それに耐えるのも、親の務め。
あとはCA、MG、Kの多い食生活に切り替えてみてください。海産物中心の献立にし
ます。それでも、(こだわり)が消えないようでしたら、一度、心療内科のドクターに相談
なさるとよいでしょう。今では、すぐれた薬があります。
あまりくよくよしないこと。少なくとも、万引きの問題は解決したのですから……。つ
ぎからつぎへと、あれこれと問題をさがしだし、悩まないこと。「前よりもよくなった」こ
とだけを実ながら、あとは、前向きに生きていきます。
では、また。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
育児の悩み 育児ノイローゼ 子供の問題 育児問題)
【補記】
●自分をさらけ出して生きる
++++++++++++++++++++
自分をさらけ出して生きるということは、
口で言うほど、簡単なことではない。
そのことは、子どもの世界を見ればわかる。
子どもの中にも、あるがままの自分を、
すなおにさらけ出しながら生きている子どももいれば、
そうでない子どももいる。
いつも他人の目を気にしながら、いい子ぶる
タイプの子どもである。
このタイプの子どもは、いつも自分を飾る。
ごまかす。作る。偽る。
だから本人も疲れるが、教える側も疲れる。
何を考えているのか、何を望んでいるのか、
それが正確にわからないから、ときとして、
どう教えたらよいのかわからなくなる。
そこで私の教室では、年中児で入ってきた
子どもについては、とにかく、大声で、
声を出させ、大声で笑わせるという指導を
大切にしている。
心の中のものを、すべて吐き出させるように
している。
しかし本当の問題は、母親にある。
母親の中にも、自分を飾る、ごまかす、作る、
偽る人は少なくない。
が、母親のばあい、問題は、本人だけにとどまらない。
その影響は、子どもに現れる。
もちろん夫婦関係も、ギクシャクしてくる。
だから……。
もし、あなたが、ここでいう、心のさらけ出しが
苦手のタイプの人なら、思い切って、
心を開いてみよう。
心を開いて、自分の思いや願いを、空に
向かって、解き放ってみよう。
方法は、簡単。
まず、YES、NOを、はっきりと言ってみよう。
したかったら、YES!
したくなかったら、NO!
自分をすなおに表現してみよう。
自分を飾らないで、
自分をごまかさないで、
自分を作らないで、
自分を偽らないで……。
心を解き放てば、体は、あとからついてくる。
++++++++++++++++++++
以前、書いた原稿を添付します。
++++++++++++++++++++
【世間体】
●世間体で生きる人たち
世間体を、おかしいほど、気にする人たちがいる。何かにつけて、「世間が……」「世間
が……」という。
子どもの成長過程でも、ある時期、子どもは、家族という束縛、さらには社会という束
縛から離れて、自立を求めるようになる。これを「個人化」という。
世間体を気にする人は、何らかの理由で、その個人化の遅れた人とみてよい。あるいは
個人化そのものを、確立することができなかった人とみてよい。
心理学の世界にも、「コア(核)・アイデンティティ」という言葉がある。わかりやすく
言えば、自分らしさ(アイデンティティ)の原点になっている、核(コア)をいう。この
コア・アイデンティティをいかに確立するかも、子育ての場では、大きなテーマである。
個人化イコール、コア・アイデンティティの確立とみてよい。
その世間体を気にする人は、常に、自分が他人にどう見られているか、どう思われてい
るかを気にする。あるいはどうすれば、他人によい人に見られるか、よい人に思われるか
を気にする。
子どもで言えば、仮面をかぶる。あるいは俗にいう、『ぶりっ子』と呼ばれる子どもが、
このタイプの子どもである。他人の視線を気にしたとたん、別人のように行動し始める。
少し前、ある中学生とこんな議論をしたことがある。私が、「道路を歩いていたら、サイ
フが落ちているのがわかった。あなたはどうするか?」という質問をしたときのこと。そ
の中学生は、臆面もなく、こう言った。
「交番へ届けます!」と。
そこですかさず、私は、その中学生にこう言った。
「君は、そういうふうに言えば、先生がほめるとでも思ったのか」「先生が喜ぶとでも思
ったのか」と。
そしてつづいて、こう叱った。「サイフを拾ったら、うれしいと思わないのか。そのサイ
フをほしいと思わないのか」と。
するとその中学生は、またこう言った。「そんなことをすれば、サイフを落した人が困り
ます」と。
私「では聞くが、君は、サイフを落して、困ったことがあるのか?」
中学生「ないです」
私「落したこともない君が、どうしてサイフを落して困っている人の気持ちがわかるのか」
中「じゃあ、先生は、そのサイフをどうしろと言うのですか?」
私「ぼくは、そういうふうに、自分を偽って、きれいごとを言うのが、嫌いだ。ほしかっ
たら、ほしいと言えばよい。サイフを、もらってしまうなら、『もらうよ』と言えばよい。
その上で、そのサイフをどうすればいいかを、考えればいい。議論も、そこから始まる」
と。
(仮に、その子どもが、「ぼく、もらっちゃうよ」とでも言ってくれれば、そこから議論
が始まるということ。「それはいけないよ」とか。私は、それを言った。決して、「もらっ
てしまえ」と言っているのではない。誤解のないように!)
こうして子どもは、人は、自分を偽ることを覚える。そしてそれがどこかで、他人の目
を気にした生きザマをつくる。言うまでもなく、他人の目を気にすればするほど、個人化
が遅れる。「私は私」という生き方が、できなくなる。
いろいろな母親がいた。
「うちは本家です。ですから息子には、それなりの大学へ入ってもらわねば、なりませ
ん」
「近所の人に、『うちの娘は、国立大学へ入ります』と言ってしまった。だからうちの娘
には、国立大学へ入ってもらわねば困ります」ほか。
しかしこれは子どもの問題というより、私たち自身の問題である。
●他人の視線
だれもいない、山の中で、ゴミを拾って歩いてみよう。私も、ときどきそうしている。
大きな袋と、カニばさみをもって歩く。そしてゴミ(空き缶や、農薬の入っていたビニ
ール袋など)を拾って、袋に入れる。
そのとき、遠くから、一台の車がやってきたとする。地元の農家の人が運転する、軽ト
ラックだ。
そのときのこと。私の心の中で、複雑な心理的反応が起きるのがわかる。
「私は、いいことをしている。ゴミを拾っている私を見て、農家の人は、私に対して、
いい印象をもつにちがいない」と、まず、そう考える。
しかしそのあとすぐに、「何も、私は、そのために、ゴミを拾っているのではない。かえ
ってわざとらしく思われるのもいやだ」とか、「せっかく、純粋なボランティア精神で、ゴ
ミを集めているのに、何だかじゃまされるみたいでいやだ」とか、思いなおす。
そして最後に、「だれの目も気にしないで、私は私がすべきことをすればいい」というふ
うに考えて、自分を納得させる。
こうした現象は、日常的に経験する。こんなこともあった。
Nさん(40歳、母親)は、自分の息子(小5)を、虐待していた。そのことを私は、
その周囲の人たちから聞いて、知っていた。
が、ある日のこと。Nさんの息子が、足を骨折して入院した。原因は、どうやら母親の
虐待らしい。……ということで、病院へ見舞いに行ってみると、ベッドの横に、その母親
が座っていた。
私は、しばらくNさんと話をしたが、Nさんは、始終、柔和な笑みを欠かさなかった。
そればかりか、時折、体を起こして座っている息子の背中を、わざとらしく撫でてみせた
り、骨折していない別の足のほうを、マッサージしてみせたりしていた。
息子のほうは、それをとくに喜ぶといったふうでもなく、無視したように、無表情のま
まだった。
Nさんは、明らかに、私の視線を気にして、そうしていたようである。
……というような例は、多い。このNさんのような話は別にして、だれしも、ある程度
は、他人の視線を気にする。気にするのはしかたないことかもしれない。気にしながら、
自分であって自分でない行動を、する。
それが悪いというのではない。他人の視線を感じながら、自分の行動を律するというこ
とは、よくある。が、程度というものがある。つまりその程度を超えて、私を見失ってし
まってはいけない。
私も、少し前まで、家の近くのゴミ集めをするとき、いつもどこかで他人の目を気にし
ていたように思う。しかし今は、できるだけだれもいない日を選んで、ゴミ集めをするよ
うにしている。他人の視線が、わずらわしいからだ。
たとえばゴミ集めをしていて、だれかが通りかかったりすると、わざと、それをやめて
しまう。他人の視線が、やはり、わずらわしいからだ。
……と考えてみると、私自身も、結構、他人の視線を気にしている、つまり、世間体を
気にしている人間ということがわかる。
●世間体を気にする人たち
世間体を気にする人には、一定の特徴がある。
その中でも、第一の特徴といえば、相対的な幸福観、相対的な価値観である。
このタイプの人は、「となりの人より、いい生活をしているから、自分は幸福」「となり
の人より悪い生活をしているから、自分は不幸」というような考え方をする。
そのため、他人の幸福をことさらねたんでみたり、反対に、他人の不幸を、ことさら喜
んでみせたりする。
20年ほど前だが、こんなことがあった。
Gさん(女性、母親)が、私のところにやってきて、こう言った。「Xさんは、かわいそ
うですね。本当にかわいそうですね。いえね、あのXさんの息子さん(中2)が、今度、
万引きをして、補導されてしまったようですよ。私、Xさんが、かわいそうでなりません」
と。
Gさんは、一見、Xさんに同情しながら、その実、何も、同情などしていない。同情し
たフリをしながら、Xさんの息子が万引きしたのを、みなに、言いふらしていた!
GさんとXさんは、ライバル関係にあった。が、Gさんは、別れぎわ、私にこう言った。
「先生、この話は、どうか、内緒にしておいてくださいよ。Xさんが、かわいそうです
から。Gさんは、ひとり息子に、すべてをかけているような人ですから……」と。
●作られる世間体
こうした世間体は、いつごろ、どういう形で作られるのか? それを教えてくれた事件
にこういうことがあった。
ある日のこと。教え子だった、S君(高校3年生)が、私の家に遊びにきて、こう言っ
た。(今まで、この話を何度か書いたことがある。そのときは、アルファベットで、「M大
学」「H大学」と、伏せ字にしたが、今回は、あえて実名を書く。)
S君は、しばらくすると、私にこう聞いた。
「先生、明治大学と、法政大学、どっちがかっこいいですかね?」と。
私「かっこいいって?」
S「どっちの大学の名前のほうが、かっこいいですかね?」
私「有名……ということか?」
S「そう。結婚式の披露宴でのこともありますからね」と。
まだ恋人もいないような高校生が、結婚式での見てくれを気にしていた!
私「あのね、そういうふうにして、大学を選ぶのはよくないよ」
S「どうしてですか?」
私「かっこいいとか、よくないとか、そういう問題ではない」
S「でもね、披露宴で、『明治大学を卒業した』というのと、『法政大学を卒業した』とい
うのは、ちがうような気がします。先生なら、どちらが、バリューがあると思いますか」
私「……」と。
このS君だけではないが、私は、結論として、こうした生きザマは、親から受ける影響
が大きいのではないかと思う。
親、とくに母親が、世間体を気にした生きザマをもっていると、その子どもも、やはり
世間体を気にした生きザマを求めるようになる。(あるいはその反動から、かえって世間体
を否定するようになるかもしれないが……。)
生きザマというのは、そういうもので、無意識のまま、親から子へと、世代を経て、引
き継がれる。S君の母親は、まさに世間体だけで生きているような人だった。
(このつづきは、別の機会にまた考えてみる。つづく……。)
Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司
この原稿を書いてから、ずいぶんになる。「交番へ届けます」と答えた子どもは、すでに
成人になり、結婚もした。以来、会ったことはないので、今ごろは、どういう考え方をし
ているか知らない。
しかしまじめな、いい生徒だった。それは認める。だから今、こうしてそのときのこと
を思い出してみると、そういう生徒をからかったわたしの方がまちがっていたのかもしれ
ない。「交番へ届けます」と彼が言ったとき、私もすなおに、「そうだね。それがいいね」
と言うべきだった。それで終わるべきだった。
多かれ少なかれ、私たちはみな、仮面をかぶって生きている。もしみながみな、あるが
ままの(私)をさらけ出して生きたら、それこそ、この社会は、動物の世界のようになっ
てしまう。私は私で、あなたはあなたで、いい人ぶりながら、生きていく。たとえそれが
仮面であるとわかっていても、だまされたフリをして、相手に合わせて生きていく。
それでよいのかもしれない。
ただこれだけは、書いておきたい。
自由とは、自分をさらけ出して生きること。つまり自分をさらけ出して生きることを、
自由という。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
仮面 コアアイデンティティ 人格の核 さらけ出し すなおな人間 はやし浩司 世間
体 見栄 体裁 虚栄)
Hiroshi Hayashi++++++++++.May.06+++++++++++はやし浩司
●虚栄
「見栄。うわべだけの栄誉」「外見ばかり飾って、実質以上に見せること」を、「虚栄」
という(日本語大辞典)。
英語では、「vanity」という。
しかし、日本語で、「虚栄」というときと、英語で、「vanity」というときとでは、
感じ方が、ちがう。なぜだろう?
ひとつには、そこに宗教的意味がこめられること。キリスト教では、「vanity」を、
人間がもつ原罪のひとつとして、それを強く戒めている。
小学館の(ランダム・ハウス・英和辞典)によれば、こうある。
Vanity……(1)うぬぼれ、慢心、虚栄心、(2)うぬぼれの表出、(3)ひどく
自慢する、(4)無価値、つまらなさ、(5)価値のないもの、つまらないもの、と。
だから日本では、「お前は虚栄心が強い」と言われても、それほど、気にならないが、英
語で、「vanity」と言われたれたりすると、ぞっとする。何か、とんでもないまちが
いを犯したかのようにさえ思うこともある。
そこで改めて考えてみる。「虚栄とは何か?」と。
「飾る」といっても、それを意識している間は、虚栄ではない。たとえば美しいネック
レスを買い、それで身を飾るというのは、虚栄ではない。
しかしそのネックレスを身につけ、さも、私は金持ちですと言わんばかりに振る舞うの
は、虚栄ということになる。さらに、その虚栄を使って、相手をだますようなことをすれ
ば、詐欺(さぎ)ということになる。
が、虚栄の恐ろしさは、ここでとどまらない。虚栄が長くつづくと、「私」そのものが、
なくなる。「私」がないということは、その時点で、自分の人生を、カットすることになる。
もっと言えば、「私」でない、私に、操り人形となって、操られるだけ。そういう人は、少
なくない。
Nさん(女性)は、今年、80歳を過ぎた。そのNさんは、買い物に行くとき、サイフ
の中に、札をいっぱい詰めていくという。しかも、一番前と一番うしろに、1万円札。そ
の間に、1000円札を詰めていくという。
そしてレジなどで、お金を出すときは、レジの女性に、これみよがしに、札束を見せて、
お金を払うという。
それを見ていた、実の娘(60歳くらい)は、こう言った。「うちの母は、昔から、そう
いう女性です。本当は、貧乏なのに、外では、いつも、金持ち風に振る舞うのです」と。
そういう話を聞くと、私は、すぐ、「80歳も過ぎているのにねエ〜?」と思ってしまう。
あわれというより、こっけいですら、ある。虚栄に毒されると、人は、そこまでするよう
になる。しかも80歳を過ぎても、それをつづける。
自分がない人というのは、そういう人のことをいう。言いかえると、「生きる」というこ
とは、その時点、時点で、「私」をつかみながら生きることをいう。それができない人は、
生きていることには、ならない。……というのは、少し言い過ぎかもしれないが、虚栄に
毒されると、生きているという実感をもてないまま、その日、その日を、ただ無益に過ご
すことになる。
あるがままに、自分を保ちながら、生きる。自分をさらけ出しながら、生きる。そうい
う生き方を、「善」とするなら、虚栄に満ちた生き方は、「悪」ということになる。キリス
ト教のことは、よくわからないが、多分、そういう意味で、「虚栄」を、「vanity」
と言うのではないか。
一度、オーストラリアの友人に、問いあわせてみようと思う。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
虚栄 vanity)
+++++++++++++++++
本音と建て前について書いた原稿を
いくつか添付します。
+++++++++++++++++
●本音と建て前
「すなおな考え方」とは何か。5、6年も前のことだが、小学1年生の生活科のテスト
に、こんなのがあった。
あなたのお母さんが、台所で料理をしています。あなたはどうしますか。つぎの三つの
絵の中から、答を選んでください。
(1)そのままテレビを見ている絵。
(2)お母さんを手伝う絵。
(3)本を読んでいる絵。
この問題の正解は、(2)のお母さんを手伝う絵ということになる。しかしほとんどの子
どもは、(1)もしくは、(3)に丸をつけた。このことを父母との懇談会で話題にすると、
ひとりの母親がこう言った。「手伝ってほしいとは思いますが、しかし実際には、台所のま
わりでウロウロされると、かえってじゃまです。テレビでも見ていてくれたほうが、楽で
す」と。つまり建て前では、(2)が正解だが、本音では、(1)が正解だ、と。
そこで本題。冒頭にあげた絵の問題では、子どもたちは私の意図した答とは、別の答を
出した。正解か正解でないかということになれば、正解ではない。また小学一年生のテス
トでは、本音と建て前が分かれた。こういうとき、どう考えたらよいのか。
●正解のない世界
……と考える、必要はない。悩む必要もない。もともとこの世の中に、「正解」などとい
うものは、ない。ないにもかかわらず、私たちは何かにつけて、正解を大切にする。正解
を求めようとする。とくに教育の世界ではそうで、その状態は、高校三年生までつづく。
が、それで終わるわけではない。
ある東大の教授が、学生たちに、答のない問題を出したときのこと。一人の学生が、「答
のない問題を出さないでくれ」と、その教授に、くってかかったという。その教授は、「こ
の世界のできごとは、九九・九九%、正解のないことばかり。なぜ今の学生は、正解に
こだわるのか」と笑っていた。
そこで今、教育の世界では、「答のない問題」が、クローズアップされている。私立大学
だが、T理科大学の面接試験では、こんな問題が出された。「塩と砂糖と砂が混ざってしま
った。この状態で、塩と砂糖と砂を分離するには、どうしたらよいか」と。
こうした問題を与えられたとき、日ごろから、考えるクセのある子どもは、あれこれ分
離方法を言うが、そうでない子どもは、そうでない。さらに入学試験のとき、教科書や参
考書もちこみOKという大学もふえてきた。「知識」よりも、「考える力」を大切にすると
いうもくろみがある。
当然のことながら、これからはこの傾向は、ますます強くなる。さきの教授は、こう話
してくれた。「これだけインターネットが発達してくると、知識の価値は、ますますさが
ってくる。大切なのは、いかにその知識を組みたて、新しい考えを生みだすか、です」
と。
私たちは子どもたちと接しながら、あまりにも、答を押しつけすぎているのではないだ
ろうか。そしてそういうのが、教育と思いこみすぎているのではないだろうか。子どもた
ちにかぎらず、私たちは、もっと自由な発想で、自由な答を求めてもいいのではないだろ
うか。私は子どもたちの前で、爆笑してしまったが、爆笑そのものの中に、未来につなが
るものの考え方の、大きなヒントが隠されているような気がする。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
本音と建て前 子供の本音)
Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司
●疲れる子どもたち
本音と建て前。本当とウソ。正直とごまかし。今の子どもたちは、幼いときから、この
二つを使い分けることを教えられる。その結果、その両方を、うまく使い分けられる子ど
もほど、「学校」という社会を、スイスイとうまく生きていかれる。そうでない子どもは、
そうでない。
もちろんだからといって、A君のように、拾ったお金を使ってよいというのではない。
ないが、A君のような生き方のほうがわかりやすい。子ども自身も疲れない。心もゆがま
ない。しかしB君のような生き方をしていると、それだけで疲れてしまう。その結果、心
がゆがむこともある。
自分の内部に潜む誘惑に打ちかち、拾ったお金を交番へ届けるというのは、かなりむず
かしいことである。強い精神力と、それを支える道徳性が必要である。そしてその道徳性
は、たえまない反省と思考によって、はぐくまれる。そこらの中学生くらいに、それがで
きるわけがない。私が「本当のことを言え!」と迫ったとき、もしB君がそれでも、「交番
へ届ける!」と言ったら、私はB君の道徳性を認める。しかしそれとて、私という「他人
の目」を感じているから、そう言うにすぎない。
……と書いて、実は、これは親たちの問題でもある。子育ての問題と言ってもよい。た
とえばある親が自分の子どもに向かって、「学校では、友だちと仲よくするのですよ」と言
ったとする。しかしこの言い方は、「拾ったお金は、交番へ届けるのですよ」という言い方
と、どこも違わない。
が、その親が、子どもがもちかえったテストを見ながら、「何だ、この点数は! あのC
君は、何点だった? もっと勉強しろ!」と言ったとする。これは母親の本音と考えてよ
い。親は、こう言っているのだ。「C君は、あなたの敵だ。そのC君を負かせ」と。
かわいそうなのは、そう言われた子どものほうである。一方で、「仲よくしなさい」と言
われ、他方で、「敵と思え」と言われる。拾ったサイフにたとえるなら、一方で、「交番へ
届けろ」と言われ、他方で、「拾ったお金は自分のものにしろ」と言われるのに似ている。
「同じ」とは言わないが、「似ている」。
こうした相反する矛盾の中で、要領のよい子どもは、その二つを、うまく使い分ける。
が、そうでない子どもは、そうでない。そして底なしの自己矛盾の世界へと落ちていく…
…。しかしそれはきわめて不安定な世界でもある。子どもによっては、その不安定さに耐
えかねて、非行に走ったり、引きこもったり、あるいは家庭内暴力を起こしたりする。そ
こまで進まなくても、自分の中で葛藤(かっとう)する子どもは、いくらでもいる。
それはさておき、要領の悪い子どもは、この段階で二つの道に分かれる。徹底して、よ
い子ぶるか、それとも居直るか、のどちらかである。冒頭にあげた、B君が、そのよい子
ぶっている子どもということになる。それに対して、A君は居なおっているということに
なる。
●本音で生きる
子どもの世界を見ていると、それはそのまま、私たちおとなの問題であることがわかる
ときがある。この問題もそうだ。私たちおとなも、昔は、子どもだった。そしてほとんど
の人は、その子ども時代の自分を、みな、そのまま引きずっている。たとえばあなた自身
は、どうだったか。さらには、あなた自身はどうかということになる。
「今」という時点で考えてみよう。今、あなたは本音で生きているだろうか。あなたが
妻なら、夫や子どもに対して、本音で生きているだろうか。それとも、あなたは、ここ
でいうような「いい子」ぶってはいないだろうか。
が、これだけは言える。もしあなたが他人との世界の中で、「疲れ」を覚えるようなら、
あなたは、いつも心のどこかで自分をごまかして生きていないかを、少しだけ反省してみ
るとよい。あなたのそうした気負いは、あなた自身を疲れさせるだけはなく、あなたの夫
や、子どもまでも疲れさせてしまう。要は、ありのままの自分を生きるということ。飾る
ことはない。気負うことはない。ごまかすこはない。ありのままでよい。
一〇万円が入ったサイフを拾い、お金がほしいと思えば、そのまま中身を抜いて、サイ
フだけを捨てればよい。が、もしそれを「よし」としないのなら、交番へ届ければよい。
そしてそのサイフのことは忘れる。自分にすなおに生きるというのは、そういう意味で、
わかりやすい人生を送ることを意味する。
そうそう、先のB君も、私が「正直に言え」と迫ると、最後にこう言った。「やっぱり、
先生、お金がほしいから、もらってしまうよ」と。私はその意見を聞いて、安心した。B
君には、まだ自分を取り戻す力が残っていた。すなおな気持ちが、残っていた。私は最後
に、B君にこう言った。
「自分に無理をしてはいけない。先生は、今でも、サイフを拾うたびに、迷う。しかし
今は、そういうふうに迷う自分がいやだから、何も考えないで、近くに交番があれば、交
番に届けるようにしている。先日は、コンビニの前で拾ったから、コンビニに届けた。よ
いことをしているとか、悪いことをしているとか、そんなふうに考える必要もない。要す
るに気負わないこと。
しかしね、誠実に生きることは、とても気持ちがよいことだよ。ウソだと思ったら、一
度、拾ったお金を交番へ届けてみてごらん。そのあと、ものすごく、気持ちがよくなる。
その気持ちのよさは、お金では買えないよ」と。
(030319)
Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司
●心のバランス感覚
駅構内のキオスクで、週刊誌とお茶を買って、レジに並んだときのこと。突然、横から
二人の女子高校生が割りこんできた。
前の人との間に、ちょうど二人分くらいの空間をあけたのが、まずかった。
それでそのとき私は、その女子高校生にこう言った。「ぼくのほうが、先ですが……」と。
するとその中の一人が、こう言った。「私たちのほうが、先だわよねえ」と。
私「だって、私は、あなたたちが、私のうしろで、買い物をしているのを、見ていまし
たが……」
女「どこを見てんのよ。私たち、ずっと前から、ここに並んでいたわよねエ〜」と。
私は、そのまま引きさがった。そして改めて、その女子高校生のうしろに並んだ。
で、そのあと、私がレジでお金を払って、駅の構内を見ると、先ほどの二人の高校生が、
10メートルくらい先を、どこかプリプリした様子で、急ぎ足に歩いていくところだった。
事件は、ここで終わった、が、私は、この一連の流れの中で、自分の中のおもしろい変
化に気づいた。
まず、二人の女子高校生が、割りこんできたときのこと。私の中の二人の「私」が、意
見を戦わせた。
「注意してやろう」という私と、「こんなこと程度で、カリカリするな。無視しろ」とい
う私。この二人の私が、対立した。
つぎに、女子高校生が反論してきたとき、「別の女子高校生と見まちがえたのかもしれな
い。だからあやまれ」とささやく私と、「いや、まちがいない。私のほうが先に並んだ」と
怒っている私、。この二人の私が、対立した。
そして最後に、二人の女子高校生を見送ったとき、「ああいう気の強い女の子もいるんだ
な。学校の先生もたいへんだな」と同情する私と、「ああいう女の子は、傲慢(ごうまん)
な分だけ、いろいろな面で損をするだろうな」と思う私。この二人の私が対立した。
つまり、そのつど、私の中に二人の私がいて、それぞれが、反対の立場で、意見を言っ
た。そしてそのつど、私は、一方の「私」を選択しながら、そのときの心のあり方や、行
動を決めた。
こういう現象は、私だけのものなのか。
もっとも日本人というのは、もともと精神構造が、二重になっている。よく知られた例
としては、本音と建て前がある。心の奥底にある部分と、外面上の体裁を、そのつど、う
まく使い分ける。
私もその日本人だから、本音と建て前を、いつもうまく使い分けながら生きている。こ
うした精神構造は、外国の人には、ない。もし外国で、本音と建て前を使い分けたら、そ
れだけで二重人格を疑われるかもしれない。
そこで改めて、そのときの私の心理状態を考えてみる。
私の中で、たしかに二人の「私」が対立した。しかしそれは心のバランス感覚のような
ものだった。運動神経の、行動命令と、抑制命令の働きに似ている。「怒れ」という私と、
「無視しろ」という私。考えようによっては、そういう二人の私が、そのつどバランスを
とっていたことになる。
もし一方だけの私になってしまっていたら、激怒して、その女子高校生を怒鳴りつけて
いたかもしれない。反対に、何ら考えることなく、平静に、その場をやりすごしていたか
もしれない。
もちろんそんなくだらないことで、喧嘩しても、始まらない。しかし心のどこかには、
正義感もあって、それが顔を出した。それに相手は、高校生という子どもである。私の職
業がら、無視できる相手でもなかった。それでどうしても、黙って無視することもできな
かった。
こうした状態を、「迷い」という。そしてその状態はというと、二人の自分が、たがいに
対立している状態をいう。だからこうした現象は、私だけの、私特有のものではないと思
う。
もともと脳も、神経細胞でできている。運動に、交感神経(行動命令)※と副交感神経
(抑制命令)があるように、精神の活動にも、それに似た働きがあっても、おかしくな
い。
そして人間は、その二つの命令の中で、バランスをとりながら、そのつどそのときの心
の状態を決めていく。そのとき、その二つの命令を、やや上の視点から、客観的に判断す
る感覚を、私は、「心のバランス感覚」と呼んでいる。つまりそのバランス感覚のすぐれた
人を、常識豊かな人といい、そうでない人を、そうでないという。
キオスクから離れて、プラットフォームに立ったとき、私はそんなことを考えていた。
(040224)(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て
はやし浩司 心のバランス感覚 心のバランス)
Hiroshi Hayashi++++++++++.May.06+++++++++++はやし浩司
【虚栄について、B君からの返事】
In Australia being vane is not well liked. I would not say it is very
bad though. We are more inclined to think someone who is vane is being
rather silly.
オーストラリアでは、(飾る)ことは、それほど嫌われていない。そんなに悪いことだとは
思わない。自分を飾る人を見ると、ぼくたちは、愚かな人だなと思うが、その程度。
Being 2 faced is another matter. That can get you despised.
2つの顔をもつというのは、別。それは軽蔑されるべきことだ。
However there different levels of being 2 faced.
しかし2つの顔をもつといっても、程度の問題もある。
For instance if I am nice and smiling to someone’s face but are nasty,
uncomplimentary or sabotage them "behind their back", I will be
despised by people who see this.
たとえば、ぼくが、だれかいやなやつに対して、よくしながら、そして微笑みながら、そ
の裏で、その人の悪口を言ったりすれば、ぼくはそれを知った人に軽蔑されるだろう。
On the other hand, if I really don't like someone but I am polite to
them in public, this will be seen as being diplomatic. That is people
who see this will understand and see it as not causing unnecessary
social friction.
一方、本当はその人が嫌いでも、公(おおやけ)の場所で、その人にていねいにしたとし
ても、それは外交的なものと受けとめられるだろう。それを見た人も、そうであると理解
し、不要な社会的摩擦を起こさないためのものと、わかってくれるだろう。
So maybe Australia is not that much different to Japan.
そんなわけで、多分、オーストラリア人も、日本とそんなにちがわないと思う。
Cheers,
バイ
Bより
+++++++++++++++
ついでに1作……
これは4年前に書いた原稿です。
+++++++++++++++
●正直
京都府にある、A農産F農場(養鶏場)で、鳥インフルエンザが発生した。同時に、大
量のニワトリが、死んだ。
その農場では、そのときすでに数千羽のニワトリが、不審な死に方をしていたにもかか
わらず、それをあえて無視して、ニワトリを出荷しつづけたという※。そのため、その二
週間後には、鳥インフルエンザウィルスは、ほぼ西日本全域に広がってしまった(3月2
日朝刊※)。
当の責任者は、「まさか鳥インフルエンザだとは思わなかった」「静かに眠るように死ん
でいったので、おかしいなとは思っていたが……」などと、テレビの報道記者に答えてい
る。
しかし同じころ、つまりその養鶏場で、ニワトリが不審な死に方をしていたころ、私の
地元の小学校でも、鳥インフルエンザの話は、子どもたちでさえ知っていた。学校で飼っ
ていたニワトリが死んだだけで、学校は、そのニワトリを、保険所へ届けていた。いわん
や、養鶏場のプロが、そんなことを知らぬはずはない。「おかしいな?」ではすまされない
話なのである。
……という話を、書くのがここでの目的ではない。
人間の正直さは、どこまで期待できるかという問題である。朝食をとりながら、ワイフ
と、それについて話しあった。
私「もしぼくだったら、正直に届け出ただろうか?」
ワ「いつ?」
私「最初にニワトリが死に始め、鳥インフルエンザにかかっているかもしれないと思った
ときだ」
ワ「むずかしいところね」と。
新聞の報道によれば、「通報の遅れが、被害を拡大させた」(Y新聞)ということらしい。
そして農水省の次官も、「(通報が遅れたのが)残念でならない」とコメントを出している。
さらに京都府の知事は、「被害について、県のほうで補償することになっているが、しかし
(補償するのは)考えざるをえない」と述べている。
「不正直もはなはだしい」ということになるが、本当に、そうか?
はっきり言えば、日本人は、子どものころから、そういう訓練を受けていない。アメリ
カの親などは、子どもに、「正直でありなさい(Be honest.)」と、日常的によく
言う。しかしこの日本では、そうでない。むしろ「ずるいことをしてでも、うまく、すり
抜けたほうが勝ち」というような教え方をする。そのさえたるものが、受験競争である。
それはさておき、今でも『正直者は、バカをみる』という格言が、この日本では、堂々
とまかりとおっている。『ウソも方便』という言葉さえある。「人を法に導くためには、ウ
ソも許される」と。どこかの宗教団体の長ですらも、「ウソも100ぺんつけば、本当にな
る」などと言っている。
これらのことからもわかるように、世界的にみても、日本人ほど、不誠実な民族は、そ
うはいない。ほかにも、たとえば、日本人独特の、「本音(ほんね)と建て前論」がある。
つまり口で言っていること(=建て前)と、腹の中(=本音)は、ちがう。またそうい
う本音と建て前を、日本人は、うまく使い分ける。だから反対に、アメリカ人やオースト
ラリア人と接したりすると、「どうしてこの人たちは、こうまで、ものごとにストレートな
のだろう」と思う。
つまりそう「思う」部分だけ、日本人は、正直でないということになる。
誤解がないように言っておくが、「建て前」とういうのは、「ウソ」ということ。とくに
政治の世界には、この種のウソが多い。
本音は「銀行救済」なのだが、建て前は、「預金者保護」。本音は「官僚政治の是正」な
のだが、建て前は、「構造改革」などなど。言葉のマジックをうまく使いながら、たくみに
国民をだます。
が、その原因を掘りさげていくと、戦後の日本の金権体質がある。もともと金儲けの原
点は、「だましあい」である。とくに商人の世界では、そうである。そういう「だましあい」
が、集合して、金権体質になった。(……というのは、少し乱暴な意見に聞こえるかもしれ
ないが、大きくみれば、そういうことになる。)
というのも、この話になると、私より古い世代の人は、みなこう言う。「戦前の日本人の
ほうが、まだ正直でしたよ」と。「正直というより、「純朴」だった? どちらにせよ、ま
だ温もりを感じた。
私が子どものころは、相手をだますにしても、どこかで手加減をした。が、今は、それ
がない。だますときは、徹底的に、相手をだます。それこそ、相手を、丸裸にするまでだ
ます。
つまり「マネー」万能主義の中で、日本人は、その「心」を見失ったというのだ。
いろいろ意見はあるだろが、もしあなたなら、どうしただろうか。飼育していたニワト
リが何千羽も死んだ。行政側に報告すれば、処分される。鳥インフルエンザではないかと
いう疑いはある。しかしはっきりしているわけではない。今なら、売り逃げられる。うま
く売り逃げれば、損失をかなりカバーできる。そんなとき、あなたなら、どうしただろう
か。
正直に、行政側に報告しただろうか。それとも、だまってごまかしただろうか。
こうした一連の心理状態は、交差点で赤信号になったときに似ている。左右の車はまだ
動き出していない。しかし今なら、走りぬけることができる、と。それともあなたは、交
差点で、信号を、しっかりと守っているというのだろうか。
もしそうなら、あなたは多分、F農場のような立場におかれても、行政側に報告したか
もしれない。報告するとはかぎらないが、報告する可能性は高い。
しかし赤信号でも、「走れるうちは走れ」と、その信号を無視するようなら、あなたは1
00%、行政側に報告などしないだろう。あなたは、もともとそういう人だ。
つまりこれが、私が前から言っている、『一事が万事論』である。
日々の行いが月となり、月々の行いが年となる。そしてその年が重なって、その人の人
格となる。そしてそれが集合されて、民族性になり、さらに人間性になる。
その日々の行いは、「今」というこの瞬間の過ごし方で決まる。
私「ぼくなら、F農場の責任者のように、だまっていたかもしれない。もともと、そんな
正直な人間ではない」
ワ「でも、やはり正直に報告すべきよ」
私「わかっている。だからぼくは、できるだけ、そういう状況に、自分を追いこまないよ
うにしている」と。
おかしな話だが、私は、道路を自転車で走っているときも、サイフらしきもの(あくま
でも、……らしきもの)が落ちていても、拾わないで、そのまま走り去ることにしている。
拾うことにより、そのあと迷う自分がこわいからだ。正直に交番へ届ければ、それですむ
ことかもしれない。が、それもめんどうなことだ。
だからそのまま見て見ぬフリをして、走り去る。「あれは、ただのゴミだった」と。
だから私は、F農場の責任者を、それほど責める気にはなれない。責める側に立って、
さも善人ぶるのは簡単なことだが、私には、それができない。「とんだ災難だったなあ」「か
わいそうに……」と、同情するのが、精一杯。
それが私の本音ということになる。
(040302)(はやし浩司 正直)
※……「同農場は2月20日から鶏の大量死が始まっていたのに、府に届けず、25、2
6日には生きた鶏計約1万5000羽を兵庫県の食肉加工会社処理場に出荷、感染の拡大
につながり、強い批判を浴びていた」(中日新聞)
「当初、行政側が把握していた情報は、結果的にどれも誤りでした。実際にはA農産の養
鶏場から大量死が発覚した後の、先月25日と26日に、あわせておよそ1万羽の生きた
ニワトリが兵庫県八千代町の鳥肉加工業者「AB」に出荷されていました。
「AB」で加工された1万羽は、京都、兵庫、島根など14の業者に出荷され、ほとん
どは返品されたり、業者が廃棄しましたが、少なくとも150キロの肉がスーパーや飲食
店などに、卸されていました」(TBS inews)と。
●『金によってもたらされた忠実さは、金によって裏切られる』(セネカ「アガメムノン」)
【追記】
正直に対する、国民の意識は、国によって、かなりちがう。オーストラリアでは、親は、いつも子ど
もに向かって、「正直でいなさい」と言っている。うるさいほど、それを言っている。
しかしこの日本で、私は、親が子どもにそう言っているのを、聞いたことがない。「あと片づけしなさ
い」とか、「静かにしなさい」というのは、よく聞くが……。
これは「誠実さ」に対する感覚が、国によってちがうためと考えてよい。
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【ただの人(das Mann)】
Along with getting old, most people is to become just a “man”, so-called “das Mann”. But
nobody agree that this is the goal of our lives. We have what we should have to do
toward the of the lives. Then how can we find it?
●生きているだけもありがたい
若いときの20歳。
壮年期の終わりにやってくる60歳。
これら2つの年齢は、人生にとって、大きな節目となる年齢である。
20歳という年齢を、人生への入り口とするなら、
60歳という年齢は、人生からの出口ということになる。
民間企業では、50歳を過ぎるころからリストラが始まり、60歳になると、ほとんどの
人は退職、ということになる。
役所の人たちも、60歳を境に、それぞれの天下り先へと転職していく。
もっとも60歳まで、無事生きてこられたというだけでも、ありがたい。
御の字。
感謝しなければならない。
すでにこの世を去った人も多い。
ざっと見ても、約5%の人が、亡くなっているのではないか。
健康や精神を病み、生きていくだけで精一杯という人も多い。
経済的に行きづまった人となると、もっと多い。
さらにこの年齢になると、それまで隠しもってきた持病が、どんと前に出てくる。
持病だけではない。
人間性そのものも、そのまま前に出てくる。
わかりやすく言えば、化けの皮が、はがれる。
が、それだけではない。
そのころになると、それまでの人生観を変えることなど、夢のまた夢。
小ズルイ人は、死ぬまで小ズルイ。
守銭奴は、死ぬまで守銭奴。
●老後の人間性
よく誤解されるが、そしてほとんどの若い人たちは、そう思っているかもしれないが、歳
をとれば、人間性が豊かになるというのは、ウソ。
むしろ、人間性は、後退する。
その年齢になった私が言うのだから、まちがいない。
ただ人づきあいが、見た感じ、丸くなるということはある。
しかしそれとて、進歩してそうなるのではなく、生命力そのものが弱体化して、そうなる。
よい例が、老人ホームにいる老人たちである。
みな、穏やか過ぎるほど、穏やかな顔をしている。
だからといって、そういう老人たちが人格者などとは、だれも思わない。
が、それだけではない。
さらに恐ろしいことがある。
●老化する脳
そのころになると、穴のあいたバケツから水がこぼれるように、知識がどんどんと消えて
行く。
年齢に比例して、その量は多くなる。
しかしそうなりながらも、その人自身は、それに気がつかない。
脳のCPU(中央演算装置)のクロック数そのものが低下するから、脳の働きが鈍くなっ
たことすらわからない。
先日も、どこか(?)な女性(65歳くらい)に会った。
話している内容に、一貫性がなかった。
そこで私が、「私はあなたが思っているほど、バカではないと思いますが……」と言ったと
きのこと。
その女性は、何を思ったか、こう叫んだ。
「私だって、バカではありません!」と。
このように脳の機能全体が低下してくると、低下していること自体、わからなくなる。
そしてあとは加速度的に、老化だけが、どんどんと進んでいく。
脳の病気にかかれば、なおさらである。
が、それで終わるわけではない。
最後の最後に、とどめの一発がある。
生きがいの喪失である。
●統合性と生きがい
この日本では、「庭いじりと孫の世話をすること」を、理想の老後生活と考える人は多い。
そういう理想像(?)が、いつしかできあがってしまった。
しかしそれはとんでもない、まちがい!
少なくとも、世界の常識ではない。
では、どうあるべきか?
老後を迎えたら、(すべきこと)を見つけ、それに向かって、前に進む。
(したいこと)ではない。
(すべきこと)に向かって、前に進む。
それをエリクソンという学者は、「統合性の確立」と呼んだ。
この統合性の確立に失敗すると、老後は、あわれでみじめなものになる。
それこそ「死の待合室」に放り込まれたような状態になる。
もっとも、この段階で、それに気づく人は、まだよいほう。
救われる。
大半の人は、死の待合室にいることさえ気づかないまま、ささいな夢や希望に、自分をつ
なぐ。
自分をなぐさめる。
あきらめる。
つまらない人生を送りながら、それをつまらないとも思わない。
というのもこの問題は、あくまでも相対的なもの。
●統合性の内容
統合性といっても、程度の差がある。
それこそマザーテレサのように、崇高な統合性を確立した人もいる。
私のように、HPの更新程度のことに、生きがいを求める人もいる。
程度……、つまり統合性の次元は、より自分の次元が高くなってはじめて、より低い人の
次元がわかるようになる。
わかりやすく言えば、次元の高い人からは、低い人がよくわかる。
しかし次元の低い人からは、次元の高い人は、わからない。
恐らく、理解もできないのではないか?
中には、「そんなことは、むだ」と否定してしまう人もいる。
先日会った、O氏(65歳)もその1人。
O氏は、こう言った。
「あのね、林さん、総理大臣をやったような人でも、死ねばおしまいだよ。10年もすれ
ば、みなに忘れられてしまう。残るのは、印刷された名前だけだよ」と。
「だから、人生というのは、したいことをして楽しむにかぎる」と。
しかしO氏のような生き方では、さらに何も残らない。
「生きた」という実感すら、もてないのではないか?
真理の探求を例にあげてみる。
●感動のある人生
こんな私でも、ものを書いていて、何か新しいことを発見したときには、ゾクゾクするほ
ど、感動する。
その感動こそが、私の生きがい。
生きがいとなって、私を支えてくれる。
研究者や芸術家なら、なおさらであろう。
しかもそうすることによって、自分の(命)を、つぎの世代に伝えることができる。
わかりやすく言えば、自分を超えて、さらにつぎの世代の中で、生きることができる。
だから私は、O氏には悪いが、こう思った。
「かわいそうな人だ」「たったひとつしかない人生を、無駄にしている」と。
さて、60歳。
この年齢になると、闘わなければならないものが、いくつかある。
肉体の健康もそうだが、脳の健康も、維持しなければならない。
しかし何よりも大切なのは、統合性を確立し、その統合性に、自分を一致させていくこと。
その努力を怠ると、それこそ、そこらのオジチャン、オバチャン(失礼!)と同じ運命を
たどることになる。
繰りかえすが、ハイデガーは、軽蔑の念をこめて、そういう人たちを、「ただの人(das Mann)」
と呼んだ。
「ただの人」になることだけは、何としても避けなければならない。
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