子育て最前線で活躍するお母さん、
お父さんのための育児マガジン+育児エッセーほか。
★★★★★2007年10月、
60000誌の中で、TOP-ONEに
評価されました!★★★★★
- 最新号:2008-10-08
- 発行周期:週刊
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- 創刊日:2007-03-14
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●子育て最前線の育児論byはやし浩司・メルマガ(無の世界)
発行日: 2008/5/12★
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子育て最前線の育児論byはやし浩司 08年 5月 12日
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http://bwhayashi2.fc2web.com/page007.html
【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●入学金未納で、入学式に出られず(Two students couldn’t attend its entrance ceremony,
since the payment is not finished. But why?)
++++++++++++++++
C県の、ある県立高校で、こんな
事件が起きた。
その高校で、入学金が未納だった
2人の男女の学生が、入学式に
出られなかったというのだ。
TBS―iニュースは、つぎのように
伝える。
『この高校はC県立Y高校です。この高校では、
新入生に対し、今月8日の入学式に入学金や
教材費など9万円を持ってくるように伝えて
いましたが、男女2人の生徒が、経済的な理由などで
当日お金を持ってきませんでした。
このため高校では、2人の入学手続きが済んで
いないとして式に出席させず、別の部屋で待機
させました』(TBS−i・ニュース、4月
13日)と。
学校側は、「入学金を納入された時点で入学を
許可するという規則に従って、やむを得ず
こういう措置をとらせて頂きました」(Y高校
S教頭)と説明している(同・ニュース)。
また県の教育委員会も、「生徒と保護者には
つらい思いをさせてしまったが、やむを得ない
判断だった」(同)と。
++++++++++++++++++
ここに書いてある以上のことは、私にはわからない。
わからないが、入学室の当日、その2人の学生は、高校へ来ていたわけだから、その2人
の学生は、当然、入学許可がおりたものと思っていたらしい。
またその旨の通知も、学校側からあったということになる。
しかし学校へ出かけてみると、「君たちは、入学金を払っていないから、入学式には出られ
ません」と。
学校側は規則を盾にとって、「やむを得ず」という言葉を使っている。
それに呼応して、教育委員会のほうも、「やむを得ない判断だった」と。
しかし……。
その2人の学生に与えたショックは、いかばかりのものであったか?
入学式にも出られず、別室で小さくなっている2人の姿を、想像してみればよい。
さぞかし、つらい思いをしたことだろう。
それにどういう事情があったかは知らないが、「入学金が払えなかった学生」という汚名は、
しばらくは消えない。
もっとも、今、こうした事件とは反対に、授業料を払わない学生も、急増している。
授業料を6か月以上滞納した学生については、出席停止処分にしている県もある(北海道
など)。
貧困が理由だけではない。
中には、授業料を払えるにもかかわらず、払わない親もいるという。
T県の(給食費未納問題)に関するデータだが、「経済的な理由での未納者は、未納者のう
ちの、33・6%。保護者の責任感や規範意識の問題と思われるのが、何と60・3%。
まさに保護者としての責任放棄と言っても過言ではありません」(T県、県議会報告書より)
と。
何と60%の親たちは、払えるにもかかわらず、払っていないというのだ。
もちろん先の2人の学生の親たちが、そうであったと言っているのではない。
しかし学校側からすると、経済的な理由によるものなのか、親の責任放棄によるものなの
か、その時点では、区別できない。
(報道によれな、「経済的な理由」とはなっているが……。)
「やむを得ない判断だった」という言葉は、そういうところから生まれたのだろう。
が、現実は、さらにきびしい。
「受けていた奨学金も家の生活費に回され、高校に行きたくても授業料が払えないからや
めざるを得ないという高校生」(同、県議会報告書)も多いとか。
つまりこの問題は、それぞれの家庭の事情と、学校側の事情が複雑にからみあっている。
ニュースの記事だけを読んで、どちらがどうのと、安易に判断をくだすことはできない。
できないが、これだけは言える。
仮に貧困が理由であったとするなら、(だからといって、その2人の学生がそうであったと
言っているのではない。念のため)、貧困であることは、その学生たちの責任ではない。
ひょっとしたら、親の責任でもない。
この世の中には、働いても働いても、どうにもならない人というのは、ゴマンといる。
ザルから水がこぼれるように、お金のほうが逃げていく人は、ゴマンといる。
不運と不幸が、さらに追い打ちをかけることもある。
「入学金が未納だから、入学式には出られません」ではなく、そのあたりの事情を、もう
少していねいに、学校側は、調べるべきだった。
電話一本ですむ話ではなかったか?
学生たちに与えるショックの大きさを考慮するなら、それくらいの配慮はあってもよかっ
たのではないかと思う。
さらにつけ加えるなら、この事件は、県立高校で起きたという点である。
私立高校ならまだしも、こうした入学金や授業料が未納になったからといって、校長以下、
教職員の給料に影響が出るというわけではない。
だったらなおさら、(だからといって、親たちがそれに甘えてもいけないが)、もう少しお
おらかに構えればよかった。
ちなみに私の教室では、両親のうち、どちらか一方が、病気や事故で亡くなったばあい、
高校3年生まで、無料で教えることにしている。
(しかし実際には、無料にするというと、生徒のほうがそれを負担に感ずるようなので、
半額にするというケースが多い。)
今までもそうしてきたし、これからもそうする。
公的な援助を1円も受けていない私だって、そうしている。
いわんや「県立」高校をや!
それくらいの(やさしさ)は、みな、もってほしい。
言うまでもなく、その国のレベルは、弱者にいかにやさしいかで決まる。
教育のレベルも、また同じ。
(付記)
成功者も、そうでない人も、ちがいは、(紙一重)。
今、成功者と思っている人でも、明日のことはわからない。
事故や病気にしても、確率の問題。
「学校の教師」という、きわめて恵まれた職場環境にいる人にはわからないかもしれない
が、世の中は、もっと別の基準で動いている。
「規則だから……」という理由だけで、世の中は、動いているのではない。
規則のない世界で生きている人のほうが、はるかに多い。
Hiroshi Hayashi++++++++APR.08++++++++++はやし浩司
●親が子育てできなくなるとき
●親像のない親たち
「娘を抱いていても、どの程度抱けばいいのか、不安でならない」と訴えた父親がいた。
「子どもがそこにいても、どうやってかわいがればいいのか、それがわからない」と訴え
た父親もいた。
あるいは子どもにまったく無関心な母親や、子どもを育てようという気力そのものがな
い母親すらいた。また二歳の孫に、ものを投げつけた祖父もいた。このタイプの人は、
不幸にして不幸な家庭を経験し、「子育て」というものがどういうものかわかっていない。
つまりいわゆる「親像」のない人とみる。
●チンパンジーのアイ
ところで愛知県の犬山市にある京都大学霊長類研究所には、アイという名前のたいへん
頭のよいチンパンジーがいる。人間と会話もできるという。もっとも会話といっても、ス
イッチを押しながら、会話をするわけだが、そのチンパンジーが九八年の夏、一度妊娠し
たことがある。が、そのとき研究員の人が心配したのは、妊娠のことではない。「はたして
アイに、子育てができるかどうか」(新聞報道)だった。
人工飼育された動物は、ふつう自分では子育てができない。チンパンジーのような、頭
のよい動物はなおさらで、中には自分の子どもを見て、逃げ回るのもいるという。いわ
んや、人間をや。
●子育ては学習によってできる
子育ては、本能ではなく、学習によってできるようになる。つまり「育てられた」とい
う体験があってはじめて、自分でも子育てができるようになる。しかしその「体験」が、
何らかの理由で十分でないと、ここでいう「親像のない親」になる危険性がある。……と
言っても、今、これ以上のことを書くのは、この日本ではタブー。いろいろな団体から、
猛烈な抗議が殺到する。
先日もある新聞で、「離婚家庭の子どもは離婚率が高い」というような記事を書いただけ
でその翌日、一〇本以上の電話が届いた。「離婚についての偏見を助長する」「離婚家庭
の子どもがかわいそう」「離婚家庭の子どもは幸せな結婚はできないのか」など。「離婚
家庭を差別する発言で許せない」というのもあった。私は何も離婚が悪いとか、離婚家
庭の子どもが不幸になると書いたのではない。離婚が離婚として問題になるのは、それ
にともなう家庭騒動である。この家庭騒動が子どもに深刻な影響を与える。そのことを
主に書いた。たいへんデリケートな問題であることは認めるが、しかし事実は事実とし
て、冷静に見なければならない。
●原因に気づくだけでよい
これらの問題は、自分の中に潜む「原因」に気づくだけでも、その半分以上は解決した
とみるからである。つまり「私にはそういう問題がある」と気づくだけでも、問題の半分
は解決したとみる。それに人間は、チンパンジーとも違う。たとえ自分の家庭が不完全で
あっても、隣や親類の家族を見ながら、自分の中に「親像」をつくることもできる。ある
人は早くに父親をなくしたが、叔父を自分の父親にみたてて、父親像を自分の中につくっ
た。また別の人は、ある作家に傾倒して、その作家の作品を通して、やはり自分の父親像
をつくった。
●幸福な家庭を築くために
……と書いたところで、この問題を、子どもの側から考えてみよう。するとこうなる。
もしあなたが、あなたの子どもに将来、心豊かで温かい家庭を築いてほしいと願っている
なら、あなたは今、あなたの子どもに、そういう家庭がどういうものであるかを、見せて
おかねばならない。いや、見せるだけではたりない。しっかりと体にしみこませておく。
そういう体験があってはじめて、あなたの子どもは、自分が親になったとき、自然な子育
てができるようになる。
と言っても、これは口で言うほど、簡単なことではない。頭の中ではわかっていても、
なかなかできない。だからこれはあくまでも、子育てをする上での、一つの努力目標と
考えてほしい。
(付記)
●なぜアイは子育てができるか
一般論として、人工飼育された動物は、自分では子育てができない。子育ての「情報」
そのものが脳にインプットされていないからである。このことは本文の中に書いたが、そ
のアイが再び妊娠し、無事出産。そして今、子育てをしているという(二〇〇一年春)。こ
れについて、つまりアイが子育てができる理由について、アイは妊娠したときから、ビデ
オを見せられたり、ぬいぐるみのチンパンジーを与えられたりして、子育ての練習をした
からだと説明されている(報道)。しかしどうもそうではないようだ。
アイは確かに人工飼育されたチンパンジーだが、人工飼育といっても、アイは人間によ
って、まさに人間の子どもとして育てられている。アイは人工飼育というワクを超えて、
子育ての情報をじゅうぶんに与えられている。それが今、アイが、子育てができる本当
の理由ではないのか。
(参考)
●虐待について
社会福祉法人「子どもの虐待防止センター」の実態調査によると、母親の五人に一人は、
「子育てに協力してもらえる人がいない」と感じ、家事や育児の面で夫に不満を感じてい
る母親は、不満のない母親に比べ、「虐待あり」が、三倍になっていることがわかった(有
効回答五〇〇人・二〇〇〇年)。
また東京都精神医学総合研究所の妹尾栄一氏は、虐待の診断基準を作成し、虐待の度合
を数字で示している。妹尾氏は、「食事を与えない」「ふろに入れたり、下着をかえたりし
ない」などの一七項目を作成し、それぞれについて、「まったくない……〇点」「ときどき
ある……一点」「しばしばある……二点」の三段階で親の回答を求め、虐待度を調べた。そ
の結果、「虐待あり」が、有効回答(四九四人)のうちの九%、「虐待傾向」が、三〇%、「虐
待なし」が、六一%であった。この結果からみると、約四〇%弱の母親が、虐待もしくは
虐待に近い行為をしているのがわかる。
一方、自分の子どもを「気が合わない」と感じている母親は、七%。そしてその大半が
何らかの形で虐待していることもわかったという(同、総合研究所調査)。「愛情面で自分
の母親とのきずなが弱かった母親ほど、虐待に走る傾向があり、虐待の世代連鎖もうかが
える」とも。
●ふえる虐待
なお厚生省が全国の児童相談所で調べたところ、母親による児童虐待が、一九九八年ま
での八年間だけでも、約六倍強にふえていることがわかった。(二〇〇〇年度には、一万七
七二五件、前年度の一・五倍。この一〇年間で一六倍。)
虐待の内訳は、相談、通告を受けた六九三二件のうち、身体的暴行が三六七三件(五三%)
でもっとも多く、食事を与えないなどの育児拒否が、二一〇九件(三〇・四%)、差別的、
攻撃的言動による心理的虐待が六五〇件など。虐待を与える親は、実父が一九一〇件、実
母が三八二一件で、全体の八二・七%。また虐待を受けたのは小学生がもっとも多く、二
五三七件。三歳から就学前までが、一八六七件、三歳未満が一二三五件で、全体の八一・
三%となっている。
Hiroshi Hayashi++++++++APR.08++++++++++はやし浩司
仕事で家族が犠牲になるとき
●ルービン報道官の退任
二〇〇〇年の春、J・ルービン報道官が、国務省を退任した。約三年間、アメリカ国務
省のスポークスマンを務めた人である。理由は妻の出産。「長男が生まれたのをきっかけ
に、退任を決意。当分はロンドンで同居し、主夫業に専念する」(報道)と。
一方、日本にはこんな話がある。以前、「単身赴任により、子どもを養育する権利を奪わ
れた」と訴えた男性がいた。東京に本社を置くT臓器のK氏(五三歳)だ。いわく「東京
から名古屋への異動を命じられた。そのため子どもの一人が不登校になるなど、さまざま
な苦痛を受けた」と。単身赴任は、六年間も続いた。
●家族がバラバラにされて、何が仕事か!
日本では、「仕事がある」と言えば、すべてが免除される。子どもでも、「勉強する」「宿
題がある」と言えば、すべてが免除される。仕事第一主義が悪いわけではないが、そのた
めにゆがめられた部分も多い。今でも妻に向かって、「お前を食わせてやる」「養ってやる」
と暴言を吐く夫は、いくらでもいる。その単身赴任について、昔、メルボルン大学の教授
が、私にこう聞いた。「日本では単身赴任に対して、法的規制は、何もないのか」と。私が
「ない」と答えると、周囲にいた学生までもが、「家族がバラバラにされて、何が仕事か!」
と騒いだ。
さてそのK氏の訴えを棄却して、最高裁第二小法廷は、一九九九年の九月、次のような
判決を言いわたした。いわく「単身赴任は社会通念上、甘受すべき程度を著しく超えてい
ない」と。つまり「単身赴任はがまんできる範囲のことだから、がまんせよ」と。もう何
をか言わんや、である。
ルービン報道官の最後の記者会見の席に、妻のアマンポールさんが飛び入りしてこう言
った。「あなたはミスターママになるが、おむつを取り替えることができるか」と。それに
答えてルービン報道官は、「必要なことは、すべていたします。適切に、ハイ」と答えた。
●落第を喜ぶ親たち
日本の常識は決して、世界の標準ではない。たとえばこの本のどこかにも書いたが、ア
メリカでは学校の先生が、親に子どもの落第をすすめると、親はそれに喜んで従う。「喜ん
で」だ。親はそのほうが子どものためになると判断する。が、日本ではそうではない。軽
い不登校を起こしただけで、たいていの親は半狂乱になる。こうした「違い」が積もりに
積もって、それがルービン報道官になり、日本の単身赴任になった。言いかえると、日本
が世界の標準にたどりつくまでには、まだまだ道は遠い。
Hiroshi Hayashi++++++++APR.08++++++++++はやし浩司
親が子どもをだますとき
●世間体を気にする人
夫が入院したとき、「恥ずかしいから」という理由(?)で、その夫(五七歳)を病院か
ら連れ出してしまった妻(五一歳)がいた。あるいは死ぬまで、「店をたたむのは恥ずかし
い」と言って、小さな雑貨店をがんばり続けた女性(八五歳)もいた。
気持はわからないわけではないが、しかし人は「恥」を気にすると、常識はずれの行動
をするようになる。S氏(八一歳)もそうだ。隣の家に「助けてくれ」と電話をかけて
きた。そこで隣人がかけつけてみると、S氏は受話器をもったまま玄関先で倒れていた。
隣人が「救急車を呼びましょうか」と声をかけると、S氏はこう言ったという。「近所に
恥ずかしいから、どうかそれだけはやめてくれ!」と。
●日本の文化は、恥の文化?
恥にも二種類ある。世間体を気にする恥。それに自分に対する恥である。日本人は、世
間体をひどく気にする反面、自分への恥には甘い。それはそれとして世間体を気にする人
には、独特の価値観がある。相対的価値観というべきもので、自分の生きざますら、いつ
も他人と比較しながら決める。そしてその結果、周囲の人よりよい生活であれば安心し、
そうでなければ不安になる。それだけではない。
こういう尺度をもつ人は、自分よりよい生活をしている人をねたみ、そうでない人をさ
げすむ。が、そのさげすんだ分だけ、結局は自分で自分のクビをしめることになる。先
の雑貨点を営んでいた女性は、それまで近所で店をたたんだ仲間を、さんざん悪く言っ
てきた。「バチがあたったからだ」「あわれなもんだ」とか。また救急車を拒否したS氏
も、自分より先に死んでいった人たちを、「人間は長生きしたものが勝ち」と、いつも笑
っていた。
●息子の土地を無断で転売
こうした価値観は、そのまま子育てにも反映される。子育てそのものが、世間体を気に
したものになる。当然、子どものとらえ方も、常識とは違ってくる。子どもが、その世間
体を飾る道具に利用されることも多い。たとえばYさん(七〇歳女性)がそうだ。
Yさんは言葉巧みに息子(四二歳)から土地の権利書を取りあげると、それをそのまま
息子に無断で、転売してしまった。が、Yさんには罪の意識はない。息子が抗議すると、
「先祖を守るために親が子どもの財産を使って、どこが悪い」と言ったという。「先祖を
守るのは子どもの義務だ」とも。Yさんがいう「先祖」というのは、世間体をいう。も
ちろんそれで親子の縁は切れた。
息子はこう言う。「母でなければ、訴えています」と。ふつうに考えればYさんのした行
動は、おかしい。おかしいが、価値観がズレている人には、それがわからない。が、こ
れだけは言える。
恥だの世間体だのと言っている人は、他人の目の中で人生を生きるようなもの。せっか
くの、それもたった一度しかない人生を、ムダにすることにもなりかねない。が、同時に、
それも皮肉なことに、他人から見て、それほど見苦しい人生もない。
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●今朝・あれこれ(4月13日)
●「無」の世界(The World of “Nothing”)
This universe was born from nothing, or the smallest dot or line. Whatever it is, if so,
our exisitance stands on this “Nothing”. Then we ask ourselves, what we are. Some
people say, there is another world beyond this world. But from that another world, this
world where we live is another world itself. Is there another world beyond this world?
+++++++++++++++++
昨夜、こんなことを書いた。
「ひょっとしたら、あの世というのは、
あるのかもしれない」と。
私にとっては、生まれてはじめて書いた
言葉である。
理由がある。
私たちは今、大宇宙と呼ばれる、この宇宙の
中で生きている。
空の星々を見れば、それがわかる。
しかしこの大宇宙は、一説によると、
ビッグバンと呼ばれる、大爆発によって
生まれたものだという。
この説を疑う学者はいないが、問題は、
それ以前の宇宙は、どうであったかということ。
これについては、いろいろな説がある。
あるが、共通している点は、最初は、
「無」もしくは、それに近い状態であったということ。
それが爆発して、現在のような大宇宙になった?
何とも不可思議な世界だが、言いかえると、
私たちの存在そのものも、その不可思議な世界を基盤と
しているということになる。
逆に、こんなふうに考えてみてもよい。
よく「宇宙には果てがない」という。
しかし宇宙の向こうに、別の宇宙があるというわけでも
ないらしい。
ホーキング博士によれば、私たちが住んでいるような
大宇宙は、ここにも、そこにも、どこにでもあるという。
しかも、それが無数にあって、まるで泡(バブル)の
ようになっているという。
そこに見えないからといって、簡単に否定してはいけない。
そもそもこの宇宙では、時間も、空間も、アテにならない。
「時間」といっても、それは人間にとっての時間であって、
絶対的な時間ではない。
人間がいう「1秒」の間に、誕生から死まで繰りかえす
生物だっているかもしれない。
もし人間が、フェムト秒単位で生きることができるとするなら、
私たちは、その「1秒」を使って、3100万年分も
生きることができる※。
(3100・万・年だぞ!)
空間にいたっては、さらにアテにならない。
私たちが見ている、この世界にしても、
「見ている」と思っているだけで、
実は、何も見ていないのかもしれない。
わかりやすく言えば、「見ている」と思っているのは、
脳の後頭部にある視覚野に映し出された
電気的信号を、大脳が知覚しているにすぎない。
「見えないから何もない」と言うのは、
幼児のたわごとにも、ならない。
が、ホーキング博士が言う、別の宇宙を、
私たちは、知ることも、見ることもできない。
私たちの宇宙から見れば、そこは「無」の
世界ということなる。
(この宇宙にしても、もともと「無」であった
ものが、2つに分かれて、今の大宇宙を作った
という説もある。)
が、このことを反対に言えば、向こうの宇宙から見れば、
私たちの宇宙のほうが、無の世界という
ことになるのでは?
どちらが「無」なのかと論じても、意味はない。
それはたとえて言うなら、日本人とアルゼンチン人の、
どちらが逆さまに立っているかを論じるようなもの。
日本人から見れば、アルゼンチン人は、逆さまに
立っていることになる。
アルゼンチン人から見れば、日本人のほうが、
逆さまに立っていることになる。
もう少しわかりやすく言えば、こうだ。
日本からアルゼンチンを見れば、アルゼンチンは
外国(=あの世)ということになる。
しかしアルゼンチンから見れば、日本は外国(=あの世)
ということになる。
しかし、現実には、私はここにいる。
あなたは、そこにいる。
この世であろうが、あの世であろうが、
私は、ここにいる。
あなたは、そこにいる。
……と考えていくと、何がなんだか、わけが
わからなくなってくる。
もっと言えば、私たちの存在すらも、わけの
わからないものになってくる。
私たちが住むこの宇宙が無であるとするなら、
私という存在も、無ということになってしまう。
が、現実に、私は、この世に住んでいる。
「無」ではない。
だとするなら、私があの世にいても、何も、おかしくない。
(ゾーッ!)
つまりあの世がこの世かもしれない。
この世があの世かもしれない。
もっとはっきり言えば、この世があるなら、
あの世があっても、何もおかしくないということになる。
ただ誤解しないでほしいのは、ここでいう(あの世)
といっても、どこかのカルト教団の人たちが
好んで使う(あの世)ではないということ。
天国とか、極楽とかいう概念とも、ちがう。
さらに仮に死んだあと、あの世へ行くにしても、
今、私たちがもっている意識が、そのまま
連続性をもって、つながっていくとはかぎらない。
「意識」といっても、脳の中をかけめぐる
電気的信号に過ぎない。
死ねば同時に、こうした信号は、光となって空中に霧散する。
その時点で、「私」という意識は、消滅する。
私がここでいう「あの世」というのは、
そこにある「無」の世界の中の、別の大宇宙ということ。
するとまた、謎が振り出しに戻ってしまう。
あの世がこの世かもしれない。
この世があの世かもしれない。
今住んでいる、この世界が、すでにあの世かも
しれない。
となると、私たちは、かつてこの世に住んでいたことになる?
????????????????
わけがわからなくなってきたので、この話は、ここまで。
アインシュタインは、「問いつづけることこそが
大切」と言った。
私も、この先、この問題については、問いつづけて
みたい。
この世はあの世なのか。
あの世はこの世なのか、と。
+++++++++++
※「フェムト秒」という言葉を
最初に教えてくれたのは、
田丸謙二先生です。
それについて書いた原稿です。
+++++++++++
●フェムト秒
ある科学の研究者(田丸謙二先生のこと)から、こんなメールが届いた(02年9月)。
いわく……
「今週(今日ですと先週と言うのでしょうか)は葉山の山の上にある国際村センターで日
独のジョイントセミナーがありました。私の昔からの親しい友人(前にジャパンプライズ
を受けたノーベル賞級の人)が来ると言うので、近くでもあるし、出させてもらいました。
今は固体表面に吸着した分子一個一個を直接見ながら、それにエネルギーを加えて反応
を起こさせたり、フェムト秒単位(一秒を10で15回繰り返して割った短い時間)でそ
の挙動を追っかけたり、大変な技術が発達してきました」と。
このメールによれば、(1)固体表面に吸着した分子を直接見ることができる。(2)フ
ェムト秒単位で、その分子の動きを観察できる、ということらしい。それにしても、驚い
た。
ただ、(1)の分子を見ることについては、もう二〇年前から技術的に可能という話は、
その研究者から聞いていたので、「へえ」という驚きでしかなかった。しかし「フェムト
秒単位の観察」というのには驚いた。
わかりやすく言うと、つまり計算上では、1フェムト秒というのは、10の15乗倍し
て、やっと1秒になるという時間である。反対に言えば、1000兆分の1秒というこ
とになる。さらにかみくだいて言えば、1000兆秒というのは、この地球上の310
0万年分に相当する。計算するだけでも、わけがわからなくなるが、1フェムト秒とい
うのは、そういう時間をいう。
こういう時間があるということ自体驚きである。もっともこれは理論上の時間で、人間
が観察できる時間ではない。しかしこういう話を聞くと、「では、時間とは何か」という
問題を、考えざるをえなくなってしまう。もし人間が、1フェムト秒を、1秒にして生
きることができたら、そのたった1秒で、3100万年分の人生を生きることになる!
ギョッ!
昔、こんなSF小説を読んだことがある。だれの作品かは忘れたが、こういう内容だっ
た。
ある惑星の知的生物は、珪素(けいそ)主体の生物だった。わかりやすく言えば、体中
がガチガチの岩石でできた生物である。だからその生物が、自分の指を少し動かすだけで
も、地球の人間の時間で、数千年から数万年もかかる。一歩歩くだけでも、数十万年から
数百万年もかかる。
しかし動きというのは相対的なもので、その珪素主体の生物にしてみれば、自分たちが
ゆっくりと動いている感覚はない。地球上の人間が動いているように、自分たちも、ご
く自然に動いていると思っている。
ただ、もしその珪素主体の生物が、反対に人間の世界を望遠鏡か何かで観察したとして
も、あまりに動きが速すぎて、何も見えないだろうということ。彼らが一回咳払いする間
に、地球上の人間は、数万年の時を経て、発生、進化の過程を経て、すでに絶滅している
かもしれない!
……こう考えてくると、ますます「時間とは何か」わからなくなってくる。たとえば私
は今、カチカチカチと、時計の秒針に合わせて、声を出すことができる。私にとっては短
い時間だが、もしフェムト秒単位で生きている生物がいるとしたら、そのカチからカチま
での間に、3100万年を過ごしたことになる。となると、また問題。このカチからカチ
までを一秒と、だれが、いつ、どのようにして決めたか。
アインシュタインの相対性理論から始まって、今では第11次元の世界まで存在するこ
とがわかっているという。(直線の世界が一次元、平面の世界が二次元、立体の世界が三次
元、そしてそれに時間が加わって、四次元。残念ながら、私にはここまでしか理解できな
い。)ここでいう時間という概念も、そうした次元論と結びついているのだろう。
たとえば空間にしても、宇宙の辺縁に向かえば向かうほど、相対的に時間が長くなれば、
(反対に、カチからカチまで、速くなる。)宇宙は、永遠に無限ということになる。たと
えばロケットに乗って、宇宙の果てに向かって進んだとする。
しかしその宇宙の果てに近づけば近づくほど、時間が長くなる。そうなると、そのロケ
ットに乗っている人の動きは、(たとえば地球から望遠鏡で見ていたとすると)、ますま
すめまぐるしくなる。地球の人間が、一回咳払いする間に、ロケットの中の人間は、数
百回も世代を繰り返す……、あるいは数千回も世代を繰り返す……、つまりいつまでた
っても、ロケットの中の人間は、地球から見れば、ほんのすぐそばまで来ていながら、
宇宙の果てにはたどりつけないということになる。
こういう話を、まったくの素人の私が論じても意味はない。しかし私はその科学者から
メールを受け取って、しばらく考え込んでしまった。「時間とは何か」と。
私のような素人でもわかることは、時間といえども、絶対的な尺度はないということ。
これを人間にあてはめてみると、よくわかる。たとえばたった数秒を、ふつうの人が数
年分過ごすのと同じくらい、密度の濃い人生にすることができる人がいる。
反対に一〇年生きても、ただただ無益に過ごす人もいる。もう少しわかりやすく言うと、
不治の病で、「余命、残りあと一年」と宣告されたからといって、その一年を、ほかの人
の三〇年分、四〇年分に生きることも可能だということ。反対に、「平均寿命まで、あと
三〇年。あと三〇年は生きられる」と言われながらも、その三〇年を、ほかの人の数日
分にしか生きられない人もいるということ。どうも時間というのは、そういうものらし
い。
いや、願わくば、私も1フェムト秒単位で生きて、1秒、1秒で、それぞれ3100万
年分の人生を送ることができたらと思う。もちろんそれは不可能だが、しかし1秒、1
秒を長くすることはできる。仮にもしこの1秒を、たったの2倍だけ長く生きることが
できたとしたら、私は自分の人生を、(平均寿命まであと30年と計算して)、あと60
年、生きることができることになる。
……とまあ、何とも理屈っぽいエッセーになってしまったが、しかしこれだけは言える。
幼児が過ごす時間を観察してみると、幼児のもつ時間の単位と、40歳代、50歳代の人
がもつ時間の単位とはちがうということ。
当然のことながら、幼児のもつ時間帯のほうが長い。彼らが感ずる1秒は、私たちの感
ずる1秒の数倍以上はあるとみてよい。もっとわかりやすく言えば、私たちにとっては、
たった1日でも、幼児は、その1日で、私たちの数日分は生きているということ。ある
いはもっとかもしれない。
つまり幼児は、日常的にフェムト秒単位で生活している! これは幼児の世界をよりよ
く理解するためには、とても大切なことだと思う。あくまでも参考までに。
(02−9−17)※
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●人間主義vs自然主義(Humanism vs Naturalism)
Human-beings are not the superior to other animals. Human-beings are also a part of
nature and therefore human-beings can not exisit apart from the nature. Now is the
time when it is very important for the Japanese to take Naturalism instead of
Humanism.
++++++++++++++++++
人間は、万能?
万物の霊長?
人間だけが、最高の生物?
とんでもない!
そういう発想が支配的になったのは、
イギリスでの産業革命以降のこと。
その代表格となったのが、フランシス・
ベーコン。
1561〜1626年の人物である。
フランシス・ベーコンは、「自然征服論」
を書き、「知識と科学で、自然を支配、
征服することができる」と唱えた。
『知は力なり』という有名な言葉も、
残している。
その流れは、やがてアメリカに伝わり、
戦後、日本にそのまま移植された。
その象徴となったのが、田中角栄の
「列島改造論」。
その結果、小さな小川ですら、コンク
リートで埋め尽くされた。
私たち日本人がもっている自然観は、今でも、
おおかた、その(流れ)の中にある。
だからこの日本では、「近代化」といえば、
立ち並ぶビルや、その間を縫うように
して走る、高速道路のことをいう。
が、こうした常識は、けっして世界の
常識ではない。
たとえば、ミシェル・フーコがいる。
1926〜1984年の人物である。
彼はいわゆる「人間主義」に疑問を
いだき、その人間主義からの訣別を
唱えた。
ミシェル・フーコが自然主義の代表格というわけ
ではないが、こうして人間主義と自然
主義が、今、するどく対立している。
が、一度、作られた意識というのは、
そうは簡単に、変えられない。
5、6年も前のことになるが、1人の
オーストラリア人が、私にこう聞いた。
「ヒロシ、どうして日本では、山を
コンクリートで覆うのか」と。
日本人には見慣れた景色でも、オースト
ラリア人にとっては、そうでない。
それにそのオーストラリア人は、驚いた。
そこでミシェル・フーコは、こう説いた。
「人間は、それほどまでに完全な動物
なのか」と。
答は、「NO!」。
むしろ、知恵が働く分だけ、人間は
ほかの動物たちより、邪悪な生物かも
しれない。
さらに優劣ということになると、何を
もって、「優」といい、何をもって、
「劣」というか、その基準がよくわからない。
人間が優秀なのは、人間に対してだけ。
そういう意味では、つまり人間という
動物を総合してみると、人間ほど、
自己中心的な生物はいないということに
なる。
よい例が、捕鯨問題である。
「クジラがふえれば、水産資源が減る」と
説く日本政府。
「だからクジラは殺してもいい」と説く
日本政府。
そうした発想は、山を切り刻み、谷を埋め
尽くし、高速道路ばかりを作る、あの列島
改造論の延長線上にある。
そうそう、その人間主義で思い出したが、
ほとんどの幼稚園児は、人間は、他の動物たち
とはちがうと考えている。
「人間も、動物の仲間だよ」と教えても、
「ちがう」と言う。
「人間は、動物ではない」と。
人間も、動物の仲間である。
それ故に、人間も自然の一部である。
人間は、自然を離れて、人間では、ありえない。
で、冒頭に書いたことに話がもどるが、
人間は、万能ではない。
万物の霊長でもない。
人間だけが、最高の生物というのは、
明らかに、まちがっている。
だから山の中に、一本の道路を通すに
しても、私たち人間がまずすべきことは、
そこに住む動物たちに許可を求める
ことである。
もちろん動物たちは何も言わない。
しかしそうであるならなおさら、私たちは
動物たちに謙虚でなければならない。
捕鯨問題にしても、「クジラがふえれば、
水産資源が影響を受ける」というのは、
あまりにも短絡的。
身勝手。
自己中心的。
タイトルに、「人間主義vs自然主義」と
書いたが、現在深刻な問題となりつつある
地球温暖化(火星化)の問題にしても、
結局は、人間主義がもたらした弊害と
いうことになる。
人間主義に洗脳されてしまった私たち
日本人。
その日本人の私たちには、むずかしいこと
かもしれないが、今こそ、自然主義に立ち返る
べきときに、来ている。
最後に、一言。
あの長岡半太郎ですら、「(自然に)抗するものは、
容赦なく蹴飛ばされる」(随筆)と書いている。
今一度、長岡半太郎の言葉を、ここで読み返して
みようではないか。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 人間主義 自然主義 長岡
ベーコン ミシェル フーコ)
+++++++++++++++
少し前にも取りあげましたが、
原稿を一作、掲載します。
私が9年ほど前に書いた原稿
です。
+++++++++++++++
●ゆがんだ自然観
もう二〇年以上も前のことだが、こんな詩を書いた女の子がいた(大阪市在住)。
「夜空の星は気持ち悪い。ジンマシンのよう。小石の見える川は気持ち悪い。ジンマシ
ンのよう」と。
この詩はあちこちで話題になったが、基本的には、この「状態」は今も続いている。小
さな虫を見ただけで、ほとんどの子どもは逃げ回る。落ち葉をゴミと考えている子ども
も多い。自然教育が声高に叫ばれてはいるが、どうもそれが子どもたちの世界までそれ
が入ってこない。
「自然征服論」を説いたのは、フランシスコ・ベーコンである。それまでのイギリスや
世界は、人間世界と自然を分離して考えることはなかった。人間もあくまでも自然の一部
に過ぎなかった。
が、ベーコン以来、人間は自らを自然と分離した。分離して、「自然は征服されるもの」
(ベーコン)と考えるようになった。それがイギリスの海洋冒険主義、植民地政策、さ
らには一七四〇年に始まった産業革命の原動力となっていった。
日本も戦前までは、人間と自然を分離して考える人は少なかった。あの長岡半太郎です
ら、「(自然に)抗するものは、容赦なく蹴飛ばされる」(随筆)と書いている。
が、戦後、アメリカ型社会の到来とともに、アメリカに伝わったベーコン流のものの考
え方が、日本を支配した。その顕著な例が、田中角栄氏の「列島改造論」である。日本
の自然はどんどん破壊された。埼玉県では、この四〇年間だけでも、三〇%弱の森林や
農地が失われている。
自然教育を口にすることは簡単だが、その前に私たちがすべきことは、人間と自然を分
けて考えるベーコン流のものの考え方の放棄である。もっと言えば、人間も自然の一部で
しかないという事実の再認識である。さらにもっと言えば、山の中に道路を一本通すにし
ても、そこに住む動物や植物の了解を求めてからする……というのは無理としても、そう
いう謙虚さをもつことである。
少なくとも森の中の高速道路を走りながら、「ああ、緑は気持ちいいわね。自然を大切に
しましょうね」は、ない。そういう人間の身勝手さは、もう許されない。
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