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●子育て最前線の育児論byはやし浩司・メルマガ(金権教)
発行日: 2008/4/18★
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子育て最前線の育児論byはやし浩司 4月 18日
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★★★HTML版★★★(マガジンを読みやすくしました)
http://bwhayashi.cool.ne.jp/page059.html
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●ネット中毒(Internet poisoning)
According to the newspaper of today, about 210000 young people (6-19 years old) in
Korea are under the condition they need some kind of medical treatment for the
internet poisoning.
韓国の東亜N報が、こんな記事を載せている(08年3月24日)。
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米オレゴン健康科学大学のジェラルド・ブロック博士は、
米精神科学会誌の3月号のコラムで、「インターネット中毒は、
精神障害診断マニュアル(DSM―V)に含まれるべきだ」
という韓国青少年保護委員会の昨年のシンポジウム資料などを引用して、
韓国の事例を紹介した。
ブロック博士は、「韓国ではインターネットカフェでの10件の
心肺関連死亡事故や、1件のゲーム関連殺人事件が起きた後、
インターネット中毒を最も深刻な公衆保健問題と思うようになった」と述べ、
「韓国には1043人の専門カウンセラーがおり、190の病院や治療センターが
学校と連携をとっている」と紹介した。
同氏はまた、「韓国政府の資料によれば、6〜19歳の青少年のうち約21万人が、
(インターネットのため)苦しんでおり、治療が必要だ」と述べ、
「そのうち80%は心理学的な薬物投与が、また20〜40%は、
入院や治療が必要かもしれない」と明らかにした。
ブロック博士はまた、「韓国の高校生たちは1週間に平均23時間を
ゲームに費やし、(現在のインターネット中毒者のほか)、120万人ぐらいが
追加で中毒になりかねない危険性をはらんでいるという」と紹介した。
+++++++++++++++++
日本での調査はないが、この日本でも、事態は、同じようなものと思ってよい。
死亡事故や関連殺人事件が、起きてからでは遅い。早急に、日本でも対策を
立てるべきではないのか。
韓国の状況を、もう一度、整理してみる。
(1)6〜19歳の青少年のうち約21万人が、治療が必要な状態である。
(2)そのうち80%は心理学的な薬物投与が、また20〜40%は、
入院や治療が必要と推定される。
(3)そのため韓国には、「韓国には1043人の専門カウンセラーがおり、
190の病院や治療センターが学校と連携をとっている
あまりよく知られていないが、この日本では、テレビゲームを批判しただけで、
たいへんなことになる。抗議の嵐が殺到する。私自身も、経験している。
テレビゲームそのものが、カルト化している。常識で考えれば、おかしなことだが、
その常識が狂い始めている。テレビゲームといっても、それに没頭している人に
とっては、ただのゲームではない。
だから「6〜19歳の青少年のうち約21万人が、治療が必要な状態である」と
いっても、その治療を求めているのは、当の青少年たちではない。恐らく、これらの
青少年たちは、治療そのものを、がんこに拒否するはず。
自分がおかしいという認識(=病識)すら、ない。
もちろんインターネット、イコール、ゲームということではない。
反対に、ゲーム、イコール、インターネットということでもない。
さらに言えば、たとえば「検査で正常である」と診断されたからといって、
「問題ない」ということでもない。
テレビゲームを支持する学者たちは、「検査」という言葉をよく使う。
ゲーム脳を否定する学者もいるが、彼らは決まってこう言う。
「検査してみたが、どこにも異常は見られない」と。
しかし教育の現場では、少しちがった見方をする。子どもの微妙な変化をとらえて、
おかしいと言う。様子や行動を観察して、「おかしい」と言う。
それについてはたびたび書いてきたので、ここでは省略する。
子どもの世界では、常に、『疑わしきは、罰する』。
先手、先手で守ってこそ、はじめて、子どもの世界を守ることができる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist ゲーム脳、ネット中毒、イ
ンターネット中毒)
Hiroshi Hayashi++++++++MAR.08++++++++++はやし浩司
●子は父になる(A Child becomes a Father and the Father returns a Child.)
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スーパーマン・リターンズ(最新作)の最後で、スーパーマンは、
こう言う。
『子は父になり、父は、子に還(かえ)る』と。
父親というのが何であるかと問われれば、この一言に尽きる。
私たちは子どもからおとなになり、家庭をもち、子どもをもうける。
その子どもも、やがておとなになり、父親になる。
そのとき、私という(父親)は、父親としての役目を終えるのではない。
私という(父親)は、最後の仕上げとして、子どもたちの中に、
自分の命を伝える。心を伝える。生きざまを伝える。
こうして私は自分の命を、私の父親から引き継いだ命を、子に伝え、
子は、さらにその子へとつなげていく……。
『子は父になり、父は、子に還(かえ)る』。
この言葉については、いろいろな解釈のし方があるだろうが、今の私は、
そう思う。
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目が見える。
音が聞こえる。
春の風を肌で感ずることができる。
私は、今、ここにいて、そして生きている。
その確かな実感こそが、私が今、生きているという証(あかし)。
昨夜、ワイフが布団(ふとん)の中で、こう聞いた。
「あなたは、何のために生きているの?」と。
私は、ある医師の話をした。
その医師は、記者のインタビューに答えて、こう言った。
「私は、どうせ死ぬなら、がんで死にたい。
脳出血や心筋梗塞で死ぬのはいやだ。
がんだったら、死ぬまでに、しばらくの時間的猶予がある。
その間に、最後にやり残した仕事をすべてする」と。
私「どうせ死ぬなら、がんで死ぬ方がいいという意見は、はじめて聞いた」
ワ「自分が、この世界に生きてきたという証(あかし)を残すためにかしら?」
私「どうも、それだけではないような気がする。もしそうなら、墓石を残せばいい」
ワ「じゃあ、何かしら……」と。
話はそれるが、老年期の入り口に立ってみて、ひとつ気がついたことがある。
つまりその入り口というのは、夢や希望に満ちた、明るい通路への入り口ではない。
その先は、細く、暗闇に包まれた通路への入り口である。
夢や希望など、もちようもない。
またもったとしても、そのままつぎの瞬間には消えてしまう。
このスイッチング(転換)をどうするか?
そういう意味で、今、子育てで夢中になっている人は、まだ救われる。
自分が年老いているという(現実)を、忘れることができる。
が、その子育てが終わったとたん、そこに待っているのは、(老後)。
その老後が突然、目の前に、パッと姿を現す。
多くの人は、そこであわてふためく。狼狽(ろうばい)する。取り乱す。
その先に見える世界は、今まで生きてきた世界とは、まるでちがう。
ちがうから、そこでそれまでの自分の生きざまを、変えなければならない。
が、しかしそんな生きざまなど、どこにも用意していない。
変えようにも、変えようがない。
ないから、ここに書いたように、あわてふためく。
そこでほとんどの人は、その時点で、老後のあり方を模索し始める。
「どう、生きたらいいのか」「どう、生きるべきなのか」と。
しかし同時に、それは(空しさ)との闘いでもある。
享楽的な生き方が、その人の心の隙間を埋めるということは、ありえない。
庭いじりも結構。孫の世話も結構。旅行するのも、これまた結構。
しかしそんなことを繰りかえしたところで、かえってみじめになるだけ。
もっとはっきり言えば、時間の無駄。
刻一刻と、砂時計の砂がこぼれ落ちていくように、時間だけは過ぎていく。
そんな中、息子たちのニュースが、私を励ましてくれる。
私「おかしなことだが、息子たちが、私のできなかったことを、つぎつぎとしてくれる」
ワ「私も、それを感じているわ」
私「だろ……。ぼくは中学生のころには、パイロットにあこがれた」
ワ「どうしてパイロットを目指さなかったの?」
私「メガネをかけている人は、パイロットになれないと聞かされて、あきらめた」
ワ「若い人は、みな、パイロットという職業に、あこがれるわよ」
私「かもしれない……。でもね、今度デニーズが弁護士になると聞いて、ほんとうに
うれしかった」
ワ「それも、そうね。どこかであなたの(命)が、子どもたちに伝わっているみたい」
私「そうなんだよ。そこが不思議なところなんだよ」
ワ「子どもたちは、いつの間にか、あなたの影響を受けていたのね」
私「うん……。E(三男)も、外国に住みたいと言い出したしね」
ワ「それも、あなたができなかったことよね」
私「……できなかった。勇気がなかったのかな……?」と。
そのとき私は、ふと、私の(命)が、息子たちに伝わっているのを感じた。
肉体は別々だが、私自身が、もっと大きな(命の流れ)というか、
そういうものの中にいるように感じた。
何も、私という(肉体)にこだわることはない。
所詮、この世界は、光と分子の織りなす世界。
実体があるようで、その実、それはどこにもない。
もちろんだからといって、息子たちの人生イコール、私の人生というわけではない。
私は、どこまでいっても、私。
息子たちの人生は、息子たちのもの。
私「ぼくのもつ価値観というのは、あまりにも金銭的な欲得に、毒されすぎている」
ワ「カルトのようなものよ。戦後生まれの人たちは、徹底的にそう洗脳されているから」
私「そう。その人の金銭感覚は、年長児から小学1、2年生ごろには完成する」
ワ「それを、ずっと引きずっているわけね」
私「その価値観を、どうやって、打ち崩したらいいんだろう?」
ワ「へたに崩せば、かえって混乱してしまうわね」
私「そう、仏教はいやだから、今度からキリスト教にしますというわけには、いかない」
ワ「カルト教団から抜け出た人を知っているけど、かえって精神不安になってしまったわ」
私「ハハハ、今のぼくがそうかもしれないよ」
ワ「それも困るわ」と。
……とまあ、今しばらく、この混乱は、つづきそう。
私自身も、この先、どうなるか、よくわからない。
「混乱の最中」とまではいかないにしても、混迷している。
ただもし今、「何をすべきか?」と聞かれたら、私は、こう答えるだろう。
「ともかくも懸命に生きてみる。そこに何があるかわからないが、何かがあると
信じて、懸命に生きてみる。今でもそうしてきたし、これからも、そうする」と。
きっと、その先で、何か答が見つかるだろう。今は、それを信ずるしかない。
……しばらくしてからワイフに声をかけてみたが、返事はなかった。
私もそのまま眠気に、心を任せた。
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●「金権教」というカルト(Money is Everything.)
Most of us believe that money is everything, some consciously and some unconsciously.
But it is a kind of cult (or sect), or we would know it when we are involved in it. So I call
it “Money-ism”, or “Money Cult”.
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私はカルト(狂信的な信仰)とは無縁と
思っている人でも、ちょっと、待ってほしい。
そういう人でも、無数のカルトを信仰している。
学歴信仰に始まって、親絶対教、学校神話、男尊女卑思想、
家父長意識、民族主義に国粋主義などなど。
人は、ひとつのことを信仰することによって、思考を放棄することができる。
それは同時に、たいへん甘美な世界でもある。
思考、つまり(考えること)には、いつもある種の苦痛がともなう。
難解な数学の問題を前にしたときのことを、思い浮かべてみればよい。
カルトを信仰することによって、その苦痛から、自らを解放することができる。
過去や世俗的習慣を踏襲するのも、そのひとつ。
「昔はこうだった」「みなは、こうしている」と。
金権教について、考えてみたい。
……といっても、どんなカルトでもそうだが、
その中にいる人には、自分のおかしさがわからない。
そのおかしさを知るためには、一度、そのカルトの外に出てみなければならない。
あるいは、やめてみる。
長い間、カルト信仰をしてきたある女性(当時、45歳くらい)は、こう言った。
「退会してみて、はじめて、おかしさがわかった」と。
金権教もそうである。
たまたま現在、隣の中国が、20年前、30年前の日本を再現している。
何もかも、マネー、マネー、一色。
少し前だが、こんな話を、何かの雑誌で読んだことがある。
あるところで、1人の少年が川に落ちて、溺れた。
少年の母親は、まわりの人に、助けを求めた。
狂乱状態だったという。
それを見ていた一人の男性が、こう言ったという。
「〜〜元、出せ。そしたら助けてやる」と。
金額は、忘れた。
戦後の日本も、ひどかった。
が、しかしそこまでは、ひどくなかった。
(……と信じたい。似たような話はあるが……。)
それにしても、溺れる子どもを横目に、金額交渉とは!
心もマネーに毒されると、人は、そこまで言うようになる。
そのおかしさは、日本人の私たちには、よくわかる。
しかし当の中国の人たちには、わからない。
こうした「金と権力がすべて」という世界を、金権教という。
かなり宗教的な色彩が濃いから、「金権教」と呼ぶ。
その金権教の信者は、少なくない。
医師、弁護士に始まって、教師、役人、職人、はては牧師に僧侶にいたるまで。
職種に、関係ない。
しかし自分が金権教の信者であることに気づいている人は、少ない。
が、それを知る方法が、ないわけではない。
(1)金銭的な利益のある仕事だけをする。利益第一主義。
(2)金銭的に損な仕事はしない。ボランティア活動をしない。
(3)貧しい人を、いつも(下)に見る。人の価値を財産で決める。
(4)損得勘定に敏感である。計算高い。
(5)とくに損をしたとき、過剰なまでに反応する。落胆する。
(6)「信じられるのは、金だけ」を、よく口にする。
(7)仕事(=金儲け)中心主義で、家族、家庭を犠牲にしても平気。
(8)周囲の人間を、平気で利用する。その分だけ、いつも孤独。
これらの項目のうち、ほぼすべてが当てはまれば、金権教の信者と考えてよい。
もちろん程度の差もあるが……。
が、その金権教も、やがていつか、行きづまる。
短期的には、事業が失敗したとき。
長期的には、加齢による事業の縮小など。
そういったとき、マネーという本尊が、(イワシの頭)だったことを、思い知らされる。
カルトがこわいのは、ここから。
それを信じている間は、カルトは、その人を側面から支える。
生きる目標になることもある。
しかしそれを疑ったとたん、その人は、その内部から崩壊する。
「自己否定」という言葉があるが、それに近い状態になる。
「私は、何だったのか」と。
それまでの人生が無意味だったことを、思い知らされる。
とたん、大混乱に陥る。
こういうケースのばあい、つぎの2つから、進むべき道を選ぶ。
(1)そのまま金権教に固執する。
(2)新たな価値観を模索する。
このどちらでもないとなると、そこで待っているのは、「破滅」。
自殺という手段を取る人もいるが、それは論外。
こういうケースがある。
あるところに、手かざしで、病気を治すと教えている教団があった。
「手かざし」というのは、患部に手をかざして、病気を治すことをいう。
N氏夫婦は、その教団の熱心な信者だった。
で、あるとき、N氏の長男が、腹痛を訴えた。
(あとで盲腸炎だったということがわかったが……。)
N氏は、長男を病院へ連れていかなかった。
手かざしで治してみせると、がんばった。
しかし長男は、そのまま死んでしまった。
いや、最後の最後のところで、病院へ運ばれたが、そのときは手遅れだった。
こういうケースのばあい、「私たちの信仰はまちがっていました」と認めることは、
自分の子どもを、自分たちで殺してしまったことを認めることに等しい。
実際、N氏夫婦は、そのあと、ますますその信仰にのめりこんでいった。
またそれしか進むべき道がなかった。
……金権教にも、似たようなケースがある。
これは金権教で破滅した、ある男性の話である。
K氏は、昔からの資産家の二男だった。
長男の兄と2人で、事業を起こした。
建売を専門とする、建築会社だった。
高度成長期の、あの波に乗り、事業はトントン拍子で拡大した。
K氏は、有頂天になった。
毎晩、札束を切りながら、豪遊に豪遊を重ねた。
が、そのころから兄(=長男)との折りあいが悪くなった。
利益の配分をめぐっての、争いがつづいた。
そこで会社を2分することにした。
建設部門を兄が、不動産部門を二男のK氏が引き継いだ。
が、とたん、あのバブル経済がはじけた。
K氏は破産。
無一文になった。
その後、1年ほどの期間があったが、私が再びK氏の消息を聞いたときには、
K氏は、精神病院に長期入院しているということだった。
その1年間に、何があったか、それを想像するのは難しくない。
妻とは離婚。2人の娘がいたが、2人とも兄の家に引き取られていた。
人伝えに聞くところによると、「想像を絶する、家庭内騒動がつづいた」とのこと。
金権教の信者の末路(失礼!)は、あわれ。
マネーの切れ目が、人生の終わり。
そうなる。
が、これは、何も特別な人たちだけの問題ではない。
先にも書いたように、「程度の差」こそあれ、みなの問題と考えてよい。
ほとんどの人が、それを信じている。
「信じている」という意識がないまま、信じている。
私自身もそうだったし、今もそうかもしれない。
いつも心のどこかで、それと戦っている。
しかし金権教は、カルト。
宗教で教えるような教義など、どこにもない。
つまりは、人間が本能的にもつ(欲望)と深く、からみあっている。
欲望そのものかもしれない。
だから余計に、タチが悪い。
しかし、これだけは言える。
マネーで幸福は買えない。
しかしマネーがないと、人は、不幸になる。
それはわかる。
が、その一方で、マネーに毒されると、人生そのものを棒に振る。
仮に金持ちのまま終わったとしても、だ。
一度、勇気を出して、自分の心の中をのぞいてみるとよい。
+++++++++++++++++
以前書いた原稿を、1作、掲載します。
日付は、06年4月になっています。
ちょうど2年前に書いた原稿ということになります。
+++++++++++++++++
【金銭的価値観】
●損の哲学
++++++++++++++++++
私の大嫌いなテレビ番組に、
「○○お宝XX鑑定団」というのがある。
私は、あれほど、人間の心をもてあそび、
そしてゆがめる番組はないと思う。
が、この日本では、その番組が、
人気番組になっている。
つまり、日本人の、そして人間の心は、
そこまで、狂っている!
+++++++++++++++++++
●失った鑑賞能力
ものの価値を、金銭的尺度でしかみないというのは、人間にとって、たいへん悲しむべ
きことである。ものならまだしも、それが芸術的作品や、さらには人間の心にまでおよん
だら、さらに悲しむべきことである。
テレビの人気番組の中に、「○○お宝XX鑑定団」というのがある。いろいろな人たちが、
それぞれの家庭に眠る「お宝?」なるものを持ちだし、その金銭的価値を判断するという
番組である。
ご存知の方が多いと思うが、その「もの」は、実に多岐にわたる。芸術家による芸術作
品から、著名人の遺品まで。はては骨董品から、手紙、おもちゃまで。まさに何でもござ
れ! が、私には、苦い経験がある。
私は子どものころから絵が好きだった。高校生になるころまで、絵を描くのが得意だっ
た。そのころまでは、賞という賞を、ひとり占めにしていた。だからというわけでもない
が、おとなになると、つまり金銭的な余裕ができると、いろいろな絵画を買い集めるよう
になった。それはある意味で、私にとっては、自然な成り行きだった。
最初は、シャガール(フランスの画家)から始まった。つぎにビュフェ、そしてミロ、
カトラン、ピカソ……とつづいた。
が、そのうち、自分が、絵画の価値を、金銭的な尺度でしか見ていないのに気がついた。
このリトグラフは、XX万円。サインがあるからYY万円。そして高価な絵画(リトグラ
フ)ほど、よい絵であり、価値があると思いこむようになった。
しかしこれはとんでもないまちがいだった。
だいたいそういった値段といったものは、間に入る画商やプロモーターの手腕によって
決まる。中身ではない。で、さらにそのうち、日本では有名でも、現地のフランスでは、
ほとんど知られていない画家もいることがわかった。つまり、日本でいう絵画の価値は、
この日本でのみ通用する、作られた価値であることを知った。
つまり画商たちは、フランスでそこそこの絵を描く画家の絵を買い集め、それを日本で、
うまく宣伝に乗せて、高く売る。「フランスで有名な画家だ」「○○賞をとった画家だ」と
か、何とか宣伝して、高く売る。そういうことが、この世界では、当時も、そして今も、
ごく当たり前のようになされている。
が、同時にバブル経済がはじけ、私は、大損をするハメに!
そういううらみがある。そのうらみは、大きい。
その絵画の価値は、その人自身の感性が決めること。しかし一度、毒気にさらされた心
というのは、そうは簡単に、もどらない。私は今でも、ふと油断をすると、絵画の価値を、
値段を見て決めてしまう。さらに反対に、内心では、「すばらしい」と思っても、その値段
が安かったりすると、その絵画から目をそらしてしまう。
私は、こうして絵画に対する、鑑賞能力を失ってしまった。
●損をすることの重要さ
お金がなければ、人は、不幸になる。貧困になると、心がゆがむこともある。しかしお
金では、決して、幸福は買えない。豊かな心は、買えない。
それにいくらがんばっても、人生には、限りがある。限界がある。終着点がある。
そういう限界状況の中で、私たちが、いかに幸福に、かつ心豊かに生きるかということ
は、それ自体が、人生、最大の命題といってもよい。
そのお金だが、お金というのは、損をして、はじめて、お金のもつ無価値性がわかる。
もちろん損をした直後というのは、それなりに腹立たしい気分になる。しかし損に損を重
ねていくと、やがて、お金では、幸福は買えないということを、実感として理解できるよ
うになる。ときに、その人の心を豊かにする。よい例が、ボランティア活動である。
損か得かという判断をするなら、あのボランティア活動ほど、損なものはない。しかし
そのボランティア活動をつづけることで、自分の心の中に豊かさが生まれる。
反対に、損をしない人たちを見ればよい。いつも金銭的価値に左右され、「お金……」「お
金……」と生きている人たちである。
そういう人たちは、どこかギスギスしている。どこか浅い。どこかつまらない。
●お金に毒された社会
話をもとに戻すが、では(豊かさ)と何かというと、それが今、わかりにくくなってし
まっている。とくに戦後の高度成長期に入って、それがさらにわかりにくくなってしまっ
た。
その第一の原因は、言うまでもなく、(お金)にある。つまり人間は、とくに日本人は、
ものにおよばず、心の価値まで、金銭的尺度で判断するようになってしまった。そしてそ
の幸福感も、相対的なもので、「隣人より、よい生活をしているから幸福」「隣人より、小
さな車に乗っているから、貧乏」というような考え方を、日常的に、ごくふつうにするよ
うになってしまった。
それはちょうど、高価な絵画を見ながら、「これはすごい絵だ」と思うのに、似ている。
反対に、安い絵画を見ながら、「これはつまらない絵だ」と思うのに、似ている。人がもつ
幸福感まで、金銭的な尺度で判断してしまう。
そのひとつの現れが、あのテレビ番組である。もちろんそのテレビ番組に責任があるわ
けではない。が、それを支える人たち、イコール、視聴者がいるから、それは人気番組と
なる。
が、相乗効果というのも否定できない。日本人がもつ貪欲さというものが、テレビ番組
によって、さらに相乗的に倍化するということも、ありえなことではない。つまりこうし
て日本人の心は、ますます毒されていく。
司会者「では、ハウ・マッチ?」
電光板xxxxxxx
司会者「340万円!」と。
ああいう番組を、何ら疑問ももたないまま、毎週、見つづけていたら、その人の心はど
うなるか? それをほんの少しでも想像してみればよい。つまり、それが私が、あのテレ
ビ番組が嫌いな理由でもある。
今のように、この日本で、貨幣が流通するようになったのは、江戸時代の中期ごろと言
われている。が、それは実に素朴な貨幣経済社会だったと言える。戦後のことだが、その
ときでさえも、田舎へ行くと、まだ、盆暮れ払いというのが、ごくふつうに行われていた。
それが今のような、お金万能主義というか、絶対主義の日本になってしまった。そして
何ら恥じることなく、ああした番組が、堂々と、この日本で大手を振って歩くようになっ
てしまった。意識というのはそういうものかもしれないが、全体が毒され、自分が毒され
ると、自分がもっている意識がどのようなものであるかさえわからなくなってしまう。そ
して本来、価値のないものを価値あるものと思いこみ、価値のないものを、価値あるもの
と思いこむ。そして結局は、自分の感性のみならず、限られた人生そのものを、無駄にす
る。
だから、とてもおかしなことだが、本当におかしなことだが、この日本では、そしてこ
の世界では、損をすることによって、人は、人間は、心豊かな人間になることができる。
損をする人は、幸いなるかな、である。
(はやし浩司 損の哲学 ボランティア精神)
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 金権教 金万能主義 カル
ト)
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●よき日、3月22日(土曜日)(Spring has come!)
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今日は、三男とワイフと3人で、
ペンダント作りに挑戦してみた。
舘山寺の温泉街の一角に、それを
体験させてくれる店がある。
そこへ行った。
三男が作るのを見ながら、私は、
ワイフのために、1個作った。
午後からは、家に帰り、長男と、
ビデオ談義。
長男の制作したビデオを見ながら、
ああでもない、こうでもない、と。
夕食は、お好み焼き。それに三男が
料理した、スパゲッティ。
みんなで食べた。
おいしかった。
楽しかった。
久々に、家族の温もりを感じた。
ところで二男夫婦が、今度、
インディアナ州のインディアナポリスへ
引っ越すことになった。
スーパーマンの本拠地は、
インディアナポリス(市)。
関係ないかな?
それとも関係あるのかな?
あとで調べてみる。
インディアナ州へ引っ越すのは、
嫁のデニーズのインディアナ大学への
入学が決まったため。
二男は、しばらく(主夫業)をする
かもしれないという。
妻は大学通い。夫は、子育て。
だから主夫業!
私はそれに賛成した。
「お金は(=生活費は)?」と聞くと、
貯金で何とか、まかなえるとのこと。
ここはLAW SCHOOLへの入学が
決まった、デニーズの勉学が最優先。
とにかくすごいことを、デニーズは、
してくれた!
いつか二男は、デニーズの法律事務所で、
事務員として働くようになるかもしれない。
仕事は、夫婦で力を合わせてするのが、
一番よい。
ふと頭のどこかで、そんなことを考えた。
息子たちよ、嫁と、そして孫たちよ、
いつも私とワイフに、夢をくれてありがとう。
励ましてくれて、ありがとう。
(このところ、何かと落ちこむことが多くて、ね。)
二男は、明日、一度、成田に戻り、
4月7日に、カルフォニア州のNAPAに
転勤することになっている。
しばらく会えないが、しかたない。
……どこか私まで、心がウキウキしてくる。
ああ、もうすぐ春ですねエ〜〜。
もう春かな?
(追記)
インディアナポリス市(Indianapolis)について、市のHPには、
つぎのようにある。
「アメリカのどの州よりもハイウェーが集中して交差していることから、
『アメリカの十字路(Crossroads of America)』と呼ばれている。
インディアナ州の州都が、インディアナポリス。
世界的に有名なスピード・イベント、『インディー500』で
よく知られているこの街は、プロ&アマチュアスポーツキャピタルと
言っても過言ではないほど。バスケットボール(NBA)のペイサーズや
アメリカンフットボール(NFL)のコルツ等、手に汗にぎるスポーツ
観戦を満喫できます。また、近代的な都市インディアナポリスから
少々車を走らせると、そこはもう別世界。コーン畑や大豆畑が一面に
広がります」と。
やはりスーパーマンの本拠地だった!
こんど「スーパーマン」の映画を、もう一度、見てみよう。
++++++++++++++++++
●Deniseからのメール
●Supermanについて
From this article, it seems that in the comic book series, Smallville,
USA was originally not listed as being in any state, but the Superman
movies and television shows place it in Kansas. I think Indiana and
Kansas are very similar, so one show or movie might have placed it in
Indiana.
この原稿(ウィキペディア百科事典)によると、(スーパーマンの故郷の)
Smallvilleは、どの州にもないようです。
しかしスーパーマンの映画やテレビの中では、それがカンザス州にあることに
なっています。インディアナもカンザスもたいへんよく似ています。それで
映画の中では、その町を、インディアナ州に置いたのではないでしょうか。
+++++++++++++++++
●そして日曜日(3月23日)(Sunday, March 23rd)
Eiichi has gone back to Narita and he is to leave Japan for Napa, Calif. This coming
April to have intense training of flight. We saw him off at the near-by station.
三男が、中部国際空港から、成田へ帰った。
ワイフと2人で、近くの駅で見送った。
少し、さみしかった。
つぎに会えるのは、今年の終わり。
「サンフランシスコへ来たら、飛行機に乗せて
あげるよ」と言ってくれた。
三男は、事業者用航空免許をもっている。
アメリカでも、そのまま使えるという。
一度、家に帰ってから、センターの母を見舞う。
今は、個室で、小康状態を保っている。
私たちは、その足で、そのまま山荘へ。
春の匂いが、若葉の上を漂っていた。
「モクレンの匂いだ」と言うと、
ワイフが花の中に、顔を入れた。
「いい匂いね」
「いい匂いだね」と。
昼ご飯を食べて、音楽を聴く。
レモンとキンカンを収穫する。
椅子に寝そべる。また音楽を聴く。
ちょうどそのとき、薄曇りの空を、一機の大型飛行機が、
通過した。
まっすぐな飛行機雲を、うしろに、たなびかせていた。
飛行機雲は、ほぼ真西から真東に延びていた。
その先端に、白い機影。
時計を見ると、午後2時15分。
三男は、午後2時発の飛行機に乗ったはず。
「あの飛行機、Eが乗っているよ」
「そうね」と。
私は窓際に立って、手を振った。
「Eよ、元気でナ……」と言いかけたが、
最後のところで、のどがつまって、声にならなかった。
しばらく私は、空を見あげていた。
ワイフが、「今日はパソコンショップへ寄らないの?」と。
「今日は、いい」と、私は答えた。
ところで、二男の転居先が決まった。
今度は、ブルーミングトンという町らしい。
ウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。
「Bloomington is a city in south central Indiana.
Located about 50 miles southwest of Indianapolis,
it is the seat of Monroe County.」
(ブルーミングトンは、インディアナ中央南部の町。
インディアナポリスから。南西に50マイルに位置する。
それはモンロー郡の行政所在地である。)
日本にいる私から見ると、アーカンソー州も、インディアナ州も、
隣り町のようなもの。
インディアナポリスから50マイル(約80キロ)といっても、
向こうの人たちにとっては、ショッピング範囲。
それはわかるが、デニーズは、毎日、その距離を、
大学まで通うことになる。
「だいじょうぶかな?」と、今ふと、そう思った。
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