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インターネットを拠点に「自由な言論」を求め、ニッポン社会における「公共性」の可能性と限界を考える極私的メールマガジン。




【PUBLICITY】1751:みくらべる〜「両親の謝罪」を映すテレビ各局

発行日: 2008/6/12

 
 
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ああ、ああ、何と不幸なお人か!
いや、とても正視するには堪えられぬ、
尋ねたいこと、知りたいことは幾らもあり、
お姿を飽きるほど見ておきたいとは思うのだが、
その目が私をぞっとさせる!

ソポクレス『オイディプス王』p92
福田恒存訳/新潮文庫
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■■メールマガジン「PUBLICITY」No.1751 2008/06/12木■■


▼たしかに、「飽きるほど見ておきたいとは思う」んですよ。
特に不幸な人の姿はね。人間って、そういう生きものでしょ。

6月10日夜の各局看板ニュース番組で、両親の謝罪の映像が
使われたが、這い蹲る母親を映したのはフジと日テレの2局。

NHKの「ニュースウォッチ9」は映さず。
TBSの「ニュース23」は映さず。
フジテレビの「ニュースJAPAN」は数秒間映した。
テレビ朝日の「報道ステーション」はぼかして使っていた。
日テレの「NEWS ZERO」がほとんど垂れ流し状態で、
他局と比較にならない酷さが際立っていた。

という簡単な比較を15分くらいでできちゃうソニーのXビデ
オステーションはやっぱり便利。

NHKとTBSは見識がある。テレ朝はあんなにぼかしたんじ
ゃ使う意味がわからん。フジと日テレがひどいわけだが、「N
EWS ZERO」の酷さに比べたら、フジは随分とマシだ。

でも、「NEWS ZERO」って視聴率がいいんですってね。

▼11日付の新聞は、毎日朝日讀賣産経日経東京の6紙すべて
が写真を使わず。どこかのスポーツ紙が使っていた。前号で取
り上げた産経は、紙媒体では使わずサイトでは使ったわけだ。
その判断基準が知りたいところだが、産経のサイトの、あの題
字の下に掲載し続けた判断は狂ってたと思うね。

記事で情景を描写すれば、それで充分ですよ。しかし、テレビ
の場合は、そうはいかない。「人間が這い蹲る映像なんて、そ
んなに観れるもんじゃないし、せっかくそういう貴重な映像を
撮ったんだから、使いたくなる気持ちもわかる」という意見が
あり、ぼくも同感だが、だからといって、やっぱり使っちゃい
けねえですよ。

え、なぜ使っちゃいけねえのかって? なぜだろう?使っちゃ
いけないと感じる、それは無惨だと感じるんですよ。まあ、根
拠薄弱ですね。なんで使ったのか、日テレちんに聞いてみたい。


▼ちょっと思ったことのメモ。

▼犯人の残したと思われる書き込みを読んでいて思うのは、子
どもが、自分の持っている「全能感」が壊され、キレる、あの
感じである。もっとヒリヒリした、緩衝材のない感じ。衝迫感。

実際に子どもがキレたときは、まさにそのときが大事で、キレ
たときの周りとの関係で、だんだんといろんなことを学んでい
く。ここがうまくいかないと、後々までうまくいかない。

だから子どもには親にあたる存在が重要で、批判の矛先が両親
に向かうのも理解できるが、実際はまだわからないし、これか
らもわからないかも知れない。

もしも親の責任が重大だったとしても、犯人は25歳ですよ。
やっぱ親は関係ねえだろうよ。それに、それだけで話を終わら
せるのは、一瞬の安心には繋がっても、それだけで終わるだろ
う。

個人のみの責任、その家族のみの責任にしてしまうと、その個
人、その一家がこれまで様々なかたちで関わっていたはずの、
「この社会」の意味が失われるのではないか。

「誰でもよかった」という言葉が、やっぱり気になる。
「誰でもよかった」と言う通り魔事件が、続いている。
「誰でもよかった」って、そりゃねえだろ、と、思いません?
でも、「誰でもよかった」って気分、けっこう普遍的だよね?

いや、社会の意味はもう随分と失われているのかも知れない。
「どこにでもある」スーパーや「どこにでもある」コンビニや
「どこにでもある」ファミレスや「どこにでもある」派遣の仕
事にありつければ、社会性とか意識せずに、他人と没交渉で、
とりあえず生きていけますからね。便利ですよ。

ということで、この社会の秩序を維持するためには、もはやそ
うやって浮遊している個人の責任のみを糾弾して、彼等と社会
との関係を問わずに終わるべきなのだとすると、それはそれで
厄介で、ぼくたちが「この社会」で生きている理由そのものが
かなり稀薄になっている、社会の意味がなくなっている、とい
う事実を認めることになる。ような気がする。

そうじゃない方向が、あると思うんだけどなあ。


▼さらに思ったことのメモ。

▼新宿の一隅に小さな店を構えている或る老師に、秋葉原での
事件は、殺す相手は「誰でもよかった」という犯人の一言がキ
ーワードだと思う、これはこの事件に限ったことではなく、い
まの社会が抱えている問題ではないのか、ということを話した。

その老師は、徐(おもむろ)に立ち上がり、棚から一冊の本を
取り出して、静かに渡してくれた。「お前の言う『誰でもよか
った』という言葉を聞いて、この詩が思い浮かんだよ」


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
田辺利宏「泥濘」

寒い泥濘である。
泥濘は果てしない広野を伸び
丘をのぼり林を抜け
それは俺たちの暗愁のように長い。
それは俺達の靴を吸い
蛇のように疲労をからませる。
すべりころび泥まみれになり
汚れた手で鼻汁をすすりながらも
見よ、兵隊は獣のように
野から丘、丘から丘へつづいている。

黄昏れてゆく初冬の中を
苦悩に充ちた行列が
黙々として前進する。
敵を求めて
未知の地図の上を進んでゆく。
愛と美しいものに見離されて
ただひたすらに地の果てに向かい
大行軍は泥濘の中に消える。
ながい悪夢のような大行列は
誰からも忘れられて夜の中に消えるのだ。

真壁仁編『詩の中にめざめる日本』p148−9
岩波新書/1966年10月20日第1刷
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


▼昭和16年=1941年、26歳で中国の華中という場所で
戦死した男の詩である。「愛と美しいものに見離されて」とい
う一行に、赤線が引いてあった。

この詩のなかで、この一行だけに、わずかな光が宿っている。
愛と美しいものに見離された人は、その人が何処にいようと、
其処が寒い泥濘となる。

もしかしたら、「愛」だとか、「美しいもの」だとかを、あの
犯人は、感じる力が少なかったのかも知れない。愛だとか美し
いものだとかに見離されたと感じたら(ほんとに見離されたか
どうかという事実は関係ない)、人はだんだんと「誰でもいい
」存在になっていくものですからねえ。

彼の眼には、レンタカーを借りて東京に向かうアスファルトや
秋葉原の歩行者天国が、ただ寒い泥濘のように映ったのかも知
れない。あまりに単純すぎて、説明の体をなさないけれども。

あの犯罪は理解できないが、彼が辿った泥濘は、見えるような
気がする。というより、泥濘を辿り、この眼で見る以外に、あ
の犯罪の社会的意味を考える道はないだろうね。


freespeech21@yahoo.co.jp
http://www.emaga.com/info/7777.html
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