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週刊マガジン・ワンダーランド(Weekly Magazine Wonderland)
2007年10月17日発行 第64号 毎週水曜日発行
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【目次】
◆THE SHAMPOO HAT「その夜の侍」
現代の不幸に敏感な作家が描く不幸と成長
高木 登(脚本家)
◆流山児★事務所「オッペケペ」
批判を繰り返しながら先に進む 日本の特殊な演劇の「近代」
村井華代(西洋演劇理論研究)
▼次号予告(第65号, 2007年10月24日発行)
小指値「【get】an apple on westside」「R時のはなし」(伊藤亜紗)
劇団サーカス劇場「隕石」(芦沢みどり)ほか。
■web wonderland から===================== http://www.wonderlands.jp/
◇遊園地再生事業団「ニュータウン入口」<クロスレビュー> [特別寄稿]
◇MIKUNI YANAIHARA PROJECT「青ノ鳥」[特別寄稿]
◎世界のノイズ化とアンコントロール いまのリアルを舞台に上げる
中西理(演劇コラムニスト)
◇サンプル「カロリーの消費」[特別寄稿]
◎消化されるのを拒む他者性という困難
中村昇司(編集者)
◇青年団リンク RoMT「the real thing」[特別寄稿]
◎説得力ある人物造形に成功 洗煉された舞台表現のセンス
片山幹生(早稲田大学非常勤講師)
◇X-QUEST「金と銀の鬼」[特別寄稿]
◎役者の肉体とパワフルな台詞で物語を生きる
葛西李奈(フリーライター)
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◆THE SHAMPOO HAT「その夜の侍」
現代の不幸に敏感な作家が描く不幸と成長
高木 登(脚本家)
初見は第十一回公演『蠅男』(2001年10月)である。チラシが素敵だったの
と、遊園地再生事業団の制作者だった永井有子が同ユニット活動休止中に制作
をしていると聞いた劇団だったので、これはまちがいなかろうとスズナリに足
を運んだのだ。結果は当たりで、正気と紙一重の狂気、現実と紙一重の虚無を
シニックな笑いで包んだ傑作だった。虚無の深淵を垣間見せることのできる才
能は少ない。それはたとえば作家でいうと深沢七郎とか色川武大らのことであ
り、才能というよりはむしろその実存に拠るところが大きい。赤堀雅秋はその
種のひとなのだった。
以来赤堀とこの劇団のファンになったが、『蠅男』を超える作品にはなかな
か出会えなかった。それがついに果たされたのが昨年の『恋の片道切符』であ
る。わたしはこのときの印象をかつて「成熟」と表現した。いままでの自作を
相対化するまなざし、冷めた世界を冷めた目で見つめる「熱」を感じたからで
ある。リアル指向の演劇が増え、近年の作り手も観客も、自身の現実感覚を過
信し、「自分が知っている現実以外にも現実はある」という想像力が鈍麻して
いるように思える。そのなかにあって赤堀の表現は頭ひとつ抜きん出たように
見えた。その後岸田賞候補となった『津田沼』、フジテレビとジャニーズ事務
所による商業公演『殺人者』を経ての新作が本作『その夜の侍』である。驚か
された。この一連の流れのなかで予感はあった。しかし表現がここまで変化し、
ここまでの深化を遂げるとは思っていなかった。
まずセットが変わった。福田暢秀による舞台美術は、それまではリアリズム
が基調であったのに対し、具象を離れた抽象的なものになっている。舞台の中
心には象徴的なグレーの十字。そのまわりをデスクやPCや長椅子やテーブル
が囲んでおり、場面の転換ごとに舞台上はさまざまな場所に変貌を遂げる。そ
れはつまり赤堀の戯曲のスタイルも変わったことを意味する。
次に、ほとんどの公演に於いて脇でコメディリリーフに徹してきた赤堀が、
ここでは堂々と主演を張っている。さらにここではその赤堀自身が演じる男・
中村の「成長」が描かれている。これはいままでになかったことだ。赤堀の作
品では人々は決して成長せず、世界はまるで変わらない諦念に満ちたものだっ
たのだから。
赤堀の演じる役のイメージは、作品のちがいを越えてしばしば連続する。た
とえば制服警官の役が何作かつづいたりするわけである。今回も赤堀が登場す
るファーストシーンで、赤堀はトランクス一丁にブラジャーという異常な格好
をしており、これは前作『津田沼』で、なぜかシャツの下にブラジャーを着け
ているマンション管理人の役と当然重なる。けれどその意味合いはまったく異
なることにすぐに気づかされることになる。赤堀演じる中村は、ひき逃げ事件
で三年前に妻を亡くしており、以来妻を忘れられず、その遺した服を着、彼女
が最期に残した留守電を消せずに延々再生をくりかえしているという悲惨な生
活を送っている男なのだ。これは笑えないし、赤堀は最後までみずからの役で
観客を笑わそうとはしない。このただならぬ真剣さに、こちらも思わず衿を正
させられることになる。
もう一方の主人公は野中隆光演じる木島である。木島こそが中村の妻をひき
逃げした犯人であり、それがために二年間服役した後、現在はタクシー運転手
の講習中である。しかしその人格は変わらず、自分に関わった人間たちの尊厳
を踏みにじり、横暴のかぎりを尽くして生きている。そんな木島に「×月×日
お前を殺して俺も死ぬ」という無記名の脅迫状が連日執拗に送られてくるよ
うになる。×月×日は木島が中村の妻を轢いた日だ。それはもう数日後に迫っ
ている。周囲の人間たちは脅迫状を送っているのが中村と察し、中村の凶行を
とめようと必死に画策することになる。
わたしの見たかぎりの公演に於いて、作品や役名はちがえど、野中隆光は一
貫して同一人格を演じつづけている。それは常に作品の悪意の中心である。そ
うした悪意はアプリオリに作中に存在しており、おそらくは赤堀の胸中に空い
た虚無の深淵から発するものである。作中人物たちはそれを当然のように受け
流すか、甘んじて受け入れるしかなく、野中演じる悪意の塊は誰に断罪される
わけでもなく、ただ存在しつづける。だが今回は、卑屈になる者、適応しよう
とする者、抵抗する者、対決しようとする者など、さまざまな立場の人間から
悪意が立体化され、木島の存在が客観視される。「ただ存在しているだけ」だっ
た者が批評されるのだ。それはクライマックスの中村と木島の対決で頂点を迎
える。
中村は用意した包丁を投げ捨て、木島とひとしきり殴り合った後、一冊の手
帳を取り出し、それを読み上げる。そこにはここ一ヶ月間、木島が食べた食事
のリストが延々と書かれている。連日くりかえされるおなじメニューのコンビ
ニ弁当とファストフード。中村は「これが君のすべてだ」「君は生きてるよ、
ただなんとなく生きてるよ!」と木島を断罪する。木島のぞっとするほどの孤
独と精神の荒廃が具体的にあきらかになる瞬間である。そして中村は「君はは
じめからこの物語に関係なかった!」と叫ぶのだ。
たしかに、死んだ妻を忘れられず自分から妻を奪った人間に復讐を誓う男、
というキャラクターはいままで赤堀の作品には登場しなかった。そうしたキャ
ラクターがはじめて登場し、それをほかならぬ赤堀自身が演じ、自身が執拗に
描いてきた悪意の象徴に向かって放つこのメタフィクショナルなセリフは、虚
構を越えてわれわれの胸に突き刺さる。中村のような男は現実に存在し、木島
のような男も現実に存在する。誰が悪いわけでもなく、それぞれの人生が交錯
してしまったことが不幸であっただけなのだ。ラスト、中村は木島を殺さず、
自殺も思いとどまり、三年間消せずにいた亡き妻の最後の留守電を消去する。
それは殺人もせず、自殺もせず、世界はなにも変わらないがそれでも生きてい
くという決意のあらわれであり、そうした人生を受け入れた中村の成長の証で
ある。
価値観も思想もバラバラな「他者」だらけの成熟社会を生きるわれわれにとっ
て、ここに描かれている不幸はわれわれにとっての不幸であり、成長はわれわ
れにとっての成長である。赤堀は自身の連綿とした創作活動のなかから、つい
に現実と同等の体験をわれわれに提示してみせた。『その夜の侍』は現代の不
幸に敏感な作家が結実してみせた、現代の不幸を描いた傑作である。(文中敬
称略)
【筆者略歴】
高木 登(たかぎ・のぼる)
1968年7月、東京生まれ。放送大学卒。脚本家。テレビアニメ「TEXHNOLYZE」
「恋風」「地獄少女」「バッカーノ!」などを手掛ける。劇団「机上風景」座
付き作家として「複雑な愛の記録」「グランデリニア」などを発表、「幻戯
(げんぎ)」を作・演出。2007年6月退団。
・wonderland寄稿一覧:
http://www.wonderlands.jp/index.php?catid=3&subcatid=18
【上演記録】
THE SHAMPOO HAT第21回公演「その夜の侍」
http://www33.ocn.ne.jp/~shampoohat/
下北沢 ザ・スズナリ(2007年9月29日-10月8日)
作・演出=赤堀雅秋
出演:
野中隆光
日比大介
児玉貴志
多門勝
黒田大輔
滝沢恵
吉牟田眞奈
梨木智香
赤堀雅秋
作・演出:赤堀雅秋
舞台監督:高橋大輔+至福団
照明:杉本公亮
音響:田上篤志(atSound)
舞台美術:福田暢秀
舞台製作:F.A.T STUDIO
照明操作:高円敦美
宣伝美術:斉藤いづみ
舞台写真:有賀傑
web制作:野澤智久
演出助手:武田有史
制作助手:岩堀美紀 谷慎 河野美有紀
制作:HOT LIPS 武田亜樹
制作協力:西田圭吾
統括:野中隆光
企画製作:HOT LIPS
【入場料】
指定席:前売¥3500 当日¥3700
自由席:前売¥3200 当日¥3400
平日マチネ(10/4 15時の回)指定席 前売¥3200 当日¥3400 自由席
前売¥3000 当日¥3200
【関連情報】
・[評]「報復」の意味を問う(2007年10月3日 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/stage/theater/20071003et06.htm
・演劇◎定点カメラ THE SHAMPOO HAT
http://homepage1.nifty.com/mneko/play/SA/the-shampoo-hat.htm
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◆流山児★事務所「オッペケペ」
「近代」批判を繰り返して先に進む 新劇再考上演
村井華代(西洋演劇理論研究)
流山児★事務所を特に追いかけているわけではない。が、批評を求められて
も何も出てこない再生産性ゼロの舞台も少なくない中、流山児★事務所の作品
は上演自体が興味深く、こういう次第の作品を流山児がやる、と聞くと「見た
い」と思うことが多い。「流山児★ザ新劇」と銘打たれた今回の作品もそんな
調子で見に行った。
「芝居」と言われれば「新劇」を指すのが当たり前、と何となく思っていた
が、雑誌『新劇』が『しんげき』になった挙句に廃刊してもう15年。いつの間
にやら時代は移り、そんな雑誌のことは勿論、「新劇」という言葉すら聞いた
ことがない世代がかなり増えていた。今更新劇でもないという人もあろうが、
娯楽だけなら手のひらサイズの機器で間に合う現在、古典芸能でもないシバイ
に金と時間を費やす文化基盤が生きているのは存外すごいと言わねばならない
ような状態になってきたのは事実なのだ。この先どうしたいのかと考えるため
にも、日本の演劇が何をやってきたのか大真面目に考える必要はある。そうい
う意味で、流山児による新劇再考上演は面白い。
今回上演したのは、福田善之の1963年の作『オッペケペ』。
別役実の1984年初刊のエッセイに曰く、「今はもうだれも知らないと思うの
で言うのだが、それまでの「新劇」というのはおおむね、うんざりするほど真
面目で、気が滅入ってくるほど重厚で、しかも、こちらの身の置きどころもな
いほど倫理的であるのが常であった。」(『台詞の風景』白水社) 「それま
での」というのは、1960年代、福田善之の『真田風雲録』が登場して、「わッ
わッわッ ずんぱぱッ」という無茶な劇中歌で「圧倒的な解放感を」新劇にも
たらす頃までの、ということだ。要するに福田は60年代(傾きかかった)新劇
のニューウェーブとして位置づけられているわけだが、その彼が伝統演劇のニュー
タイプ観世榮夫の演出により劇団新人会で初演したのが、テレビドラマ版
(1960)を経て『真田』の翌年に書かれた戯曲版『オッペケペ』。新劇の草創
についての批判でもあるし、新劇のみならず演劇に携わる者が永遠に歩み続け
る迷宮を描いたものでもあるし、安保闘争の反映でもあるし、男女を結びつけ
るものについての考察でもあるし、実に様々な視点からの読みを誘発する。現
在から見れば、アングラ勃興によって危機にさらされた新劇が自分で自分の足
下の見直しを迫っているようにも見える。
初演の演出家観世榮夫が流山児と共にリニューアル上演を企画し、福田自身
による戯曲の大幅改訂を経て今回の公演に至ったわけだが、それが図らずも観
世榮夫追悼公演になってしまった。残念この上ない。が、残された者は、舞台
を作る側も見る側も、観世榮夫が“今”この作品を流山児★事務所の若い俳優
たちと共に上演しようとした意図を考えなければならない。いわば新劇の「真
面目」で「重厚」で「倫理的」な部分は決してダテではなかったのであって、
それにうんざりさせられている間は、まだ演劇全体の思想に力があったのであ
る。
***
権利幸福知らない人に、自由湯をば飲ませたい
オッペケペ、オッペケペッポ、ペッポッポ
『オッペケペ』は、オッペケペ節で一世を風靡した川上音二郎をモデルに、
俳優・城山剣竜(河原崎國太郎)が自由民権を唄う壮士劇のスターから戦争の
アジテーターへと変わってゆく姿を、様々な人々の交錯の中に描いた作品であ
る。権力層との接近、人気芸者・奴(伊藤弘子)という華やかな愛人の登場、
演劇界での地位向上。城山の自由思想に共鳴して結婚し、彼を支えてきた糟糠
の妻・お芳(町田マリー)は、変わってゆく夫についてゆけない。一方、オッ
ペケペで世相の腐敗を討つ城山に惚れこみ、一座の役者に加わった青年・愛甲
辰也(里美和彦)もまた城山に失望を隠せない。似たもの同士となった愛甲と
お芳は不義の関係に陥り、愛欲に溺れかかる。そんな折、日清開戦の報が届き、
城山一座はすかさず「壮絶快絶日清戦争」の稽古に入った。清国の残虐さを強
調してウケを狙おうとする城山と一座の仲間を糾弾し、孤立した愛甲は言う。
ぼくは自信がない、ないから、みんなが賛成することに一人反対するのはい
つもこわい、こわくてしかたがない……ぼくにむしろわからんのは、なぜ君
たちがぼくをわからんのか、わかろうとせんのかってことだ!……忘れたわ
けじゃないだろう、板垣遭難実記を、経国美談を、オッペケペを! 昔の自
分といまの自分があきらかに矛盾してる、そこに気づかんわけじゃないだろ
う。
「板垣」も「経国」も、「壮絶快絶」も、川上一座が実際に上演した劇の題
である。史実とピントを合わせながら、川上=城山は応える。
客のことさ、おれが考えてるのは。客はいま、何を求めているか。これだね。
この戦争劇だよ。これは当るよ。……ながらく誰もが敵を求めていたんだ。
事実、舞台は大当たりし、客席は熱気に包まれ、一座は役者冥利の美味に酔
う。稽古中は戦争礼賛劇への苦言を述べた古参の雛丸(沖田乱)も、「役者な
んてもんは、馬鹿なもんだよ」とすっかり気をよくしている。一人、愛甲だけ
が殺気を漲らせ、舞台の上で転向者城山を刺そうとしていた。が、暗殺は失敗、
城山は舞台裏で愛甲とお芳を一つに縛り上げて腹の内を明かす。
舞台で、あせることがある……反応が来ない、おかしい……笑いでもいい、
溜息でもいい、さざなみのように寄せてくるあの熱気でもいい……なんとか、
受けたいとおもう。心の底からおれは受けたいとおもうんだ。いま受けさえ
すれば、何もいらないとおもってしまうよ……そこで、どっと来る。すると
おれは何かがっかりするのだな。[略]
どうやら……この道では、いや、このしかたではだめだのだな……ひとつひ
とつちがったはずの、おん百姓、おん商人、おん書生の心と結ばれて、そこ
にあたたかくもなくやさしくもないがしかし一筋のかたい鋼の線のような眼
にみえない絆をつくることは……(笑って)つまりおれはむなしさを積み上
げつづけているというわけだ。オッペケペの昔から、おれはそうだったとは
いえないかね。
二人に見張りをつけて舞台へ戻る城山。しかしその戦争劇の幕切れに、突如、
愛甲がオッペケペの衣装をつけて登場、即興の詞で歌い出す。
自由すてるも国のため、権利いらぬが大和魂、オッペケペッポ、ペッポッポー!
万歳歓呼に送られて、出征するのはよいけれど、あとにのこれる妻や子が、
三度の飯さえ血の涙、……
最初は観客の歓呼に迎えられた愛甲だったが、次第に劇場は「国賊!」との
罵声と怒号に包まれてゆく。取り押さえようとする座員たちともみ合う間に、
愛甲の手にした真剣が自身の胸を貫き……初演版とは異なる劇的なラストとな
る。
***
俳優が未熟で、ホンの面白さが出てこないという劇評がいくつか流山児★事
務所のHPに再掲されていた(事務所が宣伝に都合のよい批評だけ引用している
のでないことを評価したい)。確かに、城山を演じた前進座の河原崎國太郎は、
品はあるのだが声が高めで線も細く(女形なのだから仕方ないが)、男女問わ
ずモテまくる人物としては弱かったし、城山に従う大勢の座員たちは台詞をた
だ強く発するばかりで単調になりがちだった。伊藤博文をモデルとした鎌田剛
道が丹波哲郎のマネで通すのも苦しい。ただ、こうしたことの責任を演出や俳
優にかぶせて批評が終わるのは余りにも残念。繰り返して書くが、観世榮夫が
わざわざこの若い俳優たちでこの作品を今、再び上演しようとした意図を考え
なければならないのである。例えば、鎌田が城山に明治演劇改良会の話をする
場面。
以前末松謙澄らが井上(馨)や渋沢(栄一)、福地(源一郎)などを発起人
にひきこんで演劇改良会という−たしかわしも賛成人の一人にさせられたが
ね、まあ西洋並みに演劇を上流人士の観賞に耐え飢るものにしようというこ
とだったが、[略]こうしたことは上からやいのやいのと、音頭とりばかり
あせってはえてして失敗に終る。演劇の改良は、あんがいきみからはじまる
のかもしれんな。
史実としては、伊藤の娘婿であった末松の国家プロジェクト演劇改良会は、
御前歌舞伎開催を唯一の功績として消えてしまう。皮肉なことに、立派な新劇
場の建築や、劇作家の地位向上といった改良会の頓挫した理想は、現在では国
家ではなく商業の力で進められているわけだが、いずれにせよ近代的「文化創
造」を成功させるのは、自由な表現を欲する心よりも経済的・政治的意図であ
る。その正体のわからぬ動きの中で這いずり回っている自分の、正体のわから
ぬ成功を、城山は愛甲にこう描写する。
おれはやはり永遠のもの、たしかなものがほしいんだよ。それをこの手につ
かみたいんだよ。[略]誤解してほしくないが、だからこそおれは、永遠に
たしかなものが絶対にないことを知っているんだ。そのことをしりつくす必
要が、われも人もあると思っているんだ。安直に、これこそたしかな頼りに
なるものだとさわぎ立ててはそれがそうでないことがわかるとケロリと忘れ
てまたつぎのものを、そういう忘れっぽさが我慢ならない。ならないからこ
そ、その忘れっぽさのなかで、何かをやはりして行かなければならぬと思う……
(いらいらと)そこでおれのえらんだこの道というやつ、たいしたものでは
ない、しかし始めたら途中でやめるわけにはいかん。道にゃそれぞれの行先
がある……どうせだれかがやる戦争劇を一足お先にしかも十分の用意をもっ
て打って、歌舞伎座に首尾よく乗り込むことになったようだ。その先は日本
の芝居といえば新演劇、その開祖はほかならぬおれ、ということになるだろ
うな。
史実の川上が提唱したのは「正劇」で、新劇の開祖は坪内逍遥や小山内薫、
土方与志というインテリジェンスであるというのが定説だが、歴史は読み方次
第である。川上=城山のような上昇志向の「裏切り者」に「新演劇」、即ち日
本の近代演劇の開祖を自認させるところに、この戯曲が現代に持つ批判性があ
る。「ぼくは、自分で一番いやだとおもう人間にどんどんなってゆく。それが
よくわかるのさ。前はどうしてもそれが自分で許せなかった。でも、いまは馴
れてしまった。これからまだまだ落ちてゆくんだ、ぼくは、きっと。」この愛
甲の台詞が、昔はそうではなかったのに、こんなふうに自分を責める誠実さえ
忘れてしまった人々の多くの声で語られたように聞こえた。
***
ヨーロッパの近代劇への批判は、反近代劇を生み出す精神的土壌となったが、
それで近代劇が用無しなったわけではなく、近代劇は依然としてヨーロッパ演
劇の挑み続ける相手でもある。だから、その近代劇と反近代劇が一緒にポンと
やってきた日本の特殊な演劇の「近代」に対する批判と将来は、ヨーロッパ以
上にややこしいことになる。しかし、批判を繰り返しながら先に進まないこと
には何もならない。「始めたら途中でやめるわけにはいかん。道にゃそれぞれ
の行先がある」ということだ。
未熟と言われた俳優についても、筆者は特に悲観しない。声優のような美形
声の里美は、体当たりの演技がとても素直で好感がもてる。毛皮族のセックス
シンボル町田は、セクシャルな表現でないところで良さが輝き出してきた(
『脳みそぐちゃぐちゃ人間』では、性的要素ゼロの彼女の表現が豊かなことに
感服)。そして字数の関係上触れられなかったが、劇のもう一本の柱である奥
中欽二(モデルは中江兆民)の塩野谷正幸は、いつもながらの渋い職人技で、
役の人物像を見事に作り上げている。奥中が愛甲に襲いかかる場は、初演戯曲
では指定されていない演出だが、社会思想による組織の中に常に潜在するホモ
セクシュアルの構造をさりげなくあぶりだしている。
(観劇:2007年9月17日@ベニサンピット)
※戯曲は『オッペケペ/袴垂れはどこだ 福田善之第二作品集』(三一書房、
1967)に拠った。
【筆者紹介】
村井華代(むらい・はなよ)
1969年生まれ。西洋演劇理論研究。国別によらず「演劇とは何か」の思想を
縦横無尽に扱う。現在、日本女子大学、共立女子大学非常勤講師。『(『現代
ドイツのパフォーミングアーツ―舞台芸術のキーパースン20人の証言』(共著、
三元社、2006)など。
・wonderland 寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/index.php?catid=3&subcatid=22
【上演記録】
観世榮夫「新劇」セレクション
『オッペケペ〜心に自由の種をまけ〜』
ベニサン・ピット(2007年9月4日-17日)
【企画】観世榮夫
【作】福田善之(作者自身による2007年改訂版)
【演出】流山児祥
【音楽】本田実
【美術】水谷雄司
【照明】沖野隆一
【音響】島猛
【映像監督】浜嶋将裕
【振付】北村真実
【殺陣】岡本隆
【宣伝美術】アマノテンガイ
【制作協力】ネルケプランニング
【制作】岡島哲也・米山恭子
【主催】流山児★事務所
【出演】
河原崎國太郎(劇団前進座)
町田マリー(毛皮族)
塩野谷正幸
さとうこうじ
保村大和
奈佐健臣(快飛行家スミス)
沖田乱
加地竜也
伊藤弘子
栗原茂
上田和弘
里美和彦
冨澤力
柏倉太郎
木暮拓矢
阪本篤
坂井香奈美
武田智弘
石井澄
諏訪創
熊谷清正
阿萬由美
寺島威志
杉野俊太郎
日下範子
【入場料】全席指定 前売り:4,800円 当日:5,000円 *学生割引:3,500円
*プレビュー割引:4,000円
★平成19年度文化庁芸術創造活動重点支援事業
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【編集日誌】
☆今号で取り上げた「オッペケペ」は未見ですが、その昔新劇が要求した禁欲
的劇場空間は苦手でした。あるときは閉鎖的に見え、あるときは押しつけがま
しいと感じたものです。絶えず距離を意識させられました。いまから思えば、
その距離は国家や権力との緊張関係から作り出されたのでしょう。再度その距
離を距離として意識する方法論が必要になることを考えると、この作品も時代
がせり上げてきたと言えるのかもしれません。
☆「その夜の侍」はぼくも見ることが出来ました。高木さんの寄稿を読むまで、
見えなかった部分がありました。読んで眼が開ける驚きをともにした人は少な
くないはずです。舞台の楽しみもあれば劇評の驚きもあるのです。
☆遊園地再生事業団公演「ニュータウン入口」のクロスレビューを11日、臨時
増刊号として発行しました。幸い好評だったようですが、初めての試みなので
手際がいまいちだったと反省しています。次回は公演前に取り上げる公演を公
表します。読者として楽しむだけでなく、自分で応募してみるのもおもしろい
のではないでしょうか。
(北嶋)
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編集長 北嶋孝
制作・発行 ノースアイランド舎 ・(有)ノースアイランド
〒202-0002 東京都西東京市ひばりが丘北4-1-9 Tel& Fax: 042-422-5219
問い合わせ wonderlands@northisland.jp
webサイト http://www.wonderlands.jp
(C) 2006-07 northisland
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