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週刊マガジン・ワンダーランド 第35-36合併号

発行日: 2007/4/4





━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ http://www.wonderlands.jp/ 
  
  週刊マガジン・ワンダーランド(Weekly Magazine Wonderland)          

  2007年4月04日発行 第35-36合併号                           毎週水曜日発行
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【目次】 
◆「浮力」(作・演出 北川 徹)
 今、欲しいのは浮く力。次に欲しいのは、
 村井華代(西洋演劇理論研究)

◆COLLOL「きみをあらいながせ〜宮澤賢治作「銀河鉄道の夜」より〜」
 主題と変奏のシフトで複数化された物語
 中村昇司(雑誌編集者)

▼次号予告(第37号,  2007年4月11日発行)
 ドルイド・シアター・カンパニー「西の国のプレイボーイ」(片山幹生)
 KUDAN PROJECT「美藝公」(鈴木麻奈美)ほか。

■web wonderland から===================== http://www.wonderlands.jp/ 

◇「The Very Best of AZUMABASHI」と「奥州安達原」に写真追加
◇イディオ・サヴァン「黒縁のアテ」(北嶋孝)
◇吾妻橋ダンスクロッシング「The Very Best of AZUMABASHI」[特別寄稿]
 アメーバ化したぞ「吾妻橋」
 木村覚(ダンス批評)
◇Port B「雲。家。」[特別寄稿]
 他者、他者、どっちを向いても−現代日本へ、Port Bのメメント・モリ
 村井華代(西洋演劇理論研究)
◇NEVER LOSE 「四人の為の独白 ver.7.0」[特別寄稿]
 辺縁を目指す孤独な精神
 矢野靖人 (shelf主宰)
◇DULL-COLORED POP「ベツレヘム精神病院」[西村博子]
◇dots「MONU/MENT(s) for Living」[特別寄稿]
 人間存在の表裏を可視的にする鮮やかな手法
 藤原央登(「現在形の批評 」主宰)
◇ク・ナウカ「奥州安達原」[特別寄稿]
  <シニフィアン=音> としての言葉で表す物語の根源
 田中綾乃(東京女子大非常勤講師)


======================================================================
◆「浮力」(作・演出 北川 徹)
 今、欲しいのは浮く力。次に欲しいのは、
 村井華代(西洋演劇理論研究)

 1999年以来、東京国際演劇祭(TIF)が続けてきた「東京以外の地域を拠点に活躍
し、地域の芸術文化活動に貢献している若手・実力派劇団を紹介する企画」(公演
パンフより)リージョナルシアター・シリーズ。これまでは複数の地方劇団の出張
公演のような形だったが、今年度は企画を一新し、「リーディング部門」と「創作
・育成プログラム部門」の二部門制となった。前者に参加した団体の中から特に選
ばれた一名の作家もしくは演出家が、後者において翌年度TIFでの舞台上演のスカ
ラシップを受けることができるという仕組みだ。俳優やスタッフは在京劇団の中か
ら召集、しかもベテラン演出家がアドバイザーとして後方支援してくれるという。
TIFは「より質の高い創造的な演劇と芸術文化環境づくりを地域で推進し、全国に
発信していくために」(同上)方針を一新したとのこと、それにしても選ばれた当人
にとっては夢のチャレンジだろう。

 その一人目の挑戦者として見出されたのが、札幌を拠点に活動している北川徹で
ある。筆者は初見だが、2003年には『うみ。やま。ひと。』(HAPP)で日本演出者協
会若手演出家コンクール審査員特別賞も受賞している。リージョナルシアターには
2001年に『遊園地、遊園地。』(TPS)で参加しており、過去の全参加団体を対象と
した今プログラムの初回に特に選出されたのだから期待の程がうかがえよう。1971
年生まれ、ロンドン・マイム・スクールに学び、演出も劇作も俳優もこなす。東京
でのサラリーマン時代もある。その彼が賭けてきた自作・自演出作品『浮力』は、
サラリーマン生活が生きてか、何がどうと言うわけでもない人々の姿が、優しい、
しかし醒めた手付きで描かれた作品だ。

                     *          *          *

 地球温暖化による水位上昇のため、宇宙に新天地を求める豊島区の人々。西巣鴨
の旧朝日小学校(現・にしすがも創造舎)ではその宇宙開発に携わる人材の面接が
担当官(稲毛礼子)によって行なわれている。公募で集まったのは4人の男たち。
妻に逃げられた生真面目な40代後半(猪熊恒和)、崩れた若者がそのまま中年にな
りかかった態の男(下総源太朗)、ソバージュ頭の団塊ジュニアといった感じの男
(多門勝)、現実的で即物的な20代(足立信彦)。椅子が一つ空いているが、そこ
に座る予定だった候補者は、理由こそ明かされないが一昨日死亡したという。4人
は、言われるままに自らの応募動機や生い立ち等について語り始め、舞台は彼らの
記憶の遡行の場となる。担当官を含めた5人が互いの人生の登場人物となりつつ人
々の人生がモンタージュで再現され、宇宙進出プロジェクトに適した人材か否かが
試されるのである。その間にもひたひたと東京の足元には水が迫り、西巣鴨を通る
三田線は浸水で運行を見合わせる。彼らの内面を、思い出の性質を裁くのは誰なの
か?それは問われも明かされもしないが、結局、担当官は、候補者全員不合格と告
げる。「浮上しようとする力がない」という理由で…。

                     *          *          *

 この舞台を構成する人々は、皆どこかで見たような、具体的な「地域」と「世代」
に属する日本人だ。各々がどこの出身であるかということは各々のエピソードの中
で明かされる(一部は朝日小学校の卒業生であって、昔は裏に何があった云々の昔
話を交わす)。だからといって地域性やルーツを盾に自分を主張しようとする人物
はいない。フツーの日本人が大概そうであるように。都道府県名を名札に付けた人
形が舞台上にたくさん並びもするが、皆のっぺらぼうである。

 逆に「世代」は、はっきりとした軋轢を示す。面接にきちんとスーツを着てくる
のは40代後半と20代の二人で、だらしないのは中間の二人。彼らははっきりとバブ
ル経済とその後を社会人として経験した世代と、その恩恵を受けて社会に出た世代、
後始末の中で育った世代を代表している。もう一つの軋轢要因は性別である。紅一
点の担当官は彼らの人生の様々な女性の役を演じるが、どの役で出てきても彼女は
ダメな男たちを自分の世界から締め出しているか、無言で許している。男たちは彼
女を幸せにすることができない。
 例えばその世代と性の軋轢の一番無残な姿をさらすのが、ローティーンの娘と二
人で暮らす40代後半の男だ。自分自身、会社で下の世代からはオヤジ扱いされるが
上司には未だに「若い人」と言われる中途半端で専門性のないサラリーマン。それ
なのに定年は7年後に見えている。あるとき娘が深夜、親友がケータイで自分を呼
んでいるから彼女の家に行くと言い出す。許可するわけにいかない父はいろいろ代
替策を提案するが、父を軽蔑する娘が聞くはずもない。互いの「今なすべきこと」
は全く異なり、争いたくはなくとも全く心を酌み合うことができない。「サイテー!」
と娘は父に世代的用語を投げつける。しかし父はこういう娘に対する強力な世代的
一言を持たない。

 いくつも描かれるこうした「ありそうな」エピソードは、やがてどれが誰の人生
なのか、本当に一人の一貫した人生の像なのかも曖昧になってくる。ただ残って行
くのは彼らの属する世代と性の間の惨めな軋轢、そしてできることなら相手に優し
くありたい、愛し愛される人間でありたいという切ない願いだ。しかしそんな抽象
的煩悶に具体的な個人的行動は伴わず、従って全員「浮上する力なし」なのだ。

                     *          *          *

 性別はともかくとして、○○世代という日本人の分類は、情報の同時発信と大い
に関係している。テレビやラジオを通じ、同じ知覚情報を、ある同時点で何者とし
て受け取ったかが日本全国に問われることになるので、北海道と沖縄でも同属意識
を持ちうるかわりに3歳違うだけの大学の後輩に異様なギャップを感じたりもする。
オトナ社会に入り、つまり自分も他人も1ピースでしかない世界に慣れれば多少の
年齢差による分類など無意味になるが、今度は「何に属することができたか」の社
会的グループ像に積極的に依存することになる。そこに立派に属することイコール
自立・存在と捉える風潮が生まれる。従って次には、その社会的グループ基盤が失
われた途端、世界から存在を拒絶されたと感じる層が続くことになる。身一つになっ
た自分が拠って立てる基盤はどこなのか。「世代」、あるいは「地方」「家族」と
いう生来の基本的グループに身を寄せるのか。

 足下の土が抉られる、そうした今日的焦燥は、劇中では水位上昇のニュースや死
亡した候補者の存在によって象徴される。尤も、ここで基本的グループを「民族」
や「国家」や「宗教」などに求められないところが日本のミソで、同じTIFによる
中東の招聘演劇シリーズにおける社会と演劇の関係に比べると、こうした日本人の
ローカルなアイデンティティ障害は随分ナイーヴに見える(そこにきてアドバイザー
が宮城聰なのは偶然か?)。が、結局のところ、こんな日本人のローカルかつナイー
ヴな問題を描けるのは日本人しかいない。日本人が描くべき課題なのである。

 『浮力』は、育成枠ながら、この課題を描いて十分評価できる作品だ。勿論、ナ
イーヴな問題をそのまま作り手のナイーヴなゴリ押しで扱われてはたまらないが、
『浮力』は、劇作家と演出家が同一ながら、上演中にはその存在がふっと消えてし
まうような手法で、現代の(20〜40歳代の)日本人のどうしようもないダメな姿を
描き出している。その手法を私は「優しい」と評する。料理で優しい味と言うのと
同じで、味がないのではなく、でしゃばらず調和して素材を美味しく感じさせてく
れる。

 昔ながらの言い方をすれば、俳優が台詞を言わされているのではなく、人物本人
としてそこにいるかの如く感じられた瞬間が何度もあった。さりげなく嬉しい。よ
くあるようで、なかなか最近では得られなくなった。アフタートークでアドバイザー
宮城聰が「劇中で人物の語るエピソードはどこまで俳優本人のものか」と北川に訊
ねていたのがよい証拠だが、実際に俳優の語る台詞が俳優本人の体験に基づくかの
ようにしみじみ聞こえた。例えば、幼い頃に祭で怪しげな見世物師に騙されて小銭
を取られたとか。愛媛の海上で母親の散骨をしたら逆風で骨の粉が船に戻ってきて、
それを係が白い箒で冷静に掃いたとか。幼少時剣道をやっていて、左利きなのに竹
刀の持ち方を右利きと同じに矯正されたとか。営業の心得としてス○バはケータイ
が使えないのでド○ール、しかもフットワークの軽いところが見せられる二階を選
ぶとか。実際には新聞や街で見聞きした話を主体に、俳優個人の情報も合わせてつ
なぎ合わせたものだという。どうでもいい話ばかりだが、俳優の身体はそうしたヨ
タ話や愚痴も愛おしく新しいものに変えてくれる。特に猪熊恒和と下総源太郎は、
等身大の人物を演じて滲むような味わいがあった。演劇の構えにもいろいろあるが、
今回は俳優に預けて吉である。

 空間の使い方も思い切りがよく、全体的に素直な力のある作品だった。苦言を呈
するなら、男性4人が等身大であるのに比べ、女性の性格付けがやや紋切り型であ
る。現実に生きるのは皆ダメ男で、女の子はその現実から一段浮いたレベルで純粋
を保ち、超越的な立場から男性を攻撃するか、そうでなければ傷ついているという
のは「世代的」な表象だ。稲毛礼子はさらりと演じて嫌味がなかったが、劇作の方
法としては手垢がつきすぎた感がある。もう一つ、チラシの作品紹介が抽象的に過
ぎて、まるで「ナイーヴな」舞台であるかのような印象を先に与えてしまっている
(TIFの公式HPに同文掲載)。実際にはそんな先入観を裏切る出来だったので、こ
れが集客に影響したとすれば残念だ。

                     *          *          *

 ともあれ、TIF「リージョナル・シアター創作・育成プログラム」第一作として
上々の成果だったのではないか。この企画のみならず、TIFの母体NPO法人アートネッ
トワーク・ジャパンが日本の演劇の公共性に注ぐ心血は並々ならぬものがある。公
共の理念を追求実践しているのが国や公共団体ではなく民間団体だというのはいか
にも日本らしいが、実際に、演劇をとりまく日本の状況が近年大きく変化してきた
と肌身で感じられるまでになってきた。メディアの浸透、ワークショップ等の地道
な積み重ねが背景にあったことは言うまでもないが、TIFは最初からに意図してこ
の状況を牽引してきた団体である。公共演劇は近代国家に自明、そう思っている西
欧諸国には想像しがたい努力のプロセスだったことだろう。「今回のフェスティバ
ルはまさに存続させることを最大のテーマとしているといえます」とディレクター
市村作知雄氏はパンフレットに書いているが、万一にも存続不能などという理由で
終わって欲しくはない。(3/10観劇)

【筆者紹介】
 村井華代(むらい・はなよ)
 1969年生まれ。西洋演劇理論研究。国別によらず「演劇とは何か」の思想を縦横
無尽に扱う。現在、日本女子大学、共立女子大学非常勤講師。『現代ドイツのパフォー
ミングアーツ』(共著、三元社、2006)など。
・wonderland 寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/index.php?catid=3&subcatid=22

【上演記録】
『浮力』
http://tif.anj.or.jp/program/furyoku.html
にしすがも創造舎特設劇場(3月9日-11日)

作・演出:北川 徹
アドバイザー:宮城聰
照明:齋藤茂男
音響:相川晶
美術:加藤ちか
舞台監督:大川裕
衣装:竹内陽子 
演出助手:柳原暁子
制作:飯田亜弓(ぷれいす)
 
出演:
猪熊恒和
下総源太朗
多門勝(THE SHAMPOO HAT)
足立信彦
稲毛礼子 

東京国際芸術祭(TIF)2007 リージョナルシアターシリーズ育成プログラム部門


======================================================================
◆COLLOL「きみをあらいながせ〜宮澤賢治作「銀河鉄道の夜」より〜」
 主題と変奏のシフトで複数化された物語
 中村昇司(雑誌編集者)

 きみをあらいながせ。
 そのタイトルを聞いて、おかしな言葉だな、と思った。主体と客体がねじれてい
るような違和感がある。きみをあらいながす、のであれば丸く収まったのだが、こ
こには「きみ」をあらいながすべき「私」(あるいは「きみ」)以外に、もうひと
り私にそれを促す私がいる。「きみ‐私1」の関係から「私1‐私2」に、途中で主
客がシフトしている。独白か、対話かも知れない、ちょうど曇った鏡に言葉を掛け
るような彼此の不確かさをもつ、あやうい言葉だ。
 分裂、ねじれ、置換。タイトルひとつでこのとおりなので、本編も、宮沢賢治作
「銀河鉄道の夜」の名を冠しているとはいえ、物語的な作品にはなっていないだろ
う、と思ってはいたが、予想以上に複雑なつくりになっていた。むつかしいなぁ、
と思った。が、安直な実験作では持ち得ない、明確なイメージと構成・構造、ほと
んどイノセンスというべき清々しい空気感と主題を持つ作品だったように思う。作
・演出の田口アヤコ氏は「宮沢賢治さんとお話しながら、つくっていった」作品だ
というので、自分もこの複雑な作品が何を語り得たか、ちゃんと向き合って考えて
みようと思う。

 宮沢賢治作「銀河鉄道の夜」より、とあるとおり、賢治の代表作のひとつ「銀河
鉄道の夜」のテクストを抜粋して用いている。原作は、数度にわたる改稿を重ねた
末に決定稿を残さないまま賢治が亡くなり、原稿の散逸もあって、こんにち刊行さ
れているものにも出版社ごとにいくらかの異同があるものだ。だが今回の台本では、
それらの異同がまるで問題にならないほど大幅な書き換え、解体、再編がなされ、
さらに原作には全くない現代の20から30代の男女による会話劇が複数挿入されてい
る。

 たとえば冒頭の「午后の授業」のくだり。
 銀河は何で出来ているでしょう、という先生の問いに答えられなかった少年ジョ
バンニを見て、答えを知っているはずの友人カムパネルラもやはり答えない。
 このシーンを、はじめに数人で演じた後、役者を追加、シャッフルして舞台の左
右にわかれて2グループで同時に再現する(舞台中央には姿見、鏡台のようにも見
えるオブジェがあり、舞台上では、しばしばその両側で表裏関係にあるような場面
が同時に行われる)。その際、はじめに先生を演じていた役者が二度目にはジョバ
ンニを演じている、といったように役と役者の関係は不定であり、また再現時には
セリフや演技に変化を加えている。とくに、帰宅したジョバンニと病床の母との会
話の場面は、劇中で計4回のバリエーションが繰り返された。この、提示と、変化
を加えての再現・再々現、といったシークエンスが作品の基本的なつくりになって
いるようだ(ただし、とくに最初の提示部が特権的な位置付けをもっているようで
はない)。

 この構成はポップアートふうの再生性の印象以上に、音楽の世界で古典的に用い
られる「主題‐変奏」のような関係を思わせる。劇中で使用されていたバロック音
楽や、オープニングに使用されたラヴェル作曲『ボレロ』の、同じメロディを異な
る楽器で延々再現し続ける音楽にも暗示され、また先に『きみをあらいながせ』と
いうタイトルに見た「ねじれ」にあるように、主体のシフトによる複数化された物
語、という作品構造をイメージさせる。

 舞台上での役者は、シーンごとにシャッフル/ディールされるように、別々の役
を演じるのであるが、これは本作では大変に効果的な演出に思えた。そこで選ばれ
た役者の組み合わせは或る任意性を感じさせ、その背後に、成立しなかったこれ以
外の多数の組み合わせを潜在的に表徴することになる。すなわち、そこである組み
合わせが舞台上に成立したとき、それ以外の可能性、というものがはじめて意識さ
れ、「複数‐多数」への飛躍を得ることになるのだ。
 この多数化が目指すのは繰り返される物語の普遍化ではなく、むしろ、これらの
再現が全て異なるvariations(複数の変奏)であるように、個々の特殊性・固有性
の総和であるはずだ。いま舞台上にいるのはほかでもない、この二人であるのだが、
これがほかの誰かである可能性もあった、という無数のパラレルな次元を想起させ
るということ。その意味で、ここでの物語のひとつひとつは、観客ひとりひとりの
個人的な実体験に肉薄できる射程を得ていたといえる。

 さらに(これは残念ながら観劇時は気付かなかったことなのだが)、役者は、場
面ごとに全く違う役割を得るため、それぞれの縦軸というか、役者レベルでのコン
テクストは、その都度リセットされてゼロに戻っているように思っていたのだが、
実際は役者レベルでの象徴的なイメージの線も存在したという。
 たとえば、出演者のひとり、八ツ田裕美は、劇中で少年や母親を演じるときも一
貫して常にもっとも「死」に近いイメージの存在として描かれる、というように。

 役者レベルでの縦軸のつながり、連続性というものが保たれながら場面ごとに役
が入れ替わり進行していく。とすると、この作品は複数の線が回転する、ちょうど
螺旋(らせん)状の構造をもっていたことになる。おもな役者は白い服の七人の男
女と黒服男の計八人なので、八重の多重螺旋を描く。

 これは、作品の構造として、すばらしく美しい組成に思える。舞台上に立ちあら
われているのは、その無数の交差のいくつかなのだ。

 しかし、上演中のひと時で、そこまでイメージさせるほどの即効性のある表現力
は働いていなかったように思える。それはイメージを見え辛くさせたものがあるか
らだろう。
 この作品にテーマを求めるとしたら、それは、愛、のようなものであろうと思う。
先述したが、本作には原作に基づくテクスト以外に、まったく独自の田口アヤコ作
の会話劇が組み込まれている。それは男女、あるいは同性による、他愛もなく、同
時に掛け替えもないような瞬間を切り取ったもので、人と人のあいだにある想いの
ようなもの、信頼や幸福、別離や死の予感を漂わせながら淡々と流れる、冷やかで
親密な空気のようなもの、そんなものが最小限の会話と身振りで描かれる。
 お祭りの夜に自室で過ごすふたり、久々に再会した友人、または恋人? それを
やはり同様のテクストを何パターンかの役者の組み合わせて演じていくのだ。

 観劇の実感としてこの自作部分のほうが、面白かった。それは原作との優劣では
なく、テーマの一貫性の問題で、「銀河鉄道の夜」から切り出した箇所には、自作
箇所ほどの完成度、テーマの切り詰めがなかったように思えた。
 原作の主要なエピソードはだいたい網羅されていたのだが、それらはどこまで必
要だったのか疑問で、むしろ難解さを助長させた側面があるように思える。
 たとえば、ジョバンニがひとりで影遊びをするシーン(を同時に複数の役者で演
じる)や銀河の風景描写を七人の役者が舞台上を動きながら別々のことを同時に叙
述するシーン(過剰な情報がホワイト・ノイズのように充満する感じ。ときどき聞
き取れる箇所がある)、鳥捕り男のエピソード(役者、吉田ミサイルの演ずる、電
子音声で話すロボットあるいは傀儡のような鳥捕り男は素敵だった)や、客船の沈
没の描写(淡々とあまり聞き取れない声でつぶやかれる)など、それぞれ、新鮮で
面白かったり美しかったりしたのだが、その目先の美しさや面白さが、作品構造の
研ぎ澄まされた姿をわかり難くさせてもいたように思う。
 原作の再現など別に観たいとは思わないし、そんなことを意図した作品でもない
のだろう。母、友、死、といったテーマに関わる本当に必要な少数の箇所だけで充
分だったように思えた。

 まとめる。
 本作の第一印象は、むつかしいなぁ、というものだった。その難解さをもたらし
たのは、構成・構造の複雑さではなく、皮肉なことに、演劇的な豊かさというべき
もの、シーンや役者の美しさや面白さ自体であったように思える。
 作品のつくりの複雑さ、それは作為的な難解さのための難解さといった技巧趣味
に傾いてのものではない。その変奏構成と多重螺旋構造というスタイルだからこそ
切り開いて行ける、高次な造形美と表現性を可能にするために産み出されたものだ。
さらにテーマ(ひとことでいえば、愛か)とあいまった独特の空気感、音楽、りん
とした清々しさと喪失感と、それら望んでも得がたい魅力がこの作品にはあった。
意味がわからん、のひとことで素通りする/させる、には惜しいものだと思う。わ
かりにくさ、というものはサジ加減で観客の意識を引き込む魅力にもなるものだが、
これだけ中身の詰まった作品ならば、わかりやすさに徹しても誰も文句はいわなかっ
ただろう。
 伝えるということ、それが全てだとは決して思わない。が、観た人に伝わって欲
しい、と思えるものがここにはあったので。
 チラシにあった文句。
 「それでも、とりあえず明日まで、いきのびるために の お芝居」
 そうあれたはずの作品だった。

 以上。最後に、田口アヤコ氏と自分は面識があり、以前彼女に、自分はまだ演劇
を観て泣いたことがありません、といったら、絶対泣かせてやります、といわれた
のを憶えている。今回は泣かなかったので、勝った、と密かに思うことにした。次
回、負けられるようであればいい、と思う。

 この小文は、千秋楽の終演後に行われた、劇作家、POTALIVE主宰の岸井大輔氏と
田口氏とのポスト・パフォーマンス・トークによる分析に多くの示唆を得て書かれ
たものだ。大変理解を助けられた、謝意を添えておきたい。

【筆者紹介】
 中村昇司(なかむら・しょうじ)
 1974年、神奈川県生まれ。音楽誌記者を経て、現在、至文堂編集部にておもに美
術誌編集を担当。2006年ごろより趣味で観劇を開始。演劇関係の刊行物に『現代演
劇』(今村忠純編 2006)がある。


【上演記録】
COLLOL「きみをあらいながせ 〜宮澤賢治作「銀河鉄道の夜」より〜」
http://homepage2.nifty.com/taguchiayako/kimiwoarainagase/info.html
王子小劇場(2007年3月9日-13日)王子小劇場 賛助公演

■Cast
大倉マヤ(マヤ印)
谷口真衣
木山はるか
八ツ田裕美
朝比奈佑介
吉田ミサイル(吉田ミサイルの世界)
笹岡幸司(進戯団 夢命クラシックス)
田口アヤコ
甲斐博和(徒花*)
大木裕之

■Staff
Words & Direction:田口アヤコ
音響演出:江村桂吾
照明:関口裕二(balance,inc.DESIGN)
美術:川島沙紀子
舞台監督:吉田慎一
制作:COLLOL
制作補:守山亜希(tea for two) 高橋悌 日下田岳史 宮田公一
記録映像:FOU production
宣伝美術:鈴木順子(PISTOL☆STAR)

社団法人企業メセナ協議会 助成認定活動
 
※各回終了後にアフタートークを開催。
3/9日(金)川島沙紀子さん(現代美術家、本公演の美術を担当)鈴木順子さん
(デザイナー、本公演の宣伝美術を担当:PISTOL☆STAR)
10日(土)15:00 羊屋白玉さん(演出家:指輪ホテル主宰)
10日(土)20:00 安田雅弘さん(演出家:劇団山の手事情社主宰)
11日(日)15:00 横山仁一さん(演出家:劇団東京オレンジ主宰) 金崎敬江さん
(女優:bird's-eye view)
11日(日)20:00 広田淳一さん(演出家:劇団ひょっとこ乱舞主宰)
12日(月)20:00 矢野靖人さん(演出家:shelf主宰)
13日(火)15:00 江村桂吾さん(音楽/音響演出家、本公演の音響演出を担当)
山田宏平さん(俳優:劇団山の手事情社)
13日(火)19:00 岸井大輔さん(劇作家:POTALIVE主宰)
※3月10日(土)昼公演(15:00開演)のみ、託児サービスあり。
  託児料金:2200円(開演1時間前から、終演1時間後まで)
  対象:生後3ヶ月以上9歳未満

■料金(全席指定) 一般 3000円 (前売/当日とも) 学生割引 2200円 リピー
ター割引 1000円  web先行割引(2/9まで) 2500円
※先行予約特典 戯曲集(1000円/1冊)プレゼント 

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【編集周辺日誌】
☆今週の公演評は2本。「浮力」(作・演出 北川 徹)と「きみをあらいながせ」
(COLLOL)です。前者は東京国際芸術祭のリージョナルシアター・シリーズの創作
・育成プログラム部門参加作品。詳しくは公演評を読んでいただきたいのですが、
ほぼ1年がかりの準備と支援の態勢をみると、芸術祭が新しい演劇人脈を育て、
芝居づくりに本腰を入れている様子がうかがえます。今回の舞台はその熱意に
答え、可能性に満ちていた出来上がりのように思えました。
☆「きみをあらいながせ」は不思議な芝居でした。いくつかのシーンが役柄を
代えながら何度も繰り返されるのです。ぼくは右脳と左脳による脳内交響かと
思いましたが、これが単なる再現や反復でなく、ある種の軸を持った多重螺旋
構造として作り上げられていることを掲載されたレビューで教えられました。
筆者の中村さんは今回初登場。これからも寄稿していただきたい一人です。
☆3月末の1週間、ベトナムとカンボジアを駆け足で回りました。演劇とはまったく
関係ない観光の旅。お目当てはアンコール遺跡群でした。長年の記者稼業で滅多な
ことでは驚かない方だと思っていましたが、それでも目から鱗の事態に直面しまし
た。来週から再開する「千秋残日抄」で報告します。ご期待ください。(北嶋)

======================================================================
編集長 北嶋孝
制作・発行 ノースアイランド舎/(有)ノースアイランド
〒202-0002 東京都西東京市ひばりが丘北4-1-9 Tel& Fax: 042-422-5219
問い合わせ wonderlands@northisland.jp
webサイト http://www.wonderlands.jp  
(C) 2006-07 northisland 
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