順空和尚の一分で読めて一生忘れない悟りのお話 |
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■悟りへのドライブ!) 迷いの辻を曲がった先に■
この間テレビをつけたらちょうど交通事故のニュースが映って、アナウンサーが「車は、はげた男性を引きずったまま1キロも走り…」なんて言ってるんですよ。
〈何もそんなことまで言わなくたっていいのにぃ…〉と思ってよくよく聞いたら「はねた男性を」でした。
そりゃそうだよねぇ〜、失礼いたしました!
私は今の住所に十年程前に引っ越して来たのですが、その頃を思い出すと今より「道に迷わなかった」ように思うのです。
いや勿論、越して来た当時は右も左も分かりませんから全然迷わないという訳ではないのですが〈自宅〜目的地〉の点と点を結ぶ唯一知っている道を、何の雑念も抱かずひたすら走っていたので、道の選択で悩みわずらうことがなかったのです。
ところが徐々に道を憶えるにしたがって「どの道を通ろうか、どの道が早くて楽か?」なんてことを考え始める訳です。
そしてある道を選択してたまたまその道が渋滞だったりすると「失敗した!」と悔やみ「俺って駄目だなぁ」と自分を責め「あっちの道はいいなぁ」と人を羨んで…。
人間て、未知が知に転じ〈知の量〉が増えるのに比例して〈迷いの量〉も増えていくのかもしれません。
でもそれはけっして悪いことではないみたい。
たとえば私は趣味でギターを弾くのですが、1曲を仕上げるのに初心の頃は毎回毎回おん〜なじ弾き方しかできないわけです。
ところが段々と弾けるようになってくると、コードやリズムや奏法や…イントロからエンディングに至る幾通りもの経路の中から「ああでもないこうでもない」と、様々に迷い悩みながら曲を完成させるようになります。
で、全然迷わずに(迷えずに?)毎度同じ弾き方をするのと、迷いの中から自分なりのアレンジを見つけ出して弾くのとでは、曲の仕上がりに対する客観的評価はともかくとして、少なくとも自分自身の喜びや充実感という意味では雲泥の差があるのです。
同様に「人生の深みや豊かさ」という視点で、引っ越してきた当時の〈一つ覚えの私〉と、現在の〈幾つかの選択肢を持った私〉とを比べてみると、むしろ「道に迷える方が人生は豊か」なのではないでしょうか?
私たちは「人生に迷わないこと」が良いことだと考え、そうなることばかりを求めたりしがちですけれど、むしろ深い深い迷いの辻を曲がった先に、人生の本当の目的地が待っていたりする…そんな気もするのです。
そうそう、そういえば仏教には「小迷小悟・大迷大悟」なんて言葉もありましたっけね…
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