順空和尚の一分で読めて一生忘れない悟りのお話 |
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■難を除く■
正月八日の初薬師ご縁日、私のお寺では年に一度の護摩を焚き、ご参詣の皆さんと一緒にこの一年の祈願を仏さまにお伝えします。
今年も参詣のお一人お一人が被災者救援の募金をした後に、それぞれの〈願い事〉を記した「添え護摩木」を護摩の炎にくべて祈りました。
私の方はそれと平行して、皆さんにご家庭へ持ち帰ってもらう「厄除け護摩札」を加持祈祷するのですが、その中で一番多いのが〔家内安全 諸難消除(かないあんぜん しょなんしょうじょ)〕という祈願札です。
「諸々の難を除く…」そう記された祈願札を見つめていると「よぉし、俺もこの一年“なん”を除いて生きるのだ!」と、年頭に抱いた誓いが、改めてフツフツと湧いてくるのでありました。
実は私が「除かなければ!」と思っている“なん”とは、日々心に現れる「私なんて…」という気持ちの“なん”なんです。
皆さんは「私なんて…」という気持ちになることはないですか?
私はしょっちゅう、ほぼ毎日で、何かを表現しようとしたり新しいチャレンジをしようと思うたびに、心の中に「私の○○なんて全然ダメだから…」という気持ちが現れるのです。
「○○」の部分には〈生き方・容姿・人間性・発言・文章・書にギター〉等々、それこそ多種多様なものがあてはまり、そして結局諸事に後ずさりする腰の引けた人間になっている気がします。
このままでは将来「もっと違う生き方をしていれば‥」なんて、きっと後悔をするだろうと思うのです。
だから今年は「私なんて‥」という気持ちが起こったら、その度にその思いをバッサリ切って(思い切るってそういうこと?)「諸なん消除」して生きてみようと考えています。
ちなみに「私なんて」から“なん”を除くと、そこには「わたして」という文字が残ります。
この世に生まれて来たということは、全ての人が「周囲に渡すべき何か、渡すことのできる何か、を必ず持ってきている」ということではないでしょうか?
そして世界は、私たちがそれを差し出すのを「早く渡して!」と待ってくれている気もするのです。
そんなわけでお粗末ながら今年の標語です。
もしよろしければご一緒にお唱えしながら、この一年を過ごしてみませんか?
『私なんての“なん”を取り、一人一人が“渡し手”になる』
追伸 宇宙・神仏というのは畏れ多いもので、この原稿を書き上げた瞬間に携帯が鳴り、友人のミュージシャンから「来月あるライブでギター弾いてみない?」というお誘いがありました!
すぐに「私なんてとても‥」という気持ちが湧きましたが「エイッ!」とその思いを切り、チャレンジさせて貰うことに致しました。
人生というのは不可思議で有難いものであります。
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