稀代の純文学作家見沢知廉を顕彰し追悼するファンクラブのメールマガジン。見沢知廉の未発表作品に関する最新情報や、見沢文学への書評などを掲載する。
- 最新号:2008-09-02
- 発行周期:月一回
- 読んでる人:163人
- 創刊日:2005-11-13
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【殺気ある文学】……見沢知廉を読む vol.2
発行日: 2005/12/29::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
【殺気ある文学】……見沢知廉を読む vol.2
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[H17.12.25]号
「<文学>は、遊戯やツールではなく、まさに<殺気>である。」
「創作のクライマックスに昇りつめる時の作家は、小手先の<技巧>
を超越した一匹の野獣に変身する。自分だけの内面に秘めたトラウマ、
強烈な愛憎の混交、日常性では許されない残酷、暴力、自他の破壊衝
動――を、<真っ白になるまで燃え尽きたい>という一点の夢に集光
して、まばゆい生命の燃焼を演じるのだ。」
見沢知廉著『日本を撃て』(メディアワークス刊)より
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【殺気ある文学】……見沢知廉を読む vol.2
<目次>
■はじめに
■『七号病室』ついに刊行
■八号病室(『七号病室』を読んで)
■12月8日見沢知廉墓前祭の報告
■おわりに
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【はじめに】
新しくファンクラブご入会のお申し込みを下さいました皆様、真に
ありがとうございます。
このメールマガジンは、見沢知廉ファンクラブ「白血球團」が発行
しています。ファンの視点から、見沢文学を掘り下げて読んでいこう
という主旨です。
内容は全て会員からの投稿によるものです。見沢作品を初めて読ん
だ、という方でも歓迎します。どうぞ感想文をお送りください。
【『七号病室』ついに刊行】
およそ2年前に獄中で書いたといわれる二作品『七号病室』『改造
』が収められた新刊が作品社から発売されました。見沢知廉の死後、
二冊続けての刊行となりましたが、この二作品とも生前に刊行が決ま
っていたものです。出版へ至る詳しい経緯は、「担当編集者へのイン
タビュー」(http://chiren.sejp.net/in_aoki.html) をご参照くだ
さい。
【八号病室】(『七号病室』を読んで)
by 結城司(ゆうき・つかさ)
精神病。もしかしてこれを読んでいる皆様の中にも精神病患者の方
が多いのでは?実は私もその内の1人ですよ。鬱病、不眠、神経過敏
、過呼吸、統合失調症…1日に服用する薬は多い日で20錠以上。軽
い方なのか重い方なのか…あ、何故か見沢さんが亡くなってから躁鬱
っぽくなった。今日歯医者に行った。「常用薬はありますか」と聞か
れ答えようとし、その前に「あ、沢山あるので」と言ったら「じゃあ
自分で書いて下さい」とカルテを渡された。何だか虚しくなった。
『七号病室』を読んでいると色んな患者が出て来る。<あっ私に似
てる>そんな患者も出て来て面白い。自分と照らし合わせて読める本
が1番面白いと私は思っている。怖くなる場面もあった。<もしかし
て私もこの病気?>と…皆さんも共感できる場面、1つくらいは出て
来るでしょう。貴方が精神病患者でもそうでなくても。見沢さんが精
神病に触れて書いた作品を読む時はそういうスリルがあって面白いの
です。勿論見沢さん以外にも精神病に触れた作品を書いている人は大
勢いますが、私には見沢さんの作品が1番私を納得させる力があるよ
うに感じるのです。『七号病室』を読んでいるときに自分も七号舎に
入っている気分でした。私も躁から多弁症状が現れるのです。本に向
かって「そうだそうだ!」と心の中で何度も言いかけ、勝手に作品の
中に自分を入れちゃったりもした次第。あぁ、ホント私もアル意味重
症ですね、笑。
私は少し環境のいいアパートに住んでいます。不動産屋の売りは「
防音対策抜群」でした。確かに。隣の物音が主に居る部屋で聞こえた
事はほとんどない。しかし、上の音はバッチリ聞こえる。鳩は鳴きは
しないが…でもそれが私には凄く苦痛なのだ。前回『ライト・イズ・
ライト』の感想を書いた時自分の暴走っぷりを披露した。その時助け
てくれたのが上の部屋の人。だから文句は言えないのだ。その人から
メールがきた時遠回しに「今お部屋にいらっしゃるのですね、足音聞
こえました」なんて嫌味を言うのだが、笑。彼は昼間働いていて私は
夜働いている。だから最近は足音が聞こえずいい毎日だ。夜勤を終え
て朝方帰ってくると彼は仕事の準備をし始めてうるさい時がたまにあ
る。寝付けない。でも彼は命の恩人。そして医療関係の仕事で私の精
神状態も知っている。だから我慢、ODせずに寝る努力…たまに寝付
いて2、3時間後に目覚める事がある。一般の人は仕事にでている時
間でとても静かで何故かふと思う、<私って森田療法の最中だっけ?
>それも寝惚けか本気か自分でも良くわからない。そこで私は自分の
部屋に名前を付けました。『八号病室』そこは自分だけの空間、パラ
ダイス的な所もある。夜勤、長時間勤務の私にとっては寝るだけの場
所、物置的な場所になりつつもあるのだが。
*全くの散文ですみません。自分は何が言いたいのやら…私の『ライ
ト・イズ・ライト』の感想を読んで下さった方は解ると思いますが、
ですます体で統一できない程の馬鹿じゃありませんよ私は、笑。これ
が私の書き方なんです。
(結城司)
【12月8日見沢知廉墓前祭の報告】
by 中村幸雄(なかむら・ゆきお)
去る12月8日、故見沢知廉氏の法要とお墓参りが本駒込の光源寺
でしめやかに行われました。9月の衝撃的な自殺以来、追悼のために
催されてきた一連の行事も本日で一段落つくようです。「しのぶ会」
と同様、見沢氏とは非合法運動時代からの盟友である木村三浩氏(一
水会会長)の主催で行われました。見沢氏のお母様、親族の方、一水
会の重鎮の方々などを中心とした、見沢さんと縁故の深かったごく少
人数の集まりとなりました。ちなみに身内やごく親しい方以外でも参
加できたのですが。私などがその代表例でしょう。以下自らの日記を
交えつつ、報告させていただきます。
空が排気ガスに包まれたように暗い。地方から夜行の高速バスで東
京に出てきた。夜明け前の新宿駅西口、空には暗雲がまばらに立ちこ
めていた。まだ薄暗い師走の上空に、大雪のように雲が群をなしてい
た。もしかして今日は雨風が来るかもしれない…と思う。が、太陽が
、バスケットボールのような巨大な太陽が東から昇ってきた。アルタ
前の通りを一直線に照らしていた。ビルのガラスの微妙な乱反射が、
夜の新宿を裁いて、光線の大通りをつくっていた。再び建物から外に
出た時には、雲ひとつなくなっていた。空気は結晶のように透き通っ
ていた。「おお晴れてよかった。しかも快晴ではないか。と思った。
」見沢さんの強烈な霊気が雲を吹き飛ばしてしまったのか。電車に乗
るとき、ふと『囚人狂時代』の序章を思い出した。「青空だ。染みる
ような青空だ。一二年間、刑務所の高い塀に切り取られ、その断片し
か見ることのできなかった青空が、今、果てもなく俺の頭上に広がっ
ている。」
涙腺がふと緩んだ。10年たっても同じ青い空が眼前に開けていた。
あの日も快晴で澄み切った朝だったのだろうかと私は思いを馳せてい
た。
静かな冬は宗教心を増す。
一水会の横山書記長と本駒込駅前で待ち合わせ。見沢さんのお墓が
ある光源寺へ向かう。この近くには寺がやたらと多い。歩いてすぐの
ところだ。幼稚園がそばにある。お寺に着くと、書記長が用事のため
、私一人に。お部屋に入ると法要の準備がしてありました。今日はお
墓参りだけだと聞いていたが、違ったのです。せっかくの機会だから
と、お経もあげてくれることになったらしいのです。中には、お母様
とお寺の方しかいらっしゃいませんでした。どうやら、私が一番早く
来てしまったようで…。「他人」の私が、いいのかな、と肩身が狭か
ったです。記帳をして、他の人が続々と見られる前に、お母様から、
まだずっと見沢さんが生きているような、思い出話を目の前で拝聴し
ました。深い母と子の結びつきを感じました。それも感情的な面だけ
ではなく、理性的な面、成熟した愛を感じさせるものでした。例えば
、よくできた家庭の中で、最愛の夫をなくした妻がそう語ります。雪
山で長い苦難を共に耐え忍んだ者が同志をそう語ります。
「丸岡さんといえばねぇ。田中さんからもお手紙がきたのよ。だめ
よねぇ、あの人は。まだやることがたくさんあったのに、いけないよ
ねぇ。」私はかつて9・2集会というイベントで、日本赤軍の丸岡修
さんの賛同文を読み上げたことがあった。その際に壇上から彼を見た
などと喋っていたのです。
「まだ死んだのがピンとこないんです。今でも電話がかかってくる
ような気がして…」とよくおっしゃっていました。
ファンの人が作って送ってくれたという人形を見せてもらった。フ
ェルトを張り合わせて作ったような平べったい人形だ。頭は茶髪、裾
の短い胴衣を纏って、右手にペン、左手に紙を持っている。さらには
ちまきもしていた。顔も似ていておもしろい。まさに、剣をペンにし
て闘う作家「像」だ。
お話を伺っているとこのお寺は、彼にとって、とても縁の深い場所
だったようだ。幼年時代は近くにある幼稚園に通っていたわけだし、
今日お世話になった住職の弟さんとは同級生だったらしい。
そうこうしているうちに、続々と皆さんが来ました。野村氏の秘書
だった古澤さんをはじめ、生前おつきあいのあった方々が。集まった
人数は、総数で20人もいかないくらい、15人ほどでした。しばら
くして、木村さん、鈴木邦男さん(一水会顧問・評論家)が来ました
。両氏の銘は、木のお札に書かれることとなりました。準備が行われ
ていました。その「鈴木邦男様」「木村三浩様」という銘の隣に見沢
知廉の名がないことに、あらためて私も悲しみを覚えました。私にと
って、「鈴木・木村・見沢」という存在は三位一体でした。それぞれ
一水会の「父・子・聖霊」の象徴でした。
住職さんがお経を読み始めました。緩くやや明るかった雰囲気が一
転してきました。まるで今日の日差しがゆっくり大気の緊張した寒さ
に溶け込んでいくようでした。静かになりました。皆がほとんど身動
き一つできない状態が続きました。お経という主旋律、レクイエムと
調和するように、すすり泣く声が、前から聞こえてきました。大きな
無念、悔しさ、悲しみが周囲から無情に身体をつきぬけていきま
した。読経のあいだ、一人づつお母様、鈴木さんと順番にご焼香を行
いました。後で省みると、その仕草が驚くべきことに皆違っていて、
個々の見沢氏への思いが察せられるようでした。
お経の後は住職さんの講話です。あいさつと、今日、掌を合わせた
人すべてに見沢知廉という人の魂は宿っているという言葉を頂きまし
た。そして、人間の潜在意識はみな同じだ、一つだ、だから、ひとの
一面だけをみて判断してはいけないというお話が中心でした。たしか
に故見沢知廉というひとには多彩な面があったものです。作家として
の面、活動家としての面、もちろん母から見た息子としての面、親友
から見た面もあるでしょう。ひとは彼のすべてを知っているわけでは
ありません。知ることもできません。一面だけをみて彼はこういう男
なのだと判断することは実際不可能です。われわれはいろいろな考え
方、見方を柔軟に受け取らねばなりません。こういった教訓が引き出
された内容でした。
次に全員でお墓へ移動し、お墓参りをすることになりました。「夢
翔院仁哲究廉居士」と戒名がはっきり刻まれていました。まだ新しい
墓石がみなに事件を思い起こさせているように見えました。各自が線
香を持ち一人ずつ参りました。終わった後に、挨拶がありました。鈴
木氏は、「先日もロフトに見沢ファンだと言う人が何人か来ました。
今月の『創』には、巻頭にしのぶ会の記事が出ています。私も見沢君
のことを書いてます。これからもますます成長する作家です。」と述
べました。「これからも成長する作家」この言葉をいつも鈴木さんは
繰り返している。よほど確信があるのでしょう。木村氏は、一周忌に
(8月下旬になると思うが)作品集を刊行したい。見沢氏と縁のゆか
りのあった方に寄稿をお願いしてまとめたものを出版したい。また本
日は呼びかけがうまくいかずあまり人が集まらなかったので反省とし
て今後の参考にしたいと述べました。また、今日で場所がわかったと
思うので、見沢知廉に何か語りかけたいときは、ぜひここにきて掌を
合わせてほしい。とのことでした。
近くにあるお寿司屋さんのお座敷の一室で懇談会をしました。一人
ずつ自己紹介をして、皆さんと歓談したのですが、最後はやはりお母
様の思い出話が中心となりました。ほんとうに、ほどけた糸を紡いで
巻きなおすように、自然とお言葉が出てくるのです。みな聞き入って
いました。「向こうが日本語しゃべろっていうのよねぇ」かつて英語
教師に反抗した時のことばがでてきたり、かと思えば「包丁を持って
きて一緒に死のうって言いましたら(笑)」―(確か?)登校拒否の
際、逆に?お母様がすごんだ話まで…
出所記念日でもある今日は当然その話題に移りました。当日の朝、
黒服の人がいっぱいいると、驚いていた見沢さん、全部うちのお迎え
だったようで…
「よく帰ったねって言うと、空をずっとぽかーんと見てるのね。しば
らく外見てて、きれいだって。狭いところしか見てなかったから。」
「(神奈川県警を見て)なんだまだくっついてきたのかって」
無事出所したものの、受けたダメージは常識を超えていました。
「ずっと横になるとよくなるといって横になってました。座ることが
苦痛で。5分も座ってられないのです。獄中では座布団の中ぺちゃん
こだから。」
「医者に初めてかかったときは「君はこの年でなぜ筋肉がないの」と
言われました。」
「12年で骨粗鬆症を患って内臓もかなり痛んでいました。」
「医者になぜ行かないのって聞いたら、悪いと言われるのが怖いって
言っていました。」
このように出所後のエピソードが流れるなか、時間が近づいてきま
した。
最後に結びとして、「死んだ原因はわからないかもしれないけど、
野村さんの手招き※1を納得しようかと思います。まだ死んだ実感が
ありません。皆さんまた見沢のことを思い出してやってください。」
とおっしゃっていました。
私は、ただのファンでした。故人とも他人でした。ひたすらお母様
のお言葉を受け止めるだけで精一杯でした。だが、だからこそ、今日
は少人数のこともあってか、見沢知廉の追悼・継承をできるだけ起こ
そうという気を新たにしたのでした。
それに今日の席では、お母様を通じて見沢さんが乗り移っているよ
うでした。またそこらにいる気配を受けました。後ろから急に現れて
もおかしくない不思議な雰囲気が漂っていました。他にも火災報知機
が鳴ったり、お寿司を落とした人がいたり変なことが起きました。た
ぶん、あの世でも見沢知廉の小悪魔は健在なのでしょう。彼が喜んで
いたずらをしにきたのでしょうか。
※1野村さんの手招き…見沢氏が死の前に見たとされる夢。新右翼の
リーダー的存在であった野村愁介氏がこっちにこいと手招きしたとい
うもの。
なお、お墓参りに行かれる方、光源寺の住所・道案内等については
、正狩炎さんがホームページ(http://ekipati.hp.infoseek.co.jp/)
のなかで詳しく書いています。アドレスは
http://mckan.hp.infoseek.co.jp/bosan.htmです。
(中村幸雄)
【おわりに】
今月は創刊第二号です。今年のクリスマス、皆様は如何がお過ごし
でしたしょうか。私はクリスマスが嫌いです。この時期には毎年風邪
をひくからです。今年は特に気をつけていましたがとうとうダウンし
ました。たちの悪い風邪が流行っていますので、皆様もお気をつけく
ださい。
今回は、白血球團・運営委員の中村さんから墓前祭のご報告をいた
だきました。これで、見沢知廉追悼行事はひと段落ついたそうです。
鈴木先生や木村先生はさぞかし大変だっとことでしょう。ご遺族の方
々もお疲れのことと推察申し上げます。これからは皆様がそれぞれの
活動・生業に帰って、それぞれに見沢知廉を伝えて行く事になるでし
ょう。
the BURST(バースト)という雑誌(コアマガジン刊)に見沢知廉
追悼特集が組まれました。追悼特集を組んだ媒体としては唯一ではな
いかと思います。見沢知廉の死は、マスメディアとしても追悼イベン
トとしても、あまりに反響が少なかったように思います。「ひっそり
と亡くなった」とでもいうべきかも知れません。しかしそれも、見沢
知廉らしさなのでしょうか。
(朱斑羽)
寄稿はこちら↓
http://chiren.sejp.net/mail.html
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発行責任:見沢知廉ファンクラブ【白血球團】運営委員会
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【白血球團】見沢知廉ファンサイト [http://chiren.sejp.net]
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このメールは送信専用です。お問い合わせは[chiren@sejp.net]
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