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【聖書】思い込み
発行日: 2006/9/9 〓〓†【聖書を開けば・・・】〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓 第300号 〓〓
おはようございます。本日もご愛読ありがとうございます。
突然ですが、あなたの生活の中に「歌」はありますか?
キリスト者には、時を問わず口にする「歌」、心で歌う「歌」があり
ます。それは讃美歌と呼ばれ「神様の恵みをたたえて歌う歌」「信仰
を告白する歌」です。
クラシックやポップス、カントリー、ジャズなど様々な分野のメロデ
ィーに信仰の歌詞が付けられており、これを口ずさんでいると不思議
と心が慰められ、励まされ、平安をいただいたりするのです。
歌謡曲も良いですが、讃美歌をあなたの生活の中に取り入れてみませ
んか。心が開放されますよ。 (^^♪♪♪
◆◆ 今日のメニュー ◆◆◆◆
φ(^O^)/ [聖書を開けば]: 思い込み
φ(^O^)/ [雑談 喫茶室]: 子ども病!?
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◇◆◇◆ (^^)/ [聖書を開けば・・・] コーナー (^^ゞ ◆◇◆◇
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今日の聖書個所 : 使徒の働き 16章 26−27節
ところが突然、大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまち
扉が全部あいて、みなの鎖が解けてしまった。
目をさました看守は、見ると、牢の扉が開いているので、囚人たちが
逃げてしまったものと思い、剣を抜いて自殺しようとした。
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女占い師の一件で訴えられたパウロとシラスは、十分な取調べを受けないま
まに捕らえられ、数回ムチで打たれたのち直ちに牢に放り込まれました。警吏
たちの手荒い扱いを受けながらも彼らは決して取り乱すことなく、その後も黙
って看守の指示に身をゆだね従った二人でした。
その日の夜おそく、彼らは神の御前に祈りと賛美をささげていましたが、そ
こに突然《大地震が起こ》りました。この地震が「普通の地震」でなかったこ
とは、そこに捕らえられていた囚人たちの足かせの鎖がみな自然に解かれ、ま
た牢の扉という扉が全部勝手に開いたことによって明らかでした。これはたし
かに神の御心が働いて引き起こされた地震だったのです。少なくともパウロと
シラスにはそのことが理解できました。
「チャンスだ。さぁ、逃げようぜ!」そんなことを考える囚人が一人や二人い
ても決して不思議ではありません。事態が事態だけに全員がそう考えたとして
もおかしくありませんでした。ところが聖書を読み進めていきますと、なんと
彼ら全員が一人も逃亡することなくその場に止まっていた、とあるのです。
一体、どうしたというのでしょうか?頭では逃げようと考えるも、腰が抜け
て一人も動けなかったのでしょうか。それとも、彼ら全員をその場に引き止め
る何か特別な要因があったのでしょうか・・・?
ところで、この大地震に驚いたのは彼ら囚人だけではありませんでした。常
日頃上官から、囚人たちを厳重に監視するようにと、その任務を仰せつかって
いた看守たちも、この真夜中に起きた大地震には度肝を抜かれました。気を取
り戻した彼らは、大慌てですぐさま牢屋に駆けつけました。囚人たちの身に何
かがあれば、それは即自分たちの責任となってはね返ってくることだったから
です。
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真っ暗闇のなかを小さな明かり頼りに牢の入り口までやって来たとき、看守
はそこに照らし出された惨状をみて唖然となりました。牢の扉は開き、その中
には誰もおらず、先ほどまで囚人たちの足を縛っていたはずの頑丈な足かせも
解かれた状態でその場に放置されていたのです。最初の牢も、次の牢もそして
また次の牢も・・・みな同じ有様でした。
看守は青ざめ、がっくりと肩を落として「これはもうみんな逃げたなぁ」と
力なくつぶやいたことでした。これ以上何をして良いのか途方にくれる看守が
次にとった行動、それはなんと自分の剣を腰から抜いて自害しようとしたので
す。
当時の看守の仕事に関する規定では、看守が任務怠慢などの理由により「も
し囚人を逃がすようなことが生じた場合、その看守は囚人に課せられたと同等
の罰をその身に負わなければならない」とされていました。
この看守が自殺を考えたのは、今回不可抗力とは言え「囚人全員を逃がして
しまった不始末」が自分に及ぼす刑罰の重さに、とうてい自分自身が耐え切れ
ないと判断したからです。自分がとるべき道は「これ以外にない」彼はそう判
断したのでした。
地震が起きた時、不幸にもこの牢にはパウロやシラスを初め「多くの囚人」
が捕らえられていたわけで、その彼ら全員が逃亡した(実際にはどうだったか
確かめてみたわけではなく、きっとそうに違いないと勝手に思い込んだだけの
ことでした)となると、看守自身が身に負わねばならない罰の総計は、一体ど
れほど重い刑罰になることでしょう。厳しく加えられるムチ打ち、繰り返され
る容赦ない拷問の有様などが彼の脳裏をよぎります。そんなお先真っ暗なこと
を考えて落ち込むよりは、いっそのこと自らさっさと命を絶ったほうがどれほ
ど楽かと、彼は浅はかにも考えたのです。
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看守は「思い込み」に起因する「自殺」という重大な過ちを犯そうとしてい
ました。軽率な思い込みが「現状判断の過ち」を生じさせ、さらには「自分の
いのちを粗末に扱う過ち」にまで至らせようとしていたのです。
地震があった夜、現状は混乱の中にありましたが、彼がもう少し冷静になっ
て牢の奥にまで目を配る注意力を働かせていれば、何も短絡的に「自殺」とい
う結論を出さずに済んだことでしょう。
牢の扉がみな開いていたこと、また足かせが外された状態でその場に落ちて
いたという現状をただチラッと見ただけで「囚人は全員逃げた」と早々に結論
付けてしまった看守の判断。聖書は《看守は・・・囚人たちが逃げてしまった
ものと思い》と、それが看守の思い込み、早とちりであったことを記録してい
ます。
確かに現状は、普通一般的にみて「囚人はみな逃げた」と判断するに妥当な
状況を示していました。万に一つの「自由になれるチャンス」が囚人たちに与
えられたのにそれをみすみす彼らが放棄するなんて、悪人としてはあるまじき
非常識な行動?です。
しかし『事実は小説より奇なり』でした。囚人全員が、なんと一番奥にあっ
た牢に、つまりパウロとシラスが放り込まれていた牢に集まって、誰一人そこ
から逃げ出さずに留まっていた、というのです。なんという驚くべき事実、不
思議な光景ではありませんか。
この看守のように「悪人の考えや生き方というものはとかく狡賢いものだか
ら、こういう状況になれば当然逃亡するに決まっている」と、マニュアル通り
の判断で頭っから決めつけていると、往々にしてこういう悲劇的思い違いを引
き起こしてしまうのです。「ひょっとして」「もしかして」というような、こ
れ以外の「柔軟な思考」「幅広い選択肢」をもつことはできなかったのでしょ
うか?
もしこの看守がまことの神と共に歩んでいたなら・・・、と思います。なぜ
なら私たちの神は、日ごと私たちを守り支えてくださる方だからです。私たち
の愚かさ、弱さをご存知の神は、その時々に適った助けを必要に応じ与えて下
さるのです。神と共にあれば、どんなときも慌てることはないのです。すべて
をご存知の神の目を通して、私たちは正しい状況判断を得ることができるので
す。ですから暗闇の中にあっても、私たちはつまづくことがありません。
さてこの看守ですが、感謝なことに実はパウロの声で危機一髪のところを救
われます。一番奥まったところにある牢から《自害してはいけない。私たちは
みなここにいる》との声を彼はたしかに聞いたのです。
看守は我が耳を疑いました。我が目を疑いました。夢なら醒めないで欲しい
と願ったことでしょう。しかしそれはまさしく「現実」でした。なんと囚人た
ちは誰一人として逃走することなく、パウロのそばに寄り添い、そこに留まっ
ていたのです。小さな明かりにぼんやり照らし出された彼らのその有さまは、
看守の目になんと輝いて映ったことでしょうか。
もちろん看守は自害を思いとどまりました。この時初めて彼は、自分の軽率
さにハタと気づかされたことです。自殺するという、看守の行動を思い止まら
せたパウロの声は、実はかつてパウロ自身が天から戴いたと同じ神の声でもあ
ったのです。あの時は、パウロはキリスト者への迫害をやめるよう、神の声を
聞いています。
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ところでキリスト教は「自殺」を固く禁じています。それは「創造者に対す
る罪」としてそれ自体厳しく告発されるものであり、また「罪」の処理が正し
く行なわれないままに、あえて人が自ら死を選択することの「愚かさ」「恐ろ
しさ」を警告するものとして、戒められているのです。
と言うのは、いのちは元々万物を創造された神によってそれぞれに分かち与
えらたもので、事実聖書はこう語っています《神である主は、土地のちりで人
を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は、生きものとなっ
た》と。あなたのいのちは、神が与えられた「いのちの息」なのです。
ですから、例えば私たちのいのちは「それぞれ個人に帰属するもの」ではあ
りますが「私的所有物」ではないのです。あくまでいのちはこれを与えられた
「神様ご自身のもの」であり、この世にあるすべてのいのちは、この世にある
間は創造者のご計画のもとに「それぞれの持ち主に一時的に預けられているに
過ぎない」のです。
従って各自はそれぞれの一生をまっとうするまで、神から預かったいのちを
大切に管理する責任を負っているのです。つまりは、いのちを粗末にしたり、
その維持管理を途中で放棄したりする権利は我々にない、ということです。で
すから当然「自殺」は神に対する罪として厳しく創造者によって裁かれること
になるわけです。
サタンは「死んでしまえばこの世の苦しみから解放されて、うんと楽になれ
るよ」と、時にその弱り果てた心に語りかけ、私たちを「自殺の道」へと誘う
ことですが、しかし事実はそうでなく、むしろその罪ゆえにさらに恐ろしい現
実、つまり「永遠の苦しみ」「滅び」が待っているのです。神の言葉はそのよ
うに私たちに教えています。
ある人々が考えているように「人間死んでしまえばすべては終わりなのだ。
この世における苦しみも楽しみも、すべては死によって終わってしまう。その
後は何もない。」とすることが真実なら、人はみなこの世の規則も森羅万象の
摂理についても深く考えることなく好きなように生き、他人の迷惑なども省み
ることなく、やりたいことをやり放題し、自由に生きて、そして適当なところ
でさっさと死んでしまえば良い、ということにはならないでしょうか。
もちろん現実的にそんな風に考えながら生きている人は「いない」と思いま
すが・・・。いえ、そんな風に考えようとしても、決して自分を納得させられ
ない「声」が、実は自分の魂の奥底から響いているのをあなたはすでに何度も
耳にされているはずなのです。
罪の支払う報酬は死です。罪が支払う代価は永遠の死です。それがいかに恐
ろしい結末であるかを「神のいのち」は知っています。ですから罪の処理が正
しく行なわれないままに「死」を迎えることについて、私たちは一様に恐怖・
不安を覚えるのです。
あなたの罪は、正しく処理がされていますか?イエス様の十字架の血潮で洗
い清められていますか?もしそうでないなら、今のままで死を迎えることは、
永遠の苦しみの始まりを意味することをぜひ知ってください。
「人間死んだら、みんな一緒。すべてが無に帰するのだ。」
それはとんでもない誤解であり、間違った思い込みであり、まさにあなたの
いのちを危険に導く考え方です。
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自殺を思いとどまるようにと導かれた看守は、一連の出来事に神のご臨在を
強く感じ「いかにして自分も救いを経験して魂に平安を持つことができるでし
ょうか」と、その教えを乞いました。ときにパウロが彼に与えた言葉は、決し
て難しいものではなく、こう言ったのです。《主イエスを信じなさい。そうす
れば、あなたもあなたの家族も救われます。》
この言葉は、今に至るもなお万民に与えられている「救い」に関する神の招
きです。もちろんあなたに対しても、です。
看守はその夜、時を移さず二人を自宅に招き、家族全員に再度同じ神の言葉
を語って欲しいと願いました。そして、これを聞いた家族全員が神の言葉を受
け入れ、信じて、バプテスマを受けたのでした。
□□ 聖書の言葉 □□
だれも天に上った者はいません。
しかし天から下った者はいます。すなわち人の子です。
モーセが荒野で蛇を上げたように、
人の子もまた上げられなければなりません。
それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを
持つためです。
※人の子とは、キリスト・イエスのことです
(新約聖書 ヨハネの福音書 3章 13−15節)
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◇◆◇◆◇ (^^)/ [雑談 喫茶室] コーナー (^^ゞ ◆◇◆◇◆◇
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子ども病!?
『日本のサッカー選手は子ども病にかかっている!!』
サッカー日本代表チームの監督オシム氏がそう語ったそうです。ある試合後
のコメントで、各選手の問題点を挙げながら特にある選手に関して『指示には
忠実だが、自分で状況判断し行動をとることができない』と憤懣をあらわにし
たとか。
子ども病?
そういえば、最近ある調査機関が小学生を対象に数回にわたって行なった調
査で、近頃の子どもには『想像力が足らない』『理解力に欠ける』などの非常
に嘆かわしい結果が多く見られた、と報告しています。
「こんなことをしたら、自分はどうなるか?」「相手はどうなるのか?」
「こういう場合は、あちらをやめてこちらを選択した方がベストかも?」
等など、自分の頭をちょっとひねって考えてみる、想像力を働かせて一歩先の
ことまで思ってみる、こういうことが最近の子どもには結構難しいとされるの
です。
お受験・お受験と小さい頃から親や社会から責め立てられ、要は大学に至る
まで詰め込み式・マニュアル方式で育てられきた子どもたちは、気がつけば多
くの知識を持ってはいるものの『自分では何も考えられない、判断できない、
何もできない人間』に育っていた、というわけです。(そんな一面が昨今の成
人式には現われているように思えます)
子ども病・・・ それは「いつまで経っても自立ができない」「自主的判断
とそれに基づいた行動ができない」そんな病気のことではないでしょうか。
サッカー選手の中に子ども病にかかっている大人がいる・・・オシム監督の
発言記事を読みながら、私は思い出しました。かつて軟式テニスをしていた時
の部活顧問から言われた言葉を。それは私個人に対してではなく部員全員への
言葉として与えられたものでした。
『おまえら、しっかりせんかい!その頭はただのカボチャか?!その中に少
しでも「脳みそ」ちゅうもんが詰まっているんなら、自分で考えろ!そして自
分を信じてやってみろ!失敗したら反省せい。そしてもう一回考え、もう一回
やってみんかい。それが成長するっちゅうこっちゃ。わかったか!』
あなたはわかりますよね?
〓〓 通 信 〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
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