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【聖書】今も生きておられる方

発行日時: 2006/4/29

 〓〓†〓【聖書を開けば・・・】〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓 !)281 〓〓〓

  おはようございます。ご愛読をありがとうございます。

  先週は急きょお休みをいただきました。申し訳ありません。
  これまで何とか騙し騙しで使ってきた初代パソコンがとうとうダウン。
  で、先日新しいパソコンに買い替えました。(ゴールデンウィーク終了
  までなんとか動いてくれと念じたのですが、やはり駄目でした)

  今回購入したマシンは、バージョンアップはしたものの備え付けソフト
  の種類が少なく、メールとインターネットはできますが、使用頻度の高
  いワードやエクセルソフトなどがインストールされていません。
  店員から前もって説明を十分に受けていたはずなのですが、それでもあ
  まりのスッキリさに、正直面食らっているところです。

  でもやはり以前のように、生涯使うことがないかも知れないソフトがご
  ちゃごちゃと入っているよりは良いかなと、若干の不自由を感じつつも
  これで十分満足している私です。

  基本設定や、あらためてワード、エクセルソフトをインストールするこ
  とに手間取り、結局配信を一回お休みすることになりましたが、もう大
  丈夫です。たぶん、大丈夫だと思います。

  今日のメニュー:
  Φ(^^ゞ〔聖書を開けば〕 “生きておられる方”
  Φ(^^ゞ〔マメマメ知識〕 “最大の出来事 ─ 復活検証”

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 回■回■ 1(^^ゞ [聖書を開けば・・・]コーナー  (^o^)丿   ■回■回
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 聖句箇所 ─ 新約聖書 ルカの福音書 24章13−16節

  ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから11キロメートル余り
  離れたエマオという村に行く途中であった。
  そして、二人でこのいっさいの出来事について話し合っていた。

  話し合ったり、論じ合ったりしているうち、イエスご自身が近づいて、
  彼らとともに道を歩いておられた。しかし二人の目はさえぎられていて
  イエスだとはわからなかった。

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 私たちキリスト者は、いわゆるキリスト教という「宗教」を信じているのでな

く、キリスト・イエス様という「いまも生きておられる人格なるお方」を信じて

います。今日は、上記の聖句箇所からそのことについてお話したいと思います。

 さて冒頭の《ちょうどこの日》とは、いったいどんな日だったのでしょうか。

それは十字架刑によって死んだイエス様が、旧約聖書の中で預言されていたとお

り「その死からよみがえられた日」のことで、他の箇所では「週の初めの日」と

も記されています。今日の暦で言い換えればそれは日曜日であり、ちなみに今年

の「その日」は4月16日でした。

 また二人の弟子が道々話し合っていた《このいっさいの出来事》というのは何

のことだったのでしょうか。それはイエス様の死と復活に関する事柄で、実は彼

らはこの日の朝、すでにイエス様復活の知らせを他の人を介して耳にしていたの

です。ただ二人は、これを素直に事実として信じ受け入れることができず、ああ

でもないこうでもないと事の真偽について互いの意見を論じ合っていたのです。

要するに彼らは、イエス様の死のからだに復活のいのちを与えられた力ある神を

信じる信仰が持てず、この世の知的肉的常識を越えた神の御業に混乱していたの

です。

 たしかに、死んだ人間が再びよみがえるなどということは、よく調べもしない

では信じ難いことです。世の常識では考えられない、あり得ない出来事です。
 しかし「この出来事」が起こった約二千年前の昔から今日に至るまで、これを

事実、真実として信じる人々が世界中に何億人と存在してきた事実を、私たちは

どう捉えたらいいでしょうか。

  ****************************************************************

 ところでこの復活の朝からさかのぼること一週間ほど前、イエス様は彼の支持

者たちの大歓迎を受けつつエルサレムに入られたことでした。その様子は、ユダ

ヤ人が長らく待望していたメシヤ(救世主・解放者)をお迎えするかのような有様

で、ちょうど過ぎ越しの祭を祝うために各地方から集まっていた人々も加わり、

エルサレムの町はちょっとした大興奮に包まれたのでした。

 しかしそれからわずか四、五日のうちに、大衆のイエス様に対する態度は一変

することとなりました。発端は、イエス様に対する当時のユダヤ教指導者を中心

としたサンヘドリン議会の人々の「ねたみ」でした。彼らはイエス様を捕らえ、

違法な仕方で宗教裁判を開き、無理から彼を「死罪にあたる者」として告発した

のです。「イエスは神を冒涜した」というのが、死刑を申し立てた彼らの論拠で

した。

 その後さまざまな経緯があって、結局イエス様は十字架刑にかけられることに

なりました。(一時的ですが、不法な者の声が勝って闇が光を覆ったのです)

  ****************************************************************

 イエス様の捕縛そして死刑判決、さらには十字架における刑の執行。あれよあ

れよという間に、弟子の誰もが予想だにしなかった展開が、現実の事としてイエ

ス様の身に起こってしまいました。
 それまでイエス様に望みをおき、イスラエルの将来についても彼に大きな期待

を寄せて従っていた弟子の一群は、この件で一気に失望と挫折を味わい、いわゆ

る奈落の底に突き落とされたような状況に陥ったのです。

 イエス様がゲッセマネの園で捕らえられたとき、また不当な裁判によって刑を

確定せられたとき、弟子たちのほとんどは、これから我が身にも迫るであろうい

のちの危険、迫害の危機に身を震わせ、ある者はすぐさまエルサレム脱出を計ろ

うとしました。またある者は当局者を恐れて家の門戸をかたく閉ざし、息を潜め

て戦々恐々としていました。

 さらに十字架の直後には、これで夢も希望も完全に打ち砕かれたと感じたイエ

ス様の信奉者たちを、さらに深い絶望と恐怖、不安が襲いました。これから先、

私はどうしたらいいんだろう?なんて考えることさえ空しい失望感が漂っていた

に違いありません。

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 沈黙の中でただ悶々と安息の一日を過ごした彼ら。そして次の日、すなわち週

の初めの日曜の朝、信じ難いとんでもない報告が弟子たちに届けられました。イ

エス様のからだに香油を塗るため、遺体が葬られている墓へと出かけた婦人たち

によってそれはもたらされたのです。

 彼女らは自分たちが見たこと聞いたことについて、興奮しつつもそのすべてを

もらさず弟子たちに報告しました。『イエス様はよみがえられました。あの方は

墓の中にはおられませんでした』と。

 当初は「信じられない」としてまったく取り合わなかった弟子たちですが、そ

の後復活されたイエス様ご自身が実際に彼らの目の前に現われてくださったこと

で、ようやく彼ら自身も「主のよみがえり」を「事実」として認め受け入れるこ

とができたのです。

 キリスト・イエス様のよみがえりは事実でした。神の約束によってかねてより

預言されていたとおりです。弟子たちは復活という「信じ難い事実」に触れたの

です。よみがえって、いまここに生きておられるイエス様を見たのです。

 ********************************************************************

 そんな出来事が起こっていた同じ日に、エマオという村をめざし道を急ぐ二人

の弟子の姿がありました。イエス様が復活されたという話は彼らもすでに耳にし

ていたことですが、彼らはまだその現実には出会っていませんでした。彼らにと

って復活はなお非現実的なこと、たわむれ事に過ぎませんでした。ですからこの

ときの二人はまだ深い失望と不安と混乱の中にあり、それゆえ一刻も早くエルサ

レムを離れて、恐怖から逃れたいと道を急いでいたのです。

 しかしその道すがら彼らが口にする話題は、やはりイエス様の十字架とよみが

えりのことでした。信じることができないとはいえ、関心は大いにありました。

 聖書は彼らが《このいっさいの出来事について話し合っていた》と記し、また

《話し合ったり、論じ合ったりして》いたとも書いています。つまりこの時点で

の彼らにとって「イエス様復活」の出来事は、単に論じ合うだけのこと、議論す

るテーマでしかあり得ない、その程度の事柄だったのです。

 宗教を信じるとは、いわばこの彼らにみる現状、その考え方・生き方をいうの

ではないでしょうか。彼らにとって復活は、あくまでも「論じる対象」でしかな

く、人間の教えの域を出るものではなかったのです。
 この世の宗教は、人間の脳に働きかけてこれを刺激し、探究心旺盛な人々の心

をおおいに喜ばせることでしょう。しかしそれは、繰り返し繰り返しいつ果てる

とも知れない堂々巡りの知識を人々に要求し、結果どこまで行っても決して真の

満足を魂に与えることがありません。完全な充足を提供してはくれないのです。

  ****************************************************************

 二人が道々論じ合っていると、そこに「よみがえられたイエス様」が現われま

した。そしてイエス様は彼らと共にその同じ道を歩いてくださったとあります。

 しかしどうしたことでしょう、二人の弟子にはそれがよみがえられたイエス様

本人だとは判らなかったといいます。その理由として聖書は《二人の目はさえぎ

られていて》と説明しています。

 何が彼らの目をさえぎり「真実」を見えなくしたのでしょう? それは、彼ら

がよみがえられたイエス様をなお「墓の中」に見つけようとしていたからです。

 死んだ者の記憶の中にこの方を見出すことはできません。単なる文字としての

規則、古い戒め、伝えられきた数々の教えの中に、まことのいのちの主であるイ

エス様を見つけることはできないのです。なぜなら彼はよみがえられて、今を生

きておられる方だからです。この瞬間もイエス様は私たちのそば近くにおられ、

私たちと共に今を生きておられるのです。

 この事実を知ってください。イエス様の復活を信じてください。この方はいま

あなたと共におられるという事実を受け入れてください。
 あなたを愛し、あなたの人生にまことの希望と平安を与え、決して朽ちること

のない喜びと満足(充足)を与えるお方は、死からよみがえられたいのちの主キリ

スト・イエス様だけであるということを。生きておられる神の子イエス様だけで

あるということを。

 口口 聖書の言葉 口口

    キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、
    それから、彼の栄光にはいるはずではなかったのですか。
          (ルカの福音書 24章 26節)

    わたしはよみがえりです。いのちです。
    わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。
    また、生きていてわたしを信じる者は、
    決して死ぬことがありません。
    このことを信じますか。
          (ヨハネの福音書 11章25−26節)

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 回■回■ (^o^)丿 [マメマメ知識]のコーナー  4(^_-)ヾ  ■回■回
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        最大の出来事 ─ 復活を検証してみませんか?

 復活は事実か?
 果たしてイエスはよみがえったのか。もしよみがえらなかったのだとすれば、

その死体はどうなったのか。敵が持ち去ったのか。それとも弟子の誰かが隠した

のか。もし敵が持ち去ったのなら、人々の前にイエスの死体を公示して、その死

が事実であり、イエスといえども決して死から免れ得ないことを明らかにしたは

ず。もし弟子の誰かがイエスのからだを持ち去ったのだとすれば、弟子自らがイ

エスの死を事実として承認しているわけであるから、それ以後の彼らの証言は全

くの偽りということになる。神がよみがえらせなかったイエスを、弟子たちは自

分のいのちをかけてまで「イエスはよみがえられた」と告白することの不可解さ

を、どう説明すればいいのだろう。

 イエスの復活は幻想か?
 復活は、人間の興奮状態が生み出すところの幻想なのだろうか。夢、まぼろし

、幽霊か。しかし異なった集団の人々が、同じ幻想を同時に見るなどということ

があるだろうか。パウロは、少なくとも500人の弟子たちにイエスが同時に現

われた、と証言している。逆に言えば、500人の弟子たちがそれぞれ異なった

その居場所で、同時に復活のイエスを見ているということである。同時刻に同じ

夢を見る?などという、そんなことが果たしてあり得るのか。

 十字架上のイエスは仮死状態にあった?
 イエスは「死んだと思われた」だけであり、実は仮死状態で「生きていた」と

いうのか。墓に葬られてのち、しばらくして息を吹き返し、自力で墓から脱出し

たのだろうか。しかしイエスに墓石を脇へ転がすほどの力が残されていたとは考

えにくい。彼は十字架にかけられる前、ひどい鞭打ちの刑を受けている。自分の

十字架を担ぐことすらままならない状態であったと聖書は記録している。しかも

彼は、ローマ兵の槍でわき腹を突かれているのである。
 よしんばイエスに強靭な体力が温存されていたとして、すなわち実はイエスは

死んでいなかったのだとして、その彼が後に、扉を開けることなく弟子たちがい

る室内に入るということが果たして可能なのか。

 もし・・・もしキリストがよみがえらなかったのなら、この世のキリスト者に

希望はない。しかしもしキリストが聖書の示すとおり、事実よみがえられたのな

ら、彼を信じないこの世の人々に希望はない。

         (参考・引用資料:ハーレー著 聖書ハンドブック) 

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ペンネーム : Anthrowpos

  • 滋賀県大津市在住のキリスト教プロテスタント系牧師です。日曜礼拝と祈祷会および聖書学び会を三本柱に、自宅にて毎回集会をしています。私の願いは、一人でも多くの方がまことの神様を知ってくださることです。そのためにも小冊子・チラシなどを配布し、地域の布教活動に取り組んでいます。

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