【聖書】遺 言
発行日時: 2005/11/19 〓/†/【聖書を開けば・・・】〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓 第262号 〓〓〓
おはようございます。きょうもご愛読をありがとうございます。
先日、ハッとして目を覚ましたら、なんと目覚まし時計のアラームを
解除し、布団の中にまだ寝ている自分が・・・
えーっ、うそっ! 寝坊したぁ?!
ガバッと飛び起きるや、もうその後は会社に電話を入れたり身支度を
したりのてんやわんや。ひげも剃らず、大慌てで車に乗り込み、一時
間遅れで会社に到着。仕事にとりかかるも、段取りはガタガタ。
結局その日一日、まったく調子があがりませんでした。
それにしても、あの目ざめの瞬間は良くありません。心臓がバクバク
いって、からだに悪いこと、悪いこと。寿命が縮まる思いでした。
他人事と笑っている場合ではありません。明日は我が身、かも。
これからの季節、あなたも朝寝坊にはくれぐれもご用心くださいませ。
自戒を込めて。
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ダビデの死ぬ日が近づいたとき、彼は息子のソロモンに次のように言
いつけた。
「私は世のすべての人の行く道を行こうとしている。強く、男らしく
ありなさい。あなたの神、主の戒めを守り、モーセの律法に書かれて
いるとおりに、主のおきてと、命令と、定めと、さとしとを守って主
の道を歩まなければならない。あなたが何をしても、どこへ行っても、
栄えるためである。」
(旧約聖書 列王記第一 2章 1−3節)
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ダビデはイスラエル12部族のユダ族に属するエッサイの子どもとして、あのイエス・キリストがお生まれになったと同じ村ベツレヘムに生まれました。彼は8人兄弟の末っ子で、その立場上良きにつけ悪しきにつけ何をするにおいても一番最後にまわされるのが宿命(?)でした。俗に「貧乏くじを引く」といいますが、彼はまさに末っ子として、本来なら生涯その状況に留まっていなければならなかったのです。
ところが、その彼の人生を神が大きく変えられました。神がエッサイの子どもたちの中からダビデを選び、彼をイスラエルの二代目王とされたからです。
父エッサイにとって、また他の兄弟たちにとって、もちろんダビデ自身にとっても、神のこの選びは驚き以外のなにものでもありませんでした。しかし確かに神は、ダビデを王として選ばれたのです。この事実にうそ・偽り、誤りはありませんでした。
時に神は、すでにご自分の民イスラエルに対して与えておられる「祝福とのろいの道」をあらためてダビデに示し、特に一国をあずかる王としての立場にあって「神の御心に従う良い判断と選択を行なうこと」を彼に期待されました。
残念ながら、ダビデの生涯は「百パーセント神の期待通り」とはいきませんでした。やはり肉にある者の弱さゆえに、時にサタンの誘惑に負けて過ちを何度か犯したのです。男として、親として、王として、そして人間として。
しかしダビデはその都度悔い改めをもって神の御前に立ち戻り、決して罪をそのまま放置しておくようなことはしませんでした。厳しくもあわれみ深い神の叱責と戒めの言葉に、へり下りをもって耳と心を開き、神の恵みの取り扱いに自らを積極的に委ねていったのです。そうした経験の積み重ねを通して、ダビデはいよいよ神の御手に導かれる人生のすばらしさ、神と共にある人生にて得られる祝福の豊かさを学んだのです。
その彼もいまや老齢となり《世のすべての人の行く道》に入ろうとしていました。すなわち、ダビデは死の床に伏せっていたのです。そんな中で彼はいま何を思い、何を考えているのでしょう。いよいよ死地に行く者が、この世に残された愛する者たちに、最期の言葉としてどんなことを伝えておきたいと願うことでしょうか。
ダビデは迷わず語りました。『あなたの神、主の戒めを守り・・・主の道を歩みなさい』と。多くの言葉は要りません。アレをせよ、コレをせよとの事細かな指示も必要ありません。ただあなたの人生が「神と共に歩むものであれ」それで良い、それで十分だというのです。
決して人生哲学的教えではありません。真理です。祝福に至る真実の道であり、いのちそのものをあなたに明らかにしている言葉です。実践あるのみ。
ダビデは語り、明言します。『神と共に歩む人生を送りなさい。それはあなたが何をしても、どこへ行っても、栄えるためです』と。
□□ 聖書の言葉 □□
幸いなことよ。
悪者のはかりごとに歩まず、
罪人の道に立たず、
あざける者の座に着かなかった、その人は。
まことに、その人は主のおしえを喜びとし、
昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
その人は、水路のそばに植わった木のようだ。
時が来ると実がなり、その葉は枯れない。
その人は、何をしても栄える。
(旧約聖書 詩篇 1篇 1−3節)
イエスは彼に言われた。
わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。
わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに
来ることはありません。
(新約聖書 ヨハネの福音書 14章 6節)
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二分する判断 ─ 進化説と知的計画 ─
以前に取り上げたことのあるテーマですが、再度紹介させていただきます。
今から146年前の1859年、ダーウィンが著した『種の起源』の中で唱えられた進化説、一般には「進化論」という名で知られていますが、これが今日に至るもなお多くの問題を提示する「論争の火種」としてくすぶり続けていることを皆さんはご存知でしょうか。
日本の教育現場では、彼の進化説が正統的理論として当然の如く授業の中で教えられ、今では広く世間一般に流布する「常識」ともされています。確かに私自身も数十年前にこの教育を受け、ながらく(聖書に出会うまでは)これを信じてきました。理科の時間に先生が『私たち人間はサルから進化した生き物です』と何度も力説していたことを思い出します。
そして「ご先祖様は敬い尊ばねばならない」と教えられてきた私たちは、遠足のたびごとにそのご先祖様であるサルを動物園に見に行ったものでした。狭い檻に入れられたご先祖様は、私たち子どもが無造作に投げ入れるエサを貪り食っておられましたっけ。当然ですが、私たちには彼らを敬う気持ちなど少しもおこりませんでした。
あれから数十年経った日本の教育現場では、今でもダーウィンのこの学説に従って「人間はサルから進化した」と子どもたちに教えているのです。
ところが先日、こんなニュースを読みました。海の向こうのアメリカでの話ですが、記事によりますと、先頃のアメリカではダーウィンの進化説に代わって『生命の誕生には何らかの知的計画が関与していた』とする学説を教えようとする動きがある、というのです。
これまでもっぱらダーウィンの進化説を教えていたアメリカ教育界ですが、カンザス州とペンシルベニア州の教育委員会では「授業で教えるならどの説を採用するか」という問題が討議され、結果として一方はこれまで通り進化説を採用し、他方の州では知的計画説を採用するという、異なった判断が示されたのです。
知的計画説。「それは『神による天地創造説』のことではないか」と批判する人々もいるとのことですが、実際問題として、いのちあるものの最初の誕生・出現を考えますと、単に「宗教的である」との理由でこの説を退けてしまうことはむしろ非科学的なのでは、と思うのです。あなたはどう思いますか?
ところで、昔こんなことを話題にした記憶があるのですが、聞いたことありませんか? それは、この世に最初に登場したのはニワトリが先か、はたまたタマゴが先か、というもの。実は、これはまさに『生命誕生の起源およびその後の生物の系譜』について、私たちの常識とする考えに一石を投じる質問なのです。答えは、もちろんあなた自身がじっくり考えて出されるのが良いでしょう。(さぁ、どっちが先だったと思いますか? 理由も考えてくださいね。)
もしタマゴが先に登場したとするなら、それはどこから来たのですか? どうやって出現したのですか? タマゴがふ化するための環境や条件、およびその後の発育、成長に関わる安全は、そもそも誰が整え支えたのでしょう?
ダーウィンの進化説は「適者生存」と「自然淘汰」を中心として組み立てられていると言われますが、その点から考えると、果たして単体としてのタマゴが何の保護を受けることもなくふ化し、自立成長するとは考えられないのですが、どうでしょうか。
でももし、天地万物の創造者である神の存在を認めるなら、少なくとも生命誕生に関する一切の疑問に、私たちは「明確な答えを見出すことが出来る」のです。
〓〓☆★ つうしん ★☆〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
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