【聖書】神のために
発行日時: 2005/10/8 〓/†/【聖書を開けば・・・】〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓 第256号 〓〓〓
おはようございます。きょうもご愛読をありがとうございます。
二日前、近くの中学校で運動会がありました。競技に参加する選手を
友達として、クラスとして応援する子どもたちの、にぎやかな歓声が
ひっきりなしに聞こえていました。
最近はどんな競技種目があるんでしょうねぇ。私の頃は、騎馬戦や組
み体操など、結構きつい競技があったのですが、父兄から「危険だ」
との指摘があり、いつの頃からか中止になっていると聞いています。
少々の危険が付きまとう競技は、「痛みを知る」という意味において
良い実物教育になるんですがねぇ。
どうも近頃は「あれもダメこれもダメ」と、親心とは言え結局は大人
の身勝手な取り越し苦労から、本来ならば子どもたちが成長過程の中
で味わうはずの貴重な体験・経験を、むしろ逆に奪っているような気
がしてならないのですが、如何でしょう?
今日のメニュー:
φ(^^ゞ [聖書を開けば] コーナー “神のために”
φ(^^ゞ [マメマメ知識] コーナー “ダビデの町”
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(ダビデ)王が自分の家に住み、主が周囲の敵から守って、彼に安息を
与えられたとき、王は預言者ナタンに言った。
「ご覧ください。この私が杉材の家に住んでいるのに、神の箱は天幕
の中にとどまっています。」
すると、ナタンは王に言った。
「さあ、あなたの心にあることをみな行ないなさい。主があなたとと
もにおられるのですから。」
(旧約聖書 サムエル記 第2 7章 1−3節)
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サウル王が亡くなって数年後、ダビデは全イスラエルを治める「第二代イスラエル王」として遂に王位に就きました。
それから間もなくのこと、ダビデは、難攻不落と言われた「シオンの要害」(そこは昔からカナン人やエブス人が住んでいた町で、エルサレムの南東の端に位置する面積3ヘクタールほどの小さな町でした)を攻め落とし、この町を含む「エルサレム」にイスラエルの首都を置くことにしました。ダビデによって陥落した「シオンの要害」は、以後「ダビデの町」と呼ばれるようになりました。
神はダビデを大いに祝福されたので、その治世の始まりは順調に動きだしました。周辺の諸民族も彼の権勢と力を認め、ことにツロの王ヒラムはダビデのもとに杉材・大工・石工などを送って「彼のために王宮を建てた」と記録されています。
ダビデは都をエルサレムに置いた時、当然のこととして「政治・経済・宗教等のすべてをエルサレムに集中しなければならない」と考えました。中でも彼がもっとも重要と考えたのは「神の箱」を一日も早く都に迎え入れることでした。
ところが前回お話したように、その道中で突然起こった出来事、つまりウザが引き起した失態を激しく怒られる神の怒りを見たダビデは心を深く騒がせ、そのために「神の箱」をただちに都へ運び入れることに戸惑いを覚えたのでした。そこで彼は、しばらくの間「神の箱」をオベデ・エドムの家に留め置く措置をとることにしました。
神の箱が留まること三ヶ月、その間オベデ・エドムの家と彼に属するすべてのものは大いに祝福されたことをダビデは見ました。もはや神の怒りは去っていると判断した彼は勇気を取り戻し、再び「神の箱」をエルサレムに運び入れるための行動を再開しました。そしてダビデは、先の失敗を教訓に、今度は種々の規定に則って、準備された『天幕の真中に』それを安置したのです。
念願の「神の箱」は、ようやくエルサレムの都に迎え入れられました。この時ダビデとイスラエルの全家は大いに喜び、ダビデなどは主の前ではねたり踊ったり、歓声を上げつつ「神の箱」を迎えた、と聖書は記録しています。
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さて、それから戦いのない平和な日々が続いたある日のことでした。ダビデが自分の王宮でくつろいでいる時、ふとこう思いました。「いまや私はこんな立派な家に住んでいるというのに、神の箱はまだ天幕の中に置かれたままとは、いったい何としたことか。」
たぶんダビデは、自分の今ある境遇を思うにつけ「神の箱」があまりにも顧みられず、不憫(ふびん)であるとして、自責の念・うしろめたさを感じたのではないでしょうか。神の箱を安置しておく場所として「天幕」は、いまや時代遅れの、みすぼらしい住み家となってしまったのではと、彼は申し訳なく感じはじめていたのです。
そこでダビデは「神の箱」のために、それにふさわしい「建物」をあらたに造るべきだと考えました。実はこれが、後のエルサレム神殿建設に至る「構想の発端」になりました。
そこでダビデは、さっそく自分の思いを預言者ナタンに打ち明け、相談してみることにしました。王は、何か大きな事を行なう時はいつでも、このように「神の人」に相談するのが常でした。王は尋ねます「あなたはどう思うか。」するとナタンは「それは良いお考えです。どうか、王様のお心のままを行なってください。神が王様と共におられるのですから。」と答えました。
さてここで質問です。ダビデ王の心に生じた願いと、その相談に応じたナタンの返答に、何か取り立てて不都合な点、問題とすべきおかしなところがあったでしょうか?
ダビデ王の相談に預言者ナタンが「そうすべきです」と積極的に賛同を表わしたその同じ日の夜、神はナタンに現われてこう言われました。「ダビデに言え。あなたがたは考え違いをしている」と。そして神は、その場で彼らの間違いを指摘されたのですが、ではその考え違いとは何でしょう? どこが、どうおかしいというのでしょうか。
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まず「ダビデ王に生じた願い・思い」について考えてみましょう。
何故彼は今回「神の箱」を安置するための場所が「天幕」では物足りないと感じたのでしょうか。たしかに今自分が住いとしている王宮に比べれば、そこは雲泥の差があったことは事実でした。「天幕」の材料や形は、そもそもモーセの時代から何一つ変えられることなく、いわゆる旧式の古テントそのままだったのです。天幕は荒野を数十年もの間旅する中で何度も風雨にさらされ、カナンの地に入ってからは多くの戦争にも駈り出されて、想像するに、至る所がボロボロになっていたのではないでしょうか。ひょっとして、この時代の天幕は継ぎ接ぎだらけだった・・・かも!?
しかるに王の住いすなわちダビデの家ときたら、エルサレムに定住を果たした今では、見違えるほどの立派な「御殿」になっていました。例のツロの王ヒラムによって献上された、すばらしい資材で建てられた宮殿でした。神が祝福をもってこの幸いを導かれたとは言え、何という違いでしょう。いつしかダビデという下僕は宮殿に住むようになり、本来主人であるはずの神は相変わらずの、しかもすっかり古びた小屋になお住み続けることを強いられているとは。ダビデでなくても誰だって、この状況を「もったいない」「申し訳ない」「まずいなぁ」と思うことです。何とかしなくては、と。
何故ダビデは神殿建設への思いを抱いたのでしょう? それはある種の「うしろめたさ」からではなかったでしょうか。
そんなことが動機であるはずは無い、とは誰にも言えません。もちろんできることならば、純粋な動機から出たものであって欲しいと、私も願うことですが・・・。
あるいはまた、イスラエルの神の臨在が現われる「神の箱」が、いつまでも「こんな天幕」に安置されているようでは他国の神々に侮られる、と考えたことからでた発想かも知れません。この恥は、イスラエルの恥であり、また王であるこの私の恥でもある、と。要するにそれは、見栄、体裁の類からでた思いであり、これまた不純な動機からのものと言えるでしょう。
神殿建設へのダビデの思い。自分なりにその動機を探ってみることは、おおいに有意義なことだと思います。それは、あなたが何かをしようとする場合の自分の内にある「本当の動機づけ」を知る上で参考になることです。
ところで神は、ダビデに同調した預言者ナタンにその夜現われて言われました。《あなたはわたしのために、わたしの住む家を建てようとしているのか。わたしは、エジプトからイスラエル人を導き上った日以来、今日まで、家に住んだことはなく、天幕、すなわち幕屋にいて歩んできた。わたしがイスラエル人のすべてと歩んできたどんな所ででも、わたしが、民イスラエルを牧せよと命じたイスラエル部族の一つにでも『なぜ、あなたがたはわたしのために杉材の家を建てなかったのか』と、一度でも言ったことがあろうか。》と。(サムエル記第二 7章5−7節)
ここで神は「誰が、わたしのために新しい家を建てよ、とあなたに求めましたか」と問われています。「わたしはあなたのように、杉材の家に住みたいのだ、と言ったことがありますか」と。それはダビデに対してだけでなく、今を生きる私たちに向かっても語られている問いかけです。
つまり、神の惨めさ・不自由さ(私たちは自分の境遇と天幕のそれを比較して、そのように見ていたかも知れません)を解消するために、私たちにできる事として「神が何かを求められたことがあるか」ということです。
天地万物を創造されたまことの神は、誰かの手によって補助を受ける必要をもってはおられません。誰かの助けを受ける必要を感じてもおられません。聖書は、まことの神とは「わたしは、ある」と言う方だと紹介しています。
ですからこの時、ダビデがいかに神殿建設への思いを深くしたところで、それで神が喜ばれることは無かったと思われます。もともとそんなことを神は求めておられなかったのですから。神にとって「天幕」は、それ自体で十分神の栄光を現わしていました。「そこにある」ことで十分満足されていたのです。
例えば「神には私たちの助けが必要だ」とか「神は私の知恵と力を求めておられる」などと考えることは、まことに愚かなことです。神の助けなくして、神のために「何かができる」と考えることは人間の傲慢であり、それが「できる」と考えるところに人間のさらなる罪深さがあります。
すべては神によって計画され、神によって準備が与えられ、私たちはそれらを用いて事を行なわさせていただくのです。
結局、ダビデがこの時抱いた神殿建設の構想は、彼ではなくその子ソロモンによって成し遂げられることになります。それが神の御心だったからです。
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次に預言者ナタンのことをみてみましょう。
彼はダビデから相談を受けたとき、どうしてその構想に同意したのでしょうか。実はダビデへの同調が間違っていたことを、彼はその夜示されました。
彼の判断・その行動の間違いは、彼が「神の人」でありながら、ダビデの思いを「神ご自身に問うこと」をしなかったことです。彼は「自分の判断」でダビデ王に同意を表わしました。神殿建設のビジョンが、人間的にもすばらしかったことと、それが王自身の思いからでた構想だったからです。
預言者ナタンはダビデに対して、ある種「ゴマスリ的」に対峙したのではないでしょうか。時の権威者に対して「長いものにはまかれろ」式で、媚びへつらった感があります。とりあえず王の言うことには賛成しておくのが、自分の立場をより安泰にしておく秘訣だと彼は考えていたのです。
もちろん神が、そのようないい加減な態度を見逃されるはずがありません。ことに彼が預言者であることを思えば、その務めゆえにもっと自分に厳しく向かうべきでした。
預言者ナタンのこの時における間違いは、彼が神に対しても人に対しても不誠実であったことでした。結局彼もまた、ダビデ王と同じく自分自身のことをしか考えていなかったのです。
彼はダビデ王から相談を受けたとき、一度は賛成し「手当たり次第、どんなことでも行ないなさい」と励ましたことですが、結局は人を喜ばせる口先だけの推奨だったので、神の指摘を受けるや即座にその言葉を訂正しなければならなくなったのでした。自らの愚かさといい加減さを世間にさらしてしまったことでした。
□□ 聖書の言葉 □□
アポロとは何でしょう。パウロとは何でしょう。
あなたがたが信仰にはいるために用いられたしもべであって、
主がおのおのに授けられたとおりのことをしたのです。
大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。
成長させてくださる神なのです。
(新約聖書 コリント人への手紙 第一 3章5,7節)
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ダビデの町
エルサレムの南東の端に位置する自然の要害で、東西約120メートル、南北約375メートル、面積約3ヘクタールある。古くはカナン人、エブス人が住んでおり、難攻不落のとりでと思われていた。ダビデは、雇用兵を水汲み用の地下道を通って侵入させ、この町を陥落させた。そして彼がこの地を自分の本拠地としたことから「ダビデの町」と呼ばれるようになった。
聖書によれば、ダビデは自分の名で呼ばれるこの町に葬られたと記されているが、後の発掘調査によって、実際に町の南東部に王家の墳墓があったことが知られている。なお、ダビデの子ソロモン、ソロモンの子レハブアム、その他南王国ユダの歴代の王もそこに葬られた。
(参考資料: 新聖書辞典、旧約聖書辞典)
〓〓☆★ つうしん ★☆〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
《聖書を読みましょう》
これこそ悩みの時のわが慰め。まことにみことばは我を生かす。
みことばはわが足のともしび、わが道の光です。 (詩篇より)
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