ちょっとおもしろい聖書のお話
発行日時: 2007/11/11
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■ 「ちょっとおもしろい聖書のお話」 No.46 □
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■ 2007年11月11日(日) 毎月1回発行 □
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『聖書にみる人間の構造』 No.45
「自己中心に生きる人々」
創世記4:2〜16 彼女は、それからまた、弟アベルを産んだ。
アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。
ある時期になって、カインは、地の作物から主へのささげ物を持っ
て来た。
また、アベルは彼の羊の初子の中から、それも最良のものを、それ
も自分自身で、持って来た。主は、アベルとそのささげ物とに目を
留められた。
だが、カインとそのささげ物には目を留められなかった。それで、
カインはひどく怒り、顔を伏せた。そこで、主は、カインに仰せら
れた。
「なぜ、あなたは憤っているのか。なぜ、顔を伏せているのか。
あなたが正しく行なったのであれば、受け入れられる。ただし、あ
なたが正しく行なっていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あ
なたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきであ
る。」
しかし、カインは弟アベルに話しかけた。「野に行こうではない
か。」そして、ふたりが野にいたとき、カインは弟アベルに襲いか
かり、彼を殺した。
神はカインに仰せられました。
「なぜ、あなたは憤っているのか。なぜ、顔を伏せているのか。
あなたが正しく行なったのであれば、受け入れられる。ただし、あ
なたが正しく行なっていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あ
なたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきであ
る。」
神の声に対するカインの応答は、『しかし、カインは弟アベルに話
しかけた。「野に行こうではないか。」そして、ふたりが野にいた
とき、カインは弟アベルに襲いかかり、彼を殺した。』とあります。
「しかし、」とは、神の声に対立するカインの心情を表しています。
カインは神の声に対して一言も応答していません。神の声を完全に
無視しました。神を完全無視してアベルを殺しました。冷静に、客
観的に考えると、これは凄いことです。被造物なる人間が、創造主
なる神に怒っているのです。創られた人間が、創った神を無視した
のです。
カインは神の声を聞いたにもかかわらず、完全無視して神が愛した
アベルを殺しました。神に対してタメ口どころか、神を見下した態
度に出ました。これを聖書は「傲慢、高慢」と言います。
神に対して自己中心に生きる人は、自分を神より高い立場に置き、
神を見下した態度に出ます。神に対して素直になることが出来ませ
ん。
新約聖書でイエスと対立した律法学者、パリサイ人と同じです。
よく、神を信じない人が、「神を見せたら俺も信じてやるよ」と挑
発する人がいますが、人間は、神を見たから、神の声を聞いたら、
といって神を信じる保証はありません。カインは神の声を聞いて神
の存在を確認しているのです。にもかかわらず、神を無視したので
す。確認することと信じることはまったく別の問題です。律法学者、
パリサイ人はイエスが行う奇跡を目の前で見ていたのです。
人間にはできない、神にしかできない病の癒しや様々な不思議な現
象、奇跡を見ていたのです。にもかかわらず、最後はイエスを殺し
てしまいました。信じるということは、神が行う奇跡や不思議なこ
とを事実として確認し、心で受け入れ、神に従うことです。ノン・
クリスチャンが「神を見せたら信じてやるよ。奇跡を見せたら信じ
てやるよ」と挑発するのは愚の骨頂です。自分を神より高い場所に
置いて、神を見下して神を信じるなんてことは出来ません。王様は、
家来を従わせるから王様なのです。王様が、家来に従うことなど出
来ません。自分を王とするか、神を王とするか。人間はどちから一
方しか選んで人生の生き方を決めることしか出来ません。カインは
自分王した結果、アベルを殺しました。アベルは神を王とした結果、
神に受け入れられるささげ物を持って来て、神に受け入れられまし
た。
創世記4:8しかし、カインは弟アベルに話しかけた。「野に行こ
うではないか。」そして、ふたりが野にいたとき、カインは弟アベ
ルに襲いかかり、彼を殺した。
自己中心というのは徹底しています。何が何でも自分が中心でない
と気がすみません。納得出来ません。カインと神との関係がそれを
示しています。自己中心というのは世間一般的な表現をするなら
「我の強い人」です。強引に自分の意見を主張します。自分の意見
が通らないとふて腐れます。自己中心に生きる人は、ほんとうに地
球は自分を中心に回っている思っています。あなたの職場や学校に
も必ずカインのような人がいるはずです。ほとんどの人が「この人
がいなければいい職場なんだけどな...」「この人がいなければ
楽しい学校なんだけどな...」と、感じたことがあるでしょう。
自己中心に生きる人は、我の強い人は、非常に目立つのですが、存
在感がありません。本人は自分の我を張ることによって自分の存在
感を示そうとしますが、我を張れば張るほど、周りから敬遠され、
存在感が薄れていきます。自己中心に生きる人は、自分の存在を認
めて欲しいです。自分の力で自分を誇張して自分の存在感を示そう
としますが、誇張すればするほど、「あんな奴、早く居なくなれば
いいのに」と嫌われ、普通の人は寄り付かなくなります。「類は友
を呼ぶ」ように、同じ自己中心に生きる人たちが集まって悪い空気
を作り、周りを威圧して嫌な思いをさせます。
とにかく、自己中心に生きる人は、自分から頭を下げることはしま
せん。どう考えても自分の意見の方がおかしいのに、自分でもそれ
が判っているのに、それを認めようとはしません。すべてを自分の
論理で計ります。周りの意見と合わせることはしません。私は長い
社会経験で何人もそのような人と接して来ました。
まもなくクリスマスの季節になりますね。また、教会のお祭りが始
まります。一年間のうちでキリスト教会が唯一、一般世の中に対し
て存在感を示すことができるお祭りです。お疲れ様。ご苦労様。
(これ、現代の日本のキリスト教会を皮肉って言っています。)
クリスマスはイエス・キリストの御降誕をお祝いする記念日です。が、
2千年前のクリスマスは人間が神を拒絶した悲惨なクリスマスでし
た。
マタイ2章にイエス・キリストがこの世に誕生した時の様子が記さ
れています。要約すると、
ユダヤの王・ヘロデの時代にイエスはベツレヘムで生まれました。
ヘロデ王は星によって導かれ、ユダヤの王として生まれたイエスを
探している博士たちと祭司長たち、学者たちの話からキリストがい
つ頃、どこで生まれるかを特定しました。そこで、ヘロデ王は博士
たちに「生まれた幼子のことを詳しく調べ、わかったら知らせても
らいたい。私も行って拝むから」と告げて、博士たちを送り出しま
した。やがて博士たちはマリヤより生まれた幼子を見つけ出し、幼
子に拝しました。そして、夢で「ヘロデのところに戻るな」と神か
ら戒めを受けたので、博士たちはヘロデ王を避けて別の道から自分
たちの国へ帰りました。その後、ヘロデ王は博士たちにだまされた
ことを知り、非常に怒って、家来をベツレヘムとその近辺にやって、
二歳以下の男の子をひとり残らず殺しました。
さて、ユダヤから新しい王が生まれると聞いたヘロデ王とエルサレ
ムの人たちは恐れ惑いました。ヘロデ王は、なぜ、新しい王が生ま
れると聞いて、恐れたのでしょうか?。ヘロデ王は新しい王が誕生
したら、今の自分の王という立場が脅かされると思って、新しい王
の登場を恐れたのです。
ヘロデは博士たちから新しい王の誕生のことを知らされ、博士たち
に「生まれた幼子のことを詳しく調べ、わかったら知らせてもらい
たい。私も行って拝むから」と言って、博士たちを送り出しました。
ヘロデは「私も行って拝むから」と博士たちに告げましたが、ヘロ
デは端から幼子を拝む気などありません。新しい王と云われる幼子
の誕生によって、今の王である自分の立場がどうなってしまうのか?、
その一点だけが心配なのです。ヘロデは旧約聖書が預言している新
しい王と云われる幼子のことが気になってしょうがないのです。だ
から、博士たちに幼子の情報をつかんだら教えるよう、告げました。
ヘロデの心の奥底にあるのは、幼子の誕生によって、自分が王の座
から降ろされるのが心配なのです。自分が王様でいたいのです。王
の権力を握っていたいのです。ヘロデは博士たちが戻ってくるまで
気が気でなかったでしょうね。ところがその博士たちが自分のとこ
ろ戻って来ず、博士たちにだまされたことを知ったヘロデは怒り心
頭です。そして、幼子が生まれたと思われるベツレヘムとその近辺
に居る二歳以下のすべての子ども殺しました。凄いですね。徹底し
ていますね。これが自己中心です。何が何でも自分が王様でなけれ
ば納得できません。だから、ヘロデはキリストが生まれたと思われ
るベツレヘムとその近辺に居る二歳以下の幼子を全部殺しました。
キリストを殺してしまえば、自分は王様でいられます。凄いですね。
相手は神様ですよ。何千年前から「来るぞ、来るぞ、救い主が来る
ぞ」と預言されて来て、ユダヤ民族にとって待ちに待った救い主が
いざ目の前に現れたら、容赦なしに抹殺しました。皆さん、相手は
神が遣わした救い主ですよ。ヘロデもそれは承知していたはずです。
しかし、ヘロデにとって、相手が神だろうが何であろうがそんなこ
とは一切関係ありません。自分の王の座を脅かすものはすべて敵で
す。理屈から考えれば、創造主なる神、全知全能の神を相手に喧嘩
して勝てるはずがないでしょ。ところが人間様は勝てると思ってい
るのです。自己中心に生きる人は客観的に物事を考えることが出来
ません。だからヘロデは幼子キリストを殺して自分の王座を守った
つもりでいます。イエス・キリストは十字架の上で最後にこう言わ
れました。
ルカ23:34 そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼ら
をお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからない
のです。」彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。
彼らは客観的に自分たちが何をしているのか考えることが出来ませ
んでした。だから、神の御子を十字架に架けて殺したです。
律法学者、パリサイ人とそれに扇動された群衆たちは、自己中心に
生きた人々です。彼らの心の奥に潜む自己中心性、自分を王様とす
る高慢な心が、イエス・キリストを神の子と認めることが出来ませ
んでした。水戸黄門と同じです。
みなさんは一度くらいはテレビの「水戸黄門」を見たことがあるで
しょう。もう、何十年も同じパターンの内容なのに、飽きないとい
うか、そこそこの視聴率を取っています。
悪代官と商人がつるんで、民、百姓をいじめながら、自分たちは私
腹を肥やしていきます。それを知った黄門様が助さん、格さん、お
銀を引き連れて悪代官のところに乗り込みます。そこで、必ず悪代
官が言うせりふが、黄門様に向かって「この田舎ジジイの分際で、
何を言うか!」という一言です。権力を握っている者にとって、黄
門様は単なる「田舎ジジイ」にか見えません。すっかり高慢になっ
ているので、天狗になっているので、本物の黄門様だと判断できま
せん。本物の黄門様が目の前に居るのに、その価値が判りません。
そして、チャンバラが始まり、切りのいいところで、
「みなのもの、ひかえおろーーーー。この紋所が目に入らぬか!!
!」カシャーーーン!(三つ葉葵の印籠が登場。みんな目が点にな
り)「ここにおわすお方をどなたと心得る、恐れ多くも先の副将軍、
水戸光圀公にてあらされるぞ。ご老公の御前である。頭が高いーーー、
ひかえおろーーーー」
(みなのものが一斉に黄門様の前にひれ伏し土下座する。)
ここで視聴者は「どうだ!悪代官!まいったか!」と、自分が黄門
様に成りきり、スカッ!とします。そして日頃の社会や政治への鬱
憤(ウップン)を晴らしながら、最後に立場が逆転して悪代官が裁
かれ「良かった良かった」と納得して気分が良くなります。
ヘロデ王も、律法学者もパリサイ人も、悪代官も同じです。いつの
時代でも変わりませんね。
黄門様は自分の立場を低くして一般人に紛れ込んで、民、百姓の目
線で政治、社会を見ています。イエス様も同じです。
マタイ25:34〜46 そうして、王は、その右にいる者たちに
言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、
あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。
あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与
え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であ
ったとき、わたしに宿を貸し、
わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたと
き、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてく
れたからです。』
すると、その正しい人たちは、答えて言います。『主よ。いつ、私
たちは、あなたが空腹なのを見て、食べる物を差し上げ、渇いてお
られるのを見て、飲ませてあげましたか。
いつ、あなたが旅をしておられるときに、泊まらせてあげ、裸なの
を見て、着る物を差し上げましたか。
また、いつ、私たちは、あなたのご病気やあなたが牢におられるの
を見て、おたずねしましたか。』
すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告
げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小
さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』
それから、王はまた、その左にいる者たちに言います。『のろわれ
た者ども。わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意さ
れた永遠の火にはいれ。
おまえたちは、わたしが空腹であったとき、食べる物をくれず、渇
いていたときにも飲ませず、
わたしが旅人であったときにも泊まらせず、裸であったときにも着
る物をくれず、病気のときや牢にいたときにもたずねてくれなかっ
た。』
そのとき、彼らも答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あな
たが空腹であり、渇き、旅をし、裸であり、病気をし、牢におられ
るのを見て、お世話をしなかったのでしょうか。』
すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、おまえたちに告
げます。おまえたちが、この最も小さい者たちのひとりにしなかっ
たのは、わたしにしなかったのです。』
こうして、この人たちは永遠の刑罰にはいり、正しい人たちは永遠
のいのちにはいるのです。」
神様は『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これら
のわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、
わたしにしたのです。』『まことに、おまえたちに告げます。おま
えたちが、この最も小さい者たちのひとりにしなかったのは、わた
しにしなかったのです。』と言われました。神様は小さきもの、い
わゆる「社会的弱者」と伴に居ます。社会的弱者の目線で物事を見
ています。神様は社会のどん底から人間の世界を見ています。イエ
ス様が馬小屋で生まれたのは、神様は社会のどん底から人間社会を
見ていることを示しています。
政治家をはじめ、権力を持っている者は、社会のどこに目線を置き、
社会のどの部分に光を当て、助けるかが問われています。
今、日本の政界はねじれ国会とかでゴタゴタしていますが、政府与
党も野党も官僚も平気で国民に嘘をつくし、彼らは別に国民のため
に政治を行っているわけではありません。最高権力を握って自分た
ちのために権力を振るいたいのです。自分たちの都合の良い日本国
を作りたいのです。だから、一度権力を握ったものは何としてでも
権力の座を維持したいのです。社会保険庁の年金問題がすべてを象
徴しています。
彼らが作った法律によって、半強制的に払ってきた年金を、天下り
先を作るために必要のない施設を全国に造り、湯水のごとく何兆円
という額の年金をムダ使いしました。彼らのやっていたことは、立
派な背任、詐欺、横領です。にもかかわらず、誰も責任を認めませ
ん。末端のわずか数名の人は大臣の命令でようやく刑事告訴をされ
ましたが、ほとんど人は裁かれません。なぜでしょう?彼らを裁く
法律がないからです。権力者は自分にとって都合の悪い法律は絶対
作りません。政治家も官僚も、自分たちの首を絞めるような法律は
絶対作りません。作ったように見せかけ、必ずどこか抜け道を作っ
ときます。それが法律なのです。
先日、NHKの「クローズアップ現代」という番組で取上げられて、
いましたが、真面目な年老いた男性が、生活保護を受けられなくて
収入も無く、結局、その人は餓死しました。役所の担当者はいろい
ろ言い訳をしていました。その一方で、「金を儲けて何が悪い!」
と開き直ったファンドの代表者が、株のインサイダー取引で逮捕さ
れ、実刑判決を受けたにもかかわらず、保釈金5億円を払って刑務
所に入らず一般社会でノウノウと生活しています。格差社会の究極
です。
人間社会というのは、必ず格差が出て来るのです。能力のある者と
ない者、強い者と弱い者、お金持ちと貧困に苦しむ者。これら格差
を是正し、貧困を無くす社会の仕組みを作るために、政治家は神か
ら権力を与えられているのです。自分たちの政治の権力によって、
いくらでも弱い者を助けることができます。それが政治の役目なの
です。しかし、残念ながら国権の最高権力者である日本の政治家は
神が言われた後者の『まことに、おまえたちに告げます。おまえた
ちが、この最も小さい者たちのひとりにしなかったのは、わたしに
しなかったのです。』という政治を行っています。彼らに対して聖
書は「こうして、この人たちは永遠の刑罰にはいり、正しい人たち
は永遠のいのちにはいるのです。」と宣告しています。
もし悔改めなければ、政治家、官僚、役人たちは、この人間の世界
ではその不正が裁かれなくても、表面に出なくても、死んだ後に来
る「大いなる裁き」の日に、すべてが明らかにされ、永遠の刑罰を
受けることになります。
自己中心に生きる人は、自分を王とします。王の権力を弱い人のた
めに行使しようとは思いません。自分を王として崇めてくれる人た
ちに、自分にとって利益になる人に権力を行使します。そうしなが
ら王の座を守ります。
------------------------次回に続く--------------------------
本文の聖書のことばは 日本聖書刊行会「聖書・新改訳」を引用し
ています。
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