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子供の成長を願わない親はいませんね。同じように神様は、その子となったクリスチャンが、聖書の全てのみ言葉を栄養にして、大人に成長するように願っておられます。これは成長なさりたいクリスチャンのための励ましのメ−ルマガジンじんです。

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誤解された信仰と確信

発行日: 2008/7/15

丸屋真也さんは、その著書でこう指摘します。

■ みこころと自分の確信を混同していませんか?

このふたつを混同するならば、霊的成熟は望むことはできません。みこころとは、神ご自身のお心であって、自分の確信とは区別されなければなりません。

自分の確信をみこころと混同してしまうのは、自分自身の真実の姿がよくわからないで神とのかかわりを持つからです。
とくに、人は自分自身をよく知らないことが多いのです。

霊的化も自分の真実な姿を見えなくします。つまり、真実な自分の姿を直視したくないのです。裸の自分の姿に覆いをしようとするアダムとエバと同じ罪の誘惑にさらされているのです。
(このような厳しい問いかけは、教会の説教ではおそらく聞けないでしょう。これがクリスチャンブックのよい点です。そして丸屋さんは続けます。)

自分がほかのクリスチャンよりみこころを知るすべを知っている、というような確信があると、神のみこころを求めながら自分の確信に傾くようになります。

たとえば、あの人より熱心に祈っているとか、あの人より聖書をよく知っているという理由で自分はより霊的だと思っている場合があります。でも、そこにはすでに自分の確信が入ってきています。
(皆から、「あの人は霊的に素晴らしいクリスチャン」だと言われ、その教会でリーダー格のある方に、私はある疑問を感じたことがありますが、自分自身への反省を含めて、それが何にあるのか丸屋さんの本で教えられました。)

丸屋真也さんは、さらにこう言います。

■ 誤解した信仰で生活していませんか?

たとえば、霊的と見られるクリスチャンの中に、コミュニケーション・スキルなどは霊的なことではないからどうでもよい、神のみことばにさえ従うなら神は人間関係を祝福してくださる、と確信している人がいます。そこには致命的な落とし穴があります。

祈りやみことばの学びはみこころを知るうえで不可欠ですが、それに費やした時間や熱心さに比例してみこころがわかるようになるわけではありません。少なくとも、みこころについては自分のほうがよくわかるはずだと慢心しているとしたら、それがみこころでないことは確かです。

そのような心でみことばを正確に示したとしても、そこには「愛が欠けている」のではないでしょうか。

パウロは「山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません(1コリント13:2)」と言っています。

次に、信仰生活でよくあることですが、何か祈りながら努力していたにもかかわらず、その道が開けなかったとします。そのようなとき、「道が閉ざされたのはみこころだった」と確信して終えるようならば、みこころを真に知ることは難しいでしょう。

もちろん、いろいろな状況があるので、すべてがそうだとは一概には言えないのですが、多くの場合、みこころだ、という解釈をして自分の真の姿から目をそらしているのです。

自分の側に問題があるのにもかかわらず、それをみこころということで受け止めるならば、もっと深いところにある神のみこころを知る機会を逃してしまうことになるのです。

さらに、みこころに心から従おうとする意志がないと、みこころを知ることができないということです。みこころを示してくださいと求める前から、みこころが明らかになっている例はいくらでもあります。

それは聖書をとおしてです。聖書は誤りのない神のことばですから、聖書を学んでいくなら、神のみこころがわかるのです。
ある意味では祈る前から示されていることも多くあります。ですから、みこころを行いたいという願いや求めがあるならば、身近なところに主のみこころが明らかに示されていることがわかるのです。

それでは主のみこころを正確に、誤解することなく知るためには、どのようにしたらよいのでしょうか。

■ 主のみこころを正確に知るためのガイドライン

第一は、神のことばにかなっているかどうかです。
とくに大事なのは、みことばを聖書全体から理解することです。

第二は、みこころを求める動機が愛であるかどうかです。

この愛とは神がイエス・キリストをとおして示してくださっている愛です。この愛のゆえに求めるのでなければ、みこころを知ることは困難です。

第三は、心から自分で求めているかどうかです。

「クリスチャンだから」とか「あかしのため」という動機であるならば、それは心からではなく義務からですから、みこころを知ることは困難です。

神は私たちに何をしたいのかを求めているのです。やりたくないのに義務的にしているとしたら、自分で神のみこころはこうだと機械的に決めていることになります。それでは、生きておられる神のみこころを知ることは難しいのです。

最後に、誤解された信仰について、丸屋さんのもうひとつの指摘を引用しておきます。

みことばに従うならば、あとはすべて主が導いてくださる、という信仰の姿勢は間違っていませんが、長い信仰生活を送ってきたクリスチャンでも誤解していることがあります。

たとえば、職場の人間関係や家族関係の問題に直面したとき、「自分はみことばに従っているので、神は相手を変えてくださり、主が必ず解決してくださる」という態度を取るのです。

特別な改善がないままに時間が過ぎ、事態が悪化に転じるような状況でも、主の道は狭いから、とか、人々から何か批判されるのはクリスチャンとして妥協しないからだ、むしろよいことなのだ、などと自分を正当化するのです。

○実るほど頭あたまの下がる稲穂(いなほ)かな。

学識や徳行が深まると、その人柄や態度が謙虚になることにたとえるこの日本の諺は、その逆にならないように、成長するクリスチャンとして、いつも心にとどめておきたいと思います。

そして、確信は主にあっての確信であって、自分自身の確信ではないこともです。

 
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