ある異なるメッセージから
発行日時: 2008/5/14まず、皆様よくご存知の聖書の次の部分を、さっと眺めてください。
◆終末の徴し
マタイ24:3 イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちがやって来て、ひそかに言った。「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、あなたが来られて世の終わるときには、どんな徴があるのですか。」
24:11 偽預言者も大勢現れ、多くの人を惑わす。 24:12 不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。
24:13 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
◆目を覚ましていなさい
24:36 「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである。
24:40 そのとき、畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。
24:41 二人の女が臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。
24:42 だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである。
そして、以上の記述の中で、
24:13 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
24:40 そのとき、畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。
24:41 二人の女が臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。
に注目してください。
あるフィリピン人の牧師は、ボーンアゲインと呼ばれている「信仰覚醒運動」に加わっている熱心な信徒たちに、「皆さんも、ここに書かれている残された男や女のクリスチャンにならないように、最後まで耐え忍ぶクリスチャンになりましょう。」とメッセージの中で強調しました。
会衆は大きな声で「アーメン」と叫びました。これは私が実際に経験したことです。
ところで「恵みの神学」を強調なさっている高木慶太牧師は、その著書「恵みによる信仰生活(いのちのことば社)」で、上記のフィリピン牧師のメッセージとは異なる解説をしておられます。
「クリスチャンはかくあるべし」といつも強調される牧師の教会に連なっていたある信徒は、「こんなことで私はクリスチャンだと言えるだろうか?」といつも悩んでいました。
そんなクリスチャンが、「べし論」から解放されたのが、高木牧師のこの著書だったそうです。
(以下高木牧師の著書「恵みによる信仰生活」から引用します)
救いは永遠に続く −しばしば誤って解釈される聖句−
(1)ユダヤ人のみにあてはまる箇所
「救いは失い得る」という立場の根拠として引用される聖句の中で、ユダヤ人について言っていることで、今の私たちにあてはまらないものがありますので、それらをまず見ましょう。
「しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。」
マタイの福音書24章および25章は、キリストの再臨の前のイスラエル、すなわちユダヤ人について書かれている箇所です。
最後まで耐え忍ぶ者は救われますというのは、「大患難時代」と呼ばれる再臨直前の裁きの時代に、患難時代に信仰に入った人々に対する激しい迫害があるということ、そして、最後まで信仰を捨てないで耐え続ける者(この場合は信じたユダヤ人)は、御国に入ることができるということの意味です。
この同じ言葉が10章22節にも書かれています。
マタイ 10:22 また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
(引用終り)
そして、高木牧師は、このメールマガジンで先日以来議論してきた聖書箇所、
ヘブル10:26 もし私たちが、真理の知識を受けて後、ことさらに罪を犯し続けるならば、罪のためのいけにえは、もはや残されていません。10:27 ただ、さばきと、逆らう人たちを焼き尽くす激しい火とを、恐れながら待つよりほかはないのです。
についても、
ヘブル人への手紙は、その題のとおりユダヤ人にあてたものですと述べ、さらに、ヘブル6:4-8も同じくユダヤ人にのみ当てはまる箇所であるとされています。
また、高木牧師は上記の(1)「ユダヤ人二のみ当てはまる箇所」のほか、次のような分類もされています。
(以下引用)
(2)未信者について言っている箇所
マタイ7:21 わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。
7:22 その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行なったではありませんか。』
7:23 しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』
この箇所をもとにしてよく、「救われていると言っても、行いが伴わないなら天国に入れてもらえない」と教えられることがありますが、
ここでキリストが言っておられるのは私たちについてではなく、偽預言者たちについてです。
そのことは、7:15「 にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。」
を見れば明らかです。
(引用終り)
聖書が書かれた歴史的背景からは、高木牧師が言われることは正しいでしょう。
ところで、クリスチャンという言葉は、イエスは使っておられません。その時代にその言葉はなく、イエスが教えられたのは、ユダヤ人や神の国を知らない人々に対してでした。
しかし、イエスが教えられたことを聖書で読んで、信仰を深めまた確かなものにしたい今日を生きるクリスチャンにとって、「それはユダヤ人に対してイエスが言われたことだから、未信者についてのことだから」などと無視できるでしょうか。
聖書を引用して励ますことはしばしばされますが、励ましは脅かしであってはなりません。その意味で、ボーンアゲインの牧師のメッセージにに必ずしもアーメンとは言えない私です。
また、高木牧師の解釈には、異論を唱えるどころか、むしろその聖書理解は正しいと思う私ですが、それでいて聖書をどう読むかについては、私自身の考え方を持っています。
それは、尾山牧師がその著書で述べておられることにも近いのです。
(引用)
神の側から言えば確かにその通りです。しかし、そうだとすると、人間の側に甘えが生じないとも限りません。
一度救われたらもう滅びることがありえないのだとしたら、どんな生活をしてもいいのではないかという甘えです。
そういう人々に対する警告の言葉が、あのヘブル人への手紙6:4-6と10:26-29であると理解すれば、何も矛盾するものではありません。
聖書はいつでも神の側からの宣言と、人間の側に対する警告が述べられているからです。
(引用終り)
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