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聖書の教える信仰

発行日時: 2008/4/14

「信じたい、でも信じられない。」、「こんなことで私は信仰を持っていると言えるのだろうか。」そんな方に皆様はどう励まして上げますか?

皆様がどのようにして信仰に導かれたを伝えるのは、とても効果があるでしょう。
ここでは聖書ではどう言っているのか?聖書辞典では?をまとめてみます。

マタイの福音書に有名な物語−百人隊長のしもべをいやす−がありますね。

この中でイエスは言われました。「はっきり言っておく。イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。」

どんなに素晴らしい信仰かと思って物語を読むと、次ぎのようにあります。

マタイ 8:5 さて、イエスがカファルナウムに入られると、一人の百人隊長が近づいて来て懇願し、

 8:6 「主よ、わたしの僕が中風で家に寝込んで、ひどく苦しんでいます」と言った。

 8:7 そこでイエスは、「わたしが行って、いやしてあげよう」と言われた。

 8:8 すると、百人隊長は答えた。「主よ、わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ただ、ひと言おっしゃってください。そうすれば、わたしの僕はいやされます。

 8:9 わたしも権威の下にある者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また、部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。」

 8:10 イエスはこれを聞いて感心し、従っていた人々に言われた。「はっきり言っておく。イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。

 8:11 言っておくが、いつか、東や西から大勢の人が来て、天の国でアブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席に着く。

 8:12 だが、御国の子(ユダヤ教徒)らは、外の暗闇に追い出される。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」

 8:13 そして、百人隊長に言われた。「帰りなさい。あなたが信じたとおりになるように。」ちょうどそのとき、僕の病気はいやされた。

もうひとつの物語はこうです。

マルコ5:25 さて、ここに十二年間も出血の止まらない女がいた。

 5:26 多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役にも立たず、ますます悪くなるだけであった。

 5:27 イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れた。

 5:28 「この方の服にでも触れればいやしていただける」と思ったからである。

 5:29 すると、すぐ出血が全く止まって病気がいやされたことを体に感じた。

 5:30 イエスは、自分の内から力が出て行ったことに気づいて、群衆の中で振り返り、「わたしの服に触れたのはだれか」と言われた。

 5:31 そこで、弟子たちは言った。「群衆があなたに押し迫っているのがお分かりでしょう。それなのに、『だれがわたしに触れたのか』とおっしゃるのですか。」

 5:32 しかし、イエスは、触れた者を見つけようと、辺りを見回しておられた。

 5:33 女は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのまま話した。

 5:34 イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」

 この2つの物語から、信仰は教義を学んで得られるものではなく、また、聖書を全部読めば完全な信仰にいたるものでもないことが分ります。

ではどうすれば信仰が得られるのでしょうか?

いつもイエスと共に過ごしている弟子たちはそんなこと分っているはずなのに、かれらもこう言っているのです。

ルカ 17:5 使徒たちが、「わたしどもの信仰を増してください」と言ったとき、

 17:6 主は言われた。「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう。

またかれらは、自分たちの信仰のなさに気づかずにこう質問しています。

マタイ 17:18 そして、イエスがお叱りになると、悪霊は出て行き、そのとき子供はいやされた。

 17:19 弟子たちはひそかにイエスのところに来て、「なぜ、わたしたちは悪霊を追い出せなかったのでしょうか」と言った。

 17:20 イエスは言われた。「信仰が薄いからだ。はっきり言っておく。もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、『ここから、あそこに移れ』と命じても、そのとおりになる。あなたがたにできないことは何もない。」

信仰とは何かについては、そのほか聖書各所で語られていますね。

ヘブル11:1 信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。

コリント第二5:7 わたしたちは目に見えるものによらず、信仰によって歩んでいます。
4:18 わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。

ヨハネ 20:29 イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」

1コリント 12:3 聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」とは言えないのです。

この教えは非常に重要ですが、聖霊体験がない人たちにはそう言っても無理かもしれませんね。聖霊とは何かは聖書に教えられていますが、聖霊もまた教義ではなく体験なのです。

ヘブル 11:3 信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。

 11:4 信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいけにえを神にささげ、そのいけにえによって彼が義人であることの証明を得ました。神が、彼のささげ物を良いささげ物だとあかししてくださったからです。

 11:5 信仰によって、エノクは死を見ることのないように移されました。神に移されて、見えなくなりました。移される前に、彼は神に喜ばれていることが、あかしされていました。

 11:6 信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。

 11:7 信仰によって、ノアは、まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき、恐れかしこんで、その家族の救いのために箱舟を造り、その箱舟によって、世の罪を定め、信仰による義を相続する者となりました。

 11:8 信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。

お役に立てばと、さらに続けます。
信仰について聖書辞典は、次ぎのように説明しています。

(1) 信仰が与えられるためには、まず教えられなければならない。

10:13 「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」のです。

 10:14 しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。

(2)信仰は、知的なものであって、真理を真理として知ることである。

ヨハネ10:37 もしわたしが、わたしの父のみわざを行なっていないのなら、わたしを信じないでいなさい。

 10:38 しかし、もし行なっているなら、たといわたしの言うことが信じられなくても、わざを信用しなさい。それは、父がわたしにおられ、わたしが父にいることを、あなたがたが悟り、また知るためです。」
信仰は、感情的な面も持っている。

第一ペテロ 1:8 あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。

 1:9 これは、信仰の結果であるたましいの救いを得ているからです。

(3)しかし、さらに重要なことは、それはあくまで意志の決断であるということである。

ヘブル 4:2 福音を説き聞かされていることは、私たちも彼らと同じなのです。ところが、その聞いたみことばも、彼らには益になりませんでした。みことばが、それを聞いた人たちに、信仰によって、結びつけられなかったからです。

つまり、信仰とは全人格的信頼と言うべきもので、単なる知識や感情のみでは決して信仰とは言えない。

ヤコブ 2:19 あなたは、神はおひとりだと信じています。りっぱなことです。ですが、悪霊どももそう信じて、身震いしています。

「信仰とは、意志の決断であり、それは全人格的信頼と言うべきものである。単なる知識や感情のみでは決して信仰とは言えない。」これが聖書辞典の主張です。

ここで信仰と洗礼との関係についても考えておかねばなりません。

洗礼とは何かについては、一般に次ぎのように説明されています。

(1)バプテスマは、まずその人の心における霊的な回心と新生の出来事を象徴する行為(ロマ6:3‐5)としての意味が考えられる。

ローマ 6:3 それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。

 6:4 私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。

 6:5 もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。

 つまり聖霊が罪人の心に働かれることによって罪の悔改めと十字架のみわざへの信仰が与えられ、滅びの子としての状態から救われて神の子とされる出発を、水によるバプテスマによって象徴的に表現することである。

(2)バプテスマは、信じる者のうちに神が行われた霊の事柄を形に表して公に人々の前で明らかにすることであり公の告白としての意味を持つ。

(3)バプテスマは、すでに罪に対しては死んでおり、新しいキリストのいのちに生きていることを告白した者の当然の行為として、それにふさわしい生き方をすべきであるという聖書の主張を受け入れてこれから生きるということのあかしとしての意味を持つ。

したがって、洗礼は、信仰者としてすでに完成していることの保証印のようなものではないことを理解しておく必要がある。

この最後の部分の説明に注目してください。
「信じたくてもまだ信じられないから」と、何年も求道中のいわゆる万年求道者と呼ばれている方もいらっしゃいますね。

 
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