霊的に成長するとは?
発行日時: 2008/1/31聖書を読まないで、クリスチャンブックを読みふけっていたかっての私の反省から、神学書やクリスチャンブックが信仰の妨げになることさえもあると警告する私です。
しかし、すでに、聖書が全てであるという確信に立っておられる「成長なさっている」皆様には、よいクリスチャンブックは、クリスチャンとして見過ごしている、あるいは慣れきって忘れがちであることに気づかせてくれることが少なくないのではないでしょうか。
牧会学博士という肩書きをお持ちの丸屋信也氏の著書「健全な信仰とはなにか」(いのちのことば社、2006年)には、以下のような重要な問いかけがあります。
(以下一部要約して引用)
クリスチャンには、目指すべき具体的な目標が必要です。それがないと、信仰者として積極的に歩んでいくことができません。実際の信仰生活がどうしても受け身になってしまいます。
つまり、信仰を守ることに必死になり、成長までいかないのです。
それでも現状が維持できればまだいいのですが、そのうち信仰はマンネリ化に陥り、徐々にクリスチャンとしての力強さが失われていきます。
まず、目指すべき姿を一言で言うならば「霊的大人」と言うことができます。
霊的に成長することは、クリスチャンならだれでも肝に銘じていることだと思います。しかし霊的な成長とは何かということになると、抽象的にしか理解していないのが現実なのではないでしょうか。
たとえば熱心に奉仕をする、デボーションを欠かさない、聖書を知っている、伝道をするなどの答えが返ってくるでしょう。
もちろん、それらはいずれも霊的に成長するためには欠かせない大切なことですが、それをすべて実行していることと霊的に成長していることは、必ずしも同じではありません。
それらを忠実に行っていても、主の祝福のうちを歩んでいるという確信が持てない場合も少なくありません。
何か足りないのではないかと感じ、もっともっとと熱心に求め続けることは悪いことではありませんが、そのような熱心さが必ずしも真の意味で霊的成人への成長につながるわけではありません。健全な福音理解を土台としない熱心さもあることを忘れてはなりません。
あるクリスチャンは、たとえば、「霊的なクリスチャンなら、少しの不安も感じてはならない」と考えます。でも、そのような理解をしているクリスチャンは、なんらかの理由で不安が生じた場合、どのように対処するでしょうか。
理解が抽象的で、何が問題なのか、それに対してどう対処したらよいのかが具体的にわからないために、悔い改めをしたり、新しい信仰をもって行動しようとしても、的外れなものになってしまいます。
どんなに熱心でも、いわゆる信仰生活や、信仰に基づく行動というレベルだけでは、福音を健全に理解しているとは言いがたいのです。これではとうてい、霊的に成長し大人になることはできません。
それでは成熟したクリスチャンとは、どのような姿なのでしょうか。
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